やばい。これはかなりやばい。
まず、どうしてこうなったのか私に説明して欲しい。
「なんで部室がこんなに…ぐちゃぐちゃに…!?」
目の前に広がるのはグチャグチャになった部室と、唖然とする部員と、その視線の先にいる福富と新開、荒北と東堂。
部室の中心にいるのは主力だし、まあいつものことだけど、今日は様子がおかしい。
いや、おかしいどころの話ではない。
「なんで…胸ぐらつかんでんの…?」
―――思い返してみる。今朝はなんてことなかった。
食堂で普通に挨拶をして、一緒に学校に行って。私は一応委員長なんてやってるから、その関係で部室に行くのがちょっと遅れて。…一体、何があってこうなった?
とりあえず近くにいる黒田に事情を聞く。もっとも、黒田もなにがなんやらって感じだけどさ。
「黒田、何があったのさ…?」
「いや、えっと…その…」
とここで、同じく動揺してる泉田くんがやって来る。
「泉田くん、何があったの?」
「相良さん…えっと、今日の練習メニューのことで、福富さんと新開さんが口喧嘩をしてて、それを見た荒北さんが珍しく新開さんに同意して、それがどうやら悪かったみたいで…福富さんが新開さんに殴りかかったんです。それを偶然部室に来た東堂さんが目撃して止めにかかったところ、荒北さんの振りかぶった拳が顔面に直撃してしまって…福富さんと新開さんは喧嘩を始めるし、荒北さんと東堂さんも喧嘩しだすしで、もうどうしたらいいのか…」
なるほど…そういうことだったのか。
どっちが正しいとは言えないけど、悪いのは先に手を出した方。
中学生の頃は毎日喧嘩三昧で、むしろ喧嘩しなかった日の方が珍しいような生活をしてた。喧嘩においてはプロ?って言い方をするのもどうかと思うけど、まあそんなもんだった私からしても、喧嘩で悪いのは先に手を出した方っていう認識はある。ていうか私のグループ内だったらそれが常識だったっていうか、なんというか。
荒北だってそれを分かってたし、福富に言われてるからって喧嘩はしないって言ってたから、振り上げた拳は多分ちょっとビビらせるため。うん、絶対にそうだと思う。
だって荒北は、仲間に殴りかかるようなことしないもん。
でもそれが東堂に当たっちゃって…そりゃあややこしいことになっちゃうよね。
しょうがない。後輩くんだってこんなにビビってる。
真波は相変わらずのマイペースで今日も遅刻。でもそれ以外の部員はビビってて、黒田や泉田くんはもちろん、葦木場くんなんて大きな体を部室の隅っこで丸めて怯えちゃってる。別の隅っこでは銅橋くんもまた然り。
いくら主力のメンバーだからって、こんな身勝手が許されるわけないもんね。
「…ありがとう、泉田くん、黒田。大丈夫、すぐ収まるはずだから」
「え…ちょ、相良さん、アンタ、何しようと…」
「黒田、あんたならわかるんじゃないの?…かつて横浜では知らない人がいないくらいに名を轟かしたんだよ、私?こんな小さな喧嘩、すぐに収めちゃうって」
ボキボキなる指が懐かしい。だんだん呼び起こされていくあの感覚。
「福富、新開、荒北、東堂」
胸ぐらをつかんだり殴り合ったり言い合ったり、したい放題の4人。
実は福富と新開の喧嘩は珍しいことじゃないけど、いつも荒北と東堂で止めてるからね。大事にはならなくて。
でも、今日は4人で喧嘩なんて、そりゃあ止める人はいないよね。
「相良、テメェには関係ねぇ」
「ちょっとばかり黙ってて貰えるか、相良」
「相良、下がれ」
「香咲、ちょっと退いとけ」
しかも4人ともやめる気はないらしい。…全く、自己中なんだから。
「いやだ。なんで私が下がらなきゃいけないわけ?」
「チッ…テメェ、バァカチャンがァ…!」
頭に血がのぼって、理性を失ってる荒北は私に拳を振りかざす。東堂からも拳。ついでに新開と福富からも。
「あんたらバカだってーの…いっつもこの部室綺麗にしてるマネージャーに…しかも女子に向かってさ、拳とか…」
ふっとこぼれた笑みは、どす黒い、真っ黒いものだったと思う。
「ッざけんなよッ!!!!!!!」
最大ボリュームで叫ぶ。同時に荒北、東堂からの拳を両手で受け止め。福富と新開は足を蹴ってバランスを崩す。そっちに気を取られた残りの2人の拳はフリーズ。素早く手を振り払って往復ビンタをかます。
部員は何が起こったのかわかんない、って顔してる。黒田はあちゃー…って顔。
そして4人は何が起こったのやら、っていうか、呆然とした顔。
「…頭冷めた?」
しゃがみこむ4人に上から尋ねると、恐怖のこもった視線が返ってきた。
―――やっちゃった、って自覚はある。
別に元ヤンだってことは1年の時、繭香たちが来たからバレてるし、みんなの前で公言まではいかなくても、まあそれなりに言ったことはあるし。
それでも、実際喧嘩したことはなくって。繭香たちの時は確か睨んだだけだったはず。あ、腕は払ったかも。でもそれだけ。
「相良…?」
呆然とした様子で荒北が声を漏らす。絞り出したようなそんな声。
「質問に答えて。…頭は冷めた?」
「ハ、ハイ…」
「ならいいけど…」
腰が抜けてしゃがみこんだままの4人を今一度見て、そのあとに取り巻く部員の中から何人かを探し出す。
「藤原、泉田くん、今日の練習任せるね。こいつらは…ちょっと借りてく」
「あ、あぁ…わかった。泉田、こい」
「はっ、はい!」
ちゃんと手は打ったし大丈夫。
「なら、行こうか、4人とも」
無言で部室をでる私に続いて4人も出ていく。
部室と寮の間くらいのところに向かう。木に囲まれた小さな広場みたいなところがあって、そこに4人を座らせる。
「…馬鹿なの?」
開口一番のセリフはこれ。4人も唖然としちゃってる。
「同輩や後輩を困らせて、怯えさせてさ…あんたたち、主力でしょ?インハイ出るんでしょ?なら、なんでそんなことの分別もつかないのさ!」
私の怒鳴り声だけがその場に虚しく響く。山に行ってると思われる真波には、もしかしたら聞こえてるかもな。…なんて、くだらないことを考えてみたり。
「福富」
私に名前を呼ばれた福富は大きく肩を震わせる。
「新開との喧嘩はしょっちゅうだし、喧嘩するほど仲がいいって言葉もあるくらいだからさ、喧嘩はいけないとは思わないんだよ、私。でもさ、中学生の頃は喧嘩ばっかしてた私でもわかるのは、先に手を出した方が悪いってこと。どっちがいいとは言えなくても、どっちが悪いかははっきりしてんの」
「…あぁ、わかっている。何度も聞いた」
「うん、私も言ったもんね。…じゃあ、なんで新開を殴ったの?見てた人の話によればさ、加勢したのは荒北らしいじゃん?…喧嘩はいいことではないけどさ、いったら当人同士の争いでしょ?だから、途中で首突っ込んできた荒北にキレるんならわかるんだけどさ、なんで殴ったのは新開なの?」
「それは…」
福富は俯いて口ごもる。口元には生々しい傷跡。口はいつも以上に固く、真一文字に結ばれている。
「…いつも荒北は俺の見方をしてくれたのに、今日は新開で…悔しかったんだ」
「福チャン…」
「寿一…」
感嘆する声が2つ。声の主を睨みつける。
「なるほどねぇ…」
―――要するに、嫉妬ってわけね。こりゃわかりやすいこと。
「次に、」
私の視線は荒北に。荒北の頬は赤くなっている。明日にはアザになっちゃってるんだろうな。
「あんたとは付き合い長いし、同じ穴の狢だったから、福富を本気で殴るつもりじゃなかったのはわかる。それが東堂の顔面にクリーンヒット?それはご愁傷様」
気まずそうな荒北の視線とは逆、東堂の顔面には福富と似た傷跡。
「だからって、なんで直ぐに謝らなかったの?1年の頃ならいざ知らず、今なら仲直りできたでしょ?」
「あれは…!その…」
口ごもる荒北とは対照的に、東堂はまっすぐこっちを向いたまま。彼の口が開き、はっきりとした声で事情を説明しだす。
「…俺も悪かったのだ。荒北が…奴がこの美形を殴ったことがわざとだとは思っておらんよ。だがな…あれだ、売り言葉に買い言葉、ってやつだ。気付けばこんなことになっていた」
なるほどね。つまり、東堂と荒北は1年の頃によくやってたようなくだらないことが発展しちゃった、と。
「はぁ…」
―――とまあ、一通りの事情を聞いたあとに私の口から出てきたのは…
「くだらない」
いつもなら食って掛かってきそうなものだけど、今はちゃんとわかってるみたい。
「4人とも話し合えば分かることじゃん。なんで話し合えなかったの?もしかして…インハイのメンバー決めのレースが近いからってイライラしてて、周りが見えなくなってた?」
とたんに震える4人の肩。私からはため息。
「図星かー…。まあ、4人とも油断はダメだけどさ、レギュラーは取れるでしょうに。なんでそんなことになっちゃったのかなぁ…」
考えてみるけど、私にはわかんない。やっぱり選手じゃないとわからないことっていうのもあるのかな…。
「…絶対で出たいんだ」
突然福富から発せられたその言葉に、気の抜けた声が漏れる。
「え…?」
でも、当人たちは真面目な眼差し。あ、これは真面目に聞かなきゃいけないやつだって思った。
「どういう、こと…?」
「そのままだ。…俺たちは主力だ。さっき相良も言ったが、気を抜かなければレギュラーは確実だろう。…だからこそ、不安になるんだ。もし入れなかったら…もし入れず、皆と最後のインターハイを走れなかったら、と」
―――それは選手にしかわからない心情。弱肉強食の世界を生き抜く選手にしかわからない、そんな感情。
「そんなのって…まさか、4人全員…?」
見渡して尋ねれば、真面目な顔で全員首を縦に振る。
喧嘩したことを許すことはできない。みんなに迷惑かけてたし。
でも、この気持ちは4人にしかわからない焦り。プレッシャー。
私は確かに4人と仲がいい。
女子の友達が少なくて、その理由は割愛させてもらうけど、とにかく少なくて、いったら逃げた先がここ―――この4人のところだったってわけで。
マネージャーも含めて自転車競技部だ、って言ってもらえるのは嬉しいけど、その間には分厚い壁がある。どんなに共感してあげたくても、こればっかりは選手じゃないとわからないもん。
「そうだったんだ…」
事情を知ってから、私からもれた言葉は―――
「…ごめんなさい」
―――謝罪の言葉。
4人はもちろん驚いたような、狼狽えたような顔をする。私は間違ったことは一応、してないもんね。
「相良、悪いのは俺たちだぞ?」
「相良は謝ることなんかねぇヨ…?」
「香咲、俺たち何かしたか…!?」
「さ、相良…!?」
深々と頭を下げたあと、勢いよく顔を上げるとまた驚いた顔。
「わかってる、私は別に悪いことはしてない。でも、みんなのそういう気持ちに気付いてあげられなかった…ずっと一緒にいたマネージャーなのに。だから、ごめんなさい」
その言葉はみんなの心に響いてくれたのかな。弁解しようとする人はもういなくて、代わりになぜか頭を撫でられた。
…うん、悔しいことに頭を撫でられるのは嫌いじゃない。根がやっぱり末っ子なのかな。小さい頃はよくいろんな人に撫でられてたし。
でも、このままはよくない!
「な、なんで頭を撫でるのさー!?」
いきなり叫んで驚いた4人は後ずさり。
「悪ィ…妹たちによくやってっからァ…」
「私は友香ちゃんと雪香ちゃんと一緒ですか!?」
「あ、俺も」
「私は悠人くんとも一緒ですか!」
「あれ、会ったことあったっけ、香咲?」
「…何度か見学来てるよ。文化祭の時とか」
って、喧嘩と関係ない方に話が進んでるし!まだ仲直りしてないよね、この人たち!
ってことで、新開と福富、荒北と東堂を向かい合わせに立たせる。
「せーのでごめんなさい!」
そんな小学生みたいなことなのに、4人は至極真面目に行うから、思わず笑っちゃいそうだった。
「すまなかった、新開」
「わりぃな、寿一」
「その…悪かったな、東堂」
「悪いことをしたな、荒北」
それぞれ言い方は違っても、ちゃんと謝ってたしいいかな。
今回の喧嘩は確かに迷惑なものだったけど、それ以上に何かがわかった気がする。
それはみんなの心の焦りだったり、選手とマネージャーの壁だったり。
―――インターハイはこれから。最後の夏はこれからなんだ。
「じゃあこれにて仲直り成立、ってことで!」
だったら、これから皆でもっと仲良くなっていけばいいもんね!
その後、しばらく部員の間では“主力メンバーの喧嘩の恐ろしさと、実は一番怖かった相良先輩”なんて噂が飛び交ったとかなんとか。…まあ、それは別の話。