私とグランは、お互い距離を詰めるわけでもなく、ジッと見つめ合っていた。私は戦闘態勢を決して解かず、グランを睨みつける。
「昨日ぶりだね。穂乃緒ちゃん」
「…………」
「バーンとガゼルが君のことを攫ったみたいだったから、心配したよ。大丈夫? 怪我はない?」
「……ええ。まあ」
私は小さく答える。
攫った、なんてよく言う。貴方が言えた義理なの? 貴方だって私を無理やり連れて行こうとしたクセに。
と、思うが口に出さないでおく。
グランが、一歩足を前に出した。
「!」
グランがゆっくりと近付いてくる。
「っ……‼︎」
ジリジリと後退る私に、さらに距離を詰めるグラン。
差し伸べられた手を、私は思い切り払った。
「触るな‼︎」
「穂乃緒ちゃん……」
「私はお前に用はない」
「穂乃緒ちゃん……」
「帰れ」
冷たく拒絶する。この人には、こうするしかない。
グランは一度哀しげな視線を私に向けたが、すぐにまた私に手を差し伸べ、私の肩を掴んだ。そしてそのまま、私を廊下の壁に押し付ける。
「‼︎」
ぐっと、グランと私の距離が近くなる。彼の儚げな翡翠色の視線が、より近くで覗けるようになった。
グランは私の顎を掴んで無理やり顔を上げさせ、そしてさらに顔を近付けた。
「んむっ⁉︎」
「んっ……」
唇が触れた。強引に、押し付けるように。
突然のことに、私の頭はフリーズして、何も考えられなくなった。
足にも力が入らなくなり、ガクガクと震える。その間にも、グランからのキスはどんどん深くなっていく。
怖くなった私は、グランを突き飛ばそうと手を上げるが、ふと止める。
これでは、前回と一緒だ。ここに連れてこられる前と。
これから先、私が何にも縛られず生きていくためには、こんなところで男に負けるわけにはいかない。ここで抵抗すれば、負けを認めたのと同じだ。
だが、この状況から逃れるためにはどうすれば……?
ようやく動いた頭を必死に働かせようと意識を集中させるが、口内に何かが滑り込んできた。
「⁉︎ ぁ、っ……」
ビクッと体が反応した。カッとなる頭を、冷静に抑え込む。へなっと体から力が抜け、壁に凭れながら座り込む。その時に、唇が離れた。
「はぁ、はぁ……」
俯いて、乱れた息を整えようと肩を弾ませる。座り込んだ私と視線を合わせるように、グランもしゃがみ込む。
「大丈夫……?」
「…………」
「……ごめんね」
グランは、突然私に謝ってきた。それに驚いて顔を上げると、ツゥッ……と頬に冷たいものが伝った。
私……涙を……?
グランは私の顔を見て、泣きそうに顔を歪めていた。
「ごめんね、穂乃緒ちゃん。俺、本当に君が好きだったんだ。君のことが好きで、いつも君のことしか考えられなくなっていた。でも、こんなの初めてで……どうすれば君が俺に笑ってくれるのかって……そんなことばかり考えてて……でも……でも……」
ボソボソと語り出すグランは、いつの間にか私の隣に座って、膝を抱えていた。
「……本当にごめんね。俺、結局君が嫌がることしか出来ない……。今だって、君を泣かせてしまった。……俺は君を好きになっちゃいけないのかな? そう思えて……」
「………………」
涙を拭いながら、グランの話を黙って聞いていた。グランは膝に顔を埋めて、肩を震わせていた。
その姿を見ていると、ふと思う。どうして私は、この人を見捨てられないのだろう。
昔の私なら、普通に放ってその場を去れたのに。どうして、ここから動けないんだろう。
その答えは、案外簡単に出た。
私は、円堂さんたちと出会って変わったんだ。
過去の恐怖に縛られ、何もかもが嫌になって、いっそ死にたいと何度も思った。
なのに。今は過去を乗り越えようとして。大切だと思える仲間がいて。救いたいと心の底から思える人も出来た。
こんな私にも、助けたい、一緒に戦いたいと思える仲間が出来るなんて、思ってもみなかった。
円堂さんたちと旅に出て、たくさんの人と出会ったことが、こんなにも私を変えることとなった。
この胸のわだかまりも、きっとそうだ。苦しんでるこの人を、放っておけなくなったから。
確かに、グランは私たちの敵だ。彼らのことについて、私は何も知らない。
でも、円堂さんなら、きっとこう言う。
そんなの関係ないって。
私は立ち上がって、グランを見下ろした。
「グラン」
「……穂乃緒ちゃん?」
グランも、私を見上げた。
「貴方はバカですか?」
「っ…………」
「何故言って下さらなかったんですか」
「そんなのっ……」
「言って下されば、私は貴方に何かしてあげられたのに」
「え……?」
グランが、どういう事かと視線で問う。何だか道端に捨てられた子犬のように見えた。
「私と貴方は、敵対しています。でも、恋愛……というものには、そんなの関係ないのでしょう? ……今だから言いますが、私は貴方に、恋をしていた時期があります」
「⁉︎」
「自分でもわからなかったけれど、きっと、私は貴方が好きでした。恋を、していたのだと思います」
「……穂乃緒ちゃん」
「でも、今はよくわかりません。貴方に対するこの想いが何なのか。それはまた、じっくり考えるとします。……それでは、失礼します」
私はそう言い切り、歩いてきた廊下を戻ろうと足を進めた。
グランside
初めて聞いた、穂乃緒ちゃんの気持ち。俺のことが好きだったなんて。まったく知らなかった。
穂乃緒ちゃんは、俺の返事を聞かずにさっさと歩いていく。青い髪を靡かせて歩く後ろ姿が、どこか遠くへ行ってしまいそうで。
「穂乃緒ちゃんっ……‼︎」
彼女を引き止めようと、手を伸ばす。
「待って……」
フラつく覚束ない足取りで、それでも彼女を引き止めるために俺は動いていた。
「待ってよ‼︎」
俺の叫びが、廊下に木霊する。
それでも、君は。
君は、歩みを止めてくれなかった。
【挿絵表示】
リクエストで頂きました、青木さんとグランのキスシーン。Procreateで描きました。
「完成したー!」と思って全レイヤー統合して画像を保存した瞬間、色の塗り間違いを発見し絶望。数日立ち直れませんでした。
2019.2.12