「ね、東堂、あのさ…」
「ん?なんだ、相良」
インターハイの練習の最中、メンバー6人+私が部室で休憩している時の出来事。
ボトルを宙に投げて遊んでいる東堂の肩を叩いて、上目遣いで東堂を見つめる。
ちなみに上目遣いなんかしたくないが、何故しているのかというと、今からする“とあるお願い”を受け入れさせるのにはこれが最善策だ、なんて新開と荒北が言うから仕方がなくしているだけだったりする。
自分のロッカーを見つめ、いつの間にやら設置されている鏡をのぞきながら、カチューシャをいじっている東堂が振り返る。
…うん、上目遣いって結構恥ずかしいね。
「えっとさ、そのさ…」
「ム…何だね?」
「…ニハリ、箱根に来るの?」
「あぁ、そのことか。あぁ、来るぞ」
―――ニハリことヴィンチェン・ニハリ。今年のツール・ド・フランスで2位に7分以上の大差をつけて総合優勝ジャージ、マイヨ・ジョーヌをゲットした選手。
そのニハリが、なんと今日、極秘でここ、箱根に来ているとの情報が入ってきたのだ。しかもさらに、箱根の老舗旅館であるコイツ、東堂の実家の旅館に泊まるとの噂。
東堂が肯定したのだから、間違いないんだろう。
「東堂東堂っ、ニハリに会いたい…!」
さらに上目遣いで東堂にねだる。…確かにコイツ、一瞬顔赤くしたな。上目遣いって怖いね、うん。
でも、旅館の関係者として、お客さんのプライベートなことは言えないらしい。
「だ、ダメだ!!客の情報は言えん!!」
「うー…だよねー…」
肩を落として、あからさまにしょぼんとしてみせる。そしてわざとらしく、荒北と新開が私のことを慰める。…意外とこの2人、演技派なんだよね。
「香咲、落ち込むなよ。しょうがないさ、相手はプロだ。ニハリもプロだが、東堂も旅館のプロなんだから」
「そうだヨ!!プロ意識ってヤツは、しょうがねーンだヨ」
「…そうだよね…しょうがない!!ツール・ド・フランスのDVD見て我慢するかぁー」
私たち3人の突然の劇についていけていない福富と泉田くん、悩んで頭を抱える東堂、どこまでもマイペースな真波。…いやぁ、いつ見ても個性的すぎるメンツだと思うよ。
さらに私たちの寸劇は続く。
「そうだ、寮でDVD見ようぜ、香咲」
「そっちのほうがじっくり見れるしいいんじゃナァイ?」
「…そうだね、荒北と新開の言うとおりかもしれないね!!」
3人で脳内花畑といった感じの私たちに割って入るように、東堂が声を上げる。
福富と泉田くんは肩を震わせる。ビックリしちゃったんだね、2人とも。なんかごめんよ。
「わかった!!親に…女将に交渉してみる!!」
―――私たち3人の怪しげな笑みが光った。
そして普通のママチャリで7人で向かう旅館。さすが老舗旅館。風格が違うね。
「何回かきたことがあるが、やはりすごいな…」
「そうか?まぁ、オレは幼い頃からここに住んでるから分からないがな!!…待てよ、天はオレに三物どころか四物あたえた―――」
「はいはい、そうですねー。じゃあいこっか!!」
「ム!!流すな、相良!!」
「先輩達、楽しそうですねー!寮でいっつもこんなことしてるんですか?」
「まぁそんな感じだな」
「先輩たちはいつも賑やかですもんね!」
「にぎやかすぎンだヨ!!」
そんなたわいの無さ過ぎる、もはやどうでもいい会話をしながら正面玄関についたとき。
―――目の前に飛び込んできた異彩を放つロードバイク。
その前方に見える、後光の差したようにも見える素晴らしく眩しい人影。
「に、ニハリ…!!!!」
思わず声が裏返る。当然だ。憧れの人がここにいるんだから。
今となっては荒北でさえ、声を失っている。一方東堂は、どこから出たのかわからない服に着替え、接客しようとニハリへと向かっていた。
「す、すごいな、尽八…」
「あいつ…旅館の息子なんだな…」
そんな東堂の―――普段は馬鹿でナルシストな東堂の、素晴らしくカッコイイ後ろ姿を横目に流しつつ、6人でニハリを見つめる。
結局姿を見ることしかできなかったけど、私たちの心には感動が残った。
ニハリを見ることの出来た感動と、なぜか悔しいけど、東堂のカッコいいところを見たことによる感動だ。
「…結構やるんだね、東堂…」
「ん?何の話だね?」
帰り道、何も意識してない東堂が、ちょっとだけ…うん、ほんのちょっとだけかっこよく見えた…りしないこともないかもしれないかもしれない。なんちゃって。
ヴィンチェン・ニハリは、ヴィンチェンツォ・ニバリのパクリです。