やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第21話 囮

 シリカとの出会いから、一夜明けた翌日。

 俺とシリカの2人は、既に第35層の宿を後にして目的のフロアへと到着していた。

 

 第47層主街区《フローリア》

 白い石材で統一された清潔感のある街並みに、アクセントの強い赤い煉瓦の石畳が走る。そしてこの街1番の特徴は、街中のみならずフィールドにまで所々配置された色とりどりの花壇だ。フロア全体に鮮やかな花々が植えられており、プレイヤーの間でこのフロアは《フラワーガーデン》などとも呼ばれて親しまれている。アインクラッド屈指のオサレスポットだ。

 

 シリカを伴って転移門を抜けた俺は、そのまま広場へと出る。フローリアの転移門広場はフィールド付近の外縁部に設置してあり、外壁のほとんどない開放的な作りになっているため見晴らしがよかった。フロア全体に起伏が少ないことも相まって、遠く広がる草原には花々が虹のようなグラデーションを作っているのが見て取れる。目の前の広場にもこれでもかと言わんほどの花壇が一面に広がっており、吹き抜ける風が小さな花弁と共に甘い香りを運んできた。幸いこのフロアは気温が20度前後で固定されているので、寒さは感じない。

 辺り一帯を見渡し、隣でシリカが小さく感嘆の声を上げる。対して俺は、げんなりした気分でため息をついていた。生粋のインドア派ぼっちの俺には、こういうオサレスポットは肌に合わないのだ。

 

「わぁ……。すっごく綺麗ですねっ」

「あー、うん。まあ、そうだな」

「夢の国みたい……」

 

 そんな乙女チックなことを口にしてうっとりと目を輝かせるシリカに適当に相槌を打ちつつ、歩を進める。まああまり思い詰められてもやりづらいし、こういったことで気が紛れるなら良いことだろう。シリカからは昨日ほどの深刻な雰囲気は感じられなかった。

 興奮した様子で先を歩くシリカが、花壇のそばまで走り寄って身を屈める。そしてしばしご満悦な表情で花々を眺めていたが、ややあって何かに気付いたように表情を強張らせる。俺はそれに怪訝なものを感じて口を開いた。

 

「何かあったか?」

「あ、いえ……」

「……見張られてる可能性は高いが、行きで襲われることはまずない。変に気張っても疲れるだけだぞ」

「えっと、そう言うことじゃなくて……」

 

 言いながら、シリカは広場にいる他のプレイヤーたちへと目を向ける。つられて俺もそちらに目をやって、ようやくシリカの言わんとしていることに気が付いた。

 広場の所々で談笑する、男女のプレイヤー。中にはこっちが恥ずかしくなるくらいいちゃついているカップルもいる。アインクラッド屈指のオサレスポットであるここは、当然そのままアインクラッド屈指のデートスポットでもあった。

 

「あー……悪い、気が回らなかったな。とりあえずさっさと行くか」

「え、あ、はい!」

「さすがに別行動するわけにはいかないが……まあ、気になるようだったらちょっと離れて付いてきていいぞ。圏外に出るまでだけどな」

「え? どういうことですか?」

「いや、こんなとこ一緒に歩いてたら色々と勘違いされるだろ。それが嫌だったんじゃないのか?」

 

 いわゆる「一緒に帰って友達に噂とかされると恥ずかしいし……」というやつだろう。2で寿さんと一文字さんに何度も下校イベントをキャンセルされた俺が言うのだから間違いない。あれってガチで言われると結構へこむよな……。

 まあ、俺たちが並んで歩いていたところで精々似てない兄妹くらいにしか見えないだろうが――とも思ったが、子供扱いされることを嫌がるシリカに気を遣ってその言葉は飲み込んだ。ませた子供にとっては俺くらいの高校生との歳の差などあってないようなものだろう。

 しかしシリカも俺に気を遣ったのか、はたまた単純に俺の思い違いだったのか――出来ればその方が嬉しい――慌てたように首を振って、俺の言葉を否定した。

 

「ち、違います! ちょっと恥ずかしかっただけで、別にハチさんと一緒に歩くのが嫌だってわけじゃ……」

「そうか……。まあどっちにしろここには用もないし、さっさと行くぞ」

「は、はいっ!」

 

 口を開きながら俺が歩き始めると、快活に頷いたシリカが小走りに俺の隣へとやってきた。それを認めてから、俺は再び周囲へと視線を走らせる。

 今のところ周囲に怪しい影はない。広場の至るところでバカップルどもがイチャイチャとしているだけだ。ぼっちというものは他人の視線に敏感で、自分に向けられる悪意に敏いものである。俺に至ってはさらに自意識が強すぎて無駄に被害妄想を繰り広げることまである。その俺を以ってして特に悪意ある眼差しを感じられないのだから、おそらくタイタンズハンドの連中が今近くに潜んでいるということはないだろう。

 やはり昨日のタレコミ通り、俺たちがプネウマの花を手に入れてから襲うつもりなのだ。思い出の丘の攻略は順調に行って往復1時間程度。俺たちが宿を発った時間さえ把握していれば、帰り道で待ち伏せすることは難しくないはずだ。そのパターンならば、俺たちの計画に変更はない。

 俺とシリカはひとまず普通に思い出の丘を攻略。キリトとアルゴの2人はその俺たちを遠くから尾行、もしくはタイタンズハンドの連中が俺とシリカを尾行していた場合には2重尾行する手筈になっている。その後はタイタンズハンドの連中が襲って来たところを返り討ち、といった流れだ。

 まあ、先のことばかり考えても仕方ない。まずは安全に思い出の丘を攻略することだ。無駄に装備品やアイテムを収集する癖があるキリトからシリカ用の装備をいくつか受け取っているのでステータスはかなり底上げされているが、それでもまだ彼女には思い出の丘は少し難易度が高い。油断は出来ないだろう。

 圏外へと足を踏み入れる前に今一度気合いを入れ直しつつ、俺は花の都フローリアの南、フィールドダンジョン《思い出の丘》へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後フローリアを発ってから10分足らずで、俺たちは目的の《思い出の丘》入口へと到着した。

 至るところでモブが湧く迷宮区やダンジョンと違い、フィールドではまばらにモブが出現するポイントが決まっているため、その位置さえ知っていれば戦闘を避けて通ることが出来る。昨日のうちにキリトからその辺の情報は聞いていたので、俺たちはモブと遭遇することなくここまでやって来ることができた。

 ていうかあいつ、よく1ヶ月くらい前に攻略したこの辺の情報とか覚えてるよな……。さすがあの歳で廃ゲーマーとして鳴らしているキリトさんだ。俺とは脳みその構造が違うらしい。

 

 そうしてダンジョン入口に差し掛かった俺は、攻略の前に今一度いくつかの注意事項をシリカに確認する。

 危険だと感じたら、すぐに転移結晶で街に飛ぶこと。俺より先には進まないこと。絶対に俺の指示に背かないこと。

 ……最後の項目を幼女に強いるのはちょっと危険な匂いもするが、シリカは特に疑うこともなくうんうんと頷いていた。いや、俺は大丈夫だけど、世間には変態が多いからね。あんまり人を信じすぎるのもどうかと思うぞ。俺は大丈夫だけどね。

 

 そんなこんなで最終確認も終えて、いざ俺たちは思い出の丘へと足を踏み入れた。とは言っても、ここまで歩いてきた道のりと劇的に景観が変わる訳でもない。入口の立札が無ければここがフィールドダンジョンだとは誰も気付かないだろう。まあそれでもダンジョンはダンジョンなので、多少モブのレベルやエンカウント率は上がる。俺は警戒心を少し引き上げながら、赤い煉瓦の石畳の上を歩いていった。

 

「あー……、昨日はちゃんと寝られたか?」

「はい。アルゴさんが一緒にいてくれたので……。私がちゃんと寝られるまで、いろんなお話をしてくれました」

 

 周囲を警戒しながらも、隣を歩くシリカの精神状態を気遣って俺は声を掛けた。朗らかな笑みを浮かべて受け答えする彼女の表情には無理をしている様子はない。やはり精神的に強い奴だなと俺は感心しつつ、会話を続ける。

 

「お話ねぇ……。あいつは金が絡まない話は急に適当になるから、話半分に聞いとけよ?」

「そんな言い方酷いですよ……。凄く優しかったですし、ハチさんのお話もいっぱいしてくれましたよ」

「俺の話……」

「はい。迷宮でトラップに掛かった話とか、子供のプレイヤーを保護しようとして不審者に間違われた話とか」

「おい。話のチョイスに悪意があるだろ」

 

 あの野郎……と内心アルゴに悪態をつく。いや、徐々にネガティブキャンペーンを進めていくつもりではあったんだが、他人にやられると腹が立つのが人の性だ。せめてもうちょっとマシな話があっただろ。アスナにデュエルでボコボコにされた話とか、船から落ちて溺れかけた話とか、ストーカーに間違われてALFに通報された話とか……あれ? 俺の思い出、黒歴史しか出てこなくね?

 そんなふざけた思考を展開していた俺だったが、周囲に何となく違和感に気付いて足を止めた。右手でシリカを制しながら、10メートルほど前方の茂みに視線をやる。

 おそらく、何かがいる。人の気配ではない。

 突然の俺の態度に驚いたのだろう。シリカは訝しげにこちらに視線を向けていた。

 

「どうかしたんですか?」

「あそこの茂み……多分モブが隠れてる」

「え? でも植物系のモンスターが擬態してる時って、索敵スキルじゃ見つけられないはずじゃ……」

 

 シリカの言う通り、植物系のモブが普通の植物に擬態している時はそれを索敵スキルで感知することは出来ない。そしてこの思い出の丘に生息するのは植物系のモブのみで、エンカウントするまでは基本的にその身を隠している。

 故にシリカの言葉は至極正しいものであったのだが、俺はそれに頭を振って口を開いた。

 

「スキルじゃなくて、勘だ。まあ見とけ」

 

 言いながら、俺は右腿のレッグシースから小型のスローイングナイフを引き抜く。そのまま右手を振りかぶり、ソードスキルの光が宿るのを感じて、すぐさまそれを投擲した。

 システム的な補正を受けたそれは緑色の軌跡を描き、俺の狙いに寸分たがわずヒットする。瞬間、5メートルほどの巨大な植物系モブが奇声を上げて茂みの中から飛び出してきた。巨大な赤い蕾から緑の触手が無数に生えたグロテスクな姿。それを認め、シリカが驚愕の声を上げる。

 

「ほ、ホントにいた……!」

「モブが隠れてる空間と、何も居ない空間じゃデータ量も違うからな。データ量が違えばにロードに掛かる時間も変わってくる。敏感な奴だとその辺何となくわかるんだよ。まあ絶対ってわけじゃないから過信は禁物だが」

 

 俺はドヤ顔でそう言いながら、内心ではちょっとほっとしていた。あんな思わせぶりな態度を取っておいて、「何もいませんでした」じゃ恥ずかしすぎる。こういった危機察知能力だけがゲーム内でキリトに勝てる唯一の俺の長所なのだが、それでも絶対ではない。黒歴史が増えなくてよかった。そう思いながら、俺は背中の槍を手に取った。

 

「……どうせだから、ついでに色々レクチャーするぞ。俺とここ回ってればいくらかレベルは上がるだろうけど、プレイヤー自身のスキルは自分で上げるしかないからな」

「は、はいっ!」

 

 普段ならば絶対にこんな差し出がましい提案はしない。だが、色々と思うところのあった俺は老婆心からそんなことを口にしていた。幸い、シリカは嫌な顔1つせずに俺の言葉に頷く。

 ステータスばかり上がって経験が伴わないという状態は、個人的に1番危険だと思っている。昨日は結構な時間シリカを尾行して戦う姿を観察していたので、俺には彼女の欠点もよく見えていたのだ。このままレベルだけ上がってしまえば、いずれどこかで躓くだろう。そしてその躓きがゲームオーバーへと繋がることも珍しくない。

 

「じゃあとりあえず、パーティ戦闘の練習だ。俺が壁役やるから、お前は好きに攻撃してみろ」

 

 そう言って、俺は槍を構えて前へと進む。元気の良いシリカの返事を背中に聞きながら、俺は強く槍を握り直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――っつーわけで、お前は追撃に拘り過ぎなんだよ。短剣ってのは敵と正面から打ち合うのには向いてないんだから、基本一撃離脱するくらいの気持ちでいた方がいい。他の武器よりバックアタックボーナスが高めに設定されてるから、それでも案外DPSは稼げるぞ」

「なるほど……」

 

 思い出の丘攻略開始から、20分ほどが経過していた。プネウマの花が入手できるダンジョンの最奥までの行程は残り半分と言ったところだ。良いペースとは言えないが、特に危険はなく進むことが出来ていた。

 戦闘を1つこなしては反省会、また戦っては反省会というのを繰り返しながら、ゆっくりとダンジョンの最奥を目指している。シリカは飲み込みも早く、素直に俺のアドバイスを聞いていた。

 ゲーム用語を特に説明しなくても理解してくれるのも地味に八幡的にポイント高い。こういうのは女には伝わらないことが多いし、場合によっては引かれるからな……。

 ちなみに《バックアタックボーナス》というのはモブを背中から攻撃した時に発生するボーナスダメージである。そして最後の《DPS》というのは《damege per second》の略で、秒単位の平均ダメージ効率……まあ要するに長い目で見て敵に対してどれだけのダメージを与えられるか、といったものである。

 

「ほれ、とりあえずポーション飲んどけ。まだ先は長いし、もう少し行ったところにセーフティゾーンがあるから、そこまで行ったら一旦休むぞ」

「あ、はいっ」

 

 ここに来て幾度目かの反省会を終えた俺たちは、そんなやり取りを交わして再び歩き出す。マップによればここから少し歩いた場所に休憩所のような場所があるはずだった。

 誰かを守りながら戦うというのは、想像していたよりも疲れるものだ。いつもはキリトと持ちつ持たれつ……いや、むしろキリトに任せて割と怠けていることが多いので、余計大変に感じる。

 そんなことを考えながら歩いていると、俺はふと隣から何やら視線を感じとった。咄嗟にそちらに目をやると、何故か小さく笑みを浮かべているシリカと目が合う。

 

「な、何だよ……」

「あ、いえ……」

 

 何となく居心地が悪くなった俺がそう問いかけると、シリカは気恥ずかしそうに目を逸らした。しかしややあって、ぽつりと独り言を溢すように口を開く。

 

「……昨日会った時にも思いましたけど、何だか、ハチさんってお兄ちゃんみたいですね」

「は? 俺が?」

「はい。私は1人っ子なんですけど……もしお兄ちゃんがいたら、こんな感じなのかなって」

 

 そう言いながら、シリカは遠い目をして顔を伏せる。SAOの中をここまで1人生き抜いてきた少女。その年相応の素顔を、俺はその時初めて見られた気がした。

 一時は人間不信に陥ったこともあるそうだが、少なくとも俺のことは多少信用してくれているようだった。両親と離れ離れになってこんな世界に閉じ込められてしまった少女が、そんな相手に「家族」を求めるのは無理のないことなのかもしれない。

 

「……まあ、実際俺妹いるしな。俺がこうやって色々口出すとウザがられるんだが」

「ふふっ。きっと素直じゃないんですよ。ハチさんの妹さんですし」

「おい、どういう意味だそれ」

 

 そんなぬるいやり取りが、何故か心地良い。柄にもなくそんなことを思いながら、俺たちはさらにダンジョンの奥へと進んで行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、セーフティゾーンでしばらく休憩を挟み、さらに先へ進むこと15分。少し開けた広場のような場所でエリアボスと思われる巨大な植物系のモブを倒した後――ここはさすがに危険なので、俺がソロでさっさと片付けた――すぐに200メートルほどの緩やかな上り坂に差し当たった。そこを一気に上り切ると、丘のてっぺんは再び少し開けた空間になっており、中央には幾何学的な祭壇が配置してあるのが目に入った。

 

 もはやお互い無言になって、俺とシリカはその祭壇に近づく。そのすぐそばまで歩み寄ると、鉄を鳴らしたような音を立てながら祭壇が光を放ち、その上に1輪の白い花が現れた。植物には詳しくないが、百合の花に似ているような気がする。

 その光景に見とれていたシリカが、ややあって怯えたようにこちらへと視線を向ける。目が合った俺はなるべく相手を安心させるように頷くと、シリカも堅い顔でこちらに頷き返し、大きく息をついてから祭壇の上、白く光を放つ1輪の花へと手を伸ばした。

 白く細い指がそれに触れた瞬間、花は独りでに茎の中ほどから折れ、その体を委ねるように少女の手の中へと納まる。それと同時に、アイテムウインドウが音を立てて俺たちの前に現れた。

 

《プネウマの花》

 

「これで、ピナが……」

「ああ、そのはずだ」

 

 呟くシリカに、俺も頷いて言葉を掛ける。彼女はそれからしばらく呆然とプネウマの花を見つめていた。

 

「昨日も言ったけど、ピナを復活させるのは街に戻ってからだ。まだ色々と危険があるからな」

「……はい。わかってます」

 

 「色々と」という言葉に含まれたニュアンスに、シリカの顔が少し険しくなる。俺はため息をつき、踵を返してゆっくりと歩き出した。プネウマの花をストレージにしまったシリカが、すぐにその後を追いかけてくる。

 

 本番は、ここからだ。そう自分に言い聞かせながら、俺たちは来た道を引き返し始めた。お互いに口数が減り、緊張した空気のまま歩を進めてゆく。もはや戦闘のレクチャーをするという雰囲気でもなくなってしまったので、道中現れる敵はサクサクと俺が処理をし、復路は往路よりもかなり早いペースで進むことが出来た。途中で一旦休憩も挟み、俺たちは30分弱でダンジョン入口付近にまで到達したのだった。

 

「……シリカ、止まれ」

 

 小川に掛かった石橋の先、赤い煉瓦の道が伸びる横には並ぶように針葉樹がいくつも植えられてあった。ダンジョン入口までは後数百メートルほどという距離の場所だ。俺は石橋を渡りきる手前で足を止めて、シリカへと目をやった。少女の不安げな表情が目に映る。

 

「転移結晶、用意しとけ。なんかあったら、絶対にすぐに使えよ」

 

 その言葉にシリカが頷き、ストレージから青いクリスタルを取り出した。それを認めてから俺はその場から一歩踏み出し、虚空に向かって声を上げる。

 

「……おい、そこにいる奴ら出て来いよ」

 

 木々の間に、俺の声が虚しく響いた。そのまま数秒の静寂が流れる。

 ……あれ? もしかして俺の勘違いだった? という不安が過った刹那、木陰から1人のプレイヤーが歩み出てくる。そうして黒塗りの十文字槍を手にした赤い髪の女プレイヤー、ロザリアが俺たちの前に姿を現したのだった。

 そいつは不敵な笑みを浮かべながら、値踏みするような視線をこちらに投げかけてくる。ややあって、こちらを嘲笑するように口を開いた。

 

「……ふーん。死んだ魚みたいな目してるくせに、私の隠蔽を見破るなんて案外索敵スキルが高いのねアンタ」

「や、目は関係ねえだろ……」

 

 げんなりした気分で、俺はそう突っ込む。何で会ったばっかの奴にそんなこと言われなくちゃいけないんだ……。

 まあ案の定というか何というか、俺の言葉には取り合わず、ロザリアはいやらしい笑みを浮かべたまま言葉を続ける。

 

「その様子だと、プネウマの花はちゃんとゲット出来たのかしら。まあ、どっちにしろ持ってるものは全部置いて行って貰うんだけどね」

 

 言って、ロザリアは指を弾く。それを合図に、左右に並んだ木々の影からさらに7人のプレイヤーたちが現れた。曲刀、片手剣、刀、各々得物を構えた男プレイヤーたちだ。1人を除いて、そいつらの頭上に浮かぶカーソルはオレンジに染まっていた。

 男たちの登場にシリカは怯むような表情を浮かべたが、俺は逆に安堵していた。装備品から見るに、レベルの高いプレイヤーはいない。そんな俺の態度が意外だったのか、ロザリアはつまらなさそうに声を上げた。

 

「あらぁ? あんまり驚かないのね。それとも、言葉も出ないのかしら?」

「いや、知ってたからな。お前ら、犯罪者(オレンジ)ギルド巨人の手(タイタンズハンド)の連中だろ?」

 

 相手の挑発するような言葉に、俺は努めて冷静に答える。正直冷静に見えるのは表面だけで心臓は早鐘のように鳴り打っていたが、それを悟られては駄目だ。

 ちなみにここでのやり取りは、一応事前に想定して台詞を用意してある。昨日のうちにアルゴに暗記させられたその口上を思い出しながら、俺は言葉を続けた。

 

「お前ら、やり過ぎたんだよ。《シルバーフラグス》ってギルド、覚えてるか?」

「ああ。あの貧乏な連中ね。それがどうかしたの?」

「……リーダーの奴以外、5人、皆殺しにしたらしいな。生き残ったそいつからの依頼で、俺はお前らを捕まえに来たんだよ」

 

 全く悪びれることのないロザリアの態度に苛立ちながらも、俺は何とか台詞を続ける。そしてストレージからアイテムを取り出しながら、さらに口を開いた。

 

「依頼人が有り金叩いて買った回廊結晶だ。これで黒鉄宮の監獄エリアに飛んでもらう。俺はお前らみたいな奴らは全員死ねばいいと思ってるんだが……依頼人が出来た人間でな。全員殺さずに捕まえて罪を償わせたいそうだ」

 

 そこまで言いきって、俺は心の中で一息つく。この話は半分嘘で半分本当だ。真の目的はラフィン・コフィンについて探りを入れることだが、シルバーフラグスのリーダーから依頼を受けたことも嘘ではない。そいつは最前線の転移門広場で仇討してくれるプレイヤーを探していたらしく、それを見つけたアルゴがこちらに話を持ってきたので、俺たちはそれに乗っからせて貰うことになったのだ。

 まあ犯罪者どもにこんな話をしたところで、はいそうですかとお縄を頂戴できるわけもない。その予想通り、ロザリアは俺の話を鼻で笑った。

 

「マジになっちゃって、馬鹿じゃないの? ここで死んだって、現実世界で死ぬ保証なんて何もないし」

「……そうか」

 

 呟きながら、俺は回廊結晶をストレージにしまう。ここまでクズな人間相手にならば、別段心も痛まないな。そう思いながら俺は次いで背中の槍を手に取り、その切っ先をロザリアへと向けた。

 

「気が変わった。お前だけは殺す」

「ハ、ハチさんっ……」

 

 狼狽えたように、シリカが後ろで声を上げた。その言葉にロザリアの隣に立っていた1人の男プレイヤーが反応する。「ハチ……?」と小さく呟きながらこちらを観察していたそいつが、ややあって大きく目を見開いた。

 

「死んだ魚みたいな目に、あの槍……。ロ、ロザリアさんっ! あいつ《風林火山のハチ》だ!! 攻略組の!!」

 

 曲刀を右手にぶら下げていたその盗賊風の男が、焦ったように声を上げた。その言葉に他の男たちもざわつきだす。しかしリーダーであるロザリアだけはそれを馬鹿にするように笑っていた。

 

「はあ? そんな有名人がこんなとこにいるわけないでしょ! どうせ名前騙ってるだけの勘違い野郎よ。ほら、いいからあんたら、さっさとやんな!」

 

 そう言って、ロザリアは男たちをこちらにけしかける。最初は躊躇うようにお互い目を見合わせていた男たちだったが、やがてロザリアの剣幕に押し切られたのか、俺を包囲するように動き出した。

 その光景を眺めながら、俺は1つため息をついた。心を落ち着けて、槍を構える。

 大丈夫。命懸けでも、これはゲームだ。今の俺なら、相当なへまをしない限り負けることはない。自分にそう言い聞かせながら、俺は気合いを入れた。

 

 刹那、雄叫びを上げながら、2人が同時に斬りかかってきた。大ぶりな曲刀の振り下ろしを踏み込んで避けながら、一方の男の直剣を槍の柄で弾く。筋力パラメータに大きな差があるため、その軽い一撃で男は大きくのけ反った。そして大きく開いた腹部に蹴りを入れるとその男は十数メートル吹き飛ばされ、後ろにいた数人の男たちを巻き込んで倒れこむ。曲刀を空ぶった男はそれを見て驚愕の表情を浮かべ、数歩後ずさりしたが、俺は容赦なくそいつにも同様に蹴りをぶち込んで吹っ飛ばした。

 一連の動作の後、俺は敵のHPバーに目を移す。相当なレベル差はあったがソードスキルも武器も当てなかったため、それほどダメージは負っていないようだった。それに安堵し、俺は一息つく。次いで、信じられないといった顔をしたロザリアと目が合った。

 

「あ、あんた、まさか本当にあの風林火山の……!?」

「……俺が誰かなんて、どうでもいいだろ。問題は、俺がその気になればお前ら全員簡単に殺せるってことだ。今のは手加減してやったからな。次はない。だから、変な気は起こすなよ」

 

 釘をさすように、俺はそう口にする。倒れこむ男達に目をやると、全員が怯えたようにこちらを伺っていた。今まで散々人を手にかけて来たくせに、弱者の立場に立った途端その有様か。そんな苛立ちを覚えながら、俺は再びロザリアへと視線をやる。

 

「さて、さっき言ったこと覚えてるか?」

 

 俺を睨み付けるようにしていたロザリアが、その言葉に反応して怯むような表情を浮かべた。しかしそれも一瞬のことで、咄嗟に槍を構えたロザリアがふてぶてしく口を開く。

 

「グ、グリーンの私を攻撃すれば、あんたがオレンジに――」

 

 言い切る前に、俺は動いていた。槍を右手で後ろに構えたまま、半身になって突っ込む。それに驚いたロザリアが槍を構えたまま全身を引きつらせたが、それに構うことなく俺はその間合いに飛び込んで足を止めた。

 体を硬直させたままのロザリアの槍の穂先に、左手で軽く触れる。すると俺に対し軽微なダメージが発生し、ロザリアの頭上のカーソルがオレンジに染まった。

 

「これで問題ないな」

「あ、あんた、本当にわた、私を……!?」

「この世界で死んだとしても、現実世界で死ぬ保証なんてないんだろ?」

 

 言って、俺は槍を構える。目が合ったロザリアの顔から、血の気が引いていくのがわかった。

 一閃、大ぶりな一撃を振るう。ロザリアは咄嗟にそれを槍で防いだが、大きくノックバックを受けて尻餅をついた。次いで俺が槍の切っ先をその鼻先に向けると、情けない声を上げたそいつは武器を放り投げて地べたを這いずるように逃げ出した。

 無様だな。そう思いながら、俺はゆっくりと歩いてそれを追う。すると、ロザリアは必死に逃げながらシステムウインドウを呼び出してアイテムストレージを漁りだした。

 狙い通りの展開だ。俺はそこで足を止め、あえてロザリアの次の動きを待つ。そうしてしばらくの時間待っていると、ようやくロザリアは目当てのものを見つけたようで、震える指でそれをタップした。取り出したそれを握り締めながら、声を上げる。

 

「て、転移ぃ!! リィングラム!!」

 

 瞬間、ロザリアを青い光が包み込んだ。そしてすぐにその光が収まると、既にその場にロザリアの姿はなく、彼女が置いて行った槍が置かれているだけだった。

 上手くいった。そう思いながら、俺ははるか後方、人の気配がする藪の中へと視線をやる。そこに佇む2つの人影。目が合ったアルゴとキリトが頷き、2人も青い光を放ってすぐに姿を消した。

 俺の役目はここまでだ。後はあの2人に任せるしかない。そこまで考えて、俺は緊張の糸が切れたように大きく息をついた。

 まあ、まだこっちもやることはあるんだが。それでも後は事後処理のようなものだ。

 

「あー……お前ら。ロザリアはこっちの都合で見逃してやっただけだからな。変な気起こすなよ?」

 

 言いながら、俺は残されたタイタンズハンドの連中へと視線を向ける。放心したようにへたり込んだそいつらは、もはや抵抗する気もないようで、俺の言葉に力なく頷いた。俺は再び一息ついて、次いでシリカのそばへと歩み寄る。

 

「ハチさん……」

「悪かったな、色々巻き込んで」

「あ、いえ……」

 

 俯いたシリカは、俺に掛ける言葉が見つからなかったようでそのまま黙り込んでしまった。まああんな場面を見れば、イメージも悪くなるだろう。あるいは恐がられているのかもしれない。一応シリカにも今回の作戦の全容は説明していたのだが、聞くと見るとじゃ大違いだろう。

 今回の作戦。それはロザリアを散々脅かして逃走させることで、上部組織であるラフィン・コフィンのメンバーに接触を計らせるというものだ。それをアルゴが尾行し、奴らのアジトを突き止める算段になっている。キリトが付いて行っているのは万が一敵に見つかって戦闘になった時のための保険だ。

 手間のかかる作戦だが、普通にロザリアを捕まえたとしても俺たちが欲しい情報を素直に吐いてくれるとは限らない。このSAOの世界では過剰な痛みはシステムにカットされてしまうし、拷問などは意味をなさないのだ。まあそもそも俺たちにそんな真似が出来るかという問題もあるのだが……。

 そんなわけで今回のような手段を取ることになったのだが、やはりシリカには刺激が強かったらしい。出来ることならしばらくそっとしておいてやりたかったが、このままタイタンズハンドの連中を放置しておくわけにもいかないし、シリカをここで1人にするのも危険だ。そんな事態に頭を悩ませながらも、俺はこの場を収拾するべく口を開いた。

 

「……とりあえず、こいつらを監獄エリアに突っ込んだら街まで送る。ALFには連絡取ってあるから、あんまり手間はかからな――」

「へえ。面白いことしてるんすね」

 

 俺の言葉を遮って、後方から何者かの声が掛かる。気が抜けていたからか、俺は今の今までそいつの接近に気付かなかった。

 再び、俺の鼓動は早鐘のように鳴り打ちだした。20メートル先。街の方向からこちらに歩いてくる1人の男に、俺の目は釘づけになる。

 

「……シリカ、すぐに転移結晶で街に飛べ」

「え?」

「早くしろ!」

 

 もはや気遣う余裕などなく、俺は声を荒げていた。額に嫌な汗が流れる。俺はそれを拭うことなく、槍を低く構えた。

 ――何故、こいつがここにいる。

 

「つれないなぁ。人数は多い方が楽しいじゃないですか。ねえ、ハチさん?」

 

 男が、そう言って笑い掛ける。中肉中背、茶色い短髪の酷く印象の薄い男だった。しかし黒いポンチョを羽織り、腰に刀を佩いた男の左手には――不気味な棺桶が、薄ら寒い笑みを浮かべていたのだった。


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