艦娘幼稚園   作:リュウ@立月己田

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 中将の企みによって査問会に出頭する事になってしまった俺。
そんな不幸の真っただ中、またもや起こるトラブルに焦る俺と愛宕。
消えてしまった子どもたち、時間が迫る査問会。
追い詰められた俺に下された言葉とは……

※本作品はpixivにて投稿した小説を読みやすく編集したマルチ投稿作品になります。
 このシリーズは前・中・後編の3部作で、これ以降も多数の作品を執筆中です。

 まだまだへたれな文章書きですが、あたたかい目で見ていただけると幸いです。


後編

「先生……」

 

 潤んだ瞳が俺に向けられている。

 

「あ、愛宕……さん……?」

 

 気づけば、床に仰向けになって倒れていた。そんな俺の身体の上に、愛宕はゆっくりと覆い被さってくる。

 

「え……ちょっ、マジですか!?」

 

 柔らかな胸の弾力が押しつけられ、頬がカアッ……と、赤くなるのが自分でも分かるくらいに体温が上昇していた。

 

「うふふ、せーんせっ……」

 

 愛宕の動作の一つ一つが艶めかしく見え、俺の興奮度合いもどんどんと加速する。

 

「こ、心の……準備が……っ」

 

 男の台詞としては情けないったりゃありゃしないが、いくらなんでもこの展開は早すぎる。出会って2週間で、つき合ってもいないはずの男女が、こんな風になるなんて……って、よく考えたらスタッフルームでも良い感じになっていた気がするし、もしかして俺の思い違いか何かで、実際にはもうつき合ってたりするのだろうか?

 

「愛宕、抜錨しちゃおうかしら~」

 

「え、えと……ど、どこに……ですか?」

 

「ふふ……ナ・イ・ショ……」

 

 そう言いながら、身体を密着するように寄りっかった愛宕は、そのまま俺の側頭部に顔を近づけて、耳元で何かを呟いた。

 

「…………っ」

 

「え?」

 

 聞き取れなかった俺は愛宕の顔を見ようとしたが、両手でガッチリとロックされて動けなかった。

 

「あ、あれ……な、なんで……?」

 

「……っ、……」

 

「え、ええっ?」

 

「いくじなし」

 

「……うっ!」

 

 さっきの「心の準備が……」と、呟いてしまったことに対する攻めだろうか。情けない話であるが、聞かれてしまった以上、無かったことには出来ない。恥ずかしさと情けなさで更に顔を赤くしてしまった俺は、謝るべく愛宕の顔を見ようとするが、ロックされている力は強くビクともしない。

 

「あ、愛宕さん。少し力を緩めて……」

 

「リンゴを潰せるくらいの力があるのに……?」

 

「うっ……、あ、あれは……天龍を納得させるため……」

 

「上官だから、ビビったんでしょ?」

 

「え……っ!?」

 

「相手は中将ですもんね~」

 

「そ、それ……は……」

 

「殴り返すことも出来ないなんて……」

 

「で、でもっ、そんなことしたらこの幼稚園は……っ!」

 

「いくじがないだけデース」

 

「……っ!?」

 

 反対側の耳に聞き覚えのある声が入ってくる。特徴のある語尾は、間違いなく金剛の声だ。だけど、その口調は俺を激しく侮辱するかのように強く、ズシリと胸に突き刺さるように聞こえた。

 

「こ、金剛が止めてくれたんじゃないか! 殴り返したら、相手の思う壷だって……」

 

「子供に説得されて自分の意志をやめるような男なんて、ただのクズデース」

 

「そ、そこまで……言わなくても……っ」

 

「せんせーのこと、スゴいって思ってたのに」

 

「て、天龍!?」

 

「嘘だったんだ……。やっぱり、勇気がなかっただけなんだ……」

 

「い、いやっ、ち、違うんだっ!」

 

「嘘つきは、死ぬっぽいー」

 

「あははー。死にたい人はここかしらー」

 

「エッチなせんせい……死んだら……いいよ……」

 

 頭の上から、足下から、俺の周りの至る所から、響くような声がエコーがかかったように聞こえてくる。

 

「な、なんでだよっ! 俺は、俺はみんなのためを思って! 幼稚園のために……っ!」

 

「うふふ~、せーんせ……」

 

 ギリギリと頭をロックしている力が強くなり、締めつけられる痛みが電撃のように走った。

 

「う……ぐ、はぁ……っ!」

 

「試験に受かったのも、嘘っぽいー」

 

「どうせ、敵討ちってのも逃げ口上だったんだろ」

 

「せんせー、逝ってらっしゃ~い」

 

「うそつき……うそつき……うそつき……」

 

「使えない人は、さっさと消えるデース」

 

「や、やめて……助けてくれえぇぇぇ……っ!」

 

 

 

 

 

 

「……あ……ぅ……?」

 

 鳥の鳴き声、カーテンの隙間から射し込む朝日。

 

 目覚まし時計のベル音に叩き起こされ、眠たい瞼をこすりつつも寝間着を着替え、顔を洗って身だしなみを整える。ここ2週間はその繰り返し。だけど、充実した楽しい日々だった。

 

 しかし、今日の朝はどんよりとした厚い雲が空を覆い、ぱらぱらと小雨が降っている。そして、何より先ほどの悪夢が頭の中をぐるぐると回り、解放されたにもかかわらず頭痛となって俺を苦しめていた。

 

「これ……が、原因だよな……」

 

 ベットから起きあがりながら、机の方を向く。昨日愛宕から受け取った封筒と、中に入っていた書類が置かれている。

 

「……はぁ」

 

 上官に対する反逆及び暴力行為についての査問委員会へ出頭命令。現在俺が所属している艦娘幼稚園を壊そうとする反対派の中将が昨日やってきて子供たちを怖がらせたので、それを止めようとした俺に怒り狂った中将は暴力を振るい、艦娘たちにまで被害がおよびかけたので仕方なく中将の腕を掴んだ。

 

 事のあらましを、きちんと査問会で説明すれば問題はないだろうと思ったのだが、愛宕の話では正当な査問委員会であればと言うことだった。つまり、中将は権力を使って自分の思い通りの結果が出るように工作し、艦娘幼稚園を取り壊すための理由として査問委員会を独自に結成した可能性があるというのだ。

 

 愛宕と話し合った後に疲れ切った俺は部屋へと戻り、そのままベットに倒れ込んだのだが、すんなりとやすらかな眠りを取れるわけもなく悪夢にうなされた一夜となってしまい、目覚めは最悪と言っていいだろう。

 

「あー……もうこんな時間か……」

 

 壁に掛けられた時計を見ると長い時間考え込んでしまっていたのか、朝食を取る時間にあまり余裕がなくなっていた。頭痛の方はマシになってきたので、食事を取ることは出来るだろう。暗い気分で飯抜きになってしまっては今日一日を乗り切れる自信がないし、査問会の出頭時刻が10時という事も考えると、長引けば昼食を取れるかどうかも怪しい。朝昼抜きとなると、子供たちの相手を乗り切ることすら出来るとも思えず、ぶっ倒れる未来しか浮かんでこなかった。

 

「悩んでてもしょうがないし、朝飯食べに行くか」

 

 気合いを入れるため、両手の平で頬を力強く叩く。ジーンと顔全体に痛みが響き、眠気が少しだけ飛んでいったような気がした。初めて鎮守府に来るときにも同じようなことをした記憶があるけれど、あの時と比べて気分は正反対と言ってもいい。だけど、まずは前へと進む。その気持ちは今も変わっていない。

 

 もう一度頬を叩いて気合いを入れた俺は、鏡を見直して身だしなみをチェックし直した。服装や髪型に問題はない。ただ少し、両頬が真っ赤に染まっていたけれど、その辺は笑って誤魔化すことにしよう。

 

 

 

 

 

 艦娘幼稚園の職員は愛宕と俺の2人。従って、園内に職員用の食堂を作るには費用がかかるということで、鎮守府の施設を利用することになっている。売店でパンを買って済ますという手もあるのだが、そこまで時間がせっぱ詰まっていると言うわけでもなく、温かい朝食を取ってから戦場に向かう方が、体の切れも良いだろう。気分が滅入っている時こそ美味しい食事を食べるというのは発散にもなって、健康にも良い効果があると言えるだろうし。

 

 一番近くにある食堂は艦娘宿舎の隣にあって、子供たちの食事も朝と夕食はここで取り、昼食はお弁当をここから昼前に幼稚園に届けてもらっている。もちろん子供たちだけでなく、愛宕や俺の分も一緒にだ。つまり、この食堂がなければ艦娘幼稚園に所属する者はひもじい思いをすることになってしまうのだ。

 

 ちなみに、艦娘宿舎の隣にあるということは、食堂を運営しているのも関係者であって……

 

「あら先生、今日は少し遅いですけど、お寝坊さんですか?」

 

 ふふ……と、笑みを浮かべた鳳翔さんが声をかけてくれた。「ええ、ちょっと夢見が悪くってですね……」

 

「あら、それは大変でしたね。それじゃあ、美味しいご飯を食べて、元気を出してくださいね」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 頷いた俺に気分良くしたように、鳳翔さんは鼻歌交じりで調理場へと歩いていった。セルフサービスであるお茶を入れるため、湯呑みを手に取ってテーブルに置き、大きなやかんを持ってゆっくりと注ぐ。濃いめの茶色い液体から湯気が立ち、火傷をしないようにそろりと湯呑みに口をつけると、思ったよりも熱くなく、ちょうどいい塩梅だった。少し苦めの番茶の味が充満し、ごくりと飲み込みながら鼻から息を吐き出すと、無駄な身体の力みがほぐれていくような気がした。

 

 少し気も楽になったので、悩み以外のことを考えてみようと頭を捻ってみると、食事はストレスの発散になることを思い出した。小さい頃から太ってしまう子供は食事に問題があると言われるが、精神的ストレスを多く感じると過食気味になる可能性があるらしい。つまり、防衛本能で太ってしまい、その結果身体の調子が悪くなることを考えると、子供にストレスを与えるのは精神的にも肉体的にも悪いことなのだ。俺も幼稚園の先生として、肝に銘じておかなければならないだろう。

 

 なんだかんだと言っても、子供たちのことを考えてしまう俺は、先生として板についてきたのかもしれない。苦笑を浮かべながらも悪くないなと思っていると、後ろから足音が聞こえてきた。

 

「お待たせしました。よく噛んで食べてくださいね」

 

 おかずの入った小鉢とお茶碗、それに味噌汁をお盆に乗せて、鳳翔さんはにっこりと微笑んでテーブルに並べてくれた。

 

「ありがとうございます、鳳翔さん」

 

「いえいえ、これが私のお仕事ですから」

 

「それじゃあ、いただきます」

 

「はい、おあがりなさい」調理場へと下がる鳳翔さん。後ろ姿に会釈をし、テーブルの中心にあるお箸立てから黒色の箸を抜き取って、そのまま両手で合唱。まずは味噌汁から口をつける。胃を呼び起こすために温かいものから食すのが良いと母親から学び、小さい頃から繰り返している順番だ。その次は血糖値を考えて野菜を取る。小鉢に入ったほうれん草のお浸しはだし汁で味付けされ、鰹節がふわふわと踊っている。程良い塩加減の味付けに食が進み、半分ほど食べたところでメインへと進む。

 

「今日はアジの一夜干しに出汁巻きか……。完璧な日本の朝食って感じだな」

 

 アジの身をほぐしながら骨を取ってまずは一口。二口目は、その上にほんの少しの醤油を垂らして口に含み、ほかほかの白ご飯をほおばった。口の中で磯の香りと米の甘み、醤油のしょっぱさが調和して何とも言えない至福の時が訪れる。

 

「もぐもぐ……うむ、旨い……」

 

 味付け海苔をお箸でつまみ、ご飯を巻いて口へと入れる。少しくどめの甘辛さだが、この味付けが白ご飯にぴったり合うのだから曲者だ。塩気とゴマ油の韓国海苔も捨てがたいけれど、今日の食事には甘さが少ない分、こちらの味付け海苔がぴったりだと言える。

 

「うは……出汁巻きの味付けも一品だわ」

 

 鰹出汁に薄口醤油、ほんの一つまみの砂糖でとったシンプルかつ王道の味付けは、もはや職人の領域。艦娘としての現役を引退してから食堂の仕事に就いたと聞いたのだが、こんなご時世でなければ料理人として名を馳せていたのだろうと思えるほど、非常に素晴らしい料理の数々だった。

 

 いや、こんなご時世だからこそ、鳳翔さんの食事に出会えたのだろう。そう思うと複雑な気分になってしまうが、ここは素直に喜んでおくことにしよう。

 

「ふぅ……ごちそうさまでした」

 

「はい、お粗末様でした」

 

 いつの間にか俺の後ろに立っていた鳳翔さんが、空になった食器をお盆に乗せていく。「あ、す、すみません!」驚きつつも、礼を言いながら他の食器を持とうとしたが、「いいんですよ」と優しく微笑んで俺の手を制止させた。せめてテーブルの上くらいはと思い、近くにあった布巾を手に取ろうとしたが、「時間、あんまりないですよ?」と言う鳳翔さんの声にびっくりして時計を見ると、愛宕との朝礼の時間まで10分前というところだった。

 

「うわっ、もうこんな時間!?」

 

 慌てて椅子から立ち上がった俺は、もう一度お礼を言って食堂から出ようとした。「ちょっと待ってください」と、鳳翔さんは俺のすぐ目と鼻の先にまで近づいてくると、首に手を回して薄い笑みを浮かべる。

 

「襟が、立ってますよ。直して差し上げますね」

 

「あっ、ど、どうも……」

 

 少しばかり頬が赤くなっているかもしれないが、これは夢で見たシーンを思い出したのであって、やましいわけではない。あ、それと、朝の気付けで叩いた頬が少し腫れているだけなのだ。

 

 なんていう言い訳を心の中で考えているうちに、襟を直してくれた鳳翔さんが「はい、これで大丈夫ですよ」と、にっこり笑みを浮かべた。少し恥ずかしくなって、頭をかきながら1歩下がって頭を下げ、改めててお礼を言う。すると、鳳翔さんは何かを思いだしたように小さく口を開けて、少し困ったような表情を浮かべた。

 

「そういえば、子供たちの中に朝御飯を食べにこなかった子たちがいるのですけど……」

 

「え……っ、それは誰ですか!?」

 

 もしかして、病気になった子供たちがいるのかもしれないと思った俺は、焦る気持ちを抑えて鳳翔さんに問う。

 

「えっと、たしか……金剛ちゃんに潮ちゃん……それに、夕立ちゃんと、天龍ちゃんと……龍田ちゃんの5人ですね」

 

「そ、その5人って……」

 

 昨日、中将にボコられた後、スタッフルームに見舞いに来てくれた5人じゃないか!?

 

「分かりました。教えてくれて、ありがとうございます!」と再度頭を下げた俺は、急いで幼稚園へと駆け出した。

 

 偶然とは考えられない。もしかすると、中将が何かをやらかしたのかもしれない。焦りで額から大粒の汗が流れ落ちる。一刻も早く、愛宕に知らせないと。

 

 全速力で幼稚園の入り口の扉を開き、靴をロッカーに片づけるのも忘れて廊下を走り、スタッフルームへと駆け込んだ。

 

 

 

 バタン!

 

 急いで開けた扉が壁に当たり、大きな音を上げた。部屋にいた愛宕は驚いた表情で俺の方を見て「先生、もう少し静かにお願いしますね~」と、人差し指を立てて苦笑を浮かべた。

 

「は、はい、すみません……って、それどころじゃないんです!」

 

「あらあら~、そんなに慌てて、どうしたんでしょうか?」

 

「じ、実は……」俺は5人が朝食を食べに食堂へこなかったことを愛宕に説明した。話の途中から愛宕の表情が曇りだし、説明し終わったときには険しくなっていた。

 

「……と、言うことなんですけど、5人を見てないですか!?」

 

「まだ、子供たちと朝の挨拶はしてませんし、ここに来る前にすれ違った時に出会った子の中には……いませんでした」

 

「そ、そうですか……」

 

「とにかく心配ですから、私は宿舎の方を見てきます。先生は子供たちに朝の挨拶をして、その中にいるかどうか確かめてください!」

 

「は、はい!」

 

 俺の返事を聞き終えると、愛宕は一目散に駆けだしてスタッフルームを後にした。走り出す際に大きな胸がたゆんたゆんと揺れていたが、さすがに今の状況で喜んでいるわけにもいかないので、その光景をしっかりと瞼に焼きつけておき、お楽しみは部屋に戻ってからにしておこうと思いながら、子供たちが待つ大部屋へと向かった。

 

 

 

「みんな、おはようございます!」

 

「「「おはよーございまーす!」」」

 

 子供たちの元気な挨拶が部屋中に響き渡る。みんなの顔は笑顔で染まり、今日も一日元気でやっていけそうな気分になった。

 

 ……が、今日はそうも言ってられない。金剛、夕立、潮、天龍、龍田の姿がないかと部屋全体を見回して探してみたが、残念ながら誰一人としてこの部屋には居なかった。愛宕が宿舎に向かってからそれほど時間は経っていないし、帰ってくるのはまだ少しかかるだろう。それまでに少しでも情報が欲しいので、近くにいる子供たちに聞くことにした。

 

「おはよう、時雨。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

 

 声に気づいた時雨は「何かな?」と振り向いて、俺の顔を上目遣いで見上げた。

 

「せんせー、僕に聞きたいことって?」

 

「実は、金剛と夕立、潮に天龍と龍田の姿を見てないんだけど……」

 

「うーん、そういえば今日は僕も見ていないかな。昨日は倒れたせんせーを運ぶために夕立と一緒に手伝いをしていたけど……」

 

「あ、あぁ。その節はありがとな」

 

 お礼を含めて頭にぽんっと置く。「まぁ、せんせーをほっとく訳にもいかなかったしね」時雨はちょっぴり顔を赤くさせて恥ずかしそうな表情を浮かべていたけれど、撫でらるのは満更でもなさそうだった。

 

 ガチャリ……と、音がするのが聞こえて振り向いてみると、扉の方に額に汗をかきながら肩で息をする愛宕の姿が見えた。少し苦しそうに息を整えながら俺の方へと近づく愛宕の顔は、焦りと不安を多く含んだ苦悶の表情だった。

 

「先生、子供たちが……子供たちが……」

 

 愛宕は悲壮な声を上げ、俺の身体にもたれ掛かるように倒れ込んだ。肩を掴んでがっしりと受け止めると、胸の弾力がデジャブのように感じられる。だが、その動きの速さに気づいた俺は、全速力で走ってきたことを瞬時に理解し、愛宕に肩を貸しながら部屋の隅にある椅子へと移動して、少しでも楽になれるようにと座るように進めた。

 

「で、でも……、早く子供たちを……」

 

「そんなに息が上がってたら、すぐ倒れてしまいます! まずは深呼吸をして、落ち着いてください!」

 

 両肩を掴んで、力強く目を合わせた。俺の真剣な眼差しを見て頷いた愛宕は、ゆっくりと目を閉じながら大きく息を吸い込んだ。

 

「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……」

 

 呼吸の度に揺れる胸をチラ見で覗きつつ、肩から手を離して愛宕から離れると、近くにいた子供たちが俺を見て「ヒューヒュー」と囃してたてたり、顔を真っ赤にさせて両手で目を覆っていた。恥ずかしそうにしていると思いきや、指の間からばっちりと覗いているのが丸見えだったので、思わず笑ってしまいそうになる。勘違いされたままというのはまずいだろうと思ったが、それはそれで外堀から埋めるということにもなりそうだし、ほおって置いても良いかもしれない。

 

 って、なにを考えているんだ俺は!?

 

 何って言うか、ナニなのか!?(謎)

 

 頭が若干混乱しているのは居なくなった子供たちを思ってのことだと勝手に納得することにして、愛宕の様子をうかがってみる。どうやら少し落ち着いてきた様子で、深呼吸の速度もゆっくりになり、大きな瞳が俺の方へと向けられていた。

 

「すみません、先生。心配をかけてしまいました」

 

「いえ、元気になったらそれでオッケーですよ。それよりも、やっぱり宿舎の方には……?」

 

「ええ……」愛宕は首を左右に振って居なかったことを示した。宿舎待機の艦娘たちにも話を聞いてみたが、昨日の朝以降から姿を見たものは居なかったらしい。

 

「となると、やっぱりあの時から後に……」

 

 スタッフルームに見舞いにきてくれた5人を思い出しながら、その時に何か起こらなかったかと考えてみた。中将にフルボッコにされて気を失った俺を、夕立や時雨がスタッフルームに運んでくれたのはさっき聞いた。その後何があったかは分からないけれど、気づいたときには愛宕が居て、その後にいなくなった5人が部屋に入ってきた。

 

「つまり、見舞いにきてくれた後ってことだよな……」

 

 あの時は空も暗く、子供たちの就寝時刻が近かったので、早く帰って寝るようにと進めたはずである。素直に従っていれば、5人は宿舎の方に帰っているだろうし、その時に出会った人が居ないかどうかを確かめてみるのがベストだろうと思い、愛宕にそのことを提案してみた。

 

「そうですね……。足取りを追うのが最適だと思います」

 

「それじゃあ、俺は子供たちに聞いてみますから、愛宕さんはもう一度宿舎の方をお願いできますか?」

 

 近くとは言え、何度も宿舎の方へ行ってもらうのも悪い気がしたが、宿舎に行ったことのない俺よりも、自分の部屋がある愛宕の方が地の利がある。今は俺たちの苦労よりも子供たちを見つける方が最優先事項だ。

 

「ええ、それではすぐに行ってきます!」

 

「お願いします!」

 

 頷き合った俺と愛宕はすぐに行動を開始した。愛宕はすぐに宿舎の方へと向かい、俺は子どもたちを集めるために集合をかけた。

 

「はいはーい、みんなー。ちょっとちゅうもーく!」

 

「なになにー、せんせー」「あそぶのかなー?」「おもしろいことしよー」「おにごっこがいいよー」「かくれんぼしたいなー」

 

 俺の声に集まった子どもたちは、それぞれ好きなことを言いながらにこにこと笑っていた。期待しているところに悪い気もするが、今はそんなことを言っている場合ではない。一刻も早く居なくなった5人の情報を聞き出したいところだが、素直にありのままを説明すると子どもたちが不安がってしまうかもしれない。上手く説明しつつ情報を聞き出すため、考えながら子どもたちに問いかけた。

 

「今日は金剛と夕立、潮に天龍と龍田がお休みしていますー。ちょっと昨日のことで疲れたみたいなんだけど、昨日5人とお話したり、何か気づいたことがある人はいるかなー?」

 

 俺の言葉を聞いた大半の子どもたちは辺りをきょろきょろと見回し、5人が居ないことに気づいたようだった。その後、子どもたち同士で「なにかしってるー?」「そういえば、きのうからみてないねー」「きのうはたいへんだったもんねー」「ううー、あのこわいひと、もうこないでほしいよぅ」「やすんでるみんな、だいじょうぶかなー」「びょうきじゃないみたいだし、だいじょうぶだよー」と、一斉に話し出した。

 

 子どもたちの話し声に耳を傾けていたが、重要な手がかりは無さそうだった。一人ずつ詳しく話を聞く方が良いのだろうかと考えていると、いつのまにか時雨がそばに立っていて、服の裾を引っ張って「せんせー……」と呟いた。

 

「ん、どうした時雨。何か思い出したのか?」

 

「いや、そうじゃないんだけど、さっき5人を見なかったかとボクに聞いたよね?」

 

「あ、あぁ……」

 

 時雨の鋭い突っ込みに焦り、しまった……と、表情に出てしまった。すぐに人差し指を口元に当てて「内緒にしてくれないかな」と、お願いすると、時雨は掴んでいた服の裾を引っ張って、子どもたちから離れるように部屋の隅へと俺を連れだした。

 

「ここなら他のみんなに聞こえないと思うけど、なるべく小さな声で話した方が良いよね」

 

「あ、あぁ、そうだな」

 

 子供らしからぬ気遣いに少し驚きながら、時雨の顔と同じ高さに合わせる為、中腰になる。

 

「さっきのせんせーの会話から推理すると、5人が消えた……ってことだよね?」

 

 推理小説の探偵のようなポーズで問いかける時雨。俺は犯人役の人物のような、追い詰められた気分になった。だが、ここまで分かっている以上隠し通すのは難しいだろうし、むしろ打ち明けて情報を得るために動いて貰った方が良いのかもしれないだろう。

 

「まだ……ハッキリと分かってはいないんだが、昨日の夜に会ってから行方が分かってないんだ……」藁にもすがる思いで頷いた俺は、小さな声で答えた。「ふむ……」今度は顎に手をつけて考えるポーズを取る時雨。探偵から有名な小説家のように変貌しながらも様になる姿に、そこにシビれる憧れるー……っと、叫びそうになってしまった。

 

「とにかく、足取りを追わないことには前に進まなさそうだね。昨日の夜に会ったと言ってたけど、どこで会ったんだい?」

 

「スタッフルームに居るときに、見舞いにきてくれたんだけど……」

 

「なるほど……。その時せんせー以外に誰か居たのかな?」

 

「愛宕先生も一緒にいたけど……」

 

「ふむ……。せんせーの見間違いという線は消えたってことだね……」

 

 あれ、もしかして俺って信用されてないっぽい?

 

 ショックな出来事に夕立の口癖がうつってしまったが、今は凹んでいる時間も惜しい。冷静さを装いつつ、時雨との会話を進めていく。

 

「時間も遅かったから、早く帰るようにって言って……部屋を出てからの足取りは分かっていないんだ」

 

「普通に考えれば、その後すぐにどこかに行ったって考えられるけど……」

 

「いや、それは無いと思うぞ。寝るには早いという時間だったとはいえ、あの暗さで宿舎以外に出かけようとすると……」

 

「潮ちゃんが怖がるね」

 

 言おうとしたことをズバッと言い当てた推理力と想像力に脱帽する俺に、時雨は横目でチラチラと様子を伺っていた。

 

 もしかして、褒めて欲しいのかなと思った俺は、頭を優しく撫でてあげる。「あ、えっと……」戸惑った様子を見せていた時雨だったが、暫くすると頬を赤らめて少し嬉しそうに、俯いていた。

 

「5人が一緒に宿舎に帰ったとすれば、次に行くのは各自の部屋ってことになるよな……」

 

「その通りだね。だけど、同時に5人が消えたということは、一緒に行動していたという可能性の方が高いと思うよ」

 

 会話を再会させた俺は、時雨の頭から撫でていた手を離した。少しだけ残念そうな表情を浮かべたが、問いかけに答えるように推理モードに戻った時雨は、先ほどと同じようにポーズを取った。

 

「そうすると、誰かの部屋に集まった……と、考えられるかな?」

 

「それが一番ありえそうだよね。理由はちょっと分からないけど……」

 

 普通に考えれば、寝る前にもうちょっとだけ遊ぼうかと思って集まったと考えられる。だが、それだったら居なくなる理由が分からない。

 

「いままでのことが推理通りだったら、確認することは一つだよね」

 

「え……、時雨には何か良い案があるのか?」

 

「せんせー……もうちょっと、頭を働かせた方が良いんじゃないかい?」

 

「う……面目ない……」

 

 思わず床に両手をついて凹みそうになる俺。ちょうど、OTZみたいな感じで、子どもに説教される大人の図。悲しくなってくるので、これ以上考えるのは避けておきたい。

 

「つまり、ボクたちが次に取る一手とは……」

 

「一手とは……?」

 

「隣の部屋の住人に聞いてみることさ」

 

 

 

 

 

 時雨に聞いた情報によると、居なくなった5人の部屋は隣同士ということだった。部屋割りは、金剛・天龍、龍田・潮・夕立、時雨となっていて、各室は2人部屋らしい。金剛と潮は正規配属されている艦娘と一緒に暮らしている(面倒を見て貰っていると言っても良い)のだが、ここ連日の作戦行動によって帰ってこれない日が続いていたらしい。

 

「……って、時雨。夕立と同室なら、何か気づかなかったのか?」

 

「残念ながら、ボクは雪風の部屋に行っててね……。ルームメイトの子がどうしてもって言うんで、泊まってあげたんだよ」

 

「……ん、なんだか訳アリって感じだな」

 

「あー、うん……。ちょっと、寝言がね……」

 

 時雨は気まずそうに俺から顔を背けて「あれだけ繰り返されると……たしかにノイローゼになるよね……」と、呟きながら顔を青ざめさせた。5人に関係は無さそうなのだが、顔色を悪くした時雨の様子が気になって「相談したいことがあるなら、気にせずに頼ってくれよ?」と、励ますように声をかけた。

 

「うん……ありがと、せんせー」

 

 我に返ったように時雨は俺の顔を見て笑い顔を浮かべたが、少し元気が無さそうだった。この件が無事に済んだら、きちんと話をしてやった方が良いだろうと、心に留めておく。

 

「それで……だ。誰かの部屋に集まったと仮定すれば……」

 

「一番近くの部屋の住人……つまり」

 

「私たちの出番ってことだね、大井っち」

 

「そうみたいですね、北上さん」

 

 ということで、相談していた部屋の隅に来てくれるようにと、大井と北上を時雨が連れてきてくれた訳である。

 

「説明は時雨から聞いてくれたと思うんだけど、何か気づいたこととか無かったかな?」

 

「うーん、そうだねー。私はぜんぜん気づかなかったけどさー」

 

「北上さん、元気いっぱいでしたもんねー。ぜんぜん寝かしてくれませんでしたし」

 

「いやー、大井っちもバリバリだったじゃーん」

 

「「あはははー」」と、笑い合う2人。小さな子どもが、就寝時間を過ぎても寝ずに、遅くまで遊んでいたのだろうと思える会話だったのだが、何故か突っ込んではいけない雰囲気が大井と北上の周りに、なんちゃらフィールドのようなモノが張り巡らされていたような気がした。どうしようかと困った俺は、時雨の方へと顔を向けると、同じように困った表情を浮かべながら両手を上げ、お手上げのポーズを俺に見せた。とはいえ、このままだと時間がもったいないので、フィールドを浸食するように2人の方へと言葉を投げかける。

 

「遅くまで起きていたのは良くないんだけど……」

 

 ムッ……と、嫌そうな顔をした2人は俺を睨みつけるようにこちらへ振り向いた。

 

 いや、俺、君たちの先生なんですけどね。

 

「あ、あのさ……何でもいいんだ。何か聞こえたとか、たまたま出会ったとか……」

 

「んー、あっ……そういえば……」

 

 北上が思い出したような仕草をすると、大井は更に俺への睨みつける顔をきつくしていた。もの凄く小さい声で「先生のくせに……先生のくせに……」と、聞こえてきたが、非常に怖かったので聞こえないフリをしておく。

 

 ……近いうちに刺されたり突き落とされたりしそうな気がするんですけど、大丈夫でしょうか俺。

 

 まさに気分は五月のハエの相手役の気分である。

 

「なんか、金剛の部屋からしゃべり声が聞こえたような気もしなくもなかったかなー。内緒話しをしてるって感じだった気がするー」

 

「そ、それって、何を言ってたか分かるか!?」

 

「うーん、残念だけどあんま聞こえなかったんだよねー」

 

「そ、そうか……」

 

 がっくりと肩を落とす俺の横腹に、時雨はツンツンと指でつついてきた。

 

「落ち込む必要はないよ、せんせー」

 

「え……でも、何を喋っていたか分からないんじゃ……」

 

「それでも、そこで5人が集まっていたというのは、濃厚になったってことだよね」

 

「あ、そうか……」

 

 確かに時雨の言う通りである。ショートカットは出来なかったけれど、間違いなく前に進んだのだ。ゴールまでは遠いかもしれないが、次の一歩を進めば、いつかはたどり着くはずなのだから。

 

「それ以外、気になることはなかったけど、もういいかなー?」

 

「あ、あぁ、ありがとな。北上、大井」

 

「んー。それじゃあ向こうに行こうよ、大井っちー」

 

「そうですねー、北上さん」

 

 仲良く手を繋いだ2人は部屋の反対側の隅の方へと歩いていった。しかし、なんだ……仲が良いというだけじゃない気がするのだが、突っ込むと大井から容赦ない睨みと苦言が来そうな気がしたので、触らぬ神に何とやら。2人の担当である愛宕に、後は任しておくことにしよう。

 

「これで、一歩前進と言うところだね」

 

 時雨の声に頷いた俺は、これまでのことを頭の中で整理することにした。

 

 

 

 直接最後に5人の姿を見たのは俺と愛宕。スタッフルームに見舞いに来てくれた5人は、まぁ……色々とあったが楽しい話をして自室へと帰って行った。その後、宿舎に戻って金剛の部屋に集まり、何かを話していた……というところまでは間違いなさそうだ。5人の中にいる潮の恐がりな性格を考えると、夜のうちにどこかに出かけたということは考えにくい。ここまでの推理から、宿舎から居なくなったのは日が昇ってからということになる。

 

「朝……それも、他の子どもたちが起きていない早い時間に出かけた可能性が高いってことか」

 

「へぇ……せんせー、冴えてきたんじゃないかな」

 

「いや、それほどでもないぞ?」

 

 ちょっとだけ胸を張りながら、ふふん、と鼻を鳴らしてみる。

 

「自意識過剰は良くないよ?」

 

「……すみませんでした」

 

 全力で、面目丸潰れである。

 

「さて、そうなると、次の一手は朝早くに起きていて、かつ近くの部屋……もしくは、入り口近くに居た人に話を聞くというのがベターだね」

 

「そうだな……だけど、そんなに都合の良い人が居るのかどうか……」

 

 宿舎ということを考えれば、早朝から作戦任務に就く正規配属の艦娘か、早起きを日課にしている艦娘だろう。しかし、そう簡単に見つかるとも思えないし、何より宿舎住まいでない俺にとって未知の場所である以上、全く持って予想がつかなかった。

 

「早朝の作戦任務に就いている先輩たちはまだ帰ってきてないだろうし、話を聞こうとすれば夕方まで待たないといけないだろうね。なら、普段早起きをしている人を探すしかないのだけれど……」

 

 時雨は記憶を思い出そうと、天井を見上げながら考え込む。同じように俺も考えてみるが、やっぱり良い案も当てはまりそうな人も、浮かんでこなかった。

 

「うん……思い当たる人は2人ほどいるんだけど……」

 

「ほ、本当か、時雨!」

 

「まずは、食堂の鳳翔さんかな。朝ご飯の仕込みのために早くから起きているのは感謝の極みだよね」

 

「あー、鳳翔さんは5人の姿を見てないよ」

 

「あれ、そうなの?」

 

「そもそも、5人が居ないことを初めに気づいたのが鳳翔さんだからね」

 

「……なるほど。つまり、朝食も取っていなかったということになるね」

 

 今の会話でそこまで理解するとは、時雨の推理力はマジパナ過ぎるぞ。

 

「ということは、残りの1人だけど……」

 

 

 

 バタンッ!

 

 

 

 ちょっと前に自分が鳴らしたのと同じ大きな音が、部屋中に響き渡った。びっくりした子供たちが音のする方へと顔を向けると、扉の前に愛宕が立ち尽くしていた。

 

「せ、せ、せ……先生っ! やっぱりまだここにいたんですか!」

 

「は、はいっ!?」

 

「じ、時間! お、遅れちゃいますよ!」

 

「え……、ああっ!」

 

 掛け時計を見ると、長針は11の数字の真ん中で、短針の針は10に近づいていた。つまり、現在の時刻は9時55分。出頭命令は10時ジャストであり、5分前行動は完全に遅刻で、全力で走っても開始時刻にギリギリ間に合うかどうかだった。

 

「先生、早く向かってください!」

 

「で、でも、まだ5人は……っ!」

 

「それは私がなんとかします! 遅刻なんてしたら、心象は最悪ですよ!」

 

「く……っ!」

 

 歯ぎしりの音が大きく響き、拳を力一杯握りしめる。焦りで額に大粒の汗をかき、どうするべきかと時計と愛宕の顔を何度も見比べた。

 

「お願いします先生! 心配でしょうけれど、今の自分の立場も理解しないと……軍法会議だって考えられるんですよ!」

 

「そ、それでも……っ!」

 

「そうなったら、最悪のケースになってしまう可能性だって……」

 

「そ、それ……は……っ!」

 

 子供たちの居るこの場所で、幼稚園が取り壊されるとは絶対に言えない。だけど、愛宕の言葉は間違いなく『それ』を指している。

 

「わ……わかりました……。時雨、悪いんだけどさっきの話を愛宕先生に説明してくれないか?」

 

「うん、わかったよせんせー。事情はわからないけれど、頑張ってきてね」

 

「ああ、ありがとな。それじゃあ……よろしくお願いします!」

 

 2人向かって大きく頭を下げた俺は、返事を待たずに子供たちの間をすり抜けて、開けっ放しの扉から部屋を出た。向かう先は鎮守府内2階の特別会議室。愛宕の言う通り、心象を悪くするのは得策ではない。どうにかしてでも間に合わせる為、この2週間で覚えた最短コースを危険を省みずに全力で駆け抜けた。

 

 レンガの壁が続く道を走り、鎮守府内の長い廊下を抜け、エレベーターを待たずに階段を駆け上り、また長い廊下を走り抜けて行く。運が良かったのは、鎮守府内で人にすれ違わなかったことだった。ぶつかる危険もあったのだが、そんな心配を余所に目的の場所である特別会議室までたどり着いた俺は、乱れた息を整えながら扉をノックして一拍待ち、「失礼します!」と、声を上げて部屋に入った。

 

 

 

 

 

 まず、俺の目に入ったのは暗闇だった。向かいの方にうっすらと光が見えたのは、遮光カーテンで外の光を遮られた窓だろう。部屋の大きさはそれほどでもなさそうだが、真ん中あたりに長机がコの字に並べられ、その中心に椅子が1つ置いてある。

 

「ふん! 時間ギリギリではないか! 軍人たるもの、5分前行動が基本であることくらいあたりまえだろうが!」

 

 聞き覚えのある怒鳴り声と共に、部屋がパッと明るくなった。暗闇に目が慣れかけていたので少し目がチカチカしたけれど、文句を言うことも出来ず黙って立ち尽くす。

 

「いきなり黙秘というわけか貴様……。ふんっ、まあいいだろう。どうせ、すぐにでも口を割ることになるのだからな!」

 

 向かって正面の机の後ろに座っているのは、俺を殴りまくってくれた中将だった。ふんぞり返った姿勢で見下すように俺を睨みつけていたる

 

 ……それよりさっきの言葉が気になるんだけれど、今から始まるのは拷問でなくて、査問会ですよね?

 

 心の中で問いつつも聞くことが出来ない俺は、座らされるであろう椅子の横に、自ら進んで横に立った。

 

「ふむぅ……、度胸があるのか何も理解していないのか……どちらにしろ、面白い輩ではありますな」

 

 左側の机に座っているほっそりとした中年男性が、俺を姿を舐め回すようにジロジロ眺めてきた。しゃべり声に特徴のある、人を逆なでしそうな高めの丸みの帯びた口調。第一印象を一言で表すならば、化け猫と言ったところだろう。

 

「ぐふふ、まぁそう絡まなくてもね、猫被りなんてすぐに剥がれてしまうもんだよ」

 

 右側の机に座っているのは対照的にぽっちゃりとした恰幅の良すぎる男性だった。青年とも中年とも言い難い、年齢不詳という感じなのだが、それよりも気になるのは……

 

「ぐふっ、こりゃ大物がとれたねぇ~」

 

 ひたすら自分の鼻の穴を、あろうことか太い親指でほじくりまくっていた。

 

 両側の男性の胸には両方とも、中佐の階級章がつけられている。その瞬間、嫌な予感が俺の頭によぎる。査問委員会で、中将1名と中佐2名の合計3人。しかも、監査を行う人物特有の雰囲気が、微塵も感じ取れないのだ。とは言っても、あくまでテレビとかで見たことがあるだけの想像でしかないので、実際に本物の査問委員会に属する人なのかもしれないのだけれど……

 

「ふむぅ……そんなものですかねぇ……」

 

「ぐふふ……またまた大物だだねぇ~」

 

 やっぱり、違うと思うんだけどね。

 

 となると、やっぱり正規の査問会で無いということなり、弁解は聞き入れてもらえないということになりそうだ。

 

「……っ」

 

 歯がゆさでイライラしてしまいそうになるのを堪えながら「まずは座りたまえよ……チミィ」と言う化け猫中佐の指示に従って、面接試験を受ける学生のように礼儀正しく椅子に座った。

 

「ぐふっ、初々しいんだなぁ……ぐふふふ……」

 

 どうせなら綺麗なお姉さんに言われてみたい台詞であるが、間違っても鼻ほじり中佐のようなおっさんに言われたくない。そうは思っても口には出せないので、聞こえなかったように無視することにする。

 

「ふん! それでは昨日の貴様が犯した暴力行為と反逆行為について査問を行う!」

 

 ダンッ! と机を強く叩いた中将は戦場に向かうが如く、高らかに宣言した。パチパチと2人の中佐が乾いた拍手を送ると、中将はまんざらでもないような顔を浮かべて腕組みをする。

 

 すべてが仕組まれている雰囲気に、不快感がだんだんと積み上げられてくる。こんなことをしている時間があるなら、すぐにでも消えてしまった5人の子供たちを少しでも探したい。

 

「それではまず……中将殿に向かって反逆する言葉を発したことについてですな。昨日、艦娘幼稚園内において、中将殿が大切な話をしているのにも関わらず、横槍を入れるどころか黙れと言った。このことについて弁解はありますかな? それに……」

 

 化け猫中将は、つらつらと罪状を読み上げる検事や、前もって用意された用紙を読みながら話す政治家のようなしゃべり方で、長々と俺に問いかけていた。だが、実際には問いかけているのではなく、念を押すように仕組まれた内容の事柄を俺に聞かせているだけだった。

 

 開いた口が塞がらないというのは、こういう時に使うのだろうなと大きく声にして叫びたい。どこが大切な話だったのだろうか? 黙れなんて一言も発していない。上官に対する発言の許しを得るために敬礼したことも、実際に話した内容も、全てが無かったことになり、中将は一切問題が無く、俺が全て悪いということになっていた。

 

「ぐふっ、次は我輩の番だねぇ。中将への暴力行為について、幼稚園の園児が転けたところを中将が助けようすると、無理矢理腕を掴んで握りしめた挙げ句、「触るんじゃねぇ、この屑がぁ!」と、暴言を吐いた……ということだねぇ」

 

 鼻ほじり中佐の言葉を聞いた俺の心の中では、自分の能力が全く効かない天敵に出会って、顎が外れて大きく口を開き、目玉と舌が飛び出して声すら出なくなった雷様が見開きで浮かんでいた。

 

 もしくはスタンド使いの敗北シーンって感じだろう。格闘ゲームのアレは最高に良かったね。

 

「ふん! 黙って立っていれば許されるとでも思っておるのか!?」

 

 現実逃避気味になっていた俺に、中将の一喝する声が叩きつけられた。ハッと我に返るように現実へと呼び覚まされ、3人の顔を順番に見ていった。

 

「おやおや、やっと自分の立場というのが分かってきたらしいですな」

 

 化け猫中佐はククク……と含み笑いをしながら俺の顔をじっと眺めていた。どうやら、さっきの俺の動きを見て、焦ってどうすればいいのか分からなくなり、無言で立ち尽くすしかないのだけれど、とりあえず3人の顔色を伺っておかなければ……とか、そういう感じに思ったのだろう。そんな風に勘違いされるのは些かご立腹……と、言いたいところであるが、実際問題そうなっていてもおかしくないくらい、俺の立場は危うすぎる。全てが中将の良いように仕組まれた内容に、もはや反論する気力も起こらないが、黙ったまま立ち尽くしていたとしても、進展するどころか向こうの言い分のまま判決へと進んでしまうだろう。

 

 とはいえ、この部屋は完全にアウェイゲームのスタジアム。どんな言い訳をしたところで、聞く耳持たずでそのまま進行したとしてもおかしくない。ならば、どうすればいいのか。八方塞がりの俺は、切り札を使うべく右手をポケットに入れ、隠していたボイスレコーダーの録音スイッチをチェックした。

 

(よし、ちゃんと録音出来ているみたいだな……)

 

 レコーダーが動作をしているときに起こる微振動を掌で感じ取った俺は、とりあえず胸をなで下ろす。とはいえ、悟られてしまっては具合が悪いので、顔には出さないようにと、少し不満そうな表情を浮かべておいた。

 

「ぐふっ、ポケットに手を突っ込むとは、我々も舐められたもんだねぇ」

 

 目をキラーンと光らせた鼻ほじり中将は、両手の親指を両方の鼻の穴にねじ込んで、ぐりぐりと奥の方まで差し込みながら独り言のように言い放った。その言葉を聞いた中将は、顔を真っ赤にさせながら「貴様、この場をなんと心得ているのか!」と、大声で怒鳴りつける。

 

「も、申し訳ありません! 急いで走ってきたもので、携帯電話の電源を切ってなかったことを思い出しまして……」

 

 そう言いながら、レコーダーと一緒に入れていた携帯電話を取り出して3人に見せた。もしバレそうになったら逃げれるようにと、前もって考えていた手である。

 

「そんなものが言い訳になるか!」怒鳴り散らす中将に、化け猫中佐は「まぁ、中将殿。彼も初めての査問で緊張しているのですよ……ククク……」と、再び苦笑をしながら宥めるように言った。それを聞いた中将は、ニヤリと気持ち悪い笑みを浮かべて「ふん、まぁ仕方あるまい。己の立場を理解すれば、焦るのもあたりまえだろうからな」

 

 勝ち誇ったように椅子にもたれる中将。さっきからふんぞり返り過ぎて椅子が壊れないのだろうかと思うのだが、わざわざ言ってやる義理もないし、後ろにおもいっきりひっくり返るなら、それはかなり見てみたい状況になる。

 

 ……ただ、そうなったらなったで、無理矢理俺のせいにしそうな気がする。それはそれで、勘弁願いたい。

 

「ぐふふ、話が逸れてしまったが、一連の内容を認めるかなぁ?」

 

 親指の根本近くまで鼻の穴に突っ込みきった鼻ほじり中佐が俺に問いかける。ここが重要なポイントであると悟った俺は、首筋に冷や汗がたらりと流れ落ちるのを感じながら首を左右に振った。

 

「いえ、一切の内容を……否定します」

 

「ぐふふ……」

 

「ほぅ……」

 

 左右から、ほとんど同時に小さい声が漏れた。化け猫中佐は少し感心するような、鼻ほじり中佐は少し楽しんでいるような……。そして、目の前の中将は、

 

「舐めているのかっ、きさまあああぁぁぁぁぁっ!」

 

 予想通りの大喝が、俺へと叩きつけられた。ついでに唾が多数飛んできて顔にべたべたと降り注いでしまい、非常に気持ちが悪い。

 

「私がまとめた文章内容に、貴様みたいな屑がケチをつけるだとおっ!? これこそ上官への反逆行為だあぁぁぁっ!」

 

 怒り狂った中将は目の前にある机を蹴飛ばして大声を上げた。飛んできた机を屈んで避けた俺を見て中将は更に怒ったのか、額に血管が浮き上がるくらいに顔全体を真っ赤に染めて、俺の胸ぐらをがっしりと掴んだ。

 

「大人しく聞いていれば図に乗りおってからにいぃぃぃっ! 昨日だけでは懲りないと言うのか貴様はあぁぁぁっ!!」

 

「ちゅ、中将殿! さ、査問の場にて暴力行為はいささか……」

 

「お前は黙っておれぇっ! この屑の立場を分からせるためには、50発程度殴っただけでは理解できんらしいからなあぁぁぁっっっ!」

 

「い、いやしかしっ! こ、これっ、オヌシも中将殿を止めんか……って、なんじゃあっ!?」

 

「ふ、ふが……んがんご……っ」

 

 慌てた化け猫中佐は鼻ほじり中佐に助けを求めようとしたが、中将が机を蹴飛ばしたときに驚いたのか、鼻をほじくっていた親指がありえないところまで入り込んでしまい、両方の穴から出血して手を真っ赤に染めていた。

 

「ぐっ……」

 

 襟を強い力で引っ張られ、息が苦しくなった俺はうめき声を上げた。前を見ると、中将は俺の顔をもの凄い形相で睨みつけながら、大きく右手を振り被る。

 

「覚悟はいいかあぁぁぁぁっっっ!」

 

 また、顔面に唾が降り注ぐ。鼓膜がビリビリと震え、三半規管が揺れそうになる。あと数秒もしないうちに、俺の顔には中将の拳が叩き込まれるだろう。

 

 だが、これは俺の予想通り。いや、むしろ作戦と言っても良い。こうなるように仕組んだし、切り札であるボイスレコーダーの起動も確認した。これから俺がとるべき行動は、無抵抗で殴られたことが分かるように録音する。そして、何があってもこのボイスレコーダーを守ること。気絶してポケットをまさぐられ、没収されてしまっては元も子もない。

 

 俺はすぐに訪れるであろう痛みに耐えるべく、ぐっと目を閉じて腹を決めた。視界が暗闇へと変わり、何も考えないようにした……つもりだった。

 

 金剛、夕立、潮、天龍、龍田。子どもたちの姿が、一瞬だけ浮かんだような気がして、口の中に溜まった唾を飲み込んだ。急にいなくなった5人の安否が気になる。これから昨日と同じように、いや、昨日以上に殴られるかもしれないのに、俺の頭の中は子どもたちのことで一杯だった。

 

 初めに疑ったのは、中将が拐かしたのではないかと思った。だけど、この会議室に来てからの中将たちが話していた内容に、子どもたちのことは全く出なかった。もし、中将が子どもたちに何かをしていたのならば、俺にそのことを突きつけて精神的に追いつめることが出来るはずなのに……だ。

 

 つまり、5人がいなくなったことに、中将は関係していないということになる。完全に手の打ちようが無くなってしまった俺は、どうしたらいいのか分からずに狼狽え、気がつくと目頭が熱くなっていた。

 

「ふん! 今更命乞いか!? 婦女子の涙ならまだしも、貴様なんぞが泣いたところで、私の手が止まるとでも思ったかあぁぁぁっ!」

 

 殴られるのに抵抗する気は無い。元々そうするつもりだったし、痛みは昨日で飽きてしまった。だけど、子どもたちだけはなんとかしたい。

 

 ボロボロと両目から涙があふれ出す。頬を伝って首筋へと流れ、床へと落ちたり、襟を濡らした。子どもたちを守れなかったふがいない自分を戒める。俺は先生としての役割を、全く出来ていなかった。

 

「それではいくぞおっ! 我が究極奥義っ、海軍流剛腕千烈拳んんんんんっ!」

 

 中将が、どこぞの世紀末覇者みたいな技名を叫ぶ。役回り的にはバイクに乗った雑魚キャラ扱いが妥当なはずなのに。いや、どちらかと言えば多少出番があるような、名前がチラっとだけ出てきそうなキャラかもしれないが。

 

 そんなどうでもいいようなことが頭をよぎりながら、心の中で子どもたちに何度も謝った。役に立たない先生で、ごめんなさい……。

 

 拳が風を切る音が聞こえてくる。視界が闇に閉ざされ、時間がスローモーションのようにゆっくりと流れていくような感覚が、肌で感じられた時、

 

 

 

 バターン!

 

 

 

 本日何度目か分からない、扉が壁に叩きつけられる大きな音が、部屋の中に響き渡った。

 

 

 

 

 

 真っ暗闇の視界の中、大きな音が鳴ってからずいぶん時間がたったような気がしたが、俺の顔にダメージのようなものは未だ襲ってきていない。

 

「な、ななな、な……ぜ……っ!?」

 

 中将の震える声が、前の方から聞こえてくる。俺の胸ぐらを掴んでいる手がガタガタと揺れ、動揺が伝わってきた。

 

「……ん?」

 

 さすがにこのままじっとしているというのも変なので、とりあえず目を開けてみる。

 

「なぜだっ! 何故ここにいるのだっ!?」

 

 相変わらず大量の唾を俺の顔面に飛ばしながら、中将は叫んでいた。しかし、その声には覇気は無く、何かに恐れて泣き喚く小動物のように見える。

 

「ひっ、ひいぃぃぃ……」

 

 化け猫中佐が腰を抜かしたように床へと崩れ落ちた。両手をついて大きく体を震わせながら、今にも小便を漏らしそうな雰囲気だ。

 

 ちなみに反対側にいた鼻ほじり中佐は、いつのまにか床で寝そべるように倒れていた。鼻から大量の血液が流れ出て、床に血溜まりを作っていたので、出血による気絶というところだろうか。

 

 ……それって、早くしないとやばい気がするんだけど、ほっといても大丈夫なのだろうか。

 

「うーん、どうやら間一髪という感じだね」

 

 透き通ったような心地よい声が、頭越しに聞こえてくる。扉が音を鳴らして開いたということを考えれば、声の主が部屋に入ってきたということは想像できる。

 

 そして、この中将と化け猫中佐の驚き方だ。あれほど自意識過剰で辺り構わず喚きまくれる中将が、恐怖で震えるほどの人物。つまり、それは……

 

「元帥が何故ここにいるのだあぁぁぁっ!!」

 

 中将が最後の雄叫びを上げた。胸ぐらを掴んでいた手の力が緩み、俺はその手を振り払ってゆっくり後ろへと振り返る。

 

 扉の前に立っていたのは、中将が言ったとおりの人物……海軍の最高責任者である元帥の姿だった。真っ白な軍服に身を通し、胸に光輝く勲章がいくつも並んでいる。にもかかわらず、まったく威張った様子もなくたたずむ姿は気品にあふれ、育ちが良いということを一目連想させた。

 

「さて、中将にはいくつか聞きたいことがあるんだけれど」

 

「ぐ……っ!」

 

 もはやうめき声を上げることしかできない中将は、1歩ずつ俺のそばから後ずさっていく。さしずめ、秘孔を突かれて勝手に足が動き、ビルから落ちていく偽物のような感じで。しかしそれほど大きくないこの部屋では、その動きも長くは続かない。踵に当たる壁の感触に気づき、これ以上逃げれないと悟ったのか、がっくりと肩を落としてうなだれた。

 

「許可無く勝手に査問委員会を招集したみたいだけど、それってどういう意味か分かってやってるのかな?」

 

「そ、それは……」

 

「しかも、正規の人員は一人もいないね。これじゃあ、正式な査問会なんて開けるわけないよね?」

 

「む、ぐぐぐ……」

 

 完全に蛇に睨まれた蛙状態の中将は、身動き一つ出来ずに元帥の言葉に返事すら返すことも出来ていなかった。これほどまでに階級の差というものが影響するのだろうかと、恐れを感じてしまうのだけれど、中将の表情を見ているとそれ以上の何かがある様な気がしてならなかった。

 

「それに、無抵抗な彼のことを殴ろうとしてたよね? 仮にも査問会と銘打って開いている以上、それはなんでもやりすぎだよね?」

 

「う……うぅ……」

 

 青から黒になりそうなくらい顔色を悪くした中将は、そのまま床に膝をついて土下座のようなポーズになった。謝っている気はないのだろうが、力が抜けてしまった身体は思うように動かせず、滴り落ちる汗だけが額から床へこぼれ落ちていた。

 

 しかし、元帥が言った言葉には気になることがある。部屋にいなかった元帥が、なぜ殴られそうになっていた俺の状況をはっきりと分かっていたのだろうか。それに、中将と中佐、そして俺もが分からないのはそれだけではなく、どうしてこの場所で偽りの査問会が行われていることを知ったのだろうか。

 

「まだまだ色々聞きたいことはあるんだけど、彼女たちを待たせても悪いからね。それじゃあ……」

 

 そう言って、元帥はただでさえ良い姿勢を更に正し、背筋をピンと張りつめるまで伸ばし終えると、急に大きく口を開いた。

 

「中将1名並びに中佐2名に命ずる! 今すぐ自室に戻り、通達あるまで退出を禁ずる!」

 

「「「は、はいっ!!」」」

 

 中将と化け猫中佐、そしていつの間にやら復活していた鼻ほじり中佐はすぐに立ち上がり、震える手で敬礼をすると一目散に部屋から出ていった。あまりにも呆気ない幕切れに、大きくため息を吐き出した俺の身体は、緊張の糸が切れて床に崩れ落ちそうになる。

 

「「「「「せ、せんせーっ!」」」」」

 

 聞き覚えのある声に驚いた俺はハッと頭を上げて、声のする方へと顔を向けた。扉の近く、元帥の後ろに隠れるように、見知った顔ぶれが並んでいた。

 

「お、お前たち……な、なんで……っ!?」

 

 金剛の、夕立の、潮の、天龍の、龍田の顔が、俺の方へと向けられていた。にっこりと微笑む金剛、元気いっぱいの夕立、心配して今にも泣き出しそうな潮、恥ずかしそうにそっぽを向いた天龍、何かを企んでいそうに笑う龍田。

 

 やっと見つけた5人の姿を見て、呆気にとられて流すのを止めていた涙が、焼けるように熱くなった目頭からとめどなく流れ落ちてきた。

 

「せ、せんせー……泣かないで……」

 

 潮は自らも泣きながら、俺に近づいて服の裾を引っ張った。その横で「元気だすっぽいー!」と、夕立が横で飛び跳ねている。金剛は元帥の横あたりで、陸上選手が準備運動をするようにアキレス腱を伸ばしていた。表情がもの凄く嬉しそうに見えたので、どちらかといえばリュックサックを背負った小学生に今から抱きつこうとする高校生のような感じだった。

 

 どちらにしろ、今のこの状況でバーニングラブアタックはキツすぎるから後にして欲しいんだけどね……

 

 天龍は相変わらずそっぽを向いたまま、俺の顔を見ないようにしていた。頬のあたりが真っ赤になっているので、恥ずかしがっているのがよく分かった。龍田は……天龍の横で先ほどと同じように、なんだか怖い笑みを浮かべたまんまである。

 

 いつもと同じように、子供たちは元気な姿を見せてくれた。嬉しくて嬉しくて、涙は一向に止まる気配が無く、子供たちを見るのが難しいほど流れ落ちていった。

 

「君は……本当にこの子たちに好かれているみたいだね」

 

 いつのまにか俺の横に立っていた元帥は、俺の肩にぽんっと手を置いて諭すように口を開いていく。

 

「君を助けるために、彼女たちは朝早くから私を捜して鎮守府内を駆け回ってくれたんだ。僕の顔を立てて、叱るのは少しだけにしてくれないかな?」

 

「そ、そんな……叱るなんて……」

 

 俺の言葉を聞いて微笑んだ元帥は「それじゃあ、後始末があるからね」と、言いながらきびすを返して立ち去ろうとする。

 

「元帥、ありがとう……ございます……」

 

 俺のかすれたお礼の言葉に、後ろ姿のまま手を挙げて答えた元帥は、静かに扉を閉めて部屋から出て行った。じっと扉を見続ける俺は、誰もいない場所に頭を下げる。心の中で、何度も何度もお礼を言いながら。

 

「ばぁぁぁにんぐぅぅぅ、らぁぁぁぶぅぅぅっ!」

 

「ぐへあっ!?」

 

 不意打ちのように横っ腹に突っ込んできた金剛の身体をなんとか受け止めて、両腕で抱えたその顔をじっと見つめてみる。

 

「ヘイヘーイ、せんせー! そんなに見つめたら、ちょっぴり恥ずかしいデスよー!」

 

「はははっ、恥ずかしいついでにキスでもしてやろうか?」

 

「きょ、今日のせんせーは大胆すぎマース!」

 

「せんせーは、エロエロですもんね~」

 

「むしろ、どスケベっぽいー」

 

「お、お前等っ、さすがにそれは言い過ぎだぞ!」

 

 部屋に響く子供たちの声。

 

 楽しく騒ぎ立てる子どもたちは、いつでもキラキラと宝石のように輝いている。

 

 今回のことで、俺は先生として失格だと思っていた。

 

 だけど、子供たちはこんな俺に笑いかけ、はしゃぎ、楽しみ、嬉しがって、時には悲しみ、泣いて、次の日にはまた笑っている。

 

 子供たちが俺を必要としてくれるなら、俺は先生であり続けるべきだろう。

 

 子供たちが戦いへと駆り出される必要が無くなった時、それは訪れるのかもしれない。

 

 それとも全く違う、別の理由なのかもしれないが。

 

 その時は、泣かずに笑って円満に別れたい。

 

 正直、考えたくもないけれど、時は有限なのだから。

 

 その時が来るまでは全力で子供たちを育て、楽しくやっていこうと思う。

 

 いろんな人に感謝し、いろんな人に謝って。

 

 にっこり笑って、過ごしていこう。

 

 

 

 俺の居場所は、艦娘幼稚園なのだから。

 

 

 

 

 

~特別会議室前の廊下にて~

 

 

 

「ありがとうございます、提督」

 

 ほんわかとした喋り声ではなく、はっきりとした愛宕の声が廊下にいた元帥へと向けられる。振り向いた元帥の目には深々とお辞儀をしていた愛宕の姿があった。

 

「おいおい、元帥になっても呼び方は昔のままなのかな?」

 

「うふふ~、提督は提督のままが一番なんですよ~」

 

「ははは……嬉しいんだか悲しいんだか……」

 

 元帥は頭をポリポリと掻きながら苦笑を浮かべていた。そんな姿を見て、愛宕はにっこりと微笑んでいる。

 

「しかし、反対を押し切って設立したとはいえ、強硬手段に出るとは思わなかったよ……」

 

「提督は昔から敵ばっかりですもんね~」

 

「ぐっ……そうは言ってもだな……」

 

「男子家を出ずれば7人の敵ありと言いますし~」

 

「あー、それくらいはいそうだなぁ……」

 

「それに、艦娘たちの間でも色々とあるみたいですしね~」

 

「……っ!?」

 

 顔色を青ざめる元帥に、愛宕は全く気にすることなく喋り続ける。「あらあら~、知らないと思ったんですか~?」

 

「な、ななな、何のことだか分からないよ?」

 

「とぼけたって、無駄ですよ~」

 

 元帥はごほんっと、咳込んで話題を切り替えようとする。そんな姿を笑顔のまま見ていた愛宕だったが、身体のまわりに怒りのオーラを纏っているようだった。

 

「し、しかし……だ、上手くやってくれているようだね」

 

「ええ、みんなスクスクと育ってくれています」

 

「いつしか来るであろう大きな作戦に……どうしても彼女たちの力が必要になる……」

 

 窓の外を見ながら遠くを見つめる元帥。どこか寂しげに見える表情を、愛宕は何も言わず見つめ続けている。

 

「君たちばかりに頼りきっているのは、本当に忍びない……」

 

「……提督」

 

「ん……」

 

「私たちは、深海棲艦と戦うためにここにいるんです」

 

 愛宕の言葉に提督は答えない。いや、答えられないのだろう。

 

「自らここに進んで……だから、自分を攻めないでいいんですよ」

 

「……すまない」

 

「いえいえ~、提督のそういうところ、嫌いじゃないですよ~」

 

「そ、そうか。それじゃあ今夜あたり食事でも……」

 

「そういう冗談は好きじゃないんですけどね~」

 

「……は、はい……すみません……」

 

 愛宕の圧力に負けた元帥はがっくりと肩を落として、そそくさと廊下を歩いていった。

 

「さて、それじゃあみんなの様子を見に行きましょうか~」

 

 いつもの明るい笑顔と声が、鎮守府内に響いていく。

 

 今日も楽しい一日でありますように。

 

 愛宕の願いは周りを動かし、今日もみんなを笑顔にする。

 

 

 

 空は快晴。

 

 海鳥の鳴き声と砲撃の音、小さな子供たちの明るく楽しい声が今日も聞こえてくる。

 

 明日も天気でありますように。

 

 誰の願いか分からないけれど、それは叶えて上げましょう。

 

 

 

 小さな艦娘たちに、幸ある日々を。

 

 

 

 

 

 艦娘幼稚園 ~俺が先生になった理由~ 後編 完

 




 長文、読んでいただきましてありがとうございました。

 艦娘幼稚園 ~俺が先生になった理由~3部構成はこれにて終了となります。
 また、短編ではありますが、後日談の方も後日更新いたしますので、よろしければお読みいただけますと幸いです。

 艦娘幼稚園シリーズとしてはこの作品以降もまだまだ執筆を続けており、以降は短編やちょっと長めなど色々書いてますので、ちょくちょく更新したいと思います。

 よろしければ、これ以降もお付き合い頂けるよう、お願い致します。



 リュウ@立月己田

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