不慣れながらもなんとか仕事をこなしていた俺に、とある災難が降りかかる……
※本作品はpixivにて投稿した小説を読みやすく編集したマルチ投稿作品になります。
このシリーズは前・中・後編の3部作で、これ以降も多数の作品を執筆中です。
まだまだへたれな文章書きですが、あたたかい目で見ていただけると幸いです。
艦娘幼稚園に配属されて早2週間。想像していた提督としての仕事ではなく、先生としての仕事を不慣れながらもこなしてきたのだが、これがまた非常に大変だった。
普通の幼稚園と同じく、すくすくと元気に育つようにをモットーにしていると愛宕に聞いたのだが、艦娘たちの元気さは半端なレベルではなく、全力で振り回され続けの毎日であり、仕事が終わると精根尽き果て眠るだけを繰り返してきた。
だがしかし、復讐ばかりを考え、目的しか見えていなかった昔の考え方ではなく、彼女たちを立派な艦娘に育って欲しいと思えるようになった俺は、明るく楽しい艦娘たちとふれあい、大変ながらも充実した時間を過ごしてきた。
そして、本日も忙しくも楽しい先生の仕事を終え、スタッフルームで缶コーヒーを片手に一息ついている俺に、ゆるふわな声がかけられた。
「あらあら~、今日もお疲れのようですね~」
艦娘幼稚園の先生にして俺の先輩でもある、高雄型重巡洋艦の愛宕だった。不慣れな俺を優しく指導し、見守ってくれるお姉さん的存在である。
「いやー、まだまだ大変ですけど、楽しくやらせてもらってますよ」
「うふふ、それは良かったです~」
いつものようににっこりと微笑んだ愛宕は、俺に近づいて「良い子ですね~」と、頭をなでなでした。この2週間で分かったことなのだが、愛宕は嬉しいことがあると頭をなでる癖があるらしい。正直、子供という年齢は既に過ぎているが、愛宕の独特な雰囲気なのか、撫でられている時間が非常にリラックスできることもあり、素直にじっとしているのであるが……
ぽよん……ぽよん……
目線の先に、大きくゆっくりと揺れる愛宕の胸が魅力的すぎて、拒む理由が無いというのが本音だったりするのだ。
いやぁ、これだけで幼稚園の先生をやる理由になるってもんです。実にけしからんです。
「あっ、そういえばですね~」
急に声を出した愛宕は撫でていた手を頭から離した。俺は慌てて視線を胸から顔へと移して、何事もなかったかのように装う。胸を凝視していた視線の事が、ばれてしまったのではと心配だった反面、もう少し至福の時間を過ごしていたかったと残念な心境である。
そんな俺の複雑な心持ちをまったく気にしていないのか気づいていないのか、愛宕は両手をぽんっと叩いて再びにっこりと微笑んだ。
「明日の午前中なんですが、ちょっと鎮守府の方へ用事があるので、子供たちを一人で見てもらいたいのですが~」
「えっ! ひ、一人で……ですか……?」
「はい~。まだ不慣れだとは思いますが、どうしても外せない用事がありまして~」
両手を合わせて『ごめんなさい』の合唱をする愛宕の姿がとっても可愛くて、思わずニヤケてしまいそうになってしまうが、事の重大さに冷静さを取り戻す。この2週間で担当した子供たちは多くても5人ほど。しかし、現在この艦娘幼稚園には15人ほどの子供たちが居るのである。午前中だけとは言え、全員を俺一人が見るなんて、とてもじゃないが正気の沙汰とは思えなかった。
「そ、それは……かなり厳しいかと……思うんですが……」
「いえいえ~、先生の頑張りを見ていたら大丈夫だと思いますよ~」
「そ、そうです……かね……?」
「はい~、太鼓判とは言えないかもしれませんけれど~」
「……けれど?」
「泥船に乗った気分で出かけられます~」
それ、ダメじゃね?
むしろ、確実に沈むパターンの奴やっ!
そんな心の叫びを知ってか知らないでか、愛宕は再び俺の頭の上に手を置いて、撫で撫でを再開させた。
「先生の頑張りはしっかりと見てるんですよ~」
「で、でも……まだ未熟者ですし……」
「大丈夫です。なるようになりますから~」
「そ、そうですかね……」
どうも素直に喜べない言葉を並べられている気がするのだが、愛宕に頭を撫でられていると、どうも思考が上手く働いていない感じだった。
「すみませんが、明日の午前中だけですから、よろしくお願いしますね~」
「わ、わかりました……」
安請け合いをしたつもりはないのだけれど、ここまで言われて引き下がるようでは男が廃る。ここは一つ男らしいところをビシっと見せて、愛宕に認めてもらえるように頑張ろうと、心に決めたのであった。
その間ずっと頭を撫でられ続けていたので、男らしさは米粒どころか微塵もなく、まったくもって決まっていなかったのに気づいたのは、布団に入ってうとうとし始めたときだった。少しばかり悲しくなって涙がにじみ出そうになりながらも堪えた俺は、缶コーヒーのカフェインもどこへやら、疲れきった身体は睡眠を欲して、すぐさま眠りへと落ちていった。
「はいはーい、みんな! ちょっとちゅうもーく!」
部屋いっぱいに響きわたる大きな声を上げた俺に、子供たちの顔が一斉に集中した。
「今日のお昼まで、愛宕先生はお出かけしてます。先生1人しか居ないから、騒がしくし過ぎたりすると先生パニックになっちゃいます」
「けっ、なっさけない先生だなー」
俺の話を遮るように、天龍が横槍を入れてきた。だが気にすることなく会話を続ける。
「まだまだ慣れてないから、先生を助けると思って良い子にしていて下さいねー!」
俺の言葉に、子供たちの大半は「はーい!」と声を上げて手を挙げて返事をしてくれていた。が、予想通りに天龍はふてくされたような表情を浮かべてそっぽを向き、その後ろで何かを企むような表情を浮かべる龍田の姿があった。
「あの……先生……」
服の裾を引っ張りながら声をかけてきたのは潮だった。ウサギのぬいぐるみを両手で抱きながら、少し寂しそうな表情を浮かべて、俺の顔を見上げている。
「どうしたのかな、潮」
「あ、あたごせんせいは……どこにいっちゃたの……?」
「愛宕先生はね、鎮守府の方に用事があるみたいなんだよ」
「そ、そう……なの……?」
「うん。お昼くらいには帰ってくるから、心配しなくていいんだよ」
「う、うん……分かった!」
潮はちょっぴり強がるように、ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめた後、俺に笑顔を見せてくれた。「潮ちゃん、えらいねー」と、愛宕の真似をするように頭を撫でてあげると、「えへへ……」と嬉しそうに頬を染めていた。
「フーム、なんだか気になりますネー」
そんな俺と潮の姿を後ろから見つめていた金剛が、少し不安そうな表情を浮かべて声をかけてきた。
「気になるって、何かあるのか金剛?」
「以前にも、愛宕先生が鎮守府に出かけていったときに嫌な出来事があったのデース」
小さいのに流暢に喋るよなぁと感心しながらも、その言葉が気になった俺は「嫌なこと……?」と、問いかけた。
「それはデスネー……」
「うっ……ひっくっ……」
金剛がしゃべり始めた途端、潮が急にぐずるような声を上げた。
「ど、どうしたんだ潮、大丈夫か!?」
「う、うん……でも……」
潮の変わりように焦った俺は、金剛に問いかける際に止めてしまった、潮の頭を撫でいた手を再び動かした。涙をいっぱいに溜めていた潮だったが、撫でる暖かさに安心してきたのか、徐々に悲しそうな表情は和らぎ、普段の顔へと戻っていった。
「ご、ごめんね……先生……」
「いや、潮が大丈夫ならそれでいいんだけど……どうかしたのかな?」
「う、うん……その……」
「その先は私が説明シマース!」
ちょっぴり置いてけぼりを食らって不満だったのか、金剛はここぞとばかりに張り切って決めポーズを取った。少年よ、大志を抱けって感じで。
「さっき、言いかけてましたけどデスネー……」うんちくを話す、どこぞの司会者のようなポーズに変化させた金剛が、一息入れて俺の顔を見つめた。間の取り方といい、なかなか凝っているなぁと再び感心しそうになったのだが、二度あることは三度あると言う言葉があるように、金剛の言葉は大きな音に遮られた。
バターン!
「ふえっ!?」
不意打ちを食らった金剛は、女の子特有の可愛らしい声を上げてその場で飛び上がりそうになった。
音の発生源はこの部屋に入るための木製の扉が壁に叩きつけられた音だった。あまりにも大きすぎた音にびっくりした子供たちが一様に扉の方へと視線を向ける。その瞬間「ざわ……」と、緊張したかのような効果音が聞こえたような気がした。
「ふん! 相変わらずガキしかおらんではないか!」
続けざまに響く大きな声に、子供たちの多くは震え上がるように身を竦めていた。慌てて俺は立ち上がり、怖がっている子供たちをなだめながら、声の主の方へと歩いていく。
「ん、なんだ? 貴様は見たことが無いが、どこの馬の骨だ!」
もの凄い言われようにムカつき、声を上げそうになったが、声の主の顔の強面っぷりと、胸についている勲章に気づいてすぐに口を塞いだ。
「上官の質問にさっさと答えんか貴様!」
再び荒らげる声に驚いた俺は「舞鶴鎮守府特別施設、艦娘幼稚園に先生として配属された者です!」と、すぐさま答えた。俺の言葉を聞いた途端、目尻をピクピクとさせた強面の男性は「ふん! 貴様があの無駄な試験で選ばれた屑か」と、俺の顔をジロジロと睨み、自らの胸についている勲章を親指で指さしてドヤ顔を浮かべた。
「上官はここ、舞鶴鎮守府で海軍中将として日々この国を守っている英雄である!」
「は、はぁ……」
自分で自分のことを英雄と言える人間を初めて見た。あまりの馬鹿っぽさに呆れかえりつつも、男性が浮かべるドヤ顔っぷりと、子供たちが驚いてしまった原因がお前にあるんだと言いたくても言えない状況に、沸々と殺意が沸き上がってきそうだった。
「ふん! あまりの事に声も出んようだな。ガハハハハ!」
上官でなければ今すぐこの場ではり倒したい。戦場だったら後ろから狙撃してしまいたい。そんな気分にさせる笑い声に、本気でイライラし始めたが、相手は上官。しかもかなりの権力者である。手を出そうものなら首が飛んでもおかしくないのだが、子供たちが怯えている以上、先生として言わなければならないことがある。
「申し訳ありません、中将! 一言よろしいでしょうか!」そう言った俺は、ビシっと敬礼をして声を上げた。新人提督として恥ずかしくないようにと、鏡に向かって練習しまくった敬礼がここにきて役に立つときがきたと思うと、ちょっぴり誇らしくも思えた。
……今思い出すと、すんごい恥ずかしいけど。
ちっ……と、舌打ちをした中将は不機嫌そうな表情で、俺の全身をくまなく舐めるように睨みつけた。しばらく睨んだ後、ため息を吐きながら面倒くさいそうに「いいだろう」と返事をしたので、そのままの体勢で口を開く。
「申し訳ありませんが、子供たちが驚いてしまいますので、大きな音や声を止めていただけますと……」
「貴様は上官に指図するつもりかっ!」
中将の強面が悪鬼のような表情に変わった瞬間、フルスイングの強烈な右フックが俺の頬へと叩き込まれた。その衝撃で床へと転がった俺は3回ほど回転し、うつ伏せに倒れ込む。「きゃあっ!」「わあっ!」と、子供たちの大きな悲鳴が部屋中に響きわたり、一様に身を竦めていた。
「ふん!」と、中将は大きく鼻息を吐きながら、殴った拳を見つめてニヤニヤとあくどい笑みを浮かべていた。殴られた頬を手の甲で拭いながらゆっくりと立ち上がる。口の中が鉄錆の味とにおいで充満し、頭にドクドクと血管が浮かび上がっているのが見なくても分かるほど、怒りがこみ上げていた。
「せ、せんセー……」
立ち上がって中将の方へと歩きだそうとした俺のズボンを、金剛がぎゅっと引っ張った。その表情は恐怖に染まり、今にも泣き出しそうになっている。そんな金剛の顔を見て怒りは一瞬で消え去り、冷静さを取り戻した俺は、険しくなった表情をすぐさま変え、何度も繰り返した練習通りに再び敬礼をし、中将へと向き直る。
「出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありませんでした!」
「……ふん! まぁ、よかろう……だが、二度目はないぞ!」
「はい!」
当てが外れたかのように再び舌打ちをし、不機嫌な顔を浮かべる中将は俺から視線を外して周りを見渡した。ズボンをつかんでいる金剛の頭に手を置いた俺は「ありがとな」と、言いながらゆっくりと撫でてあげる。怖がりながらも、少しだけほっとした表情を浮かべた金剛は手の力を緩めてズボンから手を離す。
「怒ったりしたら、相手の思う壺デース……」
「ああ、金剛のおかげで目が覚めたよ」
中将に聞こえないように小さな声でもう一度金剛にお礼を言う。安心したのか、撫でられているのが恥ずかしいのか、金剛は少し俯いて何も言わないままその場で座り込んだ。いつもはいきなり抱きついてくる金剛だが、時と場所をわきまえているのは本当にすごいと思う。秘書艦をつつきたがる提督たちに見習ってほしいものだ。
いや、それはそれで楽しいんだけどね。
「しかし、兵器でしかない艦娘を小さい頃から育てるなんぞ、ただの無駄ではないのかね?」
周りを見回していた中将の言葉に、再び血管が浮かび上がりそうになるのを感じた。頭の中に、愛宕との会話がフラッシュバックのように呼び起こされてくる。艦娘たちを使い捨ての兵器としか思わない者たちが居る。それが今、俺の目の前に権力と悪意を持ち合わせて。
今度はズボンの裾がぎゅっと引っ張られた。俺の顔が険しくなったのを感じ取った金剛だろう。俺は小さい声で「大丈夫」と答えた。冷静さは欠いていない。俺がここで逆上することが中将の狙いであるということは、すでに分かっているのだから、そんな手には乗るわけにはいかないのだ。
「ふん! 艦娘なんぞ深海棲艦を駆逐するだけの兵器。要は使い捨ての駒だ! そんなものを小さい頃から育てる? 無駄な金を湯水のように垂れ流しているだけではないのかね? どうせ大破しようとも轟沈しようとも、1匹でも多くの敵を倒せればそれでいいのだ!」
再びドヤ顔で自らの胸の勲章を指さして鼻息を荒らげる中将。
「私は数多くの作戦を指揮し、深海棲艦を打ち倒した! それがこの結果だよ! この光輝く勲章の数々! そう、これが英雄たる証! 海軍の頂点まで後少し、目の前まで来ているのだよ!」
大切に育てている可愛い艦娘たちを、お前のような奴に預けるなんて考えたくもない。こんな奴が海軍のトップになんて、絶対にならせてはいけない。拳を強く握りしめた俺は、心に強く誓いながら歯を食いしばる。
「私が元帥になった暁には、こんな施設なんぞすぐに取り壊してやる! その為にも……」
右手の拳を突き上げながら、高い台の上に立って演説をするかのごとく大声を張り上げる中将。独裁者のような佇まいに、観客であろうはずもない子供たちはただ怯えているばかりだが、全く気にすることなく目に見えない群衆にでも叫び続けるように、中将は聞きたくも無い演説を話し続けた。
立場上、耐えなければならない俺にとって、それは苦痛以外の何物でもなく、ただ子供たちの心配をするばかりだった。心配することしかできない自分に嫌気がさし、胸を鷲掴みにされた気分になる。出来ることなら今すぐ殴りかかりたい。だけど、それは中将が一番願っていることで、それをしてしまったならば、今すぐにでもこの艦娘幼稚園を潰す理由として持ち上げるはずだ。
「我が海軍……いや、私が居てこそ、この国の国益は守られていると言っても過言ではない……っ!」
聞くに耐えない言葉がよくそれほどまでにスラスラと出てくるものだと、一種の関心さえ覚えてしまう。と言うか、この内容を録音して上層部に提出したら危ない内容だと思うのだが……。
そんな、この状況を打破できるかもしれないと思いかけた時、中将の後ろの方で何かが動くのが見えた。気になったので少しだけ身体を横に動かして覗き見てみると、そこに立っていたのは天龍と龍田の姿だった。龍田はじっと中将の後ろ姿を見つめながら、ゆっくりと歩を進め近づいていた。そんな龍田を止めようと、焦った顔を浮かべた天龍が手を引っ張っているが、全く気にする気配もなく、まるで瞳孔が開いたかのような大きな目で、おもちゃの様な笑い顔を浮かべながら、少しずつ、少しずつ近づいていく様は、まるでホラー映画のワンシーンのようだった。
「……っ!」
嫌な予感が全身に走った俺は龍田を止める為、行動を起こそうと身体に命令を下す。だが、その本当に一瞬の時間の間に、龍田はどこかに隠し持っていた遊具のボールを右手に持ち、メジャーリーガの様な威風あるフォームで、中将の後頭部に向けて投げ放った。
「だからして、これから先……うわらばっ!?」
「ちゅ……中将!」
見事なまでに中将の後頭部にヒットしたボールは、材質がゴム製であるにも関わらず、回転のあまりの激しさで一部分の髪の毛をえぐり、部屋の隅へと跳ねていった。その光景を見て、恐ろしいまでの笑みを浮かべた龍田は、中将に背を向けてすぐに座り込んで、泣きじゃくる子供のフリをした。
……た、龍田を敵に回すのは……止めて置いた方がいいのかもしれない。先生として、そういうことはしないつもりだが……。
背中に嫌な汗をかくのを感じながら、中将のことを思い出して更に冷や汗をかいて、すぐに駆け寄ろうとした。
「~~~~っっっッッッ!」
だが、あまりの形相を浮かべる中将を見て思わず身体が緊張し、その場で固まってしまった。全身を大きく震わせ、茹でタコのように真っ赤に染まった顔を、ボールが飛んできた後ろへと振り向いた。視界に入るのは怖がりながら床に座り込む子供たち。そのフリをしている、ボールを投げた張本人の龍田。そして、龍田を止めようとしてそのまま立ってしまっていた、天龍の姿だった。
「きぃぃぃさぁぁぁまぁぁぁかあああぁぁぁぁぁっ!」
「ひぃっ!?」
怒り狂った中将はズカズカと大きな足音を鳴らし、天龍の前に立って見下ろした。その形相に驚いて身体をガタガタと震わせた天龍だが、恐怖で涙ぐみながら竦む足を必死に動かして、龍田の前に立ち塞がるように両手を広げた。自分の妹を守る為、自らの身体を差し出す天龍の姿。その行動に感動してしまい、涙腺が緩みそうになったが、今はそれどころではない。
さすがにその行動を見ていたたまれなくなったのか、龍田も立ち上がって天龍の前に出ようとした。だが、天龍はそんな龍田の手を払いのけて守ろうとする。そんな涙ぐましい行動が気に食わなかったのか、中将は鼻息を一層荒くし、演説の時よりも更に高く右手を振りかぶった。
「上官への暴力は、たとえ子供であっても容赦せんっっっ!」
中将の怒号と同時に、周りの子供たちが「きゃあっ!」と、叫び声を上げた。拳を目の前にして震えながらギュッと目を瞑る天龍。その姿を見て、後悔と悲しみを表情に出した龍田。すべてがスローモーションで進んでいく。なら、俺のすべきことは、もう分かっている。いや、分かるより、理解するよりも速く、俺の身体は動いていた。
ガシッ!
天龍の顔の数センチ手前で、中将の振り上げた拳が停止した。とっさに動いた俺の手が中将の右腕を掴み、間一髪ところで止められたのだ。一瞬、何が怒ったのか分からない様子の中将だったが、すぐに俺に掴まれている腕に気づき、振り向きざまに左手の拳を握りしめて、さっきとは反対の頬に体重の乗ったフックが叩き込まれた。
「ーーぐぅっ!」
吹き飛ばされそうになるのを堪えながら、俺は中将の拳を頬で受け止める。ここで倒れてしまったら、次は天龍へと拳を振り上げるかもしれない。そんなことは絶対にさせてはならないのだ。その思いが俺を奮い立たせ、掴んでいた中将の腕を強く締めつけた。
「貴様……っ!」
左の拳が顔の至る所に何度も叩きつけられる。口の中は裂傷だらけになり、血が充満していた。瞼の上も切れて、負けてしまったボクサーの様に大きく腫れ上がっているのが自分でも分かるくらいに視界が塞がってくる。だけど腕は離さない。たとえどんなに痛かったとしても、子供たちに暴力が奮われる様なことは、あってはならないのだ。
「は、離せっ! 離さんか貴様ぁっ!」
執拗に殴られ続ける俺の姿に、周りの子供たちは身体を震わせながら悲鳴を上げていた。泣きじゃくる子供もいた。そして、この状況を打破しようとする子供も。
「も、もう止めるっぽいーっ!」
目に大粒の涙をたっぷりと浮かべ、両足をガクガクと震わせながら、夕立は大きな声で叫んだ。その気持ちが嬉しくて、だけど、夕立に中将の気がいかないように、俺は掴んだ手の力を更に強める。
「そ、そうだ! 先生をいじめるんじゃねーっ!」
両手を広げたまま固まっていた天龍も。
「死にたい人はどこかしらー」
いや、ちょっとその台詞は怖すぎるぞ、龍田……。
「も、もう、やめてくだ……さい……っ!」
泣きじゃくりながら、大きく叫ぶ潮。
「これ以上は、さすがにやりすぎデース!」
いや、もうかれこれ50発くらい殴られちゃってるよ、俺。
「ぐ……、くう……っ!?」
中将と俺の周りを囲み、子供たちは声を上げ続けた。その度に、俺の力が強くなる。掴まれた腕の痛みと決意を込めた子供たちの顔に怯んだかのように、中将は真っ赤に染った顔を徐々に青くさせていった。
「子供……たちには……指、一本……触れさせません……っ!」
視界は殆ど塞がっているが、それでも中将のいる場所くらいは分かる。その方向へと、悪意ではなく決意の表情でおもいっきり睨みつけた。
「くっ……くそおっ!」
中将は右腕をおもいっきり振り上げて、俺の手を振り払ってそのまま突き飛ばした。よろめきながら数歩後ろに下がり、倒れることなく前を睨みつけると中将は「~~っ!」と、声にならない声を上げて、俺の横をすり抜けて部屋の入り口の方へと駆けていった。
ドアノブに手をかけた瞬間、何かを言おうとしたのか中将が振り向いた。その姿を、夕立が、天龍が、龍田が、潮が、金剛が、子供たちが注視し、睨みつける。その異様とも言える光景に、体感したことのない恐怖を感じたのか、大きく目を見開きながら数秒間固まっていた。だが腐っても軍人。恐怖を大声で吹き飛ばすかのように、中将は大きく口を開いた。
「じょ、上官に対する反逆行為だ……っ! 覚悟しておけっ!」
捨て台詞を吐いた中将は扉を開け、逃げるように部屋から出ていった。それを見終えた俺の身体は糸が切れたマリオネットのように、がくりと床に崩れ落ちる。
「「「「「せんせいっ!?」」」」」
子供たちの悲鳴が四方から聞こえ、すぐに駆け寄ってきた。うっすらと見える夕立や天龍たちの顔を見て、怪我が無くて良かったと安心した俺は、張りつめた緊張がほどかれ、そのまま真っ暗な世界へと意識を落としていった。
「う……っ?」
右目の先に、真っ白な天井が見える。左目は……塞がっているようだった。
「知らない……天井……じゃあないな……」
左右を見渡すと、いつも缶コーヒーを飲んでいる見覚えのある部屋。スタッフルームの隅にあるソファーで、横になっているようだ。両手を動かしてみると、少しばかり痛みはするが動きに問題はない。身体の隅々を触ってみると、殴られた影響で色んなところが腫れ上がっていたが、その全ての箇所に、湿布やガーゼが貼られていた。視界が全くない左目も、タオルが巻かれて氷枕が置かれていただけだった。ヒンヤリとして気持ち良いので、暫くはこのままでいいだろう。念のためにタオルを持ち上げてみると、視力は失われていなかったので、ほっと一安心と言ったところである。
「……今、何時だろ?」
痛む身体を動かして、壁にある掛け時計の方向を見ようとした。すると、扉が開く音が聞こえ、誰かが部屋に入ってきた。
「あっ、気がつきましたか……」
いつもとは違う、落ち込んだような雰囲気の聞き覚えのある声が耳へと届く。心配と困惑が混じりあった、風が吹けばかき消されてしまいそうな、小さい声が。
「大丈夫……ではないですよね……」
横たわる俺の横に来た愛宕は、悲しそうな表情を浮かべて中腰になり、氷枕に触れて冷たさを確認する。氷がまだ溶けていないのを感じ取りながら、自分の手の温度を下げて、腫れていた頬に優しく触れた。ほんのりと冷たく柔らかな感触に痛みが和らいでいく気がして、ゆっくりと瞼を閉じて心地よさを味わった。
「私が居ない間に……こんなことになるなんて……」
「いえ、愛宕さんのせいじゃ……ないですよ」
落ち込む愛宕を見たくはない俺は、空元気で声をかけた。その気持ちが伝わったのか、「ふふ……先生は優しいんですね……」と、笑顔を見せる。だけど、いつもと同じ元気で優しい笑顔ではなく、どこか疲れきったような感じがした。
ふと、愛宕の瞳に視線が吸い込まれる。充血した白目が先ほどまで涙を流していたんだと、すぐに理解する。こんな俺のために愛宕は泣いてくれていたのかと、何とも言えない気持ちが胸一杯に広がった。
「愛宕……さん……」
少し痛む右手を愛宕の頬に伸ばし、人差し指で涙の通り道を撫でた。少し驚いた表情を浮かべた愛宕だが、すぐに優しい笑顔に戻し、頬に置いていた手で、いつものように頭を撫でてくれた。
「すみません……心配させちゃって……」
「本当……ですよ。子供たちに聞きましたけど、先生は無茶をし過ぎですっ」
「あはは……ああするしか、思いつかなかったんで……」
周りから見れば、お互いを撫で合う姿は傷をなめ合う動物のように見えたのかもしれない。優しさと強さを称えるように、心と身体の傷を癒すように。
「………………」
愛宕の顔が、少しずつ俺の顔へと近づいてくる。ほんのりと赤みがかかった頬がとても愛おしく見え、撫でる指の腹にしっとりと汗がにじみ出しそうなほど、緊張と興奮が沸き上がってきた。
「あ、愛宕……さん……」
「せん……せい……」
愛宕の潤んだ唇から、こぼれる吐息が俺の頬に感じられた。お互いの手は動きを止め、瞳同士が吸い込まれそうになるほど見つめ合った。充血し潤んだ瞳と、ぷっくりと膨らみ小さく開いた唇が、俺の心臓をバクバクと高鳴らせ、室内に響いていた秒針の音をかき消した。
コンコンコンコンコンッ!
「ひゃいっ!?」
扉をノックする音が急に聞こえて、愛宕は驚いた表情で飛び退くように俺の身体から素早く離れた。慌てながら身だしなみをチェックした愛宕は振り向きながら「ど、どうぞ~」と、返事をする。ゆっくりと開かれた扉から入ってきたのは、中将から殴られていたときに声を上げてくれた夕立、天龍、龍田、潮、金剛の姿だった。
「あ、あなたたち……」
「せんせー、大丈夫そうデスカー?」
心配そうな表情を浮かべた金剛は、愛宕の顔を見ながら問いかけた。そのすぐ隣で横たわっている俺に気づくと、子供たちは恐る恐る近づき、一様に曇った表情を浮かべていた。
俺の顔を覗き込んだ潮は「せ、せんせー……痛そうだよ……」と、涙を浮かべながらじっと見つめていた。「からだじゅうが、ぼろぼろっぽい……」腕に貼られている湿布を指でツツく夕立。
「はは……大丈夫だよ……」
心配しないようにと、俺は笑い顔を子供たちに見せた。その表情に、潮と夕立は少しだけ安心したような顔になったが、天龍と龍田はそんな俺の顔をじっと見つめていた。
「……っ!」
ギリ……と、歯を噛みしめる音が室内に響く。天龍は小さな手をギュッと握りしめて、肩を大きく震わせていた。「てんりゅー……ちゃん……」
声をかける龍田に何の反応も見せないまま、天龍はじっと俺を見つめていた。いや、睨みつけていた。顔を真っ赤にして、今にも癇癪を起こしそうな雰囲気が、ヒシヒシと伝わってくる。
「うぅ……」
そんな天龍の姿を見た俺は、痛む身体に鞭を打って起きあがり、手招きをする。呼ばれたことを理解した天龍は、少しばかり不可思議な表情を浮かべたものの、すぐに睨みつける顔に戻し、機嫌が悪そうに足音を鳴らしながら寄ってきた。
「……ありがとな」
ぽんっ……と、天龍の頭に手を置いて、ゆっくりと優しく撫でた。大きく目を見開いて驚いた顔をしたが、すぐに怒った表情へと変化した天龍は、耳まで真っ赤にさせて俺の手を払いのけた。
「なっ、なんでおこらなかったんだよっ! こんなになるまでなぐられたのにっ! オレの……オレのせいで……っ! せんせーは、なんでほめてくれるんだよぉっ!」
「なんで……か……」
中将の目的は幼稚園を潰すことであり、理由付けに俺を怒らせて、問題を起こさせようとした。しかし、この事を子供たちに話すことは出来ない。話してしまえば、子供たちが悲しむのは目に見えている。
愛宕の顔へと視線を移すと、彼女は無言で小さく顔を左右に振る。俺は頷きながら小さく息を吐き、天龍へと向き直った。
「そりゃあ、せんせーだからだよ。天龍」
「でも……でもっ!」
「お前たちをいじめる奴から、守るのが俺の仕事だからな」
「そ、それでもっ、やりかえせばいいじゃんか!」
「ん? 天龍は気づかなかったのか?」
「……え?」
天龍は、何のこと? と、分からないといった風に、目を見開いて呆気にとられた表情を浮かべた。「おいおい、俺はちゃんとやり返していたんだぜ?」
「な、なんにもしてなかったじゃん!」
「してたよ」
「う、うそだっ!」
「嘘じゃないよ」
「うっ、うー、うううっ!」
折れない俺に、何を言えばいいのか分からなくなった天龍は、うめき声のような声を上げながら睨みつけてきた。そんな天龍の頭に、もう一度手を置いて優しく撫でてやると、今度は払いのけずに、俯きながら上目遣いでじっと見つめていた。
「中将の腕」
「……え?」
「ずっと、握ってただろ?」
「う、うん……で、でも、あれはオレが、なぐられそうになったから……」
「初めはそうだったな。だけど、あれからずっと握ってただろ?」
「そ、そうだった……かな……」
天龍は思い出そうと、視線を上へと動かしながら人差し指を口元に当てた。その仕草が可愛らしくて、撫でていた手を少しだけ開き、髪を指でとくように撫でながら、落ち着かせるようにゆっくりと動かしていく。
「言ってなかったけどな、俺の握力はすんごいんだぜ?」
「えっ、そうなのかっ!」
「ああ、なんせリンゴを潰せるくらいだからな」
「ま、マジで!? それってすげーじゃん!」
天龍は睨みつけていた表情から驚きへと一変し、尊敬の眼差しへと変わっていた。まぁ、実際のところは片手じゃなくて両手でなんとかってところだけれど、嘘は言っていないから大丈夫だろう。
「そんな力でおもいっきり握ってたんだぜ? 痛くないはずがないだろうな」
「すっ、すっげー! 地味すぎるけどすっげーぜ、せんせー!」
地味って言うな。ちょっとは気にしてたりするんだからよ!
学生時代に頑張りまくってたのに何の取り柄もなくて、地味男とか呼ばれていた時期を思い出しちまうじゃねーか!
悔しくて涙がでちゃうんだぞ! 主に枕元で!
「だからさ、やり返してないってわけじゃないんだぞ」
「そうだったのかー……さすがせんせーだぜっ。あたごせんせーのおっぱいばっかり、みてるだけじゃないんだなー」
「んなっ!?」
「……あらあら~?」
「そういえば、チラチラ見てるっぽいー」
「ちょっとはワタシのことを見てほしいデース!」
「せ、せんせー……エッチなのは……イケナイと思います……」
子供たちが寄ってたかって声に出しながら、ジト目を浴びせるように俺へと視線を向ける。「え、えっと……そ、そんなこと……してないよ……?」と、弁解を述べるが、周りからの視線の圧力が強すぎて、声がどんどんと小さくなっていった。
「視姦は禁止されています~」
いや、それは言い過ぎだって! 俺ってそこまでエロくないよっ!
「うふふ~、せんせー。ちょっとお話しましょうか~」
横から聞こえてくる愛宕の声が非常に恐ろしくて、とてもじゃないが顔を見れる勇気はなかった。
「身から出た錆ですね~」
「うぐっ……」
龍田の指摘に胸を射ぬかれた俺は、ばたり……と倒れ込んだ。肉体的よりも精神的に打ちのめされて、真っ白な灰になった気分だった。
「そろそろ遅い時間だから、今日はこの辺にしておきましょうね~。せんせーのことは、しっかりと見ていてあげますから、心配しないで良いですよ~」
「「「「「はーい」」」」」
いつものように返事をした子供たちは、入ってきたときの心配した表情は消え、にこやかになっていた。そう思えば、天龍のあの言葉も決して無駄にはならなかったのだろうと思う。
……後々、大変になりそうだけど。
「それじゃー、ゆっくり休んでクダサイネー」
「ああ、おやすみ、みんな」
「おやすみなさいデース」
「おやすみっぽいー」
「お、おやすみ……なさい……」
「フフおやー」
「おやすみなさいです~」
手をあげて挨拶をしながら、子供たちは部屋から出ていった。おやすみなさいの一言でも、彼女たちは一人一人個性を持ち、違った言葉を紡ぐ。そんな彼女たちを、兵器だなんて、やっぱり俺は思えないし思いたくもなかった。
……しかし、「フフおやー」って、なんなんだ……いったい……。
ガチャリと扉が閉まる音が消え去ると、「ふぅ……」と安心したように、息をつく声が聞こえた。普段なら、にこやかに顔を見て目を合わせて会話をするところなのだが、さっきのことがあるだけに顔を合わせ辛い。どうしようかと思い悩んでいると「せんせー……」と、愛宕が声をかけてきた。
「本当に、お疲れさま……と、言いたいところなんですけど……」
「あ、あの……その……ですね……。さっきの天龍の言ったことは……そ、そのぉ……」
少し暗めの口調だったので、やっぱり怒っているんだろうなぁと思った俺は、シドロモドロになりながら弁解しつつ、恐る恐る愛宕の顔を見た。すると、呆気にとられたような表情を浮かべた愛宕は「いえいえ、そっちのことじゃないんですが……」思い出したかのように苦笑し、深刻な表情へと変えていく。
「……へ?」
そっちのことでないのなら、何故そんな顔をするのだろう? 怪我を負ったとは言え、この程度ならば数日すれば普段通り動けるはず。50発以上殴られたりはしたが、日々訓練を繰り返した俺は、柔な鍛え方をしていないと自負している。先生の仕事を終えて疲れきったとしても、その後に自己鍛錬は欠かしていないし、仕事の最中に上手く身体を鍛えるための動かし方を実践したりもしているのだ。
「実は、鎮守府から帰る際に、これを渡されたのですが……」と、愛宕は俺に見覚えのある茶色の舞鶴鎮守府と書かれた封筒を手渡した。この幼稚園に配属される際に送られてきた物と同じ、A4サイズの少し高級感のある厚みのある封筒だ。封を切って中を確かめてみると、1枚のプリント用紙が入っていた。
「……何が、書いてあるんだろ?」
間を紛らわす独り言のつもりだったのだけれど、愛宕はいたたまれなくなったかのように視線を逸らして俯いた。その行動が目に入ってしまった俺は、用紙を読み進めるのが怖くなってしまって封筒に戻そうかと考えたが、鎮守府からの書類を無視するわけにはいかないので、大きく深呼吸をしながら目を閉じて精神を統一し、何があっても驚かないぞ! と、心を強く持って読み始めた。
『〔命令書〕
本日、艦娘幼稚園内での上官への反逆行為、及び暴力行為ついて明日10:00より査問委員会を行う。遅刻することなく、鎮守府内2階の特別会議室に出頭するように。』
「……は?」
目が点になった俺は、用紙を持った両手をプルプルと震わせて立ち尽くしていた。
「受け取ったときに、嫌な予感はしたんですが……やっぱり……」
ごめんなさいと謝りながら頭を下げる愛宕に、何故俺に謝るのかが分からなかった。たぶんこれは、天龍が俺に向けたのと同じなのだろう。でも、俺はもういい大人であり、自分自身の責任はしっかりととらなきゃいけない年齢なのだ。その為にも、しっかりとした説明を受けるべきだと愛宕に伝えると、彼女は神妙な趣で頷きながら、重く口を開いた。
「艦娘幼稚園が出来た理由は覚えてらっしゃいますよね?」
「ええ。小さい頃から艦娘たちを育てる施設として、上層部が発案したんですよね」
「はい。この発案は舞鶴鎮守府に居られる元帥が主となって起てられたのですが、上層部の中には反対する人も多くいるのです……」
「それが、中将ってことですか……」
「子供たちに聞きいて誰なのかが分かりましたけど、今日やってきた中将は反対派の中でも過激な方で、以前にもこういった問題を起こそうと実力行使にでることもあったのですが……」
気まずいように、愛宕は少しだけ俺から視線を逸らした。出かける前にこういったことが起こる可能性があると言っておけば、回避できたのかもしれないという後悔からだろう。先ほど俺に頭を下げたのも、こういった気持ちがあってのことだろうと理解したが、もしかするとそれ以外にも何か理由があるのかもしれない。
それにしても、今日のような中将の実力行使というのは少々過激すぎるんじゃないかと思うのは俺だけだろうか。いくら反対派とはいえ、工作行為が露見すれば自分もただじゃ済まない事くらいは少し考えれば分かるはずなのに……。
「それにしたって、査問委員会を開く位の大事とは思えないんですけど……」
天龍にはああ答えたが、中将の腕を握って攻撃していたというのは建前で、実際には動きを制限する為に掴んでいただけなのだ。そりゃあ多少は痛かったかっもしれないが、子供たちを守るために取った行動であり、それらを素直に説明すれば、上官への反逆行為や暴力行為という大事には至らないはずだが……。
「あくまで、正当な査問委員会なら……」
小さくぼそりと呟いた愛宕の言葉を聞き、俺の背筋に凍るような寒気が走った。あれほどの過激な行動をとってきた中将のやることである。自らの権力を使って、こちらの言い分を全く考慮しない査問を行う可能性も、十分に考えられるのだ。
「そ、それじゃあ、かなりやばいんじゃあ……」
俺ってもしかして、かなりやばいことをやっちまったんじゃないか!?
額に汗が噴き出し、ボタボタと床へ流れ落ちていく。発汗しているにも関わらず、事の重大さを認識した俺の体温は、一気に氷点下まで下がるかのようだった。
「あ、でも、考え過ぎって事もありますしっ」
悲壮な表情を浮かべていた俺を励ますように、愛宕は笑顔を作って声をかけてくれた。だけど、すぐに分かってしまうくらいに無理があった作り笑いに、額を伝っていた一筋の汗。そして、準備が良すぎるくらいに今日中に届いた査問への出頭命令。明らかに仕組まれていたのは見え見えであり、これほどの強攻策に出てきた相手に、新人で鎮守府内でもほとんど人脈の無いちっぽけな俺が対抗できるのと考えると、もはやこの書類は解雇通知……いや、死刑宣告といってもいいくらいの物だった。
「……とりあえず、ありのままを話すしかないですよね」
全身の力が失われるようにがっくりと肩を落とした俺は、愛宕の顔を見る気力もなく、独り言のように呟いた。
「私の方でも出来る限り手を打ってみますから、頑張りましょうっ!」もう一度励ましてくれた愛宕に感謝するように「ありがとう……ございます……」と返事をして床に座り込んだ。
窓の外は真っ暗で、寝るには少し早いけれどじゅうぶんに夜も更けた頃。つまり、残された時間はほとんど無く、一定のリズムで進む秒針の音が、死刑執行を待つ罪人のような気持ちにさせた。
~その頃、廊下側~
どこに隠し持っていたのか、小さなガラスのコップを扉に当てて中の様子を聞いていた金剛、夕立、潮、天龍、龍田等は、扉から離れ、焦り顔を浮かべつつ輪を描くように集まった。
「かなり、危ない感じデース……」
「愛宕せんせいも、焦っている感じっぽい……」
「で、でもでも、……さもん? ってところで、ちゃんと話したら……だいじょうぶだよね?」
「今までにも嫌がらせをいっぱいしてきた人だから、どうかしら~」
「ちょっ、たつたっ! そんなこと言ったら、心配になっちまうじゃねーか!」
「現状は良いとは言えまセーン……」
「「「「「うう~ん……」」」」」と子供たちは、その場で考え込むように頭をひねっていた。暫くすると、金剛は何かを思いついたかのように小さな両手を『ぽんっ』と鳴らして、にっこりと笑い顔をみんなに見せた。手招きをして他の4人を近寄らせて輪を縮めると、内緒話をするように小さな声で、ごにょごにょと喋り始めた。
「……デスから……に、……めば……」
「そっ、それ……な……かも……ぜっ」
「……に……んに……かしら~」
「でも……んな……る……っぽい……」
「わ、わ……いっ……い……して……みる……」
子供たちの顔が少しずつ元気になり、声が大きくなっていった。すると、扉の方からカタンッ……と、音が聞こえ、5人はびくりっと肩を大きく震わせた。
「ここにいると、せんせーが出てくるかもしれまセーン……」
「そうだな……それじゃあ、だれかのへやで、さくせんかいぎにしようぜっ!」
「てんりゅーちゃん、声がちょっと大きいかも~」
「あっ……す、すまん……」
「ばれないように、すぐに行くっぽいー」
「う、うん……そうしよっ……」
「それじゃあワタシの部屋に、れっつごーデース」
「「「「「おー」」」」」と、小さく手を上げた5人は、廊下を歩いていった。真っ暗な窓の外を見た潮が少し怖がっていたが、それに気づいた天龍が手をさしのべた。嬉しくて顔をほころばせた潮はその手を掴み、みんなと一緒に金剛の部屋へと向かっていく。一つの思いを胸に歩く子供たちの姿は、小さいにも関わらず凛として、作戦に向かう艦娘たちのように見えた。
艦娘幼稚園 ~俺が先生になった理由~ 中編 完
長文、読んでいただきましてありがとうございました。
この作品は3部作になりますので、引き続き読んでいただけますと非常に嬉しがります。
それではまた、後編でお会いいたしましょう。