赤き覇を超えて   作:h995

51 / 125
2018.12.1 修正


第十話 早過ぎた再会

Side:紫藤イリナ

 

「久しぶりに来たわね、駒王町。一年と三ヶ月ぶりってところかしら? できる事なら一誠君に会いに行きたいけど、今回は流石に無理よね……」

 

 私、プロテスタントの悪魔祓い(エクソシスト)である紫藤イリナは昔に住んでいた駒王町に足を踏み入れていた。私以外にはカトリック教会から派遣されたゼノヴィアが同行している。でもけして観光に来た訳じゃない。世界中で信仰されている十字教を揺るがす大事件が発生したからだった。

 カトリック教会総本山ヴァチカン、プロテスタント、そして正教会。これら三教会に二本ずつ保管されている聖剣エクスカリバーがそれぞれ一本ずつ盗み出されたのだ。主犯格は堕天使中枢組織「神の子を見張る者(グリゴリ)」の幹部級堕天使コカビエル。聖書にも記されている大物がこの事件に関わっていた。そして、盗み出された三本の聖剣がこの駒王町に持ち込まれたことが判明し、その奪還命令が私達に下された。因みに、正教会は残された祝福の聖剣(エクスカリバー・ブレッシング)を何としても死守する構えを見せていて、今回の奪還任務には誰も派遣していない。

 ただ、前もって斥候として送り込まれていた十数名の悪魔祓いからの定期連絡がここ数日途絶えている。コカビエル達にやられたと見て、まず間違いないと思う。それなら、私とカトリック教会から派遣されたゼノヴィアの二人でどうにかするしかない。幸いながら最終手段として聖剣の破壊も許可されているから、任務達成の可能性が全くないわけじゃない。いざとなれば、切り札のレイヴェルトを使えばいいし。

 ……でも、私は知っている。十字教教会が今、必死になって追い駆けている聖剣は、所詮紛い物に過ぎない事。そして本物は既に再誕して、新たな担い手の元にある事を。だから、正直に言ってあまり気が進まなかった。紛い物の為に命を賭けるってどうなんだろうって、そんな風にしか思えないから。

 

 私達は宿泊場所を確保した後、私の土地勘を生かして聖剣の探索に動いていた。もしこの街を訪れたのが私だけだったのなら、正教会に所属する礼司小父さまやその養子である瑞貴さんに協力してもらう手もあったんだけど、カトリックに所属するゼノヴィアがいる以上は不可能だった。カトリックは異端に指定された者や破門となった者に対して特に容赦が無い。下手すると、異教の儀式を執り行ったという事で破門寸前の処分を受けている礼司小父さまの姿を見かけただけで、すぐさま斬りかかるかもしれなかった。だから、どうしても二人で直接動き回るしか情報を得る手段がなかったのだ。

 ……尤も、最高でもA級の任務しか任された事のないゼノヴィアでは、最低ラインがA級だった礼司小父さまに斬りかかっても返り討ちが関の山なんだろうけど。それに、今の小父さまには一誠君特製の聖剣であるオラシオンがある以上、ゼノヴィアが切り札を出してもまず勝てないと思う。

 そうして二人で動きまわったものの、幸運にも有力な情報が得られたなんて事は無く、私達は息抜きがてらに兵藤家を訪れる事にした。きっと私から話を聞いていたゼノヴィアが気を使ってくれたんだろうけど、私にとってはおよそ一年ぶりで想像の埒外であった兵藤家訪問で内心歓喜に沸いていた。

 ……だけど、そんな浮ついた思いは家に近付いて来た時に、銀からぶつけられた尋常ではない敵意によって一気に冷めた。しかも、初めて会った時には吠えもせずにすぐ懐いてくれた筈の私に対しても。小母さまから宥められて落ち着いたものの、その後も警戒心を露わにして私達の動向を逐一監視していた。まるで、「少しでも変な事をしてみろ。たとえ主人の幼馴染であるお前であっても、即座に噛み殺してやる」と言わんばかりに。

 結局、一誠君は学校に出ていて不在だったので(現役の高校生なのだから当然だけど)、小母さまと一緒に思い出話に花を咲かせていた。アルバムを開いて、一緒に遊んでいた日々や高校に入ってからの一誠君の数々の武勇伝など、一誠君本人からは到底聞き出せそうもない話までした。また、学校が終わって帰って来た義理の妹であるはやてちゃんともおよそ一年ぶりに再会して、はやてちゃんが兵藤家の養子として引き取られるまでの事情を本人から聞く事ができた。そして、流石は一誠君だと思ってしまった。それからは、はやてちゃんも交えて一誠君の昔話を楽しんでいた。

 

「えっ? ……イリナ?」

 

 そんな時に帰って来た一誠君が、私を一目見てすぐに声を掛けてくれたのは凄く嬉しかった。でも、同時に信じられなかった。久しぶりに再会した幼馴染の想い人が、悪魔になっていたのだから。……正確には、悪魔らしき存在というべきかもしれない。確かに悪魔特有の気配があるけど、それ以外の気配も入り混じって混沌としており、正直言って私では良く解らないものだったのだから。

 ただ、一誠君は私と逢った事に対して明らかに辛そうな顔をしていた。そして、はやてちゃんも「しまった」という反応を顔に浮かべている。そんな二人の反応を見て、仕切り直しが必要だと感じた私は一瞬身構えたゼノヴィアを視線で抑えると、小母さまにお世話になったお礼を言って兵藤家を出る事にした。

 そうして玄関のドアを開けると、銀が前傾姿勢で唸り声を上げながら私達を待ち構えていた。

 

 ……あの一瞬だけで、ゼノヴィアの一誠君への敵意を察知したというの、この子は?

 

 そこで状況を把握する為に見送りに来た一誠君が、銀の頭を撫でて宥める。すると、さっきまでの剣幕が嘘の様に落ち着いた。ただ、その目は未だ私達を警戒していた。まるで、「お前達なんか信じられるか。主人の背中を襲わせたりはしないぞ」とでも言いたい様に。

 

「今回は悪魔祓いに来たわけじゃないから、見逃してやる。それに少々気になる事もあるからな」

 

 ゼノヴィアは一誠君にそう言っていた。

 

「一誠君、またね」

 

 私は一誠君にそう言って、ゼノヴィアと共にその場を去っていこうとした。

 

「母さんを狙って来た訳じゃなかったのか。……イリナに対してそんな事を考える辺り、僕もどうかしているな」

 

 明らかに安堵した様な一誠君の声にハッとして後ろを向いたけど、その時には既に家に入った後だった。

 

 ……まさか。でも、それならあの銀の尋常ならざる敵意や警戒心も納得できる。

 

「イリナ、どうした?」

 

 ゼノヴィアは私の様子に怪訝そうな表情を浮かべたけど、私はそれどころじゃなかった。だから、ゼノヴィアには先に戻る様に伝える。

 

「ううん、何でもない。ゼノヴィア、貴女は先に戻って。……私、少し調べる事が出来たわ」

 

 ゼノヴィアは私の事を怪訝そうに見ていたけど、結局は私の言う通りに先に拠点としたホテルに戻っていった。

 ……もし私の想像通りなら、一誠君はおそらくこの辺りを管理する悪魔に眷属になる事を強制されたはずだ。一誠君が持っている物を考えるとあり得ない話ではないけど、それはけして許される事じゃない。

 

「リアス・グレモリー。覚悟しなさい」

 

 得られた情報とそれによる結論次第では、この街に住んでいる礼司小父さまや瑞貴さんの手を借りてでも、貴方を滅ぼして一誠君を助け出してみせる。

 

 ……この時の私は、そんな事を考えていた。

 

 私はゼノヴィアと別れた後、密かに礼司小父さまに連絡を入れた。すると、礼司小父さまはすぐに電話に出てくれた。

 

「イリナ君ですか、珍しいですね? こんなに日の高い時にこちらに連絡を入れて来るとは、思っていませんでした」

 

 ……一瞬、礼司小父さまは何を言っているのだろうかと思ったけど、礼司小父さまは私がイギリスから掛けているのだと勘違いしている事に気づいた。

 

 現在、日本時間で夜の七時あたり。そして、私が普段活動しているイギリスは現在サマータイムの実施中なので日本とは八時間の時間差があり、時刻は午前十一時あたりでお昼に入ろうとする時間帯だ。礼司小父さまもまさか私が聖剣奪還の任を負ってこの駒王町に来ているなんて思ってもいないだろうから、さっきの発言もけしておかしな事じゃない。そこで、私が駒王町に来ている事とその目的を伝える事にした。

 

「小父さま。私は今、駒王町から掛けています。実は、教会が所有するエクスカリバーの内の半数をコカビエルに奪われてしまって、私ともう一人がその奪還の命を受けてここに来たんです」

 

 私の言葉を聞いた礼司小父さまは、電話の向こうで息を呑んでいる様な気がした。……だからなのか、続けて聞こえてきた言葉はどう考えても私に向かって言っている様には聞こえなかった。

 

「何という事だ。いくら何でもまだ早過ぎる。いや、早過ぎるにも程がある。一誠君は今日、やっと自分の本心と向き合えるようになったばかりだ。折り合いをつけるまでには、まだまだ時間が必要だというのに。……主は、どうしてこうも立て続けに一誠君に過酷な試練をお与えになられるのか」

 

 ……やはり、一誠君に何かあったんだ。

 

 そう確信した私は、一誠君に会った時に私が感じた事と共に、一体何があったのかを教えて欲しい旨を伝える。

 

「小父さま。実は、さっき会った一誠君から悪魔の気配を感じたんです。正確には、他の気配も入り混じった中に悪魔の気配も感じた、なんですけど。その分だと、一誠君に何があったのかをご存知ですね? だったら、教えて下さい。一誠君に一体何があったんですか?」

 

 すると、礼司小父さまは多分に苦い物を含ませた声色で、逆に私に質問してきた。

 

「……イリナ君。一誠君と、会ってしまったのですか?」

 

 そんな礼司小父さまの様子に不審なものを感じながらも、私はその通りだと答える。

 

「えぇ。ひょっとして、何か不味い事でも?」

 

 私の答えを聞いた礼司小父さまは、未だ聞いた事のない程に苦渋に満ちた声で礼司小父さまの住む教会の礼拝堂まで来るように言って来た。

 

「これも、一誠君とイリナ君の運命なのか。……解りました。それでは私の教会の礼拝堂に来て下さい。そこでエクスカリバーの一件と合わせて、全てをお話しします。では、お待ちしていますよ」

 

 そう言って、礼司小父さまは珍しく一方的に電話を切った。でも、余りにも様子がおかしい礼司小父さまの声に、私は四月頃に感じた過去最大級の嫌な予感を思い出していた。

 

 私は余りにも大きな不安に駆られながらも礼司小父さま達が住んでいる教会の礼拝堂に行くと、そこでは礼司小父さまが苦渋に満ちた表情で待っていた。

 

 ……その手に、奪われた筈の二本のエクスカリバーを携えて。

 

「お、小父さま! そのエクスカリバーは一体!」

 

 私が驚愕のままに質問すると、礼司小父さまは盗み出されたエクスカリバーに関する事情を説明し始めた。

 

「切っ掛けは、斥候役の悪魔祓いが天閃の聖剣(エクスカリバー・ラピッドリィ)を装備したフリード・セルゼンと思しき人物によって殺害されている場面に薫君が出くわした事です。薫君は口封じの為に襲われましたが返り討ちにし、更にフリード・セルゼンから天閃の聖剣を奪い取ってしまったのです。事態の重大さに気づいた私は、奪還の命を受けた本命の悪魔祓い、つまり貴女達が来る前に事態の鎮静化を図るつもりでこの街の管理者に活動許可の申し入れをしました。それに伴い、活動中の私に監視者をつける様にも提案しています。その時の私には、エクスカリバーの盗難とその主犯格についての情報が正教会本部から齎されていませんでしたから」

 

 ……正教会の上層部は本気、というよりも正気なの?

 

 そんな事を考えてしまった私は、けして悪くないと思う。でも、驚くべきはむしろここからだった。

 

「しかし、申し入れの最中にその情報が入ってきた事で私は申し入れの内容を活動許可と監視役の同行から一時的な共闘へと変更しました。事態は、三大勢力の戦争が再開される恐れまで出てきたと判断した為です。更にその場にいた一誠君によって、コカビエルの最終目的が正にそれである事を指摘された事で、現在は「聖剣計画」の被験者でリアス・グレモリーさんの眷属となっていた木場祐斗君とソーナ・シトリーさんの眷属となった瑞貴君、そして双方が共有する眷属であり、またそれぞれの眷属達の総括役を務める一誠君の三名との一時的な共闘体制が確立されています。そして今日、一誠君と共に探索に出た私の不在を突かれる形で、この教会がコカビエル一派に襲われてしまいました。ですが、ご心配なく。私の経営する孤児院で働いて頂いているバリー・ジャイアン氏と一誠君を慕ってアイルランドからやってきたセタンタ・マク・コノル君によって彼等は撃退され、その際にセタンタ君が透明の聖剣(エクスカリバー・トランスペアレンシー)を取り返しています。なので、ここに盗難に遭ったエクスカリバーの内の二本が揃っている訳です」

 

 ……何なの? この超展開。

 

 私は余りに展開の推移が速い為に話に全くついて行けず、完全に呆然となってしまった。そして、つい自分達が今どんな立場にいるのかを礼司小父さまに尋ねてしまう。

 

「あの、それじゃ私達って……」

 

 まだ言葉が足りていないけど、私の言いたい事が解ったのだろう。礼司小父さまは、ある意味ではトドメとも言える事を告げてきた。

 

「申し訳ないのですが、完全に出遅れましたね。今更リアスさんの元に出向いて活動許可と相互不干渉の申し入れをしても、時機を逸したとして一笑に付されるだけでしょう。いっそ、あと一日遅れて来て頂ければ、全てのエクスカリバーを取り返した上で貴女達にお渡しする事もできたのかもしれませんね」

 

 ……その言葉を聞いて、膝から崩れ落ちた後に両手を床について蹲ってしまった私を、一体誰が責められようか?

 

 十分ほど蹲った後、エクスカリバー奪還については既に目処が立ってしまっている事で逆に開き直った私はこれなら自分の事を優先してもいいだろうと判断して、早速一誠君に何があったのかを聞き出そうとした。すると、礼司小父さまは「これから話す内容がどのような物であっても最後まで聞く様に」と前置きしてから、一月半ほど前に一誠君の身に起こった出来事を話し始めた。

 

 一誠君が小父さまや小母さまを人質に取られて進退が極まり、最終手段として人間をやめて悪魔の眷属となった。そして、その一誠君を悪意ある者達から守る為に、瑞貴さんもまた人間を止めて悪魔になった。

 

 ……その事実を聞かされた私は、今度は完全に腰が抜けて礼拝堂の床にへたり込んでしまった。

 

「これ以上は、私の口から話しても一方的な意見にしかなりません。だから、詳しい話は一誠君から直接お聞きなさい」

 

 すっかり腑抜けてしまった様子の私にそう言い含めると、礼司小父さまはそのまま一度も振り返らずに礼拝堂を出ていってしまった。きっと、私に気を使ってくれたのだろう。

 

 ……実際、もう限界だった。胸は悲しみで張り裂けそうだし、頭の中は後悔で一杯。気が付いたら、涙が零れ始めていた。拭っても、拭っても、止まらなかった。やがて両手を床について蹲ると、そのまま泣き始めてしまった。

 

 何故、堕天使達がよりにもよって一誠君をピンポイントで狙って襲って来たのか。

 何故、その場面をよりにもよってこの地を管理する悪魔達が目撃していたのか。

 何故、その時に礼司小父さまや瑞貴さんは仕事で駒王町を離れていたのか。

 

 何故、何故、何故……!

 

 幾つもの「何故」が、私の頭の中を埋め尽くしていく。そうやって考えれば考える程、世界が一誠君に人間である事をやめさせたがっていたとしか思えない程に、一誠君にとっては最悪の出来事が最悪のタイミングで連鎖して起こっていた。

 

 ……私は運命に翻弄された一誠君を思い、ただ涙した。

 

 そうして一時間ほど礼拝堂で散々泣いた後、私は一誠君の家を再び訪ねた。礼司小父さまの言った通り、当事者である一誠君の口から一連の出来事を聞かせてもらう為に。小母さまやはやてちゃんは、別れてすぐまた訪れた私について首を傾げていた。

 

「あの時は友達がいたから余り話せなかったけど、できれば二人きりで話がしたいの」

 

 でも、一誠君にそう言って誤魔化そうとしたら、小母さまやはやてちゃんは勘違いしたみたいで「二人で公園にでも行ってきたら」と気を利かせてくれた。私はその厚意にあえて乗った。そして、困惑する一誠君をあの公園へと連れ出したのだった。

 公園までの道中では、一緒に遊んだ頃の話とか、私のイギリス時代の話とか、本当に色々なことを話した。……でも、一誠君が無理に明るく振る舞っているのが、私でも解った。そうして公園に備え付けてあるベンチに二人で腰掛けた後、私は早速一誠君に事の次第を問い質すと、一誠君はそれに応じてくれた。そして、口から語られた内容は礼司小父さまから教えてもらったものとほぼ同じだったけど、当事者である一誠君にしか語る事を許されない事実も解った。

 

 小父さまと小母さまを人質に取ったのは一誠君の戦う姿を目撃した二人の悪魔とは別口であり、このままでは一誠君が使い潰されて殺されると危惧した二人の悪魔の提案を受け入れる形で眷属となり、人間である事をやめた。……ううん、やめざるを得なかったって事を。

 

 ……憎かった。小父さまや小母さまを人質に取って、一誠君を追い詰めた悪魔達が。そして、そこに付け込んで一誠君を眷属に貶めて主ヅラする二人の悪魔が。

 ……悔しかった。はやてちゃん達にも手を回された事で、小父さまを守る為の手数が足りなくなってしまった事が。礼司小父さまと瑞貴さんが仕事で一日だけ離れていた、その僅かな間隙を突かれた事が。私自身、そんな大事な時に暢気にイギリスで簡単な仕事をこなしていた事が。

 ……そして、悲しかった。一誠君とは、生きていく時間の差が余りにも大きくなってしまった事が。このままでは、一誠君とは今後二度と逢えなくなる可能性が極めて高い事が。

 

 憎くて、悔しくて、悲しくて。でも、それ以上に怖かった。一歩間違えれば、一誠君はここにいなかった。そう考えただけで、私は未だ嘗て感じたことのない恐怖に襲われた。

 

 ……そう。五歳の時の私が引き起こした、あの一誠君の転落事故の時以上に。

 

 でも、恐怖の中身が全く違った。あの時は、ただ人を死なせることへの罪悪感だけだった。でも今は、一誠君がいなくなることが何よりも怖かった。

 

 それを自覚した時には、既に一誠君の胸に縋り付いてただ泣き喚いていた。そんな私の頭を、一誠君は優しく撫で続けてくれた。

 

Side end

 

 

 

 人間を止めた経緯を聞いた事で始まったイリナの慟哭が、僕の胸に重く圧し掛かる。……イリナもまた、既に理解しているのだろう。もう、僕達の道が重なる事はないと。だが頭では既に解っていても、心では到底受け付けられないのだろう。

 

 だから、僕がここで全てを終わらせるべきだ。はっきりと、それをイリナに伝える事で。

 

「……イリナ」

 

 一頻り泣き喚いた事で落ち着いた様相を呈しているイリナに声を掛ける。

 

「……る」

 

 しかし、その前にイリナから禁忌の言葉が飛び出そうとしていた。

 

「だったら、私も人間をやめて悪魔になる! だって、だって私は!」

 

 ……それ以上、先を言わせるわけにはいかなかった。

 

「イリナ!」

 

 僕はイリナに大声で怒鳴りつける。僕の怒鳴り声を聞いたイリナは、体をビクッと震わせて口に出そうとしていた言葉を引っ込めた。それを確認した僕は、自ら望んで人間をやめた事を伝えていく。……いや、伝えようとした、というべきだろうか。

 

「僕はソーナ会長とリアス部長、つまり悪魔からの提案を受け入れて人間をやめた。それしか選択肢が無かったけど、それでも自分で選んで決めたことなんだ。だから、人間をやめた事に後悔はない。……昨日までだったら、きっとそう言えたんだろうね」

 

 ……しかし、皮肉にも今日、僕は礼司さんに自分の胸の内をぶちまけていた。それで心がかなり軽くなっていた。だからこそ、本当の自分をイリナに素直に出す事ができてしまっていた。そして、僕は苦笑いを浮かべながら、イリナに僕の気持ちを語っていく。

 

「イリナも知っている通り、僕には夢があった。科学者になって、人の役に立つ物を研究開発したいという夢が。……けど、それはもう叶う事がなくなってしまった。人生の時間の流れが凄く遅くなってしまった僕は、もう人間社会でまともに生きていく事ができないから。それは、とても辛かったよ。正直言って、今でも未練タラタラだしね」

 

 もはや手に届かない物となってしまった夢への未練。

 

「それに、僕は人をやめた事、正確には父さんと母さんから貰った人としての大切な体を自分一人の判断で捨ててしまった事に対して、凄く申し訳なく思っていた。何度も二人には謝りたいって思ったし、それをしようって思ったりもしたけど、結局は行動に移せなかった。今度こそ、父さんと母さんに拒絶されるかもしれないって思ったら凄く怖くて、とても言い出す事ができなかったんだ。……自分勝手にも程があるよね?」

 

 前世の記憶を持つというオカルトな要素を持つにも関わらず僕を愛してくれた両親を裏切って、大切な体を人の物でなくしてしまったという罪悪感。

 

「でも、それだけじゃない。……正直に言うと、僕は人をやめてから二月程が経った今でも不安で仕方がないんだ」

 

 そして、僕は密かに感じていた未来への不安まで吐露し始めていた。僕は不安を吐露した後で、そんな自分に酷く驚いた。だが、同時に納得もしていた。やはり、僕は人間をやめた事にかなり参っていたのだ、と。そして、これこそが人をやめた事を僕が未だに受け入れきれずにいる、最大の原因である事も。

 もう少し時間があれば、この不安とも向き合って割り切る事ができたのだろうが、流石に今回は余りにも時間がなさすぎた。その結果が、この(ザマ)だった。

 もはや無様以外の何物でもない様を晒し続けている僕に対して、イリナははっきりと驚愕の表情を見せていた。……この際だから、イリナにだけでも伝えておこう。人間にとって、人間以外の存在になる事はけして良い事ではない事を。自分も人間をやめる、なんて事を二度と言い出さない様に。

 

 そして、僕は未来への不安を吐露するに至った理由を語り始めた。

 

「だって、そうだろう? 人類が今まで文明と共に積み重ねてきたとされる歴史は、神話に該当する部分を除けば最古であるメソポタミア文明を築いてからおよそ六千年だ。だけど、悪魔の寿命は純血種よりは短いであろう転生悪魔ですら、一万年を超えている。……つまり、何らかの形で早死にしない限り、僕は人類の歴史をたった一人で超えて生きていく事になるんだ」

 

 僕はここで己の本当の姿をイリナに見せた。本来ならあり得ない、天使の翼と悪魔の羽、そしてドラゴンの羽を併せ持つ異形の姿を。僕の本当の姿を見たイリナが息を飲む中、僕は畳みかける様に言葉を重ねていく。

 

「逸脱者、デヴィエーター。僕は自分の事をそう名付けた。聖と魔、そして龍の力が一つの存在の中で共存する、正に世界の理から逸脱した異端の極み。そのせいで、実際は転生悪魔の寿命である一万年よりもっと永く生きてしまうかもしれない。そんな人類の歴史さえも超えてしまう程の永い生に、大本の感性があくまで人間でしかない僕が耐えられるなんて到底思えないんだ……」

 

 僕は礼司さんでも吐き出させる事のできなかった事を含めて全てを明かし終えると、そのまま項垂れてしまった。

 

 ……僕にとって、やはりイリナは特別な存在だったという事なのだろう。

 

〈……ゴメンなさい〉

 

 ……以前、祐斗の件でも聞こえてきた幼い少女の声が、僕の頭の中で響いた様な気がした。

 




いかがだったでしょうか?

勘の良い方は今話で気づかれたかもしれませんが、どうか今しばらくの御辛抱をお願い致します。

では、また次の話でお会いしましょう。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。