「優勝は総北高校でーすッ!!!」
解説者のその言葉に、私の思考はしばらくフリーズした。
インターハイ3日目。
救護用のテント内で、私は荒北と泉田くんと一緒にいた。福富にださされたオーダーを果たし、途中棄権―――リタイヤした2人は車でここに運び込まれてきた。
最初にリタイヤした荒北のところに駆けつけたとき、テントに入った泉田くんのもとへ向かった時、この2人のためにも絶対勝利するという福富たちの視線を感じた。
その強い眼差しを私は信じていたし、唯一ついてこれていた総北も、キャプテンの金城くんが膝の不調を訴えたりと万全の態勢ではなかったから、ハコガクは勝てると思っていた。何より、王者だった。
しかし、今テレビから聞こえる声や、テントの外から聞こえる声、そして隣のベット―――総北の金城くんと鳴子くんから聞こえるのは、歓喜の声。
最後、小野田くんと真波が勝負をしているということは聞いていた。―――そっか、真波は…ハコガクは負けたのか。王者は陥落したのか。
荒北は悔しそうに歯を食いしばって、拳をベットに何度も打ち付けていた。泉田くんも悔しそうに俯いていた。
横を見れば、総北の2人が泣いて喜んでいる。当然か。王者奪還、新王者になったんだから。
きっと2人とも、私たちのことなんか見えてないと思う。隣で涙を必死にこらえる私たちなんか、きっと。
「…負けたんだ…私たち…」
意識せずこぼれたその言葉に、荒北が肩を震わせる。
「…ウソだろ…何で負けんだヨ…」
「僕たちは…敗者…」
気付けば総北の2人は車に乗り込んでどこかへと向かっていた。おそらく表彰式にでも向かったのだろう。救護テントには私たち3人だけ。
「…私、マネージャーだから…ねぎらいに行かなきゃ…」
フラフラと立ち上がって、外で待っているだろうワゴン車へ向かう。荒北も泉田くんも私に声をかけることはしなかったし、私も声をかけたり振り返ったりしなかった。
「…負けちゃった…」
何度言ってみても、その言葉が理解できなかった。ただ、自然と涙はこぼれなかった。受け入れきれてないことくらいわかっていた。受け入れなくてはいけないことであることもわかっていた。でも、それでも、受け入れられなかった。
ワゴン車内は無言だった。顧問の先生が車を運転してくれて、黒田が乗っていた。
「黒田…」
「相良さん…」
お互いの名前を呼ぶだけで精一杯だった。黒田の瞳からは涙が溢れていたが、私は泣くことができななかった。
「…負けたんですね…オレ達…」
“負け”か…。受け入れなきゃいけない。それがこの大会の結果―――事実なんだから。
既に団体の表彰式は終わって、個人の表彰式に移っていた。
ハコガクのメンツも何人か表彰台に乗っていたが、笑顔はなかった。
「…本当に…2位なんだ…」
やっと出た一筋の涙を見た人は、きっといない。いて欲しくない。
「相良、来ていたのか」
後ろから声をかけられて、思わず肩を震わせる。
「新開…東堂…お疲れ様」
「あぁ、本当に疲れた」
「パワーバー食う気力も残ってねぇわ」
笑顔で言う2人。―――それが空元気なことぐらい、わかっている。
「何それ。パワーバー、試合中に食べ過ぎなんだって、新開は」
「…そうだぞ、隼人。お前は食べ過ぎだ」
「うーん、迅くんにあげたんだけどな」
いつもなら続く会話も、今日は思うように続かない。まるで出会ったばかりの頃のよう。他人になったみたい。
私たちだって相当なショックは受けてる。だけど、きっと一番ショックを受けているのは、私たちの数メートル先に、福富と一緒にいる小さな影―――真波に違いない。ハコガク史上初の1年生メンバーで、先輩達の思いを背負って走って、果たすことができずに1人で抱え込んでいるんだろう。
「福富ー、真波ー」
名前を呼ぶと、振り返った福富。真波は肩を震わせて振り返ろうとしない。近くまで行って、真波の肩を叩く。
「先輩だよ、無視しないでー。さみしいよ?」
「相良さん…あの、オレ…」
「何しょげた顔してるのさ。真波、あんたには来年があるんだから。王者奪還だよ!」
こんな頼れて、儚い後輩。笑顔で励ますことしかできないなら、全力で励ましてあげたい。
帰りのバス内での空気も重かった。会話は全く聞こえてこなかった。
地元開催で助かった。遠くだったら、全く会話のないまま数時間過ごさなければいけなかったのだから。
メンバー6人や、私や黒田が話そうとしないから、後輩も話せる空気じゃなかったんだと思う。それは少し申し訳ないけど、話す気になれなかったのだからしょうがない。ほかの人もそうだと思う。
部室に帰って、福富が解散の指示を出すとほぼ全員部室からは出て行った。残ったのはインハイメンバーと私。私も出て行ったほうがいいと思ったけど、東堂に引き止められた。
「なんで…私、みんなと一緒に戦ってないし…」
「何言っているんだ。お前のサポートのおかげで走りきれたんだ」
「そっか…ありがとう」
7人しかいなくなった部室で、福富が切り出した。
「今日はお疲れだった。全力を出し切った。俺からは以上だ」
言葉を選ぶように慎重に言う福富の後に続いたのは、副部長の東堂。いつものテンションではなく、彼もまた慎重に言葉を選んでいた。
「フクがほとんど言ったことと変わらないが、お疲れだった。…あぁ、何を話せばいいんだろうな。わからないが、とにかく…泉田、真波、来年も頑張れよ」
来年―――その言葉に込められた意味をおそらく全員察している。
来年、私たち5人はいない。
その後、後輩2人は部室を出て行き、残ったのは3年5人だけになった。
「…終わったな」
荒北がぼそっと発したその言葉に、私たちは反応する。私たちの夏は終わったのだ。
「そうだな。もう、相良がマネージャーで、この4人で走るのは…」
「おそらく、ない…だろうな」
「そっか…」
「そうなんだね…」
5人とも、誰とも目を合わせようとしない。微かにうつむいたまま。会話が続かない。
「オレ、3日ぶりにウサ吉のところ、行ってくるわ」
新開がそう言って部室を後にする。
「オレは巻ちゃんにねぎらいのメールをしてくるとするか」
東堂が携帯片手に部室を後にする。
「じゃあオレは、懐かしみに福ちゃんと出会ったところにでも行ってくるかァ」
荒北がメンテナンスもしていないボロボロのビアンキを持って、部室を後にする。
「オレは温泉饅頭でも買いに行ってくるとしよう」
福富もジャイアントを持って部室を後にする。
「みんな行っちゃったな…私は、あの木の下にでも行こっかな」
私もそうつぶやいて部室を後にする。
1年生の頃から、悩み事や辛いこと、嬉しいことがあってもこの木―――寮の中庭にある大きな楠の下に来ていた。
楠の下の芝生に寝転がり、葉の隙間から漏れる木漏れ日に目を細める。
とたんにこみ上げてきた、どうしようもない思い。
悔しい、悲しい…総北が憎い…そんなどうしようもない思いが胸に募り。
「うぅ…っ…負けちゃ…負け…うわっ…」
私は嗚咽しながら泣いた。誰もいない静かな青空の下、大声で泣いた。
どこかから、4つ、同じような鳴き声が聞こえた気がした。
―――私たちに、来年はない。