やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

17 / 62
第16話 進展

 うだるような暑さの中、俺、比企谷八幡は槍を振るっていた。

 見渡す限りの砂漠、そのど真ん中だ。陽を遮るものなど何もなく、灼けるような日差しが地面を照り付けている。

 そんな中俺が対峙しているのは、体長2メートル弱の巨大なサソリ――《アーマードスコルピオン》その数3体。名前の通り鈍く光る黒い外皮は鎧のようで、刺突や斬撃に強い耐性を持っている。もちろんサソリというだけあって、長く伸びた尻尾の先は毒針仕様だ。かなり厄介な敵だと言えるだろう。

 

 3匹のサソリ全てのターゲットを取っていた俺は、砂に足を取られそうになるのを必死になって堪えつつ、何とか敵の攻撃を捌いていた。囲まれないように後退しながら、懸命に槍を振るう。状況を考えれば十分に善戦していると言えたが、全く攻勢には移れなかった。このままの調子で戦い続ければジリジリと追いつめられるだろう……まあ、ソロで戦っていたらの話だ。

 しばらく続いた攻防の後、俺は大きく槍を払って敵と距離を取った。しかし、3匹のサソリはすかさずこちらに追いすがる。それを確認し、俺はモブを挟んだ向こう側でこちらの様子を伺っていた2人のプレイヤー、キリトとアスナに視線を送った。それに気付いた2人が頷き、剣を構えてサソリの背中に跳びかかる。

 

 刃物に対してはかなりの強度を誇るサソリの装甲だが、当然隙間は存在する。頭と胴体のつなぎ目などがそれだ。打撃系の武器で装甲ごと叩き潰すという手段が取れない俺たちにとっては、その隙間を狙ってソードスキルを叩き込むというのが唯一有効な戦法となる。

 しかし俺たちがそれぞれ1対1になって向かい合ってしまうと、大きく突き出した頭が邪魔をして弱点が狙いにくい。そこで重要になってくるのがこの配置だ。俺がまとめてサソリのターゲットを取り、その隙に敵の後ろに回り込んだキリトとアスナが弱点を衝くという布陣になっている。今の2人の攻撃力ならソードスキル1発で敵を屠れるだろう。

 

 ちなみに俺がタンクを務めているのは、単純に細剣や片手剣に比べて槍の方が防御性能に優れているからだ。決して嫌がらせでモブを押し付けられているわけじゃない。……はずだ。え? 違うよね? ちょっと不安になってきた。

 

 と、俺がそんな無駄な思考を働かせてる間にも戦況は動いていた。横薙ぎに片手剣を振るうキリトと、半身になって細剣を突き出すアスナ。ソードスキルの光を宿した2人の剣が寸分違わずサソリの弱点にヒットし、それぞれ敵のHPを全損させた。残るは1匹。

 2匹のサソリがガラスのように砕け散っていく中、残されたその1匹はそこでピタリと動きを止めた。しかしそれも一瞬のことで、次いで甲高い奇声を上げたかと思うと、こちらへと向けていた体を反転させてキリトへと襲い掛かる。

 瞬間、俺は低く槍を構えた。間もなくソードスキルが発動するのを両手で感じ取りながら、突きを放つ。狙うは一点。頭と胴体のつなぎ目、その数センチの隙間だ。

 キリトたちのように寸分違わず――とはいかなかったものの、こじ開けるようにして何とか装甲の隙間を槍が貫く。そして一瞬の硬直の後、目の前のサソリはガラスのように砕け散って行ったのだった。

 

 一応周りにモブが居ないか確認した後、俺は一息ついて背中へと槍を収めた。キリトとアスナも同じように辺りを見渡して危険がないことを確かめると、剣を鞘に収めてゆっくりとこちらに歩いてくる。

 

「……ふぅ。2人とも、お疲れ」

 

 暑さに顔を歪めたキリトが、インナーシャツの裾をパタパタと揺らしながら口を開いた。いつも着ている黒っぽいコートの上に、さらにベージュ色をした防砂用のフード付きロングマントを重ね着している。かなり暑苦しい格好だが、まあこの砂漠フィールドでは必須装備なので仕方ない。砂嵐や強い日差しによるデバフを防ぐために、俺とアスナもいつもの装備の上に同様の物を羽織っていた。

 

「お疲れ様。やっぱりこの辺りの敵は厄介ね」

「サソリは火力でゴリ押し出来ないからな……。また湧いてきても怠いし、さっさと行こうぜ」

 

 アスナの言葉にそう答えながら、俺は周辺に目を移す。視界に広がるのは、見渡す限りの広大な砂漠だ。実際には見た目ほどの広さはないのだが、蜃気楼――というゲーム内設定――のために地平線まで続いているように見えるらしい。

 

 第37層。その東に位置する《貝櫓の砂漠》

 

 俺、キリト、アスナの3人は、ジョーの足取りを追うために雪ノ下との話し合いがあった日の翌日からこのフロアに訪れていた。エギルの話によると、この辺りの村でジョーと指輪の取引を行ったらしい。既にそれから10日以上も経っているのでジョーがまだこのフロアに居るのかは微妙なところだったが、他に手がかりもなかった俺たちはこの周辺を探索することになったのだった。

 

 俺たちがこのフロアに訪れてから、今日で3日目になる。砂漠フィールドには色々と厄介な敵が多いが、既に攻略済みということもあって難なく探索は進んでいた。まあ結論から言うと、結局収穫はなかったんだが……。砂漠に点在する小さな村は全て回ってみたが、ジョー自身はおろか目撃証言さえ見つからなかった。

 

 つーか今さらだけど、アインクラッドの中で人探しって結構ハードル高くない? 宿屋にログは残らないし、街に居るNPCにはそこまで立ち入った聞き込みは出来ないし……ドンピシャでジョー自身を見つけるしか方法がない気がするんだけど。

 それに仮にジョーが見つかったとしても、その後の問題もあるのだ。「話を聞きたいから一緒に来てくれ」と話しかけても、はいそうですかと事は進まないだろう。ゲーム内にはプレイヤーを拘束する手段はいつくかあるのだが、相手もこのゲームに精通した元攻略組のメンバーだ。そう易々といくはずがない。刺青の男や他の仲間と一緒に行動している可能性もあるとすればなおさらだ。

 

 何だか考えれば考えるほど不毛なことをしている気がしてきたな……。まあ俺が泣き言を漏らしたところでキリトとアスナが納得しないだろうから、やるしかないんだが。うわっ……俺のヒエラルキー、低すぎ……?

 

 まあ案の定というか何というかこの砂漠周辺の探索は既に空振りに終わり、現在俺たちは第37層の主街区へと向かっている所だ。マップをよく確認しながら、キリトとアスナを伴って歩を進める。この砂漠フィールドには道がない上に、かなり近くまで行かないと街も肉眼で見えない仕様になっているので迷いやすいのだ。

 マップで確認する限り、目的地までは歩いて10分くらいか。暑いし、モブが湧いてこなければいいなー、なんて思いながら歩いていると、不意に隣を歩くアスナが距離を詰めて来た。

 

「前から思ってたけど、ハチ君ってヘイト管理上手よね。本当はタンクの方が向いてるんじゃない?」

「……タンクっつーのはパーティメンバーありきの役割だろ。ぼっちの俺には向いてねえよ」

「ぼっちねぇ……。でも、あなた基本的にキリト君とコンビ組んでるじゃない」

 

 さりげなく距離を取りつつ俺がそう口にすると、再びこちらに詰めて来たアスナにそう突っ込まれた。まあ確かに最近俺のぼっち指数が低下しているのは自覚しているが……。

 

「……アスナ。ぼっちっていうのは環境の問題じゃなく、生き方の問題だ。例え集団の中に埋もれても、ぼっちたらんとする心意気さえあればそいつはぼっちなんだよ」

「何よその妙なプライド……」

「まあぼっち云々は置いといて、実際コンビ狩りで片方タンクやられても俺としては微妙だしな。このままの方がバランスがいいよ」

「ふぅん。そんなものなのかしら」

 

 俺のぼっち談義をさらりと受け流したキリトの言葉に、アスナはふむふむと頷いていた。なんか最近……というか結構前から、こいつら俺の扱いかなり雑になってるよね。もう小町並に俺のあしらい方が熟達してきてる気がする。

 

 さてそんなやりとりを交えながら歩くこと数分。幸い道中モブに遭遇することもなく、俺たちは目的の街へと到着した。

 

 第37層。主街区《マーファ》

 黄褐色の粘土で形作られた家々が並ぶ、飾り気のない街だ。路面はあまり整備されていないものの、東西南北をしっかりと区分けするように道があるので迷いにくい作りになっている。

 

 圏内ならば砂漠特有のデバフにかかることもないので、街に到着した俺たちはまず暑苦しい防砂用のマントを装備解除した。中学時代には1人自室でカーテンを羽織ってプチコスプレショーしたり、マントという物には多少の憧れを抱いたものなのだが……いざ今になって実際に装備してみると、暑苦しくて動き辛いだけだった。何だか物悲しい。これが大人になるってことか……。

 

 そんな寂寥の念を胸に抱きつつも、先をゆくアスナに続いて俺もマーファの街へと足を踏み入れる。東門から街に入った俺たちは、そのまま真っ直ぐ街の中央に位置する転移門広場へと向かって歩を進めた。このフロアでのジョーの探索はまだ終わっていなかったが、今日は一旦ホームに帰る予定なのだ。そこでアイテム補充や装備のメンテナンスなどを済ませ、また明日から、今度は西回りでこのフロアを回ることになる。この辺って厄介なモブが多いんだよな……。ちょっと鬱だ。

 

「あ、なあ。ハチ、これ」

 

 転移門広場へと足を踏み入れたところで、後方から声が掛かる。振り返ると、広場入口に置かれた掲示板の前でキリトが立ち止まっていた。アインクラッドに存在する大きな街の中には度々こういった掲示板が置かれており、その街で受注出来るクエストなどが掲示されていたりするのだ。一応手数料を払えばプレイヤーも掲示物を貼り付けることが出来るが、それを利用する人間はあまり多くない。

 

 掲示板の前で足を止めたキリトは、食い入るようにそれを見つめていた。何か気になるクエストでも見つけたのだろうか。そう思って俺がキリトの視線の先に目をやると、1枚の新聞の切り抜きが目に入る。《Weekly Argo》と銘打たれたその新聞の大見出しには、でかでかと『睡眠PKにご用心』と書いてあった。

 

「アルゴんとこの新聞か……」

「これって、多分ALFからの依頼よね? 睡眠PKについて注意喚起するって言ってたし」

「だろうな。ALFにも伝手があるのか、あいつ」

 

 アスナとそんなやり取りをしながら、その記事に目を通す。そこには先日新たに発見されたPKの手口《睡眠PK》について、その詳細と注意喚起を促す内容が綴られていた。加えて、小見出しには今までに見つかっているPKの手口が幾つか載せられている。《モンスターPK》に《カウンターPK》に《ポータルPK》に、今回見つかった睡眠PKか……。物騒過ぎだろ。やっぱり外は怖いな。引きこもりたい。

 

「ねえ、このポータルPKって何?」

 

 身を屈めてその記事に見入っていたアスナが、ややあってそう問いかけた。こういったことはキリトの方が詳しいのだが……と思いながらキリトに視線を向けると、当の本人は未だアルゴの新聞を読んでいて話を聞いていない様子だったので、代わりに俺がその質問に答えることにする。

 

「そこに書いてあるだろ。回廊結晶の出口を最前線の迷宮区とかモンスターが多い場所に設定して、殺したいプレイヤーをゲートに放り込むんだ。まあ確実性は低いし、馬鹿高い回廊結晶使ってそんなことする奴は――」

 

 ――回廊結晶?

 

 自分で口にしたその言葉に、俺は何か引っかかりを覚えた。

 回廊結晶――任意で登録した座標に、プレイヤーを送り込むことが出来る消費アイテムだ。制約付きのどこでもドアーだと思えば分かりやすいだろう。ボイスコマンドを唱えたプレイヤーだけが移動する転移結晶と違い、ワープゲートを設置するタイプのアイテムなので1度に大人数が移動できる。もちろんワープは一方通行だ。

 

「なるほどね。……って、あれ? ハチ君どうしたの?」

 

 突然黙り込んでしまった俺の様子を訝しみ、アスナが首を傾げてこちらをのぞき込んだ。しかし1人思索に耽っていた俺はそれに取り合うことなく、キリトへと視線を向ける。

 

「……なあ、キリト。回廊結晶の位置登録って、圏内でも出来たよな?」

「ん? ああ。確か特に制限はなかったような気がするけど、それがどうかしたのか?」

 

 突然の質問に、その意図を理解しかねた様子で2人は俺の顔を見つめた。その訝し気な視線から俺は反射的に目を逸らしつつ、再び思考を巡らせる。

 回廊結晶。殺されたグリセルダ。事件の裏にちらつくジョーの影。そんな雑多な事象が、俺の頭の中で少しずつ繋がりを持ち始めた。

 

「確信はない。でも、もしかしたら……ジョーがグリセルダ殺害にどう絡んでるのか、見えて来たかもしれない」

 

 長い沈黙の末、俺は思考を垂れ流すようにそう呟いた。その言葉に続いて、隣に立つキリトとアスナが呆けたように声を上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日早朝。第1層、始まりの街。

 10月も下旬に差し掛かり、大分肌寒さを感じるようになってきた街の中を、俺、キリト、アスナの3人は並んで歩いていた。アインクラッドには1年中気候が固定されている層もあるが、大体はこの第1層のように四季が移り変わっていく仕様になっている。

 ちなみに早朝とは言いつつもそこまで早い時間ではないのだが、ゲーマーというのは往々にして活動の時間帯が夜に偏っていく生き物だ。体感的には朝5時くらいに思える。始まりの街はアインクラッドの中でもプレイヤー人口の多い場所だが、やはりまだ大多数のプレイヤーは活動時間を迎えていないようで通りに人はほとんど見かけなかった。

 

 では何故俺たち3人はこんな朝から外を出歩いているかと言うと、日課の朝練を終えて帰るところだからだ。朝練というのは実戦形式の模擬戦のようなもので、第1層に戻ってきている間だけだが一応毎日欠かさず行っている。俺1人だったら確実に三日坊主……どころか、やろうとも思わなかっただろうが、キリトに参加すると約束してしまった手前重たい瞼をこすってなんとか参加している。まあ実のところ毎度キリトに叩き起こされて強制的に参加されられているんだが……。

 

 いつもは俺とキリトの2人だけの訓練だが、今日はアスナも参加している。彼女は昨日からうちのギルドホームに泊まっていたので、朝出かける俺たちを見かけて付いてきたのだ。恨めしそうな顔で「今まで2人でそんなことしてたのね……。私も誘ってくれればよかったのに」などと口にしていたので、ならばとキリトとの朝練はアスナに譲って俺は二度寝でもしようかと思ったのだが、2人にダブルパンチをくらって強制参加を余儀なくされた。解せぬ。

 

 さてそんな経緯で訓練所に赴き、1時間ほどの朝練を終えたので俺たちは一旦ギルドホームに帰るところだ。いつもは模擬戦で戦績の悪かった奴が朝食を奢る取り決めなのだが、泊めてくれたお礼にと今日はアスナが何か作ってくれるということで直帰コースとなっている。施しを受けるのは嫌いだが、お礼と言うのなら吝かではない。今日の模擬戦はキリトとアスナにボコボコにされたので、ありがたくご馳走になるとしよう。

 

「ハチ君さ、何か今日調子悪かった? 模擬戦の時、動き鈍かったけど。手加減してた……とかじゃないよね?」

 

 道すがら、アスナがこちらに目をやりながらそんなことを口にした。こいつ、皮肉とか嫌味とかじゃなくて本気で言ってるんだろうな……。むしろ今日は目覚めも良くて調子が良い方だったし、もちろん手加減もしてない。

 

「お前さ、キリトとか自分基準で考えてるだろ……。自分で言いたかないけど、単純に実力の差だ。つーか地味にへこんでるんだから、追い打ちかけんなよ……」

「え、でもいつもと動きが全然違ったよ?」

「いつもって、それモブ狩ってる時の話だろ? プレイヤーを相手にするのとじゃ勝手が全然違うっつーの」

「それはそうだけど、それとはまた別っていうか……」

 

 俺の返答に対しアスナは何やら納得がいかない様子で首を傾げていたが、結局続く言葉が見つからなかったようで黙り込んでしまう。こいつは何がそんなに引っかかっているのだろうか。そう疑問に思った俺も同様に首を傾げたが、しかしそれを横から見ていたキリトがアスナの言葉を継ぐように口を挟んだ。

 

「多分だけど、ハチは考え過ぎなんだよな。どこから攻めるのが効果的か、とか、攻撃を受け止めるべきか、弾くべきか、避けるべきか、とか。最善を模索し過ぎて、逆に動きが遅れてる感じ。実践だとそんなことないんだけど、こういう模擬戦だと逆に考える余裕があるから」

「あー……なるほど。確かにそれはあるかもな」

 

 頷きながら、キリトの言葉を反芻する。その言葉は俺にとって意外なほど腑に落ちるものだった。この朝練を始めた最初の頃はキリト相手にもそれなりに善戦出来ていたのだが、何となくキリトの動きが目で追えるようになり、矛を交えながらも色々と考える余裕が出てきてから逆に勝率が落ちていったのだ。今までは単純にキリトが急成長を遂げたものだと思っていたのだが、原因は俺の方にあったのかもしれない。

 

「一種のスランプってこと?」

「んー、ちょっと違うんじゃないか? これは剣道やってた祖父ちゃんからの受け売りなんだけど――『稽古で迷いに迷って失敗するからこそ、実践では迷いなく最善の手を選ぶことが出来る』んだってさ。狩りの動きとか見てると、特訓の成果は出てると思うよ」

「ふぅん……。よく見てるのね、ハチ君のこと」

 

 祖父が剣道をやっていたとすると、その影響でキリト自身も剣道をやっていたりしたんだろうか。そう考えればあの尋常ならざる剣捌きも少しは納得できるかもしれないな――などとキリトの話を聞き流しながら俺が考えていると、何やら含みのある表情のアスナがそう呟いた。海老名さんが聞いたら卒倒しそうな台詞だ。まあ当然こっちにその気はないので、変に勘ぐられないうちに話題を変える。

 

「ところでお前ここんとこずっとこっちにいるけど、ギルドの方は大丈夫なのか? 仮にも副団長様だろ?」

 

 カインズとヨルコに会ってからここ数日の間、アスナは血盟騎士団とは別行動を取って俺たちとジョーの捜索を行っていた。一時的ではあっても副団長の戦線離脱は血盟騎士団の中で反発があるかと思ったのだが、案外器の大きい人物なのかヒースクリフからはあっさりと許可が下りたらしい。しかしさすがにここまで長丁場になるのならば少し考え直さなければならないだろう。

 俺の問いに対しアスナは「仮にもは余計よ!」とこちらを軽く睨み付けてから改めて口を開く。

 

「団長とは何度もメッセージのやり取りをしてるし、今のところ問題ないわ。一応40層のボス部屋が見つかったら一旦戻るつもりだけど」

「40層か……俺とハチは迷宮区の浅いところでレベリングだけ済ませちゃったけど、探索の方は進んでるのか?」

「昨日の夜に聞いた話だと、そろそろボス部屋が見つかりそうな感じだって。早ければ今日にも見つかるんじゃないかしら」

 

 キリトの問いに、アスナがそう答える。ボス部屋が見つかれば、アスナだけではなく俺たちも最前線に戻らなければならないだろう。黄金林檎やジョーの件も放置できる問題ではないが、俺たちの最大の目的はSAOからの脱出なのだ。正直どこにいるかも見当がつかない容疑者を、いつまでも探しているわけにもいかない。

 

「ん? あれヨルコさんとカインズさんじゃないか?」

 

 歩を進めながら、キリトがそう言って前方を指差す。そちらに視線を移すと、風林火山のホームの目の前で談笑するヨルコとカインズの姿があった。すぐに2人もこちらに気付いたようで、こちらに向き直って軽く頭を下げる。

 

「おはよう。どうしたんだこんな時間に?」

 

 先頭を歩いていたキリトが、2人にそう声を掛ける。俺はというと、ヨルコとカインズの存在に気付いてからすぐにさりげなくキリトの後ろに身を顰めていた。まあ、俺なりの処世術だ。会話をする上で立ち位置というのは存外重要なもので、少し輪から外れるだけであら不思議、かなり存在感が薄くなる。これでさらにシステムウインドウでも弄っていれば完璧だ。大抵の会話には参加しなくて済むようになる。一種のミスディレクションだな。

 そんな俺の思惑など露知らず、キリトと軽く挨拶を交わしたカインズとヨルコが口を開く。

 

「聴取の方が一旦落ち着いてね。今日は一度17層の家に帰ろうと思ったんだが、その前に君たちに挨拶をしておこうと思って」

「まだ事件が解決したわけじゃないですけど……皆さんのお蔭でやっと手がかりが掴めました。それにハチさんには最初に会った時に失礼なこと言っちゃいましたし……お詫びとお礼を兼ねてと思いまして」

 

 ヨルコがそう言いながらこちらに視線を寄越す。おい、俺のミスディレクション開始数秒で見破られてんじゃねえか。

 1人輪から外れてシステムウインドウを弄りながら我関せずと言ったスタンスを取っていた俺は、突然話題を振られたことに内心びくつきつつも努めて冷静に言葉を返す。

 

「あー……いや、そういうのは別にいい。実害があった訳じゃないし、結局問題はALFの方に丸投げしただけだし」

「いえ、それでも私たちは助かったんです。本当にありがとうございました。それと、色々とご迷惑をお掛けしてすみませんでした」

 

 俺の言葉は謙遜でも何でもなかったのだが、ヨルコとカインズはそう言って頭を下げた。律儀な奴らだな、と思いつつ俺はそれに適当に頷いて返し、今度こそ会話の輪から外れようと視線を外す。そんな不愛想とも取れる俺の態度を横目に苦笑いを浮かべていたキリトが、ややあって真剣な顔になって口を開く。

 

「そういえばさっきホームに帰るって言ってたけど……出歩く時は気を付けろよ。この事件、色々きな臭いことが多いからな」

「ああ、分かってる。今日は少し用事があるんだが……十分注意しよう」

「用事?」

 

 カインズの言葉に、アスナが露骨に訝しむような顔で問い返した。まあ気持ちは分かる。このタイミングで用事なんて色々と不穏なフラグの匂いがプンプンしてくる。そんな俺たちの危惧を知ってか知らずか、カインズは頷きながらその質問に答えた。

 

「黄金林檎の元メンバーでグリムロックという男がいるんだが……グリセルダが生前好きだったフィールドに墓を建てたそうなんだ。まあ、形だけだが」

「今日はグリムロックさんと一緒にそのお墓に行く予定なんです」

 

 死んでも死体の残らないSAOの世界だが、墓を建てるという行為は割と一般的だったりする。供養のためなのか、故人を偲ぶためなのか……。ちなみにシステム的に墓を建てるという行為が出来る訳ではないので、大体何か代用品を故人の墓に見立てていることが多い。

 そういう訳でSAOの中で墓参りというのも、それほど不自然な要件ではない。だが、先ほどカインズは「フィールドに墓を建てた」と言った。つまりその場所は圏外であり、PKの恐れもある。普段であればそれほど警戒する必要もないだろうが、このタイミングでということが気にかかった。それはアスナも同じだったようで言いづらそうに再び口を開く。

 

「こう聞いてはなんなんだけど……そのグリムロックって人は信用できるのかしら?」

「それは大丈夫です。グリムロックさんが犯人だなんてありえません」

 

 問われたヨルコは躊躇うことなくそう言い切った。何故そこまで信用できるのかと逆に俺が訝しんでいると、補足するようにカインズが口を挟む。

 

「グリムロックとグリセルダの2人はゲーム内で結婚していたんだ。本人から直接聞いたわけではないが……現実世界でも親密な関係のようだった。グリセルダが死んだと知った時のあいつの落ち込みようは見ていられなかったよ」

 

 婚姻システム。自分には全く縁のないものだったのでどういった効果が得られるのかまでは知らないが、そういったシステムが存在することだけは聞いたことがある。SAOではアバターがリアルの自分に即したものだし、脱出する手段がない以上、このSAOの世界が今の俺たちにとっての現実だ。だからゲーム上の婚姻とはいえそれほど気安いものではないはずだし、現実世界でも知り合いだったというのなら実際に夫婦関係だった可能性もあるかもしれない。まあそれも推測の域を出ない話だが、2人にそれなりの信頼関係があったのは確実だろう。

 

「……夫婦関係だったからって、無条件で信用するのはどうかと思うぞ。むしろ、近しいからこそ許せないこととかあるだろ」

 

 思わず、口を出していた。血の繋がった家族でさえ時にはすれ違い、いがみ合うのだ。ましてや夫婦など元は赤の他人だし、男女の仲というのは往々にして複雑なものだ。夫婦仲が拗れて事件に発展、なんてのはよくある話だろう。いや、そんなに語れる程ちゃんと恋愛なんかしたことないんだけど。

 

「……君の言っていることも理解はできる。だが、それでも俺たちはグリムロックを信じたいんだ」

 

 俺の無神経な言葉にも気分を害した様子はなく、カインズは真摯な顔でそう答えた。隣のヨルコも同意するように頷く。本人たちがそう言うのなら、他人がとやかく口を出す問題ではないだろう。そう思い、俺はそれ以上の言及を控えた。

 人間関係に絶対などない。あるのは絶対と信じたい自分の心だけだ。リスクを承知でその気持ちに身を委ねるなら、その関係はきっと本物なんだろう。

 

 その後、いくつかのやり取りを交わしてヨルコとカインズは去って行った。街の中心部に消えてゆく2人の後姿を見送った後、俺たちもすぐに自分たちのホームへと帰宅したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルドホームでアスナの用意してくれた朝食を食べ終えた俺たちは、軽く休憩を挟んでから第34層で経営しているというサチの店に向かった。正確に言えばアスナの知り合いである女鍛冶師と共同経営をしているそうだが、その相手とはまだ話したことがない。というか1度店で見かけたことはあるのだが、ピンク髪ショートの若干ビッチ臭がする女プレイヤーだったのでなるべく関わらないようにしている。確実に俺とは合わないタイプの人間だ。いや、俺と合うタイプの人間なんてほとんどいないんだが。

 

 幸い今日は件の女鍛冶師は留守にしており、午前中だったからか他の客の姿もなかったので気兼ねなくサチに装備品のメンテナンスを頼むことが出来た。ちなみに鉄製の武具は攻略組での需要が高く、それをあてにした中層の鍛冶屋も良く上層の方まで出張してくるので、俺たちの武器やアスナの軽鎧などのメンテナンスは既に済んでいる。

 

 そして小1時間ほどでサチによる装備の修繕も済んだので、次は消耗品の補充かとキリトたちと相談していた時のことだ。システムウインドウの右上に、新着メッセージを知らせるアイコンが点滅していた。事件捜査の進展を告げる雪ノ下からのメッセージが、俺たちの下に届いたのだった。

 

 

 

 

「シュミットが白状したわ」

 

 前置きなどはせず、雪ノ下はそう切り出した。先日、ヨルコやカインズと共に案内されたALFの応接室だ。今日は俺、キリト、アスナの3人しか居ないため、部屋が少し広く感じる。若干の居心地の悪さを感じながら、俺は用意された紅茶に手を付けつつ雪ノ下の次の言葉を待っていた。

 本格的な事件の捜査は全てAFLに任せていたが、一応進行状況などはこちらにも逐一連絡が入っている。昨日の時点の話では、ほとんどの黄金林檎の元メンバーには特に怪しいところもなくアリバイも堅いので既に事情聴取も済ませて保釈したそうだが、シュミットについては証言に一貫しない部分も多く未だ勾留中ということだった。多分この数日の間、雪ノ下にこってり絞られたんだろう。考えただけでも胃が痛くなる話だ。俺だったら1日でノイローゼになる自信がある。

 

「少し癪だけれど、概ねハチ君の推測通りと言ったところだったわ。あなたの情報がなれけばもう少し手間取っていたでしょうね」

 

 情報というのはおそらく昨日俺がメッセージで送った内容のことだ。キリトやアスナとの会話で気付いたことを、何か捜査の手助けになればと雪ノ下に伝えておいたのだ。まあ情報とは言っても確信はなく、単なる思い付きに近い話だったのだが、そこからすぐにシュミットの証言を引き出すあたりはさすが雪ノ下といったところか。こんなことを一晩でやってのけるのはジェバンニと雪ノ下くらいだ。

 そんなくだらないことを考えている俺を尻目に、雪ノ下の話に食いついたキリトが身を乗り出して口を開く。

 

「やっぱり回廊結晶を使った手口だったのか?」

「ええ。少しかまを掛けてみたら青い顔をして色々話してくれたわ。ただ、どこまで信用していいのか判断に困る部分もあるのだけど……」

 

 そこで一旦言葉を切り、雪ノ下は少し言葉を探すように沈黙した。ややあって、シュミットの証言を順を追って語りだしたのだった。その概要はこうだ。

 

 グリセルダが神速の指輪を売りに最前線へと行くことが決まったその日、シュミットはギルドの共有ストレージに自分宛てのアイテムを見つけたらしい。それは回廊結晶と一通の手紙だった。手紙にはこう記してあったそうだ。

 ――指輪を盗んで、売った金を2人で山分けしないか? この話に乗るなら、グリセルダの泊まる宿を訪ねて彼女に気付かれないように回廊結晶の位置登録をして欲しい。位置登録を済ませた回廊結晶を共有ストレージに入れておいてくれれば、後はこちらで何とかする。

 馬鹿な話だが、シュミットはこの話に乗ってしまったらしい。彼が手紙の指示通りに動いた結果、グリセルダは殺され、後日指輪を売って手に入ったであろう大金が彼のもとに送られてきたそうだ。殺人の片棒を担いでしまったという事実に怖くなった彼は、今までそれを黙っていたらしい。

 

「それから彼は『こんなことになるなんて思ってなかった』『殺すつもりなんてなかった』と繰り返しているわ」

 

 そこで雪ノ下の長い語りが終わり、部屋に静寂が降りる。

 雪ノ下の言った通り、確かにどこまで信じていいのかよくわからない話だ。実際にはシュミットが主犯で、罪を逃れるために適当な嘘を言っているというパターンが1番丸く収まるのだが……どうにもそれも腑に落ちない部分が多い。

 シュミットの証言については各々思うところがあったようで、しばらくキリトもアスナも頭を抱えるようにして何か考えていた。やがて困ったような顔で頭を掻いたキリトが沈黙を破る。

 

「色々と反応に困る話だけど……とりあえず、犯行に回廊結晶が使われた可能性は高いって考えていいのかな」

「ええ、それについては同意見よ。よくもまあこんな方法を思い付くものだわ。きっと犯人は相当性格が捻くれているのでしょうね」

「……おい。こっち見んな」

 

 雪ノ下が何やらこちらを揶揄するような視線を送ってきた。いや、確かに気付いたのは俺だけども。

 宿屋の一室を回廊結晶の出口として位置登録を行っておき、夜寝静まった頃にそれを使用して忍び込むという方法。これならば例えドアの開錠設定が利用者以外開錠禁止となっていたとしても難なく部屋に入ることが出来る。グリセルダと顔見知りのプレイヤーだったら泊まっている宿を訪ねるのは不自然なことではないし、回廊結晶の位置登録は簡単なボイスコマンドだけなので宿主に気付かれないように済ませることもおそらく可能だ。

 昨日のポータルPKについての会話からヒントを得てその方法に思い至った俺は、その日のうちにそれを可能性の1つとして雪ノ下に伝えておいたのだ。結果ズバリ予想が的中したという形になったが、正直あまり嬉しくない。事件の複雑さが増しただけだ。

 

「でも、その話ってどこまで信用できるのかしら……」

 

 そこで、当然の疑問をアスナが口にする。ここに来てから事件の形相が二転三転しているのだ。正直何を信じていいのか良くわからなくなってくる。

 だが、俺自身はシュミットの証言は多少信用してもいいのではないかと考えていた。決してシュミットという人間を信用しているわけではないが、話を聞く限りにひしひしと感じるそいつの小物臭からは、こんな事件の黒幕を出来るような印象は受けない。

 

「……案外、全部本当だと考えると辻褄が合うけどな。ジョーのことを考えれば少なくとも1人は共犯がいるわけだし、回廊結晶を使ったんだとすればシュミットが事件当時にアリバイを作るのは簡単だったはずだ。なのにそれがないってのは逆におかしい」

 

 俺の話を、3人は否定も肯定もせずに黙って聞いていた。こちらを見つめる雪ノ下とアスナの視線から目を逸らしつつ、俺は更に言葉を続ける。

 

「それにそのシュミットって奴も色々と間抜けっぽいしな……。こんな手間のかかってる事件の主犯だってよりは、騙されて利用されたって方がまだ納得できるぞ」

 

 事件の主犯だと考えればアリバイを作っておかなかったことを含めて、ここまでの立ち回りが間抜け過ぎる。そんな奴がこんな手の込んだ事件を起こすことが出来るだろうか。真犯人に利用されたと考える方がまだ説得力がある気がする。

 指輪を盗み出す話を持ち掛けられた時にバックレられる可能性を考えなかったのか、とか色々思う部分もある。俺だったら確実にそんな話には乗らないし、金が欲しいだけだったら回廊結晶だけ受け取ってバックレた方が手堅いしリスクもないのだ。だがそれもシュミットがそんなリスク計算も出来ないアホの子だったと考えれば説明が付いてしまう。アホなおっさんとかマジで誰得だよって話だが。

 最終的にはそんな身も蓋もない推理になってしまったが、それなりに説得力はあったようで向かいに座る雪ノ下は瞑目してゆっくりと頷いた。

 

「あなたの考えには概ね同意するけれど、今ここで判断を下すつもりはないわ。ひとまず多方面から調査するつもりよ」

「まあ、それが妥当だな」

 

 雪ノ下の言葉に、こちらもそう言って相槌を打つ。俺としてもこんな無茶な理論を強弁するつもりはなかったし、現時点では雪ノ下の判断が正しいだろう。

 

「けど仮にシュミットの話が本当だと考えてみると……やっぱり他の黄金林檎の元メンバーの中に主犯がいるってことになるんだよな。ユキノさん、それらしい奴に目星とかついてるのか?」

「聴取では怪しい人物は見つけられなかったわ。だからこれからはまず回廊結晶の流通経路から調べていくつもりだけれど――」

「ああ、そのことなら」

 

 そう言って、キリトが雪ノ下の言葉を遮った。システムウインドウを呼び出す動作をしながら、話を続ける。

 

「一応俺らの方でエギルって奴に頼んで、その辺りのことは探ってもらってる。まあ昨日メッセージ送ったばっかだからまだ時間掛かるだろうけど」

「エギルさん――アインクラッド商人組合のギルドマスターね。そんな人に伝手があるなんて、キリト君とアスナさんは顔が広いのね」

「おい。しれっと俺を除外すんな。俺も一応フレンドだから」

 

 さすがユキペディアさん。SAOの中にいるプレイヤー全員把握してるまである。……とか適当なことを考えていたら、何やら遠まわしな嫌味が飛んできた。何かちょいちょい会話中にジャブ打ってくるなこいつ。そろそろボディーに効いてきたんですけど。

 

「……お。噂をすれば、エギルからの連絡だ」

 

 俺がげんなりした気分で雪ノ下に視線を送っていると、隣のキリトがシステムウインドウを弄りながらそう呟いた。エギルから届いたらしいメッセージに目を通しながら、さらに言葉を続ける。

 

「仕事が早いな。とりあえず事件前の1ヶ月間で回廊結晶を買ったプレイヤーをリストアップしてくれたみたいだ。組合に所属してる商人だけの話だからこれが全部じゃないみたいだけど――なっ!?」

 

 何かに気付いた様子のキリトが驚愕の声を上げ、メッセージウインドウをスクロールしていた指先を止める。驚きに目を見開いたキリトの横顔を一瞥し、俺はメッセージインドウを覗き込んだ。

 

「……どうした?」

「これ……!!」

 

 言いながら、キリトは震える指先で何かを差す。訝しみつつ俺がその先に視線をやると、リストアップされたプレイヤー名が羅列される中、見覚えのある名前が目に入った。

 

 ――Grimlock


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。