獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第五節

 屈強で忠実な親衛隊員たち数名により、『黄金獅子旗(ゴールデンルーヴェ)』に覆われた皇帝(カイザー)の棺が地上車(ランド・カー)から下ろされて丁重に担ぎ上げられ、沈痛な心情の微粒子を黄玉(トパーズ)色の瞳に宿した親衛隊長ギュンター・キスリング准将の先導の下に墓地の中を進んでいく。棺の両側も親衛隊員に固められ、その最後尾に副隊長ユルゲンス大佐率いる一隊が付き従った。墓地に整列してたたずむ人々は沈みゆく夕日に淡く照らされながら、その葬列を(おごそ)かに見守っている。

 

 葬列が向かっている、深く掘り下げられた墓穴から近い場所にたたずんでいる喪服を着た一人の女性の胸元が不意に(きらめ)く。その女性が銀色のペンダントを首から掛けていて、それが落日を反射したのだとやや離れた場所に立っていたユリウスは気付いた。普通は葬儀の際は目立つような装飾品は身に着けないはずだが、周囲の人々がそれを気に留めている様子はない。

 

 

 大公妃アンネローゼ・フォン・グリューネワルト。

 

 

 皇帝ラインハルトの五歳年上の実姉であり、母親であるクラリベル・フォン・ミューゼルを幼くして事故で失ったラインハルトにとって、母代わりと言えるかけがえのない存在であった。

 

 美しい黄金色の長い髪は弟のそれよりやや濃い色調であり、青い瞳もまた弟よりも深い色合いで、最上級の青玉(サファイア)を思わせる輝きを有している。透き通るような白磁の肌と合わせて、半神的な容貌を謳われた弟よりも更に繊細な、清楚な印象を与える比類なき美貌の所有者である。

 

 そしてその美貌ゆえに、下級貴族の娘でありながら一五歳で時の皇帝フリードリヒ四世の後宮に寵姫として納められ、グリューネワルト伯爵夫人(グラフィン・フォン・グリューネワルト)の称号を与えられて皇帝が崩御するまでの一〇年にわたり寵愛を受ける事となったのである。それはアンネローゼにとって本意ではなかったが、聡明な彼女は家族を守るためには皇帝の居城たる『新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)』に赴く以外に選択肢は存在しない事を承知しており、自身の未来を捨てる決断を下してアンネローゼは弟の下を去ったのであった。

 

 当時一〇歳であったラインハルト・フォン・ミューゼル少年は慟哭し、そして憎悪した。最愛の姉を奪った皇帝フリードリヒ四世を。母の死後は無気力となって酒に溺れ、娘をためらいなく皇帝に売り渡した父セバスティアンを。そのような醜悪で不当な行為を正当化する腐敗しきった社会体制を。そしてその横暴の前になすすべがない自分自身の無力を。

 

 かくして黄金色の頭髪の少年は自らに誓約した。皇帝を倒し、ゴールデンバウム王朝を滅ぼし、姉を宮廷という名の牢獄から解放するのだと。そして二度と他者に膝を屈し、自らの無力を呪う事のないように、宇宙で最も強大な存在になりおおせてみせるのだと。そしてラインハルトは盟友ジークフリード・キルヒアイスと共に、志を遂げるために必要な強大な力を掌中に収めるべく軍人としての道を選び、全宇宙の覇者としての第一歩を踏み出したのであった。

 

 だが、宇宙統一の道程においてキルヒアイスは中途にして(たお)れ、それを知ったアンネローゼはフリードリヒ四世の死後にひとたび戻った弟の下から再び離れる事となる。自らが犯した大罪によって片翼をもぎ取られたラインハルトはそれでもなお、墜ちる事を許されなかった。フェザーン自治領を呑み込み、ゴールデンバウム王朝を簒奪し、自由惑星同盟を歴史上における過去の存在となし、共和主義者たちの残党と和議を結び人類社会の戦乱に終止符を打った後、金髪の覇者は天上(ヴァルハラ)へと去っていった。

 

 幼い頃から慈しみ、何よりも大切な存在であった弟とその親友の成長を見守りながらも、その二人に先立たれ、一人生き永らえている大公妃の今の心境はどのようなものなのか、ユリウスには想像もつかない。解っているのは、あの女性が存在しなければ、人類社会の統一政権たるローエングラム王朝もまた存在しえず、宇宙はいまだ終わりの見えない混沌の渦中にあったであろうという事である。温和だが気丈で芯の強さを持った彼女は、ゴールデンバウム王朝時代には前線の戦乱のみならず後方の陰謀にもさらされていた弟たちを守るために心を砕き、ローエングラム王朝成立後には出産前の皇妃が刺客に襲撃された際、武器一つ持たない身でありながら毅然として刺客の前に立ちふさがり、義妹とその胎内に宿っていた甥を守ったのだ。

 

 そういった背景に思いを馳せれば、彼女の姿が旧き時代に終焉をもたらし、新しき時代の到来を告げた『運命の女神(ノルン)』の一柱のようにも見えるのである。

 

 そしてもう一人、ローエングラム王朝にとっての運命の女神といえる女性が、同じく喪服をまといアンネローゼの傍らに王朝の後嗣たる乳児を抱いて立っているのだ。

 

 

 皇妃(カイザーリン)ヒルダこと、ヒルデガルド・フォン・ローエングラム。

 

 

 今年で亡夫より一歳年少の二四歳であり、くすんだ色調の長めの金髪とブルーグリーンの瞳の凛然とした美貌の所有者である。常であれば瞳に宿っている知性を伴った生気に満ちた光が硬質的な印象を和らげているのだが、現在のヴェール越しに見える双眸には活力は乏しく、落日の中にたたずむその姿は彫像のような雰囲気を醸し出していた。

 

 ゴールデンバウム王朝の末期にマリーンドルフ伯爵家の一人娘として生を享けた彼女は、大貴族の一員でありながらその陋習に囚われる事なく非凡な知性と行動力を兼ね備えた人物に成長を遂げた。

 

 リップシュタット戦役においては戦役の勃発に先駆け、父親を説得してローエングラム陣営への参加を表明し、その卓越した見識と決断力によってラインハルトの信頼を得た彼女は戦役終結後に彼の首席秘書官に抜擢される。以降は政治、軍事両面において次々と的確な助言や献策を行なって、キルヒアイス死後のラインハルトの覇業を支え続けた。

 

 中でも特筆されるべきは、『神々の黄昏(ラグナロック)』作戦の最終決戦たるバーミリオン会戦において同盟軍最高の智将ヤン・ウェンリーと相対したラインハルトの敗北を予期し、『帝国軍の双璧』たるミッターマイヤー、ロイエンタールの両提督を動かして無防備であった同盟首都ハイネセンを包囲し、同盟政府に停戦命令を出させた事であろう。民主主義の精神を重んじるヤンの為人(ひととなり)を正確に洞察したヒルダの策は見事に功を奏し、あと半歩で手中に収められるはずであった完全なる勝利とラインハルト・フォン・ローエングラムの生命という極上の果実に対して未練を見せる事なく、黒髪の魔術師は兵を退いたのである。もしヒルダがラインハルトの臣下として存在しなければ、ラインハルトは常勝の令名と共にバーミリオン星域に葬られ、ローエングラム王朝も空想上の存在に成り果てていたに違いなかった。

 

 ローエングラム王朝成立後もヒルダは引き続き首席秘書官として、『回廊の戦い』でシュタインメッツが戦死した後はその後任の大本営幕僚総監として皇帝ラインハルトの有能な補佐役を務め続けた。そして今年、新帝国暦〇〇三年初頭に皇妃に冊立され、五月一四日には王朝の継嗣たるアレクサンデル・ジークフリードを出産、それから二ヵ月半に満たない七月二六日に夫と死別し、現在に至るのである。

 

 

 アンネローゼとヒルダ。ゴールデンバウム王朝、フェザーン自治領、そして自由惑星同盟に引導を渡したローエングラム王朝を編み上げし二柱の『運命の女神たち(ノルニル)』。落日に照らし出される彼女らの姿は美しく、そして悲しい。

 

 彼女たちの後ろにはマリーカ・フォン・フォイエルバッハやコンラート・フォン・モーデルを始めとした近侍たちが神妙な表情で控えているが、その隣には明らかに近侍ではない、喪服を着た二人の貴婦人の姿もあった。

 

 

 マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ男爵夫人とドロテーア・フォン・シャフハウゼン子爵夫人。旧王朝の寵姫であった頃からの、当時宮廷で孤立していたアンネローゼの数少ない友人たちであり、ヴェストパーレ男爵夫人は古典音楽の講師だったヒルダの亡き母親の教え子でもあった。その縁からヴェストパーレ家とシャフハウゼン家はリップシュタット戦役ではローエングラム陣営に与して家名を保ったのである。

 

 ラインハルトのフェザーン遷都後も二家は旧帝都オーディンに留まった。両家の当主は政治的野心は持ち合わせておらず、男爵家当主であるヴェストパーレ男爵夫人はパトロンとして芸術家の発掘や援助に努め、シャフハウゼン子爵は薬用植物の研究や旅行記の読書を趣味とする教養人として、各々学芸省の要人と定期的に交流する程度であった。シャフハウゼン子爵の弟であるハッセルバック男爵が侍従長となった以外は一門から要職に就いた者も存在せず、政治史よりも文化史において後世に家名を知られる事となる。

 

 彼女たちはラインハルトとヒルダの結婚式に参列するため、今年の一月にアンネローゼと共に一度フェザーンを訪れていたが、結婚式の終了後はオーディンに戻っていた。そしてラインハルトの発病を知って再びフェザーンに向かったのだが、搭乗していた宇宙船の動力部の故障や航路上での恒星風の発生などの悪条件が重なり、到着したのはラインハルトの死の直後となってしまったのである。二人の夫人はアンネローゼとヒルダと再会した際に悔やみの言葉を述べ、ラインハルトの看病と乳児の世話に忙殺された二人の手助けができなかった事を詫びたが、皇族の二人の女性は遠方から足を運んでくれた友人たちに感謝の意を告げたのであった……。

 

 

 そう言えば、皇帝ラインハルトはリップシュタット戦役後から銀色のペンダントを身に着けていたはずだが、葬儀での皇帝の遺体には掛けられていなかったのを、ユリウスは思い出した。となると、あのペンダントは大公妃が皇帝の遺品として譲り受けたのだろう。

 

 この時点でユリウスはもちろん、参列した人物のほとんどは知らなかった。その銀色のロケットペンダントには、中には幸せそうに微笑む一人の少女と二人の少年が一緒に写っている写真と、黄金色と赤毛の頭髪がそれぞれ一房ほど収められている事を。

 

 そして、その赤毛の一房は半分に分かたれ、その半分は皇帝の棺に納められた事も……。

 

 

 アンネローゼが握りしめる銀のペンダントを、ヒルダは悲しげに見つめる。彼女はその夫の遺品に何が収められているかを知っている数少ない一人であった。

 

 ヒルダは生前のキルヒアイスと面識を得る機会はなかったが、彼女はラインハルトの覇道の前半生における補佐役たるキルヒアイスを極めて高く評価しており、その早すぎる逝去を最も惜しむ一人である。ましてや五年前の旧帝国暦四八七年、カストロプ公爵の叛乱において、親族として説得に赴いた父マリーンドルフ伯はカストロプ公に拘禁されたが、その叛乱を迅速に鎮圧して父親を救ったのが他ならぬキルヒアイスだったのだ。ラインハルトに従って彼がその核を作り上げたローエングラム王朝を守護し、発展させていく事こそがヒルダにとってキルヒアイスに報いる唯一の道であった。

 

 少し強い風が流れた。その風を紡ぎ出している天空に在る二隻の艦を仰ぎ見たアンネローゼとヒルダの顔は、やや距離がある上にヴェールで覆われていたのではっきりとは見えなかったが、白金色の頭髪の少年は視覚以外の感覚により、二人がどのような表情をしているのか理解できたような気がした。

 

 

白鳥の衣の戦乙女(ブリュンヒルト)』と『紅毛の果敢なる王者(バルバロッサ)』。

 

 

 皇帝ラインハルトの永遠の旗艦と、ラインハルトの無二の盟友キルヒアイス元帥の旗艦。

 

 落日の光を受けて、白銀の艦は緋色に染められ、深紅の艦はその色を深いものにしてそれぞれ輝いている。

 

 ブリュンヒルトを操艦しているのは無論、現在の艦長たるザイドリッツ准将だが、バルバロッサはその前任者であったニーメラー大佐が臨時の艦長として操艦を務めている。

 

 軍幼年学校校長であるロイシュナー中将は地上にあって、黄昏に近付きつつある天空を舞う白銀と深紅の戦艦の姿をときおり仰ぎ見て、そのたびに懐旧と羨望がもつれ合ったかのような表情を浮かべていた。

 

 そして隣接する昨年完成したばかりの戦没者墓地の一角には故カール・ロベルト・シュタインメッツ元帥の墓標が建てられており、いわば総旗艦ブリュンヒルトの歴代艦長全員がこの地に集結し、各々異なる立場から主君の葬列を見守っているのだった。

 

 

 ニーメラーはブリュンヒルトの二代目艦長であったロイシュナーの副長としてアスターテ、アムリッツァの両会戦に参加し、ロイシュナーが准将に昇進して分艦隊司令官に転任した後に艦長の座を引き継ぎ、リップシュタット戦役において初めて旗艦の艦長として戦場へと赴く事となった。その芸術的なまでの操艦技術や運営能力、部下たちからの信望の厚さは前任者であるシュタインメッツやロイシュナーに劣るものではなく、戦役中は総司令官たるラインハルトは自らの旗艦の運用に関して、全く懸念を抱く事なく貴族連合軍との戦いに専念する事ができたのである。

 

 だが、その翌年にケンプとミュラーの指揮するイゼルローン回廊への遠征軍が進発した直後、ニーメラー中佐は急病に倒れ、長期療養に入らざるを得なくなってしまった。副長であったマットヘーファーは当時は少佐であったため戦艦の艦長たる要件を満たしておらず、ニーメラーは知己であり生粋の宇宙船(ふな)乗りの七代目たるジークベルト・ザイドリッツ大佐を後任の艦長に推挙したのである。

 

 当初ラインハルトはその推挙に対し、少なからず困惑の色を見せた。ザイドリッツの艦長としての能力や声望はラインハルトも熟知する所であり、それらを疑った訳ではない。彼がらしくもない動揺の表情を表したのは、別の理由によるものであった。

 

 

 旧帝国暦四八七年のアムリッツァ会戦後に中将から上級大将へと生者でありながら二階級特進を果たしたジークフリード・キルヒアイスに、礼遇の一環として高速戦艦バルバロッサが個人旗艦として与えられた。

 

 そのバルバロッサの艦長を務めていたのが、他ならぬ当時中佐だったザイドリッツだったのである。

 

 翌年の旧帝国暦四八八年のリップシュタット戦役において、キルヒアイス上級大将はラインハルトの副将として全軍の三割もの兵力を別働隊として率い、辺境平定に向かった。彼が大小数十回の戦闘にことごとく完勝を収め、次々と辺境を平らげていった陰には、ザイドリッツの完璧に近い旗艦の運用によって回避された危機や獲得した勝機も少なからず存在したのである。

 

 特にキフォイザー星域会戦ではキルヒアイスはわずか八〇〇隻の高速艦隊で五万隻のリッテンハイム侯率いる大艦隊に突入して、統制に欠ける敵艦隊を内部からかき回して混乱の極に陥れてのけたのだが、その陣頭にあったバルバロッサの操艦を担当したザイドリッツ中佐は総司令官の迅速な指揮に遅れる事なく的確に従い、見事にキルヒアイスの期待と意思に応えて勝利に多大な貢献を果たしたのだった。

 

 そして辺境を完全平定してラインハルトの本隊と合流した後の貴族連合軍との最終決戦においても、キルヒアイスは高速巡航艦隊を率いて勝利の契機を作ったのだが、苛烈な砲火の中にあっても艦長の巧妙な操艦により揺るぐ事なく前進していた戦艦バルバロッサの勇姿が味方の士気を高め、敵を畏怖させたのも勝因の一つであった。

 

 だが、勝利の直後、敬愛していた赤毛の驍将は、己を疎んじ、遠ざけようとしていた友を刺客の魔手から守って斃れた。バルバロッサはラインハルトの予備旗艦として帝都の宇宙港に繋がれ、ザイドリッツは大佐に昇進したものの、それを喜ぶ心境には到底なりえないまま悲哀と失意を抱えて深紅の戦艦から降りる事となったのである。

 

 

 その傷心の真の宇宙船乗りが、自分の旗艦の艦長たる事を承知してくれるであろうか──。

 

 

 ラインハルトがニーメラーの推挙に躊躇したのはそれが理由であった。キルヒアイスを死に追いやった自分を、彼は赦し、その手腕を惜しみなく振るってくれるのか。己の愚かしさを責め、悔いる事限りないラインハルトには自信がなかった。

 

 ニーメラーは病院のベッドに横たわりつつ、TV電話(ヴィジホン)越しに主君の表情からその心理を察したが、あえて彼は重ねてザイドリッツを推薦した。

 

 ラインハルトは意を決し、首席副官のシュトライト少将にザイドリッツ大佐を執務室に呼ぶように命じた。そしてほどなく参上したザイドリッツに気が進まないのであれば断っても構わないと前置きし、ラインハルトは総旗艦艦長就任の話を切り出したのである。

 

 主君からの話を聞き終わった大佐は瞼を閉じていたが、それも長い事ではなく、見開かれた瞳には決意の意思が見て取れた。

 

 キルヒアイスの死に対しラインハルトに責任があるのは紛れもない事実であろうが、天上(ヴァルハラ)に去った赤毛の名将が金髪の盟友を、文字通り生命を賭して守り抜いたのもまた事実である。そのラインハルトのために最善を尽くすのは故人の希望にかなう事であるはずであった。なればこそ、キルヒアイスの旧部下であったブラウヒッチ、アルトリンゲン、ザウケンといった提督たちはラインハルトの直属に転じる事を(がえ)んじ、現在も主君に勝利を捧げるべく最善を尽くしているのではないか。ミッターマイヤー麾下となったビューローやジンツァー、ロイエンタールの幕僚となったベルゲングリューンらも同様であろう。自分一人がラインハルトに背を向けるような真似をしては、天上のキルヒアイス提督に合わせる顔がないというものであった。

 

「閣下が何を気にかけていらっしゃるのか、小官は理解しているつもりです。ですが、閣下のために微力を尽くす事こそが、キルヒアイス元帥の遺志に沿うものと小官は承知しております。まして、総旗艦の艦長たるを命じられるは、小官にとってはこの上ない栄誉。謹んで拝命いたします」

 

 かくしてザイドリッツはブリュンヒルトの四代目艦長に就任し、数多の戦場においてラインハルトを満足させる手腕を振るう事となった。

 

 なお、初代艦長のシュタインメッツは旧帝国暦四八六年九月の第四次ティアマト会戦後に准将に昇進して辺境星区に転属し、艦長であった期間は半年程度であった。

 

 二代目のロイシュナーは旧帝国暦四八七年一〇月のアムリッツァ会戦後に准将に昇進して分艦隊司令官となり、約一年でブリュンヒルトから離れる事となる。

 

 三代目のニーメラーは旧帝国暦四八九年の四月に、前述の通り病気療養のため在任一年半で艦長の座を退いた。

 

 そして四代目のザイドリッツは旧帝国暦四八九年四月から新帝国暦〇〇二年の八月現在に至る三年四ヶ月まで、歴代艦長の中でもっとも長くブリュンヒルトの艦長を務めているのであった。

 

 

 皇帝の棺は丁重に、静かに墓穴に納められた。その上に花束が添えられた後、土が静かにかけられていく。

 

 ユリウスはその様子を黙然として見ていたが、不意に隣接する戦没者墓地に視線を向けた。その墓地にはシュタインメッツのみならず、彼と同時期に戦死したアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト元帥、テロに斃れたブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ工部尚書、皇帝を守って生命を落としたコルネリアス・ルッツ元帥、そしてオスカー・フォン・ロイエンタール元帥の墓も立てられているはずであった。

 

 

 ロイエンタールとその麾下にあって叛乱の最中に生命を落とした者たちは、叛乱終結後の惑星ハイネセンの治安責任者となったアウグスト・ザムエル・ワーレン上級大将の管理の下に密葬が営まれた後、遺族の意向や要望に応じて各々各地に墓が建てられる事となった。

 

 ロイエンタール自身は法的には独身であり、両親はすでに他界し兄弟姉妹もいなかったが、ロイエンタール家に父親の代から仕える老執事がロイエンタールの遺体の引き取りを申し出た。

 

 後世の歴史家たちは「ラインハルト・フォン・ローエングラムの質素で地味な私生活よりも、むしろオスカー・フォン・ロイエンタールのそれにこそ王侯の格調があった」と評しているが、そういった生活を営むには、当然ながら使用人の存在が不可欠である。官舎では従卒がその身辺の世話を行なっていたが、ロイエンタールの私邸には少なからぬ数の使用人が勤めており、彼らを取りまとめているのがこの老執事であった。

 

 フェザーンへの遷都令が発布された後、新領土総督として惑星ハイネセンに着任したロイエンタールは、生家たる旧帝都オーディンの屋敷を引き払って新帝都となるフェザーンに新しい邸宅を構えるように老執事に指示し、後事は全て彼に委ねた。前もって準備を進めていた老執事は遅滞なく主人の意向に従ってフェザーンへの転居を済ませ、主人がフェザーンにいつ戻ってきても問題なく迎えられる用意を調えたのだが、ロイエンタールは結局その新居に足を踏み入れる事はなかったのである。

 

 ロイエンタールの叛乱に際し彼の私邸は封鎖され、留守を預かる老執事は他の使用人たちの動揺を抑えた後、憲兵隊から出頭を命じられて聴取を受けた。だが彼は、

 

「この件に関し、私めは旦那様からは何も伺ってはおりません。大逆罪の連座の対象となるならば、謹んでそれに従います。ですが、他の使用人たちにはなにとぞ寛大な処置をお願いしたい」

 

 と、泰然として応じ、直々に尋問を行なった憲兵副総監ブレンターノ大将を感嘆させた。とはいえ、皇帝ラインハルトには叛逆者の一族郎党までも処罰の対象にする意思は毛頭なかったのだが。

 

 そして叛乱終結後、密葬の後に叛乱に参加した将兵の遺体の埋葬が許可される事を知った老執事は、ロイエンタールの遺体の引き取りとフェザーンへの埋葬を懇願したのである。

 

 ロイエンタールは生前、祖国の滅亡を予期した古代の名将が主君に疎まれて自決する際に「自分の目をくり抜いて敵国の方角にある城門の上に置け。故国の滅亡を見届けるためだ」と言い残したという逸話を挙げた後、

 

「俺の死ぬ瞬間を、俺自身の目で見てみたいものだ」

 

 と独語したのを老執事は記憶していた。それゆえロイエンタールと縁が深いとは言い難いフェザーンに埋葬を希望する理由を聞かれた彼は、

 

「旦那様はローエングラム王朝の未来をお気に掛けておられる事と思います。王朝の往く末を見届けられるのならば、その中心となる新帝都こそが最も相応しい場所と私めは愚考した次第でございます」

 

 と答えたのだった。

 

 

 

 叛逆者であるロイエンタールは、当初は戦没者墓地への埋葬の資格なしとして別の墓地に葬られるはずだったのだが、ロイエンタールがフェザーンに埋葬されると知った皇帝ラインハルトは、

 

「予は彼に元帥号を返還した。予が任命した元帥ならば、予の名の下に弔う義務がある」

 

 として、戦没者墓地への埋葬を指示したのである。

 

 埋葬に際しては、老執事を始めとする使用人たちの他、叛乱終結後に予備役に編入されたディッタースドルフ中将、ゾンネンフェルス中将、リッチェル中将、シュムーデ技術准将、レッケンドルフ少佐といったロイエンタールの旧部下たち、そして親友ミッターマイヤー元帥とその一家も立ち会う事となった。ラインハルト自身は参列を控えたものの、皇帝の首席副官シュトライト中将が代理として派遣された。ロイエンタールの遺児にしてミッターマイヤーの養子となった幼児は義母に抱かれつつ実父の埋葬を見届けたのだが、当時一歳にも満たなかった彼は、無論後年になってもその光景を思い出す事はできなかったのである。

 

 

 そのロイエンタールの墓の周囲にはバルトハウザーやシュラーを始めとした、ロイエンタールの叛乱に従って戦死した将兵たちの墓も建てられており、ロイエンタールの墓に最も近い位置に建てられている墓石には、次のような文章が刻まれている。

 

「帝国軍大将ハンス・エドアルド・ベルゲングリューンここに眠る」と。

 

 

 ハンス・エドアルド・ベルゲングリューンはかつては故ジークフリード・キルヒアイスの麾下にあって分艦隊司令官として勇名を馳せた。キルヒアイスが不慮の死を遂げた後はロイエンタールの下に転任して参謀長となり、ロイエンタールの新領土総督就任後は査閲総監に任命されるなど、軍事方面における彼の右腕として全幅の信頼を寄せられていた人物である。ロイエンタールの叛逆に際しては、当初は思いとどまるように諫止したものの、上官がその決意を翻すつもりがないと悟った後は黙然としてロイエンタールに従った。

 

 叛乱終結後、ミッターマイヤー元帥麾下の分艦隊司令官であるフォルカー・アクセル・フォン・ビューロー大将は、総督府の玄関においてミッターマイヤーらを迎えた旧友ベルゲングリューンの姿がいつの間にか消えている事に気付き、総督府の彼の執務室を訪れた。ドアの前に警備兵がいなかったため、横にあるTV電話を操作し、来訪を告げる。画面に現れた旧友の陰鬱な表情に、ビューローは悪寒を覚えた。

 

「最期に卿と言葉を交わせるとは望外の事だ。できれば酒も酌み交わしたかったところだが……」

 

「最期だと? 卿、まさか……。早まるな! ドアを開けろ!」

 

 キルヒアイスとロイエンタール。偉大な上官にして真の名将たる二人の人物が最期の瞬間までラインハルトに対する敬愛を抱き続けた事はベルゲングリューンも知っている。だが、ラインハルトが謀臣オーベルシュタインを重用し、そのオーベルシュタインが手駒とした奸臣ラングの暗躍を許した結果、上官に二度も先立たれる結果を生んだとあっては、彼は皇帝に対しこれまで通りの忠誠を誓う事ができそうになかった。己の人生が滑稽で悲惨極まるものに成り果てたと自覚した彼にとって、天上に赴いてかつての二人の上司と再会を果たす以外に、もはや為すべき事は存在しなかった。

 

 ビューローは後悔した。親友の為人から考えれば、こういう挙に出る事も予測できたはずなのに。それを洞察し得ず解錠装置も用意していなかった自分の迂闊さを呪いつつ、ロックされたドアを何度も強く叩いた。

 

「死に急ぐな、ベルゲングリューン! 生き延びて皇帝陛下に再びお仕えし、ローエングラム王朝の繁栄と安寧に尽力する事こそ、キルヒアイス元帥とロイエンタール元帥が天上で望まれているとは思わないのか!」

 

「王朝の繁栄と安寧か……。それは屈指の功臣たちを粛清する事によってこそ成り立つ、と皇帝はお考えなのかな。狡兎死して走狗()らる、か」

 

 ビューローの必死の説得に対し、皮肉な口調でベルゲングリューンは応じる。かつて『金銀妖瞳』(ヘテロクロミア)の提督は彼に語ったものであった。「野に獣がいなくなれば猟犬は無用になる」と。

 

 キルヒアイスの死後、一度はビューローの言う通りにも考えられた。だが二度も続けば、もう充分だった。ロイエンタール閣下すら二度までも叛逆の嫌疑をかけられ、その屈辱に耐えられなかった。自分ごときに耐えられるはずもないではないか……。

 

「皇帝陛下にお伝えしてくれ。忠臣名将を相次いで失われ、さぞご寂寥の事でしょう、と。次はミッターマイヤー元帥の番ですか、と。功に報いるに罰をもってして、王朝の繁栄があるとお思いなら、これからもそうなさい、と」

 

 これほどラインハルトに痛烈な批判を浴びせた者はこれまでいなかった、と評される言葉を残してベルゲングリューンはTV電話を切り、画面は何も映さぬ灰白色に還元した。ビューローは腰からブラスターを抜き放ち、最大出力で電子錠の制御卓に向けて発砲する。何度目かの発砲で小規模な爆発が生じ、ビューローは爆発と破片によって顔をかばった腕に軽傷を負ったが、そんな事に構わずドアをこじ開けて彼は室内に駆け込んだ。

 

 だが、無情にもビューローがそこで見たのは、自らブラスターで頭部を撃ち抜き、鮮血の泥濘の中に倒れる旧友の変わり果てた姿であった。栄えある帝国軍大将の階級章は軍服から引きちぎられて床に転がっている。ビューローは覚束(おぼつか)ない足取りで数歩進んだ所で膝を突いてしまい、軍服の膝頭は血に濡れた……。 

 

 

 親友の傷心と生命の両方を救いえなかったビューローは悲嘆に暮れながらも、いや、むしろ悲嘆から逃れるために宇宙艦隊司令長官の幕僚として任務に精励し、上官や同僚と共にフェザーンに帰着した。

 

 ビューローにとって、親友の最期の言葉を皇帝に伝えないという選択肢は存在しなかった。だが、それによって皇帝の鉄槌がベルゲングリューンの遺族の頭上に振り下ろされるような事があってはならない。皇帝の憤怒は自分の一身で全て引き受ける覚悟を固め、傷心の大将は皇帝への謁見を希望したのである。

 

 執務室でビューローからベルゲングリューンの遺した伝言を一字一句あやまたず伝えられたラインハルトは、やや眉を寄せ、目を閉じて黙って聞いていたが、ほどなく見開いた蒼氷色(アイス・ブルー)の瞳には負の感情は宿っていない。ベルゲングリューンとビューローの、それぞれの示した剛直な言動はラインハルトの不快や怒りを誘うものではなかった。仮に誘っていたとしても、それを凌駕する正反対の感情が皇帝を支配していたのである。

 

「言いたい事を言ってくれるものだ。さすがキルヒアイスとロイエンタールに重用されただけの事はある」

 

 苦笑の数歩手前の表情を浮かべつつ、皇帝は評した。

 

「そう言えば、彼は自決に際し階級章を引きちぎって床に捨てていたそうだな」

 

「……はい」

 

「ならば、放言の罰として、彼には不本意だろうが予定通りベルゲングリューンには帝国軍大将として葬られてもらう。それでよいな、ビューロー大将」

 

 それはつまり、ベルゲングリューンの家族は罰されず、遺族として相応に遇されるという事である。ビューローは安堵し、皇帝の寛容に深く頭を下げたのだった。

 

 謁見終了後、宇宙艦隊司令部に戻ったビューローはミッターマイヤーに事の次第を報告した。

 

 蜂蜜色の髪の元帥はうなずき、椅子から立ち上がって窓際まで歩みを進め、外の景色を見やりつつ語り始める。

 

「陛下がな、俺に死ぬなとおっしゃったのだ」

 

 ビューローは一瞬はっとした表情を作ったが、すぐにそれを打ち消し、黙って耳を傾けた。

 

「キルヒアイスとロイエンタール亡き今、俺がいなくなれば帝国全軍に用兵の何たるかを身をもって教える者がいなくなり、自分も貴重な戦友も失う、と。俺のような非才の身には過分なお言葉だが、皇帝のご命令ならば、従わねばならん」

 

 瞼の熱さに耐えるかのようなミッターマイヤーの声であった。

 

「それに、ロイエンタールも最後に言葉を交わした時に言い遺した。皇帝を頼む、と。俺は陛下より八歳ほど年長だ。陛下より八年先に天上に赴くまで、皇帝と王朝を守りたてまつり、次の世代に伝えるべきものを全て伝え切る。それまで俺は意地でも死なんよ。だから、卿の親友が遺した最期の言葉は杞憂もいい所だな」

 

 実際には七ヶ月ほど後に、自分よりも年少の皇帝を見送る立場に立たされてしまう『疾風ウォルフ』は力強い光を湛えたグレーの視線を、同じ内乱の中で同じく親友を失った部下に向けて軽く笑いかけたのだった。

 

 

 埋葬は終わった。皇帝の棺の上を覆った土は固められ、棺は完全に大地の下へとその姿を消したのである。偉大な主君の墓標に対し、皇族や文官は黙祷を、武官は敬礼をそれぞれ行なった。

 

 人々は偉大な皇帝の死を、受け容れ難くも受け容れるために必要な儀式を見届け終え、悄然として帰路へと着き始める。

 

 黄昏の中、日没の方角を見やりつつ、足を止めてユリウスはつぶやく。

 

()が、落ちたな」

 

「……ああ」

 

 グスタフはうなずく。

 

 太陽は完全に地平線の下に没したが、その残照は降りかかる暗闇に抗って天空を暮れなずませている。金色と緋色の余光は、光輝と豊穣の黄金と、業火と流血の真紅で彩られたローエングラム王朝を体現している様にも思えた。

 

 陽は落ちた。落日の後、その残照はやがて消え去り、冷気を伴った暗黒が残された人々の心身を覆う事になるだろう。

 

 だが、陽はまた昇る。昔日の太陽の輝きには及ばずとも、柔らかい払暁の光が差し込む事を信じて、今は耐えるしかないのである。

 

「……行くか」

 

「……そうだな」

 

 ユリウス・オスカー・フォン・ブリュールとグスタフ・イザーク・ケンプは共に一一歳。皇帝ラインハルトを始めとする死せる人々が遺したものを継承し、守護するために、悲哀と喪失感と共に希望と決意をその胸に抱いて、未だ幼い「次の世代」たる二人の少年たちは歩いていくのであった。

 

 

 

 

 

                                第一章 完結


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