やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第22話 辻風

 刀――曲刀からの派生で発現する斬撃系統両手武器スキル。刀と言えば多くの少年の中二心をくすぐる定番中の定番の武器であり、SAOの中ではその使い勝手の良さも相まって使用者は多い。

 下段からの斬り上げで敵を浮かし、コンボの始動技にもなる《浮舟》や、自身の周囲一帯を広範囲に渡って斬り払うことの出来る《旋車》など、ソードスキルには使いやすいものが揃っているのが特徴である。いずれの技も出が早く、硬直は短い。しかしそんな使いやすく纏まったソードスキルが揃っている中で、刀スキルには1つだけ異色を放つ技が存在した。

 《辻風》――刀スキル唯一の抜刀系のソードスキル。いわゆる居合と呼ばれる技だ。納刀した状態から一瞬で抜刀し、そのままの勢いで敵へと一閃を食らわせる。

 その一撃は刀スキルの中でも最高の威力を誇るが、取り回しにくさから多くのプレイヤーからは使用を敬遠されていた。突進力が皆無のため辻風はカウンター技に分類されるのだが、命が掛かったこのゲームの中で敵の攻撃を待つという行為はプレイヤーにかなりのストレスが掛かる。それに加えて納刀した状態からしか発動出来ないと言う特性上、戦闘では基本的に初撃でしか使い道がないが、先制攻撃から主導権を握るという戦法が好まれる中、わざわざ敵の攻撃を待ってカウンター技から戦いを始めるプレイヤーはほとんど居ないのだ。

 故に、ゲーム内でそのスキルにお目にかかることは滅多にない。稀に酔狂なプレイヤーが格下のモブに対してお遊びに使用している程度だ。実戦で使えるほどにそれを使い込んでいるプレイヤーは、俺の知る限り1人しかいない。

 

 殺人(レッド)ギルド笑う棺桶(ラフィン・コフィン)幹部の1人、《辻風のジョー》

 

 

「ジョ、ジョーさんっ!!」

 

 タイタンズハンドのメンバーの1人、道端にへたり込んでいた短髪の男が、現れた人影に目をやって顔を綻ばせた。黒いポンチョを羽織った、中肉中背の優男――ジョーの突然の登場に、他のタイタンズハンドの面々も同様に安堵の表情を浮かべている。俺は槍を強く握り締めながら、その光景を眺めていた。

 やはりアルゴの読み通り、タイタンズハンドは笑う棺桶(ラフィン・コフィン)と通じていたのだ。しかし何故このタイミングでこいつがここに現れたのか。罠に嵌められたのか。そんな疑問は尽きなかったが、今はそれを頭から振り払い、俺は後ろに立つシリカの様子を伺った。

 

「おい、早く街に飛べ。場所はどこでもいい」

「で、でも、あのエンブレムって殺人(レッド)ギルドの……」

 

 現れたジョーの左手、黒い手袋のその甲に刺繍された不気味に笑う棺桶に目を移しながら、シリカが不安げな声を上げる。このSAOの中に、あのエンブレムの意味が分からないプレイヤーは居ない。だからこそこの状況で俺1人を残して逃げることに、後ろめたさを感じているのだろう。シリカは躊躇うような表情をこちらに向けてきた。

 

「俺は、あいつに用がある。お前が居ると足手まといなんだ」

 

 無遠慮に突き放す俺の発言に、シリカは怯むような顔を浮かべる。その表情に多少の罪悪感が湧いてきたが、しかし今の俺には言葉を選んでいられるような余裕はなかった。いつジョーがこちらに襲いかかって来てもおかしくないのだ。

 俺の発する空気から、危険はシリカも十分承知しているのだろう。ややあって、苦悩するように強く目を瞑った少女は絞り出すように声を上げた。

 

「応援を、連れてきます……! だから、絶対に死なないで下さい……!」

 

 その言葉に、俺は少し躊躇ってから無言で頷く。それを確認したシリカが胸に押し当てていた青いクリスタル――転移結晶を軽く上に掲げ、口を開いた。

 

「転移、始まりの街!」

 

 そのボイスコマンドに反応して、シリカの体が青い光に包まれる。そして一瞬のうちに、彼女はこのマップ上から姿を消したのだった。

 始まりの街――おそらく風林火山かALFのプレイヤーを連れてくるつもりなのだろう。だが、ここは主街区からは少し距離が離れている。援軍が到着するのは早くとも15分以上は掛かるはずだ。恐らく待っていられる猶予はない。そこまで考えた俺は今一度気を引き締め直し、状況を伺った。

 ジョーとの距離は約15メートルほど。その間からやや右にずれるように、残されたタイタンズハンドの連中がへたり込んでいる。視線をやると、遠巻きにニヤニヤとこちらを見つめていたジョーと目が合った。

 

「残念。帰しちゃったんすか。まあ、僕としてはハチさんが残ってくれればそれでいいんすけどね」

 

 まるで友人と話すような軽い態度。しかしその実、体からは隠し切れない殺気が滲み出ていた。それに気圧されないように気を保ちながら、少しでも情報を引き出そうと俺も口を開こうとする。しかし、それを遮るようにタイタンズハンドの連中がジョーの側へと走り寄って行った。

 

「ジョーさん! 助けてくれ、あいつが――えっ?」

 

 助けを求める男たちの声が、不意に途切れた。その瞬間、小さな影が3つ宙に舞う。

 そのうちの1つと、視線があった。そいつは何が起こったのかわからないと言った表情のまま、空中でポリゴンとなって消えていった。

 

「ちょっと取り込み中なんで、静かにしててくださいよ……って、もう聞こえてないか」

 

 ジョーはそう言って、いつの間にか抜き放っていた刀を流れるような所作で鞘に収める。その視線はつまらないものでも見つめるように、ひらひらと舞うガラス片に向けられていた。その光景に、残されたタンタンズハンドの面々は悲鳴を上げてジョーから後ずさる。

 

 仲間を、殺しやがった。何の躊躇いもなく。

 

「お前、何を……!」

「あ、これっすか? 知らなかったでしょ。正確に首を狙ってオーバーキルすると、頭が吹っ飛ぶんすよ。いやー、最初にこれ気付いた時は爆笑しちゃって――」

「そんなことじゃねえ……! そいつら、仲間なんじゃないのかよ!」

「え? さあ、少なくとも僕はそう思ったことはないっすけど……。下請けとか、そんな感じっすかね」

 

 俺の言葉に、ジョーは何でもないことのようにそう答える。まるで取り乱している俺の方が不自然だとでも言いたげな様子だった。

 狂っている。息をするように人を殺すことが出来るこいつを、俺は心の底から怖いと思った。

 

「正直、もう用済みなんすよね。こいつらの周りを嗅ぎまわってる連中がいるから、PoHさんに様子見て来いって言われたんすけど……。そしたら、鼠と風林火山のお2人が居るじゃないっすか。これはもう色々ばれてるんだろうなーと思って、だからしばらく様子見てたんすよ」

 

 俺が改めて相手の異常性に戦慄していると、ジョーは聞いてもいないことを1人で語りだした。残されたタイタンズハンドの連中は話の途中で悲鳴を上げて逃げ出して行ったが、それにももはや関心はないようで、ただ俺に向かって気さくな様子で話を続ける。オレンジギルドの連中を逃がしてしまうのは痛かったが、俺も奴らに構っていられる余裕はなく、見逃すことしか出来なかった。

 

「いやー、さっきの見世物は面白かったっす。欲を言えばあのロザリアのこと殺してくれれば嬉しかったんすけどねー。自分、あの人あんまり好きじゃないんで」

 

 そう言って笑うジョーと不意に目が合った。口元には穏やかな笑みを浮かべつつも、フードの奥に覗く瞳には冷たい光が宿っていた。

 

「ハチさんたちが何をしようとしてるのか。何となく分かりますよ。ロザリアを使って僕らのこと探ってるんでしょう? 今僕がアジトに戻ってそれを伝えたら、鼠とキリトさんは大ピンチになるんだろうなぁ……」

「お前……!」

 

 その白々しい呟きに、俺は構えていた槍を強く握り絞める。しかしそんな俺の焦りなど意に介さず、ジョーはさらに言葉を続けた。フードから覗くその顔が、狂喜に歪む。

 

「それを防ぎたいなら――僕を殺すしかないっすよ。今、ここで」

 

 言って、ジョーは腰に佩いた刀へと手を添えた。既に鯉口は切られている。

 

「ずっと、あんたとやりたかったんだ。こんなチャンスは、きっともう来ない」

 

 一瞬にして、ジョーの纏う雰囲気が変わる。ギラついた視線は、ただ俺だけを捉えていた。

 戦闘狂――おそらく、それがこいつの本性なのだろう。そこで俺は、既に目の前に選択肢がないことを悟ったのだった。

 

 そうだ。いつだって、俺には手段を選ぶ余裕などなかった。だから大丈夫。いつも通り、俺は俺に与えられた役割をただこなすだけだ。それが間違っていたとしても、俺に出来ることはそれしかないのだから。

 

 場違いなほど穏やかな風が、頬を撫ぜて行った。風に飛ばされた花びらたちが、視界の端を通り過ぎてゆく。

 心が、冷めていく。それをどこか他人事のように感じながら、俺はゆっくりと槍を低く構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ。潤いが足りねぇ」

 

 第1層。風林火山のギルドホーム。

 エントランス端に置かれたカウチソファに体を沈ませたクラインは、そう言って大きくため息をついた。トレードマークの赤いバンダナを外し、ラフな部屋着に着替えたその様は、まだ正午前だというのに随分と疲れた様子だった。

 それに対し対面のソファに座るトウジはネクタイこそしていないものの、グレイのスーツを身に纏い、机に向かって何やら書き物をしている。クラインの呟きにも反応せず、黙々と作業を続けていた。

 

「なんだってうちのギルドは野郎ばっかなんだ……。俺もシンカーさんみたいに美女を侍らせながら仕事したいぜ……」

「またそれですか……」

 

 うんざりした様子で言葉を続けるクラインに、作業の手は止めず、しかしこちらもうんざりした様子でトウジが返事を返す。遠征――ガイドブック製作のための数日間に渡る情報収集や狩りのことをそう呼んでいる――から帰ってくる度にこれだ。トウジはクラインがフィールドから持ち帰った情報を纏めながら、心の中でため息をついた。

 確かに、彼らの所属する風林火山はほぼ完全な男所帯である。実を言うと女性メンバーが1人だけ存在するのだが、彼女には第1層に存在する教会でゲーム内で自立した生活をすることが出来ない子供の保護を行って貰っており、時折資金のやりとりや定時連絡を交わすだけで、それほど顔を合わせることはない。圏内に籠って事務を取り仕切っているトウジはともかく、ガイドブック製作のためにいつもせわしなく各層を調べ回っているクラインがその女性メンバーと顔を合わせることなど、この1年で数えるほどしかなかった。

 故に、クラインは出会いに飢えていた。健全な男なら無理からぬことである。しかし所謂草食系男子に分類されるトウジは、目の前の男を少し気の毒に思いつつも諭すように口を開いた。

 

「ないもの強請りをしても仕方ないでしょう。よそはよそ、うちはうちです。大体シンカーさんのところが特別なんですよ。そもそも女性プレイヤーの総数が少ないんですから」

「そうだけどよぉ……。そこを何とかさぁ。それにそろそろ新しくギルメン増やしてもいい頃だろ?」

「まあ確かにそうですけど……」

 

 そう言って、トウジは少し考える素振りを見せる。

 風林火山は常に慢性的な人手不足であったが、メンバーの補充は慎重に行っていた。ギルドの人員の多くは情報を収集する遠征組に割かれるのだが、その仕事の特性故基本的に未だ情報の少ない未開エリアに赴かねばならない。当然危険が多く、足手まといを連れていくことは出来なかった。即戦力になるようなプレイヤーが加入することなど稀なので、少しずつ信用に足るプレイヤーを勧誘し育成を繰り返してきたのだ。笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の事件があってからはいっそう慎重に新メンバー勧誘を行うようになってきたので、現在でも風林火山のギルドメンバーは30人にも満たなかった。

 しかもここ数ヶ月は攻略のペースも順調だっただけに調べなければならないフロアも増え、その忙しさ故にギルドメンバーの勧誘は完全にストップしていた。しかしこの先さらに多くのフロアが開放されることを考えれば、ここで少し無理をしてでも人員を増やしておいた方がいいかもしれない。

 

「でも女の子は難しいですよ。というか現時点でギルドに入ってない女性プレイヤーなんてほとんどいないんじゃないですか?」

「はぁ……。やっぱそうだよなぁ……」

「まあ、新メンバーの勧誘の方は考えておきますから、今はこっちの仕事です。ほら、落ち込んでないで次のマップデータ出してください」

「へいへい」

 

 そこで話は一段落付き、2人は先ほどまでこなしていた作業へと戻る。トウジがいくつか質問を重ねながら、クラインたちが得た情報をノートにまとめていった。

 それから10分ほど経った頃だろうか。2人のやり取りだけが響いていたエントランス内に、唐突に玄関のドアを激しくノックする音が響いた。続いて、焦った様子でこちらを伺う声が掛かる。

 

「なんだぁ?」

「女の子の声、ですね。今日は特にアポイントはなかったはずですけど……」

 

 顔を見合わせるクラインとトウジ。その間にも、ドアを激しくノックする音は続く。心当たりはなかったが、妙な胸騒ぎを覚えたクラインはすぐに席を立ち、誰何をすることもなく玄関の扉を開けた。

 そこに立っていたのは、まだ幼さの残る少女だった。ブラウンの髪を耳の上辺りで2つ結いにした、可愛らしい少女だ。

 まあ、将来美人にはなりそうだけど、流石に年齢的に今は対象外だな――などと失礼なことを反射的に考えたクラインであったが、少女の差し迫った表情に、すぐに現実に引き戻される。

 

「ふ、風林火山の方ですか!?」

「そうだけど、何か――」

「助けてください!! ハチさんが……ハチさんが……!」

 

 泣きそうな表情で、少女が口を開く。しかし混乱しているのか、上手く言葉にならないようだった。

 対するクラインも、「ハチ」という名前を聞いた途端から内心穏やかではなかったが、努めて冷静に少女に説明を促す。

 あいつは、また俺たちに何も言わずに何かやらかしたのか――そんな思いをひとまず飲み込み、少女の話に耳を傾ける。あいつに言ってやりたいことは山ほどあるが、とりあえず目の前の問題が片付いてからだ。

 

 少女から話を聞き終えたクラインは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 あの馬鹿野郎! 心の中でそんな声を上げながら、考えを巡らせる。思い出の丘――急いでも恐らく20分弱。道中でモブに捕まればそれ以上の時間が掛かる。間に合うか? いや間に合わないとしても、行くしかない。

 一瞬のうちにそこまで考えを巡らせたクラインは、ややあって目の前の少女に視線を戻して礼を言った。そして力強い笑顔を浮かべ、不安げな表情を浮かべる少女を安心させるべく「大丈夫だ」と口にした。

 それからクラインは玄関の中へと踵を返し、今動かすことの出来るメンバーの中で戦える者をすぐにまとめ上げた。そして案内をしてくれるという少女と共に、すぐにギルドホームから駆け出して行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予測の話ではあるが、現在、恐らく笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のプレイヤーの平均レベルは攻略組のそれに及ばない。

 理由は単純だ。効率のいい狩場は、基本的に攻略組が押さえているのである。

 様々な取り決めにより、後続のプレイヤー育成を妨げないよう攻略組が狩場を独占することはなくなっているが、逆に言えばそのような行為をなくすために攻略組――主にトップギルドである血盟騎士団と聖竜連合――によって厳密に管理、監視されているのだ。レッドギルドのプレイヤーが入り込むような余地はない。

 それでなくても攻略組やALF――今では《軍》などとも呼ばれている――による追跡を逃れるために、奴らの活動は相当制限されていたはずだ。装備品まではランダムドロップや強化、略奪品もあるため一概には言えないが、素のステータスに限って言えばこいつらよりもこちらの方が高いはず、というのが俺の見解だった。

 

「……わかってるんだろ? ステータスは、俺の方が高いってこと。勝てると思ってるのか?」

 

 思い出の丘、ダンジョン入り口付近。

 ジョーと武器を構えての睨み合いをしながら、俺はそう言って相手に揺さぶりを掛けた。既に戦いは避けられないが、少しでも動揺を誘えれば儲け物だ。しかし、いや、やはりと言うか、ジョーがその程度のことを意に介すはずもなかった。

 

「ハチさんこそわかってるんでしょう? この一撃だけなら、僕の方が速いってこと」

 

 そう言って、にやりと笑う。対して、俺は黙り込むしかなかった。

 こいつのこの言葉は、おそらくはったりではない。辻風の一撃は、若干のステータス差など覆してしまうほどに速いのだ。俺が今現在使えるどのソードスキルでも、その速度には勝てないだろう。

 

「まあ、待ちに徹されたら詰んじゃうんですけどね。けど、今この場の主導権は僕にある」

 

 刀に手を添えたまま、身じろぎ1つせずにジョーは言葉を続ける。

 

「さっきの娘が援軍を連れてくるまで早くて15分ってところですかね……。余裕を持って、制限時間は10分にしましょう。10分たったら、僕はアジトに鼠とキリトさんのことを――」

「心配すんな。……本気で殺しに行ってやるよ」

 

 俺の台詞に、ジョーは喜色を浮かべる。もはや言葉は不要とばかりに、そのまま互いに武器を構えたまま睨み合った。

 意識が、沈んでゆく。俺とジョーの2人しかいない世界。そんな錯覚に陥りながら、さらに槍を低く構えた。

 一太刀目さえ凌ぐことが出来れば、勝てる。頭にあるのはそれだけだった。

 気が満ちてゆく。そして何かが弾けるのを感じ取り、駆けだした。数歩も行かぬうちに、間合いがぶつかる。

 獣のように低く駆ける俺と、柳のように自然に構えるジョー。視線が交わった刹那、鞘に緑の光が宿るのを捉えた。考える前に、こちらもソードスキルを発動する。走る緑の剣閃。それに吸い込まれるように、槍の穂先が突き上げられた。

 衝撃。手に、痺れが走る。互いに大きく攻撃が弾かれ、次の瞬間には数歩後退していた。

 ――凌いだ。そう思い、追撃を加えようと気が逸る。しかし、互いにソードスキルがキャンセルされたためにペナルティの硬直に陥った。場に一瞬の間隙が訪れる。

 硬直が解けたのは、ほぼ同時。距離を取ろうと下がるジョーと、それを追う俺。しかしレベル差がものを言ったのだろう。一瞬で距離は詰められた。

 再び納刀する隙を与えてはならない。一心不乱で、槍を突き出した。しかしその穂先が届く前に、ジョーは右手に持っていた刀を手放す。何故――そう思う前に、違和感を覚えた。

 奴の左手。妙な動きをしている。人差し指を立て、何かをタップするような。

 ざわりとした感覚が、胸を過る。同時に、薄く嗤うジョーと目が合った。

 次の瞬間、機械的なサウンドエフェクトと共にジョーの腰元に現れたのは、納刀状態の刀だった。

 

 ――クイックチェンジかッ!!

 

 気付いた時には、既に相手の間合いだった。後退を――いや、間に合わない。

 ジョーの右手が腰に佩いた刀に添えられる。次いで、緑の光が鞘へと宿った。

 考える前に、跳躍していた。空中で身を捻る。視界を緑の剣閃が通過していった瞬間、右膝から先の感覚がなくなった。

 逆転する視界の中、ジョーと視線が合う。まるで時間が止まったようだ。

 ジョーの姿が、いつかのPoHの影と重なった。だが、俺はあの時とは違う。

 

 突ける。思った瞬間には、既にその胸を俺の持つ槍が貫いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー……くそ。自分の奥の手だったんですけどね……」

 

 呆然とする俺を現実へと引き戻したのは、ジョーのそんな呟きだった。

 奥の手というのは、クイックチェンジを使った辻風の2段攻撃のことだろう。ショートカットキーを押すことによって装備を瞬時に交換出来るクイックチェンジと呼ばれるスキルを使うことによって、辻風に必要な納刀の動作を省略したのだ。正直完全にしてやられたが、なんとか致命傷は避けることが出来た。

 HPにはまだ余裕がある。だが、先ほどのジョーの一撃によって右膝から先が欠損していた。立ち上がることは出来ずに、膝をついたまま後方のジョーへと視線を向ける。

 

「やっぱりレベル差は如何ともしづらいですね……。ソードスキル一発で全部削られるとは……」

 

 そう言ったジョーの視線は虚空へと向けられていた。減ってゆく自分のHPバーでも眺めているのだろう。1度に大きなダメージを食らった場合、それが反映されるまでに少しのタイムラグが存在するのだ。

 既にジョーは己の死を悟っているのだろう。流れるような所作で刀を納めると、その体が光を放ち始めた。

 

「まあ、楽しかったんで良しとします。それじゃ、お先に」

 

 軽い様子でそう言いながら、ジョーはこちらに振り返る。目が合った瞬間、その体がガラスのように砕け散って行った。俺はただ、それを呆然と見つめることしか出来なかった。

 罪悪感などではない。心中に去来するのは、妙な虚しさだけだった。

 

 どれだけの時間、そうしていただろう。凪いだ心で、遠くを眺めていた。草花を揺らす風の音が通り過ぎる。右足の部位欠損は、まだ完治していなかった。

 不意に、肩を叩かれた。振り返ると、見慣れた髭面がどアップで視界に入る。

 

「おい! ハチ! ちゃんと生きてんな!?」

「クライン……」

 

 そこにいたのは、見慣れた面々だった。クラインや風林火山のメンバー数名に加えて、シリカの顔もある。やはり、第1層のギルドホームへと援軍を呼びに行ってくれていたようだ。相当急いで駆けつけてくれたのだろう。緊張の糸が切れたのか、目が合った瞬間、クラインとシリカの2人は脱力するようにその場にへたり込んでしまった。

 

「よかった……。ハチさん、生きてて……本当によかった……」

「ハチ、おめえよぉ……心配させんなよ……」

「……悪い」

 

 2人にはかなり心配させてしまったようだ。シリカは泣きそうな顔で呟き、クラインは疲れたようにため息を吐いた。後ろに立つ他の風林火山のメンバーも、安堵した表情を浮かべている。

 少し落ち着いたのか、しばらくして項垂れていたクラインが顔を上げる。しかし俺の右足へと視線を落とすと今度は大きく目を見開いた。

 

「ってお前、足切れてんじゃねえか!?」

「……ああ。ジョーに、やられた」

「ジョー!? ジョーって《辻風のジョー》か!?」

 

 にわかに気色ばんだクラインが、そう問いかける。俺はそれに頷いて答えた。

 

「そ、それで、そのジョーはどこに――」

「殺した」

「え?」

 

 話を遮って、そう答える。言葉に詰まるクラインたちに向かって、俺は再び口を開いた。

 

「俺が、殺した」

 

 それきり、嫌な沈黙が流れる。だが、俺の心はただ凪いでいた。

 クラインはこれでなかなか正義感の強い男だ。責められるかもしれない。まあ、それも覚悟のうちだ。そんなことを考えていたが、クラインは小さく「そうか」と呟いただけだった。

 

「……とにかく、一旦街に戻るぞ。キリトの方も心配だ」

 

 言いながら、クラインが立ち上がる。大方の事情はシリカから聞いていたようだ。

 クラインともう1人風林火山のプレイヤーに肩を借りて、俺も立ち上がる。部位欠損の状態異常が直るためには、もう少し時間が必要だった。2人に挟まれるようにして、赤い石畳の道を歩き始める。

 

「……ハチ、おめえは悪くねえからな」

 

 歩きながら、隣のクラインがそう呟く。その気遣いに感謝しながら、俺は小さく頷いた。

 ふと、ジョーの顔が脳裏に過る。フードの下、目が合ったのはおそらく幾らか年下の少年だった。それを思い出して、良くわからない感情が胸の中に渦巻く。

 

「……笑ってた」

 

 ぼそり、と呟く。聞き取れなかったのか、両隣の2人がこちらに視線を寄越した。石畳の道を片足で歩きながら、再び口を開く。

 

「死ぬ瞬間、あいつ笑ってやがった。すげえ楽しそうに」

 

 その言葉は今度こそ確かに届いただろうが、誰も何も言わなかった。俺もそれ以上の言葉は飲み込み、黙々と歩き続けた。

 

 

 

 

 

 その後はモブに遭遇することもなく、十数分ほどで圏内へとたどり着いた。その頃には俺の部位欠損の状態異常も完治していたので、自分で歩くことが出来た。

 タイタンズハンドの連中は取り逃がしてしまったが、ひとまずこれはALFにでも任せるしかない。それよりも今はキリトやアルゴと合流するべきか、否か――街へと至る道中で俺たちはそんなことを話し合っていたのだが、全ては杞憂に終わった。街に着いた瞬間に、キリトからのメッセージを受け取ったのだ。

 

 ――アジトを見つけた。今はアルゴが張り込んでくれてる。すぐに攻略組を集めよう。

 

 簡潔な文だった。だが俺は、いよいよ迫る決戦の空気をそこに感じていた。


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