今回は響と暁のお話と、それに続く舞鶴鎮守府の元帥の馬鹿っぷりを発揮するお話を、前後編でお送りいたします。
前編
「ふむ、あなたが先生かな」
担当する子どもたちに朝の挨拶を済ませた俺は、勉強で使う道具を倉庫に取りに行くために幼稚園の通路を歩いていると、誰かが後ろから声をかけてきた。振り向いて声の主を確認してみると、見知らぬ顔の子どもが立っている。青白い長髪がふわりと風に揺れ、深々とかぶった帽子の隙間から、綺麗な青色の瞳が俺を見上げていた。
「君は……?」
「響だよ。担当は愛宕先生だから、先生と会うのは初めてかな。少し気になることがあったから、声をかけさせてもらったんだ」
響は帽子の鍔を摘み、角度を整えながら淡々と言う。
「気になった……って言われると、俺としても気になっちゃうんだけど、いったいどんなことなのかな?」
「いや、まずは一目見ておきたかったと言うべきなのかな……」
「ん……?」
「気にしなくてもいいよ、先生。いずれまた会うことになると思うから」
「???」
響の言葉の意味が分からず戸惑ってしまう。
そりゃあ、同じ幼稚園にいるのだから、担当でなかったとしても今のようにバッタリ会うこともあるだろう。だがしかし、そういうような意味ではない雰囲気が、響からなんとなく感じられる。
「それじゃあ、また」
今度は挨拶の意味を込めて帽子の鍔を掴み、少しだけ頭を下げた響は、俺の返事を待つことなく、くるりと背を向けて通路をスタスタと歩いていった。
「あ、あぁ……また……な……」
挨拶なのか、呟きなのか、自分でもよく分からない声を上げながら、小さくなっていく響の後ろ姿をじっと眺めていた。
「さて、俺も早く倉庫に行かないとな」
いつまでも、子どもたちを待たせるわけにはいかない。
一部の子は、放っておくと何をやらかすか分かったもんじゃないし。
頭の隅にひっかかる響の言葉を何度も思い返しながら、俺は急ぎ足で倉庫に向かった。
「響ちゃん……ですか?」
仕事を終えた俺は、スタッフルームで着替えを済ませた後の愛宕に、響きのことを聞いてみようと声をかけた。
「ええ、青白の長い髪で、帽子を斜めにかぶった子どもなんですけど」
「ああ~、それは間違いなく響ちゃんですねぇ~」
満面の笑みを浮かべた愛宕は、両手でパンッと音を鳴らした。
「それで、その響ちゃんがどうかしたんでしょうか~? 大人しいし、問題を起こすような子じゃないのですけど……」
「あ、いや、トラブルとかそう言うのじゃないんですよ。今日の朝に倉庫に行こうとしたときに、たまたま通路で呼び止められまして……。響が言うには、一目見たかったとか言ってたんですけど、俺って何かやらかしちゃいました……?」
「んんーーっと、そうですねぇ……最近の先生は、ちゃんと仕事も出来てますし、子どもたちからも信頼されているみたいですし、問題ないと思いますよ~」
「そ、そうですかっ! それは、良かったです!」
誉められるとは思っていなかっただけに、ちょっと嬉くなってしまったが、結局のところ、響の言葉の意図は分からないままだった。気にしなければ良いのかもしれないけれど、気がつくと手のひらに刺さった小さな棘のようなチクチクとする感じが、頭の片隅にひっかかってしまう。
「いったい……なんだったんだろ……」
一人で呟いてみるが、答えは全く浮かんでこない。
「……でも、目を離しているときに失敗してたりするので、安心は出来ませんよね~。この間も、洗濯したてのシーツを干すときに、風で飛ばして洗い直してましたでしょ~」
「うぐっ!? み、見てたんですか……?」
「それ以外にも、子どもたちに勉強を教えているときに、時雨ちゃんに間違いを指摘されてましたし、お昼寝の時間に子どもたちと一緒に寝ちゃってたりしましたし、それから……」
「ぐ……ぐふぅ……」
やばい。
俺のヒットポイントが真っ赤になっちゃってるから、もう止めてくださいぃぃっ!
「でも、まだ先生になって日も浅いですから、これからってところですね~。がんばって、子どもたちの良い先生になって下さいね~」
「は、はい……がんばります……」
フォローも時すでに遅しといった風に、瀕死の重傷を負った俺は床にひざまずく格好でうなだれた。
イメージにすると、こんな感じで→ orz
「それじゃあ、私はこれから姉さんのところに行く用事があるので、この辺で失礼しますね~」
「あ、はい……お疲れさまでしたー」
「お疲れさまでした~」
いつものようににっこり笑った愛宕は、手を振りながら部屋から出ていった。裏表がない表情なだけに、今の俺には非常にきつく感じ、さらに追い打ちを受けているような気分になってしまった。
だからといって、悔やんでいたって仕様がない。
前に進むことが、俺が出来る精一杯の努力なのだから。
「よし、今日も一本いっとくかな!」
空元気な声を上げた俺は、日課である缶コーヒーを飲むため、帰り道にある自販機へと向かう。いつもの微糖を飲みながら、失敗は成功の元なのだからと前向きに切り替えて、自室に戻ることにした。
「ひそひそ……」
「ひそひそ……」
何故だろう。
周りにいる子どもたちの様子が、何となくではないレベルで変である。
今日は、午前中から外で一斉に子どもたちが遊ぶ時間であり、広場にはボール遊びをしたり、おままごとをしたり、お話をしたりと、それぞれが楽しそうにやっているように見える。
「……きゃっ! それで……うん、ひゃあぁぁ……」
そんな中にいる一部の子どもたちは、俺の顔をチラチラと盗み見るような視線を何度も向けては、内緒話をしているようだった。そのほとんどの子どもは俺の担当ではなく、顔と名前が一致しない。昨日の響のことと言い、頭の片隅に引っかかっていたものが、じわじわと沸き上がってくるような感覚になり、落ち着きを保てなくなってきた。
「あの……さ、俺に何か……あったのかな?」
「えっ! え、えっと、そ、その……っ!」
近くにいた2人組の子どもに声をかけてみたが、恥ずかしそうにするだけで答えは返ってこない。それどころか、そんな俺の姿を見た他の子どもたちが、「やっぱり……」とか「今度は……」みたいに内緒話をさらに加速させていく。
うーん、やっぱりおかしい。
子どもたちの目が、不審者を見つめる感じに思えて仕方がない。
こんな雰囲気の中にずっといると、気分が滅入るどころか、本当に変質者になってしまいそうである。
いや、ならないけどさ。
そういう状況下に置かれた人間は、徐々に環境と同じような行動を取るようになるらしいし。
そうなったら確実に首になって、ここから強制退去。それどころか、塀の中へとレッツゴーになるかもしれないので、全力で避けなければいけない。
「先生、ちょっといいかしら」
いつの間にか俺の横に立っていた女の子が、両手を腰にあてて声をかけてきた。昨日出会った響と同じくらいの長い髪の背格好で、くりくりとした大きな目がぱっちりと開き、何故か俺を威嚇するように見上げている。
「あ、あぁ、いいけど……君は?」
「私は暁よ。先生に、この間のことについて聞きたいことがあるの」
「この間のこと……?」
そう言われても、全くもって何も思い出すことができない。というか、今さっき初めて名前を聞いた暁に、この間のことと言われても、思い出せるどころか、身に覚えすらないのだが……。
「もうっ、先生ったら全然ダメじゃない! この間のことと言ったら、雷と電のことに決まってるでしょ!」
ぷんすかぷん――と、擬音が浮かび上がるくらいに怒った表情を浮かべる暁を前に、俺は記憶を呼び覚ました。ぶっちゃけた話、今の会話で雷や電を思い出せと言うのは無茶にもほどがあるけれど、暁の名前から連想することは出来なくもない――かもしれない。確か、雷や電は暁の妹なのだから、俺と一緒にコンビニに行ったことを、暁に話したと言うことが考えられる。と言うことは響も同じ姉妹なのだから、同じように話を聞いたのかもしれないので、昨日通路で声をかけられたことも、関係があるのかもしれない。
「あ、あぁー、あれか。前に3人でコンビニに一緒に行ったやつか」
「そうよ、先生っ! ほんの数日前のことなのに、もう忘れたのかしら?」
「いや、忘れてなんかないけどさ……」
だから、今まで暁とは面識が無かった俺に対して、思い出せと言うこと自体に無理があるって。
「とにかくっ! 帰ってくる途中、そ、その……か、かか……間接チューしたらしいじゃないっ!」
「ぶふうぅぅーーっ!?」
「し、しかも、雷と電の2人ともになんて……そ、そんなの……っ!」
「ちょっ、ちょっと暁! こ、声が大きいって!」
慌てた俺は、両手で暁の口を塞いで周りを見渡す。
「やっぱり……そうだったんだ……」
「きゃーっ! それって、三角関係じゃないのかなっ!?」
「でもでも、そこに暁ちゃんまで入るってことは……」
ざわざわ……と、俺たちを囲むように噂話をする子どもたち。話に夢中になる子や、頬を染めて恥ずかしそうに見つめる子、木の陰に隠れながら呟く子などから、視線が俺に集中し、完全に注目の的となっていた。
「いや、だから、その……だな……」
この場に留まっていることを限界に感じた俺は、冷や汗を額にかきながら後ずさる。
「むうっ! むうぅぅっ!」
手足をバタバタとばたつかせた暁を引っ張りながら、幼稚園の中へと逃げるように駆けだした。
「いてぇっ!」
幼稚園の通路へとやってきた俺は、暁にスネを思いっきり蹴られて声を上げた。
「い、一人前のレディの口を塞いで連れ去るなんて、なにを考えてるのよっ!」
「暁があんなことを言いだして、他の子たちの注目を集めてしまったからだろ。完全に不審者を見るような目で見られてたんだし、あんな状態で、普通になんていられるわけないじゃないか!」
「そもそも、先生が雷と電に間接チューをするから悪いんじゃないっ!」
「あれは、その、不可抗力だ不可抗力! 喉が乾いていた雷がかわいそうだなぁって思ったから、抹茶オレをわけてあげただけなんだぞ!」
「ふ、ふふっ、不可抗力ですって!? じゃあ、なんであんなに、電も雷も嬉しそうにしてたのよっ!」
「なん――だって?」
暁の言葉を聞いた俺は、あの時の夜を思い出そうとする。
『あの時の夜を……』と言ってみたが、少し卑猥な感じに聞こえてしまうけれど、まったくもって、そんなことはこれっぽちも無いのであしからず。
俺からもらった抹茶オレを飲んでいる雷に、電が間接キスだと言った瞬間、あの時の雷の驚き方は、間違いなく嘘じゃなかったし、言われるまで意識していたとも思えない。電の方は、雷に対抗するような形で抹茶オレを飲んでいたので、暁が言うようなことがあり得ないとは言えないけれど……
そうかー、嬉しかったのかー。
なんか、そんなことを言われると、俺もちょっと嬉しかったりしちゃうかなぁ。
「いや、だからと言って、なんで暁がそのことに対して俺に言いに来るんだ?」
「……むぐっ、そ、それ……は……」
目を左右に泳がしながら言葉を詰まらせた暁は、急に顔を真っ赤にして、俺を指さした。
「ふっ、普通なら、一人前のレディであり、お姉さんである私が先にするべきじゃない!」
「……はい?」
「雷や電が私より先になんて……そんなのっ、そんなの許さない……許さないんだからっ!」
「あー、いや、そのー……だな」
つまり、こういうことか。
姉である自分より先に、間接キスを経験したことを雷か電――もしくは2人ともに自慢されて、姉としての立場が危うく感じた暁が、俺に対して文句を言いにきたってことだろう。
と言うことは、暁の要望は間接キスをしたいって――ことだろうか? 今日初めて会話を交わした俺に、そんなことを頼むなんて、正直ちょっと考えにくいと思うのだけれど。
「ちょっと待ってくれるかな」
「……え?」
言い争いをしていた俺と暁に声がかけられ、俺達は声のした方へと振り向いた。淡々とこちらに向かってくるのは、昨日と同じように帽子の鍔を指で摘みながら、俺の顔をじっと見つめている響の姿だった。
「ひ、響っ! どうしてここにっ!?」
「こっちに駆けていく先生と暁の姿が見えたから、気になって追ってきたのさ。なにやら不穏な空気も感じたからね」
驚きから不満げな表情へと変わっていった暁は、響の顔から俺の方へと視線を変えた。
「と、とにかくっ! これ以上雷や電のいい気になんてさせられないんだからっ! だ、だから……そ、そのっ、わ、私にも……っ!」
「それは聞き捨てられないな。それだと、響だけが仲間外れになってしまう。そんなことは、もう……したくない」
「ひ、響……?」
響の視線は俺の方を向いている。だけど、どこか遠くを見ているような澄んだ瞳の奥に、悲しみの渦がぐるぐると回っているような感じがした。
「………………」
重い空気に口を開くことを躊躇った俺は、いつもの癖で2人の頭に手を伸ばし、優しく撫でる。
「すまん……あの時は不可抗力とは言え、流れの結果、間接キスをしたことにはなる。とはいえ、それを理解した上で、先生の立場上、頼まれて出来るようなことではないんだ」
「それは、その通りだろうね」
響は撫でられたまま、こくり……と、頷く。
「だから、せめてもの謝罪と言うことで、これで許してほしい」
落ち着かせるように、何度も2人の頭を優しく撫で、柔らかい笑みを浮かべて見せた。髪と帽子の鍔の間から、見上げる響の瞳と視線が合う。すぐに視線を逸らした響の顔が、ほんのりと赤く染まっているように見えた。
「あ、あああっ、頭をなでなでしないでよっ! もう子どもじゃないんだからっ!」
急に怒りだした暁が、撫でていた俺の手を払いのけ、両手を上げて抗議をする。
「別に……響は嫌いじゃない」
「な、ななっ、響っ!?」
正反対の反応を見せた暁と響。ぱくぱくと口を開きつつも声を出すことが出来ない暁は、何度も俺と響の顔を見直していた。
「とにかく、雷や電には俺から言っておくから」
もう一度2人の頭を軽く撫でた後、「ムキーッ!」と怒る暁。どうやらこれ以上はダメだと判断した俺は、暁からから逃げるように、この場から立ち去ることにした。
「ちょっ、待ちなさないよっ!」
走る俺の背に、暁の声が浴びせられる。
何故か自分でも分からないけれど、心地よいと思った俺は、にやけ顔を浮かべながら、通路を軽やかに駆けていった。
ちなみに冷静になって考えてみると、先生の立場上、廊下は走ってはいけないんだけどね。
いやはや、反省反省。
で、今回のことは終結したと思ってたんだけど、ことは簡単に済んでくれなかった。
ちなみに、俺が駆けだして向かった先は、雷と電の居そうな場所――なんだけれど、居ると予想していた広場には2人の姿はなく、もう一度幼稚園内に戻ってきた。もちろん、暁に会うとまた文句を言われそうなので、違う入り口から中へ入ったのだが、そこで見かけたのは龍田と夕立、それに潮の姿だった。
「あのね~、友達から聞いた話なんだけど、先生ったら、雷ちゃんと電ちゃんに、キスをしたらしいのよ~」
「そ、それって……本当なんですか……?」
「しょ、衝撃の事実っぽいーっ!?」
「ちょ、ちょちょちょっ、ちょっと待ったーーっ!」
「あら~、噂をすればなんとやらね~」
「子どもたちに噂を広めてたのはお前か龍田っ! それに、キスじゃなくて実際には間接キスだろうがっ! 間接が付くか付かないかで、とんでもないことになるだろうっ!」
「間接だったとしても、しちゃったんでしょ~?」
「んぐっ!? い、いやっ、あれは単なる事故であって、やろうとしてやったわけじゃない!」
「ほ、本当なんだ……」
「確定したっぽいーっ!」
「いやいやいやっ! だから、そうじゃなくてだなっ!」
「うふふ~、何を言っても無駄なんだから~」
「すぐにみんなに知らせるっぽいーっ!」
「夕立、ちょっと待て! 待ってくれぇぇっ!」
「待てと言われて待つ人はいないっぽいーっ!」
「嘘おぉぉっ!?」
徒競走でも見せたことのない、夕立の駆け出しっぷりに、両手で頭を押さえて膝から崩れさる大人の姿がここにあった。
もちろん、俺の姿なんだけど。
って言うか、なんとかして誤解を解かないと色んな意味で危うすぎる。しかし、噂を広めている根元の龍田は目の前にあるが、更に広めようとする夕立はすでに通路の先。どちらかを止めたところで、広がっていく速度はどんどんと加速していくだろう。
つまり、終わった――と言うことである。
「いやいや、そうじゃないってっ!」
横手を振りかざして自らに突っ込みを入れる俺。
「何がそうじゃないのかしら~?」
「そもそも、俺から進んでそうなったんじゃないんだぞ! 喉が乾いたって言った雷に、ジュースをあげただけの話であって、間接キスにはならないじゃないか!」
「う、うん……確かに、先生は……してないみたい……」
「だ、だよな、潮!」
賛同してくれた潮に感動した俺は、ガシッと両肩を両手で掴んだ。
「ひゃうっ!?」
……が、勢いが強すぎた為か、潮は驚きの声を上げて後ずさる。そんな状況を端から見ると、もしかして、やばいんじゃないかな――と、思いかけた途端、
「今度は、潮ちゃんに手を出すんだ~」
「ちっ、違う違うっ! これはそのっ、違うん……だ……ぁ?」
俺は、弁解するために龍田の顔を見た。
その後のことは、正直、思い出せたとしても思い出したくない。心が無意識に、この時にあったことをブロックしてしまっているから、はっきりと思い出せない。
かろうじて浮かび上がる光景を、一言で表すのなら、こう言うことができる。
笑顔を浮かべた、羅刹の姿を見た――と。
艦娘幼稚園でトラブル続きな主人公。
しかし、これだけでは済まずに、鎮守府を巻き込んだ事態まで発展する……?
次回は元帥が大暴走。
お楽しみにっ。