マイニチペダル   作:御沢

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東堂side

恋愛ではないです(一応)


winter sea

「海に行こうよ、みんなで」

 

 

2月半ばに相良が言ったその言葉に、思わずオレたちは唖然とした。

真冬には水に入ることすらできないだろう。水着に着替えてバカンス気分、なんてもってのほかだ。それに、オレたちクライマーにとって、海は最も遠い場所といっても過言ではない気がする。

「どうしたんだ、相良、急に」

ブレザーの下からのぞくセーターで手を覆おうとしてうつむいている相良に尋ねる。

相良は、さも不思議そうな顔をしている。

「え、なんで?冬に海に行くの、変?」

オレたちは顔を見合わせて、再度相良を見る。しかし、彼女の表情からは何も読み取れなかった。

 

 

その週の週末、オレたち3年5人に泉田、黒田、葦木場、真波を加えた9人と、隼人の弟の悠人くんの計10人が、箱根の近くにある浜辺へとやってきた。

当然人はいない。遠くの方で船が見えるだけ。真夏の喧騒とはかけ離れた風景がそこにはあった。よく言えば静か、率直に言えば殺風景。

「んー…海はいいねー。夏じゃないってのがまたいいかも」

何処か遠くを見つめるような虚ろな瞳の相良がそうつぶやく。何があったのかまだオレたちは理解していない。

 

ちらほら雪が舞う浜辺は、海風も相成って想像以上に寒い。

思わず身震いするほどの寒さなのに、真波は靴も靴下も脱いで海へと一目散に駆けていった。それに変に反応した葦木場も同じような格好になり、海へとかけていった。それを皮切りに、それぞれ浜辺で思い思いのことをし始めた。

海に来て30分もすれば、相良の周りにはオレしかいなくなっていた。

 

「何がしたいんだ、相良」

「…何って、何」

薄い笑みを浮かべて俺を見る相良は、何度も見てきた見慣れた太陽のような笑みを持つ相良ではなく、まるで別次元から来た雪のような冷たさを持つ相良だった。

「何って…こんな雪の舞う真冬に海へ来て、何がしたかったのかと聞いているんだ」

「…ごめん、私もよくわかんないの。ただ、なんでかな…海に来たかったんだよね」

寂しそうな瞳で微笑んだ彼女に胸が締め付けられた。

「なんでだろうね…わかんない。でも、強いて言うなら、多分…」

一度瞳を閉じて、もう一度開いた時、相良の瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。

 

「…寂しいんだよ、私。初めて楽しいって思えた学生生活だったからさ。多分、終わることに恐怖を覚えてるのかも」

 

―――その言葉を聞いて、彼女の過去を想像して、静かに頷く。

「ものすごく怖い。大学、荒北も一緒なのに…ずっと一緒の荒北がいるのに、とても怖いんだ。福富と新開と東堂と荒北と…この4人とずっと一緒にいたからかな。離れるのが怖い。“5人じゃなきゃ”って思いが強すぎるの」

一言一言、丁寧に切りながら、搾り出すように、訴えかけるように囁く相良は、幼く儚い妹のように見えた。

 

 

相良と出会ったのは、高校1年生の春だった。

ツヤツヤの長いストレートの黒髪をなびかせる彼女は、まるで季節はずれの雪の妖精のようだった。長い髪をブレザーに垂らし、スカートを翻す彼女は可憐で、入学式の段階で視線を釘付けにされた。

偶然に偶然が重なり、入学の段階で同じクラスの隣の席になったオレと相良。

大きな茶色の瞳が初めて俺を捉えた時、目が離せなくなった。

 

彼女は常に1人でいる印象を与えた。女子たちはしきりに彼女をのぞき見、こそこそと話をしていた。

入学から数日でファンクラブができたオレは、ファンクラブの女子に相良のことを聞いた。なぜいつも1人なのか、なぜ君たちはこそこそと噂をしているのか、と。

返ってきた答えは、想像しないものだった。―――“あの子は元ヤンで、男遊びが激しくて、来るもの拒まずで、腹黒くて、性格が壊滅的に悪いんだって”

それは事実かと尋ねると、噂だけど信憑性は高いと言われた。

 

大人しそうな顔をして、そんなことをしてきたのか。オレは彼女を軽蔑し、隣の席であることを呪った。しかしそれは一瞬の出来事だった。

女子と話し終わって席に戻ったオレを一瞥した彼女の瞳は―――孤独を含んでいた。

寂しい、悲しい、ひとりぼっち、助けて。そんな思いがこもっていることが、溢れ出ていた。―――そんな瞳を持つ彼女が、噂通りの子なわけがない。変な自信があった。

「君、名前はなんというのかね?」

女子が恐怖に怯えは顔でオレを見た。彼女もまた、信じられないという表情でオレを見た。

「…相良…相良香咲…」

小さいがはっきりした声を聞いて確信した。―――彼女は、いいやつだ。相良はいいやつだ。

 

 

その日からオレと相良は友達になった。ひとりぼっちだった彼女は、1人ではなくなった。

オレがチャリ部に入ると決めた時、マネージャーをしないかと誘った。最初は戸惑っていた相良だったが、すぐに笑顔を浮かべて頷いた。

そこで隼人とフクと仲良くなった。2人は相良の噂には惑わされず、彼女の本質を見ていた。

1年の途中、荒北が入部してきた。相良は荒北に妙によそよそしかった。同様に荒北も相良によそよそしかった。そのくせに一度口を開けば話は気味が悪いくらい合うという変な関係だった。

やがて2人が幼馴染だということがバレ、ひと騒動あったものだ。

1年の2学期には、相良は緩いウェーブのかかった茶髪へとイメチェンした。黒髪が恋しくも思ったが、時が経つにつれて茶髪の彼女へ惹かれていった。

 

2年になると、女子の風当たりもだいぶ小さくなったらしい。それでもまだ、女子で親しい友達はいなかった。オレたちは変わらず相良と仲が良かったし、荒北に至っては親友にまでなっていた。

チャリ部のメンツは相良がいい奴だと理解していた。もっとも、チャリ部に女子マネージャーが相良しかいなかったため、女子と仲良くなる機会はなかった。また、入ってきた後輩も相良が悪い奴だとは思っていなかった。

その頃には随分明るく、後輩にも同級生にも先輩にも明るい性格になっていた相良は、言ってみればチャリ部のアイドル的存在だったのかもしれない。山神が認めるのだから間違いないだろう。

 

3年になって、初めて女子の友達ができたといっていた。オレ達の代は少し特殊で、女子の同級生の寮生が1年生から相良だけだった。3年になって初めて同室の人ができたといっていた。1年の女子らしかったが、初めての女友達に彼女は喜んでいた。

同級生にもそこそこ話をする友達ができたらしかった。彼女が友達だと思っていたのかはわからないが、仲のいい様子が時々見られた。

後輩にも好かれ、楽しい高校生活を送っていた。ほとんどを自転車に注ぎ込んで過ごした3年間だった。インターハイもあった。楽しい1年だった。

 

 

そんな相良のことを、時に同級生として、時に女子として、時にマネージャーとして、時に友達としてオレたちは見てきた。

女子と仲良くなろうとする相良と、女子を拒否する相良の両方を見てきた。そんなとき、相良が妹のように見えた。いつもは喝を入れ、励ましてくれる姉のような相良が、ものすごく幼く儚い妹のように見えた。

 

―――そんな相良が、今、目の前にいる。

 

 

「…不安なのはよくわかる」

やっと絞り出せたその声は、自分の予想以上に頼りないものだった。

「だが、俺たちには未来がある。輝かしい未来がな」

薄暗くなってきた空を見上げる。ここらへんは家が少ないため、綺麗に星が見える。

「輝かしい未来、か…」

目を細めてまた遠くの空を見つめる相良。また恐怖に怯えているのだろうか。

「あぁ、そうだ。大学に行こうが、何をしようが、正直未来は真っ暗だ。何も見えない。それを輝かせるのは、期待する心だ。今という幸福な時間に浸るのもありだ。だが、それを少し置いておいて、未来に期待してみるんだよ」

オレだって不安で潰れそうな時がある。そういう時は、俺たちより早く未来に踏み出したライバル―――巻ちゃんのことを思い出す。そうすれば、オレも頑張ろうという気になる。

 

「ずいぶんキザなこと、言うんだね。さすが山神様」

急に笑い出す相良は、太陽のような笑みを持つ相良だった。

「でも、その通りかも。未来に期待、か…。私も期待してみるか―!!」

砂浜から立ち上がって大声を上げる相良にみんなが注目する。

 

「…ずいぶん変わったな、3年で」

小さく呟いたその言葉が、彼女に届いたのか否か。それは相良しか知りえない。

だが、相良は確かに微笑んで、オレに―――オレたちに言ったのだ。

 

 

「―――ありがとうっ」

 

 

波の音と星のきらめきは、オレたちの未来を期待させるには十分すぎるものだった。

 

 


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