やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第17話 笑う棺桶

「グリムロックさん、今日はお誘いありがとうございます」

「いや、こちらこそ感謝しているよ。彼女も喜ぶだろうしね」

 

 丁寧に頭を下げるヨルコに対し、男は笑みを浮かべてそう返した。ヨルコとカインズが戦闘用の装備を着込んでいるのに対し、グリムロックと呼ばれたその細身の男は黒いハットに揃いのロングコート、丸いサングラスと随分とカジュアルな服装をしている。彼自身のLVが低いことも相まっておそらく戦闘に耐えられる装備ではないだろうが、この周辺はモブのポップ率が異常に低く、加えて非アクティブのモブ――プレイヤー側から攻撃しない限り戦闘にならないタイプのモブ――しか生息していないために問題はなかった。

 

 第19層。主街区からほど近いフィールド《十字の丘》

 

 霧が深く昼間でも薄暗いこのフロアにぽつりと存在するその大きな丘は、ゲーム内で特に語られることはないがおそらく墓地に当たる場所なのだろう。ぽつぽつと点在する枯れ木の合間には、落ち葉に埋まった墓石のようなものが見受けられた。

 その中の1つ。一際大きな、幹の捻じれた巨木の前に鎮座する墓石。ヨルコとカインズをここまで案内したグリムロックは、それがグリセルダの墓だと説明した。明らかな代用品だったが、このSAOの世界では特に珍しいことでもない。招かれた2人は特に疑問も抱くことなく、ただ故人の冥福を祈っていた。

 システム上線香をあげることなどは出来ないが、3人は各々墓前に供えられるものを持参してきているようだった。ヨルコとカインズは19層の街で購入した花を、グリムロックは小洒落た酒瓶をそれぞれアイテムストレージから取り出す。

 

「彼女が好きだったお酒でね」

「へえ……。グリセルダさんって、お酒駄目な人だと思ってました。飲んでいるところも見たことなかったし」

「……あまり人前で飲む人ではなかったんだよ。2人きりの時は良く一緒に飲んでいたんだけどね」

 

 そんな会話を交わしながら2人は墓前に花を添え、グリムロックはさらにストレージから取り出した小さなグラスを4つ並べて酒を注いだ。不思議そうな顔を浮かべるヨルコとカインズを尻目に全ての杯に酒を注ぎ終えたグリムロックは、なみなみと注がれたその杯を両手に持って2人の前に差し出す。

 

「こういうお供え物と言うのは本来、供えた後は皆で頂くものなんだ。故人との繋がりを持つ、という意味でね……。よかったら、一献受け取ってくれないか?」

「……頂こう」

 

 何となく違和感を感じつつも、2人は頷いて杯を受け取った。グリムロックも自分の分を再び墓前から拾い上げ、2人に向き直って小さくそれを前に掲げる。「グリセルダの冥福を祈って」と小さく呟いた彼は、目の前の2人が杯を呷るのを確認してから自分もそれに口を付ける――振りをした。

 巧みな誘導だった、と言えるだろう。違和感を覚えつつも、彼らにはそれを断るという選択肢が選べなかったのだから。杯を飲み干すまで、ついぞ2人はグリムロックの口元に浮かんだ厭らしい笑みに気付くことは出来なかった。

 

「ぐっ!? これは……」

 

 呻き声を上げて、カインズが膝を折る。ほぼ同時にヨルコも蹲るようにして地面に突っ伏した。2人の手から落ちたグラスが、青白い光を放って砕け散る。それを視界の端に収めながら、カインズは自分のHPバーに目をやった。緑色に伸びるHPバーの右隣に点滅する、黄色い稲妻のようなマーク。《麻痺》の状態異常を示すそれが、そこに存在した。

 麻痺――それは現在SAOの中で、最悪のバットステータスだと言われている。ポーションや結晶などのアイテムで治癒が可能なものの、全身が痺れ指先を動かすことさえ難しくなるために自力では治癒が困難であり、戦闘中にソロプレイヤーがこれにかかった場合はほとんどゲームオーバーへと直結する。パーティを組んでいたとしても、複数人がこれに掛かれば被害は免れない。

 

 混乱する頭で、2人は必死に考えていた。何故、誰が、と。それはもはや明確なことであったが、彼らは未だ現実を受け入れることが出来ないでいた。しかしそんなことには構うことなく、この事態を引き起こした張本人であるその男は虚ろな目で2人を見下ろしながら言葉を投げかける。

 

「ごめんね。でも僕が捕まってしまうのも、おそらくもう時間の問題なんだ。こうでもしなければ……」

「グ、グリムロック……お前、何を――」

 

 痺れる舌を必死に動かし語り掛けるカインズだったが、何かに気付いた彼はそのまま言葉に詰まってしまった。自分たちを見下ろすグリムロックのその向こう。薄っすらと人影が現れたのだ。その数4つ。

 黒いポンチョを羽織った、不気味な集団。そのうち2人はフードの下にさらに奇妙なマスクをつけている。そして何よりカインズとヨルコを驚愕させたのは、彼らの頭上に浮かぶカーソルの色だった。

 

 ――犯罪者(オレンジ)

 

 マスクを付けた2人と、大柄な男の頭上には鮮やかなオレンジカーソルが浮遊していた。こちらに近づいてくるその集団を仰視していたカインズは、さらに大柄な男の右頬に青い刺青があるのを見つけて冷や汗を流す。あれは噂の殺人(レッド)プレイヤーではないのか。

 

「おっほォ! ナイスな手際だ! いいねェ、お前みたいなゲス野郎は嫌いじゃないぜェ」

 

 頭陀袋のような黒い布で顔を隠した小柄な男が、嬉々とした様子で声を上げた。その仕草はまるで子供の様だ。グリムロックの隣に立ったその男は、よくやったと言わんばかりにその肩をポンポンと叩く。しかしその隣に立っていた4人の中で唯一グリーンカーソルのプレイヤーが、その様子を見ながらため息をついた。

 

「品がないなぁ。僕あまりこういうの好きじゃないんだけど」

「テメェは気取り過ぎなんだよっ! なあヘッドォ! アレやろうよアレ! 2人で殺し合わせて生き残った方は見逃してやるゲーム!」

「そんなこと言って、ジョニーさん2人とも殺しちゃうパターンでしょ」

「おいジョー! それ言っちゃあゲームになんないだろォ!」

 

 漫才のように、そんなやり取りを交わす2人。それを横目に、ヘッドと呼ばれた刺青の男は呆れたように声を上げた。

 

「ちったぁ静かに出来ねえのかお前らは……。おい。とりあえず身包み剥げ。転移なんかされたらつまんねえからな」

 

 おそらく4人の中で、この刺青の男がリーダーなのだろう。その指示に適当に返事を返した先ほどの2人が、ヨルコとカインズの後ろに立つ。そしてその右手を取ってシステムウインドウを呼び出させると、アイテムを差し出させるべくそれを操作しだした。麻痺に掛かっている彼らに、それに抗う術はなかった。

 そこまできてようやく2人は自分の置かれている立場を、そしてこの状況が示す意味を理解し始めた。しかし一縷の望みをかけて、ヨルコはグリムロックに問いかける。

 

「グリムロックさん……これは、どういうことなの……!?」

「あぁ? まだ分かんねえのかぁ? そいつは自分の女を俺らに売ったんだよ。で、次はお前らってことだ」

 

 ジョニーと呼ばれた小柄な男が、ヨルコの手を取りながら無慈悲にもそう答える。彼女はその言葉には取り合わずグリムロックへと視線を送り続けていたが、グリムロックは決して目を合わせようとはせず、虚ろな瞳を彷徨わせながら沈黙するだけだった。

 何故、何も答えてくれないのか。この男たちは何者なのか。湧き続ける疑問に解答をもたらしてくれるものは何もなく、ヨルコとカインズの胸中には絶望だけが広がっていった。

 

 ――ここで、私たちは死ぬのだろうか。グリセルダさんの無念を晴らすことも出来ず、この男たちに弄ばれて。

 

「おい、無駄口叩いてねえでさっさと――」

「ボス。誰か、来る」

 

 苛立った様子で口を開いた刺青の男の言葉を遮り、今までずっと黙り込んでいた髑髏を模したマスクの男が短く声を上げた。ポンチョを翻し腰に佩いたエストックに手を掛けたまま、その目を虚空へと向ける。視線の先には何もないように見えたが、フードの下で赤く揺れるその瞳は確かに何かを映していた。

 薄暗い視界の中、無数の点が煌めく。刹那、飛来したそれは刺青の男の額、胸、手足を正確に捉えていた。しかし赤目の男が持つエストックが目まぐるしく動き、その全てを叩き落とす。弾き飛ばされたその1つが足元に転がり、カインズはその時ようやくそれが投擲用のナイフだということに気付くことが出来た。

 投げナイフの弾幕に続いて、白と黒の2つの影が駆け抜ける。レイピアを携え紅白の軽鎧を纏う少女と、直剣を片手に黒のロングコートをはためかせる少年。2人はヨルコとカインズのアイテムを漁っていた男たちに一撃を食らわせてそれを引き離すも、互いに武器を合わせただけでダメージを負うことはなかった。彼らはそのままヨルコとカインズを庇うように位置取り、男たちと対峙する。

 そしてそれに一拍遅れて駆け抜ける、3つ目の影。槍を手にしたその少年は刺青の男だけを狙って強襲を掛けた。赤目の男が庇うようにして前に立つも、そのエストックの一撃を槍の柄でいなしつつ這うような体勢から刺青の男に向かって突きを放つ。しかし渾身の一突きは身を捻って悠々と躱され、次の瞬間少年は赤目の男と刺青の男の挟撃に晒された。咄嗟に槍を回転させそれを牽制し、大きく距離を取る。そして互いに武器を構えながら、戦況は硬直に陥ったのだった。

 

 数秒間の息を飲む攻防戦から、一転して訪れる間隙。互いの鼓動さえ聞こえてきそうな静寂が、その場を支配する。やがて永遠とも思えるようなその沈黙を破ったのは、刺青の男の狂ったような笑い声だった。ひとしきり腹を抱えて笑った後、大きく息をついたその男は至極楽しそうに口を開いたのだった。

 

「久しぶりだってのに、随分とご挨拶じゃねえか――ハチ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 考えうる限り、最悪の状況だった。

 刺青の男。ジョー。グリセルダ殺害事件。やはり全て繋がっていたのだ。周囲を見回しつつ、俺は全てを悟った。

 グリーンカーソルのあの見知らぬ男が、おそらくグリムロックだろう。ヨルコとカインズの2人が麻痺を食らってダウンしているのを見るに、奴に騙されて薬でも盛られたのかもしれない。現状攻撃した相手を麻痺させるような武器は確認されていないのだ。

 そして問題は黒いポンチョを羽織った4人組だ。忘れもしない、あの刺青の男。そしてもう1人、中肉中背のあの男には見覚えがある。4人の中で唯一グリーンカーソルの、腰に刀を佩いた短い茶髪の男プレイヤー。おそらくはあいつがジョーだ。残りの2人に見覚えはなかったが、間違いなく刺青の男の連れだろう。

 

 回廊結晶購入者リストの中にあったグリムロックの名前。そして今日彼と共に出かける予定があると言ったヨルコとカインズの2人。そんな断片的な情報から俺たちはここにたどり着いたのだ。

 グリムロックがグリセルダ殺害の犯人だと決まったわけではなかったし、そして仮に犯人だとしてもヨルコとカインズに危害が及ぶ可能性は低いと俺は見ていた。だが万が一ということを考えて2人を追って俺たちはここへと赴いたのだ。フレンド登録を行ったプレイヤー同士は、お互いの位置情報を詳しく知ることが出来る。いつの間にかヨルコとフレンド登録を済ませていたアスナには感謝しなければならないだろう。

 

 正直に言えば今の今までここまでの事態は想定していなかったが、咄嗟に飛び出してきてしまった手前もう後に退くことは出来ない。構えた槍を握り直しながら、俺は覚悟を決めた。

 まず優先すべきは全員が生き延びること。そして叶うことなら奴らの捕縛だ。しかし、後者は厳しいだろう。プレイヤーの捕縛は色々と条件が整わなければ難しいのだ。この状況でその条件を満たせるとは思えない。

 しかし俺たちも何の策もなくここに来たわけではない。最悪の場合に備えて、ALFからの援軍も来て貰える手筈になっているのだ。部隊を召集するのに少し時間が掛かるそうだが、俺たちから特に連絡がなければALFの高レベルプレイヤーたちをこちらに向かわせるよう雪ノ下とは話がついている。つまるところ、俺たちにとって一番現実的な手段とは時間稼ぎだ。

 

 だがもしも戦闘になってしまえば、そんなことも言っていられなくなるだろう。ヨルコとカインズを守りながら、長時間戦うことなど出来るはずもない。そうなってしまえば選べる選択肢は、なるべく早く()()をつけることだけだ。

 大丈夫。俺には出来るはずだ。そう自分に言い聞かせる。今日ここで奴と再び相対するとは考えていなかったが、第2層で奴に、あの刺青の男に会った時から俺はずっと考えていたのだ。再び矛を交えることになった時には、もう迷わないと。

 俺の躊躇いを、以前雪ノ下は「人として正しい」と言ってくれた。確かに、あの時の俺の選択は人として正しいものだったのだろう。だが、きっと比企谷八幡の選択としては間違っていた。王道を歩めるのは力のある者だけだ。俺のような人間は邪道と罵られようとも次善の策を選び取っていかなければならない。それを見誤るから今回のようにどこかに歪みが生じるのだ。

 だから、もう迷うことはしない。いざその時がくれば、俺は、この槍で奴を――

 

「ちょっと見ない間に良い目するようになったじゃねえか。さっきの突きも殺気が籠った良い一撃だったぜ」

 

 思考に耽っていた俺を、刺青の男の声が現実に引き戻した。目を褒められたのなんか初めてだな、と内心自嘲気味に考えながら、俺は気を引き締め直す。

 冷静になれ。まずは柔軟に相手の出方を伺うべきだ。戦いになれば躊躇うべきではないが、ヨルコとカインズが一緒にいる現状ではなるべく戦闘は避けたい。キリトやアスナもPvPを覚悟してここまで来たわけではないはずだ。

 

「ヘッド、なんすかこいつ。知り合いっすか?」

「ああ。前にちょっとな。風林火山のハチっつったらお前らも聞いたことあんだろ?」

「え、マジっすか!? チョービッグネームじゃないっすか!! へぇー、こんなガキが……」

 

 頭陀袋のようなもので口元を隠した小柄な男が、刺青の男とそんなやり取りをしてこちらに視線を向ける。先ほどキリトが一撃を加えてヨルコから引き離した男だ。右手に持つ短剣で上手く受けたようで、こちらから少し距離は取っていたがダメージは負っていない様子だった。それはアスナの一撃をいなしたジョーというプレイヤーも同様で、刀を鞘に収めて遠巻きにこちらを伺っている。アスナもジョーもカーソルはグリーンのままだ。

 先ほどの攻防から受けた印象では、攻略組である俺たちともそれほどレベル差はないように感じる。やはりなるべく戦闘に持ち込むべきではない。

 俺がそうして状況を分析していると、刺青の男が何かに気付いたように声を上げた。俺は警戒しつつ、そちらに視線を戻す。

 

「そういえばこっちの自己紹介がまだだったな。俺のことはPoH(プー)って呼んでくれ。殺人(レッド)ギルド笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の頭張ってる」

「レッドギルド……?」

「Yes.Coolだろ?」

 

 PoHと名乗った刺青の男は、妙に流暢な英語で俺の呟きを肯定した。そして次いで右手袋に印刷されたエンブレムを掲げる。その名の通り、不気味に笑う棺桶がそこに描かれていた。よく見ると、グリムロックらしき男以外は全員体の何処かに同じエンブレムを身に着けていた。

 レッドギルド――殺人行為のことを、ゲーム内では暗にレッドと呼ぶ。ゲーム内で犯罪を犯すとオレンジカーソルになることから転じて、最も重い犯罪である殺人を、オレンジよりも濃い赤で表現したというわけだ。故につまり、レッドギルドというのは《殺人ギルド》ということだ。

 

 殺人(レッド)ギルド笑う棺桶(ラフィン・コフィン)。そしてその異常者たちの頂点にたつPoHと名乗る男。第25層事件も、グリセルダ殺害もこいつらの仕業なのか。

 

「……お前らに、聞きたいことがある」

 

 必死に冷静を装い、俺はPoHに向かって話しかけた。正直時間稼ぎのために駄目元で言ってみただけだったのだが、意外なことにPoHは「言ってみろ」とでも言うように右手を軽く振る。随分と機嫌がいい様子だ。俺はそのお言葉に甘えて、気になっていたことを問いかける。

 

「グリセルダって女プレイヤーを殺したのはお前たちか?」

「グリセルダ……ああ、あの女そんな名前だったか。そうだぜ。俺たちが殺した。そこの男に頼まれてな」

 

 言いながら、PoHはグリムロックと思われるプレイヤーを指差した。その事実にヨルコとカインズの顔が驚愕に歪む。ラフィン・コフィンのプレイヤーたちと対峙している故にまだ彼らの麻痺を治療している余裕はなかったが、麻痺とは時間経過で徐々に動けるようになるタイプの状態異常だ。少し時間が経ったからだろうか、ゆっくりと首を巡らせてヨルコはグリムロックを見据えていた。

 

「そんな……本当なの……?」

 

 そんなヨルコの問いかけにも、グリムロックは答えることはない。しかしそれを肯定と受け取ったのか、彼女は口早に捲し立てた。

 

「どうして……どうしてよグリムロック! あなた、グリセルダさんを愛してたんじゃないの!?」

「……愛していたさ。愛していたからこそ、僕は彼女を殺さなければならなかったんだ!」

 

 たまらなくなったように、グリムロックも大声で怒鳴り散らす。固く拳を握りながら巨木の前に設置された墓を見下ろし、次いで瞑目した。

 

「……彼女は、現実世界でも僕の妻だった」

 

 ぽつり、とそう漏らす。それからそいつは、堰を切ったように語りだした。

 

「可愛らしく従順で、文句のつけようのない完璧な妻だった。でもこの世界に来て、彼女は変わってしまったんだ……。強要されたデスゲームを受け入れることが出来ず、怯え、竦んだのは僕の方だった。彼女は水を得た魚のようにこの世界に馴染んで行ったよ。あんなのは僕が愛したユウコじゃない」

 

 ユウコ、というのは話の流れ的にグリセルダのリアルネームだろう。そこからはグリムロックの1人語りも熱を帯びてゆき、耳の下で切りそろえた黒髪を振り乱しながらまるで演説でもするように言葉を発していた。

 

「だからせめて……彼女が本当に変わり果ててしまう前に……僕が愛した彼女でいるうちに彼女を殺さねばならなかったんだ! 愛が失われる前に! 愛した彼女を永遠に思い出の中に閉じ込めたいと願った僕を、一体誰が責められる!?」

 

 そう捲し立てて、グリムロックはヨルコとカインズに視線を寄越す。あまりに独善的すぎるその独白に、2人は呆れ果てて言葉も出ない様子だった。しかしそれを横から見ていたアスナが、レイピアを構えたまま怒りを露わにグリムロックを睨み付ける。

 

「そんなの……そんなの愛情でも何でもないわ! ただの所有欲じゃない!!」

「君のような子供にはまだわからないだろうね……。たが、いずれ身をもって気付く時が来る。綺麗なままじゃ人を愛せないってことに」

 

 こいつも、きっとどこかが狂っているんだろう。本当の愛がどうのこうのというこっぱずかしい議論をするつもりはないが、最終的に殺しという方法を許容出来てしまう時点でこいつはどうしようもなく歪んでしまっているのだ。

 だからグリムロックの話を肯定する気などはさらさらない。だが、何故だろうか。そいつの呟いた最後の言葉は、俺の耳に重く響いた。

 

「……話は終わったみたいだな」

 

 つまらなさそうに右手の短剣を弄っていたPoHが口を開いた。狂人ではあるが案外空気は読めるのか、こちらのやり取りが終わるのを待っていてくれたようだ。話の途中で頭陀袋の男は耐えきれずに何やら茶々を入れようとしていたが、隣に立つジョーに諌められていた。PoHの隣に立つ赤目の男は最初の攻防戦以来腰に佩いたエストックに手を添えて佇んでいるだけで微動だにしていない。

 

「もういいか……。ザザ、やれ」

 

 PoHが、短く言い放つ。その言葉に俺は警戒心を一気に引き上げたが、それに反応した赤目の男はこちらには見向きもせずグリムロックの元までゆっくりと歩いていき――その胸をエストックで貫いた。

 どこからか、小さな悲鳴が上がる。相当なレベル差があったのだろう。ソードスキルを使っているわけでもないのにその一撃はグリムロックのHPを3分の2ほど削っていた。

 

「な、なんで……!? この2人を差し出せば、仲間に迎えてくれるはずじゃ――」

「悪いな。うちにはお前みたいな小物の席はねえんだよ」

 

 何でもないことのように、PoHはそう言ってグリムロックを突き放す。そして赤目の男が胸に深々と突き刺さったエストックを引き抜き、次いでその脳天へとその切っ先を向けた。放たれた殺気に射竦められてしまったのか、グリムロックはそこから一歩も動くことが出来ずにただ恐怖に顔を歪めるだけだ。

 

「うおぉぉぉぉおおぉ!!」

 

 瞬間、キリトが雄叫びを上げた。弾かれたようにその場を駆け出し、そのままの勢いで大地を抉るように下段から剣を振り抜く。その一撃が赤目の男のエストックを大きく跳ね上げ、間一髪グリムロックは命を繋いだのだった。

 甲高い剣戟の音が響く中、赤目の男とキリトの視線が交差する。そいつはキリトを敵と認識したようで、そのままキリトと交戦する体勢に入った。

 

 あの馬鹿、と俺は内心で毒づく。酷なようだが、あんなサイコ野郎を助けるために俺たちが危険を冒す必要などないのだ。そして同時に、そんな余裕もない。ヒーローが弱者を助けることが出来るのは強者だからだ。この4対3という状況、そしてヨルコやカインズというお荷物の存在を考えれば、今の俺たちは間違いなく弱者だった。弱者は弱者なりに、卑屈に、そして最低に、この状況を打開する方法を考えなければならなかったのだ。

 だが、既に戦端は開かれてしまった。このまま戦闘は避けられないだろう。キリトには後で文句を言ってやる。そう思いながら、俺は腹を括る。

 

 ヨルコとカインズを庇うようにして立つ俺とアスナ。ラフィン・コフィンの4人はそれを囲むように位置している。赤目の男の相手はキリト、俺の正面にはPoH、位置取り的にアスナには残りの2人の相手をして貰うことになるだろう。しかしいかに攻略組屈指の実力を持つアスナと言えども、後ろの2人を守りながらあのジョーと頭陀袋の男を同時に相手取るのは厳しいはずだ。故に、こちらはあまり時間を掛けられない。

 槍を構え、正面に立つPoHを見据える。グリムロックを助けた行動が意外だったのか、その視線はキリトに向けられていた。今なら、その隙を衝ける――殺せる。

 

 一気に、間合いを詰めた。そこでようやく、PoHがこちらに目を向ける。遅い。そう思いながら俺はソードスキルを発動した。

 トリップ・エクスパンド――現時点で俺が使える最強のソードスキルだ。6連撃のそれがフルヒットすれば、間違いなく相手のHPを削りきることが出来る。

 初撃が、PoHの右肩を貫いた。若干狙いを逸らされたことに舌打ちしつつ、半自動的に2撃目を放つ。しかしそれも奴の急所を捉えることは出来なかった。まるで暗器のようにポンチョの中から飛び出してきた短剣が刺突を逸らしたのだ。人間業ではない。続く3度目の刺突、2段の斬撃、一瞬の溜めからの大振りな薙ぎ払い、その全ての攻撃をPoHは舞うような動作で凌ぎ切った。そして肝心のHPは3分の1程度しか削れていない。

 

 スキル使用後の硬直の中、薄ら寒い笑みを浮かべたPoHと視線が交わる。不味い。そう思ったが、意外なことにPoHはソードスキルも、それどころか武器も使うことなく、俺を適当な動作で蹴り飛ばした。数メートル吹っ飛ばされはしたが、HPにほぼ変動はない。

 何故、という疑問はすぐに頭の隅に追いやった。無駄なことに思考を割く余裕はない。そうして俺は追撃を警戒しつつすぐさま体勢を整えたのだが、しかしPoHにはやはり動く気配がないようだった。仕損じたという焦りを胸に押し込めながら、その隙に俺は戦況を把握しようと努める。

 既に後方ではアスナもラフィン・コフィンの2人と交戦に入っているようだった。やはりヨルコとカインズが気になって上手く動けないのか旗色が悪い。キリトの方は優位に戦いを進めている様子だったが、人に刃を向けるという行為を本能的に嫌っているのか、どこか動きに迷いがあるように見えた。

 

 最悪の状況だ。この明らかに手札が足りない場面では、このまま正攻法で押し切れるはずがない。かと言って、既に奇襲は失敗しているのだ。このペースではALFの援軍も間に合うかもわからない。

 俺は思考を目まぐるしく働かせ、この状況を打開する方法を模索する。もういっそヨルコとカインズを見捨てて逃げるか? いや、アスナとキリトがそれを容認するはずがない。ならば何とか転移結晶を2人に使わせて――馬鹿か、そんな余裕があれば既にやっている。

 援軍の存在を仄めかし、撤退させる。もうこれしかない。はったりが通じる相手ではなさそうだが、それでも他に選択肢は思い浮かばなかった。苦し紛れでも、何もしないよりはましだ。

 

「お――」

「おい。お前ら、Show timeは終了だ」

 

 俺の言葉を遮ってPoHが声を張り上げた。それを機に背後で行われていた戦闘の気配が徐々に薄くなってゆく。PoHの言葉の意図を測りかねた俺は、開いた口を閉じることも出来ずにその場に立ち尽くした。そしてこの事態に混乱したのは俺だけではないようで、すぐさま背後から間の抜けた声が上がる。

 

「え? ちょっ、ヘッドォ!? 今めっちゃいいところじゃないっすか!? そりゃないっすよぉー」

「黙れ。最高のActorだ。最高のStageで殺してやらなきゃつまらねえだろ」

 

 仲間の抗議には取り合わず、PoHはぴしゃりとそう言い放った。こちらはまだ戦闘態勢を解くことはなかったが、ラフィン・コフィンの面々は徐々にこちらと距離を取って各々武器を収めてゆく。

 

「そっすね。今日は元からお遊びの予定だったし、僕は賛成っす」

「はぁー、マジかよぉ……」

 

 ジョーはあっさりと了承し、頭陀袋の男も不満を漏らしながらではあったがPoHの指示に逆らう様子はなかった。赤目の男は何やらキリトに耳打ちした後、剣を鞘に収めてPoHの傍らへと歩を進める。

 何のつもりだ? また見逃すつもりなのか? あまりの急展開に、俺の胸に湧いたのは安堵の気持ちではなくそんな疑問だった。

 

「そういう訳だ、ハチ。今日の所は見逃してやる。まあ、安心しろ。焦らなくてもお前はそのうち俺が手ずから殺してやる」

 

 未だに槍を構え続ける俺に向かって、PoHは一方的にそう言葉を投げ掛けた。最後に「So long」と口にして、こちらに背を向ける。他の3人もそれに続いて歩き出した。

 

「――ああ。そう言えば1つ、良いこと教えといてやる」

 

 唐突に何か思い出したようにそう言って、立ち止まるPoH。そしてその振り向きざま、素早く両手を交差させるように振り上げて赤く煌めく何かを投擲した。その数3つ。それが赤い飾り布が柄に取り付けられた投げナイフだということに俺が気付いた時には、凶器は既にグリムロックへと肉薄していた。しかしその傍らに立っていたキリトが咄嗟に剣でそれを叩き落す。3度甲高い音が周囲に響き、グリムロックを狙ったその攻撃は全て未然に防がれた――かに思われた。

 次の瞬間、グリムロックの目が大きく見開かれる。その視線は、自分の胸に深々と突き刺さる黒いナイフに注がれていた。

 

「投げナイフってのは、こうやって使うんだ。覚えとけ」

 

 そう言って、PoHは軽快に笑う。同時にグリムロックはポリゴンになって砕け散って行き、それを最後まで見届けることなくラフィン・コフィンの面々は再び歩き出した。

 赤い飾り布をはためかせた派手な攻撃の陰に、黒く艶消しを施したナイフを忍ばせていたのだ。俺たちはまんまと目眩ましの攻撃に気を取られ、本命のそれを見逃した。

 どこか冷めた気持ちでその攻撃を分析していた俺の背後で、ヨルコが耳を衝くような悲鳴を上げる。次いで怒りに身を震わせたキリトが剣を構えて駆け出そうとしたが、それを予期していた俺は先んじてその前に立ちはだかった。

 

「ハチ……!」

「状況を考えろ……今は、無理だ」

「……くそっ!!」

 

 キリトの叫ぶようなその声が周囲に響く。やるせない苛立ちを含んだそれは、すぐに枯れた木々の間に溶けていった。それを感じ取りながら、俺も強く槍を握る。

 あの時と一緒だ。いや、むしろそれよりも悪化しているのだろう。俺はあいつを、殺すつもりで殺せなかったのだ。

 そんな無力感に苛まれながら、悠々と歩き去る奴らの背中を睨み付ける。いつかの日と同じように、俺は霧の中に消えてゆくそいつらの姿をただ見ていることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 10月16日。この日はおそらくSAOの中で1つの転機になったのだろう。

 グリセルダ、およびグリムロックの殺害。そして一部の攻略組との衝突。この一連の事件によって、殺人(レッド)ギルド笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の存在はアインクラッド中のプレイヤーたちに広く知れ渡ることとなったのだった。


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