やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第19話 再会

 1時間以上も、1人で森を彷徨っていた。

 森の中とはいえ、このダンジョンは人の手が入ったように道が整備されている。しかしどれだけ歩き続けても、少女はその森から出ることは叶わなかった。真っ直ぐ進んでいるはずなのに、気付くと先ほど通過したはずの道を歩いているのだ。迷いの森と言われる所以であった。

 

 鬱蒼と茂る木々が陽の光を遮っていたが、足元を照らすように巨大な卵のような照明――茸の一種らしい――が所々に配置され、視界は悪くない。明かりがある、そんな些細なことが少女の心を支えていた。しかしそれでも森の中で次々とエンカウントするモンスターたちとの戦闘や、それによって減ってゆく回復アイテムが少女の心に少しずつ不安の影を落としていく。

 1人でパーティを離脱したのは、失敗だったかもしれない。終わりの見えない道を前に、少女は後悔し始めていた。迷いの森がどういったダンジョンかは知っていた。しかし、外に出るくらいなら何とかなるだろうと高を括っていたのだ。

 

 周囲にモンスターがいないことを確認しつつ、少女は足を止める。先ほどの戦闘で、回復結晶(ヒールクリスタル)は使い切ってしまった。ポーション類ならまだ持っているが、あれは一瞬で体力を回復してくれるクリスタルとは違い、戦闘中に使用してすぐに効果が得られるようなアイテムではない。もし次にモンスターと遭遇してしまったら、自分は凌ぐことが出来るのだろうか。そんな不安が心を蝕んでいったその時、少女の視界の端に小さな影が舞う。目の前で水色の肌を持った小型の飛龍が「ピィ」と声を上げ、気遣うように少女の顔を伺っていた。

 

「ピナ……。うん、1人じゃないもんね。ありがとう、大丈夫だよ。ピナがいるから」

 

 言いながら、彼女はその飛龍――ピナを抱きしめる。他人が見れば、ただのデータだと一蹴されるかもしれない。だが命がけのこの世界を、今まで2人で一緒に過ごしてきた時間は間違いなく本物だ。故に彼女にとってピナという存在は自身を支援してくれるテイムモンスターという以上に、大きな心の支えになっていたのだった。

 

 自分も伊達にここまでレベルを上げてきたわけではない。今まで何度か危機はあったが、ピナと一緒にそれを乗り越えてきたのだ。

 頑張ろう――少女は決意し、ピナを抱くその手を解く。その時だった。ピナが周囲を警戒するように鳴き声を上げる。釣られて少女は周囲へと視線を移し、その時ようやく自分を囲むようにポップするモンスターたちの存在に気付いた。

 4体の、巨大な猿だった。左手には陶器の酒瓶を担ぎ、右手には丸太から削りだした棍棒を装備している。《ドランクエイプ》――この迷いの森で最も厄介なモンスターである。常に集団で行動するこのモンスターは、拙いながらも仲間同士で連携して攻撃を行うのだ。

 

 落ち着け、と少女は自分に言い聞かせた。厄介なモンスターであるのは確かだが、安全マージンをしっかりと取っている自分ならソロでも倒せる相手だ。そうして目の前のモンスターと戦うことを決心した少女は、腰を落とし短剣を逆手に構え、最も近くに位置していたドランクエイプへと狙いを定めた。駆け出し、包囲を抜けるようにすれ違いながらソードスキルを放つ。それが敵のHPを大きく削ったことを確認し、少女は表情を綻ばせた。いける、そう思ったが、それが甘い考えであったことを彼女はすぐに思い知らされることになったのだった。

 

 長時間に及ぶ狩りの影響か、少女の集中力は目に見えて低下していた。自覚はなくとも攻撃は雑になり、回避も疎かになっている。そしてそれはモンスターとの戦闘が続くにつれて如実に表れていき、彼女がようやく4体のドランクエイプのうち1体を倒し終えた頃には自身のHPも半分程度削られてしまっていた。

 回復しなければ――咄嗟にそう判断し、腰に括られたポーチに手を伸ばす。しかしそこで回復結晶(ヒールクリスタル)は既に先ほどの戦闘で使い切ってしまったことを思い出し、彼女は一瞬体を硬直させてしまった。その隙を敵が見逃すはずもなく、そこに棍棒を大きく振り上げた1体のドランクエイプが迫る。

 自身に向かって振り下ろされる棍棒。避けられない。そう思った刹那、自分を庇うようにして飛び出した小さな影が攻撃を受け止め、吹き飛ばされた。少女は一瞬唖然とし、次いで隣へと視線を向ける。

 力なく横たわるピナが、そこにいた。

 

「ピナ……? ピナッ!?」

 

 もはや眼前に迫る敵のことなど目に入らず、彼女は傍らに横たわる自分のパートナーへと縋りつく。少女の視界には、先ほどのダメージが反映されてみるみる減っていくピナのHPバーが映し出されていた。抱き上げられたピナは一瞬ピクリと反応するが、すぐに脱力してだらりとその頭を垂れる。

 

「ピナ!? いや! 行かないで!! 私を1人にしないで!! ピナァッ!!」

 

 嘆願虚しく、次の瞬間ピナは少女の腕の中でポリゴンとなって砕け散っていった。青白いその残滓がひらひらと舞う中、少女は声にならない悲鳴を上げて呆然とへたり込む。

 そこで勝利を誇示するように、ドランクエイプたちが咆哮を上げた。少女はどこか他人事のようにその声を聞いている。そして呆然とした様子でそちらに目をやると、自分にとどめを刺そうと棍棒を振り上げる敵と視線が合った。しかし彼女はもはや抵抗することもなく、ただただそれを見つめるだけだ。

 あの一撃は自分の命を刈り取るのだろう。呆然とそんなことを考えていた。しかしどれだけ待っても、大きく振り上げられたその棍棒が打ち下ろされることはなかった。

 束の間その体が硬直したかと思うと、次の瞬間、目の前のドランクエイプはポリゴンとなって砕け散って行ったのだった。そしてそれを追うように、残された他のモンスターたちもすぐに光を放って砕け散る。

 

「……悪い」

 

 青白いガラス片のようなものが舞い散る中、槍を構えて佇むのは少年だった。ばつの悪い顔で謝罪を口にした彼の瞳は、どぶを数日煮詰めたような濁った色をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人を助けないと言う行為は、罪になるのだろうか。

 これはおそらくかなり際どい問題だ。法律的なことは何もわからないが、被害者からすれば見て見ぬ振りをした第三者も、場合によっては加害者とあまり変わりなく思えるだろう。

 例えばこれは小学校の時に軽いいじめを受けていた友達のH君の話なのだが、彼がクラスメイトに上履きを隠された時、誰も助けてくれなかったらしい。隠したのは確実に桜井とその取り巻きの奴らだが、俺にしてみれば――ではなく、H君からしてみれば、見て見ぬ振りをしていたクラスの奴らも同罪だ。別に一緒に探してくれとまでは言わないが、隠し場所を知っていて何もせずクスクス笑っていた奴らは絶対に許さん。

 故に助ける義理はなくとも、助けようと思えば簡単に助けることが出来る立場に立っているのならば片手間にでも助けてくれればいいんじゃね? と俺は思うわけである。

 で、何故唐突に長々とこんなことを語りだしたかと言うと――今回、俺はしくじったのだ。

 

「……悪い」

 

 あまりのばつの悪さに、俺はそう口にすることしか出来なかった。3体のドランクエイプがポリゴンとなって霧散していく中、へたり込む少女と一瞬視線が交差する。

 

 完全に、助けに入るタイミングを誤った。1時間ほどこの少女を尾行していた俺だったが、なるべく関わり合いになりたくないがために、本当に危機的な状況にならない限りは手を出さないつもりだったのだ。4体のドランクエイプが湧いた時も、この少女なら対応を間違えなければ撃破できると判断した。

 しかし、今思えばそもそもそれが間違いだった。長時間の戦闘で集中力が低下していたのか、少女の動きは精細を欠き、徐々に追い詰められていったのだ。それでも確実に少女を助けられる余裕を持って横槍を入れるつもりだったのだが、同じタイミングで主人のピンチにテイムモンスターが予想外の動きを見せ、結果的にその命を落としてしまったのである。予想できなかったこととは言え、完全に俺の過失だった。

 元ぼっちとしての習性が完全に仇となった。少女が1人で行動し始めた時点で接触を計り、押し付けがましくともすぐに森の外へと連れて行ってやればよかったのだ。しかしそんな後悔をしても、今さらどうすることも出来ない。

 

 へたり込む少女は一瞬こちらに視線を向けると、危機が去ったことを理解したのか、次いでテイムモンスターが砕け散ったその場所へと目を落とした。そしてそこに残された飛龍の羽らしきアイテムを掬い上げ、嗚咽を堪えようともせずに口を開く。

 

「ピナ……私を1人にしないでよ……。ピナッ……」

「……すまん。そいつ、助けられなくて……」

 

 罪悪感と共に、俺は少女の背中に声を掛ける。ゲーム上のデータだなどと、馬鹿にするつもりなどはない。そんな価値観は人それぞれであり、この少女にとってあのテイムモンスターは掛け替えのない存在だったのだろう。悲し気に蹲る背中から俺はそれを感じ取り、一層胃が痛くなる。

 しかし気丈にもそんな俺に気を遣ったのか、少女は項垂れたまま首を横に振った。

 

「いえ……私が、馬鹿だったんです。1人で森を突破できるなんて、思い上がってたから……」

 

 言って、少女はこちらに顔を向ける。まだ気が動転しているのか、目の焦点が合っていないような様子だったが、それでも彼女は震える声で「助けてくれて、ありがとうございました」と礼を口にした。

 やばい。こんな子供を泣かせてしまうなんて、罪悪感が半端ない。吐きそう。頭の一部ではそんなことを考えつつも、俺は脳みそをフル稼働して情報を漁る。確か何かあったはずだ。うろ覚えだが、テイムモンスターを復活させるような手段が。

 

「ぁー……。えっと、そのアイテム、名前とかついてるか?」

 

 俺はそう言いながら手にしていた槍を背中へと収め、少女のそばへと歩み寄った。俺の接近に驚いたようにびくりと反応しつつも、少女はそろそろと手に持った羽をタップする。……その反応若干傷付くんだけど。

 まあ俺の感傷は一旦置いておき、タップによって表示されたアイテム名に目を移す。そこには《ピナの心》と表記があった。ピナというのは、あのトカゲの名前だろう。特に説明文などはなかったが、それを目にした瞬間少女は再び泣き声を漏らす。

 

「あ、いや、泣くなって……。テイムモンスターが置いていったアイテムがあれば、蘇生させる手段があったはずだ。……多分」

「ほ、ほんとですか!?」

「あ、ああ。確か、46層……いや、47層だったか? ともかくその辺りに、使い魔蘇生用のアイテムがあるとかなんとか……」

 

 曖昧な情報だったが、それでも少女の瞳に光が点るのがわかった。しかし47層という言葉を聞き、再び表情に影が差す。俺はその反応に焦りながら再度口を開いた。ぼっちと言うのは往々にして小心者であり、こういう反応には弱いのだ。

 

「あー、いや、ほら、今回は俺も手伝うから……まあ、そう気を落とさずに……」

「そんな、悪いです。情報を頂いただけでも――え?」

 

 視線をこちらに寄越した少女が、何かに気付いたように言葉に詰まった。不審に思った俺は自分の後方へと視線を向けるが、特に変わったことはない。苔むし、蔓がぐるぐるに絡まった木々が点々と自生しているだけだ。しかし俺が少女へと視線を戻しても、彼女は相変わらず呆けたような顔をしたままだった。

 数秒、静寂が訪れる。緩やかな風が、木々の騒めきと共に駆け抜けていった。同時にそれは少女の前髪を揺らし、乱したが、当の本人は気を留めることもせず不意に口を開く。

 

「も、もしかして……風林火山の、ハチさんですか……?」

 

 予想外のその問いかけに、俺は一瞬言葉に詰まった。知り合いではない……はずだ。少なくとも俺にはこのロリっ子の顔に見覚えがな――ん? あれ、よく見たらこいつ、どっかで見たことあるような……。

 

「えっと、どこかで会ったか?」

「は、はい。1年くらい前に、2層で私がレッドプレイヤーに襲われた時、ハチさんに助けて貰って……」

「あー……!」

 

 呆けた声を上げ、思い出したのは第2層、森の中で俺が初めてPoHと出会った時のことだ。あの時俺が街まで送り届けた小学生、記憶の中にぼんやりと残るその姿が、目の前にへたり込む少女と重なった。

 

「思い出した。あの時の小学生か……」

「しょ、小学生じゃないです! ……あ、いや、確かにあの時はまだ小学生でしたけど、去年からはもう中学生で……」

「お、おう。そうか。……あれ、でも何でお前俺の名前知って――」

 

 そんな会話の中、俺は言葉を途中で飲み込んで周囲に目を移した。索敵スキルによるアラートを察知したのだ。この感覚はおそらくモブ。まだ少し距離があったが、じっとしていればすぐにこちらに近づいてきそうな気配だ。

 背中の槍を手に取って、立ち上がる。目の前の少女もモブの気配に気付いたようで、座り込んだままだが警戒するように首を巡らせていた。俺も木々の間の暗がりに視線をやりつつ、新ためて口を開く。

 

「……とりあえず、街まで送る。使い魔蘇生の話も、知り合いにそういうの詳しい奴がいるから、知りたいならそこで話そう」

「え、あ……はいっ」

 

 俺の言葉によって我に返った少女は、今だ潤む瞳を右手で擦り、立ち上がる。悲しみから立ち直れたわけではないだろうが、蘇生手段があるとわかったからか、その目にはしっかりとした意志が灯っていた。それを確認して俺は少し安堵しつつも、相手が子供だということに気を遣っていくつか言葉を掛けておく。

 

「あー……その羽、しっかりストレージにしまっとけよ。あとすぐにポーション飲んどけ。転移結晶……は、このダンジョンじゃ使えないか……。まあガイドマップは持ってるからすぐに森は出れると思うが、疲れてるようだったら一旦近場のセーフティゾーンに寄るぞ? まあ最悪俺が担いでってもいいが――」

「だ、大丈夫です。そこまでして貰わなくても……」

 

 若干困ったような顔で、少女が俺の言葉を遮った。まずい、引かれたかもしれない。

 小町という妹がいるからか、どうにも俺はこれくらいの子供、特に女子には過保護になってしまうきらいがあるのだ。故に子守りなんかも得意な自覚があるのだが、俺が子供に構っているとかなりの確率で不審者扱いされるわけで、長年小町の兄として培われた《お兄ちゃんスキル》は基本封印されている。世間で子供好きが許されるのは女とイケメンだけだ。材木座辺りが子供好きとか言い始めたら事案になるまである。世知辛い世の中だ。

 防犯ブザーだけは勘弁してください――などと馬鹿なことを考える俺の横では、少女が言われた通りにアイテムをしまい、回復ポーションに口を付けていた。ガラスの小瓶に入れられたその赤い液体を飲み干すと、再び俺の方へと目を向ける。

 

「その、色々ありがとうございます。私、ずっと前からハチさんに会ってお礼を言いたかったんですけど、今日のことも――」

「あー……いや、そういうのは別に良い。全部成り行きだし……むしろ、色々すまんかった」

「え、何でハチさんが謝るんですか?」

「まあ、色々とな……。その辺は追い追い話すから、とりあえず行くぞ」

「あ、はいっ」

 

 そんなやり取りを交わしながら、ストレージから迷いの森のガイドマップを取り出す。それに目を通して進路を決めた俺は、傍らの少女に気を配りつつ、すぐにその場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女の名前はシリカといった。

 彼女がSAOの中へと囚われたのは、12歳。その誕生日を既に先月に迎え、数ヶ月後には小学校の卒業式を控えるという冬の始めだった。休日に仕事が舞い込んだ父に変わり、興味本位で手を出したそのゲームが彼女の運命を大きく変えたのだった。

 

 ゲーム開始当初こそデスゲームと化したこの世界に恐怖し、他の子供たちと同様に圏内に閉じこもっていた彼女だったが、生来の順応力の高さ故か、今では中堅プレイヤーとしてそれなりに安定した生活を送っている。

 当然圏内から足を踏み出すことには危険もあったが、彼女が活動を始めた時期には既にプレイヤーの間にガイドブックが普及していたことに加え、その端整な容姿に惹きつけられた男性プレイヤーたちの保護を受けることによって徐々にではあるが確実に彼女のレベルは上がっていったのだ。多くの大人が自分を甘やかし、守ってくれる。そんな状況に安心感を覚え、彼女が舞い上がってしまうのも無理のない話だった。しかしある日、そんな彼女を恐怖のどん底へと突き落とす出来事が起こる。

 

 ゲーム開始から1ヶ月以上が経ち、攻略組による第2層解放の一報が届いてすぐの折だ。第1層で一緒にパーティを組み、自分にゲームのノウハウを教えてくれていた30代の男性プレイヤーが第2層へと足を運ぼうと言い出したのだ。βテスターであったというそのプレイヤーが言うには、第2層の東に広がる森林フィールドは出現するモンスターのレベルが低く、今の自分たちでも十分に攻略出来る難易度だという話だった。多少の不安はあったが、1ヶ月以上もの時間を始まりの街とその周辺フィールドで過ごし、変わり映えのしないそんな生活に飽きていた彼女は最終的にその提案に頷いてしまったのだ。それでも決して慢心していたわけではなく、入念に準備を整え、さらによくパーティを組んでいた男性プレイヤー2人も伴って彼女たちは第2層へと渡ったのだった。

 

 運が悪かった、としか言いようがないのだろう。転移門で第2層へと赴き、危険なポイントを避けて森林フィールドへとたどり着いた自分たちを待ち受けていたものは、モンスターではなく1人のプレイヤーだった。

 右頬に刀傷のような刺青がある、黒ポンチョの男。出合い頭、右手に構えたその短剣で、彼女のパーティメンバーである2人の男性プレイヤーのHPを一瞬で全損させたのだ。シリカは怯えてその場にへたり込むことしか出来なかった。そして彼女と共にその場に残された元βテスターである男は怯えながらも状況を把握し、剣を構えて刺青の男へとそれを向けたが、やがて更に濁った目の犯罪者(オレンジ)プレイヤーが現れ刺青の男と交戦し始めると、その隙を突き、少女を置いてその場を逃げ出してしまったのだった。

 彼女にとって彼は、この世界の中で最も信用していたプレイヤーの1人だった。そんな人物が自分を見捨てて1人逃げ出してしまったのだ。その事実に彼女の心は大きく傷付いたが、取り乱す隙さえ与えてくれないほど、その状況は少女にとって困惑するものだった。

 目の前で矛を交える、2人の犯罪者(オレンジ)プレイヤー。1人は自分の仲間2人を殺した刺青の男であり、もう1人は身の丈以上の槍を持つ、死んだ魚のような目をした少年だった。自分より数段レベルが上であろう2人のプレイヤーの戦いは、少女にはその動きを目で追うことすら出来なかった。

 

 仲間割れだろうか。そんな思考を働かせる少女を傍らに、やがてさらに不可解な形でその決着がつく。最終的に傷を負って膝をついたのは少年の方だったが、いくつかのやり取りを交わした後、その場から立ち去って行ったのは刺青の男の方だった。残された少年はしばらく呆然としていたが、やがて我に返ると半ば強引に少女を連れてその場を後にしたのだった。オレンジカーソルのその少年に助けられたのだということに少女が気付いたのは、自分を街のすぐそばまで送ってくれた彼と分かれた後だった。

 

 

 

「――それで、後になってあの『Hachiという漢』を読んで……この人だっ! って思ったんです」

「……なるほどな」

 

 道すがら、先ほど期せずして同行することになった少女――シリカからそんな身の上話を聞いていた。眼前に青々と広がる、緩やかな丘陵。後ろを歩くシリカに度々目を向けながら、俺はとぼとぼとその道を歩く。

 既に、迷いの森のダンジョンからは脱出していた。後は5分ほどこの道を進めば街に着くだろう。そんなことを考えつつ、俺は再びシリカへと目をやる。

 

「つーか、良くそんなことがあった後にまた圏外に出るつもりになったなお前」

「さすがにあの後一月くらいは圏内に閉じこもってましたけど……。お金も無くなってきて、このままじゃいけないって思ってた頃にハチさんの本を読んで勇気づけられたんです。それでも私1人だったらどこかで挫けてたかもしれませんけど、苦しい時はいつも、ピナが隣に居てくれたので……」

 

 いじらしく視線を伏せてそう語るシリカの声は徐々に小さくなっていき、やがて俺たちの間に静寂が訪れた。……気まずい。俺はキリキリとした胃の痛みに耐えながら、なるべく明るい雰囲気を作って口を開く。

 

「ま、まあ、蘇生手段はあるらしいし、少しの辛抱だ。俺も手伝えることがあれば手伝うし……」

 

 そう言いながらさりげなくシリカの顔色を伺うと、こちらをじっと見つめるそいつと目が合った。咄嗟に視線を逸らすことも出来ず俺が曖昧に目を泳がせていると、少女がその年齢に不釣り合いな微笑を浮かべる。

 

「ハチさん、優しいんですね。やっぱり私が想像してた通りの人でした」

「……あの本読んでそう言ってるなら、とんだ見当違いだぞ。あれノンフィクションとか言っといて、相当話をねつ造してるからな」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。だからまあ何というか……あんま期待しないでくれ」

 

 そんな俺の台詞に、シリカは曖昧な答えを返す。子供の夢を壊すようなことを言って悪いが、こういうことは早めに言っておかないと、後になってもっと失望することになるのだ。少女に夢を与えるのはプリキュアの仕事であって俺の仕事ではない。

 まあ実際の所、例の本がどこまで物語をねつ造しているのか俺は全く知らないんだが。さすがに全てをノンフィクションにすると色々と角が立つため適度に脚色しているという話はトウジから聞いているが、俺はその本に目を通していないので実際どこまで話が変わっているのかは知らないのだ。

 そんな訳で話のねつ造云々の話は過分に俺の想像、というか希望を含んでいるのだが、あの本を読んだと言う人間に対しては基本的に同じことを話している。過度な期待を寄せられることほど胃が痛くなることはないのだ。

 

 その後は微妙な空気が流れる中、ぽつぽつと会話を交えながら街までの道のりを歩いた。大きな石積みの門が視界に映り、ようやく目的地についたことに安堵して俺はほっと溜息をつく。

 

 第35層。主街区《ミーシェ》

 整備された石畳の道に暗色の木材と煉瓦で建てられた家屋が並び、通りに面した店の前などにはランタンや鉄細工の装飾看板などが掛けられている。良く言えば洒落た感じの街なのだが、どうにも気取った感じがして俺はここが好きではない。ららぽの女性向けショップが並ぶ場所に男1人取り残されてしまったような居心地の悪さがある。

 加えて、俺たちがミーシェに到着した頃には既に日も沈み、街はフィールドから帰還したプレイヤーたちで賑わっていた。こういう雰囲気苦手なんだよなあと思いつつも、避けて通る訳にもいかなかったので恐る恐る俺は門を潜って街の中へと足を踏み入れたのだった。

 

「お前、ホームはどの辺なんだ?」

「特に決まってません。最近はこの街に宿を取ってますけど」

「そうか」

 

 そんなやり取りをしつつ、人混みを嫌った俺たちはひとまず街に入ってすぐの広場の片隅で足を止めた。俺はシリカに少し待つように言ってから、システムウインドウを呼び出し、トウジとキリトにメッセージをしたためる。それを送信した俺は今後について考えながら、傍らに立つ少女に目を向けた。

 

「蘇生アイテムの件は、詳しそうな奴にメッセ送っといた。だからとりあえずその返信待ちなんだが……お前も疲れてるだろうし、一旦宿で休んで来たらどうだ? 連絡来たら教えてやるから」

「えっと、その間ハチさんはどうするんですか?」

「適当に時間潰すつもりだ。ちょっと腹も減って来たし、どっかで軽く飯でも済ませるかな」

「あ、あの! それだったら、ご一緒しませんか? まだちゃんとお礼も出来てないですし……」

 

 頬を上気させたシリカが、意を決したようにそう提案する。……そういう反応やめて貰えませんかね。お兄さん勘違いしちゃうんで。

 まあ控えめに見ても、おそらく嫌われているということはないだろう。こいつの視点から見れば、俺は危ないところを助けてくれたヒーローなのだ。だが、実際にはそんな綺麗なものじゃない。

 

「あー、いや、ホントそう言う気遣わなくていいから……」

「そういう訳にはいきません! 2度も助けて貰って、何のお礼も出来てないし、ピナのことだって……」

 

 熱心なシリカの眼差しが、こちらに向けられていた。そこに込められているのはおそらく純粋な好意と感謝だ。だからこそ俺は彼女を直視出来ず、視線を逸らしてため息をついた。後ろめたい気持ちが胸中に広がってゆく。

 俺がこれから話そうとしていることは、きっと余計なことなんだろう。頭のどこかではそう理解しつつも、懺悔するように俺は口を開いていた。

 

「……これ、本当は話すつもりなかったんだけどな」

 

 苛立ったように頭を掻きながら、そう前置きをする。多分、今の俺の目はいつも以上に濁っているだろう。シリカの反応は待たず、矢継ぎ早に俺は言葉を紡いだ。

 

「迷いの森でお前が猿4体に襲われてた時、ホントはもっと早く助けに入れたんだ。でも、色々ぐだぐだ考えて、結局遅れた。だから、お前のピナが死んだのには俺にも原因がある」

 

 あの時俺は、こちらの都合を優先して助けに入るのを逡巡したのだ。まあ最終的には助けに入った訳だから責められる謂われはないが、無条件に感謝されるのも少し違うだろう。

 そこで、息を継ぐように一瞬間を空ける。シリカがどんな表情をしているのかはわからない。俺は広場で談笑している他のプレイヤーたちにぼんやりと目を向けながら、さらに言葉を続けた。

 

「第2層の時のことだって、そもそもPoH……あの刺青の男は俺のことを狙ってたんだ。それで逃げ回ってたら、ああいうことになっちまった」

 

 苦い記憶が、頭を過る。最初から逃げたりせずに戦っていれば、無関係な人間を巻き込むこともなかったのだろうか。そしてあの時あいつを殺しておけば、多くの人間が殺されることもなかったのだろうか。既に幾度も自問した内容だ。

 

「……だからまあ、お前が俺に感謝するのは筋違いってことだ」

 

 そこまで言って、俺はようやく目の前に立つ少女の顔を見る。こちらを真っ直ぐと見据える大きな瞳からは、どんな感情を抱いているのか窺い知ることは出来なかった。狩りから帰還したプレイヤーたちの喧騒が街に漂う中、俺たち2人の間には重い沈黙が降りる。

 ……やばい、どうしようこの雰囲気。やはり話すべきではなかったか。道化を買って出てでも、最後まで嘘を貫き通した方がお互い幸せだったかもしれない。

 

「……私は、ハチさんが悪いとは思いません」

 

 やはり余計なことを話してしまったなと俺が後悔しだした頃、呟くようにシリカが口を開いた。視線を伏せ、両手は胸の前で重ねるように握り締めている。

 

「ピナが死んじゃったのは、悲しいけど……それも元はと言えば、私が1人でパーティを抜け出しちゃったせいなんです。それに、ハチさんが私を助けてくれたことには変わりありません。第2層のことだって、悪いのはあのPoHって男の人で、あの時もハチさんは私を守ろうとしてくれたじゃないですか」

 

 少し熱を帯びた声が、その場に響いた。隣を通り過ぎたプレイヤーが何事かとこちらに視線を寄越したが、それに構うことなくシリカは言葉を続ける。

 

「それでもハチさんが気が引けるっていうなら、お礼っていうのは取り消します。今は、1人になりたくないんです……」

 

 言って、シリカがこちらに一歩詰め寄ってくる。そして震える右手で俺の服の裾をぎゅっとつまみ、上目使いでこちらに視線を寄越した。反射的に身を縮ませてしまった俺はかなり挙動不審に見えただろうが、シリカは特に意に介す様子はなく、まじまじとこちらを見つめていた。

 

「だから……お願いです。ご飯、一緒に食べてください」

 

 駄目押しをするように、小さくそう呟く。それに圧倒されてしまった俺には、もう頷く他に選択肢を選ぶことは出来ないのだった。


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