東方Project  ―人生楽じゃなし―   作:ほりぃー

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35話

 剣術とは最善を尽くすことである。

 武器を握るということの意味。そして、武器と相対するという意味。それは常に死と隣り合わせであることである。だからこそ白刃の妖しい美しさは人を惹きつける。それは紙一重の世界に人々は心の底に憧れを抱いているからかもしれない。

 

 今、魂魄妖夢の両手に剣はない。彼女は空手を握って、息を整えている。落ち着いて静かに、深く。彼女の表情は穏やかである。ゆっくりと肺から全身に力を通していくように、いや浸透させるように深呼吸を繰り返している。

 剣術での敗北は死を意味する。そしてビーチバレーでの敗北は社会的死を意味する。

 二つは似ているのかもしれない。だからこそ妖夢は真剣に戦う準備をする。彼女はゆっくりとした手付きで額に付けた長く、紅い鉢巻きをきゅっと締める。

 ぱたぱたと潮風にゆれる鉢巻き。気合を入れるために巻いたそれが、少し似合っている。

 

 サーブは彼女の後ろで構えている青い髪の河童からである。にとりは妖夢の精神統一を、

 

(早く終わんないかな)

 

 と思いつつも待っている。しかし、そこは彼女である。遠くから他の河童が精神統一をしている魂魄妖夢の写真をしっかりと撮っている。抜かりはない。実は自分も取られているとは夢にも思ってはいない。

 にとりは既に妖夢へ指示は終わっている。敵の映姫がどう出ようと関係ないようにするしか勝ち目はない。

 

「いいですよ」

 

 妖夢は振り向かずににとりへ言う。彼女の煌めく両目の先にいるのは、一人の閻魔である。向こう側のコートで佇む彼女を打倒しなければならない。妖夢は眼をそらすことはない。

 後ろで音がする。にとりのサーブの音。妖夢が僅かに顔を上げると頭上をボールが通過していく。

 彼女の清廉な瞳に映る空に浮かぶボール。それは相手のコートで構えていた映姫の手元に吸い込まれるように落ちていく。まるで落下点が分かっていたかのように、いや実際に映姫にはボールの落ちる場所が分かっていたのだろう彼女は綺麗にボールを受け止めた。

 

 ネット際に寄せられるボール。その下で構えているのは地獄烏。妖夢の相手は彼女である。

 縞々帽子を深々と被った黒髪のお空。キラリと光る瞳を真っ直ぐ空に向ける。落ちてくるボールを見定めて、彼女は飛ぶ。比較的大柄な彼女の手は長い。

 自身に満ち溢れた顔のお空は叫ぶ。

 

「ハイテンション!」

 

 強烈にボールを叩く。

 

「ブレーェド!」

 

 お空の放ったスパイクは妖夢の後方へ。そこにいるのは一人の河童である。

 青い髪の彼女が身を投げ出して、両手でレシーブする。砂が飛び、河童が倒れる。しかし、ボールを受け止めた。

 

「そやっ」

 

 にとりは狙ったわけではないが、ボールはふらっと上がり、鉢巻きを浜風に翻す妖夢の下へ。彼女は一瞬相手のコートにいるお空を睨む。彼女の両手はだらりと下がり、まるで刀を「持っているか」のように構える。

 

「桜花閃々!」

 

 よせばいいのにお空に合わせて叫ぶ。彼女の声に周り観衆は合わせて「おおお」と沸く。雰囲気はまた熱くなっていく。妖夢の体が宙に浮き、腰を捻り、リボンを揺らしながら全力でスパイクする。

 小柄な体を目いっぱいに使った一撃。閃光のようなそれは、お空の真横に突き刺さる。

 

「へ?」

 

 反応できなかったお空が変な声を出す。

 一瞬遅れて妖夢が着地する。凛々しい顔つきにばたばたと音を立てる鉢巻き。鳴り響く笛と大歓声。アイドルが決めると盛り上がる。

 妖夢はお空を睨んでからふんと、身をひるがえす。それから地面に倒れている河童に駆け寄って手を貸す。立ち上がったにとりと二人はパンと軽くハイタッチする。

 

「一点だね」

 

 にとりの言葉に妖夢は頷く。

 二人は基本的な方針を立てていた。それは「四季映姫」を狙わないことである。にとりの推測では能力を使っているかもしれない危険人物である。小細工を弄すれば逆に付け込まれる。

 ゆえに出した結論は一つ。霊烏路 空 を正面から突破するというものだ。彼女の制空権を力技で抉じ開ける。単純明快でそれでいて難しいものである。

 四季映姫は後方で最善の位置を常に占めている。ならば逆に比較的にしろ前方にいつもいるお空の反応できない速度で攻撃をする。それは魂魄妖夢のような身体能力を持っていなければ無理だろう。

 

 彼女は鉢巻きを締め直す。

 

「写真なんてばらまかせません」

 

 執念がある。

 

 ★

 

 

 ぴーと笛が鳴る。映姫は足もとに転がったボールを拾って審判に返した。また、お空の足元に突き刺さった敵の攻撃を止めることができなかったのだ。

 しかし勝負は互角。お空たちも得点をしているが既にリードは消えて「20-20」。前者が映姫たちである。21点を先取すれば勝ちなのである。マッチポイントである。

 

 会場はアイドルを応援する声、野球の応援歌。それにやんやと囃す観衆。それは空気が震えるようだった。

 四季映姫はお空に軽く説教をした。さっきから気が付いてたが相手は小細工を捨てたらしい。相変わらず体は重いが、別に気にはしていない。冷静にどの程度動けるかを測っている。彼女は水着の食い込みを直しつつ、涼やかな顔でお空に言う。

 

「やはり相手は貴方を狙っているようですね」

「……私をねらう?」

「ええ」

 

 ちらりと映姫がお空の顔を見れば、きょとんとしている。はっきり言ってしまえばお空を弱点としてにとりたち見ているわけである、正直に伝えてもいいのだがそれで落ち込まれても困る。

 映姫の聡明な頭脳が、刹那の間だけ考えた。

 

「相手は貴方のパワーに正面から向かってくるようです」

「あはは、消し炭だよっ!」

「……空」

「はい、監督!」

 

 返事は良い。ちょっとまた、映姫は口元をほころばせてしまった。不覚である。

 

「私はアシストに回りますから、全力で戦いなさい」

 

 変な指示は無駄だと映姫は分かっている。妖夢を主軸ににとりたちが来るのであれば、お空をぶつけるくらいにしか方法はない。いや、この勝負を通してお空に本質的な「自信」を付けさせたいのだから、むしろ好都合である。

 

 全力で戦えと言われてお空は、眼をぱちぱちさせながら嬉しそうな顔をした。何度も映姫から小難しいことを言われたが、頭に入ってこなかったのだ。それは今の言葉はよくわかった。

 

「任せてくださいっ!」

 

 胸をまた叩く。大きく笑うお空が楽しそうにしている。映姫も軽く微笑む。お空には底と天井がない。テンションが上がればどこまでも上がり、下がればどこまでも下がる。映姫にもだんだんとお空の扱いが分かってきた。

 映姫は頭に赤毛のサボり魔を考えながら、人事とは難しいと感じている。

 

 お空は笑いながらコート際に行く。ニコニコしながら、汗を煌めかせている彼女。頭に被った縞々の帽子を脱ぐ。さらさらと髪が揺れる。観客席から何故か声が上がる。

 お空は本気を出すために帽子を投げた。映姫は「あ!」と声を上げて追いかける。元々は彼女の物である。彼女は地面に落ちた、帽子を拾い上げてみると目の前に彼女の引率してきた少年野球団の顔があった。

 すました顔でぱっぱと砂を払い。映姫はとりあえず自分で被る。

 

 そんなことは眼中にないお空が胸を張り、コートの向こうにいる白髪の少女。魂魄妖夢へいう。鉢巻きをした彼女もお空を真っ直ぐ睨んでいる。

 

「こんなちんちくりんに負けるわけありませんっ!」

「なっ!?」

 

 太陽のような笑顔で挑発するお空。ぐぐと怒りながら胸を張り返す妖夢。対峙する二人の写真はよく売れそうだから、遠くから撮影された。

 

 ★

 

 じりじりと焼かれるような炎天下の下、お空は飛んだ。何かを叫んで思い切りスパイクを放つ。砂を蹴って追いかけるのは、青髪のにとり。彼女はまた倒れつつも腕にボールを当てる。

 すかさず妖夢も走り寄りレシーブ。その間ににとりが立ち上がった。

 

「いくよ!」

 

 上がったボールの下ににとりが付く。彼女は両手を組んで丁寧にもう一度上げる。

 

「妖夢っ」

「はいっ!」

 

 短い掛け合いで分かり合える。妖夢は落ちてくるボールに合わせて飛ぶ。彼女の瞳が光る。そこに映るのはお空である。全身のばねを使って、妖夢はアタックする。ばしいんと音がしてお空のにボールが胸の少し上へ当たる。

 

「うわっ!」

 

 のけぞるお空。ボールは跳ねて地面に落ち、る前に駆け寄った映姫が蹴り飛ばした。

 上がる歓声。彼女の小さな足に蹴飛ばされたボールは弧を描いてにとり達のコートへ飛ぶ。

 

「チャンスっ!」

 

 にやっと笑ってにとりは両手を上にあげる。天へ押し上げるようにボールを押す彼女。映姫は苦し紛れに蹴ったのだろうと彼女は思った、それが運よく自分の下へときた。

 

「妖夢っとどめだよ」

「はいっ」

 

 腰をかがめて見えない刀を構える妖夢。ここで決める。妖夢は一歩、二歩。助走をつける。にとりの上げてくれたボールに最高の一撃を叩きこんで決着をつける。それだけに全精神を集中させている。

 彼女は飛ぶ。体を弓なりに反らせて、勢いをつける。腰を捻るとリボンが揺れる。浮遊する一瞬、構えているお空が見えた。

 

 汗の輝く顔が、歯を見せて笑っている。自身に溢れて挑戦的な顔。それに対する妖夢の瞳に熱がこもる。彼女は思った、もっとも取りやすいところに一撃を叩きこもうと。

 

「いきますよっ!」

 

 叫んでから、身体のばねを使ってアタックする。狙いはお空の構えている手元。一番レシーブしやすい場所である。正々堂々、真っ向勝負こそが本当の勝負なのである。

 閃光のような一撃が、一直線にお空へ向かっていく。この地獄烏の少女も体を捻る。髪がさらりと流れる。

 

「爆符!」

 

 左足を引き、右のかかとを浮かす。

 

「ペタフレアぁ!!」

 

 勢いよく腰を回す。力の伝わった右足をボールに向かって蹴り上げる。

 どよめきの後に、お空のキックしたボールが上がる。妖夢から撃ちだされた軌道を伝って戻るかの様に空へあがろうとする。しかし、少し低い。

 ネットの最上部に引っかかる。急激に勢いを失くしたボールはゆらりと一瞬だけネットに「載った」。刹那の時間を観衆も、映姫もにとりも妖夢も見ている。お空だけは足を抑えてうずくまっている。

 

 ネットの上で揺れるボール。瞬きをする程度の時間。

 にとりはそこでわかっていた。

 

(あの閻魔……私にボールを上げたのは)

 

 傾いたボールがコートに内側に落ちていく。完全に力を失っている。ネットに沿っての軌道は拾うことはできないだろう。

 

(こうなることがわかってたんじゃないのか……?)

 

 驚愕の顔をするにとり達の目の前に、ボールはぽとんと落ちた。

 それを目の前で見た、鉢巻きの少女は体に力を抜いて、悔し気に空を見る。

 そして、一瞬の静寂の後。審判席からおかっぱの河童が思いっきり笛を吹く。それにつられてお空が顔を上げる。目元にちょっと涙があった。蹴ったはいいが打ち所が悪かったらしい。だが、直ぐに飛び上がって。

 

「やったぁ!!」

 

 青空の太陽にむかってジャンプしながら右手を突き上げた。それに答えるように観衆からの大きな歓声。このビーチ全体を包み込むようなそれに、お空は両手を振って応える。こいしと少し似ているのかもしれない。

 

 彼女は嬉しそうに映姫に駆け寄る。彼女の手を掴んでブンブン振り回しながら言う。

 

「監督っ。勝ちました」

「……て、てをはなじてください」

 

 体全体が揺さぶられるほど映姫の手を振り回すお空。映姫はその手を優しく振り払い一言「勝って兜の緒を締めるべきです」と説教くさくいう。

 

「かぶ、とむし?」

 

 お空はよくわからなかったが、うんうん頷く。原子力関係以外の小難しいことは頭に入ってこない。映姫はかっくりと肩を落としたがとりあえずはお空の「自信」の地盤は強くなっただろうと思う。

 

「あんた」

 

 そう呼びかける声に映姫は顔を向ける。にとりが両手を組んで立っている。顔が火照っているし近くで見ると汗だくである。映姫も疲れているが顔に出さない。

 

「今回はあんたの勝ちにしておいてやるけどさ」

 不愛想に言うにとり。

 

「次やったら私が勝つよ。能力が使えるんなら先に言えばいいのに」

「……使おうと思えばあなたも使えるでしょう?」

「使うわけないじゃん。疲れるし。私の力がビーチバレーに何の関係があるんだよ。まあ、いいや」

 

 にとりはとりあえずとばかりに手を出す。握手をしようというのだろう。映姫は少しその手を見てから、自らも手を差し伸べた。

 

 観客から惜しみない拍手。その後ろで河童に取り押さえられているアイドル。負けた者へは容赦などない。

 

 ★

 

 

「あー疲れた」

 

 海の家の後ろは涼しい。影になった場所で正直な河童は折りたたみ式のビーチチェアに座った。体全体を預けるようにどすんと座る。手に持った冷たいおしぼりを顔にかけて、上を向く。目元は見えない。

 

「きもちぃ」

 

 ひんやりと顔を包んでくれるおしぼり。炎天下の中でビーチバレーを下のは河童として生まれて初めての経験である。にとりの口元が少し緩む。火照った頬が僅かに動く。

 結果から見れば敗北であるが、普通にアイドルの写真を販売することができることは大きい。プレミアがつくだろう。著作権として事務所に訴えられるかもしれないが、別に表向きは「販売していない」ことになっている。

 人の群れの中でたまたまプロマイドを持っている河童達が取引しているだけである。にとりの海の家は関与していない。

 

「あんた。何負けてんのよ」

「……その声は霊夢さんだね」

 

 にとりはおしぼりを顔に付けたまま、うすら笑う。彼女から見えるのはぼんやりとした霊夢の影である。

 

「負けたって言っても霊夢さん。別に私が勝とうとも負けようとも賭けには関係ないぜ。だって、ほら。霊夢さんたちが勝ち上れるかどうかがポイントなんだからさ」

「それはそうだけど、なんか釈然としないじゃない」

「あれ? 霊夢さんは私達を応援してくれてたの? けけ」

「そ、そんなんじゃないわ!」

 

 霊夢の影が動く。にとりはおしぼりを外すことはない。何故ならまだ少し冷たいから。彼女はそんな姿のままにやにやと笑っている。

 

「次の試合は霊夢さんたちか、あいつらが出るだろうね」

「なにか細工したかのような良い方ね」

「とんでもないね。何もしてないよ。ただ、霊夢さんの同居人と私の同胞チームが戦ったらさ、ね?」

「……地味ね」

「だろう?」

 

 特におかっぱとそばかすの河童の二人は地味である。にとりは彼女達のプロマイドも情け容赦なく売っているが。彼女はまだ「に」の文字で売られている写真の正体を知らない。だからこそにやにやできる。

 

「そういう訳だからきっと、霊夢さんかあの尼のチームが出てくると思うな。まあ、これは私の直感だけどさ」

「根拠がないのによく言えるわね……」

「遊びに根拠なんていらないだろう? 楽しむためにやっているんだから、楽しくしなきゃ損だぜ?」

 

 にとりの視界で影が動く。彼女の前に立っていた霊夢が立ち去ろうとしているのだろう。少しため息が聞こえてくる。だからこそにとりは顔からおしぼりを取ることをせずに行った。

 

「霊夢さん……勝っちゃっていいの?」

 

 その言葉におしぼりの向こうの「影」が振り向いた。どんな顔をしているのだろうかとにとりは思う。ただ、声は思ったよりも穏やかだった。

 

「どういう意味よ」

 

 冷たさすら感じさせるほど、波の無い声である。にとりは両手をわざとらしく上げて言う。椅子から立ち上がったりはしない。

 

「別に。……とりあえず私は疲れたから、少し寝るよ……。次の試合くらいになったら起こして……」

 

 ★

 

 霊夢はにとりを起こす気など微塵もなかった。

 今頃あの河童は海の家の裏でぐうぐうと寝ているだろう。霊夢はにとりの言っていた戯言を払うように、肩にかかった髪を払う。

 異変は解決するものである。巫女として当然のことであり、疑うべきことなどない。

 霊夢が地面をなんとなく見ながら歩く、意識しているわけでもない。どうして自分が少し下を向いているかはわからない。

 ただ、そうやって歩いていると足が見えた。その彼女はメロン色の水着を着ている、よく顔だけは知っている妖怪である。

 

「あんた、幽霊の癖に足はあるのね」

「そりゃあ、ないと歩くとき困りますわー。……というかいまさらですね」

 

 おちゃらけた言葉に呆れて顔を上げる霊夢。そこにいるのはいつも通り、村紗水蜜であった。いや、こうやって一緒にいるのは今日が初めてである。そのはずなのだが、霊夢は普通に接することができる。

 

「河童も負けたし。あの説教好きなやつを倒さないといけないわね」

「うちの一輪とかが上にあがってくるかもしれませんよ」

「身内なんでしょ。その時はワイロでも渡しなさいよ」

「……」

 

 目をぱちくりさせるキャプテン。それからくすくすとして、頭を掻く。巫女の口から「ワイロ」などという言葉が出るとは少し思っていなかった。逆に言えば、ちょっと思っていた。

 

「そうですねぇ。一輪って何をあげれば喜ぶのでしょうか」

「あんた昔から知り合いなんじゃないの?」

「とはいいましても、殆ど贈り物をしあった記憶はありませんね」

「そこら辺の砂でもあげてみれば?」

「あ、貝殻とか入った砂を綺麗なビンに入れて渡したら、ちょっと喜びそうですね」

 

 真面目に返されて霊夢はちょっと言葉に詰まる。だから彼女は顔を背けた。その仕草は別に霊夢に嫌われているわけではないと、水蜜も短い付き合いながら少しわかってきた。

 霊夢の見ているのはビーチバレーのコートである。また、駆り出されたおかっぱと哀れな尼こと雲居一輪がマイク片手に観衆にむかって何か言っている。顔はやはり赤いが、霊夢には興味がない。

 おそらく次の対戦のカードを決めているのだろう。おかっぱはまた手に箱のような物を持っている。中にはそれぞれ河童が適当に決めたチーム名の書かれたボールが入っている。

 

「れいむさんれいむさん」

「なによ」

「次あたり私達の試合になりそうですね」

「はあ? そんなの分からないじゃない。にとりと同じようなことを言っているわね」

「あの河童は今どこに?」

 

 教えたら写真の恨みでにとりを海へ沈めかねない。霊夢は「さあ」と軽く流した。水蜜は少し腑に落ちないような顔をしつつも、言う。

 

「試合はチームプレイが大事ですからね。私のことはお姉ちゃんと呼んでもいいですよ」

「よばないわよ……」

「まあ、そういうと思いましたけど……。じゃあ無難に水蜜でいいですよ」

「…………」

 

 呼んで、と言われれば呼びたくなくなる。気恥ずかしいこともある。だから霊夢は普通に断る。

 

「いやよ、むぎ」

 

 そんな霊夢の両頬を水蜜は両手で挟んだ。

 

「あんは、なにふんのよ」

「だめよ霊夢。勝たないといけないんだからね」

 

 水蜜の眼が座っている。彼女は両方の掌で霊夢の頬をぐりぐりする。妙なことにこだわりを見せている。

 

「わはったから離して」

「あ、そうですか」

 

 ぱっと離して、ニコッと笑う船幽霊。霊夢はそれをじとっとみる。コートでは歓声が上がっている。おそらく次の対戦カードが決まったのだろう。しかし、そんなことよりも水蜜は両手の人差し指を自分の顔に向けて、

 

「さあさあ」

 

 などとニコニコしている。名前を呼べという事だろうが、彼女は半分以上わざとやっているのだ。こうしてやれば霊夢は「呼びにくい」と水蜜は確信している。

 案の定霊夢は言いにくさを感じたのだろうが、口を開けて「ああ?」とドスの利いた声を出す。少女というよりは不良のようである。その後、こめかみに指をあてて、ため息をつく。どうせ呼ばなければからまれ続けるだけであるから呼ぶことにした。

 

「はあ、わかったわよ。おねえちゃ……水蜜!」

「え? え? 霊夢さん今なんて言いました?」

 

 言葉は言い間違えることがある。霊夢は最低のタイミングで言い間違えた。

 

「なんですか? もう一度いいですか?」

 

 からんでくる船幽霊。霊夢はそのほっぺたに手をあてて、後ろに追いやろうとする。言い間違えたことを心底後悔した。力を込めて押しやると、水蜜はむしろほっぺたから体重を押し付けてくる。うざい、霊夢は思った。

 そんな風にじゃれついていると、遠くから一輪の声がする。

 

『次の対戦は巫女と幽霊チームとさとり様と先生チームです!』

 

「お」

 

 水蜜はほっぺたを霊夢の手に押し付けたまま、眼だけを動かす。次の試合は自分たちらしい。それに相手は霊夢と同居している者たちのようである。水蜜は同じ姿勢のまま霊夢を見ると、彼女も目線をコートの方へ向けていた。

 

「次ね」

 

 霊夢は静かに言う。水蜜は何度か瞬きをしながら、その横顔を見た。できるだけ感情を抑え込んでいるような、そんな顔を巫女はしている。

 

 ★

 

 雨の日というのは霊夢は好きでも嫌いでもない。

 幻想郷にいる時も今でもそれは変わらない。

 彼女一人には広い神社。地を叩くような、雨音。霊夢は縁側で降り続ける雨を見つめていた。適当に煎れたお茶とてきとうに用意した煎餅にそこらで借りて来た本を膝にして、ただ黙って読書している。

 雨の日に外に出る用事はない。幻想郷の雨の日は静かである。こんな日には来客もほとんどない。偶には金髪の魔法使いや小さな妖精たちも自分の家で何かやっているのだと霊夢は思う。

 

 家の中は暗い。当たり前である。電気などないのだ。だから、多少は明るい縁側にいるのだ。寒ければ中に入って火にあたるべきだろうが薪代も馬鹿にはならない。参拝客が少ない神社は常に金欠である。

 かといって、霊夢はちっとも寂しくはない。元々「雨の日」とはこういう物なのである。彼女は意外と行儀よく座布団に座り、お茶をすすったりする。

 なんてことはない、いつものことなのである。霊夢はそこになんの感慨もなく、感情もない。

 

 ある日突然その世界に放り出された日も雨の日だった。

 遠くに響く電車の音を聞きながら、曇天の空を見上げたことを博麗霊夢は覚えている。彼女はその瞬間にはこれは「異変」であると直感した。そうであるならば彼女のやることは一つだけである。

 ただ、現実は厳しい。異変に対して何とかしようという気概があろうとも霊夢は生活に追われた。解決の前に生きなければいけない。

 ひょんなことから出会った何人かの妖怪や妖精と共同でボロアパートに入り込めた時は、正直に言えば嬉しかったりもした。とはいえ巫女は巫女として何かするよりも労働者としてなんとか生活を支えなければいけなかった。毎日は辛く厳しい工場勤務。寝言でパンの個数を数えていたと同居人に言われた時には頭を抱えた。

 

 霊夢は雨の日が好きでも嫌いでもない。それは変わらない。

 外の世界での初めての梅雨の時はむしろ毎日が雨で嫌になったことはある。

 とある日のことを彼女はなんとなく覚えている。別にどうという事もない日だ。朝は久しぶりの晴天で同居人と一緒に洗濯物を干していた。窓の外に付けれたぼろぼろの物干し竿を使っていた。

 しかし、昼には空は曇り一気にバケツをひっくり返したような土砂降りになった。一瞬のことである。その時、霊夢は突如降り始めた雨に慌てて、立ち上がった。

 

「け、慧音。雨が降り始めた!」

「あ。まずい」

 

 慧音と呼ばれた髪を一つにまとめて、赤い伊達眼鏡を付けた女性。就職活動の帰りでリクルートシャツにパンツルックである。霊夢と一緒に立ち上がって、窓に駆け寄った。二人は窓を勢いよく開けて、窓の外に掛けた洗濯物を掴んでは室内に放り投げた。

 慧音が洗濯物のハンガーを引っ張った時、するりと掛けてあったシャツが落ちた。外へである。下は剥き出しの地面だ。

 

「ああああ、お、おとしたぁ」

「何やってんのよ慧音!!」

 

 霊夢も驚愕の顔をしている。シャツは自分のような気がする。ひらひらと落ちて、水たまりにホールインするシャツ。声に反応したのか後ろからピンク色の髪をした少女、さとりが近寄ってきた。その後ろにひょこひょこと何故かゆで卵を齧りつつついてくる、金髪と青髪の小柄な少女達。ルーミアとチルノだ。

 三人は窓に顔を近づけて外を見る。それぞれ窓ガラスに手をついて、下をのぞくような顔。

 

「……とりあえず拾いに行かないといけないわね」

 

 さとりが言う。

 

「め、面目ない」

 

 心底そう思っているのだろう、慧音は申し訳なさそうに言う。霊夢は両手を組んでわずかに頬を膨らませている。

 

「とりあえず外に出て取ってきなさいよ!」

 

 霊夢の言う通り外に出なければシャツは回収できない。慧音は肩を落として玄関へ行き、ビニール傘を手に取る。100円均一で買った傘である。彼女ががちゃりと玄関を開けるとそこに飛び込むように走るチルノ。

 

「あたいもいくっ!」

「うっ!?」

 

 チルノは慧音に後ろから抱き付いた。それにのけぞる慧音。部屋中に響き渡る声に霊夢は呆れる、雨の日に好きこのんで外へ出ることに「ばかね」という。しかしその横にいたルーミアも。

 

「わたしもいーこっと」

 

 などと言いながら外へ出ようとしたから、霊夢は肩を掴んだ。

 

「あんた、何か企んでない?」

 

 ルーミアは霊夢をちらりと見る。それからにっこり笑う。

 

「失礼しちゃうわ」

 

 言いつつ、手を振りほどいて早足に外へ出ていく。彼女は慧音の背中をチルノと押しながら足で玄関を締める。霊夢とさとりはお互いに顔を見かわして、殆ど同時に首を傾げた。

 とりあえず霊夢は窓を閉めて、小さな円卓の前に座る。それからミカン箱の上に置かれたちょっと壊れたテレビをぼけぇと見始める。仕事のない日はだいたいこんなものである。

 さとりは台所から急須を持ってきて、お茶の葉を入れてリサイクルショップで買った電気ポッドからお湯を注ぐ。こぽこぽ音を立ててポッドの口から白湯が流れ込んでいく。ポッドは表面が色あせた花柄である。

 

「美味しく入れるお茶の淹れ方は……どうすればいいのかしら」

 

 さとりはひとりごちる。霊夢はチラリと冷たく見てから言う。

 

「安物お茶なんてどれも一緒じゃないの?」

「……みもふたもないわね……」

 

 さとりは一応地霊殿の主である。いわゆる地主だろうか。彼女がこちらに来るまではスーパーやらで安物のお茶の葉を買うことなど想像すらしていなかった。さとりは100均で買ったお湯のみを二つ用意して、急須を傾ける。

 

 テレビの音とともにさとりと霊夢が偶に話をする声がする。ただそれだけの時間である。内容と言えば他愛もないことである。夕飯の話や明日をどう生きるかの相談などである。

 

「それにしても、おそいわね」

 

 時計を見ながらさとりがぽつりと言う。慧音たちはあれからまだ帰ってきていない。それに霊夢ははたと思いついた。彼女は手に持った湯呑をがん、と円卓に置く。

 

「あいつら……。もしかして買い食いに言ってるんじゃないの?」

「……慧音が一緒にいるのよ?」

「ルーミアがあんなことについていくのはおかしい思ったわ、あいつがシャツを拾いに行くだけでついていくやつじゃないわ」

 

 いつもだらけている癖にアイランド・ヴィレッジに行くと一番時間を使うのは金髪の少女である。いつもチルノと一緒にいるが霊夢は危機感を覚えて立ちあがった。

 

「ちょっと見てくるわ」

 

 急いで玄関歩み寄り開ける霊夢。

 そこに立っているのは青い髪をと濡れたシャツを持った長身の女性。少し暗い顔をしている。もちろん慧音である。

 

「すまん」

 

 何故か謝る彼女。顔は暗いが後ろにいるチルノとルーミアはもぐもぐと口を動かしている。よく見ればルーミアの手には一つの赤い箱。それにはアイスが入っていることは霊夢も知っている。

 

「な、なに。月見大福買ってきてんのよ!」

 

 外はモチモチ中ひやひや、それが「月見大福」である。その名の通り大福の形をしたアイスであった。霊夢は慧音の肩を揺らしながら、問い詰める。

 

「あんたがついていきながら~!」

「わ、悪い霊夢。あのシャツはルーミアのだったらしくて泣かれて仕方なく……」

「そのシャツは私のよ! あいつの涙なんて信じてどうするのよっ。そんなのだから訪問販売とかテレビ局とかにからまれるのよっ」

「え? このシャツは霊夢のなのか?」

「え、じゃないわよ」

 

 その後ろでニコニコしながら大福を頬張るルーミア。同じようにチルノも何故か大福の皮だけを食べる妙なことをしている。霊夢がそれをぎぎぎと睨んでいると、その後ろからひょっこりとさとりが顔を出す。

 

「まあまあ、霊夢。いいお茶菓子が出来た……と思えばいいんじゃないかしら」

「…………」

 

 ちょうどお茶を淹れたところでもあったのだ。霊夢はふんと鼻を鳴らして、ずかずかと部屋の中に戻っていく。慧音はしまったと肩を落としている。その彼女の肩をさとりは優しく。ぽんぽんと叩く。

 

 ぞろぞろと狭い部屋に入り込むと、狭い部屋はさらに狭い。それに真ん中の円卓は小さいのでそれぞれの肩身も狭い。普通に横いる者と当たる。

 霊夢も慧音もさとりもルーミアもチルノも目の前に湯呑を置いているが、氷の妖精の中身だけは炭酸の抜けたサイダーである。熱いお茶をあまり彼女は飲まない。

 

「ちょっとルーミア! よこしなさいよ」

 

 霊夢がルーミアと箱を取り合っている。ああは言ったが霊夢とて甘いものは嫌いではない。慧音とさとりは苦笑いしつつお茶をすする。

 

「あ」

 

 と言いつつほっとする慧音。雨の降りしきる外から帰ってきてから、温かいお茶は美味しい。さとりに「おいしい」と素直に言うと、さとりも薄く笑って「そう……ありがとう」と軽く返す。

 

「チルノぱーす!」

 

 ルーミアは立ち上がってチルノに箱を放り投げる。霊夢は「あ」と言いながら、チルノに迫る。氷の妖精はいきなり渡されたアイスの箱を見て、中に手を入れて月見大福をいくつか手に取ると全部口に入れ込む。むしゃむしゃと噛む。

 

「あたいがたへる」

「ああ!!」 と叫ぶルーミア。

「ああ!!」 と同じように霊夢。

 

 リスのように口を膨らませたチルノの両肩をルーミアと霊夢は掴んで抗議する。

 

「あんた何独り占めしようとしてんのよっ」

 

 霊夢も少女である。普通に食べたいらしい。ぎゃあぎゃあと三人でわめきつつ、もがきつついつの間にかルーミアが二人の下敷きになりつつも、やっとこさ霊夢は箱を取り上げることができた。

 中を見ればひとつしかない。殆どチルノに食べられている。霊夢はそれを掴んで、食べようとしたが、ふと思い直した。彼女は手で月見大福をちぎり、三つにする。

 

「ほら」

 

 不愛想に霊夢はさとりと慧音に千切れたアイスを渡す。よく言えばワイルドで悪く言えば粗野であろう。普通はしないだろうが、普通はこのアパートの内部に甘味などないのである。

 

「い、いや霊夢が食べてくれ」

 

 などと慧音が言えば霊夢も言い返す。

 

「食べないんなら捨てるわよ」

「そ、それじゃあ。いただくよ」

 

 一口サイズの小さな欠片を慧音はとる。さとりもため息をついたが、軽くお礼を言って取る。小さな大福を三等分するなど貧しさの象徴のようである。だが、もぐもぐと三人は冷たくて甘いそれを食べた。

 

「少ない」

 

 仏頂面で霊夢が正直に言うと、慧音とさとりは吹き出してしまう。それはそうだろう。

 さとりは霊夢の湯飲みを引き寄せて、こぽこぽとお茶を淹れ直してあげる。甘いものの後にちょっと渋くて安いお茶。彼女の後ろではルーミアが狭いスペースをうまく使いながら寝ころんでいる。チルノは窓にぺったり張り付いて「冷たい」などと言っている。

 

 それにつられてか霊夢と慧音とさとりは窓の外を見る。口を開くのはさとりからだった。

 

「良く降るわね……」

 

 曇天の空が泣いているかのように降る雨。

 

「幻想郷の雨の日は道がぬかるむけど、コンクリートの道は便利だったなぁ」

 

 なんとなく慧音も言う。剥き出しの地面であった幻想郷では雨の後の道は危険すらも付きまとうくらいに荒れる。現代以前の社会は常にそうだった、という部分が幻想郷には残っている。

 霊夢はそれを聞きながら思う。

 

(幻想郷……)

 

 見上げた空は「ここ」も「あちら」も変わらない。いつかは異変を解決して帰らなければいけない。霊夢は一度この狭い部屋を見回す。神社よりもはるかに小さなボロの部屋である。見るものすべてが中古品で壁ははげている。

 それでも、

 

「……」

 

 霊夢はお茶を飲みながら考える。

 

(雨の日は好きでも嫌いでもないけど、いつか)

 

 雨の日が、嫌いになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 


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