アブソリュート・レギオス   作:ボブ鈴木

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04.見続けた夢の果てに、生まれた花

ユリウスとアリシアがお互いの心を明かしてから少しして、二人は正式に籍を入れる事になった。

結婚の承諾を得るため、アリシアの後見人であるカルヴァーンの元へと向かった時のユリウス心境は、それはもう筆舌に尽くし難い物だっただろう。

何せ「娘さんを僕に下さい」などと言った物なら、次の瞬間に返答代わりの拳で不埒者を吹き飛ばし、そのままエアフィルターをブチ抜いて都市外追放を物理的にやってしまいそうな御人が相手だ。

鬼気迫る様相で「一応、遺書も用意しておくか?」とユリウスが聞き、アリシアが朗らかな笑顔で「要りませんよ」と答えたやり取りも、あながち冗談とも取れないのかもしれなかった。

ミッドノットの屋敷に通されたユリウスが、カルヴァーンの書斎で執務机の椅子に座る彼の前に立たされた時、蛇に睨まれた蛙とはこの事かと実感するほど緊張するのであった。

 

「ご拝謁を賜り光栄に存じます、ゲオルディウス卿。お忙しい中、不肖の我が身の願いを聞き時間を割いて頂いた事、深く感謝致します」

「うむ。面を上げたまえ」

 

深々と腰を折り、目の前の絶対的強者に頭を下げるユリウスの背は既に冷や汗が流れ落ちていた。

武芸者としての正装である道着の上に、公の場でも使用する外套をガッチリと着込んだカルヴァーンから発せられるプレッシャーは尋常ではない。

もう今すぐにでも土下座で謝罪して、何も無かったので帰らせて下さいと言いたくなる恐ろしさだ。

そんな顔面蒼白な心境のユリウスの横で、アリシアが堪えかねた様に笑い声を上げた。

 

「客人の前ではしたないぞ、アリシア」

「くすくす……ごめんなさい、叔父様。だってユリウス様が叔父様を相手に、陛下を前にしたみたいに畏まってしまっているんですから、可笑しくって」

 

アリシアとカルヴァーンの姿は、叔父と姪というより仲の良い父娘の様だとユリウスは感じた。

厳格で私生活に不器用な父親と、美しく誰からも愛される娘。尤もアリシアにとってはそうであろうとも、ユリウスにとっては女王だろうが天剣授受者だろうか遥か雲の上の人物である事に変わりはないのだ。

恐れ多くも自分とカルヴァーンを、さも自然体で同じように扱うアリシアに、ユリウスはヒヤヒヤするしかないのであった。

 

「それで叔父様。私たち、結婚する事になったんですよ」

「――――それは、本当なのかね? ユリウス殿」

 

ニコニコと嬉しそうなアリシアが特大の爆弾を放り投げた事で、ユリウスは今度こそ完全に血の気が引いてしまった。

ミシリ、と部屋の何処かが軋んだ音を立てたが、老朽化のせいでは決してないだろう。何故ならユリウスが受けている圧力は実際に気のせいではないのだから。

縺れそうになる舌を必死に動かし、ユリウスはせめて男としての体裁だけは保とうと奮起するのであった。

 

「はっ! 恐れ多くも、卿の姪御様とは結婚を前提にお付き合いをさせて頂いております。今日は遅ばせながらも、そのご報告とお許しを頂きたく、お目通りを願った次第であります」

「そうまで仰々しくならずともよい。貴公と姪の関係は以前より聞き及んでいる」

「……卿のご家名に泥を塗ったにも関わらず、身の程を弁えぬ願いとは承知しております。しかし、どうか――――」

「貴公の功績は過去の不名誉を拭って余りある物だと私は思っている。これから妻を娶ろうとする男が、不必要に己を卑下するのは感心せん」

「き、恐縮です……」

 

早速目上の人物からお叱りを受けたユリウスは小さくなるしかない。けれどライヒハートの悪名は天剣授受者の寛大さを以て水に流す、というカルヴァーンお墨付きにホッと胸を撫で下ろした。

彼は古臭くお堅い人物だが、公正さという物に対しても地位相応のそれを兼ね備えているのだろう。ライヒハート家が形骸化させた物とは、その役目だけではない。本来果たすべき責務は誰にも求められず、暗部であるが故への悪感情を時と共に風化しきってしまっている。

結局のところ今のライヒハート家を偏見無しで見てみれば、数百年以上も鳴かず飛ばずだったド底辺武芸者一門という事でしかないのだろう。少なくとも、カルヴァーンにとっては。

 

カルヴァーンはユリウスから視線を外し、アリシアを見た。それに対しアリシアは、微笑みでその視線を受け止めていた。まるで、次にカルヴァーンが何を言うのか全て見通していると言わんばかりの様子で。

 

「それが、お前の望みか? アリシア」

「はい、叔父様。この人が良いんです。この人でなければ、駄目なんです」

「そうか……」

 

傍から聞く者には要領を得ない会話に違いなかったが、この二人の間にそれ以上の物は必要ないのだろう。

姪を見る叔父の瞳は、ほんの少しの憂いと困惑を孕んでいた。しかし、それが自分の身分による物ではないのだと、ユリウスは漠然と感じていた。

静かに目を閉じたカルヴァーンは一つ溜息を吐くと、意を決した様にもう一度アリシアを見た。

 

「幸せになりなさい、アリシア。彼と共に、な」

「ええ、きっと。ありがとうございます、叔父様」

 

心からの幸せそうな笑みを浮かべたアリシアは、そのままユリウスの腕を取った。

カルヴァーンからあっという間に得てしまった承諾は、彼女の信頼が成し得た結果だったのか。何れにせよ、アリシアが自分へそんな一途な想いを向けてくれるのが堪らなく嬉しかった。

これから彼女を守っていくのだと。彼女の想いへ応え、彼女が自分の想いに応えてくれるのだと思えば、それは何よりもの幸福だった。

 

「君は良い武芸者だ、ユリウス殿。ライヒハートが過去の名を完全に払拭出来るかは、君の腕と―――後を継ぐ、君達の子の成長に依るだろう。期待している」

「はい。ご期待に応えるべく、全身全霊を賭す所存であります」

 

愛娘を送り出す彼の言葉は、何処か寂しさを感じさせながらも、その夫への情が確かに存在していた。

その事実に、ユリウスの胸は熱くなる。アリシアと、彼女を愛し育てた偉大な叔父への感謝を抱き。二人への信頼に報いるため、己の全てを懸けるのだと決意を新たにするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからの二人の生活は、質素でありながらもつつがなく、幸せに満ちた物だった。

ライヒハートの草臥れた屋敷で繰り返される、何が有る訳でもない平凡な日常。カルヴァーンは二人を気遣って使用人を手配してくれるとも言ったが、アリシアの希望で家事は全て彼女が請け負う事になっていた。

 

「せっかくの夫婦水入らずなんですから、ね?」

 

そう言ってはにかむ彼女を見れば、ユリウスとしても反対などする筈もなかった。アリシア一人に任せるには広い屋敷の管理を拙いながらにも手伝い、武芸一辺倒で来たが為に掃除もロクに出来ず、妙ちきりんな失敗などしてしまってアリシアから笑われたが、それも大切な時間だった。

何も無い日常。それがこんなにも尊い物だったのだと、ユリウスはアリシアから教えられたのだ。

 

以前ならば汚染獣遭遇の警報が聞こえた時点で我先にと戦場まで飛び出して行ったが、今では自分の限界を見極めて最低限の出撃に留めている。訓練にしても、気絶するまでやっていた頃からすれば在り得ないくらい穏やかな程度の物だけをこなしていた。

噂では「狂人もすっかり腑抜けた」だの「ミッドノットの女に狂人が骨抜きにされた」だのと言われているらしいが、殆どがアリシアを知る武芸者たちからのやっかみだったとか。

相変わらず人との関わりは希薄なままだが、多少なりともミッドノット家と繋がった事で自分への噂話が聞こえてくるのは、煩わしいやら恥ずかしいやらだ。

けれど、もうユリウスは以前の様な無謀をする気には到底なれなかった。アリシアを悲しませる事もそうだし、今の幸せを守ることが何より大切だと思っていたからだ。

それともう一つ。ユリウスが戦いから遠ざかったのには、大きな理由があったのだ。

 

「―――お父様、武芸を教えてください」

「ああ、良いとも。リリウム」

 

ユリウスの腰よりも低い身長の幼い女の子。

彼女はユリウスにとって世界で一番、それこそアリシアと同じくらい大切な存在だ。この子の為ならば、もう自分の武芸者としての道はここで終わっても構わないとまで思っている。

何より大事な、自分の娘。指導をせがみ、自分の服の裾を引っ張る娘の手を取り、ユリウスはその小さな手を引いて練武館への道を歩いて行くのであった。

 

 

 

 

 

リリウム・ライヒハート。それがユリウスとアリシアとの間に生まれた少女の名前だった。

見た目は、本当にアリシアそっくりだった。月明かりの様に淡く輝く金髪に、光に反射してキラリと揺れるサファイアの瞳。アリシアの子供の頃がこうだったと言われれば、そのまま納得出来そうな程よく似ている。

だがリリウムには経脈があり、そこだけはアリシアと違っている。愛らしい容姿に加え、自分の血が確かに継がれている事が目に取れる様子が、ユリウスには一層愛おしかった。

 

「リリウムは、武芸が好きか?」

「……ほんとは、あまり。練習は嫌いでないですけど、お母様が寂しがりますから」

 

年齢にしてまだ四歳だが、そうは思えないほど利発な態度はアリシアの教育の賜物だった。

ユリウスは娘が可愛くて仕方ないのだが、そこは男親の悲しい性なのか。どうにも娘は父よりも母が好きな様だった。

貴族の子女が受けるべき教育など、ユリウスがからっきしなのは言うまでもなく。教養に勉強に芸術にと、すっかりアリシアに娘を独占されてしまったユリウスが、最後の砦として持ち出したのが武芸なのであった。

これだけは自分でも教えられると、必死でリリウムの興味を惹こうと四苦八苦した末、アリシアからの苦笑混じりな「お父様に教えて頂きなさい」という口添えもあって、何とか娘との時間を手に入れたのである。

 

「でも、お母様を守れるくらい上手くなりたいです。大きくなったら、私もお父様みたく強くなれますか?」

「ああ、勿論だ。リリウムなら私よりもずっと強くなって、すぐに立派な武芸者だと皆から褒められるさ」

「ほんとですか? 大叔父様と同じくらい、強くなれるでしょうか」

「ふふ、どうかな。それは今度会った時、大叔父様に聞いてみると良いだろう」

 

大姪を誰よりも溺愛する、この都市最高の武芸者の顔が目に浮かぶ。生まれたばかりのリリウムを連れ、カルヴァーンへ名付け親になってくれと頼みに行った時は、それはもう凄い状況だった。

アリシアから赤ん坊を抱かされ、傷付けぬ様にと恐る恐る扱う天剣授受者の表情は、彼を良く知るアリシアですら目を丸くする程だらしなく緩んでしまっていたのだ。

その後、出産祝いだと天蓋付きの馬鹿でかい乳児用ベッドを何を思ったか自分で担いで屋敷までやって来たのを始めに、リリウムが大きくなってくれば山ほどの人形や菓子を抱えて頻繁に訪れるのであった。

そんな「ゲオルディウス卿ご乱心」と言われるまでになっていたカルヴァーンだったが、余りにも頻繁かつ唐突に外出が繰り返され、とうとう王宮からの使いが来るのも忘れて大姪と戯れていたという大失態を犯してしまう。

結果、カルヴァーンは女王の側近であるエアリフォス卿ことカナリス、三王家が一つロンスマイア家の当主にして天剣の元締めでもあるノイエラン卿ことティグリス、そして絶対至上の女王陛下に死ぬほど怒られたのだとか。

 

おかげで三日に一度は姪夫婦の家に訪れていたカルヴァーンも、今では月に数回自宅にやってくる大姪を今か今かと待ち侘びる程の自粛を強いられてしまっている。

もっともその理由の一つには、一連のあらましを聞いたアリシアに「自重なさって下さい、叔父様」と、背筋が凍る様な冷たい笑みと声音で言われた事も関係しているのだろうが。

家族水入らずを邪魔され続けた妻の怒りは、それこそ怒髪天を衝く勢いなのであった。正直、ユリウスが見たアリシアの中であれを越える恐ろしさは一度も無かったのは確実である。

 

 

無骨な訓練用の大鎌を一心に振るうリリウムの姿を、練武館の壁にもたれ掛かりながらユリウスは見ていた。

娘が日々健やかに成長している姿は、本当に尊い物だ。かつて自分が父から武芸を学んでいた時、父も似た様な感情を抱いていたのかと考えると、胸が暖かくなってくる。

そんな感慨に浸っていたユリウスがふと近づく気配に気付けば、そこにはリリウムに気付かれない様にと静かにやって来たアリシアが立っていた。

 

「楽しそうですね、ユリウス様。あの子は真面目にやっていますか?」

「ああ、あの物覚えの良さは君に似たな。親の贔屓目かもしれないが、あの子の物事を捉える事への繊細さは得難いセンスだ。きっと良い武芸者になる」

「ふふ、気が早過ぎますわ。リリウムの歳では本格的な訓練もまだ先でしょうに」

「それでも、期待してしまうのが親心さ。私の父も、多分そうだった」

 

似合っていないであろう自分の親としての物言いに、アリシアはやはりクスクスと笑っていた。

しかし、それも心地良かった。ユリウスは変わった、余裕の無かった昔とは違い、今でなら将来の事も考えられる。

漠然としかでないが、一人前の武芸者となった娘とそれを支える自分。その隣に妻が居てくれれば、未来で起きるどんな困難も乗り越えられる気がした。

 

「でも少しだけ、嫉妬してしまいますね」

「リリウムの事か? 君には悪いと思うが、こうでもしないと君にべったりだからな。相手にされない父親の哀れさに免じて、多めに見てくれると助かる」

「いえ……ユリウス様にではなくて、リリウムにです。私はユリウス様に好かれようとあんなに苦労したのに、あの子は生まれた時からユリウス様に大事にされていて、羨ましくなってしまいます」

 

悪戯っぽく瞳を輝かせるアリシアに、気不味気に頬を掻いて誤魔化すしかなかった。今になって思えば、あの頃の自分はどうかしていたのだ。

自分は架空の世界にいる、現実が別に在るのだと忘れてはいけない。そう思い込もうと必死になる余りに、自分自身が悪い夢に囚われて居るのに全く気が付いていなかった。

人並みの幸せなど、誰の足元にも落ちている。それを拾い上げるにはほんの少しの勇気が必要かもしれなかったが、それ自体が誰かに責められる物でも、自らに禁じる様な物でもないのだ。

頑なに傷つくのを恐れていたユリウスを、アリシアが自分が傷つくのも構わず受け入れようとしてくれなければ、自分はそんな事にも気づかずに何処かで果てていたのだろうとユリウスは思う。

ユリウスは思わず、アリシアの肩を引き抱き寄せた。感謝の念が胸から溢れ、そうせずにはいられなかった。

 

「君が産んでくれたあの子が大事なのは当然だ。この世で一番大切な……俺と君の、宝物だ」

「……嬉しいです、ユリウス様。貴方と一緒になれたのが私で、本当に幸せです」

 

ユリウスは変わった。けれど、アリシアは何一つ変わっていなかった。

あの時、全てを拒んでいた自分を受け入れてくれた、強く優しい彼女のままだ。リリウムが生まれ、愛情を向ける相手が二人に増えようとも、アリシアは一途にユリウスの想いに応え続けてくれている。

きっと、これからも彼女は変わらないのだろう。なら、自分は変わり続けよう。一人の男として、父親として、彼女が愛するに相応しい人間を目指し続けよう。

多分それこそが、ユリウスという人間の生き様として、それ以上を望めない程の物だろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨が降っていた。

空には暗雲が立ち込め、時刻が日中を指しているのに関わらず黄昏時の様な薄暗さが辺りを包んでいる。

グレンダンの共同墓地では、もう今年何度目になるかという葬儀が執り行われていた。

―――グレンダンを襲った、未曾有の食糧危機。

"原作"を知るユリウスにとって、それは何れ来ると分かっていた厄災であり、同時に来るべき時がやって来たのだと知らせる狼煙であった筈だ。

それを待ち望んでいた過去の自分との決別であり、未来を行く自分を今一度見定め直す。これはそんな儀式になる筈だった。

けれど、ユリウスには何も感じられなかった。そうする意味は、もう何処にも失くなってしまった。

 

妻の名が―――アリシアの名が刻まれた墓石は物言わず、ただユリウスに空虚な現実を突きつけてくるだけだった。

 

 

別れの時は唐突で、余りにもあっけなかった。

食糧危機によって困窮した市民の生活は、都市に広く病を伝染させた。多くの者が苦しみ、多くの命を奪った病は、容易くアリシアの身を蝕んだ。、

回復の見立てはあった、死ぬだなんて誰も考えていなかった。だが、結局アリシアは帰らぬ人になってしまった。彼女の母親と同じ様な最期が、まるで運命の様にアリシアを奪っていった。

石に掘られた彼女の名前を、ユリウスはそっとなぞった。雨に濡れ冷たく、何物をも受け入れぬ石肌は無機質な触感しか与えない。

この下にアリシアが眠っているだなんて、とても信じられなかった。

 

「ユリウス……」

 

掛けられた声に、意思もなく機械的にユリウスは振り返った。

今はアリシアとの別れを邪魔されたくはなかった。この現実を受け入れる為に、今だけは思い出の中アリシアを見詰めていたかった。

けれどユリウスには、その声の持ち主だけは無視する事が出来なかった。

 

「……本日はご参列、誠に感謝致します。カルヴァーン様にお見送り頂け、妻も安らかに眠れる事でしょう」

「もういいユリウス、客は残らず帰った。今の私は天剣授受者ではなく、お前の妻の叔父だ」

 

天剣授受者の象徴である白の装飾を一切廃し、黒の喪服に身を包んだカルヴァーン。

何時にも増して硬い表情からは、何かしらの感情を察する事は出来なかった。しかし微かに揺れる瞳に、ユリウスを心配する色が確かにあった。

その気遣いにユリウスは何と返せばいいのか分からなかった。もう決して短いとは言えない付き合いになるカルヴァーンへの距離感は、未だに掴みきれていない。

天剣授受者だから、アリシアの叔父だから。そうやって何処か余所余所しさを残しながらも、目を掛け続けてくれたのは彼の懐の大きさ故か。

或いは姪と大姪のついで程度と、割り切られた関係だったのかもしれないが。

 

「リリウムは、まだ眠っているのか?」

「はい。ですが、もう意識もはっきりする頃でしょう。以前の剄脈拡張の時と症状は同じですし、医師も間違い無いと判断しました」

「これで三度目か……あの子は素晴らしい武芸者になる。何れは、陛下の剣として我が隣に立つ事も夢ではあるまい」

 

だから父親であるお前が不抜けていてはどうする。そんなカルヴァーンの言葉に、ユリウスは返事をする事が出来なかった。

リリウムは紛う事なき天才であった。まだ剄技も使わせられない幼少の頃から、その才覚の片鱗を垣間見る事は出来た。

一度目の剄脈拡張で飛躍的に剄量を伸ばし、二度目になれば既にユリウスを圧倒するまでの剄量に届いていた。

一度教えた技を瞬く間に自分の物とし、時にはユリウスでさえ目を奪われる様な斬撃を放つ。早熟な娘の成長に寂しさを感じはしたが、親としても師としても、リリウムの才能はユリウスにとって無上の誇りであった。

何時か来る未来での決戦に置いて、リリウムは替えの効かない戦力としてグレンダンに貢献するだろうと。娘の大舞台に気の早い期待もしていた。

それが幸運なのか不運なのか、もう今では分からない。守る者を亡くしたユリウスと、最愛の母を失ったリリウム。未来を知る凡夫と、有り余る才能を向ける先を未だ知らぬ娘。自分たちにとって何が正解で、何が幸せなのか。武力しか持ち得ぬライヒハートの系譜を導いてくれる存在を失った意味は、余りにも大きかった。

 

「……カルヴァーン様、私をお恨みですか?」

 

何か意識をして出た言葉ではない。胸の内に巣食った言葉に出来ない感情が、堰を切って流れた意味の無い物でしかなかった。

罪悪感、悔恨、損失感……大き過ぎる物を失い、思考をも鈍らせる虚脱感に苛まれる今であってこそ、天上人に働ける無礼であった。

カルヴァーンはじっとユリウスを見つめ、その口を真一文字の結んだままであった。

 

「私は妻を守れなかった。貴方が誰より愛した姪を、貴方が大切にするリリウムの母親を見殺しにした」

「……ユリウス、自分を責めるな。あれが逝ってしまったのは天命だ。避けられ得ぬ、運命だったのだ」

「私は、そんな言葉が聞きたいのではない……! お前などにアリシアをやらねば良かったと、こんな父親だけを残されてリリウムが憐れだと! 今すぐ此処で切り殺してやりたいと、何故本心を仰ってはくれないのですかッ!!」

 

一度吐き出した感情は止めることが出来ず、激流の様にユリウスの胸から喉を流れ出て行った。

この世界に来てから初めて、今までに一度も無かった思える程の激情。八つ当たりだと分かっていても、この慟哭を止める事が出来なかった。

ユリウスはカルヴァーンに責められたかった。言葉の暴力によって傷付けられ、触れる事すら叶わぬ圧倒的な武力で痛めつけてくれれば、まだ終わっていないと思える気がしていた。

アリシアの死が、過ぎてしまった覆しようがない物だと。カルヴァーンがアリシアを思い出にしてしまい、残された自分を哀れめば、それが全て認められてしまうとユリウスは思ってしまった。

 

取り繕い様の無い非礼を浴びせかけられた天剣授受者は、ユリウスが期待したような罵声を上げる事はなかった。

ただその深い瞳に悲しみを湛え、何かを振り払う様に首を振っただけであった。

 

「ユリウス、死者に囚われるな。あれの妄執に、お前は引き摺り込まれ様としている」

「なに、を……言っておられるのですか……?」

 

カルヴァーンの言った意味が、理解出来なかった。理解出来ようとも、それを脳が拒んでいた。

アリシアを何より大切にしていたカルヴァーンが、アリシアを蔑む様な物言いをするなどと。これが自分の前で言われた事でなければ到底信じる事など出来なかった筈だ。

体中の血液がカッと熱を持ち、ユリウスはカルヴァーンを睨み付けていた。しかし、カルヴァーンはその様子に眉一つ動かさずにいた。

 

「仰る意図を、掴みかねます。それは妻を、アシリアを侮辱しているということなのですか……!?」

「……今のお前に、これを言うのが酷だとは分かっている。だが、あれは普通の娘ではなかった。私が姪を引き取り自分の直ぐ傍に置いたのは、その愛らしさと純粋さに惹かれたからだったのは確かだ。しかし一方で、あれは酷く危うい在り方をしていた。その行く末を見守り、道を踏み外さぬ為に見張り続けようと……いや、それも今となっては言い訳にしかならんのか」

 

一人独白する様に空を見上げたカルヴァーンの姿が、今は酷く小さく見えた。

女王の剣、汚染獣を狩り尽くす者。目の前に居るのはそんな絶対者ではなく、過去に後悔の念を抱く一人の男でしかなかった。

その姿にユリウスは困惑し、舌が縺れて何も言えなくなってしまっていた。

 

「あれは何者にも等しく笑顔を向けながら、何かに執着する事は一度としてなかった。誰に好意を向けられようと応えはせず、あれが誰かに興味を持つ事もなかった。時には叔父である私ですら、その美しい容姿に情欲を抱く男どもと同程度の認識しかされていないのではと、埒もない不安に駆られた事もある。あれの瞳は暖かくありながら、その暖かさを向けるべき相手を持たない、酷く空虚で無機質な物だった。だが、そんな時に現れたのが……お前だった」

「……私が貴方の屋敷へ侵入したのは、あくまで過失でしかありませんでした」

「アリシアがお前に何を見たかは本人しか知り得ぬ事であり、理解も出来ない事なのだろう。初めて他者への愛情を抱いた姪は、お前を手に入れようと必死だった様に見えた。その執着は何時か覚えた危うさを孕んだ物であり……だが、あれが人並みの幸せを掴めるならばと、私はお前を生贄にした。何時かアリシアの執念がお前を縛り上げ、武芸者として有望であったお前の未来を閉ざすのではないかと予感していながら、それを見過ごした。事実、リリウムが生まれてからのお前は完全に牙を抜かれ、過去の闇から抜け出しつつある家の事を放棄しようとしていた筈だ」

「それが、許されない事であると? 私は貴方が目を掛ける程の男ではなかった、ならばこそと妻と娘の幸せを願った事が、悪であったと言うのですか」

 

元よりユリウスは自身の名誉や家の繁栄を望んで戦っていた訳ではない。分不相応な願いを捨ててからは、ただ生きる為にと。その隣でアリシアが笑っていてくれれば良いと、人として当たり前の物の為に生きて行こうとしていた。

それを否定するカルヴァーンに対する怒りは、寸前の所で押し留められている。もし彼が本気でユリウスを心配し、その先を案じてくれていると分からなければ、返り討ちを覚悟で錬金鋼を抜いていたかもしれない。

 

「全ては、過ぎた事だ。だがお前にはリリウムが居る。父親として、武芸の師として、お前は娘と共に未来を歩まねばならん。アリシアを忘れろとは言わん、しかし囚われるな。過去に生きようとする武芸者に待つのは死だけだ、ユリウス。あの子の才能は人としての道を外れさせる危険を孕んでいる、それを止める楔に成り得る者はもうお前しか居ないのだ」

 

力無く言葉を切ったカルヴァーンから、ユリウスは目を逸した。

今は、時間が欲しかった。散々に掻き乱れ、熱を持った頭はまともな思考をすることを放棄している。

自分の未来、娘の未来、それが優先されるべき物であると分かっていても、カルヴァーンの言葉を受け入れる冷静さは今のユリウスには無かった。

過去に生きる、それが何故悪いのか。もう取り戻せないアリシアとの思い出を胸に、自分はこれから一生過ごして行くのだろう。

その寂しさ悲しみに、枯れたと思っていた涙が浮かんできて、ユリウスはカルヴァーンに背を向けて歩き出した。

カルヴァーンはもう何も言わなかった。流れる涙は拭わない、これが最後だと、己の胸に刻み込もう。

もうユリウスの涙を拭ってくれる者はいないのだから。たった一つ残った娘の涙を拭う者は、もうユリウスしかいないのだから。

 

 

 

 

 

 

葬儀から戻って門を潜ったライヒハート邸は静かだった。

アリシアが暮らす様になってからは何時も暖かだったこの家は、ユリウス一人の時に戻ってしまったかの様に暗鬱とした雰囲気に包まれていた。

手入れされた筈の庭は、嘗て荒れ果てていた時よりも鬱蒼としている様にさえ感じる。

そんな様子を尻目に、ユリウスは自室でまず始めに服を着替えた。黒一色も喪服から、何時も着ている武芸者の道着へと。

腰の剣帯に錬金鋼を差して、目指すのは娘が休んでいる私室だ。

 

「お父様。お母様の、葬儀は……?」

「終わったよ。静かな、寝顔だった……きっと天国で私達を見守ってくれているだろう」

 

もう散々泣き疲れた後だという様に目を腫らしたリリウムを抱きしめた。

小さな身体だった。もうユリウスでは敵わないかもしれない程の才能を持ちながら、リリウムは今を生きるのに懸命な子供でしかなかった。

これからは彼女の未来での不安を払うのがユリウスの仕事であり、その才能を正しく導くのが役目だった。

ここに来て、ユリウスは一つの決意を固めていた。今一度、逃げるのを止めるのだと。人並みの幸せに甘んじ、果たすべき役目も果たせずいた今までとは決別しなければならない。来るべき時への為に自分自身にやれる事があるならば、それを実行しなければならないのだから。

 

「リリウム、私は門の前で待つ。直ぐに着替えて、錬金鋼を持って来なさい」

「お父、様?」

「お前に、全てを教える時が来た。我々武芸者が本当は何と戦っているのか、何の為に生まれたのか。私とアリシアの間にお前を授かった事も、其処に意味が在る」

 

意図して最低限の干渉に留めていた狼面衆との休戦期間も、今日で終わりだ。

もう奴らの思い通りになど何一つさせはしない。イグナシスの塵である奴らを食い潰し、リリウムの成長の糧としてやる。アリシアの生まれ育った都市に蔓延る害虫どもを根絶やしにするまで、もう止まる気はない。

ライヒハートが、裁く。本来定められた意味に用はない、リリウムの才覚は世界の敵の首を刎ねるに足る物だとユリウスは確信している。

悲しみは時間が癒してくれる、寂しさは戦いが薄れさせてくれる。親のエゴを押し付ける罪悪感に胸は痛むが、リリウムが生きる未来の為にそれは必要だった。

 

「行くぞ、リリウム。アリシアが愛したこの世界を、私たちが守るんだ」

 

こうして大鎌を携えた父娘は二人、夜の闇に包まれたグレンダンの空を駆け抜ける。

今夜を、この世界に於ける新たな伝説の幕開けにしよう。リグザリオの計画にも、原作者の筋書きにも載らぬ、誰に望まれる訳でもない物語。

創生に関わる者たちの思惑など、最早知った事ではない。女王が天剣を以って大厄を迎え討つのであれば、自分たちはその影より忍び寄って真の敵を狩り取るだけだ。

アイレインたち異民は、天剣授受者がナノセルロイドを討ち漏らした時の保険とでも思っておけば良い。本来彼らの因縁は、旧世界が滅びたと同時に殆どが清算された様な物なのだから。

あるいは避け様の無いナノセルロイドとの戦いも、成長したリリウムが天剣と肩を並べる事で遥かに容易な物となり、本当に旧世界の異民たちを蚊帳の外に置く事になるやもしれないのだが。

アントーク家の老人などは論外だ。敵の全容を見据えられず、策を弄して調律者を気取る愚か者に、何が成せるという物か。

 

「我々で、イグナシスの遺物を叩く。ディクセリオ・マスケインも、強欲都市の廃貴族も、その生まれた意味も成せぬうちに消し去ってやる」

 

故に今は雌伏の時だ。時が来れば、幾重もの運命は一つの場所へと集約して行くのだから。

運命の地、学園都市ツェルニ。或いは自分たちが生まれるのがもっと早ければ、ディクセリオの動向をシュナイバルに掌握されるより先にツェルニで全てを終わらせられていたのかもしれない。しかしそれも過ぎた事だ。

アイレインとリグザリオ、そしてニルフィリアを出し抜く用意がユリウスには有る。イグナシスの悪足掻きから始まる茶番劇の顛末を知る転生者の知識が、それを可能とするのだ。

己の頭の中にしか無い、有り得た筈の結末。そんな不確かな物を信じ、在るべき筋書きをなぞらせる事に腐心する事に意味など無い。ならばこそ、全てに幕を引くのはこの手であるべきだ。

 

「物語の筋書きを定める脚本家は、私だけで良い。真の敵を討つ英雄はリリウム、お前だけで良い」

「お供致します。お父様の望む運命の先に、お母様の願った未来が在ると信じて」

 

まずはグレンダンに潜み、来る筈もない機を窺う狼面衆どもを端から潰して行く。

煩わしいだけの羽虫だとしても、あれはあれでイグナシス勢力の先遣隊としての最低限の役割を担っているのだ。

奴等を追い続けた先には、必ずあの男がいる。憐れむべき道化にして全ての災厄の集約点、イグナシスの写し身にして討たれるべき最後の敵、ディクセリオが。

己の生まれた意味を知らず、自らに内包された因子が惹かれるままにイグナシスの塵と戦い続けるディクセリオは、電子精霊の都市間ネットワークである『縁』システムの一部の制御権を得た事で、各地で暗躍する狼面衆の討伐のため世界を転々としている。

都市と都市とを自由に行き来するディクセリオと直接接触出来る可能性は限りなくゼロに近い。だが行動指針を理解した上で間接的に遭逢を狙えば、その確立は飛躍的に上昇する。

運命の時が来るより先に、彼らとは何かと因縁深いグレンダンでディクセリオと遭遇出来れば御の字。仮に出来なくとも、出現を予想出来ている数度の機会に賭けるだけだ。

廃貴族ヴェルゼンハイムが完全な姿となって顕現するより先に、依り代であるディクセリオを消滅させる。それが唯一無二、最善の一手だ。

 

「獄炎の餓狼と、その担い手であるマスケイン家の末男。憶えておけ、お前の討つべき敵を奴らはそう呼ぶ」

「……私が、討つべき物」

 

転生者の持つ神の視点を、そのまま娘に教える理由は無い。

リリウムもまた、このレギオス世界に生れ落ちた登場人物の一人であればそれで良い。盤上の駒を動かし、他の打ち手すらを駒に落とし込む存在は、ユリウス・ライヒハート以外に必要無い。称えられるべき英雄に、舞台の主演に雑念は無用だ。

 

――――踊れ、リリウム。この世界で誰よりも貴く、尊く。この父が、舞台の最も輝かしい場所へとお前導いてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからの狼面衆との戦いは、ユリウスの想い描く通りの物へと変わった。

戦場に佇む、一輪の可憐な花。それを迎え撃つは数だけが取り柄の有象無象。

白百合の少女から放たれる白刃の煌めきは塵どもを容易く斬り飛ばし、受けた狼面衆はそれが斬撃であったと認識する事も出来ないままに消し去られて行く。

それは振り下ろされる死神の鎌だった。元より並みの武芸者集団に劣る戦力しか抱えず、特異な能力と狡っからい悪知恵を頼りに戦術的勝利を捨て、広義での目的達成を指針にしていたのが狼面衆ではあった。しかし長い歴史の中でここまで一方的に蹂躙されるのは、恐らく数える程しかないであろう。

狼面衆が如何ほどの物量を以ってしてもリリウムには指一つ触れられず、実体を伴わない狼面衆を斬った所で返り血の一滴が飛ぶ事も有り得ない。故に、断罪の鎌を以って戦場を舞うリリウムの可憐さを穢す物は何一つ存在しない。

その光景は凄惨でありながら鋭利な美しさを醸し出していた。己の用意した舞台を舞う娘の姿を、ユリウスはただ静かに見守った。凡俗の身で天才の娘と肩を並べようとした所で、その宝石の如き輝きを燻らせるだけだと分かっているのだから。

 

「よもや此処までとは……! 古き血に眠る化け物を呼び起こしたか、狂人めッ!」

「大仰な口上を捲くし立てた所で、こうも脆弱では虚しさしか残らないでしょうに。余りに脆い、これでは木偶にも劣りましょう。己が身が木偶に在らず、知性ある者としての誇りがあるならば、せめて散り際だけは潔く在ろうと思えませんか?」

 

子供であるが故の純粋な疑問に狼面衆は何も返しはしなかった。

自負や矜持やなど、元より奴等に有りはしない。たった今連中の胸中を占めているのは、死を伴わない筈の斬撃に感じる恐怖から如何様にすれば逃れられるか、そんな所だろう。

相手を化け物と罵りながら、自らが弱者で在るが故の慈悲を期待せずにはいられない。何と無様か、何と身に憶えのある在り方か。

天剣授受者を初めて目にした時の自分の姿が狼面衆と重なり、堰を切った苛立ちを向ける先を求めてユリウスは己の錬金鋼を振るった。

既に総崩れしていた狼面衆たちは、ユリウスの一撃によって残らず消え去って行った。

 

「リリウム、奴らの問答に一々付き合うな。所詮は畜生だ、連中にまとも思考能力など残されてはいない。慈悲深さは美徳だが、温情の意味を履き違えるなよ」

「……申し訳ありません、お父様」

 

男親の粗野な物言いだが、元より一を聞いて十を知る聡い娘は、小さく頭を下げて理解を示した。

……それにしてもと、大鎌を握る己の腕を見た。今しがた放った狼面衆への斬撃は、自分自身で目を覆いたくなる様な無様な一撃だった。

鍛錬は死に急いでいた頃ほどではないにしても増やしている。武芸者の肉体的な衰えは年齢的にまだ先であるし、実際にまだ感じてはいない。しかし、ユリウスの腕は以前より確実に落ちていた。

 

同じ流派を使う本物の天才、リリウムの強さを目にした事で己の技が相対的に劣って見えるのだと自分を慰める事は出来る、だとしてもだ。ユリウスが感じている自身の実力の低下は、とても無視出来る程度の物ではなかった。

身体の一部とさえ思っていた大鎌から感じる違和感、イメージ通りに走らなくなった斬線、より精密さを求められる剄技は明らかに精細さを欠き、体術など思考よりもコンマ数秒も遅れる時がある。

何より致命的だったのは、ここまでの異常を自覚していながら何が原因か皆目検討も付いていない事だ。技術的な問題であれば流派の第一人者である自分が気付かない理由は無く、何よりリリウムが見逃す筈がない。病の兆しもなく、健康状態は至って平常そのものだ。

たとえユリウスがどれだけ衰えようとも、何れ来る未来に必要なのはリリウム一人。露払い役の一人が減った所でユリウスの計画に支障はない、それだけが救いであった。

 

「イグナシスと我々の間に和解の可能性は存在しない。それはアイレイン・ガーフィートとの戦いの時から変わらぬ不文律だ。惑うなリリウム、己が切っ先を向ける意味を見失うな。お前がお前のままで在る限り、ライヒハートの技は確実にお前の望む物を斬り続けるだろう。お前が斬ったその先に、我々の望む平穏が有る」

「……血塗られた道の先に在る平穏に、安息は残されていますか? 健やかなる世界の為に世界を仇敵の怨嗟で満たす事に、矛盾は存在しないのでしょうか」

「矛盾など、この世界はその成り立ちから既に孕んでしまっているさ。我々は変えるのではなく、ゼロに戻すのだ。創生から続く怨恨の根源を絶ち、イグナシスの意を汲む傀儡どもの最後の一つまでを叩く。それによって、この世界はようやく本当の意味で始まる事が出来るんだ」

 

必要なのはリリウム一人。だからこそ、ユリウスは焦りを感じている。

この娘は正しく導かれねばならない。このどんな宝石にも勝る輝きを、他の何者かに穢される事は有ってはならないのだ。

今も世界の裏側で策謀を巡らせる魑魅魍魎どもは、世界の運命に干渉する者を決して見逃しはしない。唯一にして最大の手駒であるアントークの大老に限界が見えているシュナイバル。悲願成就の為、既にアイレインとサヤをも欺く用意に入っているエルミ・リグザリオ。元よりこの世界に縁を持たず、私怨を晴らすべく憎悪に身を焦がすニルフィリア。

或いはナノセルロイドではなく、彼女たちこそがイグナシスの首を取る上で最も恐るべき障害なのかもしれない。

 

ディクセリオの首を切り落とすのはリリウムの役目だ。それに不足が有るとは微塵も疑っていない。

ユリウスの仕事はシュナイバルたち他陣営の頭を抑える事だが、今現在なお進行中である自身の衰えは、何れ計画に支障をもたらすアキレス腱に成り兼ねない。

目的の最中に果てる事に恐怖はない。志し半ばにして泡沫の夢と消え行くのが、何よりも恐ろしい。

夢を、夢のまま終わらせる訳にはいかない。己が此処に在る意味を、アリシアと過ごした日々を、リリウムが生まれた奇跡を。夢現のままに、無価値の中に埋もれさせはしない。

 

「一個人が、世界の生まれた意味を定めるなどと。それは人の傲慢です、お父様……」

 

一人の少女が呟いた言葉は、それを向けた相手に届く事が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場は熱気に沸いていた。

武芸の盛んなグレンダンに置いて最も格式高く、由緒有る天剣授受者選定戦が遂に終わりを迎えたのだ。

選定とは言った所で、この機会に優勝者が天剣を授与される事は極めて稀だ。この大会では予め結果の見えていた、それこそ試合など不要とも思える実力者が勝者であった時のみ天剣授受者が生まれる。丁度、今回の時の様に。

 

「よく見ておけ、リリウム。あれがお前を越え得る可能性を持つ、この世界で唯一にして最大の異端者だ」

「サイハーデン流刀争術の、レイフォン・アルセイフ様……」

「そうだ。尤も、彼は既に天剣授受者のレイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフではあるがね」

 

サイハーデンではなく天剣授受者、この違いが持つ意味は大きかった。少なくとも、ユリウスにとっては。

"原作"に置いての主人公の姿を、せめてこの目に焼き付けておこうとリリウムを伴って会場に訪れたが、やはり無駄ではなかったと実感している。

振るわれる剣技の数々は斬撃武器を扱う者として嫉妬を通り越して感動すら覚え、行使される剄技は如何なる理屈の上でならああまでの威力を発揮するのか想像も出来ない。

あれで本来の形である錬金鋼を手放しての実力だというのだから、その異常さには震えを感じる程だ。それでいて彼の異常さの本質の有り所は能力ではなく、その在り方に存在しているのだ。

 

「"虚無の子"。狼面衆は彼をそう呼んでいた。とは言っても、あの木偶の坊どもは自分達が用意した虚無の子の所在どころか、生存しているか否かも把握していないのだがな」

「虚無、ですか?」

「あらゆる運命に囚われる事無く、全ての事象に運命の輪の外側から決着を付けられる存在……らしい。意味する所は分からん。何らかの因子を埋め込まれているとも言っていたが、どうせ奴らの事だ。アイレインに纏わる何かが相場だろう」

 

レイフォン・アルセイフが一体"何"であったのか、などと考えた所で一人意味の無い水掛け論になるだけだ。何せ原作でも結局明かされず仕舞いだったんだからな……と、ユリウスは内心で苦笑を漏らした。

しかし同時に、リリウムの能力はレイフォンに劣る物ではないとも確信を得た。少なくとも、あの少年の錬金鋼がが刀でなく剣、加えて天剣でないという条件の上でなら、勝利するのは七割方リリウムと見た。

親の贔屓目と言えなくもないが、ユリウスとて腐っても武芸者だ。その辺りの目利きに私情の分を加算したりはしない。

それだけ娘の実力は常軌を逸しているのだ。だからこそ、今ユリウスが目指している目標には現実性がある。

 

「どれだけの強さを得ようとも、運命に縛られた者が関われる"縁"とは驚くほど小さな範囲の中だけに留まる。大叔父上やサーヴォレイド卿ですら届かない場所に届き得る者、それがレイフォン・アルセイフだ。憶えておけ、リリウム。何れお前の運命が彼の存在と交わった時、彼がそこに在るのはお前が理解するよりも遥かに大きな意味を持つ事実になる」

 

実際にレイフォンを目にして、漠然とだが分かった事もある。あれだけの実力を持ち得ながら、原作でのレイフォンは最終決戦の開始に至るまで、どの勢力も彼を取り込もうとせずその動向は静観され続けていた。彼を戦力として使おうと思えばどの勢力もその為の材料は揃っていた。彼と深い縁を持つニーナを擁し、ジルドレイドを失っていたシュナイバル。リーリンの反対が有ったとはいえ、十二本揃えてこその天剣に空席のあった女王アルシェイラ。リグザリオとニルフィリアはそもそもサヤの生み出した世界の住人を端から信用していなかった節も在るが、それでもレイフォンが唯の劣化アイレインでないのは感覚的に察知していた事であろう。

 

志向性を持たない力の塊。要は戦闘能力のみが突出して向うべき先が定まっていない者を、戦力として内輪に抱える事を避けたのだ。

結局の所、レイフォンは最後まで各陣営が何故戦っているかの情報を得られず仕舞いだったのだ。気の遠くなる下準備の果てに迎えた滅亡か存続かの戦いで、情報が無いが故に意識が同じステージに立てていない者を今更重用する意味を誰もが見出せなかったのだろう。

現にユリウスも、レイフォンの存在に惹かれる事はなかった。未来を知るユリウスにしてみれば、レイフォンは決戦直前になってもどの勢力の息も掛かっていないフリーの武芸者としては、文句無しで最強の存在だ。

この世界に来て浮かれていた頃のユリウスであれば、あの手この手でレイフォンを懐柔しようとしたかもしれないが、それも遅過ぎる話だ。

この手にはリリウムというエースと、原作知識と言う名の鬼札がある。故にどうしてもレイフォンでなければならない理由は何処にも無い、それこそ他の陣営と全く同様に。

 

「行くぞ、リリウム。興行の合間に出来る街の静寂は奴らの好物だ。今も鼠どもが飽きもせずにコソコソ動き回っている事だろうさ」

「ええ、察知しました。グレンダン中央……これは王宮ではありませんね。恐らくユートノール本邸かその離れが狙いだと思われます」

「はっ、よくもまあ見当違いの所にノコノコと。だが、王族を狙われているとなると悠長にもしていられん。キュアンティス卿のお手を煩わせる前に終わらせるぞ」

「畏まりました」

 

小狡い狼面衆の考えなど深読みするまでもない。天剣絡みの行事で女王と天剣授受者が出払っている内に、前党首を亡くして弱っているユートノール家に踏み入ろうというのだろう。

狙いはミンス・ユートノールの殺害か、洗脳か。彼の人となりを考慮すれば後者の可能性が高いだろう。連中もユートノールの権威が形骸化しているのは知っているだろうに、涙ぐましい事だ。

とはいえ、分かっていて好きにさせてやる理由もない。どの道ユリウスが見逃せば、それを把握したデルボネが適当な戦力を見繕い、ユリウスの真意を疑われるだけだ。

女王の影武者であるエアリフォス卿から略式的に天剣を授与されるレイフォンの姿から背を向け、ユリウスは己の望む戦場を目指して歩き出した。

時は止まる事無く流れ続け、然るべき時は着実に近付いている。原作、主人公、そんな物も所詮は流れ行く時の中に埋没してしまう程度の意味しか持ち合わせてはいなかった。

故にユリウスは歩みを止めない。望むべき結末は、求める未来は、すぐ手に届く所に在るのだから。

 

 

 

 

 

会場を後にする父親の背を追うリリウムは、少しだけ今来た道を振り返った。

遠くに見えるのは、つい先程生まれた最も新しい天剣授受者。リリウムと同じ年齢でありながら、リリウムが知る中で自分が唯一勝てるか分からない大叔父と同じ位に辿り着いた者。

 

「……なんて、窮屈そうに息をする人」

 

――――斬れない。リリウムがレイフォンを見て抱いた感覚は、生まれて初めての物だった。

武芸を始めて数年が経った頃から、リリウムは武芸者であろうと汚染獣であろうと、如何様にすれば対象を斬る事が出来るか一目見れば理解する様になっていた。

師である父にせよ、未だ届かぬ大叔父にせよ。実現出来るかはともかく、仮にお互いが死合ったとして己の実力で成し得る勝利へのビジョンは既に固まっている。

だが、レイフォンにはそれが見えない。彼の強さは大叔父の様な老成された物ではなく、父ほどの狂気に身を蝕まれてもいない。それどころか自分で自分の最得手を手放すという、武芸を修める者にとって到底理解出来ない矛盾を抱えた行動をしている。

父が彼を特別視するのは、こういう意味なのか。或いは虚無の子とは、そんな理解の範疇外に在る者なのか。

 

「あの人を斬れる様になれば私にも見えるのでしょうか、お父様の見ている世界が。リリウムには分かりません、お母様……貴女が何を知り、何を見ていたのか教えてくれていれば、私もお父様もこんなに苦しまなくても良かったでしょうに」

 

亡き母との在りし日々に思いを馳せる。しかしそれに意味は何一つ無かった。

父に言われるまでもなく、リリウムには斬る事しか出来ない。母がリリウムに与えてくれた物は、父がくれた物よりもずっと多い。

教養や道徳、子に与えられるべき教育は、殆ど母にしてもらったと言っても良い。けれどリリウムは武芸者で、しかも余人が立ち入る事の出来ない境地に生まれた時から立っている存在だった。

故に、斬るしかない。母は人として当たり前の倫理観を娘に与えた癖に、この才能を振るうべき先を終ぞ示してはくれなかった。

何が正しくて何が間違っているのか、そんなのは当たり前の道徳観に照らし合わせれば考えるまでもなく分かる事だ。

けれど、リリウムには斬れてしまう。それが破滅への旅路だと分かっていても、父が言うのであればリリウムには斬るしかなく、それが出来てしまうのだ。或いは斬れてしまう事こそが不幸であり、この身が無才の凡庸な少女であれば、自分も父も有り触れた幸福に一喜一憂するだけのささやかな人生に満足していたのかもしれない。

 

「空の上に居るお母様は、今の私達に満足してくれていますか? リリウムは全てを斬り伏せます。お母様が、お父様を止めてくれなかったから」

 

虚空に向けた囁きは、寂寥に濡れた恨み言であった。

自分が誰より愛した母。娘を深く愛し、その父を娘よりもずっと愛していた愛に生きた母。彼女の愛は一人の男を狂わせ、このままでは何れ世界までを狂わせてしまう。

斬る事しか出来ないリリウムにはそれを止める術が無い。しかし母ならばそれを止められた。超越的な武芸の才などなくともそれを容易く可能とする、それがアリシア・ライヒハートだったのだから。

リリウムは母から優れた容姿と聡明さを授かったが、その人間性だけは受け継ぐ事が出来なかった。リリウムの感受性は、父と同様に大半の人間から逸脱した物ではない。

それが幸運だったのか不運だったのかは亡き母にしか判らないだろう。或いは、もう一人の自分が生まれなかったからこそ、アリシアはリリウムを愛する事が出来たのかもしれないが。

 

「お恨み致します、お母様。貴女はご自分が没した後に何が起こるか、全て知り得ていたでしょうに。お母様が、お父様を鬼にしました。満足ですか? 貴女が大好きなお父様は、貴女が愛したそのままで今を生きています。貴女が魅入って、恋い焦がれた、最も愚かな生き方で」

 

思い出の中にしか存在しない母は、何も答えをくれはしない。

この感傷も、後悔も、何時かは斬って捨てなければいけない雑念なのか。

リリウムの憂いを晴らす者は誰も居なかった。母も、そして父も、あの葬儀の日以来リリウムの元へと戻っては来なくなってしまったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦いは続く。狼面衆を倒し、汚染獣を倒し、ライヒハートの父娘の名はグレンダンに鳴り響いていた。

特に一戦を経る毎に鋭さを増すリリウムの実力は、既に一般の武芸者からは畏怖を込めた賞賛を送られる程であった。

曰く、ライヒハート創始者の再来。その容姿を呼び称える名も幾つか囁かれているが、中には飛び切り不敬な"ライヒハートの原義を体現する者"―――つまり天剣授受者をも打倒し得る武芸者、などという喩えもあった。

 

しかし、ユリウスの内心は穏やかではなかった。

リリウムが強くなる度、戦場で多大な戦果を上げる度、その問題は浮き彫りになって行く。

汚染獣を薙ぎ払う強さ、味方をも震撼させる圧倒的な強さ。そんな物は、リリウムの本当の実力のほんの一端でしかないのだ。武芸者として戦闘に求められる全てを天より与えられしリリウムにも、たった一つだけ足りないが有る。

そう、武器だ。莫大な剄力と、それから繰り出される神域の御業に耐え得る錬金鋼を、リリウムは持ち得ていない。

グレンダンでは十二振りしかない至高の錬金鋼。曰くアイレインの肉体の一部から生み出された最強の錬金鋼。それと同等の物を得る事が出来るのは、この世界を生み出したサヤと同じ能力を持つ存在に認められた者だけ。

 

ユリウスは焦っていた。ただ静かに、それを娘に勘付かせる事もなく、静かに狂っていた。

既にリリウムの才能は、既存の錬金鋼の限界を越えて尚伸び続けている。しかし、それも時期に頭打ちが来るのは目に見えている。事実、最近のリリウムは己への追従を果たせない大鎌への不満を見せずにいながら、先の見えた己の限界を悟っている様にも感じられる。

現状に甘んじる訳にはいかない。リリウムが成長するのと反比例する様に、ユリウスの刃は輝きを失い続けている。何れ自分は使い物にならなくなるだろう。その焦りが、ユリウスの胸中に黒い炎を燃え上がらせていた。

 

「……天剣だ。天剣が、必要だ」

 

今から放浪バスに乗って、ツェルニで眠るニルフィリアに助力を懇願する? 一瞬でも頭を過った事に唾棄する程の馬鹿げた考えだ。敵対する事の分かりきった相手に生命線を握られる上に、必ず倒さねばならない狂犬と並べて犬扱いされるのが目に見えている。そもそも、それを実現するセレニウム・エネルギーの当てなど何処にも無い。

しかし天剣の空席は残らず埋まったばかりだ。何れノイエランとキュアンティスに埋められない空席が出る事に確信染みた予測は出来ているが、それでは遅すぎる。

時は刻々と過ぎ、状況には一刻の猶予もない。今こうしている間にも黄金に勝る価値の時間は無意味に浪費され、それが決戦の時まで続くなど絶対に有ってはならない事だ。

 

――――考えろ、手は有る筈だ。最善でなくとも次善が、最良が。転生者の持つ知識ならば代案を建てられる筈だ。

 

「空席が無いからリリウムは天剣を得られない……そうだ。無いのなら、作れば良い。空席を、この手で」

 

胸の穴に何かがストンと落ちた瞬間、ユリウスの胸中がドス黒い粘性の物で満たされた。

そう、リリウムの強さは未だ進化を止めない。あの娘は強くなる、もっともっと……自分とアリシアの夢が、希望が、運命の前に膝を付く有象無象どもに負ける筈が無い。

そう、今の天剣授受者など決戦に置いては所詮前座だ。より強き者が天剣を持つ、それは真理でありユリウスは己にこそ正当性があると確信している。

 

天剣を手放すべきは、老い先短いロンスマイアの老人か?

それともリリウムが好きで堪らない愚鈍な大叔父上殿なら、寧ろ本望とでも思って下さるのではないか?

狼面衆如きに身内を操られたルイメイ、まんまと操られて造反に加担したカナリスなどは、ここで退場させてやるのが温情ではないのか?

 

いいや、いやいや。居た筈だ。

あの十二人の中に最も天剣に相応しくない者が。未来を築く為に現在を邁進する自分たち親子とは比べることも出来ない程、救い様も無い愚か者が。

標的が決まれば、後は手段を用意するだけだ。リリウムの手を汚させる気などさらさら無い、こういった汚れ仕事こそがユリウスが本当にやるべき仕事だ。

そうして、その手段は自分たちからやって来た。思えば奴らは何時だってそうだった。ユリウスが望むべき時に現れ、望むべき糧となり、望むべき結果を齎して来た。

 

薄暗い明かりで照らされた自室で佇むユリウスの背後に、仮面を付けた人影が立っていた。

狼面衆。今となっては、狼面衆はユリウスにとって隠居して以来音沙汰も無い前当主よりも長い付き合いになる。

不憫で健気な、可哀想な奴らなのだ、狼面衆は。ここに至ってしまえば、寧ろ愛着すら沸いてきてしまう程に。

 

「知りたいか? 俺が何故お前たち、月の敵対者の全てを知っているのか。欲しくはないか? 俺の技が、未来を紡ぐライヒハートの処刑鎌が」

「この出会いを我々は祝福しよう。原初の都市の歪みより産まれし者、ユリウスよ。この契約の先に、我等の願いし安息の在る事を共に祈ろうではないか」

 

差し出されのは獣の面。彼らが付けているのと寸分違わず、まるでコピー機に掛けたかの様に全く同じ面。

これが凡人が天剣授受者を殺す唯一無二の方法。毒も殺剄による不意打ちも意味を成さない化け物どもを出し抜く、世界に容認された絶対的な抜け道。

それをユリウスは迷う事無く掴み取り、己の顔へと貼り付けた。

 

「さあ力を貸せ、狼面衆ッ! 世の理に背きし天剣を、ライヒハートが裁く。俺が、このユリウスが、我が一族の宿願を果たす時が遂にやって来たのだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亜空間増設機によって発生させたオーロラ・フィールドは、武芸者の感覚を全て遮る。

それは完璧な物だ。一部の者がオーロラ・フィールドその物を感知出来ようとも、その中で何をしているかまでは把握出来はしない。

この技術が天剣授受者キュアンティスすらを欺く。未だ幼いロンスマイアとユートノールの後継者など、この計画を察知する事すら出来ていないだろう。この感覚を持つ者の死角をユリウスは知り尽くしている。狼面衆と対峙して日の浅いクラリーベルやミンス、そしてリリウムの気付かぬ内に事を成すなど造作も無い事だ。

 

そして、居た。グレンダン商業区の一画、まるで運命だとばかり人気の無い裏路地に。

ボサボサに跳ねた茶髪、何処かぼんやりとしながらも歳相応の輝きを放つ青い瞳。まだユリウスの胸ほどまでしかない身長の少年、天剣授受者レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフが。

いいや、その名は相応しくない。尊きヴォルフシュテインの名は、これよりリリウムの物になるのだから。その名を傭兵団上がりの粗野な野良犬風情にくれてやる気も、名を汚して都市を去る紛い物に預けたままにする気も無い。

買い物帰りか、食材の入った麻袋抱えたレイフォンは金髪の少女と連れ添って歩いていた。

 

あれが、リーリン・マーフェス。いと貴きユートノールの正統にして、世界の守護者たるアイレインの今世に顕現せし姿。

しかしあの少女とて所詮、未だ運命を知らぬ童女だ。その右目に世界を変える程の因子を内包していようとも、背後で息を潜める間者の一人にも気付けない。

彼女にはまだ踊って貰わねばならない。物語を彩る悲劇のヒロインとして、真の救世主たるアイレイン降臨の贄として。故に、ユリウスが首を撥ねるのはただ一人。

 

「お前だ、レイフォン……! お前は天剣に相応しくない。お前は、主人公に相応しくなどないッ……! この物語の主人公はリリウムだ。俺とアリシアのリリウムが世界を救い、未来を掴み取るッ――――!!」

 

そうだ、奴は主人公などでは断じてない。

正義を持たず、挟持を持たず。天剣の威光を血によって穢し、懺悔に費やされるべき時を学園都市の微温湯で腐っていただけだ。運命に関われるだけの実力を持ちながら、踏み込むべきを踏み込まず。再び天剣を得る機会が何度も有りながら、半端者のハイアとクラリーベルに至高の錬金鋼を握らせる事を由とした。

虚無の子として女王ですら関われない領域に立ち入る権利を与えられながら、やった事といえば数多の英雄たちが築きし最後の決戦に内輪の事情を持ち込み、子供の様にみっともなく喚いて持て余した武を振り回しただけだ。

 

今になって思う、今だからこそ言える。"原作"の、あの物語の主人公は、レイフォンではなかった。

物語の主人公はアイレインであり、ディクセリオだった。原作本編というのは彼らの生きた軌跡の終着点以上の意味は持たず、真の意味での主人公は不在であったのだ。

だからこそ、リリウムが相応しい。この物語の行く末を知る転生者が手塩に掛け、正しくそう在れと産まれて今日までの日々を見守り、磨き上げて来たのだ。

故に、リリウムが主人公だ。リリウム以上に相応しい者など、存在する筈がないッ――――!!

 

「消えろ、誰にも望まれない世界の異物め。物語に二人の主人公は要らない。リリウムが、俺のリリウムだけがッ……! この世界の主人公になれるんだ――――!!」

 

己の半身たる大鎌を振り上げる。失敗は微塵も疑っていない。

衰えていた筈の感覚は冴え渡り、身体には活力と剄が漲っていた。それこそ、もっと早く狼面衆と接触しておけば良かったと思える程に。

迸る剄の波動と煮え滾る様な殺意は、全てオーロラ・フィールドが遮断している。剄の防御が無ければ如何な天剣授受者とて一般人と変わらない。

故にこれは必殺の一撃であった。ライヒハートの原義、ここに果たされし。新たな伝説の幕開けを予感し、ユリウスは熱病に侵されたかの様に激しく荒れ狂う高揚感に溺れ喘ぎながら、大鎌を振るった。

 

 

 

 

 

 

そしてユリウスは見た。

地上の遥か上空で視界を360度回転させながら、首を失った己の身体を。

 

「は?」

 

間抜けな声が出た。もしかしたら、声が出せたと錯覚しただけなのかもしれない。

そこに有ったのは、無残に首を落とされたレイフォン・アルセイフの姿ではなかった。代わりに有ったのは欲に溺れ、狂気に侵され、一人踊り狂っていた道化の首から下が崩れ落ちるだけの特に面白くもない光景だ。

ユリウスは身体を失い宙を舞い、そして遂にその姿を目に捉えた。どれだけ視界が定まらくなくとも、その姿を見逃す事など在り得ない。その姿を目にした瞬間、ユリウスは己の身に起きた事を十全に理解する事が出来た。

 

 

振り抜かれた大鎌は白刃を煌めかせ、その輝きは月よりも妖しく蠱惑的だ。

その白金の髪も白磁の様な肌も血には染まらず、宝石の様に輝く瞳は何の感情にも揺れ動いてはいない。

あれだ。あれが、ユリウスの理想の体現者だ。有象無象を寄せ付けず、世界最強の戦力にも匹敵し、凌駕する。

その胸中に決して揺るがぬ信念を持ち、討つべき存在が例え何者であろうとも己の果たすべき使命を見失わない。

気高く、孤高で在れ。そう願ったそのままの姿で、それはそこに存在していた。

 

「そうだ、リリウムッ! それでこそ、それでこそお前は――――!」

 

宙を舞った首が再び重力に捕らわれる前に、ユリウスの意識は闇へと消えた。

最も若き天剣授受者も、その幼馴染である少女も、名も知らぬ男の死に気付く事は無く。その最期は誰にも気付かれもせず、看取られる事もなかった。

ただ一人、この世で最も愚かな男の狂気によって肉親を失った少女を例外として。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……馬鹿な、人」

 






あとがき

前話で感想を下さった方、次に期待をしてくれていた方、長らく間が開いて本当に申し訳ありません。
いえ、自分が遅筆な以外にも理由は在るのです。ブラ鎮ミスってまるゆが轟沈したり、その怨念でハードディスクが物理的に死んだり。まるゆの呪いですね。
PCで飯食ってけそうな友達が居なかったら、このSSは恐らく冗談抜きで三話でエタってました。ありがとうジョニー(あだ名)危うく精神的に死ぬところだった……

そんな珍事もありましたが、今回で何とか序章部分終了です。
切り場所が無くて普段の二話分とか自分的にはどえらい四話になってしまいましたが、自己満足の為にさらっとオリキャラ紹介をさせて頂きます。



リリウム・ライヒハート... 転生者とご都合オリキャラの間に生まれたとんでもハイブリッドヒューマン。厨二病が趣味嗜好ではなく生き様レベルに刻まれた、あの親にしてこの子ありな電波系美少女オリ主。

ユリウス君(故)...厄介な地雷要素を抱えたがっかりオリ主。結婚して病気が完治したと思いきや、相手が美人だったツケか病気が再発。原作と主人公を派手にディスりまくって踏み台転生者の面目躍如とばかりに大暴れした結果、実の娘に首から上を吹っ飛ばされる。

アリシア・ライヒハート...旧姓ミッドノット。カルヴァーンの姪という、書いてる本人がどうかと思う強引過ぎる立場のオリキャラ。正直に言うと「叔父様」って呼び方をやりたかっただけなのが始まりなのは余談です。出来る女と思いきや、その実態は踏み台転生者を更にドン底に突き落とす、地雷を越えた核地雷。何やら感想で悲惨な目に合うフラグを危ぶまれてましたが、最高に面倒な男を残してあっさり消えました。



それと一つ、お知らせが。今まで当SSで主人公ポジションにいたユリウス君ですが、なんと……実は主人公ではなかったのです!
石を投げられそうで戦々恐々としてますが、元々ここまでの話はプロローグにちょっと気合を入れて、前日談みたいな仕上がりにしたらオリ主に感情移入して貰えるかなぁみたいなノリで書き出した物だったりします。
なので最初は三話くらいでサクッとユリウス君は首を吹っ飛ばされる予定だったのですが、作者の力量不足故に普段の五話分相当に話が膨れ上がり、気が付けば踏み台転生者扱いするつもりだったユリウスが我が物顔で主人公ヅラしている始末に……

なので次回からはSSの本当の主人公、斬殺系オリ主のリリウムが話がようやく始まります。
微コミュ症な駄目社会人をイメージしたユリウスのキャラが意外なくらいに好評を頂いて若干迷いもしたのですが、申し訳ないと思いつつ当初の予定通り悪堕ちさせて頂きました。
というか、ユリウスを生かしたら代わりにアリシアが代打で悪堕ちポジションになっちゃうからね! レギオスSSで悪の女幹部をオリキャラでとか完全に罰ゲームというか、自分的にはドMの所業な気がします。

何はともあれ、ここまでお付き合い有難うございました。クソみたいな更新速度のSSですが、少しでも楽しんで頂けているのであれば幸いです。

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