「おー、ひでえ雨だった」
大雨の中ランサーが街から戻ってきた。
「おかえりなさい、ランサー。と、その手に抱えているのは?」
出迎えたバゼットはランサーが腕の中に茶色い生き物を抱えているのに気づく。それはランサーの腕の中でもぞもぞっと動いて頭を上げた。キュウンという小さな鳴き声がする。
「犬、ですか」
「ああ、雨の中で震えてたから拾ってきた」
ランサーが拾ってきたのは柴犬だった。若干体が小さいのでまだ子犬だろう。
「この国の犬種ですね。毛が茶色くて耳が尖っている。子狐みたいです」
バゼットは子犬の頭をなでてみたが、余り元気がない様子に見えた。
「寒さで震えていますね」
「ああ、怪我もしてる。車にでもはねられたんじゃねえかな」
ランサーの言う通り、子犬は足を引きずっていて血も出ている。
バゼットは子犬の体をタオルで拭いて、子犬の怪我に治癒のルーン魔術を施す。
母性の加護を示す
「よし、魔術は問題なく効いたようです」
怪我が治った子犬は元気に床を歩きまわりはじめた。皿にミルクを入れて与えてみるとよろこんで飲んでいる。
「そういえば、この子犬に首輪がついてるな」
ランサーはミルクの皿を夢中でなめている子犬の首を見た。真新しい革の首輪をしている。
「きっと誰かの飼い犬なのでしょう。飼い主とはぐれたのでは。明日街に探しにいってみますか?」
「そうだな、どうも犬は他人って気がしねえしなあ」
ランサーの真名クーフーリンは”クランの猛犬”という意味だ。ランサーは少年時代に鍛冶屋クランの自慢の番犬を殺してしまった。その際に、代わりに私があなたの番犬を勤めましょう、と申し出た事からついた呼び名である。
そういう故事もあるので、迷子の子犬をなんとなく捨て置けない気分がしたのだった。
次の日、ランサーとバゼットは拾った子犬の飼い主を探しに街に出かけた。
街中に入ったところでランサーは地面から小さな小石をいくつか拾い上げる。
「ランサー、何を?」
尋ねるバゼットにランサーはふふん、と笑って小石にルーンを刻み付けた。
「探知のルーン魔術さ」
バゼットは刻まれたルーンを見て不思議に思った。
「それは
昨日子犬の治療に
ランサーは答えずにへっへっへと笑っている。ランサーは原初の18のルーン魔術を身につけている。その内容の中にはバゼットですら詳しく知らない術もあるのだ。
「まあ、魔術での探知はオレにまかせとけよ、バゼット」
赤い目をぱちりとウィンクしてランサーは屈み込み、探知の魔術を施した小石を地面に散らして行方を観察している。
魔術の秘密は内緒らしい。ずるいです、とバゼットは思ったが、なにしろ英霊の魔術だ。人間の理解の及ばないところがあるのかもしれない。
「わかりました。では私は街中で聞き込みをしてきます」
バゼットは子犬を抱えて立ち上がった。
まずは橋の方にでも行ってみようか。誰か知り合いがいるかもしれません。
未遠川の大橋の前。
バゼットは見知った人間がこちらに向かってくるのに気づいた。
「あ」
「やあ、バゼット」
バゼットの前からやってきた人物は衛宮士郎だ。
「おっと、今は戦闘は無しな、昼間だし」
士郎は緊張した笑顔を浮かべながら両手を上げて不戦のポーズをとっている。バゼットとしては出会い頭からそんな態度をとられるのは心外だ、と感じたが日頃の関係上致し方ない。
「無論です、衛宮士郎。今日の私は戦闘の為に街に出てきたわけではありませんから」
バゼットは士郎に腕の中の子犬を見せつつ尋ねる。
「この子犬を探している人を知りませんか?」
「えっ、 犬?」
「昨日ランサーが拾ってきたのです」
士郎は子犬をなでてみた。むくむくしていて人なつこくてかわいい。
それはともかく意外だ……。この戦闘狂の主従が子犬なんかを構っているとは。
「貴方はこの町の人間だ。知り合いも多いでしょう?」
「そうだな。わかった、俺も手伝う。友達に聞いてみるよ」
バゼットの頼みを士郎は快く引き受けてくれた。なにしろ困っている人がいれば放っておけないのが衛宮士郎である。
「助かります、衛宮士郎」
「ああ、何かわかったら教えるよ」
そう言って軽く手を振りながら、士郎は新都の方に向かって去っていく。
「ふふ、手伝ってくれる人が見つかってよかったですね」
バゼットは子犬を抱え上げて話しかけた。
「さて、次は商店街に行ってみましょうか」
バゼットはほどなく商店街に辿り着いた。知人がいないかそれとなく周囲を見回しつつ、
通りを歩く。
が、バゼットが気づくよりも一瞬早く
「貴方はランサーのマスターですね」
横から先に声をかけてきたのは
「セイバー」
バゼットがそちらに向き直るとセイバーの姿があった。軽く身構えて鋭い視線を送っている。
「こんなところで敵襲とは……」
今にも武装しそうな気迫を発しているセイバー。小脇には紙袋を大事そうに抱えている。
「我が大判焼きは一つたりとも渡しませんよ、
先ほどヴェルデの地下食料品売り場でチョコレート、カスタード、チーズ各種大判焼きを買ってきたばかりです」
「……………………」
バゼットは黙ったまま首を振る。
「誤解ですセイバー、私は貴方の食べ物を狙う気はまったくありません」
「なんと」
「それに今日は戦闘をするつもりもない」
バゼットに戦闘の意思がないことを理解して、セイバーはようやく構えを緩める。
「では
「セイバー、この子犬の飼い主を探しています。知りませんか?」
バゼットは抱えた子犬を地面に降ろしてセイバーに見せた。
「もしかして、この子犬は……」
セイバーもいったん抱えた紙袋を地面に置いて、子犬を抱え上げてあちこち眺めている。
「心当たりが?」
ひとしきり眺めた後、セイバーは子犬を地面に降ろした。
バゼットの問いに、セイバーは目を閉じ、うーん、と腕組みしながら考えている。
「いえ、すぐには思い出せないのですが、どこかでこの子犬を見かけた気がするのです」
それにしても、とバゼットは子犬を見ながら思う。
セイバーにぶんぶんと尻尾を振っている。先ほどセイバーに会ったときから、この子犬はやけにセイバーに懐いている。
———正直、妬ましく思うほどだ。
むむ、セイバーは動物に懐かれやすいのでしょうか?
もしかしてセイバーのスキル、カリスマBは動物にも有効だとか?
これもサーヴァントのスキルの一環なのでは、とついつい考え込んでしまう。
「……あっ」
「えっ?」
唐突にセイバーの驚きの声がして、バゼットは我に返る。そして気がついた。傍らにいたはずの子犬がいつの間にかいなくなっていた。
慌てて通りに目を向ける。
通りの人混みの中に、セイバーの大判焼きの袋をくわえて逃げていく子犬の後ろ姿が見えた。
セイバーとバゼットはほんの一瞬の間、子犬から目を離して会話に気を取られていた。その隙に大判焼きの袋をくわえて子犬はダッシュしていた。
「なんと言う事だ、私を油断させておいて大判焼きを狙っていたとは!」
「待ちなさい!」
二人はすぐに後を追う。セイバーとバゼットは動物並に足が速い。子犬くらい捕まえるのはたやすいはずなのだが。
なにしろ相手は小さいので小回りが効く。道行く人々に「きゃあ!」「うわわわっ!」という悲鳴を上げさせつつ人々の間をすり抜けていく。
ちょうど買い物客で商店街がにぎわう時間帯。
「まいりました。今は昼前で人が多い。思いっきり走れません」
セイバーとバゼットが全力で走ろうにも通行人の妨害はできない。
子犬は路上駐車の自転車やバイクの隙間をぬって逃げる。セイバーやバゼットが入れない狭い隙間に入り込みながらどこかを目指して一目散に駆けていく。
「逃しません。大判焼きは渡さない!」
「いったいどこへ逃げていくつもりなのでしょうか……」
子犬は商店街を抜けて住宅街の路地を走っている。民家の塀に小さな隙間が空いており、子犬はするりと人の家の庭に侵入してしまった。
「む!ならば」
すかさずバゼットは地を蹴った。すぐ側の電柱を支店に三角跳びの要領で飛び上がり、塀の上端をつかむ。そのまま庭に躍り込もうと壁に足をかけた。
「だめです、
バゼットはセイバーにズボンの端を掴まれて制止された。
「セイバー、何をするのですか」
邪魔をされて不平をならすバゼットにセイバーをぴしりと言い放つ。
「敵を追走中といえども、人家に立ち入ってはなりません」
「……む、それはそうですね」
確かに子犬を追ってつい人の家に入り込んでは普通に不法侵入である。
追撃中に兵が民家に侵入しないように気を配るのは用兵の心得の一つ。さすがセイバーは王様だ。
たとえ、全力で追っている相手が大判焼きをくわえた子犬であったとしても。
「あの子犬を思い出しました、
そういってセイバーはどこかに向かって走り出した。
この子犬が向かう先は、おそらく……。
「セイバー!?」
バゼットも塀から飛び降りてすぐにセイバーの後を追う。
「ここは……グラウンド?」
セイバーとバゼットが辿り着いたのは未遠川沿いの公園だった。目の前にグラウンドがみえる。サッカーのゴールがあるようだ。
「ここが目的地なのですか、セイバー?」
バゼットの質問にセイバーは走りながら答える。
「ときどきここで少年たちとサッカーをするのですが、そのときにあの子犬を連れた少年を見た覚えがあるのです」
サッカーゴールの付近に人影が見えた。
「シロウ!」
そこにいたのは衛宮士郎。そして士郎の友人の三枝由紀香と弟のコウタがいた。
更にその隣には
「ランサー、貴方もここに?」
腕に子犬を抱えてへへっ、と笑うランサーの姿があった。
「由紀香にきいたら弟のコウタくんの友達が子犬を探してるって。だからここに呼び出してもらったんだ」
「オレの
それまでランサーの腕のなかでじっとしていた子犬がワン!と吠えてはしゃぎ始める。
同時にグラウンドの外から1人の少年が駆けてくるのが見えた。
「タロー!」
と叫びながらこっちに大きく手を振っている。
子犬もうれしそうにおもいっきり尻尾を振っている。ああ、彼がこの子犬の飼い主なのだろう。
「ふふ、無事に再会できてよかったですね」
満足げに呟いたバゼットに続けて、
「ええ、実にその通りです」
と、セイバーの声がする。
「……セイバー?」
ふと皆がそちらを振り返ると、セイバーが幸せそうに無事再会を果たした大判焼きをほおばっていたのでした。
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berkana(ベルカナ)
象徴:樺の木
英字:B
意味:誕生、成長、繁栄を意味するルーン。白樺は春の自然の覚醒や新しい生命の誕生の象徴である。母性、やさしさ、穏やかさを示すルーンでもある。子供が健やかに成長したり、物事が順調に進行する状態を暗示する。新しい出来事にも幸運をもたらす。
ルーン図形:{IMG5392}
ランサーがUBWでつかった探知のベルカナはルーンの元の意味からは根拠がよくわからない。というわけできっと原初の18ルーンなどの秘技なのでしょう、と解釈しました。