艦娘幼稚園   作:リュウ@立月己田

1 / 382
※本作品はpixivにて投稿した小説を読みやすく編集したマルチ投稿作品になります。
 このシリーズは前・中・後編の3部作で、これ以降も多数の作品を執筆中です。

 まだまだへたれな文章書きですが、あたたかい目で見ていただけると幸いです。


■第一部 ~俺が先生になった理由~
前編


 雲一つ無い空。

 

 快晴だと言い切れるほど晴れ渡った空に、燦々と輝く太陽の日差しが暖かくアウトドア日和だ。実家から電車を乗り継いで到着した駅前は思っていたよりも人通りが少なく閑散としており、新たな出会いを期待していたのであれば、その場で膝をついて暫く落ち込んだ後、踵を返してそのまま電車に乗っていたのかもしれない。

 

 しかし、今の俺は非常に浮かれていた。ずっと昔から目標にしてきた仕事に就くことが決まり、配属先である場所へと向かっているのである。長年の訓練と勉強が実を結び、念願であった海軍提督への道が開けたのだ。今までの苦労を考えれば、足取りが軽くなってスキップをするくらいの事は日常茶飯事。真っ白な服に身を固めた男が、ニヤニヤと笑みを浮かべながら鼻歌交じりで蛇行しまくっていても、何ら問題は無いと言って良いだろう。

 

 そんな俺の姿をガラスごしで見てしまった時には、浮かれ気分はどこかへ飛んでいき、冷静さを取り戻しつつも恥かしさと自己嫌悪で耳を真っ赤にさせながら、歩道の端っこで座り込んで後悔しつつ、ゆっくりと立ち上がって歩き出した。駅に到着してから時間にして20分ほど経っていたと言う事を考えると、もの凄く無駄な時間を過ごしてしまっていた事に愕然としながら、重い足取りを引きずって目的地へと向かう。

 

 

 

 気を取り直していこう。

 

 さて、これから俺が向かうのは舞鶴鎮守府と呼ばれる場所で、深海棲艦と戦うため提督になったからである。

 

 数年前から深海戦艦と呼ばれる謎の艦隊が、国内外の海域に突如現れ、あらゆる艦船を無差別に攻撃し、世界各国に多大な被害をあたえた。

 

 俺が住んでいるこの国も、深海棲艦の攻撃を受けて多数の被害者や損失を受け、現在艦娘と呼ばれる者たちが主力となって防衛、撃退行動を行っているが、未だに終結する気配は一向に見えていない。

 

 それどころか、度重なる襲撃や作戦行動における損失により、人員不足が問題となり、急遽一般人からも優秀な人材を確保すべく、全国で緊急採用試験を開始した。喉から手がでるほど待ちに待っていた試験の告知に、我先にと応募して試験を受けた俺は、見事合格した訳なのだ。

 

 だから、多少浮かれていても、誰にも迷惑はかからないと思うのだが……と、再度スキップをしてしまった所、偶然にも井戸端会議をしている奥様方にクスクスと笑われ、再度赤面しながら道の端っこで蹲りそうになるのを必死で堪え、普通に歩くことにした。

 

 当分の間、就寝の際に思い出して枕を涙で濡らすことになるかもしれないと思うと、すでに心が折れそうだった。

 

 

 

 さて、今度こそ気を取り直して。

 

 目的地である舞鶴鎮守府の門前に着いたのは、指定された時刻よりもいくらか余裕があった。しかし、迷惑がかかるほど早すぎるわけでもなく、むしろ誉められるであろう時間前行動である。当たり前のことなのかもしれないが、俺は出来る男だと知らしめるためにも、ここは到着したということを伝えるべきであろう。

 

 拳銃を腰につけた門衛は、俺の姿をじろじろと見ていた。いきなり舐められてもいけないので、真面目な顔で書類を取り出そうと懐に手を入れてようとした瞬間、門衛は慌てて拳銃を手に取ってこちらに銃口を向けた。

 

「う、動くな!」

 

「ちょっ、いきなり向けるか普通!?」

 

「怪しい奴だ、なにを隠し持っている!」

 

 拳銃を構えたまま近づいてきた門衛は、俺の腕を掴んで懐から手を出させた。勢いよく引っ張られたので、書類が入った封筒が空中へと投げ出され、地面へと落下する。

 

「これは……?」

 

「は、配属書が入っている封筒ですよ! 分かったら拳銃を下ろしてください!」

 

 不審な表情を浮かべていた門衛だが、封筒に書かれている『舞鶴鎮守府』の印刷を信用したのか、拳銃をホルスターにしまって封筒を調べだした。中に入っている書類に目を通しながら、自分の胸ポケットにある手帳を取り出して交互に視線を移した後、ため息をついて表情を少し和らげた。

 

「……確かに、新人の配属予定は聞いているな」

 

「ふぅ……良かった……」

 

 緊張のせいで大きく聞こえていた心臓の音が静まり、肩の力が抜けた。ついでに門衛の顔をそれとなく睨んでおく。その顔、絶対にワスレテナルモノカ……。

 

「この先にある建物の左手にある道をずっと進んで、突き当たった建物の中に入って下さい」

 

 俺の視線に全く臆することなく、門衛は鎮守府内を指さした。だが、言葉口調が敬語混じりになっていることを見逃さない。むしろ謝罪の言葉や敬礼くらいはあっても良いと思うのだが、そこは心の広さを分からせるため、あえて言わないでおく。

 

「あ、あぁ、ありがとう。それじゃあ、警備の方を、が、頑張って……」

 

 少しばかり言葉が震えていたのは気のせいである。間違いなく気のせいであるから、気にしないように。

 

 

 

 門衛の横を通り過ぎ、向かいに見える赤煉瓦の建物の前に立つと左右に道が分かれていた。建物の左側の道に沿ってと聞いたのだからこちら側でいいんだろう。普通の足取りで、早くもなく遅くもなく、しっかりと背筋を伸ばした姿勢で配属先である建物に向かって歩いていく。

 

 さすがにもう、浮かれ気分とはサヨナラしているのだ。

 

「……………」

 

 しかし、いつまでたっても目的の建物の姿が見えない。左には背の高い塀が入り口からずっと続いているし、右側には似たような建物が幾つも建ち、それらを次々と通り過ぎてきた。その間に続く狭い道をひたすら歩き続けているが、一向にたどり着けないので、まるで迷路に迷い込んだかのような気分になる。どれくらいの時間を歩いたのだろうか? それすらも分からなくなりそうで、不安になった俺は腕時計に目をやった。

 

 うわ……もう15分は歩いているよな……。

 

 どんなに広い敷地なんだと、思わずつぶやきそうになる。言われた建物はまだ見つからない。もしかすると道を間違ってしまったのかと考えたが、一本道をずっと直進しているのだ。間違える筈が無い。

 

 もう一度腕時計に目を落とすと、指定された時間にはまだ少し余裕があった。だが、もし道を間違えていたとなると、遅刻する可能性が高くなる。さすがに初日から遅刻は非常にまずい。初めて来た場所だから道に迷ったという言い訳が出来なくもないが、心象は悪くなるだろうし、いきなり厳罰と言うことも考えられる。焦りが足の速度を速め、競歩の様な足取りで一本道をただひたすら歩き続けた。

 

 それから5分ほど早足で進むと、遠目に小さな建物が見えた。更に足が速くなり、心臓の音が加速して額には汗が浮かんでいた。少しずつ大きく見えてくる建物に、安堵の気持ちを抑えながらただひたすら歩き続けた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 目的地であろう建物に到着した俺は、深呼吸をしながら服装をチェックし、身だしなみを整えた。赤煉瓦ではなく真っ白な壁で覆い尽くされた建物は汚れがほとんど見えず、最近建ったのだろうと予想できるほど綺麗な佇まいだった。

 

「ここで、合っているよな」

 

 日頃の鍛錬のおかげで、激しく脈打っていた心臓の鼓動は呼吸に併せるように収まっていく。腕時計の針は、予定時刻より10分ほど余裕があった。

 

「よし、大丈夫だ」

 

 自分に言い聞かせるように声を出し、両手で頬を叩いて気合いを入れる。痛みが頬を伝って頭に響き、少しだけ頭がくらくらした。少し強く叩き過ぎたかもしれないが、気合いの現れだろうと思っておくことにしよう。痕が残っていなければいいのだが。

 

 

 

 

 ガラス張りの両開きの扉をゆっくりと押し開けると、すぐ目の前に、女性が立っていた。

 

「あら、あらあら?」

 

 ぽかんとした表情を浮かべた女性は俺の姿をまじまじと見つめてきた。青い軍服に小さな軍帽を被り、綺麗な金髪がさらさらと流れるように泳いでいるが、それ以上に目立つ大きな胸に俺の視線は釘つけになる。

 

「え~っと、どちら様でしょうか~?」

 

 人差し指を口元に当て、女性が考え込むようなポーズを取ると、メロンのような特大サイズの胸が、そこだけが別の生き物のように、上下左右に大きくぷるんぷるんと揺れ動いた。

 

「……っ!」

 

 あまりにも衝撃すぎる出来事に、思わず生唾を飲み込んでしまったのは仕方がないことである。それはどうしようもない、男性にとっての生理現象みたいなもので、無意識のうちに視線が『そこ』に集中してしまっても、男ならばそれはもう仕方がないことなので、もし、万が一にも非難されるようなことがあるのならば、むしろ何がいけないのかと懇々と説教が出来るくらい、素晴らしいことが目の前で起こったのである。

 

 いや、本当に凄いんだって、マジで。

 

「ああ~、もしかして新しく配属された方しょうか~?」

 

「はっ、はい! 昨日の新規人員募集にて舞鶴鎮守府に配属されましたので、出頭いたしました!」

 

 素早く敬礼をし、手に持っていた書類を女性に手渡した。先ほど門の前では懐に入れていたが、取り出す際に面倒が起こるのは勘弁したいと思った訳ではなく、すぐに渡せるように前もって手に持っていただけで、そのあたりを勘違いしないで欲しい。

 

 もちろん、敬礼は挨拶を込めてという意味で行ったのだが、どちらかというと今回の意味は胸に対するお礼を込めてという方が正しいかもしれない。

 

 ありがとう! お姉さん! って感じで。

 

「ふむふむ……やっぱり正解でした~。ぱんぱかぱ~ん!」

 

「ぱ……ぱんぱか……?」

 

「ぱんぱかぱ~ん! ですよ~。 はい、いっしょに~」

 

「え、ええっと……ぱんぱ……ふ、ふおおっ!?」

 

「あらあら、どうしました~?」

 

「い、いえ……な、なんでも……ありません……」

 

 いや、何でもなくはない。目の前では、女性がぱんぱか言う度にぷるんぷるんではなく、ぶるんぶるんと揺れているのだ。もうこれは、男の夢の一つが叶ったと言っても良い出来事で、今すぐこの場で絶叫してもおかしくないほど心が満たされていた。

 

「そうですか~? それじゃあ、もう一度~、ぱんぱかぱ~ん!」

 

「ぱんぱか……ふうおっ……むうっ!」

 

「ダメですよ~、ちゃんと言えるまで特訓なんですから~」

 

 いきなり何の特訓なのだと突っ込みを入れたくもなるが、繰り返されるその動きが止まってしまうのではないかという心配で、女性の名前も聞けぬまま腰を引きつつ、ぱんぱか……と声を出し続けること約10分間。やっとのことでOKがでた頃には、腰が悲鳴を上げそうなほど震え、その場に崩れ落ちそうだった。

 

「ぜぇ……ぜぇ……」

 

「あらら、疲れちゃいましたか~?」

 

「い、いえ、そんなことは無いのですが……」

 

 腰を引いたままの体勢でいるのが辛いので、注目されないように平然を装っておいた。正直かなりしんどいのだが、膨張してしまったアレに気づかれては、すぐさまセクハラ扱いで逮捕される可能性がある。生理現象とは言え仕方が無いのだが、調子に乗ってしまった自分のせいでもあるので、ここは甘んじて試練を受けるべく背後霊を呼び出すかのごとくのポーズで、ビシッと決めてみた。

 

「うわ~、凄くかっこいいポーズですねぇ~」

 

「あ、いや、恐縮です……」

 

 まさか食いついてくるとは思わず、そのままの状態から身動きが取れなくなってしまった。ポーズに注目されてしまっている以上、アソコに視線が行ってしまう可能性があるのは明白で、更に腰を引かなければという後悔と腰痛がせめぎ合いながら、額の汗がどんどんと流れ落ちてきた。

 

 

 

「それじゃあ、案内しますから着いてきてくださいね~」

 

 それから数分ほど決めポーズ(見られているせいで、アレは一向におさまらず、ずっとそのままの体勢でいるしかなかった)を眺めていた女性は、思い立ったかのように両手を叩いてポンッと音を鳴らすと、建物の奥へと続く通路の方へと歩きだした。視線が逸れたのを見計らってすぐさま体勢を普段に戻し、腰を庇いながら女性の後に続く。

 

「は、はい、ありがとうございます」

 

「うふふ~、そんなにかしこまらなくても良いですよ~」

 

 まだ少し腰を引かないとバレる恐れがあるが、女性の後ろについて歩いているのでたぶん大丈夫だろう。

 とはいえ、他の人にこの状況を見られるとかなり危ないんじゃないかと思えたりするが、腰を引きながら歩くという体勢をとれるほど俺に余裕という文字はなかった。

 

「はいはい~、到着です~」

 

 そうこう考えていると、扉の前に立った女性がこちらへと振り向いた。慌てて腰を少し引いて隠そうとすると、電流が走るようにズキリと痛みが腰に響き、声を出しそうになるがここは我慢しなければならない。

 

「それじゃあ、中に入ってください~」

 

 ドアノブを回して扉を開いた女性はそのまま部屋の中に入っていったので、俺も続いて入室した。

 

 部屋に入ると、一面真っ白な壁に大きな窓が取り付けられてあり、床には新品の絨毯がひかれていた。新築の家などで嗅ぐ、塗装したてのベンチのような刺激臭が鼻に入ってくる。人によっては嫌いと言う人も多いのだが、俺はそんなに嫌いじゃなく、むしろ好きとも言える匂いに鼻をヒクヒクさせて、大きく深呼吸をするように息を吸い込んだ。

 

 そんなことをしながら部屋を見渡していると、まだ自己紹介をしていない事を思い出した。これでは目の前の女性の名前が分からず、どう呼べばいいのか分からない。試験勉強の際に書籍で見かけた風貌が頭の片隅に引っかかっているので、たぶん艦娘の誰かだとは思うのだが――ここは挨拶がてら、聞いてみればいいだけの話だ。

 

「あの……」

 

 女性に問いかけようと口を開いた瞬間、バンッ!と、後ろから大きな音が鳴った。驚いて振り返ってみると、扉が全開になり小さな女の子が立っていた。

 

「せんせー、愛宕せんせー!」

 

 焦った表情を浮かべたその子は、一目散に女性へ向かって駆け寄り、大きな声を上げた。

 

「あらあら~、どうしたのかしら~?」

 

「うしおちゃんが泣いてるっぽいー!」

 

 女の子は焦りを表現するように、手をバタバタと動かしながら女性に訴えかけた。その話の中から、女性の名前が愛宕というのが分かり記憶を掘り返していく。たしか、高雄型重巡洋艦の二番艦の名前が愛宕だったはずだ。

 

「またてんりゅーちゃんが、いじめてるっぽいのー」

 

「あら~、てんりゅうちゃんにも困ったものねぇ~」

 

 全くもって困った様子がうかがえない口調なのだが、先ほどからずっとこんな調子なので元々こういったしゃべり方なのだろう。愛宕は、う~ん……と、考えこむような素振りをしたと思うと、急にこちらへと顔を向けてにっこりと微笑んだ。

 

「今日は説明だけと思ってましたけど、せっかくですし一緒に来てください~」

 

「え……あ、は、はいっ!」

 

「それじゃあ、いきましょう~」

 

 愛宕は笑い顔を女の子に向け、手を優しく握った。安心した女の子は表情が一変して明るくなり、その場で飛び跳ねる。胸につけているネームプレートが大きく揺れたので、それに気づくことが出来た俺は、着地と同時に書かれていた文字を読みとった。『ゆうだち』と書かれた文字を見て、艦娘にそんな名前があったのを思い出す。

 

 しかし、目の前にいる女の子は、資料で見たことのある艦娘の姿とは遠くかけ離れた小さな子供であった。だけれども、髪の毛の色や髪型、小さいとはいえ服装も酷似している。それに、この女の子が入ってきたときに言った言葉もそうだ。うしおちゃん――それにてんりゅーちゃん。どれもが艦娘の名前として記憶している名前である。

 

 いったいどういうことなんだと考え込んでいると、扉の前に立って手招きしている愛宕が、やんわりと急かすように「早く来てくださ~い」と声をかけてきたので、ひとまず考えることを中断する。

 

「あっ、はい、すみません!」

 

 急いで部屋から出たが照明を消しておくべきだと考えて、もう一度入室してスイッチを押し、すべての明かりが消えたのを確認してからゆっくりと扉を閉めた。愛宕がその行為を見てか、手をパチパチと叩いて誉めるように笑顔を見せた後、再び夕立と一緒に通路の先へと歩いていった。

 

 その後に続こうと歩きだした瞬間、扉の横に小さなプレートがあるのが見えた。『スタッフルーム』と書かれた、傷一つ無い真っ白なプラスチックの板。何故ここに俺が通されたのだろうと、疑問が浮かび上がってくる。もしかして、入った建物が間違っていたのだろうか? しかし、聞いた通りの場所だったし、愛宕が新規配属と言っていたから、合っているはずだと思うのだが……。

 

 そうこうしているうちに遠ざかっていく足音に焦り、再び浮き上がった疑問を払拭しつつ、早足で愛宕を追いかけた。

 

 

 

 

「うえっ……ひっく……ひっく……」

 

 愛宕の後に続いてたどり着いた部屋は、先ほどよりも数倍大きな空間が広がっていた。小さな子供達が思い思いに遊んでいる中、部屋の真ん中あたりで大粒の涙を流している泣いている一人の女の子が座り込んでいた。

 

 腕の隙間から見えたネームプレートには、『うしお』の文字が書かれている。ゆうだちが言っていた、泣いているというのはこの子のことなのだろう。俺は『うしお』という名を、もう一度記憶を整理していく。見た目の特徴と照らし合わせると、頭の中に綾波型駆逐艦、潮のデータが浮かび上がってきた。

 

「あらあら、うしおちゃん大丈夫~?」

 

 愛宕が夕立と一緒に潮のそばに行き、優しく頭をなでている。ぐずった我が子をあやすかのようなその姿に、思わず見とれてしまいそうになる。

 

「う……うん……だ、だいじょうぶ……」

 

 頭をなでられて落ち着いたのか、少しずつ泣きやんできた潮は両手で涙を拭った。目を真っ赤にしながらも笑い顔を向けるその姿は「よし、偉いぞ!」と、思わず誉めてあげたくなるような可愛さだった。

 

 そんな微笑ましい光景を見つめていた俺に、愛宕は手招きをして近くに来るようにと呼び寄せた。正直、もう少し眺めていたかったりするのだが、呼ばれればすぐに参上するのが男の役目であり、レディを待たせるわけにはいかない。とは言え「こんなに綺麗な女性を待たせるなんて、男が廃るぜ」――的な、歯の浮くような台詞が言えるような軟派な男でもないので、素直に愛宕へと近づいた。

 

「うしおちゃん、ちょっといいかしら~?」

 

 きょとんとした表情を浮かべた潮と側にいた夕立は、愛宕の横に立った俺の姿を見て首を横に傾げた。二人とも、誰だろう? といった感じの表情を浮かべたまま固まっている。と言うか、夕立に至ってはさっきの部屋で会っているはずなのだが、言葉を交わしていなかったので、もしかするとまったく気づかれていなかったという可能性は無きにしも非ずと言ったところなのだが、それはそれで俺は影が薄いのではないかという、非常に悲しい事実を認識してしまいそうなので、考えないようにしておこう。

 

「この間、みんなにお話をしたときに、新しい先生が来るって言ってたのを覚えてますか~?」

 

「そういえば言ってたっぽいー」

 

「う、うん……覚えてる……」

 

 二人は少し考え込むような動作を取った後、思い出したように頷いた。

 

「ぱんぱかぱ~ん。この人が、その新しいせんせーです~」

 

 愛宕は中腰になって両手を俺に向け、手のひらをブルブルと動かしていた。が、その動きに併せて、胸がプルプルと震えているのをここぞとばかりに見逃さず、しっかりと目に焼き付けておく。

 

「…………」

 

 視線に集中していた為、何も言わずに立っている俺を見た潮と夕立はどうしていいのか分からず、無言で立ち尽くしていた。

 

「せんせー、自己紹介をしてください~」

 

 その状況を見かねた愛宕は、急かすように俺に声をかけた。声のトーンはまったく変わらないので、急かされているという気が全くしないのだが、胸に注視していたことを悟られてはいけないので、慌てて自己紹介をしようと二人に視線を移した。

 

「え、えっと……」

 

 だが、いきなり小さな女の子に自己紹介をと言われても、どうすればいいのかと悩んだが、良い案が全く思いつかず焦り出した俺は、着任の際に失敗しないようにと練習していた自己紹介を咄嗟に絞り出した。

 

「舞鶴鎮守府に着任することになりました、新人提督であります! 誠心誠意任務を全うし、深海棲艦を打ち倒す為、努力を惜しまず頑張りたいと思います!」

 

 大きな声が部屋中に響き、いくつもの視線が俺に集中した。そのほとんどは、潮や夕立のような小さな子供たちで、皆一様にきょとんとした表情を浮かべていた。

 

「はいは~い、よくできました~。みなさんもよろしくしてあげてくださいね~」

 

 愛宕の声を聞いた子供たちは、一斉に「は~い!」と声を上げて手を上げたり振ったりしていた。愛宕のフォローに救われてホッとしたが、さすがに子供たちの前であの自己紹介は無いよな……と、赤面してしまいそうになる。恥ずかしさで顔を伏せようとしたが、何人かの子供が興味ありげな表情を浮かべて近づいてきたので、慌てて笑い顔を作る。

 

「ハーイ! あなたが新しいせんせーデスネー!」

 

 大きな声を上げながら、女の子はタックルをするかの様に俺の両膝のあたりに抱きついてきた。いきなりの衝撃でバランスを崩しそうになるが、すぐさま重心を下にして受け止めると、長い髪の毛がふわりと舞い上がり、特徴のあるヘアバンドが目に入った。

 

「お、おいっ、危ないぞ!」

 

「フーム、なかなか抱きつきがいがありマース!」

 

「だ、抱きつきがいって……」

 

 抱きつかれるならあの胸で……と、愛宕の方へ視線を向けてみると、にこにこと微笑みながら「あらあら~、早速仲良くなってますね~」と言っていた。

 

「あの、さっきから気になってるんですが……」

 

 先ほど――と言うよりも、いくつもの疑問が解決されないままでは気持ちが悪いので、愛宕に聞いてみる事にした。

 

「さっきの部屋といい、この部屋にいる子供達といい、どう考えても鎮守府と関係があるような施設に思えないのですが、ここはいったいどういう場所なんですか?」

 

 提督として着任しに来たはずが、想像とはあまりの違った光景に疑問は山積みだった。ここに来たのは間違いで、別の建物に行かなければいけないのかもしれないし、そうだとすれば、愛宕が別の人と俺とを間違えているということだ。そうだったのならば、すぐにでも間違いだという事を確認して正しい場所に行かないといけないのだが、すでに時間は予定時刻を大幅に過ぎているので、初日から遅刻という非常に先が思いやられてしまう状況に、俺は大きくため息をつきそうになった。

 

「それはですね~、ここは艦娘の教育施設――艦娘幼稚園ですから~」

 

「……はい?」

 

 まったくもって想像していなかった名前に、ため息を飲み込んで素っ頓狂な声を上げてしまった。艦娘幼稚園という名前は、まったく聞いた覚えが無い名称だった。

 

「そして、あなたは新しい先生として着任してもらいます~」

 

「え……えええええっ!?」

 

 続け様に知らされた事実に驚きを隠せず、自己紹介のときよりも大きな声が、部屋中に――いや、鎮守府中に響きわたった。

 

「いったい、どう言うことなんですか! いや、そもそもそれは俺じゃなくて、他の人じゃないですか!?」

 

 それは間違いだと確認するというよりも決めつけるような勢いで、叫び声を上げた。

 

「子供達が驚いていますし、とりあえずスタッフルームで話しましょう」

 

「え……あ……っ!」

 

 愛宕の困ったような表情を見て、慌てて辺りを見回してみる。室内にいた子供達の大半が、俺を注視しながら体を震わせていた。こちらを伺うように物陰から隠れ見ている子や、カーテンにくるまって体をブルブルと震わせ続ける子もいる。やってしまったと表情を曇らせた俺は、愛宕の言うとおりにスタッフルームへと向かうことにし、部屋から出ようとする。そんな俺の姿を、子供たちの視線が追っている気がして、おもわず「大きな声を出して、ごめんな……」と、謝るよう片手を目の前に立てて、退出した。

 

 

 

 

 スタッフルームへと帰ってきた俺は、ゆっくりと扉を閉めて室内に入った。すでに愛宕が待ち構えるように立っていて、今までとは違う真剣な面持ちに、出しかけた言葉を思わず飲んでしまった。

 

「さて、それじゃあお話しましょうか~」

 

 が、すぐに笑顔に戻った愛宕は、ゆるふわな雰囲気で話し始める。

 

「まずこの場所についてですが、先ほども言ったとおり、艦娘たちを小さな頃から育てる施設、艦娘幼稚園です」

 

「それはさっき……聞きました」

 

「ですよね~。ちゃんと覚えておいてくれて嬉しいですよ~」

 

 そう言って愛宕は潮と同じように、俺の頭をなでなでした。もう子供という歳じゃないのだが、愛宕の独特な安心できる雰囲気に飲まれて、そのまま撫でられていた。

 

「この艦娘幼稚園は、上層部の発案で去年の末に試験導入されて、全国には舞鶴鎮守府にしかない新施設なんです」

 

「なるほど……ごくり」

 

 撫でられ続ける頭を、言葉に頷くように下へと向ける。目前には愛宕の大きな胸がぽよんぽよんと波打つように揺れ、思わず生唾を飲んでしまう。

 

「そして、今年の四月に行われた全国新規人員募集によって、あなたはこの艦娘幼稚園の先生として配属されたのです~。ぱんぱか……」

 

「そ、それです!」

 

「ふえっ!?」

 

 頭を撫で続ける愛宕の手を払いのけて、大きな声を上げる。

 

「なぜ俺が幼稚園の先生なんですか!?」

 

「あらあら、それは書類で確認しているはずでは~?」

 

「そ、そんな書類、見たことも聞いたこともないですよ!」

 

 中に入っている書類を確認してもらうため、もう一度封筒を渡した。「おかしいですねぇ~」と、疑問の声を上げた愛宕は、書類をパラパラとめくって目を通しながら俺に声をかける。

 

「これ以外に書類は無かったのでしょうか~?」

 

「全部この封筒に入れてきましたから、間違いないです!」

 

「う~ん、おかしいですねぇ~」

 

 封筒に入っていた全ての書類に目を通し終えた愛宕は、頭を斜めに傾けて考え込みながら、ぶつぶつと何かを呟き始めた。

 

「書類は私が確認して高雄姉さんに渡したはずだし、それから上層部に渡る経緯で紛失するとしたら……提督がサインをするから……もしかして……」

 

「あ、あの……」

 

 今までの笑顔からは想像がつかないほどの、険しい表情を浮かべていく愛宕に躊躇しながら、恐る恐る声をかける。

 

「無い……ですよね、そういった感じの書類は……」

 

「ええ……そうですね~」

 

 しばらく言葉を詰まらせた愛宕だが、何かを思いだしたかのように両手をぽんっと叩くと、にっこりと笑顔を浮かべて俺の顔を見た。

 

「どうやら配属先を書いた用紙だけ、同封するのを忘れていたみたいですね~」

 

「ちょっ、それって……い、いや! それじゃあ、この施設に配属するのが、僕以外の誰かって可能性も……」

 

「いえいえ~、それはあり得ません~」

 

「……え?」

 

「今回の試験で受かった人は、あなただけですから」

 

 満面の笑みを浮かべた愛宕は、しっかりと俺に告げた。

 

「え、ええええええぇっっっ!?」

 

 想像していなかった驚愕の事実に、本日最大級の叫び声が室内に響きわたった。あまりの声量に、窓ガラスがガタガタと震えていたかもしれない。それくらい、驚きの連続――3連コンボだった。

 

「そ、それじゃあ、俺が唯一の……」

 

「はい、合格者ですよ~」

 

「お、おおおおおっ!」

 

 喜びを隠しきれず、両手を握りしめてガッツポーズを取る。が、それならば、結局のところ問題は解決していないということに気づき、サーっと血の気が引くように我に返っていく。

 

「あれ……ということは……」

 

「ええ、間違いなく、あなたの配属先はこの艦娘幼稚園で、先生として頑張ってもらうという事ですよ~」

 

「……やっぱり……ですか」

 

 力を失ってがっくりと肩を落とした俺はその場に座りこんだ。提督になって深海棲艦と戦い、奴らを一網打尽にすることだけを日々を想像していた。しかし実際は提督として配属されるのではなく、あろうことか小さな艦娘たちの幼稚園の先生として働くことになったという事実に、今までの苦労が水になって流れていくような気がして、脱力感が体中に広がっていった。

 

「なぜ、嫌そうなんでしょうか?」

 

 もの凄く変だといわんばかりに、愛宕は問いかけた。その口調に思わずカチンときてしまい、行き場がなかった怒りの矛先が、愛宕に向かって叫び声となる。

 

「そりゃそうでしょう! 憎き深海棲艦と戦う為、毎日血の滲むような鍛錬と勉強をして様々な試験を受けたんです! そしてやっと受かったんですよ! 今年から始まった全国鎮守府新人員募集の試験を! それまで受けた試験は全滑り! そりゃホントにへこみましたよ! でも、やっと受かって……提督になれると思って……敵が……討てると……思って……」

 

 感情が高ぶり、思い出したくなかった記憶が鮮明に浮かび上がる。目には大粒の涙が溢れだし、ぼろぼろと床にこぼれ落ちていく。それでも叫び続ける俺の姿を、愛宕はじっと見つめていた。

 

「あの日……深海棲艦が出てこなければ……お父さんも……お母さんも……弟も……死ぬ事なんて……無かったのに……っ!」

 

 炎上していく船の中で、泣き叫びながら逃げまどう人々の姿が今でも思い出せる。緊急用のボートに乗りきれずに自分と弟を優先して船に残り、沈んでいった両親。ボートが大きく揺れ、海へと叩きつけられる瞬間に見えた弟の泣き顔。その後、大きな水柱とともにボートは飛散し、二度と弟の姿を見ることは出来なかった。

 

「…………」

 

 初めて、世界で深海棲艦が発見されたあの日の事件。そこで唯一生き残った自分が家族の敵を討つ為に提督になることを決意した。しかし、生まれ持った体はそれほど大きくなく、運動も勉強も平均並。運の悪さもあってか、海軍入隊に関する試験にことごとく落ち続けた。それでも諦めなかった。呆れる者もいた。笑う者もいた。それでも、家族の敵を討つという一心で努力し続けた。

 

 そんな中、世界各国共同で行われた深海棲艦壊滅作戦だったが、多大な被害を受けた共同軍は作戦を中断。我が国の海軍も被害は大きく、特に人員不足が著しかった。そこで、一般人から優秀な人材を集めようと、特別人員募集を開始することになり、我先にと試験を受けたのだ。

 

「やっと……やっと受かったんです……。本当に嬉しかった。やっと敵討ちが出来るって、思ってたんです!」

 

 愛宕の目をじっと見つめて、声を絞り出した。

 

 握りしめた拳がブルブルと震え、涙は止まることなく流れ落ちていく。

 

 そんな情けないとも言える俺の姿を、愛宕は笑わずに、真剣な面持ちで見つめながらゆっくりと口を開いた。

 

「その思いを艦娘たちに託すのは、同じ事じゃないのでしょうか?」

 

「……え?」

 

 愛宕の透き通るような声が俺の頭に響くように聞こえてきた。だが、その言葉の意味が分からず、俺は固まったまま愛宕を見る。

 

「提督になって艦娘たちを指揮し、深海棲艦を打ち倒す――それも大事な仕事です。それ以外にも、安全な海路を確保したり、商船などの護衛任務もあります。それらは全て、艦娘たちがほとんどを行っているのです」

 

 愛宕の言うことは間違っていない。

 

 先の作戦でも、大国が様々な新兵器を開発して深海棲艦を攻撃したが、ほとんどダメージを与えることが出来ず、艦娘の重要性がいかに大事かを思い知らされる結果になった。

 

「ここで先生になってあなたが艦娘たちを元気に育てれば、ゆくゆくは深海棲艦と戦うこともあるでしょう。それじゃあダメなんでしょうか?」

 

「そ、それ……は……」

 

「それとも、提督にならなきゃ敵は討てないんでしょうか? 深海棲艦を倒すことだけを考えてたら……あの人たちと一緒……」

 

 そう言って、愛宕は口を閉じた。悲しそうな表情を浮かべて今にも泣き出しそうに見えた。

 

「敵を倒すためだけを考え、無謀な指揮に振り回されて帰ってこられなかった艦娘たちのことを、考えたことがありますか……?」

 

 思い詰めた瞳をじっと俺に向け、愛宕は震えていた。その姿があまりにもか弱く、儚げに見え、俺は何も言えなかった。

 

「経験もほとんど無い艦娘たちが激戦海域に配備されて、わけが分からないまま沈んでいく悲しみが……あなたに分かりますか……?」

 

 愛宕の瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。それもでかまわずに彼女は喋り続けた。

 

「あの娘たちは使い捨ての兵器じゃないんです。ちゃんと生きてるんです。可愛いくて、優しくて、頼もしくて――でも、大きくなったらいきなり戦いに出るんです!」

 

「…………」

 

 何も言えなかった。ここで愛宕の言葉を遮ったら、二度と聞けなくなるような気がしたから。この話は、最後まで聞かなきゃ後悔すると思ったから。

 

「少しでも戦えるように――いいえ、動けるように。小さな頃から訓練が必要なんです! 子供の頃からそんな目に遭わせるなんて酷いと思います――でも、それが今置かれている状況なんです!」

 

 愛宕の声が心にズシリと重くのしかかった。それほどまでに、この国は追いつめられていたのかと。そして、艦娘=深海棲艦を倒すための武器ということが、当たり前であるという考えでいたことに気づかされた。

 

「だから、少しでもあの娘たちが怪我無く帰ってこれるように――この幼稚園で元気いっぱいに育て、立派な艦娘にしてあげるんです」

 

 涙を拭いながら表情を和らげて、愛宕はにっこりと微笑んだ。

 

「……すみません」

 

 俺は礼拝堂で懺悔をするように、ゆっくりと口を開いて頭を下げた。

 

「私も取り乱しちゃって……ごめんなさいね」

 

「いえ……ありがとうございます……」

 

 敵討ちだけ考えて、大事なことを見落としてきたことを見つめ直すきっかけをくれた愛宕に感謝したくて、何度も頭を下げた。装備を外せば艦娘たちは普通の女の子に戻る。人々のために鋼で身を固めて戦う彼女たちを兵器としてしか見れないのならば、それはもう人としてダメなのだと教えてくれた愛宕に、ただ頭を下げたかった。

 

「そ、そんなに何度も頭を下げないでくださいっ」

 

 バツが悪そうに――でも、なんだか嬉しそうに、下げていた頭をもう一度撫でてくれた。凍りついていた心が溶けて暖かさを感じ、体を締めつけていた鎖がほどかれ、重荷から解放されたような感覚が訪れて、何故か眠気が襲ってきた。

 

「あらあら、眠たくなってきたんでしょうか~?」

 

「あ、いやっ、すみません!」

 

「ふふっ、良いんですよ……」

 

 優しく微笑みながら、ゆっくりと頭を撫で続けてくれる。小さな子供が母親の温もりを感じて安心し眠りにつく。そんな気持ちになったのは、あの事件以来一度もなかった。久しぶりに味わうこの感触を、少しくらい堪能しても誰も怒りはしないだろう。

 

 

 バターン!

 

 

 ――が、そんな時間は再び鳴り響いた大きな音に中断させられることになった。

 

「せんせー、ものすごくたいへんっぽいー!」

 

 夕立がさっきと同じように部屋に入ってくると、小さな手で愛宕を掴んで引っ張りだした。慌て方が先ほどとは違う気がして俺はとっさに夕立の顔を覗き込むと、険しい表情を浮かべた顔には汗が滲み、肩で息をしながら呼吸を整えていた。

 

「ど、どうしたのっ、ゆうだちちゃん?」

 

 その様子に驚いた愛宕は、何があったのかと夕立に問いかける。

 

「て、てんりゅーちゃんが、木に登って……落ちそうっぽいー!」

 

「「ええっ!?」」

 

 驚いた愛宕と俺の声がハモり、表情を一変させた。

 

「先生! 一緒に来てください!」

 

「は、はいっ!」

 

 愛宕の声に頷いた俺は急いで立ち上がり、スタッフルームを後にした。

 

 

 

 

 愛宕を追いかけて通路を走っていくと、角を曲がる度に大きく揺れる胸が背中越しに見え、思わず腰を引いてしまいそうになったが今はそれどころではない。

 

 夕立の話から、てんりゅー――つまり、天龍だろうと思われる艦娘が危険にさらされているというのだ。資料でしか知らない、会ったこともない艦娘が危険な目に遭っている。以前の俺ならば見て見ぬ振りだったかもしれない。だけど、愛宕との会話を終えた俺はいてもたってもいられず、呼ばれてなかったとしても勝手にその場へ向かっていただろう。

 

「はうー、はやすぎるっぽいー」

 

 愛宕と手を繋いで一緒に走っていた夕立だが、小さな子供の足ではついていくことすら大変で、足が縺れかかっていた。しかし、知らせに来てくれた夕立を置いて現場に向かうことを躊躇した愛宕は手を離すことができず、どんどんと速度が落ちていく。危険にさらされている天龍のことを思うと、すぐにでもその場に行かなければいけない。決断しきれない愛宕の顔が焦り、困惑した表情を浮かべていた。

 

 それを察知した俺は、速度を上げて夕立のすぐ後ろについた。

 

「……よしっ、愛宕さん、夕立ちゃんをっ!」

 

「えっ!? は、はいっ!」

 

 愛宕の返事を聞いた俺は、後ろから夕立の体を両手で抱え上げ、肩車をして両足をしっかりとロックし体勢を安定させた。

 

「夕立、先導してくれ!」

 

「う、うんっ! こっちぽいー!」

 

 夕立の口癖なのか、~っぽいという語尾に不安を感じたが、今は深く考えずに指さす方向へ走ることに集中した。

 

「はやくっ、行きましょう!」

 

 びっくりしていた愛宕を追い越しながら声をかけ、全力で駆け抜けた。日頃の鍛錬のたまものか、一人で走っていたときのスピードと比べても、それほど落ちることなく走ることが出来た。

 

「ふおおー、たのしいっぽいー!」

 

 揺れる振動が楽しいのか、高い視線が新鮮だったのか、夕立は頭の上ではしゃいでいた。目には見えないが、その声のテンションから、目をキラキラさせて単純に楽しんでいるような感じだった。

 

「楽しんでいるのは後だっ! 次はどっちだ!?」

 

「んっと、そこを右に曲がればすぐっぽいー!」

 

 言われたとおりにT字の通路を右に曲がると、小さな扉が半開きになっていた。そのまま扉に体当たりをして勢いよく開くと、数人の子供たちが木の下に集まって上を見ているのが見えた。

 

「あ、あそこにてんりゅーちゃんがいるっぽいー!」

 

 夕立の指さす方向を見上げると、木の枝にぶら下がっている天龍の姿が見えた。両手でなんとか体を支えているようだが、その腕はブルブルと震え、必死な表情を浮かて今にも落ちそうだった。

 

「て、天龍ちゃん!」

 

 少し遅れて到着した愛宕が、驚きの表情を浮かべて木の下へと走っていく。夕立を地面に下ろした俺は「先導、ありがとうな」と、お礼を言って頭を撫でた後、急いで木の近くへと駆け寄った。

 

「天龍ちゃん、離しちゃダメ! 今すぐ行くから頑張って!」

 

 辺りにいる子供たちをすり抜けて木の下にたどり着くと、愛宕が天龍に声をかけて木に登ろうとしていた。

 

「愛宕さん、木には俺が登ります! もしものことを考えて、クッションか何かを用意してください!」

 

 上着を脱ぎ捨てた俺は、愛宕の返事を待たずに木にしがみついた。小さな出っ張りを見つけて指をかけ、足場を探しながら徐々に登っていく。

 

「わ、分かりました! 天龍ちゃんをお願いします!」

 

 自分よりも俺に任せた方が早いと察知した愛宕は、大きく頷いて建物へと走って行った。何人かの子供たちが「私も手伝う!」と、言いながら、愛宕にを追いかけていった。

 

「くっ……木登りなんて、小学校以来だぞ……」

 

 こんなことなら、ロッククライミングを訓練に入れておけばよかったと後悔しながら、両手両足をフルに使って天龍の元へと登っていく。

 

「うおっ!?」

 

 ズルッと足が滑るのを感じ、とっさに両腕で体を支えて落ちるのを防ぐ。踏み外した足が宙を泳ぎ、見上げていた子供たちが小さな悲鳴を上げた。冷や汗が額に吹き出してきて、目に入らないように顔を振ると、見ないようにしていた地面が視界に入ってしまい、高さを実感して背筋が凍るような感覚に陥った。

 

「だ、大丈夫……大丈夫だ……」

 

 自分に言い聞かせるように何度も呟いて、手をしっかりと幹に固定してバランスを取り、滑った足を元へと戻す。滑らないような場所を探るように何度も確かめながら足の位置を固定し、大きく息を吐いた。それを見ていた子供たちも、安心したようにほっと一息つくと表情を和らげる。だがしかし、天龍が危ないことに変わりがなく、再び見上げた顔は心配そうな表情に戻っていた。

 

「天龍は……俺よりもずっと高くて……落ちそうになってるんだぞ……。こんなんで怖がっていられるかっ!」

 

 恐怖心を打ち払うように叫びながら、ゆっくりと確実に登っていく。出来るならば早く登って天龍を助けたい。だが、焦って落下してしまえば怪我をするだけではなく、再び最初から登るため余計に時間がかかってしまう。

 

「もうすこしだから、がんばってー!」

 

 下の方から聞こえてくる子供たちの声に、後押しされるように手足が上へと向かって動き続け、天龍がしがみついている枝元にたどり着いた。

 

「よし……もうすぐだから落ちるなよっ!」

 

 枝の上に登って体を安定させ、天龍の状態を確認するために視界の邪魔になる枝葉を払いのける。広がった視界に映ったのは、しがみついている手が今にも落ちそうなくらいに震え、両目を閉じて顔を真っ赤にさせている天龍の姿だった。

 

「うぅ……うううぅ……っ」

 

 恐怖と痛みで今にも泣き出しそうな天龍の小さな声が聞こえてきた。枝元を両足で挟み込んだ俺は、しっかりとしがみつきながら芋虫のように天龍へと近づいていく。体を動かす度に枝がミシミシと軋み、再び恐怖心が襲い来る。

 

「も、もう……げん……か……い……っ」

 

 枝をつかむ天龍の片手がずるりと離れ、体を大きく揺らした。「きゃあっ!」と、いくつもの悲鳴が下から聞こえ、一刻の猶予もないと判断した俺は、枝が折れるかもしれないことを考えず一気に天龍へと近づいた。

 

「もうすぐだから、我慢するんだ!」

 

 すぐそばまで近づいた俺は、宙に浮いた天龍の手を掴もうと腕を伸ばす。

 

「この手に……捕まれっ!」

 

 ギリギリまで伸ばした手のひらが、天龍の手に触れた。だがその瞬間、枝にしがみついていた天龍の手が離れ、俺の目の前から消えるように落下していく。

 

「……っ!?」

 

 咄嗟に振り被った自分の手が宙をさらった。落ちていく天龍の姿がスローモーションのように見え、俺は声を上げると同時に、枝を挟んでいた足を離していた。

 

「もう――離れるもんか……っ!」

 

 落下していく景色に混じって、フラッシュバックのようにあの日の映像が目の前に広がってきた。皮膚を焼く赤い炎と突き刺さるように冷たい海水。揺れたボートから落ちた時、伸ばして掴めなかった弟の手。あんな思いは二度としたくない。だから、目の前にある手は、絶対に掴まなければいけないんだ。

 

 大きな悲鳴が次々と上がっているのが聞こえたけれど、恐怖心は全く感じなかった。天龍の手がすぐそこにあって、掴むことが出来る。それだけを考えて、伸ばしきった手ガッチリと閉じると、暖かい手のひらの感触が伝わってきた。その瞬間、目の前に混じっていた過去の記憶が真っ白に消え去り、現実世界だけが視界を埋め尽くす。

 

「――っ、つか……めた……っ!」

 

 空中で天龍の手を掴んでいた俺は、地面に落ちたときに受ける衝撃を少しでも和らげられるように、身体を引き寄せて包み込むように抱きかかえた。落下していく俺の身体に風が当たり、目からぼろぼろと涙が流れ出してきた。怖いからじゃない。掴み取ることが出来た手のひらの感覚が、凄く嬉しかったから。

 

 だけど、このまま落ちる訳にはいかない。自分はどうなったって構わないが、天龍だけ助けなければならないと、身体を丸めこんだ瞬間、

 

 

 

 ぼふんっ!

 

 

 

 柔らかい何かの上に、おもいっきり叩きつけられたような衝撃が全身に響きわたった。昔、修学旅行か何かで枕投げをして、テンションが上がりまくった友達から布団の上にブレーンバスターを食らったときのような感

覚に似ていた。腹が立ったので、お返しにパイルドライバーをしたら布団がないところに落ちて痙攣していたのを思い出して、非常に面白おかしかった。

 

「大丈夫……ですか?」

 

 痛みがまったくなく、耳元から天使のような綺麗な小さい声が聞こえてくる。なんだか心地よくなってきそうで、このまま眠ってしまいそうになる。

 

「大丈夫ですかっ!?」

 

 続けざまに大きな声が頭の中に響き、呼び起こされるように目を開くと、目の前にはしゃべる巨大なおっぱいが二つ並んでいた。

 

「な、なんで……おっぱいがしゃべって……?」

 

「大丈夫そう……ですね」

 

「え……うおおっ!?」

 

 視線を上げると、愛宕の顔がすぐ近くにあった。いったいどうなっているんだと顔を動かしてみると、愛宕が俺の身体に乗りかかりそうな状態であることが分かった。

 

「ちょっ、これはいったいどういう!?」

 

「あ……あぁ、ごめんなさい~」

 

 愛宕は安心してほっと息を吐くと、少し顔を赤らめて離れていった。ちょっぴりどころかかなり残念だったのは言うまでもない。というか、よく考えてみれば今日だけで男の夢が叶いまくり状態じゃないですか!?

 

「身体は――痛くないですか?」

 

 頭をさすってみたが、こぶなどができている様子はなく、痛みも全くなかった。布団の上に座っていることに気づき、愛宕がこれを持ってきて落下場所に引いてくれたくれたおかげで、怪我をしなかったのだと分かった。

 

「ありがとうございます」

 

 俺はすぐさま愛宕に布団の礼を言って頭を下げた。「いえいえ~」とにっこり微笑むその姿に癒されそうになりながら、両方の手のひらを握ったり、開いたりを繰り返してみる。痛みは感じず、どうやら問題は無さそうだ。

 

 ほっとした瞬間、手の暖かさを思い出して大きく眼を見開いた。天龍が居ない。掴んだ手の温もりも、抱きかかえた温かさも――俺のそばには無い。

 

「……っ! あ、愛宕さん、天龍はっ!?」

 

 両肩をがっしりと掴んで叫ぶように寄りかかると、愛宕はビックリしたような表情を浮かべた。だけど、すぐににっこりと微笑んで「あっ、はい。大丈夫でしたよ~」と、明るく軽く、何ともなかったように答えた。よく見てみると、愛宕の後ろには天龍が恥ずかしそうに、頬を染めながら隠れるように立っているのが見える。その瞬間、俺の体から力が一気に抜けて安心するようにため息をついた。

 

「ほら、てんりゅーちゃん。せんせいに、おれいをいわないとね」

 

 愛宕が背中を優しく押して、俺の前に立たせる。もじもじと恥ずかしげにしていた天龍だが、目をそらしながら恥ずかしそうに口を開いた。

 

「そ、その……あ、ありがと……な……」

 

「ん……あぁ」

 

 素っ気ない態度に見えたが、感謝をしている感じはひしひしと伝わってきた。それがなんだか嬉しくて、いたずらをするように天龍の顔をのぞき込んでみる。俺の行動をすぐに気づいた天竜は、顔を真っ赤にしながら見せないようにそっぽを向いた。

 

「それと、もうこんなあぶないことはしちゃダメよ?」

 

「は……はい……ごめんなさい……」

 

 愛宕には頭が上がらないのか、申し訳なさそうに謝った。その後ろから、何人かの子供たちが近づいてきて声をかけてきた。

 

「て、てんりゅーちゃん……」

 

 一人は、部屋に行ったときに泣いていた潮の姿だった。そういえば、夕立が言っていた話では天龍にいじめられていたと聞いた気がする。

 

「あたごせんせー、てんりゅーちゃんはわるくないのー」

 

 もう一人は紫の髪をした女の子だった。ネームプレートには『たつた』と書かれていたのが見え、記憶のデーターベースが勝手に浮かんできた。艦娘の龍田といえば、たしか天龍の妹にあたるはずである。

 

「てんりゅーちゃんはね、うしおちゃんのボールをとってあげたのー」

 

「ば、ばかっ! それはいわなくていいんだよっ!」

 

 顔を真っ赤にしっぱなしの天龍が、龍田に駆け寄って口を塞ぐべく手を伸ばした。龍田は上手く天龍から逃れるように避けて、追いかける天龍から離れるように、ぐるぐると愛宕の周りを走っていた。

 

「あ、あのね……てんりゅーちゃん、その……ありがと……」

 

 ボールを持った潮は、恥ずかしさと申し訳ない気持ちで顔を真っ赤にしながら、走り回る天龍にお礼を言った。

 

「べ、べつに、うしおのためとかじゃねーしっ!」

 

 顔を真っ赤なリンゴのようしながら、天龍は龍田を追いかけながらそっぽを向いていた。そんな天龍を見て、本当に助かって良かったと心よりそう思った。

 

「てんりゅーちゃんはー、うしおちゃんのためにのぼってあげたんだよねー」

 

「た、たつたー! いらんこというんじゃねー!」

 

 ぐるぐると周り続ける天龍と龍田の姿に、思わず笑ってしまう。そんな俺の顔を見ながら、愛宕はゆっくりと口を開く。

 

「もう一度、聞いてもいいでしょうか?」

 

「……はい、なんですか?」

 

「艦娘幼稚園の先生に、なっていただけませんか?」

 

 愛宕のその言葉に、スッと目を閉じる。心臓はゆっくりと揺らめくように鼓動を鳴らし、真っ暗な視界のその先に、あのときの記憶はもう映し出されてこない。

 

「そうですね……」

 

 空を見上げると、透き通った青い空が広がっている。

 

 海鳥の鳴き声と小さな艦娘たちの明るく楽しい声が、メロディのように聞こえてくる。

 

 鎮守府の中にあって、楽しくもあり、忙しくもあり、トラブルも――時にはあったり、いろんなことが起こる場所。

 

 そんな、艦娘幼稚園で働けるのなら、今までの訓練も、試験も、そして経験も、無駄にはならないんだろうと。

 

 掴めた手の温かさを思い出しながら、もう一度両手を握る。心地よさが全身に流れ、それを感じながらゆっくりとまぶたを開く。

 

「こちらこそ、よろしくおねがいします」

 

 愛宕に負けないくらいの笑みを愛宕に向けた。

 

「艦娘幼稚園に、よ~そろ~♪」

 

 ……ちょっぴり使い方、間違ってませんか?

 

 心の中でつっこみながら、俺は配属先が決まったことを心より喜び、空をもう一度眺めた。

 

 

 

艦娘幼稚園 ~俺が先生になった理由~ 前編 完




 長文、読んでいただきましてありがとうございました。
 この作品は3部作になりますので、引き続き読んでいただけますと非常に嬉しがります。

 それではまた、中編でお会いいたしましょう。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。