やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

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第10話 第25層攻略 part6

 翌日早朝、第25層の迷宮区手前の街に集合した俺たち攻略組は、4つのグループに分かれて街を出立した。迷宮区の狭い通路などでは48人ものプレイヤーたちが一緒に行動すると返って危険なため、2パーティずつ少し間隔を空けて移動するのがボス攻略前の基本となっている。

 ボス部屋までの道のりは途中セーフティゾーンで休憩も挟みながら行けば2時間弱といったところか。ルートの安全性もしっかりと考えられているので、危険はないだろう。

 

 俺とキリトは今、第2グループでフィールドを歩いていた。リンドは居なかったが、周りはほとんどDKBのプレイヤーだ。当然その中で俺たちは少し浮いた存在なので、適度に他のプレイヤーとは距離を取りながら歩く。

 道中のモブは第1グループが狩り尽くしているため戦闘になることはほとんどなく、俺とキリトはのんびりと談笑しながら歩を進めていた。始めの頃はボス部屋までの道のりもガチガチに緊張して歩いたものだったが、その経験も5回を超えた頃からそれほど気負わなくなってきた。今回のボス戦は今までのものより不安要素が多いが、俺は意識してそれを考えないようにしている。思い詰めたところで動きが鈍くなるだけだ。

 キリトも俺と同じように考えているのか、その足取りは軽い。迷宮区までの道のりはごつごつとした岩肌を晒した火山フィールドだったが、足場の悪い山道を軽快に上っていた。

 たわいないやり取りをしながら迷宮区を目指して順調に歩を進める俺たちだったが、その途中、俺の前を歩くキリトが何か思い出したようにこちらを振り返った。

 

「そう言えばハチ、昨日の昼どこ行ってたんだ? 珍しく出かけてたよな?」

 

「あー……あれはちょっと野暮用というか……」

 

 キリトの問いに、俺は目を逸らしながら言葉を濁す。

 昨日の昼と言えば、雪ノ下に会いに行っていた時のことだろう。別にキリトに対して後ろめたいことは何もないのだが、わざわざ自分の黒歴史を語りたくはなかった。色々と吹っ切れたのは事実だが、正直昨日の一件は思い返すと転げまわりたくなる。

 しかしキリトは煮え切らない俺の態度を深読みしたようで、胡乱げな眼差しをこちらに向けて来た。

 

「……何だよ。また何か企んでるのか?」

 

「いや、今回はマジでそんなんじゃない。俺の個人的な用事だ」

 

 これ以上勘ぐられることのないように、俺ははっきりとそう告げる。しかしキリトは俺に向ける胡乱げな眼差しをやめようとはせず、ため息交じりに言葉を返した。

 

「ハチは前科もあるし、イマイチ信用出来ないんだよなぁ……」

 

 先日の一件から、どうやらキリトの中における俺の信用度はガタ落ちしているようだった。血盟騎士団について黙っていたことについてはその後、キリトに加えてクラインとトウジにもネチネチといびられて頭を下げたのだが、未だに根に持っているらしい。

 まあ俺としてはあの時キリトとトウジくらいには話しても良かったのだが、人を選んで線引きすると後々トラブルになりそうだったので結局誰にも話さないことを選んだのだ。ちなみにクラインに話すという選択肢はなかった。悪い奴ではないが、秘密の保持とかそう言う点では正直全く信用していない。 

 

「この前の件についてはちゃんと謝っただろ。まだ根に持ってんのかよ……。小さいこと気にしてると碌な大人にならないぞ?」

 

「その台詞、ハチに言われるのだけは何か納得いかないんだけど……」

 

 俺が諌めるように言うと、キリトは渋々ながらもそれ以上の言及はやめたようだった。

 それに一息ついて顔を上げると、いつの間にか他の第2グループのメンバーと大分距離が開いてしまっていた。少し話に集中し過ぎたようだ。

 俺はキリトを促して少し歩を速め、先行するプレイヤーたちの後を追った。

 

 

 途中で数分セーフティゾーンで休憩を挟み、1時間ほど歩き続けた俺たちはようやく迷宮区の入り口に到達した。

 第25層はその北3分の1ほどを火山フィールドが占めるのだが、その巨大な火山の真ん中を貫くように迷宮は存在している。外観は綺麗な円柱になっているが、その内部は入り組んだ洞窟のようになっており、時折壁から突き出した燭台に松明がかけられているのみで薄暗く、視界は良くない。俺たちは警戒心を強めつつ、さらに歩を進めて行った。

 迷宮区の内部へと足を踏み入れても、相変わらずモブとはあまりエンカウントしなかった。ここでは巨大なトカゲや羽虫のようなモブが結構な数沸くのだが、おそらく第1グループが徹底的に狩り尽くしているのだろう。

 とはいえここはフィールドよりも見通しが悪く、警戒は怠るべきではない。物陰にモブが潜んでいる可能性もあった。ボス部屋も刻々と近づいていたので、若干緊張感を増しながら俺たちは慎重に迷宮の奥へと進んで行く。

 迷宮内は複雑な構造になっているが、正しいルートさえ分かっていればボス部屋まではそう時間はかからない。ここから順調に行って2、30分というところか。

 その頃になるとさすがに周りのプレイヤーたちの口数も少なくなり、俺とキリトも黙々と歩いていた。しかし、ボス部屋まであと少しというところで、キリトがおもむろに口を開く。

 

「……なあ、ハチ。本当にアレ使うつもりなのか?」

 

 そう言って俺に目を向けるキリトの顔には、懸念の色が滲み出ていた。曖昧な問いかけだったが、その表情から俺はすぐにキリトの意図を察した。

 俺はこの第25層のボス戦に向けて、1つ奥の手を用意していた。キリトが言っているのはそれのことだ。まあ用意していたと言うよりもたまたま発見したというのが正しく、正直どれだけ効果を発揮するかも怪しいネタのような手段なのだが。

 

「まあ最後の手段って奴だな。使わないに越したことはないが……レッドゾーンに入った時のボスの動き次第だ」

 

 今回のボス攻略で俺たち攻略組が最も危惧しているのは、ボスのHPが残り少なくなり、ゲージが赤くなった時のことだ。俺たちはそれをレッドゾーンと呼んで常に警戒していた。今までの全てのフロアボスはレッドゾーンに入ると同時にその行動アルゴリズム、または技の攻撃範囲や威力などを変化させている。今回も例外ではないだろう。

 攻略組のプレイヤーたちは、このボス戦に向けて連携を磨いてきた。慢心するわけではないが、余程のことがない限りそれが崩れる可能性は低い。だから不測の事態が起こるとすれば、おそらくはボスが新たな動きを見せるその時だ。

 

「……下手すれば、死ぬぞ?」

 

「……どっちにしろリスクは避けられねぇんだ。大丈夫だ、上手くやる」

 

 横で呟くキリトに、俺は目も合わせずそう答えた。雪ノ下との約束もあるし、当然死ぬつもりなどはなかったが、リスクを恐れていては結果は得られない。キリトもそれは理解しているので、食い下がりはしなかった。

 

「まあハチが言っても聞かないのはわかってるよ。けど、せめて1人では突っ走るなよ?」

 

「わーってるよ。そん時はお前も道連れにしてやる」

 

 重苦しい雰囲気を変えるように俺が少し茶化してそう言うと、キリトは不敵な笑みを浮かべ、迷うことなく頷いた。

 

 

 それから間もなくして、俺たちはボス部屋の直前にあるセーフティゾーンに到着した。迷宮区では必ずボス部屋付近にセーフティゾーンが用意されているので、ボス攻略の際、先行していたグループはそこで他のプレイヤーたちを待つことになる。

 俺たち第2グループがセーフティゾーンとなっているその小部屋に入ると、先に到着していた第1グループが目に入った。リンドを含めたDKBのメンバーと、ヒースクリフが率いる血盟騎士団の2つのパーティだ。ちなみにアスナは後続の第3グループに配属されている。

 そこで点呼を取った後、俺とキリトは自然と他のプレイヤーと距離を取った。おそらく全員が揃うまでは後10分ほど掛かるだろうが、その間DKBや血盟騎士団の連中と一緒に居ても気まずいだけだ。奴らも積極的にこちらに関わって来るようなことはないだろう。

 しかしそんな予想を裏切って、間もなく1人のプレイヤーが俺たちに接触してきた。

 

「やあ、ハチ君。キリト君」

 

「……ども」

 

 不審に思いつつも、俺は目の前に立つ男――ヒースクリフに挨拶を返した。キリトも横で軽く会釈をしている。

 血盟騎士団の面々は初めてのボス攻略ということもあってかDKBのメンバーなどと比べて少し緊張しているように見えたが、目の前に立つヒースクリフは随分と余裕な様子だ。ギルドマスターの貫録という奴だろうか。取り巻きさえ連れず、朗らかな笑みを浮かべてそこに立っている。

 

「それで、何か用か?」

 

 正直あまり関わりたくない相手だったので、簡潔に用向きを済ませて貰おうと俺はそう問いかけた。先日の一件もあるし、何か嫌味でも言われるのかもしれない。しかしそんな俺の予想に反し、目の前に立つ男は意外な言葉を口にする。

 

「いや、決戦の前に君に一言礼を言っておこうと思ってね」

 

「……礼?」

 

 訝しみながらそう問い返す俺に対し、ヒースクリフはゆっくりと頷いて更に言葉を続ける。

 

「今回私たち血盟騎士団が攻略組に合流することが出来たのは、君のお膳立てがあったからだ。自力でもいつか攻略組入りは果たすつもりだったが、これほど早くそれが叶うとは正直予想外だった」

 

「何だよそれ……嫌味かよ」

 

 ヒースクリフの言葉に、俺はげんなりとした気分でそう言い返した。俺がヒースクリフに決闘で負けたことで血盟騎士団の攻略組入りがスムーズにいったのは事実だったが、正直それについて礼を言われたとしても皮肉にしか感じない。

 しかし更に続くヒースクリフの言葉を聞いて、俺は息を詰まらせた。

 

「……私が何も気付いてないとでも思っているのかい?」

 

 囁くヒースクリフの顔は、不敵に笑っていた。それはまるで全てお見通しだ、とでも言いたげな表情だった。

 先日の血盟騎士団結成については裏で色々と画策していた俺だったが、ヒースクリフとは一切接触していなかったのだ。絶対に気付かれていないだろうと思っていた俺にとってその言葉は完全に不意打ちだった。

 俺のような奴が裏で手を回していたことが知れれば、計画が上手くいかないかもしれない。そう思って俺は散々とアスナには口止めしておいたし、だからあいつから漏れたということはないだろう。どこかで俺の動きを察知したのか、それとも決闘で俺が本気を出していなかったことに気付いたのか……どちらにしても、食えない奴だ。

 

「まあ、認めないのならばそれでもいい。だが、これは借りだ。近々恩は返させてもらうよ」

 

「よくわからんが……まあ、期待しないで待ってる」

 

 俺の暗躍については特に思うところもなさそうで、至極楽しそうにヒースクリフはそう言っていた。とりあえずトラブルには発展しそうになかったので、俺は安堵しつつ適当に頷いたのだった。

 

 

 そんな予想外の出来事に肝を冷やした俺だったが、ボス攻略の時は刻一刻と迫っていた。その後間もなく第4グループまでが合流し、48人のフルレイドを完成させた俺たちはすぐに迷宮の最奥、ボス部屋へと向かった。

 ここからボス部屋は目と鼻の先だ。小部屋を出たところにある三叉路を左に曲がると、ややあって少し広い空間へと行き当った。リンドの号令がかかり、俺たちはそこで足を止める。

 目の前にあったのは、ボスへと通じる巨大な鉄製の扉だった。錆1つないその門は、薄暗い洞窟の中で酷く不自然に見えた。

 そんな扉を背にするように、レイドを先導していたリンドがこちらを振り返る。この場に居るプレイヤー1人1人の顔を眺めながら、そいつはゆっくりと口を開いた。

 

「……第25層に達してから、既に1ヶ月以上が経過した。こうしてボスの部屋の前に立つまでにそれだけの時間を要し……そして、多くの仲間も犠牲になった。これ以上、血は流したくない。皆、生きて勝とう」

 

 腹に響くような、低く、静かな声だった。誰も声を上げることはなかったが、その場には気が満ちていく。俺も戦う意思を固め、槍を強く握り直して隣にいるキリトやアスナと視線を交わした。

 

「行くぞ」

 

 その声と共に、リンドが扉へと手を触れる。すると扉はゆっくりと独りでに開いていき、その先には薄暗い空間が広がっていた。

 陣を組み、リンドを先頭にその中へと足を踏み入れていく俺たち。扉を潜って辺りを見渡すと、そこは自然の岩壁に囲まれた半球状の巨大なドームになっていることがわかった。障害物などは何もない。

 俺たちは1つに固まったまま、頭上へと注意を向けつつ更にゆっくりと歩を進めた。中央まで至ったところで無数にあった壁の松明に唐突に火が灯ってドーム内を明るく照らし出すと、それと同時にその場に咆哮が響き渡った。ややあって、ドームの天井付近に開いていた横穴から、そいつが姿を現す。

 

「で、でけぇ……」

 

 その姿を認め、隣のプレイヤーが惚けたようにそう呟いた。俺も同じように、呆然とそいつを仰ぎ見る。

 

 青く、爬虫類のような光沢を放つ肌。ギラギラと紅い光を放つ瞳。鋭利な棘が生えた尻尾。躍動する大きな翼。

 上空に現れたのは、全長20メートルはあろうかという巨大な竜だった。

 

《ヴォルヴァライノ》

 

 視界にはそんな名前が映っていた。おそらく固有名詞を持つユニークボスだろう。

 手足は短く華奢に見えたが、広げた翼はその体長よりも大きく、そんな巨大な翼を力強く羽ばたかせていている。その圧倒的な光景は、俺たちの思考を停止させるのに十分なものだった。一瞬、頭が真っ白になる。

 

「――退避!!」

 

 ボスの雰囲気に呑まれかけていた俺を、リンドの声が現実に引き戻す。先ほどまでドーム内を旋回していたそいつは、いつの間にか俺たちの居るドームの中央へと向かって滑空してきていた。それを認めて一瞬パニックになりかけたが、何度も反復して行った訓練のお蔭か、何とか退避行動を取ることが出来た。

 咄嗟にプレイヤーたちは真ん中から二手に分かれ、次の瞬間、その空いた空間にボスが突っ込んでくる。地面が抉られ、飛んできた石つぶてによって軽微なダメージを受けたが、突進の直撃を受けたプレイヤーはいなかった。

 

「皆、訓練を思い出せ! 決して勝てない相手ではない!」

 

 いち早く体勢を立て直したリンドが、プレイヤーたちに向けて檄を飛ばした。そしてヒースクリフ、エギル、アスナが崩れかけていた部隊をすぐにまとめ上げ、一丸となったプレイヤーたちが喚声を上げて一斉に敵へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「B隊、下がれ! C隊も共に徐々に後退! D、E隊は2隊の回復まで持ちこたえろ!」

 

 ボスからは少し離れた位置で、リンドが大声で指示を飛ばす。それを受けたプレイヤーたちはさながら本物の軍隊のように機敏に立ち回っていた。前衛のタンク部隊が巧みに攻撃を受け流し、その隙にアタッカーが着実に攻撃を加える。そして前線のプレイヤーのHPバーが黄色になる前に、無理なくPOTローテーション――SAOの回復アイテムは1分間かけて体力を回復させるようなものが大半なため、HPの減ったプレイヤーは安全な後衛で回復させる。その為のローテーション――を回していた。

 

 開戦直後は少し狼狽えたものの、その後は皆順調に戦えていた。決して余裕がある訳ではないが未だプレイヤーたちが危機に陥ることもなく、徐々にだが確実にボスのHPを削っている。

 危惧されていた飛翔による攻撃にも上手く対応出来ている。大きく分けて滑空による突撃と上空からの火炎ブレス攻撃があったが、どちらも予備動作が大きく、素早くそれを察知することで何とか凌いでいた。

 

「順調……だな」

 

「……ああ」

 

 現在、俺とキリトは後衛にてHPを回復していた。キリトの言葉に頷きながら、俺は遠目にボスモンスターのHPを確認する。最初4段あったHPバーは、もう少しで残り1本というところまで来ていた。

 ここまでの所要時間は30分強。そのペースから考えても、恐ろしいほどに順調だった。それだけに、俺はレッドゾーン入った時の不安が拭えない。おそらくそれはこの場の全員が感じているだろう。これだけ善戦している状況で、誰一人楽観的な表情を見せる人間は居なかった。

 俺がそう思案しながら渋い顔で戦況を眺めていると、隣のキリトがこちらに視線を向ける。

 

「ハチ、考えても仕方ない。今は目の前の戦いに集中しよう」

 

「……だな」

 

 不安を振り切るように、俺は大きく頷いた。そこで視界の左に表示されている自分のHPゲージに目をやり、そろそろ満タンになることを確認した俺は前衛とのスイッチに備えて槍を構え直す。しかし、それよりも先に前線のプレイヤーたちの声がドーム内に響いた。

 

「飛ぶぞ!!」

 

 その声に、俺は一気に気を引き締める。視線の先では、ボスモンスターがその背にある一対の翼を窄めるように高く構えていた。飛翔前の予備動作だ。

 突っ立っていると羽ばたきによる衝撃波でノックバックを食らうので、プレイヤーたちはみんな膝をついてそれに備える。ややあって激しく翼を振り下ろしたボスモンスターが、一気に数十メートル上空へと飛翔した。そして巻き起こった衝撃波に次いで、翼を横に大きく広げたボスモンスターがこちらに向かって滑空してくる。

 それを認め、後衛にいたタンクの一部隊が俺とキリトを含めた数人のアタッカーの前に出た。そして俺たちを庇うようにしながら、横にスライドしていく。

 いかに強靭なタンクと言えども、あれほど巨大なボスモンスターの突撃を正面から止められるわけではない。だから彼らの役目はアタッカーと共に回避行動を取りつつ、翼や尻尾による追加攻撃をいなすことだ。

 その狙い通り俺たちは何とか直撃を避け、ボスモンスターの着地とほぼ同時に前衛のタンク部隊が尻尾による薙ぎ払いを盾で受け止めた。鉄を削るような鈍い音を間近で聞きながら、俺とキリトはいち早く反撃の体勢に移る。

 滑空攻撃は、上手く凌ぐことさえできればその後は大きく隙が出来るのだ。そこを突かない手はない。タンク部隊を追い越した俺とキリトは、大きく跳躍してボスモンスターに襲い掛かった。

 俺の目の前でキリトがソードスキルを放ち、緑の光を宿した剣でボスモンスターの首筋を斬りつける。やや遅れて、俺も技を放った。二段の刺突から、槍を縦回転させて上方からの叩き付け。その攻撃がボスモンスターの額を捉え、そいつは苦し気な咆哮を上げた。

 その攻撃の後、すぐさま俺とキリトは敵の反撃に備えて一旦距離を取ろうとバックステップを踏んだ。しかしその瞬間、ボスモンスターの頭上にあるものを見つけ、俺たちは足を止める。

 モンスターオブジェクトを示す、赤いカーソル。それを取り囲むように、2つの黄色い星がぐるぐると回転していた。

 

 ――ピヨった!?

 

 予想外のその光景に、俺は驚愕する。

 あれはスタン状態を示すエフェクトだ。頭部を強打することによって引き起こる状態異常であり、それに陥ったユニットは数秒間行動不能になる。

 

「好機だ! 畳み掛けろ!!」

 

 ボスモンスターがスタン状態に陥ることは非常に珍しく、その事実に俺は一瞬呆気にとられていた。しかしリンドのその叫ぶような呼びかけで、すぐに我に返る。そして無我夢中で、俺は再びボスモンスターへと突っ込んで行った。少し遅れて、その場にいた全プレイヤーがボスモンスターの巨体を取り囲む。

 俺は2度、ソードスキルを放った。上、中、下段の3連突きに、石突きのかち上げからの叩き付け。他のプレイヤーたちも、各々渾身のソードスキルを放っていた。

 

「総員、下がれ!」

 

 ボスモンスターがスタンから立ち直る瞬間を見計らい、リンドから指示が飛ぶ。俺は他のプレイヤーと共に、弾けるようにバックステップを踏んだ。反撃を警戒しつつ、そのまま大きく後方へと下がる。

 そしてある程度距離を取ったところで、俺はその異変に気付いた。

 ボスモンスターの頭上に浮かぶ、残りHPを現すバー。もはや残り少なくなったそれの色が、いつの間にか鮮明な赤へと変わっていた。

 その場で、俺は息をのんだ。周りのプレイヤーたちからも緊張が伝わってくる。

 既にスタンからは立ち直っているはずだが、ボスモンスターは攻撃行動に移ることなく静かに佇んでいた。隊列を組み直しながら、俺たちはそれを遠巻きに伺う。不用意に手を出すのは危険だ。俺たちにそう思わせるだけの不気味な雰囲気を、そいつは漂わせていた。

 異常な緊張感の中、そうしてその場に静寂が訪れる。自分の息遣いだけが、やけに大きく感じた。

 数秒後、敵にようやく動きがあった。

 上方に翼を窄め、飛翔する構えを見せるボスモンスター。それを認めた俺たちは、誰に指示を受けるわけでもなく、咄嗟に衝撃に備えて身を屈める。そして襲ってくる衝撃波に耐え、上空へと跳躍したボスモンスターを仰ぎ見た。そいつは空中で羽ばたきながら、息を大きく吸うように体をのけぞらせている。

 

「ブ、ブレスが来るぞ!」

 

 後方のプレイヤーから、そんな声が上がった。ブレスはボスモンスターの位置から扇状に広がる広範囲攻撃だ。火の属性を伴ったそれはほとんど防御が不可能なため、俺たちには回避するしか手段がない。

 ボスモンスターの前方に居た俺とキリトは、すぐに斜め前方に向かって駆け出した。そしてボスモンスターの後方まで至ったところで、轟音と共に背中に異常な熱風が襲いかかった。

 振り返って見ると、一面火の海だった。幸いブレスに呑まれたプレイヤーは居ないようだ。しかしそれを確認しながら、同時に俺は額に冷や汗を流した。明らかに以前よりも威力と範囲が増している。

 そして、異変はそれだけでは終わらなかった。

 これまでボスモンスターはブレス攻撃の後、ゆっくりと垂直に着地するだけですぐには攻撃行動に移らなかったのだ。しかし、今回はブレスの熱気も冷めやらぬうちに上空で首を巡らせ、プレイヤーの一団目がけて滑空してきた。

 その予想外の動きに、何名かのプレイヤーはすぐに回避行動を取ることが出来ない。間もなく、1人のプレイヤーがボスモンスターの巨体に弾き飛ばされた。

 

「うわぁあぁああぁぁっ!!」

 

 銀色の鎧を纏ったそのプレイヤーが、まるで重量のない人形のように宙を舞う。

 そしてそのまま、空中でガラス片となって砕け散った。

 

 1人、死んだ。

 その事実にプレイヤーたちに動揺が走ったが、敵は俺たちに狼狽える暇さえ与えてくれなかった。

 地面すれすれを滑空していたボスモンスターが、地に足を付けることなく再び上空へと舞い上がる。そしてドーム内を旋回しながら品定めをするように俺たちを見下ろし、再びプレイヤーの一団に突っ込んでいく。その先には、レイドの総指揮であるリンドの姿があった。

 反応の遅れたリンドを含む数名が、大きく上方へ跳ね飛ばされる。そいつらは断末魔を上げることすらなく、空中でガラス片となって霧散した。もはや何人が死んだのかもわからない。

 

 それからは、一方的な展開になった。ボスモンスターはもはや地に立つことはなく、飛び回ってプレイヤーたちに対し体当たりを繰り返した。リンドと言うリーダーを失った多くのプレイヤー、特にDKBのメンバーたちはもはや統率を失ってただ逃げ惑っている。

 俺やキリト、アスナ、ヒースクリフなどの一部のプレイヤーは飛来するボスモンスターに対しすれ違いざまに攻撃を加えていたが、あまりダメージを与えることは出来ていない。

 その間にもプレイヤーたちは1人、また1人と脱落していった。このままでは、まずい。比較的冷静に対応していたプレイヤーたちの間にも、焦りが出始めていた。

 その時、そんな俺たちに追い打ちを掛けるようにボスモンスターが一際高く舞い上がり、上空でブレス攻撃の態勢を取った。俺やキリト、そしてアスナ、ヒースクリフを含む血盟騎士団の一団は既にボスモンスターの後方に位置していたが、逃げ惑う大勢のプレイヤーたちはすっぽりとその攻撃範囲に収まっている。冷静さを失った彼らに、おそらくその攻撃は避けられない。

 それを見て取った時、俺は腹をくくった。もはや出し惜しみ出来る段階ではない。

 

「キリト、アスナ、あと頼む」

 

 近くに居た2人にそう声をかけ俺は一歩前へ踏み出した。

 

「ハチ君……? まさか、あれ使うつもり……?」

 

「……今やらなきゃ全員死ぬ」

 

 右手で槍を逆手に構えながら、俺は不安げなアスナにそう答える。キリトは何も答えず、ただやれやれと言った表情で俺の前に立った。その背中が大きく見える。カッコイイなこいつ……。

 

「ハチ、絶対に生きて帰るぞ」

 

「……ああ」

 

 キリトの力強い言葉に頷いて、俺は槍を持つ右手を大きく振りかぶった。目線で、上空のボスモンスターへと標準を合わせる。そして緑の光が槍に宿るのを感じ取り――俺はそれを、思い切りぶん投げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません、手伝って頂いて」

 

 書類を手で纏めながら、ユキノがそう口を開く。彼女の対面には、テーブルを挟んでクラインとトウジが座っていた。

 ALFのギルドホームの一室だ。そこはユキノに与えらえた執務室であり、木製の長テーブルといくらかのアイテムが収納できる棚が置いてあるだけの簡素な部屋だった。

 

「いやいや、ユキノさんみたいな美人さんの手伝いだったらいつでも大歓迎だぜ!」

 

 満面の笑顔で、クラインがそう答える。ユキノは反応に困ったような顔をしたが、トウジがその横からすかさずフォローを入れた。

 

「ALFさんのお蔭でこちらも大分楽になりましたから、気にしないで大丈夫ですよ。あ、でもこの人が邪魔だと思ったらいつでも言ってください。すぐに帰らせますから」

 

「おいっ!?」

 

 そんな漫才のようなやり取りをしつつ、彼らも与えられた書類に目を通していく。

 ユキノが誰かの手を借りるなど珍しいことだったが、現在風林火山とALFは共同で行う活動が多く、彼女の独断では進められない案件も多かった。故にその確認として今日2人にALFのギルドホームへと足を運んで貰ったのだが、その流れで何故か細かい仕事まで手伝って貰うことになったのだった。

 嫌な顔1つぜずに作業をこなすクラインとトウジだったが、しかしユキノは未だ気にした様子で口を開く。

 

「でも今日は……ボス攻略の日でしょう。御二方とも、落ち着かないのではないですか?」

 

 その言葉に、2人は手を止めて顔を上げた。そして苦笑を作って頭を掻きながら、クラインがその質問に答える。

 

「ま、確かに正直落ち着かないけどな……。けど何かしてないと悪い想像ばっかしちまって、余計に落ち着かなくなるし」

 

「僕も、同じです。僕らはハチさんとキリトさんのために何も出来ませんから……」

 

 クラインの横で、トウジがそう言って頷く。それを見ていたユキノの顔にも、心なしか影が差した。

 

「ユキノさんはどうなんだ? ハチとは知り合いだったんだよな?」

 

「私は……よく、わかりません」

 

 いつの間にか、ユキノも作業の手を止めていた。クラインの質問に曖昧に答え、目を伏せてしまう。それを見たクラインが、ややあって躊躇いがちに再び口を開いた。

 

「あー……その、余計なお世話だって思われるかもしれねぇんだけどさ、一個だけ言っときたいことがあるんだ」

 

 そう前置きをしたクラインが、目を伏せて一旦言葉を止める。対するユキノは少し眉を顰め、続く言葉を待っていた。しばしの沈黙の後、意を決したクラインがユキノに真面目な表情を向ける。

 

「ユキノさんとハチの間に何があったのか、俺は知らねえ。けどあいつは、たぶん……いや、間違いなく、あんたのことを大切に思ってる。まあ、だからってあいつの想いに応えてくれなんて野暮なことは言わねぇけど……」

 

 そこまで言って大きく息を継いだクラインは、苦し気な表情を作って再び目線を伏せた。

 

「……この世界じゃ、いつ死んでもおかしくねぇんだ。特にハチとかキリトは、いつも危ない橋渡ってやがる。だから、なんつーか、その……少しあいつとのこと、考えてみてくれねぇかな?」

 

 懇願するように、クラインはユキノに視線を送る。ユキノは耐えられないようにそれから目を逸らした。それでも、クラインは更に言葉を続ける。

 

「ハチのことが心底嫌いだって言うなら、それでもいい。それならきっとあいつも納得する。でも、もしも――」

 

「……すみません。今日は帰ってください」

 

 突然椅子から立ち上がったユキノが、クラインの話を遮った。テーブルに両手をついた彼女は、深く項垂れている。長い髪に隠されて、クラインとトウジの2人には彼女の表情を窺い知ることは出来なかった。

 

「お願いです。帰ってください……」

 

 戸惑う2人に対し、ユキノは続けてそう言った。ややためらいがちにではあったが、クラインはゆっくりとそれに頷く。

 

「……すまねぇ」

 

 そう告げて、クラインは席を立った。未だに戸惑っているトウジを促し、彼らはすぐに部屋を後にする。

 2人が去った静寂の中、ユキノはそのまま身じろぎさえせず項垂れていた。やがて絞り出すように、震えた声を上げる。

 

「比企谷君……私は……」

 

 零れ出た彼女の苦悩は、誰に届くこともなくその場に消えてゆくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それを発見したのは、たまたまだった。

 投擲スキルを取得し熟練度もそれなりに上がってきた頃、ソードスキルの一覧を確認すると「ジャベリンスロー」という技が追加されていたのだ。名称通り、槍を投擲するソードスキルだ。ちなみに基本的な投擲スキルは専用の鉄釘を投げるだけで、威力はお察しだ。

 ジャベリンスローは、おそらく槍スキルと投擲スキルの熟練度がある程度に達した者が得られる技だろう。キリトも投擲スキルは俺と同じ程度の熟練度に達していたが、そんな技は習得していなかった。

 このSAOの世界において、戦闘に有効な遠距離攻撃は今まで存在していなかった。投擲スキルも精々モブの注意を引くために使うくらいだ。相当なレベル差がない限りは毛ほどのダメージも与えられない。

 だから俺は突然現れたそのソードスキルに期待した。槍を投げるのだから、それなりの威力が期待出来るかもしれない。そしてその期待通りに、ジャベリンスローによる攻撃は槍のソードスキルと変わらないほどの威力を発揮したのだ。

 しかし、当然問題もあった。まず、武器を手放すことになる。装備している槍を投げるのだから当たり前だ。即座に装備を変更することが出来る「クイックチェンジ」というスキルを併用すれば多少はマシになるかもしれないが、しかしそれでは補いきれないもう1つの致命的な欠陥がこのソードスキルには存在したのだった。

 

 

 

「ハァッ!」

 

 似合わない気合いと共に、俺は右手の槍を投擲した。放たれた槍が緑の光を伴い、かなりの勢いで上空のボスモンスターへと迫る。そして無防備に晒されたボスモンスターの腹部を、槍が一気に貫いた。巨体を貫通した俺の槍は、そのままの勢いで遥か遠方へ飛んでいってしまう。

 その一撃に、ボスモンスターは空中で体勢を崩した。撃破には至らず、撃墜することも出来なかったが、ブレス攻撃をキャンセルさせることには成功したようだった。

 それに安堵しつつ、俺は焦った気持ちで数を数える。

 ――1、2、3……

 そこまで数えたところで、空中で体勢を立て直したボスモンスターが、首を巡らせてこちらを見た。ややあって、大きく翼を羽ばたかせたそいつが、俺目がけて滑空してくる。飛来するそいつと視線を交わしながら、しかし俺は微動だに出来なかった。

 ジャベリンスローの致命的な欠陥、それはスキル使用後の硬直の長さだ。13秒ほども、使用者は身動きが取れなくなる。

 ――4、5……

 気の遠くなるような時間だった。眼前に迫るボスモンスターを眺めながら、俺はただ耐えることしか出来ない。

 6秒、と数えたところで、俺の前に立っていたキリトが走り出した。俺の横に居たアスナも、それに続いて駆け出す。低く滑空していたボスモンスターの巨体に向かって、2人は同時にソードスキルを放った。それは自分の身を顧みない、ほとんど捨て身の一撃だった。

 キリトの斬撃がボスモンスターの腹を裂き、アスナの刺突が喉元を穿つ。危険な突撃が逆に功を奏したのだろうか、2人はすれ違いに尻尾の棘に少し体を引っ掛けられただけで致命傷は追わなかった。しかし、ギリギリ敵のHPを削りきることも出来ていない。

 ――7、8……駄目だ、間に合わない

 もうすぐそこまで迫ったボスモンスターを前に、俺はそう悟った。敵も虫の息だったが、既に俺の周りには追撃に移れるようなプレイヤーは居ない。

 

 絶対に生きて帰る、なんてドヤ顔で言ってしまったのに、情けない話だ。

 俺が居なくなったら、あいつは悲しんでくれるだろうか。いや、むしろ滅茶苦茶馬鹿にされる気がする。

 

 どこか遠くにキリトとアスナの叫び声を聞きながら、俺はそんなことを考えた。人間、死ぬ前に思考が早くなるというのは本当らしい。

 

「……悪いな」

 

 思わず、俺は呟いていた。それが誰に対する謝罪だったのか、自分でもわからない。

 もはや俺は全て諦め、全身の力を抜いた。

 

 しかし次の瞬間、ありえないことが起こった。

 

 全身を拘束していた圧力が、一瞬にして消え去ったのだ。俺は驚愕して、自分の体を見下ろす。

 動く。何故。まだ13秒経っていないのに。

 その瞬間に俺は目まぐるしく思考を働かせたが、すぐにそれを全て捨て去った。眼前の危機は去っていない。

 数メートル先に迫るボスモンスター。既に回避は不可能。

 それを見て取った瞬間、俺は咄嗟に徒手空拳で構えた。このまま迎え撃つしかない。

 

「――これで、貸し借りはなしだ」

 

 迫るボスモンスターの額へと拳を振りぬきながら、俺はどこからかそんな声を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、ハチ!!」

 

「ハチ君、生きてる!?」

 

 呆然と仰向けに横たわっていた俺を現実に引き戻したのは、鬼気迫ったキリトとアスナの声だった。駆け寄ってくる2人を視界の端に捉えながら、俺はゆっくりと口を開く。

 

「……ああ。何とか」

 

 一応そう答えた俺だったが、立ち上がる気力は湧いて来なかったのでそのまま大の字になって寝転がりつつ、ドーム内にでかでかと表示された《congratulation》のシステムメッセージを眺めていた。ややあって俺のそばまで来たキリトとアスナが、その場にへたり込む。

 

「良かった……さっきはホントに……ハチ君、死んじゃうんじゃないかって……」

 

 泣きそうな顔で、アスナが口を開いた。俺はむず痒いような感覚を覚えながら、それに答える。

 

「いや、まあ大丈夫だったんだから、そんな顔すんなよ……」

 

「……うん」

 

 頷いたアスナは、しばらくして落ち着きを取り戻したようだった。隣に居たキリトもそこで安堵したように一息つき、次いで呆れたように声を漏らす。

 

「つーかハチ、何だよあの最後の一撃……ドラゴン相手に素手って……」

 

「武器投げちまったんだから仕方ねぇだろ……。ていうかマジで体術スキル取っといて良かったわ……」

 

 最後、俺がボスモンスターを迎え撃つのに使用したのは、《閃打》と呼ばれる体術スキルの技だ。詰まるところ単なる右ストレートなのだが、一応ソードスキルに分類されるだけあってそこそこの威力を持つ。素手でソードスキルというのも妙な話だが。

 キリトとそんな会話をしていると少し気力も回復してきたので、俺はようやく体を起こした。そして周りを見渡しながら、キリトに向かって問いかける。

 

「……何人死んだ?」

 

「……9人、死んだみたいだ。DKBのメンバーが7人。組合のメンバーが2人」

 

 目を伏せて、キリトがそう答える。勝ち戦のはずだが、無邪気に喜んでいるようなプレイヤーはどこにもいなかった。特にDKBの連中はリーダーであったリンドを失った上に、メンバーの半数弱が犠牲になったのだ。皆その場にへたり込み、呆然としていた。

 その光景を苦い気持ちで眺めていると、不意に後ろから声が掛かった。

 

「ハチ君。よくやってくれた。まさかあんな隠し玉を用意していたとはね」

 

 振り返ってみると、そこにはヒースクリフが立っていた。剣を鞘に納めながら、座っている俺に視線を送る。

 

「だが、あの技はもう使わない方がいい。今回君が死ななかったのも奇跡のようなものだ」

 

「……わかってる」

 

 ヒースクリフの忠告に、俺は素直に頷いた。今回のことはまさに奇跡だったのだ。スキル使用後の硬直が、何故か通常よりも数秒早く解除された。そのことが、辛うじて俺の命を繋いだ。

 バグなのか、それとも何らかの条件を満たしたことにより硬直時間が短縮されたのか……。ジャベリンスローについては、もう1度検証してみる必要があるかもしれない。

 

「さて、酷なようだが、いつまでもここに居る訳にはいかない。多くの仲間が犠牲になったが、ようやく我々はこの第25層を突破したのだ。その戦果に、胸を張って凱旋しよう」

 

 思案に耽っていた俺を、ヒースクリフの声が現実に引き戻す。戦死者を出さなかったからか、血盟騎士団のメンバーたちは比較的明るい表情をしていた。

 

「ここは臨時で私が指揮を務める。アスナ君、皆をまとめるのを手伝ってくれるかい?」

 

「あ、はい!」

 

 ヒースクリフの言葉に、アスナは弾かれたように立ち上がった。

 その後は血盟騎士団が中心になって、攻略組をまとめ上げていった。呆然とへたり込んでいたDKBのプレイヤーたちも少しずつ我に返り、それに従がってゆく。俺とキリトも放り投げた槍を回収した後、それに合流した。さすがに皆疲れ果てていたのでアイテム分配などの話は一旦保留にし、俺たちは解放された第26層へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、第26層の街に到達した攻略組はボス戦での分配の話もそこそこに、転移門をアクティベートしてそれぞれのホームへと帰って行った。

 以前はボス攻略後の攻略組の凱旋に街のプレイヤーたちはお祭り騒ぎになったものだが、層が上がるにつれてそれぞれ帰る場所がばらけて来たので自然とそう言ったことはなくなっていた。今では精々うちのギルドホームで風林火山の連中とサチが待っているくらいだ。

 そんな訳で俺とキリトは特に気負うことなく帰還したのだが、しかしその日は意外な人物が第1層の転移門の前で待っていた。

 

「お帰りなさい、ハチ君」

 

「……おう」

 

 腕を組み、俺の目の前に立っているのは雪ノ下だ。ALFのホームも第1層だったので最初は偶然会っただけかと思ったが、見たところ雪ノ下は俺に何か用件があるようだった。

 ちなみに、キリトは俺の後ろで気まずそうに縮こまっている。雪ノ下のことは知らないはずだし、仕方ないだろう。「あ、俺先行ってるから」と言って離脱出来ないところを見ると、まだまだぼっちとしてのスキルは俺の方が高いようだ。

 そんなどうでもいい思考に頭を働かせていると、目の前の雪ノ下が再び口を開いた。

 

「一応、無事にボス攻略を済ませたみたいね」

 

「……まあな」

 

 正直、今回の戦果は無事と言い切って良いようなものではなかったが、まあわざわざ空気を悪くするようなことを言う必要はないだろう。

 俺がそうして頷くと、次いで雪ノ下は珍しく少し躊躇うような素振りで話を切り出した。

 

「その……昨日、あなたに言われたことなのだけれど……」

 

 決して俺と目を合わせようとはせず、しかしこの上なく真摯な表情で、雪ノ下はゆっくりと言葉を紡いでいった。

 

「まだ、私には良くわからないわ……でも、今は……あなたが生きて帰ってきてくれて、良かったと……そう思っているから……」

 

 そこまで言って、雪ノ下はゆっくりと瞑目した。

 そんな彼女に、俺は返す言葉が見つけられなかった。ただ、何かが報われたような、そんな感覚に満たされて、呆然としていた。

 そしてしばらく静かに向き合っていた俺たちだったが、ややあって雪ノ下が再び口を開く。

 

「話はそれだけよ。……またね」

 

 返事も待たず、雪ノ下はそう言って踵を返した。少しずつ小さくなってゆくその背中を見送りながら、俺は大きくため息をつく。何か1つ、肩の荷が下りたような気分だった。

 しばらく物思いに耽るように呆然としていた俺だったが、ややあってようやく放置してしまっていた後ろのキリトの存在を思い出し、ゆっくりと振り返った。しかし気まずそうな顔をしているキリトの横に、先ほどまで居なかった人物を認めて俺は息を詰まらせる。

 

「ハチ君、今の女の人、誰?」

 

「おま……何でここに居るんだよ」

 

 そこに立っていたのは、何故か薄ら寒い笑みを浮かべたアスナだった。こいつとは先ほど第26層の転移門で別れたはずなのだが……。

 

「やっぱり1度、クラインさんたちのところにも顔出しておこうと思って。それで、さっきの女の人は?」

 

 やんわりと話を変えて誤魔化したつもりだったのだが、アスナは再び雪ノ下について詰問した。まあそこまで隠さなければいけないことではないので、俺は正直にその質問に答える。

 

「……リアルでの、高校の知り合いだ。同じ部活の」

 

「ふぅん。知り合いね……」

 

 何故か訝しむように呟くアスナ。その横でキリトも「ああ、あれが……」と1人納得するように呟いていた。キリトにはリアルの知り合いに会ったと話したことがあったし、それを覚えていたのだろう。

 その後何か考え込むような仕草をしていたアスナだったが、ややあって、何故か急に話題を変えた。

 

「……ハチ君。今日、24層の喫茶店でケーキが食べたいわ」

 

「え、ちょ、今日? それって俺も行くってこと?」

 

「当たり前でしょ。そう言う約束なんだから」

 

 以前の話を持ち出し、俺にそう告げるアスナ。そう言う約束をしたのは確かだが、俺的には出来れば今日は勘弁して欲しい。ていうかボス攻略終わってすぐとか、アクティブ過ぎるだろ……。

 

「いや、でも今日は疲れてるし……」

 

「疲れたから、甘いものが食べたいの! ……もしかして、約束破る気?」

 

 理由を付けて断ろうとする俺に、アスナがそう言って詰め寄ってくる。つーか、距離が近い。無防備すぎるだろこいつ……。

 もはや俺は返す言葉が見つからず、すがる思いで横に立つキリトへと目線を送った。しかしそいつは俺に助け舟を出すどころか、我関せずといった様子でシステムウインドウを弄っていた。

 薄情者め、と心の中でキリトを罵りつつ、俺はもう観念したように頷いた。

 

「……わかった。行く。行くから」

 

 

 その後俺たちは、一旦風林火山のホームに戻ってクラインたちに今回の戦果を報告した。9人の死者が出たことについては暗い顔をしていたが、すぐに皆俺たちの生還を喜んでくれた。クラインやサチは涙目になっていたほどだ。サチはともかく、良い歳した大人が泣くなよ……。

 今回のボス攻略では色々とあって疲れたので、俺はすぐにでもベッドに沈み込みたいほどだったのだが、クラインの発案でエギルやアルゴなども招いて祝勝会を開くことになった。それも割と早い時間にお開きになったので、さらにその後はアスナと一緒に喫茶店へ。なんかもう今日だけで1ヶ月分のエネルギーを使った気がする。

 今後もこんな日々が続くのだろうかという憂鬱さと、ほんの少しの期待を抱きながら、俺はようやく床に就いたのだった。

 

 こうして、長かった俺たちの第25層攻略は終わりを告げた。


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