やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。   作:鮑旭

1 / 62
アインクラッド編
第1話 開幕


 その日は朝から落ち着かなかった。

 11月6日――カレンダーに赤丸でチェックされたその日、SAO(ソードアート・オンライン)正式サービス開始日がとうとうやってきたのだ。

 この日が来るのをどれだけ待ちわびたことか。正式サービス開始は13時からだったが、逸る気持ちが抑えきれなかった俺、比企谷八幡は朝からそわそわと家の中を歩き回り、どんなステ振りにしようかニヤニヤと妄想し、ソードスキルの練習でもしておこうとリビングで物干し竿を振り回していたら小町にゴミを見るような目を向けられたのでそれから部屋へと引き籠っていたのだった。

 

 高2にもなってまた新たな黒歴史を作ってしまったことに頭を抱えつつ、俺は静かに時を待った。13時まであと5分……この5分が長いんだよなと思いながら俺は灰色のヘッドギア――ナーヴギアを頭に被ってベッドで横になる。

 昼飯は12時に食べたし、トイレも済ませた。体調は万全だ。よく腐っていると揶揄される2つの瞳も今日ばかりは少年のように輝いている気が――いや、気のせいだったわ。

 そんな1人突っ込みを脳内で繰り広げているうちに、5分が経過する。視界の端、デジタル時計で時間を確認した俺は、興奮に若干喉を震わせながら口を開いた。

 

「リンクスタート」

 

 音声入力によりナーヴギアが起動し、急激に視界が変化した。いつか見たSF映画のワームホールのようなものを潜り抜けながらいくつかの起動チェックが行われた後、次いでアカウントの設定画面に移行する。だが俺は既にその設定を終えていたので、適当にすっ飛ばしてゲームを起動した。

 《Welcome to Sword Art Online!》という文章が視界に浮かんで再び視界が一転すると、俺は仮想世界へと放り出されたのだった。

 

 第1層《始まりの街》

 日差しに照らされた、中世ヨーロッパ風の石造りの街並み。ファンタジー感丸出しの装備で行き交うプレイヤーたち。彼方を飛ぶワイバーンの群れ。非現実感漂うその光景に俺は柄にもなく興奮して、仰ぐように周囲を見回した。

 

 ――帰って来たのだ。この世界に。

 

 世界初、フルダイブ型VRMMORPG《SAO(ソードアート・オンライン)

 少々小難しい単語が並んでいるが、要するにゲームの世界に意識をダイブさせて遊ぶオンラインゲームのことだ。

 ゲームメーカー《アーガス》によって先日リリースされたこのタイトルは、ソフトのみで3万9800円という決して安くはない値段にも関わらず、初期出荷分の1万本は即刻完売となるほどの人気だった。今までにもVRゲームはいくつかあったのだが、これ程のクオリティで仮想現実を実現したゲームはなく、SAOは発売以前から世界中のゲーマーの注目を集めていたのだ。

 発売に先駆けて行われたβテストにおいて、運良くそのテスターへと選ばれた俺は既にこのゲームの世界を体験していたのだが、だからこそ俺はまたここへと戻って来たいと切望していたのだった。

 

 しばらく街並みを眺めてようやく興奮が収まってきた俺は、次いで視線を自身の周囲に落とした。サービス開始直後にも関わらず、街はプレイヤーたちで溢れかえっている。きっとみんな俺のように13時を待ってすぐにゲームを始めたのだろう。

 まあそこまでは理解出来るのだが、しかし周囲のプレイヤーを眺めているうちに俺は何か違和感を覚えた。妙に女プレイヤーの数が多いのだ。

 このコアなゲームでこんなに女の比率が高いはずがない。これ絶対半分以上はネカマだろ……。普通のオンラインゲームならまだしも、フルダイブ型のゲームでネカマプレイとかどういう神経してんだ。まあ、ソロプレイの俺には関係ないんだが。

 

 よく訓練されたぼっちを自称する俺、比企谷八幡は仮想世界の中でも勿論ぼっちである。βテストの時には、ついぞパーティを組むことはなかった。情報屋とはそこそこやり取りがあったが、それも必要最低限だけだ。

 まあ集団での行動が煩わしいのは現実世界でもゲームの中でも一緒である。幸いこの世界なら体育の授業でペアを組まされることもないし、むしろぼっちにとって居心地はいいくらいだ。だから俺はゲームの中でも平常運転である。この先誰とつるむこともなく、ソロプレイを極めることになるだろう。

 しかし、そんな俺の予想はこの後すぐに覆ることになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、俺はまず武器屋と道具屋に向かい、狩りの準備を整えた。

 とは言っても新規プレイヤーに与えられている準備資金で出来ることなど高が知れている。すぐに支度は済んだので俺は早々にその場を後にしようとしたのだが、新規プレイヤーでごった返す街の中、他プレイヤーと肩がぶつかってしまったのだった。

 

「あ、すんません……」

 

 体に染みついたトラブル回避スキルが発動し、俺は咄嗟に頭を下げて謝罪する。ほんの少しだけ目を逸らすのがコツだ。相手の目を見れば「何ガンつけてんの?」となり、目を逸らし過ぎれば「何シカトしてんの?」となるのだ。

 しかしぶつかった相手プレイヤーは想定していたほど面倒な人間ではなかったらしく、俺と同じように頭を下げながら謝罪を口にした。

 

「あ、いや、ごめん。こっちこそよそ見してて……ん? お前、ハチ?」

「え、あ、ああ」

 

 ハチ、というのは、俺のプレイヤーネームだ。Hachi――犬の名前みたいだ。友達がいたらからかわれていたな。ぼっちでよかった。

 そんな自分の名前を呼ばれ、俺はそこでようやく相手プレイヤーの顔を見た。このアバター、βテストの時に何となく見たことがあるような気がしないでもない。

 確か、キリなんとかさんだ。

 

「やっぱりハチか! 久しぶりだな。βテスト以来だから、2ヶ月ぶりくらいか」

「……そうだな。それくらいになるな」

 

 急にフレンドリーな態度で話しかけてくるキリなんとかさん。「こいつ俺の友達なの?」という勘違いをしそうになりつつ、会話を続ける。未だに名前が思い出せないが。

 

「しかし、相変わらずそのアバターなんだな。なんつーか、その、目がくさっ……特徴的だよな」

 

 こいつ、今俺の目が腐ってるって言いかけただろ……と思いつつも、ここで突っかかるのも面倒なので適当に聞き流す。

 

「俺は個性を大事にするタイプなんだよ。周りは皆ガチガチのイケメンアバターで、似たり寄ったりの顔してるしな」

 

 個性だなんだと言うリア充に限って、何故か流行に合わせて皆と同じ様な格好をする不思議。その点俺は自分に自信を持っている。自分大好き。だからアバターも腐った目にしてみた。

 

「まあ言いたいことは分かるけどさ……」

 

 とか言っているキリなんとかさんもイケメンアバターだ。切れ長の瞳にアシンメトリーの黒髪。関係ないが、俺はアシメが嫌いだ。リア充っぽくて。

 

「あ、なあ。俺これから外に狩りに行くつもりだったんだけど、ハチも一緒にどうだ? βテストからかなり空いたし、軽く流すつもりなんだけど」

「……え? は? 俺?」

「ああ。……って何だよその顔?」

 

 今までこんなにナチュラルに誘われた経験がなかった俺はかなりキョドってしまった。しかしそんな俺に構うことなく、キリなんとかさんは話を続ける。

 

「βテストの終盤、ソロだと少し厳しくなってきただろ? だからパーティ組める奴が居るといいなって思ってたんだ。お互いの技量もわかってるし……どうだ?」

 

 どうだと問われ、俺はしばし思案する。

 いつもなら適当に理由をつけてお断りさせて頂くのだが、こいつの言っていることも正しい。βテスト終盤、俺はソロでは対応出来ないアクシデントによって幾度も命を落とした。マヒってボコられてあぼんのパターンは最早トラウマだ。そう考えるとこいつの申し出は美味しいかもしれない。

 βテストの時には俺もキリなんとかさんもお互いにぼっち……もとい、ソロプレイヤーだったので必要以上に面倒な人間関係に巻き込まれる恐れもないはずだ。最悪面倒になったらバックレてしまってもいいし……。

 

「一応聞くけど、ついて行ったら妙に高い壺買わされたりとか、パーティ組んでやったんだからコル払えとか言わ――」

「言うわけないだろ! どれだけ俺のこと信用してないんだよ!」

 

 なんか食い気味に否定された。まあいい。これで一応言質はとった。ちなみに《コル》というのは、ゲーム内での通貨の単位のことだ。

 

「あのなぁ、俺もずっとソロだったから、かなり勇気を振り絞って誘ったんだぞ? それを……」

「悪かった。まあ半分冗談だから気にしないでくれ」

「半分本気なのかよ……」

「MMOで詐欺られたのは1度や2度じゃないからな。まあ本気でお前のこと疑ってるわけじゃねーよ。いいぜ。一緒に行こう」

「なんか納得いかないけど……まあいいか、よろしく頼むぜ、ハチ」

 

 その言葉と一緒に、キリなんとかさんから俺にパーティ招待のメッセージが送られてきた。初めての経験にちょっと感動しつつそれを受諾すると、視界の左上にパーティメンバーの名前が表示される。

 ああ、そういえばこいつこんな名前だったな。

 

「よろしく、キリト」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおーい! そこのお2人さん!」

 

 俺たちがフィールドへと向かって始まりの街の中を歩いている途中、不意に後ろから声が掛かった。

 振り向くと、そこに立っていたのは頭にバンダナを巻いた赤毛のロン毛男。見覚えのないアバターである。

 もしかしてキリトの知り合いかと思って隣に目線を送ったが、キリトは俺と目が合うと首を横に振った。違うらしい。

 

「その迷いのない歩み! あんたらβテスト経験者だろ?」

 

 赤髪の男は俺たちの顔を交互に見つめ、ドヤ顔で口を開く。その瞬間、俺はこの初対面の男の思惑をおおよそ察することが出来た。どうせゲーム序盤の情報やアドバイスを貰おうと言うんだろう。こういったオンラインゲームでは稀にあることだった。

 だが、俺にはそんなことをする義理も義務もない。そんな奉仕活動は高校の部活だけで十分だ。うん。面倒だから適当に誤魔化して、彼にはお帰り願おう。

 

「いや、俺らは――」

「確かに俺たちはβテストあがりだけど、何か用か?」

 

 あ、この馬鹿……!

 正直に答えてしまったキリトに対して俺は抗議の視線を送ったが、当の本人がそれに気付くことはなかった。そして赤髪の男は自分の予測が当たったことを喜びながら、さらに口を開く。

 

「やっぱそうか! オレは今日から始めたんだけど、分からないことだらけでよ。良かったら序盤のコツをレクチャーしてくれねぇかな?」

「いや、悪いんだけど――」

「まあ、別に構わないよ。なあ、ハチ?」

 

 色々と理由を付けて男の要請を断ろうとしていた俺の言葉を、隣に立つキリトが遮る。もはや退路は完全に塞がれてしまった。ここで俺が反対したら、スゲー嫌な奴みたいじゃないか。このお人好しめ……!

 

「……まあ、いいんじゃないの?」

「サンキュ! 助かるぜー! 俺の名前はクライン! 宜しくな!」

「よろしく。俺はキリト。で、こっちが……」

「ハチだ」

 

 簡潔に自己紹介を終えると、キリトは顎に手を当てて少し考えるような表情をした。

 

「えーと、俺たち今から狩りに行くつもりだったんだけど、一緒に来るってことでいいか? そこで色々教えられると思うけど」

「ああ、それで頼む!」

 

 キリトの提案に、クラインと名乗った男は笑顔で頷いていた。

 そんな流れで、俺たちは簡単なフィールドでソードスキルについて解説しつつ狩りをすることになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意外なことに、その後はかなり順調に進んだ。

 クラインは最初こそソードスキル発動のタイミングを掴むのにてこずっていたものの、一度コツを掴むとその後は難なくモンスターにソードスキルを当てていた。俺とキリトもすぐに勘を取り戻したので、一通りのレクチャーが済むとどんどん先へ進んでゆき、あっと言う間に3人ともLv3になった。

 ちなみにキリトは片手剣、クラインが曲刀、俺は槍を使っている。それぞれ武器が違い、欠点を補うことが出来たこともパーティが上手くまわった要因かもしれない。ただ1つ問題があるとすれば――

 

「いやー! マジで助かったぜ! オレ1人だったら慣れるまでに5回は死んでたな! サンキュー、ハチ!」

 

 なんとなく予想はしていたが、クラインはかなりやかましい奴だった。悪い奴じゃないんだが、苦手だ。

 

「いや、わかったから、肩組むなって。俺そっちの趣味ないから」

 

 いやマジで。そういうの、戸塚以外NGなんで。

 

「ナハハ! ハチはおもしれーな! キリトも、ホントサンキュな!」

「いや、結果的に俺らも助かったよ。3人パーティなら、結構無理な狩りも行けるんだな」

「そう言って貰えると助かるぜ。あ、もうこんな時間か」

 

 そう呟いたクラインにつられて俺もシステムウインドウを確認すると、時刻は既に5時を回っていた。ゲーム内の空も日が傾いて夕暮れになっている。

 

「オレ、一旦落ちるわ。メシ食ってから、またインするぜ」

「この世界の食べ物は空腹感がなくなるだけだからな。きりもいいし、ひとまず俺も落ちるか。ハチはどうする?」

「腹減ったし、俺も一旦落ちるわ。じゃあ……」

 

 システムウインドウを弄りながら会話に参加していた俺だったが、あることに気付き、言葉に詰まった。そんな俺を見て、キリトが首を傾げる。

 

「ん? ハチ、どうした?」

「ログアウトボタンが、ない……?」

 

 俺のその呟きに続いて、始まりの街の鐘が大きく鳴り響く。その音色は、不吉なものに満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、俺たちは始まりの街の中央に位置する大広場に立っていた。

 

「なんだ!? 何が起こってんだ!?」

「強制転移……? 始まりの街に戻されたみたいだな」

 

 大げさに騒ぐクラインに、キリトが冷静な様子で答える。周囲を見渡すと、大広場は俺たちと同じように転移されてきたであろうプレイヤーたちで埋め尽くされていた。

 

「これ、全プレイヤーが招集されてるっぽいな。イベントか何かか……ん?」

 

 そう言って周囲を観察していた俺は、いち早くそれに気付いた。

 空にポツリと浮かぶ、紅く塗られた≪WARNING≫の表示。その表示が瞬く間に増殖し、空一面を紅く覆い尽くす。さらにそこから赤黒い液体が漏れ出し、空中に留まり、別のものへと変化していった。

 

「なんだ、ありゃあ……?」

 

 ぼそりとクラインが呟く。趣味の悪い演出を経てそこに現れたのは、一体の巨大なアバターだった。紅いローブを纏いフードを被っているが、その中にあるはずの顔はない。そいつは空中に漂いながら、大広場の1万人近いプレイヤーたちを睥睨すると大仰な仕草で語りだした。

 

「プレイヤー諸君、私の世界へようこそ」

 

 先ほどまでざわついていたプレイヤーたちは、話が始まった途端水を打ったように静まり返る。俺も上空に浮かぶそいつを呆然と仰ぎ見ながら、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。

 

「私の名前は茅場晶彦。現在、この世界をコントロール出来る唯一の人間だ」

 

 茅場晶彦。

 その名前を聞いた瞬間プレイヤーたちに再び動揺が走ったが、当の本人は意に介す様子もなく話を続ける。

 

「プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気づいていると思う。しかしこれはゲームの不具合ではない。繰り返す。これはゲームの不具合ではなく、ソードアートオンライン本来の仕様である。……諸君はこのゲームから自発的にログアウトすることは出来ない」

 

 何でもないことのように語る茅場晶彦。淡々としたその口調に、俺はかえって茅場晶彦の狂気を感じていた。

 

「また、外部からのナーヴギアの停止、または解除による強制ログアウトもありえない。もしそれが試みられた場合、ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが諸君らの脳を破壊し、生命活動を停止させる」

 

 雰囲気に呑まれ静まり返っていたプレイヤーたちが、話が続くにつれてざわついてくる。自分の中で冷静に事態を飲み込もうとする部分と、それを拒否しようとする部分がせめぎ合っていた。

 

「しかし残念ながら、警告を無視してナーヴギアの解除を試みた例が少なからず存在し、既に213名のプレイヤーがこのソードアートオンラインの世界から、そして現実世界からも退場している」

 

 そう言って、茅場は空中に幾つかのウインドウを出現させた。そこにはナーヴギアによる死亡者のニュース映像が流れており、茅場の発言が単なる狂言ではないことを否が応でも理解させられてしまう。

 

「だが諸君が、向こう側に置いてきた肉体の心配をする必要はない。様々なメディアが繰り返しこの事実を報道したことを鑑み、これ以上ナーヴギアの強制解除による被害者が出る可能性は低くなったと言っていいだろう。今後、諸君の現実の体は、ナーヴギアを装着したまま2時間の回線切断猶予時間のうちに病院その他準じる施設へと搬送され、厳重な介護態勢のもとに置かれるはずだ。諸君には、安心してゲーム攻略に専念してほしい」

 

 ざわめきはさらに大きくなり、多くのプレイヤーが茅場に対して抗議するべく喚きたてていた。しかし茅場がそれを取り合うはずもなく、そいつは悠然と語り続ける。

 

「諸君がこの世界から解放される方法はただ1つ。この始まりの街の存在するアインクラッド第1層から第100層までの迷宮を踏破し、その頂点に存在するボスを撃破してこのゲームをクリアすることだけだ」

 

 その茅場の発言にとうとう耐えきれなくなった様子で、隣に立つクラインが叫ぶ。

 

「第100層……? ふざけんなっ……! βテストじゃマトモに上がれなかったんだろ!?」

 

 クラインのその発言は事実で、俺たちβテスターによる攻略では2ヶ月で第8層までしか到達できなかったのだ。それを、第100層までクリアしろというのか。

 

「しかし、充分留意して頂きたい。今後、このゲームにおいていかなる蘇生手段も機能しない。プレイヤーのHPが0になった瞬間、諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に――諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される」

 

 その言葉に、再び広場に静寂が広がった。先ほどまで何やら喚き散らしていたクラインも、唖然と上空のアバターを仰いでいる。

 

『これは“ゲーム”であっても“遊び”ではない』

 

 ある雑誌の取材での、茅場の言葉が頭を過った。

 こいつは、俺たちに“本気”の“デスゲーム”をさせるつもりなのだ。

 

「それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え」

 

 その言葉を受け、周りのプレイヤーたちは律儀にアイテムストレージを確認する。

 ちなみに俺は何となく嫌な予感がしたので、何もせず周りの様子を伺うことにした。つーか、こんな状況なんだからもっと警戒するべきだと思うんだが……。

 

「手鏡……? なんだこりゃ……って、うおっ!?」

「クライン!? ……うわっ!?」

 

 いつの間にかアイテムストレージに存在したアイテム、《手鏡》を手に持ったプレイヤーたちが次々と青い光に包まれた。しかしすぐに光は収まり、そこに現れたのは――誰だ、こいつら?

 キリトとクラインが居たはずの位置には、見知らぬ黒髪の少年と髭面の男が立っていたのだった。

 

「誰だ、お前……?」

「お前こそ……って、クラインか……?」

「え、じゃあお前、キリト!? 何だって顔が……?」

 

 周囲を見渡すと、先ほどまで存在していた美男美女のアバターが軒並み平凡な顔のアバターへと変化していた。それを認めた俺は1人で納得し、恐らくキリトとクラインであると思われる2人のプレイヤーに顔を向ける。

 

「多分これ、現実世界の容姿に変えられたってことだろ。周りの連中もみんなリアルっぽい顔になってる」

「そうか……ナーヴギアは高密度の信号素子で顔を覆ってる。顔の形を把握できるんだ」

 

 俺の言葉に、なんだか小難しい単語を口にしたキリトが頷く。

 ちなみに俺は手鏡は使用しなかったのだが、何故か結局強制的にアバターを変化させられていた。手鏡を使用するというポーズは単なる様式美だったらしい。

 

「なるほどな……ってお前ハチだよな? あんまりアバターと顔変わんないんだな……目とか……」

 

 そう口にするクラインにそこはかとなく馬鹿にされているような気がしたが、今は緊急事態なのでとりあえず聞き流す。

 

「でもプレイヤーの体型はどうやって……?」

「あ、確かナーヴギアの初期設定でキャリブレーション……? とかいうので身体を触ったよな。それじゃねーのか?」

 

 キリトの疑問に答えたのは意外なことにクラインだった。そうして俺たちが一通り推察して納得すると、再び茅場が語りだす。

 

「諸君らは今、何故、と思っているだろう。何故茅場晶彦はこのようなことをするのか、と」

 

 俺はその言葉に神経を集中させた。茅場晶彦のこのテロ行為に目的があるのなら、交渉の余地があるかもしれない。だが続く言葉によって、そんな俺の希望は儚く打ち砕かれた。

 

「しかし、既に私に目的は存在しない。私が焦がれていたのは、この状況、この世界、この瞬間を作り上げること。たった今、私の目的は達成せしめられた……」

 

 満足げにそう語った茅場はゆっくりと広場を一望する。

 

「それでは長くなったが、これでソードアート・オンライン正式サービスのチュートリアルを終了とする。プレイヤー諸君、健闘を祈る」

 

 言い終えると、巨大なアバターは耳障りなノイズを立てながら崩れ去っていった。同時に空を覆っていた紅い表示も一瞬にしてなくなり、霞みがかった夕暮れの空が視界に戻ってくる。しかし不気味な演出が消え去っても、広場を支配する言い知れぬ不安だけは決して消えることはなかった。

 こうして、俺たちのデスゲームは幕を上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その直後、大広場は収集のつかない大パニックになったが、既に俺たちはキリトに手を引かれてその場を後にしていた。

 路地裏に立ち止まったキリトが、真剣な様子で話を切り出す。

 

「2人とも、よく聞いてくれ。俺は今から次の村に向かおうと思う」

 

 その言葉に、俺とクラインは目を見合わせた。急な展開にクラインは頭を抱えながらため息を吐く。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。まだ頭の整理がつかねぇんだ……つーか、なんだって急に……」

 

 俺もまだ少し混乱していたが、ここはひとまずキリトの話を聞いてみようと目線で続きを促す。クラインが少し落ち着くのを待って、キリトが再び口を開いた。

 

「茅場晶彦の話、全て事実だと思って行動した方がいい。俺たちはこのゲームの中で生き残らないといけない」

 

 その点については特に異議はない。俺もクラインも頷いて次の言葉を待った。

 

「この世界で生きていくためにはモンスターを狩って、経験値と金を稼ぐ必要がある。ゲーム内のリソースには限界があるから、始まりの街周辺のモンスターは他のプレイヤーたちにすぐ狩り尽くされるだろう」

 

 厳密に言えば、単に生きるだけなら経験値も金も必要ない。現実世界の俺たちの肉体は病院で点滴生活ということになるだろうし、ゲーム内でシステム的に餓死することはないのだ。野宿すれば宿代もかからないので、理論上は一銭も使用することなくゲーム内で生活することは可能だった。

 だがまあ現実問題、空腹にひたすら耐えるのは難しいものがあるし、様々なリスクを考えると野宿も控えた方が賢明である。そういった意味ではキリトの言葉は正論だった。

 

「だから、今のうちに拠点を次の村に移した方がいいんだ。俺なら危険なポイントも全部知ってるから、仮にLV1だったとしても安全に次の村に辿りつける」

 

 キリトは迷いなくそう言い切った。その話は一見正しいように思える。だが――と俺が考えた所で、クラインが口を開いた。

 

「今日は別行動だったけど……オレ、他のゲームの知り合いと一緒にこのゲームを買ったんだ。あいつらを置いてはいけねぇよ」

「……その知り合いっていうのは、何人居るんだ?」

「4人だ」

 

 クラインの返事に、キリトが小さく顔を歪めた。その理由が俺にはよくわかる。足手まとい4人を連れての行動は、命取りになるだろう。

 だが、今の問題はそこじゃない。

 

「俺は、今次の村に向かうのはやめた方がいいと思うぞ」

 

 その発言に、意外な顔をした2人がこちらに向き直った。怪訝な目をこちらに向けるキリトと視線が合う。

 

「……なんでだ?」

「お前が持っている情報は、βテストの時のもんだろ? もし正式サービスにあたって何か変更されていれば命取りになる。ここはもっと慎重になるべきだ」

 

 もしモンスターの分布が変更されていたり、フィールドボスの行動範囲が変わっていれば簡単に命を落とすことになるだろう。βテストから正式サービスに移行するにあたって仕様を変更するオンラインゲームなんてざらにあるのだ。

 

「確かに……でも、今日狩りをした感じじゃそんなに変更点はなかったし、そこまで神経質にならなくても……」

「キリト、勇敢で剛胆な奴が生き残れるのはフィクションの世界だけだ。現実世界で生き残るのは、臆病で神経質な奴だと俺は思ってる」

 

 キリトの言葉に、俺は柄にもなく強めに反論した。いつもなら我関せずで済ませるかもしれないが、さすがに今回は命にかかわることだ。そしてそんな俺の言葉に同意するように、隣に立つクラインも深く頷いてくれる。

 

「キリト、ハチの言う通りだぜ。ここは慎重になるべきだろ?」

 

 クラインの台詞に、キリトはしばらく瞑目した。10秒ほどそうしていただろうか。その後大きく息を吐いてから、キリトは自嘲気味な笑みを浮かべて口を開いた。

 

「……そうだな。俺、少し焦ってたみたいだ。2人とも、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 その後、ゲーム開始から1ヶ月で800人が死んだ。

 これが多いのか、少ないのか、俺にはわからない。

 そして、未だ第一層はクリアされていない。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。