金城side
洋南大学・サークル棟―――たくさんの部活、サークルの部室が集まるその棟の中に、洋南大学自転車競技部はある。
「じゃ、よろしくなー」
「はい」
4年の原田さんが去った部室には、俺しか残っていない。本来なら、もう1人いてもいいはずなのだが来ていないということは、大方休講になったのを知らずに教室へ行ってしまったのだろう。まぁ後々来るから気にしないでおこう。
―――大学に入って驚くことばかりだった。
入学初日、式の行われる大ホールの入口で偶然ハコガクの荒北と相良に会った時はびっくりして言葉を失った。荒北もかなり驚いている様子だったが、相良の方はあまり驚いていないようだった。後で理由を聞くと、手嶋といとこだから聞いたと言っていた。
当然俺も荒北も相良も高校生活を全て自転車につぎ込んだのだから、大学でも迷わず自転車競技部を選んだ。…最初はかなり気まずかったものだ。インターハイで王者から引き下ろした者と引き下ろされた者。気まずいにも程があった。
おそらく俺と荒北だけだったらここまで話すようになったかわからないものだ。なぜそこまで話せるようになったかといえば、相良のおかげだろう。相良はいい意味で空気が読めないというか、過去のことにこだわらないというかそういう性格をしているから、3人で仲良くするという考えしか浮かばなかったらしい。
俺は理学部、荒北は工学部、相良は文学部へと進学した。
文理でいうと、俺と荒北は理系なため、講義もよく一緒になる。逆に文系の相良とは一緒になることのほうが少ない。もっとも、1年だから専門的な講義より全学部一緒の講義のほうが多いのだが。
「ついやっぱ」
ふとそんな声が聞こえてきた。だいぶ聴き慣れてきた声だ。
「こういうトコ、入っちまうんだヨな。1年アラキタ入りまーす!!」
なにやら言いながら入ってきたのは、荒北だ。
「しかし、そんでそこでまさかおめーと同じチームメイトになるたァ、想像しなかったヨ、金城ォ」
「何ブツクサ言いながら入ってきてるんだ荒北。休講で教室にでも行ったか?」
「ぬハッ、るっせ!!」
どうやら俺の予想は正解していたようだ。
「つか知ってたんならメールしろ、メールゥ」
「メルアド知らないからな」
「香咲に聞いてねェのかヨ!!教えとくヨ!!これだヨ!!」
そう言って教えられたメルアド。…随分可愛らしいメルアドだ。
「…AKICHANって何だ」
「るっせ、実家で飼ってる犬の名前だヨ」
椅子に逆向きに座り、部室を一通り見回す。
「先輩は?香咲は講義か」
「4年の原田さんがさっきまでいたが、ゼミの研究室に戻った」
「アイサツ損したぜ」
机に顔を一瞬伏せたあと、すぐに顔を上げてニヤリと笑みを浮かべる。インターハイでも、大学に入ってからも何度も見た野獣のような笑みだ。
「次の学連のレースどうする、金城。出れるぜオレら。秋沢湖の周回ロードレース、このレースにゃ福チャンと新開も来る!!明早大だ。あそこのチャリ部は強ぇぇぜ!!」
楽しそうに語る荒北を横目で見ながら、読んでいた本を閉じる。
「勝つ気か」
「やるからにゃあな!!」
本当にやる気らしい。まだ仲良くなっているかもわからない俺たちだが、このレース、出てみる価値はあるだろう。
メガネをとって、思わず笑みがこぼれる。
「フッ、おもしろい」
2人で急いで着替えて、洋南大のジャージを羽織る。
「洋南大の力を見せてやろう!!」
「ハッ!!超デコボココンビだけどな!!」
「案外そうでもないサ!!」
―――面白くなりそうな予感がする。なんだかんだ、高校時代の…総北の自転車部が忘れられていなかった節はあった。それは荒北も一緒だろう。かつてアシストしていた人は今は別の大学で、かつてのチームメイトにアシストされている。そのことをどう思っているのかわからない。だか、俺も荒北も今のコンビに不満は感じていない。不思議な話だが。
2限からは授業があったため、それに間に合うよう軽く自転車をこいで教室へ向かう。教室の入口付近でふと前を見ると、で3,4人の女子がこちらに向かって歩いてきていた。その中に相良もいた。インターハイで見たときは腰くらいの長さだったと思うが、今は肩くらいの長さになっている。
「あ、金城に靖友、部室行ってたの?」
ほかの女子たちと一緒にこちらへ向かってきた相良が声をかける。その様子を見てその女子たちが黄色い声を上げる。
「えーっ!!香咲、彼氏!?」
「このリア充がーっ!!」
こういう女子を見ていると、相良は随分おとなしいと思う。いや、おとなしいというより、若干ボーイッシュというか、サバサバした感じだろうか。
「違うよー。チャリ部の友達。まぁ、この細いのは幼馴染でもあるけどね」
その話は初耳だった。元々同じ高校で部活とはいえ、仲いいなとは思っていたが、幼馴染だったとは。
「幼馴染だったのか、荒北と相良」
「あれ、言ってなかった?小学1年生からの付き合いで、今年でなんと13年目の付き合いなんだよ」
「13年って…人生のほとんどじゃないか」
そんなに長い付き合いだったからこんなに仲がいいのか。相良も荒北も一時期ものすごく荒れたという話は本人たちの口から聞いてはいたが、その時間も乗り越えての付き合いなのだろう。どうりで仲がいいわけだ。
女子たちと別れ、俺たちと合流した相良とともに3人で教室に入る。
場所的な問題で俺と相良が荒北より1つ下の段に座ることになったが、近くに座ることができたから良かっただろう。
「そういや聞いたかよ、今年のインハイコースよ」
「あー、あの坂だっけ?」
「…あの坂か」
自転車乗りにとって、あの坂といえば1つしか思い当たらない。
「よかったよね、2人とも。今年のインハイ関係なくって。あんな坂、クライマーじゃないと喜ばないでしょ。見てるだけでも疲れるもん」
「だろうな」
確かにあの坂を登るのは登る方はもちろん、見ている方も疲れるだろう。日本一有名なつづら折り―――日光いろは坂は。
「…ドーヨ、総北」
荒北の一言に相良も瞳を輝かせて俺を見る。
「キャプテンの手嶋から連絡が入った。6人全員のメンバーを決めたそうだ」
「早っえ」
「チーム力を上げることに時間を使うという手嶋の考えだろう」
「純太らしいね。あの子、かなり頭キレるから。でも、ハコガクも負けてないよ。ね、荒北」
「おう。ハコガクも泉田がオニみたいな練習やってるって話だぜ」
泉田…あの筋肉のすごいスプリンターか。アイツが主将になったんだな。
「すごそうだな」
少し目が疲れたため、メガネを外しつつ言う。
「あ、そういや」
荒北が思いついたように言う。相良と2人、怪訝な表情で顔を見合わせる。
「学年上がったってことは、あのフシギチャン…じゃなくて、小野田チャン、あれ…2年になったのか」
「そっか…あの真波も2年になったんだから、小野田くんも2年に…」
小野田が2年になったことが2人にとってはにわかに信じがたい話なようだ。実際俺もあの1年生の中では、一番先輩らしくない奴だと思う。
「そうだな…あれで2年になって…去年優勝したこともあって、今年は大量の1年生が入ってきたらしくてな、奮闘しているらしい」
「奮闘って…そんなになの、あの子。私、実は話したことないからわかんないんだよね。表彰式見て、頼りないなーって思っただけなんだけど」
「協調したときなんか、ずっとオドオドしてたぜ、小野田チャン」
小野田のオドオドっぷりを一通り話し終わって、吹き出したらいつの間にか授業は終わっていた。
「じゃ、私の講義ないから。また昼にカフェで」
教室を出て、相良は手を振りながら俺たちとは逆方向へと向かった。1限で授業がなかった代わりではないが、3限は俺と荒北は講義がある。理系ということもあり、同じ講義だ。
「ことごとく同じだな、金城」
「そうだな。この講義はあまり人がいないな」
「まー、めんどくせェからな」
後列の方の席に座り、ノートを取り出す。結構年のいっている教授の講義は本当に話を聞くだけで、声に抑揚がなくすぐ眠くなってしまう。
大きなあくびをぐっとこらえた時、横から荒北の声が聞こえた。
「…香咲とオレが幼馴染って、言ってなかったか」
「そうだな、初耳だった。でも、同じ高校の同じ部活だったからといって、やけに仲がいいなとは思っていた」
シャーペンを回しながら、眠そうな瞳で荒北が話し出す。
「…オレたちが荒れてたってのは言ったヨな。オレも結構怖がれてたけど、アイツは中学生の時に荒れて、他校にもウワサされるくらいでヨォ…なんでかは知んねぇケド、高校行って足洗った、じゃねーけど、改心したんだヨ」
「…そうだったのか。お前も同じ時期に荒れたのか?」
気まずそうに頭を掻いた荒北だったが、それ以上何も言わずに話を続けた。
「オレは香咲が改心した頃に荒れてさ…2度縁切れそうになったヨ…でも、細っせー糸、手繰り寄せまくってなんとか大学まできたけどな」
「そうだったのか。大変だったな」
「あぁ。…今日、香咲が女子といるの見て、正直安心した。アイツ、高校でも中学のが影響して、女子の友達いなかったんだヨ。それを見かねた東堂が、1年ン時話しかけたらしいケド、東堂はモテるから、どんどん女子が離れて行ったらしくて…結局女子でまともに話せるヤツができたのは、3年になってからっつってた」
今の相良からは正直想像できない。今のあいつは、俺たちだけでなく女子の友達もたくさんいる。おそらく荒北がいれば奴優先なのだろうが、それ以外は常に女子といるイメージがある。
「3年になってまともに話せるヤツができても、休憩時間も放課後もオレらのトコ来ててさァ。それがいやってわけじゃねーし、むしろ学年一の美女と仲良くできるのはアイツらにとっても嬉しいことだったんだろうけど、いつもちょったァ不安だった。昼食も10回に1度女子と食べるかどうかって感じだったしな」
「今の相良からは考えられないな」
感想を述べると、なぜか嬉しそうな表情を浮かべ、照れたように笑った。幼なじみというのは、それほどまでに大切なのだろう。
「マネージャーとしてオレらを支えてくれたのは姉みてェだったけど、実際オレらから離れようとしない妹みたいなヤツなんだヨ、香咲は。だから、今すげぇ安心してるんだヨな」
さきほど見た相良の幸せそうな横顔を思い浮かべる。あの顔を見て、荒北はそんなことを考えていたのか。本当に兄みたいだと思った。
「いいやつだな、荒北」
「るっせ、褒めんな」
そう言いながらも満更ではない様子の荒北もまた幸せそうな横顔だった。