一回やってみたかった!
―――その日は雨の日だった。土砂降りの。
監視官になって、もう2年たつ。事件はもはや日常の一部。そんな生活に苦笑する。
そういえば、今日は―――…
「あのっ…監視官の相良さんでしょうか?」
ふいに背後から、低い声。聞き覚えのない声。若い声。
「えぇ。配属早々に事件とは災難ね」
振り返って、最初に目に入るのは綺麗な銀髪。
「本日付で刑事課に配属になりました黒田雪成です。よろしくお願いします」
かなり練習したのか、手馴れた手つきで敬礼をする彼―――黒田くん。指の先まで力の入った綺麗な敬礼。正確には、角度がちょっと違うと思うけど。
―――今日から入る新人。それが黒田くん。
一から手とり足とり教えるのが先輩というものなのだと思う。だけど、そんな暇はない。
「…悪いけど、刑事課の人手不足は深刻なの。フォローはするけど新米扱いはできないかな」
第一、適性判断でここに入ってきたなら、きっと彼もエリート。
「承知しています。望むところです」
―――瞳の奥に見える希望と不安。エリートと犯罪者しかいないここに飛び込むには、相当の覚悟がいるはず。
それを彼は、現時点では少なからず理解している。
「…いい返事だね」
―――そこへちょうどいいタイミングでやってくる一台のトラック。
彼にとって、“彼ら”はどう映るのか。
「あれは…?」
「…今から会う連中は、同じ人間ではあるけれど、君とは全く違う判断基準で犯罪に対処する。彼らの行動は、時として君の理解を超えたものになるかもしれないね。…信頼する分だけ用心をしなさい。なめてかかると大怪我をするから」
ただトラックを凝視する黒田くんに、最後に一言。
「―――それが執行官。君が預かる部下たちよ」
ドミネーターを手に取り、起動させた黒田くんが今一度、私の方を見る。
ドミネーターの使い方は、一応習っているはず。まぁ、練習通りに行くわけないだろうけど。最初はあの声は邪魔くさいだろうし。
「あの、ブリーフィングは…段取りの打ち合わせとかは、しないんでしょうか?」
自由に進んでいこうとする執行官に戸惑う黒田くん。
「…彼らには、彼らなりの流儀があるの。でも、その責任を取るのは私たち監視官よ」
そう言いつつ、専用の上着を手渡す。
「それを着ておきなさい。…真波と新開は私と。それ以外は…黒田監視官と一緒に行動して。それじゃあ」
どうすればいいのか分からず、狼狽える黒田くんが視界に入る。しかし、今は同時進行で事件の真っ最中。さっきも言ったように、新米扱いはできない。
「…全く、エリートの中のエリートって感じの子が入ってきたな…」
監視官なんてエリート職についていても、それはあくまで適性に従ったまで。
正直、こういうところは合わない。それでも私の今の居場所はここだということを、監視官になってからは思い知らされている。
「香咲さーん、どうすればいいのー?」
「対象はどこだ?早くぶっぱなしたいね!」
ドミネーターを構えて撃つふりをする執行官が2つ年下の真波山岳。ドミネーターを腰に差し、どこからか取り出したスティックタイプのお菓子―――パワーバーという―――を食べているのが同い年の執行官・新開隼人。
「…君たち、本当に自由奔放というか、なんというか。まぁいいけど。それじゃあ、真波はあっち、新開は私と一緒にこっちへ」
パワーバーの最後の一口を食べ終えた新開が親指を立て、真波は“はーい”と間延びした返事をしつつ、暗闇へと消えていった。
『香咲さーん、ターゲット見つけましたよー』
しばらくして聞こえてきた声に、短く反応。
「真波にやらせるのか?」
「…まぁ、その場にいるしいいんじゃないの?」
「ふーん。まぁ、たまには後輩に花を持たせるのも必要だよな」
『新開さんにそんな優しい心があったなんて初耳!じゃ、今回はありがたく!』
その場にいないことをいいことに、真波は言いたい放題。
まぁ、新開はそこら辺は大人だけど。いや、気にしていないというべきか。
しかし、そんな状況はすぐに崩れる。
『えっ、嘘!?』
「真波、どうしたの?」
その声の続きは、直接聞くことができた。私と新開は真波のいる部屋へ到達した。
「真波、何があったの?」
「香咲さん、こいつ、薬使ってるよ!」
なるほど。どうやら執行モードが通用しなかったらしい。
何かしらの方法を―――薬を飲むなど―――とっておけば、そういうこともあり得るわけで。
そうしている間にも、対象は一緒にいた人質とともに窓から逃げる。―――しょうがない。まだ不安は残るけど、ここは黒田くんに任せるしなかい。
―――黒田くんと一緒に行った執行官は2人。
自分のことを“山神”というナルシスト・東堂尽八。
二つ名は伊達ではなく、私たちと同じ年齢でありながら、誰よりも公安に勤めている年数は多い。噂によると、10年前の12歳から務める異例の存在だとか。
そしてもう一人。こちらも同い年の荒北靖友。通称・野獣。潜在犯という野獣を狩るための野獣―――執行官によく使われる表現が最も良く似合う男だ。
この男は、元は監視官。かつては、私とともに一課の監視官をやっていた。ただ、色々な事情があり今は執行官に格下げになった。
「…不安要素だらけね。なにかしでかさないかしら」
「尽八と靖友じゃ不安か?」
標的を見失ったからといって、そこで仕事が終わるわけではない。
黒田くんたちが追っているであろう標的を、私たちも追わなければならない。
「別にあの2人が不安なわけじゃないけど…まぁ、監視官が本日付で配属されてきて、なんの経験のないまま、事件に関与してるからね。心配しているだけ」
「わー、香咲さんも優しいなんて、明日はもっと雨が降るね!シビュラシステムの崩壊かも!」
後ろをついてきていた真波は普通に失礼な事を言う。まぁ、それにももう慣れてしまった私たちがいるのだけど。
―――刹那、叫び声。
「あっちだ、行くぞ!」
「うんっ!」
声のした方へ駆けていく。あの声は、確か―――…
「…香咲さん、あの声、黒田さんのですよね?」
「真波もそう思った?…私もよ。後輩の面倒は私が見なきゃいけないからね…。行きましょう」
2人を引き連れてただ走る。危険なところを回り道するなんてことはしない。急がば直行。
ようやく開けたところは、道ではなくて何やら高いところだった。
ふと下を見れば、4つの影。―――端の方で突っ立っているのが東堂。逆サイドには座り込む女性。人質の女性だろうか?対象は撃ったのか?
その女性の手前で倒れ込んでいるのは、荒北のように見える。その荒北と東堂の間らへんには、ドミネーターを構えて固まっている黒田くんがいる。
瞬時に判断されることはただ1つの真実。―――おそらく犯人は執行した。だが、女性の犯罪係数も上がっていて、執行対象になっていた。しかし、人質だった女性を執行することに黒田くんは反感を覚え、女性を撃とうとした荒北を撃った、といったところだろう。
女性は確かに執行されずに済んだかも知れない。しかし、配属早々、こんなことを起こしたことは、私に報告の義務がある。何より、監視官としては、女性を撃たなければならない。
安心しきって、笑顔を浮かべる黒田くん。―――でも、ここはそんな甘いところではない。
ドミネーターを構える。となりでは、新開も真波も躊躇なく構えている。今更躊躇なんてない。
そして、いつもどおりの脳内アナウンス。
『対象の脅威判定が更新されました。執行モード、ロンリーズムパラライザー。落ち着いて照準を定め、対象を制圧してください』
「…新米くん、これが現実よ」
小さく呟いて、慣れた手つきで引き金を引く。
実際の弾が出る銃なんて、私だって見たことはないし、触ったこともない。だけど、この銃とはそれなりに付き合いがある。
女性が撃たれたことにショックを受け、瞳を泳がせている後輩が真下にいる。ハットした顔で、上に居る私のことを見る。
「…黒田監視官、君の状況判断については、報告書できっちりと説明してもらうから」
「これは…すごい新人が入ってきたものだな…」
東堂の乾いた苦笑いと、そんな声だけがその場に残った。