そんな、とある日の出来事です。
下心があったりなかったりな俺は愛宕先生を食事に誘いだすことに成功する。
だが食堂は満席で、どうしようかと迷っているところに、聞き覚えのある声が聞こえてきて……。
前編
とある日の夕方。
幼稚園での業務を終えた俺は、いつも通りスタッフルームで缶コーヒータイムと洒落こんでいた。子供たちに振り回されて疲れきった身体中の筋肉を、缶の口からふわりと香るアロマを味わいながら、緊張をほぐしていく。
「ふぅ……」
一息つくことができ、疲れが少しだけどこかへ飛んでいった気がした。程良いリラックスの時間を楽しみながら、チビチビとコーヒーを飲む。人によっては仕事帰りに焼鳥屋や居酒屋でちょっと晩酌――なのだろうけれど、生憎お酒はあまり好きではない。数少ない友人からもったいない人生だと言われたことがあるが、これはこれで、安上がりな発散方法と思えば良いだけの話である。
ぐうぅぅぅ……
緊張がほぐれて安心したのか、腹部から情けのない音が部屋に響きわたった。結構大きい音だったので、愛宕がいなくて良かった……と、思っているところに扉をノックする音が聞こえた。
「お疲れさまです~」
挨拶をしながら愛宕がスタッフルームヘと入ってきた。まさに間一髪のタイミングだと、ほっと胸をなで下ろしながら「お疲れさまです」と、挨拶を返す。
「あらあら~、今日はいつものコーヒーとは違うんですね~」
「え、あ、はい。たまには気分を変えてみようかなと思いまして……」
愛宕に突っ込まれ、少しビックリしながらそう答えた。確かにいつもとは違う、微糖でアロマなボトルタイプの缶コーヒー。近くの自動販売機に新商品として入っていたので試しに買ってみたのだが、香りが良くてお気に入りにしたくなる商品だった。できれば消えないで欲しいなぁと思うのだが、俺が好きになった商品がことごとく消えていくのを小さい頃から見てきているので、過度な期待はしないでおく。
「……って、あれ?」
「はい、どうしました~?」
独り言を呟いた俺の声に、自分のロッカーを開けた愛宕が振り向いた。
「えっと、その、俺がいつも飲んでいる缶コーヒーなんですけど……」
「エメマンのキレッキレ微糖ですよね?」
「あっ、そ、そうです……けど……」
当たり前のように答える愛宕。仕事を終えた後はかかさず決まった缶コーヒーを飲んでいたのだけれど、まさかそれを覚えていてくれていたのだとは思わなかった。少し前に暴行を受けて気絶した俺を解放してくれていた愛宕と、良い感じの雰囲気になったこともあったけれど、もしかするともしかするのではと思いかけていた矢先……
「好きなんですよ~」
「え……ええっ!?」
満面の笑みを向けてそう言った愛宕に、俺は慌てふためいた。まさかこんなに呆気なく告白されるとは思ってもいなかった。しかし、俺も男である。女性からそう言われたならば、しっかりと答えなければならない。
「お、お、お……俺……も……です……ね、」
そう思っていたのだが、緊張が全身にまとわりつくように襲い、手は汗でびっしょりと濡れ、口がうまく動いてくれなかった。こんなことでは呆れられてしまうかもしれないと、焦りが余計に邪魔をし、それでもなんとか言葉にしようとギュッと目を瞑ったのだが――
「程良い苦みが美味しいんですよね。それに、カロリーも低いですし~」
糖分は取り過ぎちゃうと……と、笑いながら愛宕はポケットから取り出したキレッキレの微糖缶コーヒーのプルトップを引き上げて開封した。ごくごくと美味しそうに飲む愛宕の姿に、呆気にとられたように佇んでしまう俺。
あぁ……缶コーヒーの話なんですね……
思い違いをしてしまった俺の身体に、恥ずかしさと気疲れが一気に襲ってきて、がっくりと肩を落とした。よくよく考えたら俺なんかが惚れられるわけ無いよな……と、余計に落ち込むが、それならやっぱりこの間のことが気になったりする訳で。
「あの時……やっぱりキス……」
「はい? キ……って、なんですか?」
「あ、え、えっと……」
ぼそりと呟いたのを聞かれてしまい、愛宕が聞き返してきた。素直に聞ければいいのだけれど、さっきの勘違いで億劫になってしまった俺は、どうにかして誤魔化そうと「さ、魚の……き、キスでも食べたいなぁ……とか、思ってたり……ですね」答えた。
「あぁ、なるほど~。キスの天ぷらとか美味しいですもんねぇ~」
「そ、そうですよね! この辺でも釣れたりしますし、最近は食べてないですし……」
「そんなこと聞いちゃうと、今夜の夕食はお魚さんが食べたくなりました~」
お腹を押さえながら微笑む愛宕の姿にほっと一安心する俺だけど、これで良かったのかどうなのかは内心複雑だったりする。あの時のことを聞けるタイミングだったのにと残念にも思えるし、かといって、思い違いで恥をかくのはさっきでこりごりだ。まぁ、またの機会があればその時に聞くことにしようと無理矢理納得することにした俺は、ひとまずお腹の音に対処するべきだなと考えて、鳳翔さんの食堂へ行こうと愛宕を誘ってみる。
「そうですね~。仕事は終わりましたし、お腹もぺこぺこですからご一緒しましょう~」
そう答える愛宕の姿に内心ガッツポーズした俺は、残っていた缶コーヒーを一気に飲み干して素早くエプロンを外し、ロッカーの中にあるハンガーに掛けた。同じように愛宕もエプロンをロッカーに入れ、「準備おっけーですよ~」との返事を俺に向けた。二人で窓の戸締まりを確認してカーテンを閉め、スイッチを切って部屋の明かりを落とし、部屋から出て扉を閉めて廊下を歩く。玄関でスリッパから靴へと履きかえた俺は入り口のガラス扉の施錠をし、先に外へ出て待っていた愛宕と合流し、食堂へと向かった。
鳳翔さんの食堂は、夕食時間になると艦娘たちの姿でいっぱいになっていることが多い。作戦任務から帰ってきた艦娘たちが宿舎で休んでからや、幼稚園の子供たちの夕食を取る指定の場所であるからして、当たり前と言えば当たり前なのではあるが。
ちなみにここ以外にも食堂はあるのだけれど、司令室やドックなどがある建物が近いこともあり、主に作業員や提督などが利用しているらしく、俺はまだ行ったことがない。
「ん~、空いている席はあるでしょうか~?」
辺りを見渡す愛宕だが、席はほとんど満席状態だった。時計の針はちょうど19時を指したところ。1日で一番混む時間なのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、今のお腹の空き具合を考えると、一端出直すというのは避けたいところである。
それに、折角の愛宕と一緒の夕食である。是非にでも親睦を深めたい俺としては、なんとかして席を確保したいのだけれど……
「あれれ、先生っぽいー」
後ろから聞き覚えのある声に振り向いてみると、予想通りの夕立の姿がそこにあった。にこにこと手を上げて挨拶をする夕立に、俺と愛宕は同じように手をあげて挨拶を返す。
「先生たちも、晩ご飯を食べるっぽい?」
「ああ、そうなんだけど……」
そう答えながらもう一度食堂を見渡してみたが、やっぱり席は空いてなさそうで、どうやら出直すしかなさそうだった。残念な顔を浮かべる俺に「仕方ないですよ~」と苦笑を浮かべる愛宕。そんな俺たちを見た夕立は「それじゃあ、先生たちも一緒に来るっぽいー」と、言いながら俺と愛宕の手を引っ張った。
「お、おいおい、どこに行くんだ夕立?」
「着いてからのお楽しみっぽいー」
そう言われては聞くのは無粋というもの――なのだけれど、夕立が向かおうとしているのは厨房の方であり、この混雑した状況を考えると、邪魔をすることになってしまうのではと思い、心配になって愛宕の顔を伺った。
「心配しなくても大丈夫ですよ~」
そんな俺の心を見透かしたように、いつもの笑顔を浮かべた愛宕は夕立に引っ張られるのを楽しむように、軽い足取りで歩いていく。
まぁ、愛宕がそう言うのであれば大丈夫なのだろう。
いったい何が起きるのだろうと、興味半分、不安半分といった感じで後に続いた俺は、連れられるまま厨房へと入る。
「千代田、そっちは大丈夫!?」
「な、なんとかなりそうっ! それより千歳姉ぇの方は!?」
「こっちの心配はいいから、全力で手を動かしてっ!」
「りょ、了解!」
厨房は戦場と化していた。無言で料理を作り続ける鳳翔さんに、声を出し合う千歳と千代田が料理を運んでいく。調理台の上には所狭しと様々な料理が並べられているが、その量が半端ではなかった。
「う……わ……、スゴい量だな……」
感心して思わず声に出した俺に気づくことなく、3人は一心不乱に仕事をこなしていた。邪魔にならないように間をすり抜ける夕立に引っ張られながら、更に奥へと進んでいく。厨房の端には小さな上がり口があり、上へと続く階段があった。
「こんな所があったのか……」
初めて見る階段に少し驚いたが、よくよく考えてみればこの食堂は2階建だった。入り口から厨房の手前までを見渡しても階段は見当たらなかったのだから、ここにあってもおかしくはない。むしろ、階段がなかったら非常に変な建築物になってしまうだろう。
「んっしょ……んっしょ……」
小さな手で手すりを持ちながら、一生懸命に階段を上がっていく夕立の姿に続く。少し急勾配のため、子どもである夕立にとっては上がるのが大変なのだろう。思わず手を差し伸べようかと思ったが、その一生懸命さに水を差すのは良くないと踏み止まった俺は、心の中で応援しながらゆっくりと階段を上がっていく。
「もう少しだから、頑張って夕立ちゃん」
「ふぁいとーっぽいー」
いっぱーつ! とは、声に出さないでおく。
思わず叫びそうになったけれどねー。
「ふぅー、到着っぽいー」
心の中で、ボケなのかツッコミなのか応援しているのかよく分からなくなってきた俺を余所に、階段を上りきった夕立が両手を上げてバンザイをしながら決めポーズを取って振り向いた。額に少し汗をにじませながらも笑顔を見せたその姿に、俺と愛宕は拍手を送りながら階段を上がりきる。右へと折れた先に見えたのは、畳敷きの大きな広間だった。
「夕立、おっせーぞ……って、先生じゃん!」
「あらあら、愛宕先生まで~」
「あっ、せんせい……こ、こんばんわ……」
「ワーオ! サプライズゲストデース!」
座卓の周りに座っていた天龍、龍田、潮、金剛が俺たちの姿を見驚きながら声を上げた。俺の方も、いつものメンツが揃っていて少しビックリしたが、「よっ!」と、手を上げて挨拶を返す。
「先生ー、こっちに座るっぽい―」
いつの間に座布団を敷いていたのか、夕立は座った状態で俺と愛宕に手招きをしていた。
「気にせず好きな所に座ってクダサーイ!」
金剛はそう言いながらも、俺にこっちに来るようにと同じように手招きをする。子どもたちの好意を無にするのも悪いし、下の階では暫く座る事も出来ないだろうから、ここは素直に甘える事にしよう。
「それじゃあ、ちょっとお邪魔するよ」
俺は手招きする金剛の隣に座って「ありがとな」と、みんなに頭を下げる。愛宕は――夕立の隣に座ってにこやかに微笑んでいる。 うむむ……ちょっと残念。
「てりゃーっ!」
「ごふっ!?」
愛宕の姿を見つめていた俺の横っ腹に、急に強い衝撃を受けて大きく咽せてしまった。何事かと慌てふためきながら見てみると、予想通りに金剛のが抱きつきながら「そんな顔しテないで、楽しくやるデース!」と、少し不満げな表情を浮かべてる。
「す、すまんすまん……」
謝りながら金剛の頭をナデナデ。「えへへー」と、ちょっぴり恥ずかしそうにしながら撫でられている金剛の笑顔が何とも愛おしい。
将来、こんな可愛い子が欲しいなぁ……なんて、思ってみたり。
「……せんせー」
「ん、どうした?」
「なんだか、複雑な気分デース……」
そんな俺の心を読んだのか、急にジト目になる金剛。いや、っていうか多少顔に出やすいと自負はしているが、そんなに細かい事まで分かるのか普通!?
そもそも、愛おしいと思っている事に対して怒られるのは納得いかない気がするんだが。
「ふぅ……やっぱり先生は乙女心がわかってないデース」
子どもに説得される先生の図がそこにはあった。
……楽しくやろうって言ってた本人が、そこまで言わなくてもいいと思うんだけどね。しくしく……
「ところで、お姉さん達はまだっぽい?」
きょろきょろと広間を見渡す夕立だが、他にそれらしき人物は見当たらない。てっきり仲良し5人組でお食事会だと思っていたのだが、それだとこの広間の規模や座卓の大きさがミステイクである。良く考えてみれば、俺や愛宕がこの場にいる今の状況は違和感無しだけれど、保護者が居ない状態で、座敷であるこの場所を子どもたちだけが占有と言うのもおかしな話だ。
「朝からお風呂に入るって言ってたから、もうそろそろ来るんじゃねーかな」
いや、どんだけ長風呂なんだよその人。略してDNF。途中棄権はしたくはない。
「最近てーとくがバケツくれないって、お姉さんたちが愚痴ってたわ~」
「う、うん……私も聞いたかも……」
「ケチな人の下には着きたくないですネー」
子どもたちにすら散々言われてしまう提督に合掌。まぁ、知らなければ悲しくはならないだろうけど。
しかし、子どもたちが言うお姉さんたちとはいったい誰なのだろう。みんなの雰囲気から好かれているというのは分かるのだが、長風呂にバケツ、そしてさっきの厨房で見た大量の料理が頭の隅に引っかかる。
「ん?」
そんな事を考えていると、階段の方から足音が聞こえてきた。ついにお姉さん達の正体が現れるのか……と、期待に胸を膨らませながら振り向いてみると、
「みんなー、飲み物持ってきたよー」
お盆にジュースを載せて持ってきた、千代田の姿がそこにあった。
「ありがとー」と、お礼をいう子どもたちに千代田は笑みを浮かべながら、座卓にコップを並べていく。「先生もジュースで良かった? それともビールの方が?」との問いかけに「ジュースで大丈夫だよ。ありがとね」と、会釈を返した。目の前に置かれるオレンジ色の液体が入ったガラスのコップ。多分中身は見た目通りのオレンジジュースだろう。座卓に並べられたコップの数は全部9個で、広間に今居るのは7人だから、後2人がここに来るのだと予想できた。
トントン……と、階段を上がってくる足音がまた聞こえてきた。今度は複数の足音で、千歳と千代田が料理を運んできたのかな……と、思っていると、後ろからあまり聞き覚えの無い声が聞こえてきた。
「あれ、貴方は……」
後編へ続きます。
ご感想等がございましたら、是非よろしくお願い致します。