第三学生寮の一室
「はぁ、はぁ。こんな苦いの飲めないよぉ」
「我慢して飲め。こら、零すな」
男は女に無理やり何かを飲まそうとしている。女は熱い息をこぼしながら赤く火照った顔と潤んだ瞳で男を見るが男は冷たい瞳で女を見下ろしながら苦い液体を女へと無理やり流しこむ
「うぅ、酷いよぉ。ゲホゲホ」
「知るか。飲んだらさっさと横になって体温計でも咥えていろ」
女が苦言を呈するが男はそれを軽く流しつつ女の口に体温計を突っ込んだ
まあ、つまりそういうことである。男――ユーシス・アルバレアは風邪をひいた女――ミリアム・オライオンを看病していた
「何故俺がこんなことを」
台所に桶の水を変えに降りながらユーシスは今日の朝のことを思い出していた
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「ミリアムが風邪をひいた?」
「はい」
朝、皆が朝食を食べている時間に降りてこないミリアムの様子を見に行ったシャロンがそう言った
「あの元気が取り柄のようなミリアムでも風邪をひくんだな」
リインの呟きに皆が共感した。リインの言う通りミリアムの普段の様子を見ていると病気とは無縁のように思えた
「あのガキのことだ。どうせ腹でも出して寝ていたのだろう」
「ユーシスさん、その言い方はどうかと」
ユーシスの言葉に委員長であるエマが苦笑いでたしなめる
「それで、皆さんに一つお願いしたいことがありまして」
シャロンが珍しく困り顔でそう言う
「本日の夕方から少し用事がありまして、寮を空けなければならないんです。学校が終わる頃までは居られるのですが」
その言葉で皆何が言いたいのか理解した。つまり、その後のミリアムの面倒を見てほしいということだろう。皆の目線が一斉にリインに向く。普段から様々な依頼という名の面倒事にに巻き込まれている彼がいつも通り引き受けるだろうと期待してのことだ
だが、リインは渋い顔で首を振った
「すまないが今日は会長の手伝いをすることになっているんだ。俺の他には誰も居ないからちょっと断れない」
リインの言葉に誰からともなく落胆のため息が溢れる。そんな空気に耐えられずリインが焦ったように口を開く
「い、委員長は駄目なのか?」
「すみません。部活のコンクールに応募する作品を仕上げなくてはいけなくて。ガイウスさんは?」
「俺も絵のコンクールの締め切りが近くてな。すまない。エリオットは?」
「ごめん、僕も吹奏楽部の合奏コンクールが近くって。アリサはどうなの?」
「私も交流試合が近くて部活を休めそうもないわ…ラウラは?」
「すまない。水泳部の今年最後の大会が近いのでポーラを付きっきりで見ることになっているのだ。マキアスは駄目なのか?」
「今日、第一チェス部との交流試合があってな。流石に先輩を1人にする訳にはいかない。フィー、君はどうだ?」
「ごめん、無理。………クロウは暇だよね?」
「決めつけんなって。ちょっと外せない用がある。ユーシス、お前さんはどうなんだ?」
「断る。何故俺があのガキのお守りなどせねばならんのだ」
「お、ということは暇ではあるんだな?」
クロウが目を細めてユーシスを見る。いや、この場にいる皆の期待を込めた目がユーシスへと向けられる
「頼む、ユーシス。ミリアムはなんだかんだ言ってもまだ13歳だ。誰かが見てやらないと」
「私からもお願い致します。6時過ぎには帰って来られますので」
リインとシャロンの言葉を皮切りに他の仲間にも口々にまくしたてる
「まぁまぁ、皆。そう言ってやりなさんな。ユーシスは看病出来ないのがバレるのが怖いだけなんだって。な?」
クロウの安い挑発だった。普段ならば一笑に付すような言葉だが周りから散々言われた後の挑発はトドメには十分すぎた。ガタッっと音を立てて立ち上がるとキッと周りを睨みつける
「よかろう。そこまで言われてはアルバレアの名折れだ。ガキの看病ぐらい見事こなしてみせようではないか!」
こうして、ユーシスはミリアムの看病をすることになった
今から思い直せばフィーとクロウは明確な理由を言ってはいなかったのでもしかしたらただ面倒だっただけかもしれないが後の祭りである
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「37度6分。薬を飲んで少しは下がったか。大人しく寝ていろ」
冷水に浸したタオルをおでこと首に乗せ(おでこは気持ちよくなるだけで首元のほうが効果があるとシャロンに教わった)体温計を見ながらそう言う。寝てくれればこれ以上面倒を見なくても良くなるという思いも過分に含まれている
「うん。ここにいてね、ユーシス」
いつの間にかミリアムの手が服の裾を掴んでいた。顔をしかめて振り払おうとしたユーシスだったが、未だに苦しそうに息をしながら見上げてくる彼女を見て諦めたように溜息をついた
「わかった。ここに居てやるから手を離せ」
ミリアムが素直に手を離すとユーシスは部屋を出て行った。ここに居ると言われた直後に部屋を出て行かれたミリアムは驚きと共に弱っている事から来る不安で泣きそうになる
「うそつきー!」
「何を騒いでるんだお前は」
ミリアムが悪態をつくと同時にユーシスが椅子と本を持って戻ってきた
「うぅ、何も言わずに出て行くからもう戻ってこないかと思ったよー」
「あぁ、すまん。一言言うべきだったな」
涙目で訴えかけてくるミリアムにユーシスはばつが悪そうな顔で謝る
「ぷぷ、ユーシスが珍しく素直だ」
「うるさい、さっさと寝ろ」
ユーシスはベッドの傍に椅子を置くとそのまま本を読み出した。そんな態度に最初は文句を言っていたミリアムも薬が本格的に効いてきたのか程なくして寝息を立て始めた。ユーシスが本から目を上げてみると、布団がはだけていた
「やれやれ、そんなだから風邪を引くのだ」
布団をきちんとかけてやって首と額のタオルを取って水につける
「ふん、こうしていれば少しは可愛げもあるのだがな」
ミリアムの寝顔を見ながらそう呟いてタオルを乗せると読書に戻る。規則正しい寝息と本をめくる音だけが部屋の中で響く
そこそこページが進んだ所でベッドの方でもぞもぞと動く音がしてミリアムが起きた
「ユーシス、お腹空いた」
ミリアムの言葉に時計を確認すると午後6時過ぎ。夕飯にはまだ早いが病人のミリアムならば確かにそろそろお腹が空いてもおかしくはなかった
「もう少し待て。直にシャロンが帰ってくるはずだ」
そう言った直後ユーシスの《ARCUS》が鳴る。いやな予感がするものの無視するわけにもいかず出ると
『もしもし、ユーシス様。シャロンでございます』
「……どうした?」
『申し訳ありません。少し帰りが遅くなってしまいそうでして』
予感は的中した。ユーシスは短くわかったと返事をすると《ARCUS》の通信を切る
「どーかしたの?」
「シャロンの帰りが遅くなるらしい。仕方ない、少し待っていろ」
ユーシスはそう言い残すと部屋を出て行った
数十分後
再びユーシスが部屋に戻るとその手には特製ハーブチャウダーの入った器が乗った盆があった
「お子様の口に合うかはわからんがな」
「お子様じゃないよー。もう。そんなにお子様扱いするなら食べさせてよ、ユーシス」
「なぜそうなる」
「いいじゃん、ほら、はやく、はやく!」
口を大きく開けてせがむミリアムにやってやらなければ収まらないと諦めたユーシスは一口スプーンで掬って息を吹きかけて冷ましてから彼女の口へと入れてやる。ミリアムは飲み込んだ後えへへ、と照れたように笑った
「美味しい。けどなんだか、恥ずかしいね」
「お前がやれと言ったんだろうが」
呆れ顔でやめるか?とユーシスが問うとミリアムは首をぶんぶんと振って続けてほしいと言った。
「ねえ、ユーシス。これってユーシスが子供の時にお母さんが作ってくれてた料理なんでしょ?リインが言ってたよ」
「あいつめ、余計なことを言いおって。それがどうかしたのか?」
「ううん。僕はそういうのがないから、ユーシスが作ってくれて嬉しいなって思っただけ」
普段とは違い熱で弱弱しくなっている笑顔と言葉にユーシスの中で今まで感じたことのない奇妙な感情が芽生える
「そうか・・・料理が冷めるさっさと食え」
だが、彼はその感情を無視して、ただ淡々とミリアムにスプーンを差し出した
翌日
「ふっかーーーーつ!」
熱も下がり、体調もすっかり良くなったミリアムが食堂へ飛び込んできた
「良かったな、ミリアム。けど、病み上がりなんだからもう少し安静に・・・」
「あ、ユーシス!おっはよーう!」
はしゃぎまくるミリアムを嗜めようとしたリインだがミリアムはそれよりも先にユーシスの姿を見つけて飛びついた
「昨日はありがとね、ユーシス」
「分かったからもう少しおとなしくしろ。熱がぶり返すぞ」
「ふぁーい」
ユーシスはミリアムの口にパンを突っ込み淡々とそう言う。ミリアムももぐもぐとそれを食べながら席に着いた
「ユーシス、なんかちょっと変わったか?」
「そうね、少しミリアムに対する態度が柔らかくなったというか。ミリアムの事が気になりだしたとか?」
「うぇぇ?ユーシスに限ってそれはないと思うけど」
「いえ、恋愛小説でも看病はありふれたシチュエーションです。可能性がまるっきりないともいえません」
「看病をしていたら別の病に罹ったというわけか」
「何をこそこそと話しているんだお前らは」
ユーシスのジト目にこそこそと話していた数人はいそいそと朝食へと戻った
彼が自分の中に芽生えた感情に気づくのはもう少し先のお話