平然とする安西提督。
そして唖然とする先生たちだが、まだ終わりではなかった。
鳴り止まぬ歓声の中、未だ拳を突き出したままの安西提督が前を見たまま固まっている。
視線の先には青コーナーの前で倒れ込む作業員。
そして驚きのあまり身動き一つできなかった俺の隣から、震える声が聞こえてきた。
「ま、まさか今のは……、マッハ突き……っ!」
「し、知っているのか夕張!?」
「うむ……」
ハッとした俺は慌てて振り向きながら問い掛けると、なぜかいつもと違う返事をする夕張。どこぞの塾に通う学生みたい感じたとしても、それは気のせいだということにしておこう。
「別名、音速拳と言われる正拳突きです。
身体中の関節を加速させて放つこの技は、赤鬼……いえ、安西提督の秘技だったはずなのに、まさか初っ端から使ってくるなんて……」
「そ、そんな技を使える安西提督が凄すぎるんだけど、それをまともに喰らったってことは……」
「す、すでに戦意どころの話じゃあ……」
つまり、安西提督はいきなり大技を繰り出してきたのを作業員が見事に喰らってしまったことになり、俺のチームに敗北がすぐそばまで忍び寄ってきたのだ。
痛い目をあう前に勝負が決まるというのはありがたいが、高雄との約束もあるし、観客席にいる子供たちが残念がってしまう可能性があるのもいただけない。
そんな俺の気持ちをよそに、青冷めた顔をした夕張はロープの間から作業員の様子を伺おうと身を乗り出す。その手にはタオルを掴んでおり、いつでもリング内に投げ込める状態だった。
「……っ、夕張、待ってくれ!」
「え……っ?」
俺はそんな夕張を制止させるために声を上げる。
「……ぐっ、が……ぁ……」
「作業員さん!?」
苦しそうに呻きながら、作業員の顔が少しだけ浮いた。両手をリングにつけて腕立て伏せのように身を起こし、鼻血を垂らしながら安西提督の方を向けている。
未だ作業員の戦意は喪失していない。正直に言って、この状態から起き上がらせて戦わせるのは鬼の所業だろうけれど、なにもそうする必要はない。
「こっちだ!
速く手を伸ばせ!」
タッチをすれば作業員と交代ができる。バケモノじみた安西提督とタイマンを張るなんてやりたくはないけれど、このまま負けを受け入れるよりかはマシだろう。
「………………」
俺の言葉に作業員がほんの少し反応してこちらを見るが、すぐに顔を前に戻して首を振る。
そして何とか立ち上がってから、右腕の袖で鼻血を拭いた。
「お、おい……っ!」
「……悪いが、ワンパンを喰らって即座に交代するなんて、さすがに格好が悪すぎるだろう」
「ば、馬鹿な!
そんなダメージを受けて、戦えるはずが……」
俺がそう叫ぶと、作業員はこちらに顔を向けてニヤリと笑みを浮かべる。
「……え?」
ぽかんと口を開けて固まる俺。
「どうやら、まだいけそうですね。
次は気をつけてください!」
「ああ、今度はちゃんと防御をするさ」
そんな俺を尻目に、夕張と作業員が会話を交わす。
そして再びリング中央へと向かう作業員に、俺はボソリと呟いた。
「は、鼻血が……止まった……?」
『安西提督のパンチを受けた作業員ですが、起き上がって再び相見えようとリング中央へ向かっています!』
『あれだけ激しく吹っ飛ばされたというのに、何という体力なんですの!?』
『さすがは不死身に最も近いと呼ばれた男!
すでに回復も済んでいるようで、まだ期待できそうです!』
「「「ウオォォォーーーッ!」」」
盛り上がりまくる実況の2人と観客たち。
しかしリングの上にいる作業員と安西提督は対照的に、非常に冷静な表情で向かい合っていた。
「追い撃ちをしないで待っていてくれるとは、なかなか意気なことをしてくれるんだな」
「せっかく久しぶりの戦場だというのに、たった1発のパンチで終わらせては楽しみがいがありませんからね。
それに、追い撃ちをしようとしたらセコンドも巻き込んでしまう可能性もあるでしょう?」
「これはまたお優しい考えだが、それが命取りにならないとも限らないぞ?」
「なあに……、そうなったらそうで、楽しめるじゃないですか。
それに、不死身に近いと言われるあなたのことだ、タヌキ寝入りをしていたということもありえますからね」
「………………シッィ!」
安西提督の言葉に作業員は答えず、代わりに左腕を大きく円を描くように振った。
『またしても先に手を出したのは作業員だーーーっ!』
「「「おおおっ!」」」
周りから歓声と疑問が混じりあう声が上がる。
「お、おいっ!
さっきのことを全く学んでいないのかっ!?」
「大丈夫ですよ先生!
今度のパンチはメインじゃありませんっ!」
「め、メインじゃない……?」
俺は言葉の意味がハッキリと理解できず、首を傾げながら攻防を見る。
安西提督は「ふむ……」と呟きながら、ほんの少しだけ身体を斜め後ろに倒して作業員の左フックを避けようとした。
するとその動きを読んでいたのか、作業員の左腕が安西提督の面前でピタリと止めたまま、急に頭を低くする。
「うおりゃあっ!」
止めた左手を大きく広げて安西提督の視界を奪い、頭を腹部へぶつけるようにタックルを繰り出す作業員。右手を使って足を払おうとしているところから、片足タックルを狙ったようだ。
「タイミングはバッチリです!」
嬉しそうに夕張が声を上げると、作業員の顔に少しだけ笑みがこぼれた。
……だがその瞬間、安西提督が小さく呟く。
「甘いですねぇ」
「がぁ……っ!?」
タックルをしかけた作業員の頭が跳ね上がり、赤い液体が注を舞う。
「ひ、膝か……っ!」
そして再び作業員が頭を落としたところで、右膝を上げた安西提督の姿が見えた。
真っ白な軍服には赤い斑点が付着しており、おそらく作業員の鼻から血が吹き出したのだろう。
血の量からして、下手をすれば鼻の骨が折れているかもしれない。最初のマッハ突きで受けたダメージを考えれば、どう考えてもこれ以上は無理……だと思ったのだが、
「まだ……だっ!」
「……む?」
崩れ落ちかけていた作業員はなんとか踏み止まり、前屈みなった勢いのままタックルを再開する。
「うおぉぉぉっ!」
左足に目標を変えた作業員が、大声で叫びながら右肩を激しくぶつける。
「……くっ!」
膝蹴りによって右足を上げていた安西提督はとっさに回避行動を取ろうとするが、時すでに遅し。
『膝蹴りを受けながらも作業員がタックルを繰り出し、ついにテイクダウンですわーーーっ!』
「赤鬼がダウンしただとっ!?」
「すげえ!
ついにやりやがった!」
「だが赤鬼はあくまで倒されただけだから、ダメージはほとんどないはずだ!」
「代わりに作業員の方は2回も顔面に喰らっている!
ここからうまく攻められるとは……なにぃっ!?」
観客から驚きの声が上がったが、それも無理はない。
安西提督から苦労の上テイクダウンを取った作業員は、苦しそうな表情どころか嬉々とした顔を浮かべながらマウントポジションに移行しようとしていたからだ。
「……させません!」
しかし、そこは赤鬼と呼ばれる安西提督。
作業員がマウントポジションを取ろうとするのを防ごうと、大柄な身体に似合わない機敏な動きで回避し続け、目まぐるしい寝技の応酬が繰り広げられている。
『作業員がマウントポジションを狙うも、安西提督が見事なパスガードでそれを回避しています!』
『一気にいくのは無理と悟ったのか、サイドポジションを取りましたわーーーっ!』
安西提督の左側面に移動した作業員は、体重をしっかりと押し付けて動きにくくしながら脇腹にパンチを繰り返す。
「ちっ、これは効きそうにないな……」
見れば、作業員のパンチが脇腹に減り込んでも腹部の脂肪が揺れるだけで、安西提督の顔色は変わらない。
寝技の攻防で打撃をしても、立っているときと比べて威力は格段に落ちる。1番最初に放った作業員のパンチがほとんど効かなかったことを考えれば、手数を増やしたところでたいしたことはないのだろう。
「ならば……、これはどうだっ!」
すると今度は安西提督の側頭部に膝蹴りを見舞おうと、作業員が足を上げた。
「……ふっ!」
しかし、安西提督はこの隙を見逃さない。
押さえ付けられていた体重が軽くなったと見るや、リングの上を滑るようにして距離を取ろうとし、作業員から距離を取ろうとする。
「逃がすかぁっ!」
だが、作業員もその手を読んでいたらしく、膝蹴りを中止して再度体重を預けていく。そしてそのままマウントポジションを取るべく、激しい攻防が繰り返された。
純粋な格闘技として、素晴らしいと言っても良い戦いが目の前にある。
いつしかこの光景に捕われていた俺は、拳を握りしめながら作業員に何度も声をかけていた。
「いけ、そこだ!」
「作業員さん、安西提督の右手に注意です!」
セコンドの夕張も的確なアドバイスを送り、作業員の攻勢は揺るがない。
安西提督が有利と見ていた観客たちも、想定外の展開に大きな歓声を上げていた。
「くっ、さすがに上手い……っ!」
「いやはや、ここまでやるあなたもたいしたものですよ」
いくら上になっているとは言え、少しでも隙を見せれば攻守が変わってしまうのも寝技の魅力の1つである。
攻めている作業員の顔は険しく、守っている安西提督の顔は冷静なのは、おそらく余裕の差なのだろう。
「おかしい……ですね……」
「……へ、何が?」
「いくら安西提督が強いといっても、防戦一方で下になっていると体重を乗せられてしまってスタミナを削られます。
もちろんそれも狙っての攻撃もしているはずなんですが、いくらなんでも危機感が無い表情ですよね……」
「そ、それは……、安西提督にはまだ余裕があるからじゃないのかな?」
「余裕があるなら、攻勢に出られるはずです」
「そこは作業員が上手くいなしているから、それができないんじゃないの?」
「それならやっぱり、少しくらいは嫌そうな顔をするはずなんですけど……」
言って、夕張は頭を傾げながらもアドバイスを作業員に送る。
たしかに夕張が言ったことを考えてみれば気にはなる。しかし、他人の頭の中を覗き込むなんて俺にはできないし、格闘技の専門家でもないので夕張以上のアドバイスをかけられないのだけれど……、
「………………えっ?」
サイドポジションからマウントポジションへ移行しようとする作業員の胸板を肘打ちで跳ね返し、安西提督が距離を取ろうとした場面を見た瞬間、俺はあることに気がづいた。
何度も繰り返してきた寝技の攻防により、いつの間にか2人の位置がリング中央から赤コーナーの方へ移動していたのだ。
「ふんっ!」
安西提督が再び作業員から距離を取ろうと、右手を振りかぶった。
それは今までとは違い、肘打ちではなく大振りの右フック。
「……っ!
作業員さん、そこで右手を取ってください!」
「……応っ!」
大きな隙だと判断した夕張は即座にアドバイスを送り、作業員もそれに答える。
左腕で安西提督の右フックをガードした作業員は、ニヤリと笑みを浮かべて言葉を漏らした。
「勝機……っ!」
端から見れば、たしかにその通りなのかもしれない。
だが、俺からすればこれは完全なる罠。しかし夕張と作業員はそのことに気付かず、マウントポジションを取ることだけを考えている。
そして同じように気づいていない観客たちも、大きく展開が変わるかもしれない状況に驚きと歓声を上げた。
「ダメだ、引けーーーっ!」
俺が大声で制止させようとするも、作業員は気付かない。
隣にいた夕張が驚いたように目を見開いて俺を見るが、すでに手遅れだった。
「取った……っ!」
安西提督の胸上に乗り、完全なるマウントポジションを取った作業員が喜びの声を上げる。
同じくして激しい歓声が観客から上がり、
『ついに作業員がマウントポジションを奪取ーーーっ!』
青葉の歓声が頭の中に響き渡った瞬間、
「……かかりましたね」
安西提督の……、いや、元帥の罠が発動した。
次回予告
安西提督が呟いた瞬間、元帥の罠が発動した。
怒りにまみれた作業員を制した先生が、ついにリングに……立つ?
艦娘幼稚園 第二部 番外編
燃えよ、男たちの狂演 その6「生きているって何だろう?」
乞うご期待!
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