その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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このお話は『大晦日』の特別編となります。
時間軸は原作がスタートした以降、それがどのあたりなのかの想像は読者の皆さんにお任せいたします。
尚、前日に本編を更新しておりますのでお見逃しないようにご注意ください。

それでは原作時点での霊夢と刑香の物語、お楽しみいただけたのなら光栄です。



大晦日特別編

 

 

 お正月といえば、多くの参拝客が初詣のために訪れる時期である。しかしそこは『妖怪のたまり場』として有名となってしまった博麗神社。元旦にも関わらず閑古鳥が鳴いているのが毎年の常であった。

 

 だが今年は一味違う。地平線へと沈んでいくオレンジ色の太陽を睨みながら、巫女は力強く拳を突き上げた。

 

 

「今回のお正月こそは賽銭箱を溢れさせるくらいのお金を集めてみせるんだから!」

 

 

 気合い十分といった様子で、神社の主である霊夢は今年最後の夕日に誓いを立てる。赤みがかった黒い瞳に宿るのは、異変時にも発揮されなかった情熱である。

 

 そもそも安全がまるで保証されない獣道を抜けた先にあり、大勢の妖怪たちが集まる博麗神社。いくら腕利きの巫女がいるといっても、そんな所にまで新年早々訪れようという猛者は少ない。ゆえに生活費を最も楽に稼げるはずのお賽銭が手に入らないのも当然といえるだろう。

 この神社が霊夢のものになってから早十年、その間に霊夢が満足できる量のお賽銭が手に入った年は一度もなかった。

 

 

「ふふふ、でも今年は違うわ」

 

 

 大きなリボンを靡かせて、霊夢は上機嫌に境内を闊歩する。

 昨日までは一面の銀世界だった境内は石畳も石灯籠からもキレイに雪が落とされている。それだけではなく、人里から神社に続く道の雪すらも掻き分けておいたという徹底ぶり。参拝客を迎える準備は万端だ。

 

 神社に寄り付いてくる妖怪の方はどうにもならないが獣道にも神符をセットし、ともかく道中の安全は確保した。これならば賽銭箱の中身が例年と同じ寒さで終わることはないはずだ。思わずステップでも踏みたくなる完璧さだった。

 

 

 

「でも雪かきをしたのは霊夢じゃなくて私でしょ。葉団扇を使えば時間はかからないけど、けっこう体力を消耗するんだからね?」

 

 

 

 黒髪を冷たい風に遊ばせて歩いていた霊夢。そんな彼女へと降ってきたのは聞き慣れた声だった。霊夢が見上げた先、神社の鳥居の上に悠々と腰かけていたのは一羽の白い鴉天狗。

 

 

「それについては感謝してるわ。本当にありがと、刑香」

「どういたしまして。明日は人里から参拝客が大勢訪れるといいわね」

「うーん、参拝客よりもお賽銭をいくら入れて帰るかが大事なのよねぇ。その後はおみくじを引いてくれると尚良しだわ」

「………………まあ、ほどほどにね」

 

 

 少し困ったような、呆れたような表情でこちらを見下ろしている鴉天狗の名前は刑香。幼い頃に出会ってから、もう随分と長い付き合いになる妖怪である。黒い翼を誇るはずの鴉天狗に生まれながら、白い翼を持つ少女。

 

 その姿は初めて会った時から変わらない。透き通るような碧眼と白銀の髪、そして夕焼けの光に照らされた白い翼が不思議な輝きを放っていた。自分はずいぶんと大きくなってしまったが、彼女はあの日から何一つ変化しない、相変わらず綺麗な妖怪のままだった。

 

 

「ところで人里の患者からお酒を貰ったんだけど一緒にどうかしら?」

 

 

 そう言って刑香が指差したのは、鳥居の上に置かれた酒樽。ここまで風で持ち上げて運んで来たのだろう、葉団扇を振るうとそれが霊夢の目の前にドスンと着地を決めた。なかなかに大きな樽、これは呑み応えがありそうだと霊夢は満面の笑みで頷いた。

 

 

「もちろんご一緒するわ。さーて、今夜は豪勢にいきましょうか!」

 

 

 夜の帳が降りてきた幻想郷。残された時は少なく物寂しい気配の漂う年越しの夕暮れ。そんな中で今年最後のささやかな宴が始まろうとしていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 

「そもそもさ、今までの異変を解決できたのは誰のおかげだって話よ。私がいるから今の幻想郷が存在するといっても過言ではないわ。人里の奴らは感謝の気持ちが足りて…………」

「えーと四だから。ひー、ふー、みー、せっかく進んだのに、ひとマス戻るっていうのは何かシャクよね」

 

 

 ぬくぬくとした炬燵の上で繰り広げられているのは小さな双六。サイコロを振って出た目の数だけ自分の駒を進ませるという運任せの児戯なのだが、これが中々に面白い。

 かつて天狗たちの間でも賭け事の対象として大いに流行り、大天狗たちによって禁止令が出るまでになった遊戯である。この辺りの歴史は人間も妖怪も変わらない。

 

 

「ちょっと聞いてるのっ、刑香!?」

「はいはい、あんたの番だから早くしてね。…………うーん、どうも賭け事は苦手かもしれないわね。文にカモられて酷い目に会ったこともあるし」

 

 

 霊夢は不満そうな表情でサイコロを振る。もう相当の酒が回っているらしく顔が赤くなっていた。先ほどから会話内容は「人里の感謝が足りない」という愚痴ばかりになっており、そろそろ刑香にも適当に流されてしまっている。

 

 

「よしっ、相手を三マス戻すだってさ。覚悟しなさいよ、負けた方は甘味を奢るんだからね!」

「…………そんな約束あったかしら?」

「あー、今決めたから」

 

 

 出た『六』の分だけ駒を進ませると、ゴールはすぐそこだ。すでに半周近くの差が開いている以上、霊夢の勝利は確実だろう。この状況で賭け事を持ち込むとは中々のしたたかさだ。「まあ、いいか」と刑香は盃を持ち上げて、サイコロを振ることにした。真っ赤な一つ目の面が上を向いたのをうんざりした様子で刑香は見つめる。

 

 

「い、いち…………ごほん、ところで博麗の巫女は妖怪退治をしてその報酬で生活してきたんでしょう。人里に行って悪行を働いている妖怪がいるかどうか調べたら?」

 

 

 駒をひとマスだけ動かした先には『始めに戻る』と書かれているのが見える。これでは完全な敗北だ、刑香は震える手で駒をスタート地点に戻した。霊夢は哀れそうに自分を眺めているが甘んじて受けるしかない。賭け事に弱いのは昔からなのだから。

 

 

「んー、外は寒いから春になってからそうする。でも妖怪退治について、妖怪の刑香から指摘されるなんて複雑な気分だわ…………」

「そりゃあ、私を叩きのめしたとしても霊夢の手元に金銭は入らないからね。退治される理由がないから気楽なのよ、ほら」

「ん、ありがと」

 

 

 ひょいっ、と刑香は巫女へと皮を剥いたみかんを手渡した。それを口へと運びながら霊夢はのんびりと炬燵に頭を乗せる。ミカンを噛みしめて、くにゃりと歪んだ口元は何かを企んでいる表情をしていた。ひとまず双六はここまでだ、勝ちの決まった勝負に興味はない。霊夢はゆっくりと立ち上がる。

 

 

「…………ふふふ、良いことを思いついたわ。楽してお金を手に入れる方法をねっ!」

「へえ、それは是非ともご教示してもらいたいわね。私も興味があるわ………………あれ、どうしたの?」

 

 

 畳を踏みしめて近づいてきた霊夢に、刑香が怪訝な顔をした。ほんのりと赤い頬を隠しもせずに巫女の少女は刑香の隣へと入り込む。炬燵の一ヶ所に二人が並ぶのは少し狭い、仕方なく刑香が端に寄る。少し恥ずかしそうにしている巫女を見つめていると、ぐっと霊夢が目線を上げた時にお互いの目が合った。

 

 

「お年玉ちょーだい」

 

 

 にへら、と笑いながら両手を差し出してくる巫女の少女。それを見た刑香がガクンと肩を落とした。これは確実に酔っているのだろう、まさか妖怪相手に博麗の巫女がお年玉をねだるなんて面白い冗談だ。

 

 

「おあいにく様だけど、天狗にその類いの風習はないわ。どうしても欲しいなら慧音あたりに頼みなさいよ」

「あーあ、やっぱり失敗しちゃったか。残念ざんねん………………あははっ!」

 

 

 そのまま仰向けに倒れた霊夢。言葉とは裏腹に残念そうな様子は見られない、本当に単なる冗談だったのだろう。「まったくこの娘は………」と刑香は苦笑しながら酒を口にする。

 

 

「でもお賽銭くらいは入れてあげるから、ってちょっと霊夢?」

 

 

 妥協案を示す刑香だったが、肝心の巫女からの反応がない。まさかと思って視線を動かしてみると、可愛らしい寝息が聴こえてきた。盃を置いた刑香がその顔をそっと覗き込む。

 

 

「すぅ、すぅ…………んぅ?」

「こんなところで眠ったら風邪をひくじゃない。いくら巫女でもアンタは人間なんだから、キチンと布団で寝ていなさいよね」

 

 

 言うが早いか、ひょいと巫女の少女を持ち上げて運び出す。カクンと頭が揺れて黒髪が腕に垂れてきたのをくすぐったく思いながら、寝室にひかれていた布団へと霊夢を寝かせてやる。黒髪に手櫛を入れると、巫女の少女はくすぐったそうに顔を緩ませた。

 

 

「まだまだ子供だけど、それでも人の子の成長は早いものね」

 

 

 霊夢の評判は人里の住民からは良くないが、特別な人間や妖怪たちからはすこぶる上々だ。レミリアや文、そして紫や天魔、誰もがこの巫女の在り方に惹かれている。それは刑香とて例外ではない。

 

 幼い頃は自分の後をちょこちょこと付いて来ていた霊夢、しかし今は逆に自分がこの娘の魅力に引き寄せられている。もう大丈夫だ、この娘ならここから先の未来を一人でも力強く生きていけるだろう。それは少し寂しいような、悔しいような、しかし嬉しい成長だった。

 

 

「もうしばらくは一緒にいてあげた方がよさそうかな。だから来年もよろしくね、霊夢」

 

 

 言い終えると視界がクラリと歪んだ。酒は飲んだが天狗としては序の口程度だったはず、ならば人里での治療の疲れが出てきたらしい。年末だということで張り切りすぎたツケが今更になって襲いかかってきたのだろう。

 

 

「ーーーまあ、いいか」

 

 

 部屋の壁を背にして刑香は座り込む、どうやら思った以上に無理をしていたらしい。今日はここで一夜を過ごさせてもらうとしよう。ぐっすりと眠っている霊夢を一瞥すると、刑香は気を失うように意識を手放した。

 

 

◇◇◇

 

 

 霊夢が目を覚ましたのは、それから数時間後のことだった。冷え冷えとした空気に身震いをして、もう一度布団へと潜り込む。すっかり酔いは醒めていた。

 

 

「刑香?」

 

 

 暗闇の中でもはっきりと視界に映ったのは白い少女の姿。硬い壁を背にして苦しそうな寝息を立てる刑香の元へと、霊夢は布団を引きずりながら進んだ。

 

 

「うわっ、冷たいじゃない。また無茶したんでしょ、本当に仕方ないわね…………心配するじゃないの」

 

 

 触れた肌の温度はとても冷たかった。せめて新年を迎えたいと希望した患者や、その家族の願いを叶えるために『能力』を大きく消耗させてしまったのだろう。また今年も同じことを繰り返した訳か、と霊夢が呆れた顔をした。

 

 

「ほっとくわけにはいかないし、ウチには布団が一組しかないからなぁ。こうするのが一番よね?」

 

 

 そのまま自分と刑香を布団でくるんで、その冷たい身体を抱きしめてやる。この体勢で眠ることは難しいだろうが、これなら二人とも風邪をひくことはない。我ながら妙案だと満足げに頷いた霊夢、ゆらりと刑香が顔を近づけてきたことに気がついたのはその時だった。

 

 

「あったかぃ………」

「ちょ、刑香ぁ!?」

 

 

 弱っている時に甘えるような仕草をするのは人間も妖怪も変わらないらしい。自分を巻いている布団に頭を埋めて、刑香はこちらに身体を傾けてくる。サラサラした白い髪の感触を霊夢は胸元に感じ、起こさないよう慎重にその髪を撫でつけた。

 

 一本歯下駄を脱げば、もうほとんど刑香と霊夢の背の高さは変わらなくなった。もし妖怪とスペルカード抜きで戦うとしても、やはり霊夢は刑香よりも強い。幼い頃から自分を護ってくれた背中が思ったより小さくて、華奢であったことに気づいて驚いたのはいつのことだっただろうか。

 

 

「あ、除夜の鐘が聴こえる。もう一年が過ぎたのか、異変を何個か解決するだけの年だったわね………」

 

 

 鴉天狗の少女と布団にくるまって迎えた新年、冷たく澄んだ新しい夜を揺らしたのは除夜の鐘。今の幻想郷には主だった『寺』がないので大晦日にだけ鐘が人里で用意されて、鳴らされるのが恒例となっている。

 

 

「明けましておめでとう。今年もよろしくね、刑香」

 

 

 この幻想郷でも瞬く間に時間は過ぎていく。それでもお互いに寄り添い合って生きることができるなら、その生涯は寂しいものではない。長い旅路の果てに何が待っていようとも、永久に失われるものがあったとしても、ただお互いに見守り合うことができたなら行き着く先には大輪の華が咲くだろう。

 

 

 博麗の巫女はそのことを知っている。誰よりも中立でなければならない、何者にも染められない存在でなければならないはずの少女が仲間外れの鴉天狗との交流で得たのはそんな想いだった。

 

 

 冬が明ければ春となり、また色鮮やかな草花が芽吹くだろう、それはきっと美しい世界になる。花鳥風月のままに季節は巡り、人の理が及ぶことなく命は廻る、こうして幻想郷の新しい年は始まった。

 

 

 

 


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