とあるよく晴れた日。本日快晴。寒さも深まってきた頃、私はなぜか汗をびしょびしょにかいていた。
「ちょっと…こんな長いとか…聞いてないし…!」
実はちょっと乗れてしまうロードバイクで私が黙々と向かっているのは―――総北高校。
電車で千葉まで来て、そこから持参したロードで総北高校まで向かっているのだが、何を思ったか激坂の方を登ってきてしまったのだ。
…にしても、本当に。
「長いよ…長すぎるよ…」
汗をぬぐってチラチラ目の前をちらつく門だけを追いかけて漕ぎ続ける。
まぁ、私にロードを教えてくれたのが東堂と荒北だったから、なにげに山は得意だと思うのだが。総北はこんな坂を登っているのか。箱根もなかなかの坂だけど、ここもなかなかだ。
―――そして、私が総北に来た理由だが。
門に近づくにつれ、2つの人影が見えた。ガッシリとした体格で、制服姿だった。
「す…すいません、お2人とも…!」
「いや、構わない」
メガネをかけたなかなかのイケメン―――元総北高校自転車競技部主将にしてエースだった金城真護さんと肉弾列車で有名なエーススプリンターだった田所迅さんだ。
なんとか門まで付き、自転車を降りて汗を拭う。
「相良、といったか。箱根学園は、女子マネージャーまで自転車に乗れるのか…」
「相良香咲だよ!いやー、私だけだって。東堂と荒北に教えてもらってさ」
「それに、女子でこの激坂を登ってくるとは、すごいやつだな!」
「そりゃどーも!」
金城さんも田所さんも真面目で頼れて優しい雰囲気を持っていた。そしてなにより、メンタルの強さが見て伺えた。さすが…これが王者を陥落させ、新王者になったチームのエースたちか。
「それで、今日は何のようだ?箱根からわざわざここまで来るとは…」
金城さんのその言葉に汗を拭うのをやめ、真面目な顔になる。
「…急に邪魔してごめん。受験シーズンラストスパートなのに、本当にごめん。聞きたいのは、本当に小さいことなんだけどね」
「なんだよ?聞きてぇことってのは」
ふと脳裏に浮かんだのは、悲しそうな瞳をする“彼”の姿。
「…巻島さんって、今、イギリスのどこら辺に住んでるの?」
―――悲しそうな瞳をする“東堂”の笑顔。
受験シーズン真っ只中。―――総北に行って1ヶ月が過ぎた。
箱根学園は勉学もそこそこ優秀で、特にチャリ部は文武両道が大半を占める。…一部除く人達もいるが。
故に、福富や東堂、そして一応私も大学からの推薦合格を既にもらっていた。
新開や荒北は、必死に勉強しているのだが。
「とーどー!とーどー!」
荒北と東堂の部屋のドアを激しくノックする。しかし出てきたのは、不機嫌そうな荒北。寝起きっぽい。
「うるせぇナァ!こっちァ、勉強してンダヨ!」
「あー、そりゃすまなかったなー」
「…ンだよ、相良かヨ」
「そうだよ相良だよ。ねぇ、東堂は?」
「あいつなら、いつもンとこダヨ」
「そっか…サンキュー」
「礼なンか言うナ!キメェ!」
巨大な音を響かせてしまったドアを見つめて、踵を返して寮の中庭へ向かう。
勉強してても、いつもの荒北だった。
中庭のベンチにぽけーっと虚ろな目で虚空を見つめる東堂を見つける。
コートを着て、マフラーを巻いた東堂は、頬を真っ赤にしているのに入ろうとしない。
「東堂、やっぱりここか」
「ん…相良か」
私がいるのに気づくと、明るい笑顔を浮かべてきたが、無理矢理なのは私たちにはお見通し。
“東堂を支えろ”―――福富からのオーダー。それを果たすためには…
「ねぇ、東堂」
「なんだね?」
「私たちってさ、もう大学決まってるじゃん?」
「俺は美形でありながら、頭もいいからな!」
「じゃあさ…」
ポケットから2枚の紙切れを取り出して、東堂の目の前にちらつかせる。
「なんだと思う、これ」
2枚のうち1枚を東堂に手渡す。その紙切れを見るうちに、みるみる瞳が開かれる。
「こ、これは…!どうしたんだ、これ!?」
「実はさ…1ヶ月くらい前に総北まで行ってきたんだよね」
「総北!?1か月前だったら、相良もまだ勉強真っ最中ではなかったのか…?」
「まぁ、そうなんだけどさ。それでさ、金城さんと田所さんに巻島さんの居場所聞いて、どうやっていけばいいか聞いたんだよね。そしたら、今泉くんがなぜか、たまたま、イギリスの、しかも巻島さんの住んでるところの飛行機のチケット持ってて。それで、昨日、送ってきてくれた」
「相良…ならん、ならんよ…それは…俺を泣かせるとは…喜ばせるとは…」
みるみる瞳に涙をためる東堂。
インターハイの時だって、こんな顔はしてなかった気がする。よっぽど、巻島さんが近くにいなくて、ライバルとして競えなくなるのが辛かったんだろう。
「東堂、イギリス行こう」
はっきりとその言葉を言うと、満面の笑みで頷く東堂。正直子供みたいだ。しかも小学校低学年くらい。でも、この笑顔が見れて良かった。
「もちろんだ!」
涙をぬぐって立ち上がった東堂の姿は輝いていて、心の底からよかったと思えた。
年が変わる頃。私と東堂は飛行機で上空を飛んでいた。
「なんだかおかしな感じだな、咲ちゃんよ!イギリスに行くというのは、時間が巻き戻るっていうことだろう?いやー、実におかしいな!」
テンションマックスの東堂。
「咲ちゃんはやめてよ…“巻ちゃん”に会えるんだからいいじゃんか」
「む…でも、巻ちゃんがいない間は、相良を“咲ちゃん”と呼んで我慢することにしたのだよ!光栄に思いたまえ!」
「いやだよ!なんで光栄に思わなきゃいけないのさ!そもそも許可してないし!」
そんなことで小さな言い合いをしながら、ふと窓の外を見る。特に見たいものがあったわけではないが、雲の上を飛んでいるっていうのは変な感じがする。
うるさい声が止まったな、と思って横を見ると、東堂は爆睡していた。
「ちょっと…全く、世話が焼けるな…」
そう言いつつ毛布かけてあげる私優しい。マネージャーが板に染み込んでるんだな。うんうん、感激。
「巻ちゃん…」
幸せそうな顔で眠りながら、巻島さんの名前をつぶやく東堂は、本当に本当に幸せそうで。なんか情けない気持ちになる。
「うーん…咲ちゃん、か…。それじゃ、東堂、あんたの心は温まらないんだよね。満たされないんだよね。…巻ちゃんにあえるんだよ、よかったね」
そうつぶやくと、東堂はまた幸せそうな寝息を漏らした。
飛行機から降りる頃には東堂は目覚めていて、キラキラに瞳を輝かせていた。
とてつもなく早歩きで歩くし、しかもなぜかここでスリーピングクライムならぬスリーピングウォークをするものだから、どこに行ったか追いかけるのも大変。
「ちょ…東堂…!?」
「遅いぞ、遅ずぎるぞ、相良!」
―――相良、か。やっぱりあんたにはそっちのほうがあってるよ。咲ちゃん…うん、ちょっと気持ちわるいもんな。
そんな言葉を飲み込んで、走って東堂を追いかける。すると、私のほうを向く東堂の後ろに、かすかだが玉虫色が見えた。
「東堂ッ、まっすぐ全速力で走りな!玉虫色が見えたよ!」
「何ッ!?」
はっと振り返った東堂の瞳にも、確かに玉虫色が写ったらしい。さらに満面の笑みを浮かべ、そして荷物をその場に落として駆け出した。
「巻ちゃん…!」
幸せそうな東堂の背中を見送りつつ、私の額には冷や汗が浮かんだ。
「この荷物…ロードバイクに着替えに…コロコロついてないし…私が全部持っていくのか…行けるかな…」
自分の後方で、深い深いため息をついている人がいることを、おそらく彼は知らない。でも、今はそれでいい。
前方にはっきり見える満面の笑みの2人を見ていると、そう思えるのだ。
「福富…オーダー果たしたよ、っと…送信!」
メールを送ってから、私は重い2人分の荷物を持ち抱え、2人のもとへと向かったのだった。