ーーということで、特訓することに決めました。
夕食前の時間に2人幼稚園で居残り特訓。
そんな状況になったら、どうなるかって……ねぇ。
「それでは、お疲れ様でしたー」
「ウム、オ疲レ様」
「お疲れ様でーす」
本日の授業を全て終えた俺を含む教員一同は、以前と同じようにスタッフルームで明日の打ち合わせを済ませてから挨拶を交わし、幼稚園を後にする。
後は寮の自室に帰ったり、早めの夕食を取りに行ったり、はたまた鎮守府から外出してコンビニに行くこともあるだろう。
しかし、今日の俺は用事がある。もちろんその許可もすでに取っており、相手も了承済みなんだけれど、
「くぅ……、やっぱり納得ができないわ!」
ビスマルクがハンカチの端を噛みながら、俺の方を睨みつけている。
「いや、だからさっきも説明した通り、居残りしなきゃいけないんだって」
「それじゃあ私も残らせてよ!
そして人目がないのを見計らって、キャッキャウフ……」
「はいは~い。
お邪魔虫は私と一緒に食堂へ行きましょうね~」
またしても厄介なことを言おうとしていたビスマルクの襟を後ろから掴んだ愛宕が、ニコニコとしながら扉の方へ引っ張ろうとしていた。
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!
あなたもこんなのって、嫌じゃないの!?」
「先生はちゃんと考えた上で行動しているので大丈夫なんですよ~」
「だけど、私の目が届かない状況で密室なんかになったら……」
「そこにビスマルク先生が居た方が、先生にとって良くありませんからね~」
「どうしてよ!」
「どの口が言うんでしょうか……と言いたいところですけど、今から鳳翔さんの食堂で乾杯するメンツも欲しいじゃないですか~」
「くっ、そんな言葉に惑わされる私、ビスマルクじゃ……」
「チナミニ今日ハ、飲ミ仲間ノ隼鷹モ含メテ2階ヲ借リテイルノダケレド」
ボソリと港湾棲姫が呟いた途端、ビスマルクの顔色が即座に変わる。
「なん……ですって!?」
「たまたま予約が取れたんですから、ご一緒したいですよね~」
「シカモ、特製料理マデ用意デキルラシイカラネ」
「と、特製料理……」
じゅるり……と、ビスマルクの口からよだれが垂れてきたんだけれど。
いや、ちょっとくらい拭くとか、そういう行動はないのだろうか。
仮にも良い歳をした大人……の風体なんだから、もう少し色々と気を使おうよ。
「………………」
そんな俺の心配はお構いなしに、しばらく考えこんだビスマルクは唐突に手を叩き、コクリと頷いてから口を開く。
「仕方ないわね
今日のところは引き下がることにするわ」
キリッと決め顔でそう言ったビスマルクが俺の方を見るが、よだれが垂れた状態では全くもって締まらない。
しかし、ここでツッコミを入れたら気が変わるかもしれないと思った俺は「俺も行きたいけれど、今度の機会にするよ」と言って、愛宕、港湾棲姫、ビスマルクを見送った。
「うぅ……、鳳翔さんの特製料理かぁ……」
そんな俺の後ろから、ビスマルクと同じようによだれを垂らしながら悲しそうな顔を浮かべたしおいが肩を落としていたんだけれど、目的を忘れちゃっていないよね?
「ほらほら、せっかく居残り特訓の許可が出たんだから、早くやろうよ」
「美味しい料理に……、美味しいお酒……」
首を上げて天井を見つめるしおいがブツブツと呟きながら目をキラキラと光らせているんだけれど、いったい脳内でどんな様子が繰り広げられているのだろう。
……まぁ、鳳翔さんの特製料理って聞いたら仕方がないかもしれないけどさ。
しかしそうとはいえ、せっかくの時間を無駄にする訳にもいかない。ここは心を鬼にして……ではモチベーションを保つことができないかもしれないので、ちょっとした餌を撒くことにする。
「この特訓をちゃんと終わらせた後に、食べに行けば良いでしょ?」
「でもそれって、すでに料理は無くなっていますよね……」
「まぁ、あの3人がガチで食べたら残らないだろうけどさ……」
ブラックホールには届かないかもしれないが、ハラペコの名を持つ愛宕に港湾棲姫、そして佐世保で何度も見てきた酒豪のビスマルクも、飲みだけではなく食べる方も凄いのだ。
おそらくしおいが言うように特製料理は残らないだろうが、普段の食事を取ることくらいは大丈夫だろうし、次の機会を匂わせれば良い。
「しおい先生がちゃんとできるようになったら、俺から鳳翔さんに頼んで特製料理を作ってもらうようにするよ」
「ほ、本当ですかっ!?」
「もちろん、そのためにはしっかりと頑張らないとダメだけどね」
「分かりました!
しおい、全力で頑張りたいと思いますっ!」
「うんうん。
それじゃあ早速、教室の方に向かおうか」
「はい!」
右手をビシッと上げて元気良く返事をしたしおいを見た俺は、にこやかに頷いてスタッフルームを出ることにした。
「それじゃあまず、座学の授業を想定してやってみようか」
「は、はい。頑張ります」
教室に入った俺は子供たちが座っているように机と椅子を並べ、その1つに腰掛ける。
そうしている間に、しおいは教壇の方に立って本を開けているが、面持ちが少々緊張じみている気がするのは気のせいではなさそうだ。
「これはあくまで練習なんだし、緊張しなくても大丈夫だよ?」
「そ、それは分かっているんですけど……」
言葉を詰まらせたしおいがチラチラとこちらを見ているんだけれど、何かおかしなことでもあるのだろうか。
「えっと、なに……かな。
もしかして、俺の顔に何か変なモノでもついちゃっていたりする?」
「あー、いえ。
別に何もついては………………あっ!」
急に驚いた顔を浮かべたしおいが、なぜかゴホンと咳をする。
「すいません、間違えました」
「……ま、間違えた?」
「はい。
先生の顔には何もついてはいないんですが……」
徐々に声を小さくしていくしおい……って、なんでそんなことをするのだろう。
「実は……その……」
「う、うん……」
「先生の顔……と言うか、頭の後ろの方にですね……」
「うし……ろ……?」
そう言われると振り向きたくなるものだが、なぜか嫌な予感がして戸惑う俺。
更にしおいの表情が怪談話をする中年男性の雰囲気を醸し出しているみたいに感じ、背筋に続々と寒気がはい上がってきた。
時刻は夕食前であり、空も赤から黒に変わっている。
そしてこの部屋には俺としおいの2人だけ。しかも、言葉を溜めているかのようにしおいが間を取っているので、聞こえてくるのは息づかいと時計の針の音だけだ。
「あ、あの……、しおい……先生……?」
「………………」
半目で俺の顔……いや、先ほど言った頭の後ろ辺りに無言で視線を送るしおいに、俺の心臓がバクバクと高鳴りを上げ始める。
「い、嫌だなぁ……。
冗談もほどほどに……」
「先生には……」
「え……、お、俺には……?」
「憑いているんですよ……」
「つ、憑いて……って、ま、まさか……、は、はは……」
俺は乾いた笑い声を上げたのだが、しおいはハッキリと否定するかのように首を小さく左右に振る。
「………………」
そして半目を閉じ、再び口を閉ざすしおい。
気づけば俺の額には冷や汗が浮かび、ガタガタと無意識のうちに貧乏揺すりをしていた。
エアコンは稼動しているはずなのに、室温がやけに低く感じてしまう。
時計の針の音が加速し、音まで大きくなっている気がする。
ずいぶんと前に子供たちと一緒にやった、夏の怪談話をしていたときの雰囲気では到底敵わないほどの空気が、この部屋一帯に漂っているのだ。
「……ごくり」
唾を飲み込む音が頭の中に異様なほど大きく鳴り響き、息をするのもためらってしまうほどの緊張が俺の身体にまとわりついたと感じた瞬間、
「……っ!?」
すぐ目の前に、いつの間にかしおいが立っていた。
「し、しおい……先生……?」
椅子に座っている俺にとって、しおいの顔はやや上方向にあるので、おのずと顔を上げざるを得ない。
そして視界に入ったその顔は、お面を被ったかのように無表情で、死んだ魚の目を浮かべながらゆっくりと口を開き出した。
「見えるんです……」
「な……、なに……が、見えるの……かな……」
「先生の後ろには……」
「う、後ろに……は……」
「深海棲艦のル級が見えるんですっ!」
「ぎゃあああああーーって、ル級かよ!」
俺は大きな声を上げつつ即座に後ろへ振り返るが、誰の姿もない。
ちなみに驚いた感じの声だったのは、しおいが急に大きな声を出したからであって、恐怖に震えた訳ではない……と思う。
「……って、誰もいないんだけど?」
俺は再びしおいへと顔を向け、ジト目を浮かべながら問い詰める。
「そういう風に青葉が言えって聞いてたんですよねー」
「また青葉かよ!
ル級が出てきたから、てっきりあいつの仕業かと思ったのに!」
「あっ、でも青葉が言うには、ル級に会ったときにお願いされたとか……」
「合っていたじゃん!
やっぱりル級の罠だったよ!」
港湾棲姫だけでは飽き足らず、今度は青葉を介してしおいにまで侵食してくるとは、本気で許されることではない。
近いうちに苦情を言うべく、あの島に向かわなければならないな。
いやしかし、それこそがル級の狙いという可能性がなきにしもあらず。
なにをどうやってもアイツの不適な笑みしか浮かんでこないし、どうにかして記憶から抹消したい気分である。
「いやー、青葉の言う通り、見事にハマりましたねー」
しおいがお腹を抱えてカラカラと笑うが、俺としては不本意だ。
「ハマったというか、それ以前にさ……」
「はい?」
「これから特訓をしようっていう時に、こういうのはやらない方が良いと思うんだけどね」
「………………」
さっき以上のジト目を浮かべ、しおいの顔をジッと見つめる。
「えー、えっと、その……」
今度はしおいの額に汗がビッショリと浮かび上がり、気まずい表情で立ち尽くす。
時計の針がカチカチと音を鳴らし、無言の室内に響き渡る。
今度は別の意味で室温が寒いって感じだけれど。
「ご、ごめんなさい……」
「分かれば宜しい。
ただし、次同じようなことをやったら、さすがにペナルティを与えるからね」
「ぺ、ペナルティ……ですか?」
サァ……と、しおいの顔が真っ青になった。
「う、うぅぅ……」
両肩を抱き、ガクガクと身体を震わせるしおいの頭の中では、いったいどんなモノが浮かんでいるのだろう。
まぁ、おそらく愛宕に叱られたとか、そういう感じだろうけれど。
「だ、だめ……っ、そ、そんなオシオキは……、無理ですよぉっ!」
……って、いつの間にかしおいの目に涙が浮かんで、半端じゃないほど震えているんですけどっ!?
「ちょっ、しおい先生!?」
さすがにこのまま脳内思考にダイブしっぱなしではマズイと判断した俺は、しおいの身体を揺さぶって現実に戻してやる。
「……っ、せ、せん……せい」
「だ、大丈夫、しおい先生?」
「あ、はい……。
す、すみません、取り乱しちゃったりして……」
「い、いやいや、俺もペナルティとか言っちゃって、申し訳なかったよ」
しおいが正気を取り戻したのを見て、俺はホッと胸を撫で下ろす。
「………………」
「……ん、どうしたの?」
するとなぜかしおいは俺の顔を見たまま、またしても立ち尽くしていた。
「でも先生の場合って、愛宕先生のオシオキとは違って……ごにょごにょ……」
そして何やら小さい声で呟いているんだけれど、どうして顔が赤くなってきているんでしょうか。
「しおい……先生……?」
「そして先生が……そ、そんなことになったら……、きゃあぁぁぁ……」
両手で赤面した顔を隠しながらそっぽを向くしおいに、どう声をかけたら良いのか迷ってしまう俺。
いったいどうしろって感じなんだけど。
それと、特訓する時間が削られまくっているんだけどね。
しくしくしく……。
次回予告
しおいの暴走が止まりません。
艦娘幼稚園 第三部
~幼稚園が合併しました~ その4「お約束 パート2」
乞うご期待!
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