In the dark forest(暗い森の中で) 作:kanpan
雑魚どもを片付けた後の暗い森の中。
バゼットは森の中をうろついては木の根元をガサゴソと探ったり、掘り返したりしている。
「……何をしているのかね。マクレミッツ」
バゼットの謎の行動をいぶかしんだ言峰の問いに、
「ああ、綺礼。野営の前に今夜の食料を確保しようと思いまして」
バゼットは真顔でそう答えた。
その手には泥だらけの木の根や不思議な形のキノコが握られている。
———まさか、こいつはアレを食料だというつもりなのか?———
言峰は危険を感じた。
「心配無用だ、マクレミッツ。
我々代行者は戦場に食材と調理器具を持参してきている。
森の中で怪しい植物をあさる必要はない」
「え?」
驚くバゼットの腕を引っぱって言峰は彼女を森から連れ出し、野営地点に戻った。
野営地点に戻った言峰はてきぱきと焚き火の準備をする。いつもよりも多目に薪をくみ上げ、周りにも追加用の薪をたっぷり用意した。
「さて、マクレミッツ。
君に是非とも頼みたい事があってな」
「なっなんでしょうか、綺礼っ!」
バゼットは全力で言峰の方を振り向いた。この男が私に頼みたい事があるとは!
「
バゼットはルーンで薪を盛大に燃やしていた。
「ルーンで火を焚いてくれ。火力強めでな」
というのが言峰のリクエストだった。
言峰はというとクーラーボックスから取り出した食材を携帯用まな板の上で器用に切り刻んでいる。
「綺礼、料理できるんですか……?」
代行者の意外な一面に、バゼットは目を丸くしている。
言峰は刻み終えた食材を大きめの中華用鉄鍋に放り込みながら答えた。
「最近は外国にいても故郷の食材が手に入るのでね。
まあ私が作れる料理はコレだけなのだが」
そう言いながら燃え盛る焚き火の上でリズミカルに鍋を振るいはじめた。
「ふむ、なかなかよい火力だ。
感謝するぞ。マクレミッツ」
「食材はともかく……、代行者たちは戦場に調理器具まで持参するのですか?」
「うむ。我々はそもそもチームで来ているしな。料理ができる者がいれば腕を振るう事もある。
まあ普段は焚き火では火力が足りなくてカレー派に押されてしまい、私が料理をする機会はまずなかったのだがな」
言峰が鍋を振るうたび、赤い何かが宙を舞うのが見える。
「はあ……」
ルーンで火力を維持しつつ、呆然と言峰の鍋さばきを見つめるバゼット。
引き続き言峰は食を語る。
「そもそも、君たち執行者は食に関して無関心すぎはしないかね。
私が知るある執行者も、片手で食事しながらもう片手で情報分析ができるからと言ってファーストフードを好んでいたらしいが、体に悪かろう」
「そうでしょうか……」
執行者たちが戦場に持ってくる携帯食料と言えばたいてい缶詰とレトルト食品だった。それすらなければその場で狩猟採集である。ちなみにバゼットはそれになんの疑問も不満も抱いていない。
言峰が振るう鍋の中では真っ赤な液体物がぐつぐつと煮えたぎっている。鍋の中身に火が通るに従って、鍋がシェイクされるたびに香辛料らしき刺激物があたりの空気に飛び散る。
「……!げほげほげほ……」
バゼットは飛び散った飛沫を不用意に吸い込んで派手に咳き込んだ。
こ、この赤い液体は何だ…? 何らかの魔術的薬品では…?
生粋の魔術師の家に生まれ育ったバゼットにとって怪しげな薬品作成は見慣れたものだ。というか、鍋でぐらぐら煮られている極彩色の液体は十中八九、魔術の秘薬というのが彼女の常識なのだが。
バゼットがそんな思考を巡らせていると、
「できあがったぞ」
と、言峰は鍋を降る手を止めた。
”紅洲宴歳館・泰山”風、激辛麻婆豆腐の出来上がりです。
「私の行きつけの店の料理が恋しくて、自分なりに真似て作ったものだ。
本物にはとても叶わないがな」
といいながら、言峰は器にその真っ赤なマグマのような汁物を取り分けた。
バゼットはこわごわと手渡された器の中で盛んに湯気をはなっている汁物を覗き込んでいる。
とにかく赤い、しかも熱い。
見ているだけで全身から汗が噴き出す。
器を抱えたまま凝固しているバゼットの横で、言峰はハフハフとその赤いモノを匙で口に運んでいた。
「どうしたマクレミッツ。
辛いものは苦手かね? それとも猫舌か?」
「そっそんなコトはありません、綺礼!
私に好き嫌いなどありません。
栄養が取れて素早く食べられれば食べ物は何でも構わないのです」
微妙にズレた返事をした事には気づかないまま、バゼットは意を決して麻婆豆腐の器に匙を差し入れた。
執行者たるもの。
食事は素早く効率的にがモットーである。
なので早く用意できる食べ物が良いのと同様に、食べきるのも早ければ早いほど良いのである。
バゼットは器を一気に空にする勢いで麻婆豆腐を口の中にかきこんだ。
「——————————————————!!!!!!!!!!!!!!!」
その数秒後、声を上げる事もできないままその場で悶絶する。
だがかろうじて器は手放さない。執行者の矜持である。震える片手で器を支えたままバゼットはうずくまっている。
辛い、
という表現をこれに当てはめていいのだろうか。
舌が焼ける。喉が痛い。息が止まる。
体が熱い。首筋に玉の汗が吹き出る。
「はあはあはあはあ……」
うずくまること数分。ようやく顔をあげたバゼットの目には涙がにじみ、鼻をぐずぐずとすすり上げていた。
言峰を見ると彼はまったく乱れぬペースのまま黙々と匙を器と口の中で動かしている。
———辛くないのでしょうか?
唖然とバゼットは言峰を見る。よく見ると言峰も眉根を寄せ、額に汗をにじませている。一瞬でも匙を止めればもう二度と動かせぬわ、という気迫で麻婆豆腐を喰いすすめていた。
言峰は口に麻婆豆腐をほおばりながらちらりと横目でバゼットを見る。
「どうした、マクレミッツ。
口に合わないかね。では風味を変える為に山椒でもつかうがいい」
と言って小さな瓶をバゼットに渡した。なにか香辛料が入っているらしい。
「ふぁい…ありらとうごらいます、きれひ……」
勧められるがままにバゼットは麻婆豆腐に山椒をふりかけた上でそれをほおばる。
「———っ!! けほけほけほけほ……」
山椒の粉末が気管と鼻孔に入り込み、またしても激しく咳き込むハメになったのだった。
「
かろうじて器一杯分の麻婆豆腐を平らげたバゼットは近くの森に入って木々に水のルーンと氷のルーンを放って無理矢理冷水を生成した。
口の中を冷やし、ようやく一息つく。
言峰は鍋いっぱいに作った麻婆豆腐を一人でおかわりし片付けている。もうすぐ鍋が空になりそうだ。
「綺礼、これはなんと言う魔術薬…いえ料理なのでしょうか。ルーンを使わずに火が噴けるかと思いました」
バゼットは真顔でそんな感想を述べた。
「これは四川風中華料理の一種で麻婆豆腐というものだ。
そうか、君は中華料理をあまり知らないのだな、マクレミッツ」
「なるほど。綺礼、あなたは中国拳法の達人だ。
きっとこれも修行の一環なのですね。さすが貴方の国には医食同源という言葉があるだけのことはある」
バゼットには中国と日本の区別があまりついてなかった。
最後の麻婆豆腐を決死の勢いでかき込んでいる言峰を見ながらバゼットは思った。
中国武術は思想を伴う。それだけでも我々西洋の魔術師には重荷に感じるのに、食に関してもこのような恐るべき鍛錬があるとは。奥深いですね…。
こうして執行者と代行者の夜はふけていく。
以上、麻婆豆腐でした。