東方Project  ―人生楽じゃなし―   作:ほりぃー

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時間遅れてすみません


37話

 いっぱい恨んだ。

 いっぱい憎んだ。

 いっぱい見てきた。

 いっぱい考えた。

 

 考える時間はいっぱいあった。

 笑顔で話せるようになった。

 気さくに問いかけれるようになった。

 

 水の底に沈んでいく感覚なかでも、

 魔界の暗い闇の底でも。

 自分は自分だったのだ。

 

 それなりに楽しく死んでいるけど生きていける。

 救われた恩を忘れることはない。

 難しく考える必要はない。

 

 嫌われるのには慣れている。

 いつか終わるのはなんてことはない。

 

 たくさん苦しんだから、苦しんでいる人の顔だけはわかる。

 それは

 損な役回りなのかもしれないけれど

 

 平気だ。

 

 ☆★

 

 試合の時間になった。

 試合会場に戻ってきた観客は今か今かと「古明地さとり様」の登場を待っている。あれだけ「来るよ」と横断幕に書いてあったのだ。来ることに何故かみんなが期待を持っている。一回戦で「古明地こいし」があれだけ可愛らしく活躍したことも拍車をかけた。

 それに何故か審判台に縄で括り付けられた白髪のアイドルもいる。口にホイッスルを咥えて息をするたびに「ふぇ~」と気の抜けた音がするのが哀れである。これは負けた者の定めである。

 そのさとり。頭に黒いバンダナを巻いて上白沢慧音の陰に隠れている。ピンクの水着は上下ともフリルが付いている。それにお腹周りには無駄なものが付いていない。小さなおへそを何故か隠そうとする仕草。

 慧音は上下赤いビキニとパーカーを着ている。趣味ではない。河童に勝手に選ばれたのだ。

 

「さとり、そろそろ行こう」

「こめ、こめ、こめ」

 

 手に「米」の文字を書いているさとり。中々に追い詰められている。彼女のペットたちが存分に宣伝してくれたおかげで雲居一輪と一緒に有名人、いや有名妖怪になってしまった彼女である。

 慧音はポニーテールにした髪を払い、苦笑する。

 

「そろそろ霊夢達も来るわよ」

「そ、そうね。一回戦から身内と当たるなんてね……でも霊夢はあの漫画妖怪と一緒に居るから……」

 

 漫画妖怪。妙な妖怪もいたものだなと慧音は思った。言うまでもなく陸上のキャプテンのことだろう。意を決したのかさとりはぱんぱんと顔を叩いている。気合を入れ入れているのだろうが、ほっぺがそのたびに揺れて愛らしい。

 

(身内か)

 

 慧音はそんなさとりにも。さとりの言葉にも小さく微笑む。いつの間にかそんな言葉で表す

 

「おねーちゃん」

 

 ぬっとそのさとりの後ろから出てきたこいし。何故かエプロンを付けている。彼女はさとりの背中をぐいぐいと押して、試合会場まで運んでいこうとする。

 

「がんばれー」

「ちょ、ちょっとこいし。待って」

 

 抗議するさとりだが、そんな風に近づいてくる古明地姉妹を観衆は目ざとく見つけた。だんだんと「さとりさま」「こいしさま」と何故か様を付けられた妹の名前と共にざわめきが大きくなっていく。

 観衆が自発的に道を開ける。妙に気が利いている。まるでモーセのようである。

 さとりの頭から黒いバンダナがとれる。人垣の中を歓声とともに歩き出した彼女の頬は赤い。今すぐにでも逃げ出したい。しかし、それでも生活の為に何としてでも勝たなければいけない。

 

 何故かこいしがさとりと手を繋いで天に向けて掲げる。そんな姉妹に何故か拍手が起きる。慧音はその後ろから早足で、かつさとりとちょっと距離を開けながら試合会場に入った。

 

「いやぁ。大人気ですね」

 

 先に来ていたのだろう。コートの中で腕組をしている一人のキャプテンが巫女に話しかける。

 

「そうね」

 

 とあしらうように言う巫女こと博麗霊夢。彼女にとっては慧音とさとりは「身内」なのである。いつの間にそうなったのか、自分でもよくわからない。それについ先ほどさとりも同じような表現をしていたことを彼女は知らない。

 

「そういえばあの二人はバレーうまいんですかね?」

 

 と水蜜が聞けば、

 

「本人に聞きなさいよ」

 

 とにべもない。だが飽きることなく水蜜は話しかけてくる。周りの大歓声も彼女は聞き流しているかのようである。だが時間は進む。試合時間になり哀れなアイドルが笛を慣らす。ちょっと現状に泣いている。手が使えないので笛を離せないから話せない。もしも笛を離せば「恥ずかしい写真をばらまく」と脅されている。

 

 ――ぴぃー

 

 笛の音が響く。哀愁が漂っている。

 それにコートの真ん中でさとりと慧音、それに霊夢と水蜜が向かい合った。慧音は少し困ったような顔、水蜜はにこにこ、霊夢は仏頂面でさとりは水蜜を睨んでいる。いろんな感情があるのだろう。

 さとりの眼は本気だった。勝たなければいけない。だからこそ霊夢にもちゃんと言っておかなければいけないと感じた。

 

「霊夢。悪いけど本気でやるわ……。その船幽霊に賞品を渡す訳にはいかないのよ……」

 

 霊夢は「のぞむところよ」と本当に望んでいるのかどうかわからない口調で答える。米を求めて戦う地霊殿の主も堕ちたものである。しかし、それを聞いた水蜜は言った。

 

「え? 賞品ですか? かっぱの? げふっ」

 

 霊夢の肘打ちが水蜜の細いウエストに入る。巫女は言う。

 

「米のことでしょ」

「……うう。幽霊でも痛いものはいたいんですよ。そんなの勝てば霊夢さんに全部あげますよ」

 

 その言葉に、さとりが本気で反応した。

 

「え?」

 

 ぱちくりと眼を瞬かせて、霊夢と水蜜を見る。霊夢はため息をついた。

 

「水蜜あんた本気にされているわよ」

「いやぁ。本気なんですけどね。お米なんていらないですし。あげますよ」

「そう。だってさ、さとり」

 

 霊夢の声にさとりははっとする。その顔はいつもの穏やかな顔になっている。張りつめていたものがそっくり抜け落ちている。横で慧音が苦笑しつつ言う。

 

「なんだか悪いな。それにいつの間に霊夢は村紗さんを名前で呼ぶようになったんだ?」

「なっ、いやこ、こいつが呼べっていってんのよ!」

 

 水蜜は両手を組んでうんうん何故か頷いている。

 

「霊夢さんがどうしても、とおお。もう肘打ちは見切りましたよ霊夢さん」

 

 繰り出された鋭いエルボーを軽やかに交わした水蜜は足を取られて砂浜に倒れた。だが、霊夢は気にせず、というよりは無視した。試合前なのに緊張感がそぎ落ちていく。特にさとりは憂鬱そうな顔になった。つまりはいつもの表情である。

 

「こらこらー。しごきんしでーす」

 

 そこを正したのは古明地こいしだった。何故か審判のような顔で彼女達の間にいる。他の四人は「なんでいるの?」と顔を見合わせた。

 

 ☆★☆

 

 一戦目には虎とこいしプラスネズミの激闘。

 二戦目にはニュークリアなパワーと小細工にアイドルと閻魔の戦いであった。それぞれの思いを掛けた気合といろんな小細工の入り乱れた戦いだったが、この三戦目である戦いは少し違った。

 

 気合が抜けている。互いに近い間柄だという事もあるかもしれないが、試合前に水蜜が相手に譲歩したことが止めになっていた。

 

 会場が笑い声に包まれていた。

 ぽーんと上がったボールの下に入り込むのは緑の水着の船幽霊。ショートカットな彼女は舌で唇を嘗めてから狙いを定める。

 

「よし、おーらい」

 

 といんぐりっしゅを使う。本人も意味はよくわかっていないが、そういう物らしい。彼女は両手を組んでボールを上げる。するととんでもない方向へ向かっていく。

 

「あれ?」

 

 と可愛く小首を傾げる水蜜と、必死に追いかける博麗の巫女。霊夢はコートの外に落ちそうになったボールをダイビングして無理やり上げる。砂煙が上がり、ぱちぱちと拍手が起こる。セルフピンチである。

 

「水蜜!! どこ上げてんのよっ!」

「すみませーん、おーらいおーらい」

 

 抗議は流して今度は戻ってきたボールをしっかりとさとり達のコートへ返す。

 

「わわ」

 

 と慌てるのは慧音だった。意外と落下してくるボールを取るのはタイミングが難しい。弾幕ならばよければいいだけなのだが、ちゃんとはじき返さないといけないのだ。ただ少し足が砂に取られた。

 よろけた慧音はそれでも踏ん張る。そしてまるでサッカーのように胸でトラップする。普通やることはない。何故か歓声が上がる。

 それでもほとんどボールは上がらない。そこにさとりが奔る。

 

 大歓声。

 

 さっきからこんな調子である。さとりが何かすれば声が上がり。原因は観客席の前で「せーの」と音頭を取って観衆を無意識に操っている妹のせいだろう。プラカードが途中から出始めているのはどういうことだろう。

 ただ、実際さとりは意外に働いていた。砂を蹴り、素早く動いた彼女。だが手では届かない。

 だから慧音からの「パス」に足を延ばす。美しいトウキックにボールが天高く上がり、今太陽と一つになる。もちろん謎の拍手がある。流石さとり様だ、と意味の分からない称賛の声にさとりは赤面した。

 さとり側はサッカーのようなことになっている。空から落ちてきたボールはネットの真上。ネットを挟んで対峙するのは慧音と水蜜。なんとなく身長が大きく見える慧音も、実はそこまで変わらない。

 落ちてくるボールは慧音側。チャンスである。

 水蜜はブロックをするために両足をそろえて、膝を曲げる。

 二人は同時にとんだ。

 

 ばっこーん。慧音のスパイクが水蜜に直撃する。

 

「ああぁああ」

 

 砂に落ちて転がる船幽霊。顔を抑えている。しっかり顔面でブロックできたのだ。

 

「だ、大丈夫か」

 

 と心配する慧音の後ろにボールが落ちる。アイドルが悲しい笛を吹く。言葉も出せない不遇な状況である。よく考えれば霊夢は刀をどこにやったのかもわからない。とにかくこれで霊夢チームの得点である。

 霊夢は倒れている水蜜に近寄って。

 

「この調子よ」

 

 と激励の言葉を掛ける。この調子で当たって砕けてしまえということだろう。

 

「ひどいなぁ」

 

 のっそり鼻を抑えながら起き上がるキャプテン。そんな会話に周りから笑いが起こる。一番前でニコニコしているのは古明地こいしである。いや、彼女だけいつも何かしらの理由で笑っている。

 慧音はおろおろしている。冷やしてきたらどうだと言ったりするが、水蜜は「大丈夫ですよ」と返して親指を立てる。軽い。

 そのように和やかに試合は進む。お互いに真剣さが足りないこともあり、選手である彼女達も笑いながらである。特に霊夢から見ればさとりの妙な持ち上げられ方が滑稽で少しおかしい。

 

「いくわよ。さとり様!」

 

 霊夢はサーブの前にそんな挑発したりする。さとりはその声に何か言っている。聞こえないのだが、おそらく「やめて、れいむ」などと言っているのだろうと霊夢は考えた。聞こえなくても何を言うかくらいはなんとなくわかる。

 

「あ」

 

 霊夢の頬が緩んでいる。コホンと咳払いする。いつの間にか冗談まで交えながら、楽しんでしまっていた。負けるわけにはいかないはずの戦いなのである。彼女はボールを片手で上げて、前に出るジャンピングサーブをする。

 ぱんといい音が響いて、一直線にさとりのコートへボールは向かう、はずだった。ネットに引っかかる。

 それを水蜜が拾って「どんまいどんまい」などと言いながら投げ返してきた。何故か相手コートの慧音も「気にするな」などと言ってくる。建前上は敵のはずなのだ。

 ルールは河童独自の適当ルールである。サーブが失敗すればもう一回である。つまりダブルフォルトから敵の得点になる。霊夢はもう一度ボールを構える。

 

 ――負ければ

 

 一瞬考えてはいけないことを考えた。

 ボールが上がる。霊夢は今度はその場で止まって撃つ。あたりどころが悪かったのか、自分のコートの砂に刺さって、転がっていく。

 

「わっ」

 

 と水蜜が健康的な足を上げて避ける。彼女は振り返り、霊夢に近づいて言う。

 

「気にしない気にしない。これからですよ」

 

 と明るく歯を見せる。得点が相手に行っても気にすることなどない。

 ただ、霊夢はその顔を見ながら低い声で言う。

 

「悪かったわ。次は失敗しないから」

「ええ、お任せしましたよ」

 

 霊夢の横を水蜜が通る、流し目でどことなく沈んでいる彼女の表情を見ながら。「ああ、そうですか」と口した。水蜜は少し顎に手をあてて、くりっと眼を動かす。それから審判のアイドルに向かっていった。

 

「タイムお願いしますっ」

 

 ぴぃ~と笛が鳴る。なるたびに何か悲しみが湧いてくる音である。審判台の下には河童が待機している。逃げられるものではない。いつか河童を一匹残らず駆逐してやると、アイドルは思っている。天狗共々だ。

 

「なんでいきなりタイムなんてすんのよ。水蜜」

 

 霊夢はいぶかし気に聞いてくる。水蜜は笑顔のまま、顔を近づけてくる。

 

「この試合勝ちましょうね。霊夢さん」

「はあ? 何をいまさら言ってんのよ」

「せっかく、試合前にお米の件で油断してもらったんですから」

「……あんた、まさか。全部分かって」

「……言ったでしょ? この遊びは霊夢。私は貴女の味方だってね」

 

 村紗水蜜の言葉が霊夢の耳に冷たく響く。

 

「あなたはこの勝負で勝って、異変の情報を手に入れるんでしょ? 幻想郷へ帰る為に」

 

 耳元で喋る船幽霊の言葉に霊夢の体がほんの少しだけ震える。小さな動きである。水蜜はそれを見逃さない。だからわかる。霊夢は抱え込もうとしているということが。水蜜も過去に一人で何年も何十年も恨みや憎しみを抱え込んだのだから、それは出口がないと知っている。

 

(永く生きるのは善し悪しだなぁ。死んでますけど)

 

 嘆息しつつと眼を閉じる。それからゆっくりと開けた彼女の声は、いつもの明るさを取り戻していた。

 

「まあまあ、霊夢さん。お米は全部れーむさんの物ですから、誰も損しませんよ? それじゃあ『作戦』の通りに張り切っていきましょう!」

 

 含みを持たせた言葉。水蜜はそれから霊夢の肩を叩く。彼女は自分のポジションに戻っていく。それは霊夢から一歩一歩遠ざかっていくかのようである。

 

(やだなぁ…………)

 

 ☆☆

 

 ぱーんと砂に突き刺さったサーブ。慧音が身体で留めようとしたが間に合わなかった。ぴーとなる笛が試合終了を告げる。あれから霊夢達が僅かに優勢なシーソーゲームになった。それでも結局最後に霊夢が決めた。

 

「すまないさとり」

「いえ、いいわ」

 

 と汗で肌を煌めかせている慧音の手をさとりが取ると、周りの観衆からも拍手が起きた。こいしは姉が負けたがそれでも口で「ぱちぱちぱち」と言ってくれている。もちろん手も動いている。だが、直ぐにどこかに消えた。

 さとりは神出鬼没な妹に苦笑する。前髪をかきあげて息を吐く。相手コートを見れば霊夢と水蜜が何か話している。どことなく霊夢が嬉しくなさそうな気もしたが、所詮遊びである。いつものことだろうとさとりは首を振った。

 後は霊夢達を応援すればいい。最後にお米を持って帰れれば何も言うことはない。

 さとりはそう思いコートを後にする。後ろから拍手が鳴りやまない。正直やめてほしい。慧音もパーカーを着こんでから早足に追いついてくる。

 

 次の試合はくじ引きするまでもない。残ったのはあまり河童と天子と聖である。よく考えたら一番強そうだとさとりは思った。彼女は慧音と肩を並べて歩く。途中でサインをせがまれた時は「行っていません」と言っておく。

 

 そんな二人の肩を抱くように後ろから誰かが飛びついてきた。

 

「!」

「なんだ」

 

 さとりは眼を見開き、慧音は声を出して驚く。見ればそこにいたのは村紗水蜜だった。彼女もその肌にうっすらと汗が浮かんでいる。

 

「いやあいい試合でしたね」

 

 なんとなくうさん臭さを感じたさとりは頷くだけにしておいた。慧音は「そうだな。勝てると思ったんだけどな」と純粋に答えている。水蜜はそれに愛想よく笑いかけながら、二人を誘う。

 

「ちょっと付き合ってくれませんか?」

 

 ☆★

 

 にとりたちの海の家から少し外れた場所。そこに昔は同じように店をやっていただろう廃屋があった。中は陰になっていて、少しだけ涼しい。水蜜はそこら辺からてきとうに座れそうな「何か」を4つ集めて並べた。石だとか、木箱だとかである。又は機関戦車トーマスの大きな玩具もある。

 

「あんた。何を考えてるのよ」

 

 霊夢は木箱に座りながら言う。手にはラムネの瓶。

 その後ろには慧音とさとりがいた。おなじようい透明なビンの中、しゅわしゅわと音を出す冷たいラムネを持っている。

 

「いやー。せっかく試合したのでお近づきになれればと思いまして。とりあえず乾杯しましょう。ジュースしかないですけど」

 

 霊夢は胡散臭げである。なんでいきなり渡されたラムネで乾杯しないといけないのかわからない。だが、水蜜はまあまあといいながら自分も持つ。慧音とさとりと霊夢と水蜜はそれぞれ瓶を上げて。

 

「かんぱーい」

 

 と打ち合わせる。ラムネでしたのは初めての経験だろう。

 だが火照った体に冷たいラムネが美味しかい。慧音はごくごくと飲み、さとりはビー玉に苦戦している。霊夢は両手で持って少し上品に飲んでいる。水蜜は何故かニコニコしている。

 

 別に何をするわけでもない。彼女達はそれぞれ座り、さとりはトーマスに乗る。

 

「なにかしら……この顔の生えた……ナニカは?」

 

 さとりは疑問に思う。初めて見たが怖い。青い塗装も「顔」の部分もさび付いていて、恐ろしい。霊夢は言う。

 

「怨霊には慣れてるでしょ?」

「これ……怨霊なの? 霊夢」

 

 さとりは首をひねる。慧音も気味悪げに見ながら言う。

 

「いや流石に何か遊ぶ道具だろう、あのはろういんとかで使うような」

「どうやって使うのよ」

 

 霊夢が言うと慧音も「も、持ち上げて?」などというからさとりと霊夢はくすりとした。これを持ち上げて街を練り歩けば怖いだろう。

 それから他愛もない話をしながら、試合の話を少ししていく。先ほどからずっとそうだが、霊夢達が集まるとなんとなく和やかになる、お互いが気を許しているような関係なのだろう。

 と水蜜はラムネを持ちながら思う。少しだけ、太ももを閉じてラムネの瓶の先を咥える。霊夢と一緒にいるのはどう見ても人ではない。幻想郷ではありえない光景が、緩やかに過ぎていく。おそらく未来には―

 

(なるほどね)

 

 すーと息を吸い。はーと吐く水蜜。お腹に力を込めて、ラムネは空になるまで一気飲み。それから地面に置く。彼女はのそのそと霊夢の隣に行く。何をしに来たのかわからないが霊夢は横に座った水蜜を邪険にはしなかった。

 水蜜は会話に自然に入るように、爆弾を投げた。

 

「いやぁ、さっき河童とお話をしましてね」

 

 慧音とさとりの前で水蜜は話し始める。霊夢はびくりと肩を震わせて、眼を開く。何を言おうとしているのかわからない船幽霊を呆然と見る。

 

「このビーチバレーに勝ち残った場合に特別な商品をくれるという話をしたんですよ」

「そうなのか」

 

 水蜜の言葉に慧音が軽く反応する。普通であれば「特別な商品」を水蜜達だけにあることに抗議したり、不快感を表すべきかもしれないが慧音にしろさとりにしろあまり欲が深くない。反応は素朴である。そもそも霊夢が手に入れれば結局は独り占めすることはないと本能的にわかっている。

 

「それで? なんの景品を貰うことになったのかしら」

 

 だからさとりも簡単に聞いた。霊夢はその言葉に目線を泳がせる。水蜜は彼女をちらっとだけ見て、口を開こうとする。だが、何か言う前に霊夢がその背中に軽くパンチした。言うなということだろう。

 

「ぐえっ」

 

 水蜜は少しふざけた悲鳴を上げる。全部わかってやっている。霊夢はいつの間にか立ち上がっていた。

 それから水蜜の前に出て、慧音とさとりに笑いかけながら言った。その笑顔はなんとなく乾いている。慧音とさとりは少しいぶかし気だった。それに霊夢は気が付きながらも演技を押し通そうとした。

 

「にとりとさっき話したのはあれよ。この勝負に勝てばもうこんな仕事やめて帰っていいっていうことよ」

 

 できるだけ、という言葉が似あうほどに「明るく」喋る霊夢。この場だけを乗り切ろうとしているその態度はまだ幼い。その必死なほどの虚勢はすぐに崩れることになる。

 

「さっき霊夢さんと河童が話したのはこの異変で知っていることを話してくれる、ことですよ」

「……ぁ」

 

 水蜜の冷たい声に霊夢は言葉を失った。数秒の間をおいて霊夢は、

 勢いよく振り返り、

 水蜜の体を海の家の壁に両手でたたきつける。木造のそれが揺れる音が響いた。

 

「あんたぁ。どういうつもりよ……」

 

 敵意の籠った眼だった。霊夢は水蜜を抑え込んだまま歯を剥き出しにした表情で言う。その声音は意外に静かで、心の底から滲んでくるような低い声だった。

 それを見返す水蜜の両手は下がったままである。抵抗の素振りすらも見せない。ただ、その深い色の瞳で霊夢を見返している。暗い海の底のように何があるかわからない、何を考えているのかわからない深い色の瞳。

 

「霊夢さんは真面目ですねー。あんな河童との約束なんて律儀に守るなんて」

 

 その瞳を軽く閉じて、わざとらしく明るく言う水蜜。霊夢はその水蜜の仕草に馬鹿にされたように感じてさらに彼女を睨みつけた。河童との条件は言ってはいけないという事は約束したことなのだ。それを破ったのは水蜜である。

 霊夢は拳を握り込んだ、震えたそれを振り上げようとしたところで、後ろから抱き付かれる。

 

「お、おい霊夢。やめるんだ」

 

 慧音が霊夢に抱き付いて、暴れる彼女を何とか水蜜から引きはがす。さとりも同じように霊夢を抑えこむ。それを水蜜はさっきと同じような瞳で見ている。静かな、さざなみすら立たない表情だった。

 

「水蜜! なんで、なんでいうのよっ」

 

 霊夢は慧音とさとりを振り払おうとしているが、二人はそれをさせないために力を込めている。ここまで感情的になった霊夢を二人はおそらく初めて見た。

 

「落ち着け霊夢」

「うっさい、離しなさい慧音!」

 

 火照ったように赤い顔で霊夢は慧音もにらむ。その顔は怒っているようでいて、どことなく困っているようでそれでいて悲しんでいるような。慧音はそんな不思議なことを思った。だが、霊夢に今好きにさせるわけにはいかない。抱き付いたままさらに力を籠める。

 なんとか落ち着かせようとする慧音たちを無視するかのように水蜜が言う。

 

「霊夢さんは隠し事がへたですね」

「……」

 

 その挑発めいた言葉に霊夢は何も返さず、ただ「感情」の籠った眼で水蜜を見た。

 怒りすらも通り越した霊夢の瞳に水蜜は両手を後ろで組む、ちょっとだけ萎えそうになる。だが霊夢はおとなしくなった。感情の線を超えたのかもしれない。

 慧音は水蜜に言う。

 

「あんたも、下手に挑発しないでくれ」

 

 それに水蜜は両手を上げて応える。言葉では返さない。わかったと仕草で示す。

 ともかくおとなしくなった霊夢にさとりが語りかける。声音は優しい。いつもそうなのだ。

 さとりは薄々霊夢の挙動がおかしいとは感じていた。それを気のせいだと思っていた。だが、今はその理由がなんとなくわかってくる。

 

「霊夢」

「……」

「霊夢」

「……」

 

 答えずに水蜜を見続ける霊夢にさとりは語りかけ続ける。

 

「さっきの話だけど……にとりがこの異変にかかわっているのね……」

「……」

「それでこのビーチバレーに勝てば知っていることを話すと言われたのね……」

「……そうよ」

 

 やっと反応した霊夢にさとりは小さくうなずく。霊夢はどもりながら言う。いまさら隠しても意味はない。

 

「このいきなり、放り出された異変だけど、やっと解決の糸口が見つかった、のよ」

 

 作ったように考えながら言っている。さとりはそれでも頷く。うんと小さく相槌を打ち続ける。

 

「全部終わるまで、他のだれにも喋ったらいけないって、にとりは言ったわ。だから、だから。それだから私はあいつが、水蜜が許せないのよ」

 

 さとり達に詳しく事情を説明する霊夢。だが言い終わってから唇を噛んで少し俯いた。彼女の言うとおりであるのならば「異変」に対する手掛かりが無くなってしまうことに怒り、落ち込んだとでもいえばいいだろう。

 霊夢はそう自分に言い聞かせるように言う。

 

「せっかく。糸口を見つけた。のよ。それを台無しにされて、怒らない、わけないじゃない」

「そう……」

 

 さとりはそんな霊夢の肩に手を置いた。彼女は霊夢に顔を近づけて、小さな声で囁くように伝える。

 

「ここに来て……私は心の声が聞こえないことを喜んだわ。今はそれが少しだけ悔しく感じるわ……」

 

 さとりは続ける。

 

「そうね。にとりがそういっていたのなら……博麗の巫女であるあなたが解決に動くのなら、きっと近いうちに……たぶんみんな帰ることができるのね」

 

 霊夢は少しだけ沈黙して、それから合わせるように「そうね」と静かに答えた。さとりはその言葉にも頷いてあげる。彼女も帰ることは望んでいる、いや帰らなければいけないとは感じている。だから霊夢の言うことは素直に受け入れた。

 さとりは唇を少し開く、それから閉じる。何かを言いかけた。だが言葉にならなかった。

 

「もどかしいわ。言葉は難しいものね……」

 

 言いたいことが言葉に出来ないとさとりは思った。なんといえばいいのかわからない。今の霊夢に何を言えば、伝わるのだろうか。

 四季映姫と同じように無理をして能力を使い、相手の心を見てしまえば、それは分かるのかもしれない。だが、さとりはそれをしたくないような気がした。

 たぶん、今の霊夢の心に映っているのは他愛もないことだとさとりは思う。とても他愛のないことであると「わかる」。おそらく、さとりの思い出している光景と同じようなことを霊夢は考えているのだろう。どうせ何もないアパートのことだろうと思う。

 ふと、霊夢を後ろから抱いていた慧音の腕に力がこもった。霊夢の頭に慧音は額を当てながら名を呼ぶ。

 

「霊夢」

「なによ。そろそろ……離れなさいよ。熱いんだけど」

 

 霊夢はあくまでぶっきらぼうに言う。慧音からは見えないが、その視線は慧音もさとりも水蜜もいない虚空に向けている。そんな彼女を慧音は叱るように言う。

 

「…………お前は巫女なんだ。霊夢の言う通り異変を解決する糸口があるのなら、最後までやりとおさないといけない」

「……何が言いたいのよ」

「この異変は解決しないといけないんだ。どんなに、思う所があったとしても」

「だから! なんなのよ。私は最初から、最初からずっと」

 

 霊夢は慧音を振り払おうとする。逆に慧音は離さない。

 

「解決して、幻想郷に帰るっていっているでしょ!!」

 

 霊夢は力ずくで慧音を振り払う。そして振り返る。

 そこにいたのは真っ直ぐに霊夢を見ている上白沢慧音の姿だった。霊夢はぎりと奥歯をかみしめて、彼女に食ってかかる。彼女は慧音の来ているパーカーの襟元を掴んだ。赤い顔で睨みつける霊夢。

 

「あんたらと……、あんたらと一緒にいるのは仕方ないからよ。訳の分からないままこっちに来てから、成り行きで一緒に暮らしているだけなんだ! チルノは馬鹿で食べることと遊ぶことしか頭にないし! ルーミアは腹黒いし何も手伝わないし、あんたは無職でおせっかい焼きで、さとりは他のやつを甘やかすしっ!!」

 

 霊夢の声が大きくなっていく。慧音はそれから眼をそらすことをしない。

 

「いつもいつも狭い部屋で寝るのは暑苦しいのよ。チルノは蹴るし。あんたは大きいし。朝早く起きて、さとりにどやされて仕事行って。帰ってくれば部屋の中うるさいし。なんで毎日毎日おかずの取り合いなんてしないといけないのよっ。一人でいるときはもっと、もっと落ち着いていたわよ」

 

 荒い息をついて、霊夢は叫ぶ。

 

「私は幻想郷にか、帰りた……帰らないといけないのよっ! あ、あんたなんかに、あんたらなんかに言われなくてもわかってる!」

 

 霊夢はともすればへたり込んでしまいそうな自分の足に力を入れる。少しうなだれながら彼女は慧音のパーカーを離して黙り込んだ。離された慧音は近くにいたさとりと眼で会話する。こんなことができるのもしばらく暮らしていたからだろう。

 慧音とさとりは霊夢に少し近寄って、それぞれ彼女の肩に手を置き自分の額を霊夢の額にそっと合わせる。霊夢が下を向いているからお互いに顔は見えない。それから静かに言葉を紡ぐ。

 

「霊夢。私は今の生活が好きだ。いつも大変でいろいろと悩ましいことも多いけど、それでも楽しいと思っているよ。お前にもかなり迷惑をかけてしまって悪いと思っている」

「そうね…………霊夢はずっと頑張ってくれているわ。私もうまくいえないけれど……こちらでのことは、良いこともたくさんあるわ……」

「…………」

「なあ、霊夢。私やさとりは少しだけお前より永く生きて居るから、ほんの少しだけいろんなことを知っているつもりなんだ。……それでも何かを終わるときは寂しいこともある。それに少しずつ慣れてしまっただけなんだ」

「……いつ、私がそんなことを言ったのよ」

「ああ、言っていないな……こうやってお前が怒ってくれないと気が付くことも私にはできないんだ……ごめんな」

「なんで、謝んのよ」

「…………ふふ。霊夢はどんな時でも変わらないな。私よりもずっとしっかりしている。でも霊夢……それでも、たまにでいいから」

 

 慧音は額を優しく動かす。霊夢に何かが伝わればという仕草。さとりはうっすらと微笑んでいる。

 

「悩みを分けてくれ……知っての通り、私は抜けているところもあるからそこまで役には立てないかもしれないが、私もさとりもできるだけのことはしてやりたい」

 

 霊夢は唇を噛んだ。それから細い声で絞り出すように言う。霊夢は慧音とさとりにだけ聞こえるように、たった二文字だけの言葉を伝える。少し湿った言葉で、少しだけ嬉しさのにじむような言葉だった。

 

 ☆★

 

 三人を見ていた水蜜はちょっとだけ下を向いて、つま先で砂を蹴った。背けた視線をどこに向けていいのかわからずにきょろきょろとあたりを見ている。それからもう一度霊夢達をみてから、こっそりとその場からいなくなろうとして踵を返した。

 なんでもない、平気である。

 ゆっくりと歩く。気が付かれないよう。

 

「あんたどこに行く気よ」

「ぐええ」

 

 声と共に水蜜は後ろに引っ張られた。水着の彼女を引っ張る場所など限られている。肩ひもを後ろから霊夢が押えて引いてきた。

 後ろにいたのはいつものようにふてぶてしい態度な博麗の巫女である。胡散臭げに水蜜をみるのはいつものとおりである。彼女は引っ張りながらぶっきらぼうに言う。

 

「で? あんたどこに行こうとしていたのよ」

「れ、霊夢さんそこは駄目です、さっき一輪にやられて取れたじゃないですか!」

「ごまかそうとしているんじゃないわよ」

 

 霊夢は「ああ?」とまるで不良少女のように口を開けて威嚇するような目で水蜜を見る。彼女は肩ひもを引っ張ったまま前に進もうとしている。水蜜は慌てる。

 

「れ、霊夢さんどこへ?」

「ビーチバレーの次はたしかあんたの所のやつでしょ? 見に行くわよ」

「……へ? まだやるんですか?」

「あたりまえじゃない。何言ってんのよ」

「私とですか?」

「…………あたりまえじゃない。他に誰がいんのよ」

 

 霊夢はぱっと手を離す。水蜜は指で肩ひもを直しつつ、あえて言う。一度桃色の唇を嘗めてから。わざと笑いながら明るく踏み込む。他の物ならば、いらぬことと蔑まれるかもしれない。

 

「いやー。意外ですねー。もしかしたら河童さんもどこかで聞いているかもしれなかったかもしれないのにそしたら骨折り損ですね?」

「はあ? にとりのやつがどんなに言っても情報を吐かなかったり変なことをいったり盗聴していたら河童汁にしてやるわよ。勝とうが負けようが吐かせるわ」

 

 なんとなく、いつもの博麗の巫女が其処にいる気が水蜜にはする。

 

「ぇ……あ、ああ。そうですか。流石霊夢さんっ。えっと、ああその」

「ああもう。わずらしいっ」

 

 霊夢はずいと水蜜の前に顔を出して、脅すように言う。

 

「あ・り・が・と・う! 終わりよ。二度と言わないし、めんどくさいことすんじゃないわよ」

「………………なんで?」

 

 感謝の脅し。霊夢らしいそれを、遠くでやれやれとみている二人がいる。ちゃんとしてくるようにそのふたりが言ったのだろう。なんで突っかかっているのかは遠くからでは訳がわからないが、霊夢ならば大丈夫だろうと思っている。

 

 

 

 

 

 

 





 彼女は熱いのだろうか、
 河童の海の家の裏手にある水道の蛇口を思いっきり捻って、ホースを掴む。
 後頭部から思いっきり水を被って、そのまましゃがんだ。
 
 通りかかった毘沙門天が「どうしたのか」と聞いてきたが
 なんでもないです、と黒髪の彼女は応える。
 
 顔が火照っているので水を掛けた。額へ頬へ、水が流れていく。それは洗い流すために。
 木を隠すなら森の中、彼女は何を隠したいのか、頭からしばらく被る。

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