その少女も他の者たちと同じく、ある時、ある場所で自分が「外」の世界に来ているのだと気が付いた。彼女は、白いシャツの上に濃い緑のベストとスカートを着ていた。その少女は、腰に大小の日本刀を差し、銀色の髪に黒いリボンを付けている。そして背中には白いもやのようなものが寄り添っていた。
彼女は自らが、「外」の世界に来たことを驚いたと同時にとあることに気が付く。
――自らの主人の影も形もない、そのことに。
彼女は探した。この右も左もわからない世界で自らの主人の姿を。だが、いくら探しても見つけることできなかった。彼女は幻想郷では力のあるものはそのほとんどがそうであるように飛行することができたが、この「外」では超常的な力のほとんどが使えなくなっていた。消滅したというよりは、弱体化したといってよいだろう。
探しても、探しても見つからないが、それでも彼女が「半分」生きているかぎりには、お腹も減るし、疲れてしまう。だから、彼女は歩き回って見つけた幻想郷での顔見知りと行動を共にするようになり、生きるために働くことになった。
毎日、変な道化人形の置かれた店でハンバーガーなるものを売る日々。仕事で疲れた体を引きずって、街を練り歩く日常。彼女は家に帰れば、シャワーを浴びて寝るだけの生活をしばらくの間、繰り返すことになる。しかし、それでも彼女はあきらめなかった。
生真面目な性格は時に執念へと変貌することもある。彼女はまさにそれだったのだ。足が重かろうと、生活がハンバーガーとコーラだろうと毎日休むことなく主人を探し続けた。だからこそ「悪魔」の囁きにも耳を傾けてしまったのだ。
「あやや。魂魄さん、いい話がありますよ!」
悪魔は彼女に甘い言葉をささやきかけた、その内容はとある簡単な面接の紹介であると悪魔は言った。そして自分はマスメディアの関係者であることも。
なんでもこれに通れば、収入はあがりかつ日本中において、主人を探す手助けになるという。多少は怪しんだ彼女だったが、藁をも掴む気持ちでその面接に赴くことにした。悪魔からは事前に全ての手続きをしておくから、来てくれればいいと伝えられた。
面接の内容は舞台の上で演武を披露する者の募集と悪魔が言った。だからこそ、その日の彼女は幻想郷から自らの魂とともにある、二本の刀を差して出かけたのだ。これさえあれば、どんな相手でも負けるきはしかった。
面接の場所はそれなりに大きなビルの中にある。そこに彼女が向かう途中、職務質問に何度かであいそうになったが、見つかる前に逃走したため、ことなきを得た。だから、彼女はその姿のまま面接会場に入っていく。会場に行くときにオーディションがどうのと言われたが、意味が分からなかった。
会場にいたのは彼女と同じか、少し下くらいの見た目をした女の子達ばかりだった。演武と聞いていたから、てっきり年配の武術家達が集まるのかと思ったが、そうではないので、
「楽勝ね」
と安堵した。そのあたりは自信過剰な性格を表しているが、そもそも彼女の容姿は群を抜いているといっていいから己惚れているとは一概に言えない。半分幽霊だからか、白く透き通るような肌に深い蒼の瞳。それでいて美しい銀髪。目立たないほうがおかしいといえよう。ついでに常に、煙のようなものがまとわりついてもいる。それでいながら、自信たっぷりに腕組したりしている。
面接は一人一人行われるということを彼女は当日に知った。あの悪魔がそのあたりをぼかして説明していたので、詳しいことはまったく伝えられていないのだ。彼女は一人だったが、面接官は数人いた。スーツを着た者や、少々ラフな格好をした女性など少なくとも通常の仕事の面接ではありえそうにない光景である。
彼女は面接官の座る椅子と、その前の長机以外何一つない部屋の真中に立っている。その状況にはさすがの彼女も少々緊張してしまった。カバンに履歴書をもってきてはいるが、渡すタイミングが見つからない。証明写真は一回撮ることに5百円は取られるので、渡さないのは損な気がする。
履歴書を渡すタイミングが掴めずにいたが、彼女は目の前に座っていたサングラスをかけたロン毛で年配の男に聞かれる。
「えっ、えっと先ほど自己紹介いただきましたが……コーンパーク・ヨームさん? まずは本名を教えていただいていいですか。セカンドネーム(この場合、偽名) でなくてですね……」
まるでトウモロコシを栽培しそうなイントネーションで呼ばれた彼女は、少しうろたえて言う。流石に名前のことについて、何かを言われるとは想定外であった。
「ほ、本名なんですが」
「えっ!?」
「えっ?」
男はまじまじと彼女を見て、眉をひそめたが手元に紙に何かを書いていく。それからまた質問した。
「ええっと、ヨームさん。普段は何をして過ごされていますか?」
「職業は庭師ですが……最近はファーストフード店で働いています」
「え??」
「え!?」
男はこめかみを抑えて、今の会話を口で復唱する。それから「OK。OK」といって、質問に戻る。他の面接官も何事かひそひそと話し始めた。だがそんな状況でも、彼女は胸を張っている。この程度で負けるわけにはいかないのだ。
ロン毛の男が言う。
「髪をお染になられているみたいですね……あとそのカラーコンタクトは取れと言われば取れますか?」
加羅根拓斗。彼女は今言われた言葉がさっぱりわからずに困惑した。幻想郷から来てこっち、コンタクトなどに縁もゆかりもないのだ。それに輪をかけてカラーコンタクトというものについては、理解もできない。夜な夜な主人の幽霊を求めて徘徊し、現代の知識を吸収しなかったことが裏目にでたといっていいだろう。
「取らせませんよ。私は強いですから」
しかし、彼女は言った。堂々と、意味の分からないことを。取る取らないとは彼女のように剣術を扱うものにとって、死活を意味することが多々ある。あるからといってよく分からないことに知っていることで対応しようとすると、たいていヘンテコなことになる。
それでもこの場合は違った。ロン毛の男は下を向いて、肩を震わせる。そして言った。
「今は外されていますが、……腰に日本刀を差して来られているようですが……それは……普段からですか?」
「ええ、そうです」
「……それはなんででしょうか?」
「?……考えたことも……ないわ」
現代で日本刀を腰にさして街を練り歩く理由を考えたことないと彼女は言った。そこでロン毛は立ちあがり、彼女――魂魄妖夢を指さした。
「逸材でしょ。この人! 天然記念物以上だよっ!! 絶対他にいないからっ」
即日の採用。ではなく「受かった」のだ。オーディションに。
それからはトントン拍子にことが運んだ。踊りの練習も、そもそも剣術というものを体にしみこませた妖夢には、理解しやすいものであった。その上、基本的に武術とは呼吸法を大事にする。それは現代的なボクシングでも変わりはしないが、妖夢の呼吸は武術家としてのそれである。
そして呼吸とは、歌うことの第一歩だといってよい。だからこそ、多少の手直しで彼女の歌はそれなりのレベルまで引き上げられることになった。だからこそ、面接で彼女を見出したあの男の眼力は確かだったと証明されることになった。
何か月もの訓練の後、妖夢はとある地方でデビューを飾ることになる。いや、元々それは本格的デビューへの階段としての「顔みせ」程度でしかないはずだった。いうなれば地方活動とでもいうべき地味な作業であるはずだったのだ。
大観衆とは程遠いが数百人の前で、ふりふりのきらきらドレスを着て、歌を唄った妖夢だが、その腰には日本刀が二本あるままであった。
その奇妙奇天烈かつ珍妙なアイドルは瞬く間にTwoitter上で有名になった。ネット社会での情報の伝達速度は音より速い。たとえ会場に人が少なかろうと、その少ない人々に連なる人の連鎖は広大であり、さらにそこから広がっていくのはユビキタス社会である現代の特性と言えよう。
そこからテレビ出演の仕事も舞い込み、全国ネットで、
『魂魄妖夢。歌います』
などと本名で自己紹介を行った。そのかわいらしい容姿に、全国の人々に少なからず、ファンを作る契機になったが、妖夢はそこのころからだんだんと、こう思い始めていた。確かに、主人を探すのではなく、このように「探し出してもらえる」状況にしたほうがいいことは理解できる。
「……なにかが、違う……」
ライブが終わった後に、妖夢は控室でパイプ椅子に腰かけたまま、そうつぶやいた。
そんなこんなで魂魄妖夢がよくわからないうちに、全国でデビューを果たしてしばらくした今日に、あの悪魔が取材にくるとのことで、彼女は所属する事務所でソファーに座って雑誌を読んでいた。恰好はいつも緑のベストにスカートである。傍らには常人では扱うこともできないであろう刀を二本置いている。
「…………」
雑誌を読むということは基本的に娯楽が目的である。たまに政治的な話題を特集したりすることもあるが、それでも妖夢の読んでいるのは週刊のアイドル雑誌でしかない。しかし、彼女はそれを今にも泣きだしそうなほどに顔を真っ赤にして、下唇を噛みしめた表情で読んでいる。
開くページ開くページ自分の特集を組まれていては、そうなるであろう。実際には数ページにすぎなくても、あまりに強烈な衝撃が妖夢を包んでいた。
そこには白い水着を着た、「魂魄妖夢」なるものが片目をつぶって、可愛子ぶった写真が載っている。その傍らには「この夏は、ヨームで決まり!」などとあおり文句が付いている。それを見た瞬間に妖夢は雑誌を手放して、ソファーの上で丸くなってしまう。いつも自信たっぷりな彼女は耳まで真っ赤にして全身で震えた。
「うぁああぁぁあぁあなにがきまったのよぉおぁあぁああぁあぁああぁああぁぁぁぁあああああああああ」
くぐもった悲痛な叫びが彼女から漏れる。恥ずかしすぎて、今すぐにでもテレビで見た、青狸のタイムマシンがほしい。そして悪魔を切り倒したい。事務所の者からは「この雑誌、全国で売られているよっ」などと嬉しそうに言われたが、その時の妖夢は変な笑い方しかできなかった。
妖夢はなんとか体勢を立て直して、雑誌を手に取って読み始める。どんなに恥辱であろうと、自らのやったことを見ておかないと心が休まらない。もちろん、あおり文句を書いたのは彼女ではない。
ちなみにこの雑誌は水着以外にも、ただクッキーを美味しく食べている写真や、刀を構えてカッコつけている写真など、妖夢の精神をズタズタにするには十分すぎるほどの破壊力を持っていた。それには全てあおり文句が付いている。刀を構えた横に「美しすぎる、その構え――」などと、こっぱずかしかしいことが書かれていた。
「…………」
いつの間にか、また雑誌を手放した妖夢は壁を爪でがりがりと掻いていた。胸の奥からくるこの衝動を行動に表さなければ、恥辱でもう半分も死んでしまいそうである。時には自らの半霊を掴んで噛むような奇行も行ってしまう。しかし、彼女は気が付いていなかった。自らの記憶に深く刻み付けられたものは、たとえ雑誌を見ていなくても頭の中でループするということを。
「……!……!!」
妖夢はその場でソファーの上でのたうちまわる。頭の中ではエンドレスに自らの水着姿が現れては消えて、から現れる。両手で顔を覆っても、頭を振っても無駄であろう。恥ずかしと思えば思うほどに、それは何度でもよみがえってくるのだ。
「ぅいいぅ」
頭を抱えて妖夢は唸る。あの写真達は彼女もそんなつもりで撮ったわけではなかったのだ。遠泳をするからと海に連れられ、味見してくれとクッキーを食べ、おだてられて調子に乗り刀をぬいたらその場面が全部写真にとられて雑誌に載せられていただけだ。彼女の周りの人間は彼女の使い方をよくわかっている。まるで天狗に入れ知恵されたかのようでもあった。
「……」
妖夢は、ゆっくりと身を起して。傍らにあった刀「楼観剣」を手にして、長い刀身を鞘から抜く。妖艶なほどに、美しい刀身に妖夢の顔が映る。普通に考えれば事務所の中で、刀を抜くなどといいうことが許されるわけはないはずだが、妖夢は今日という今日はと覚悟を決めていた。
「いやあ、ちょっと早く来すぎてしまいしたかね」
射命丸文は妖夢のいるはずの部屋の前で腕時計を見ながら、そう言う。彼女はこれから魂魄妖夢の取材の為に、彼女の事務所に来ていたのだ。彼女を推薦し、その伝手で彼女の取材を優先的に行えるようにしたことが、新米でありながら一人で行動する権限を上から与えられていた。すでにこの事務所の者とも顔見知りになり、案内などは自ら断っている。
文はこんこんとノックをする。中から「どうぞ」という声が聞こえたので、彼女はドアを開けて、中に入った。
「こんにちわー魂魄さん」
文の目の前に刀を上段に構えた妖夢がいる。
文はすばやく横に転がる。躊躇はない。
一瞬遅れて、文の立っていた場所へ斬撃が飛ぶ。
「からす、てんぐぅ」
初撃を外した妖夢はじろりと獲物を睨んだ。この状況を作ったこの悪魔を焼き鳥にでもしないと気が済まない。逆に文は妖夢を手で制して、真顔で言う。
「話し合いましょう」
妖夢には話し合う余地などない。強いて言うならば射命丸文の恥ずかしい写真集でも作れば話は別だが、あまり現実的ではないので物理的に切ることにした。それは現実的に可能ではある。後のことなど知りはしない。
文は汗が止まらない。いきなり訪れたこの死線。彼女は頭をフル回転させて、今を生き延びる方法を探した。現状では幻想郷ほどの速度は出せないから刃物を持っている妖夢ほどの強敵はいないのだ。
妖夢が飛んだ、上段からの一閃を文は身を崩してよける。ソファーが切り裂かれて、そこから漏れた羽毛が宙を舞う。文は狭い部屋で転げ、気が付いた。この場所では妖夢も上段による斬撃しかできはしない。楼観剣は近距離での突きには不向きであるし、長い刀身のせいで横から払うことはできない。それができたら、すでに文はすごいことになっていただろう。
「……」
文は倒れこんだまま、腰にあるものを掴んだ。その一瞬を逃さずに妖夢は一歩を踏みだす。ここで決める気だった。とりあえず文の服を切り刻み、恥ずかしい恰好で帰らせるつもりだったのだ。
文はさらに体を深く沈めた、地面に伏せて、手に持った「デジタルカメラ」を構えて、撮る。まぶしいフラッシュが妖夢の眼をくらませる。その隙に文は立ち上がって、部屋から逃げ出した。彼女は去り際に後ろを振り返ってニコリと笑い言う。
「いいものをいただきました!」
「ま、まちなさい!」
文は妖夢を下から撮ったので、妖夢のスカートがめくれて中が「見えそう」な写真がとれた。この烏天狗はただでは起き上がらないらしい。
数日後にこのことで妖夢はまたもや、のたうちまわることになる。
「いきなり切りつけてなんて、おかしい人ですね」
自分のことを全て棚に上げて文は言う。彼女は妖夢という危険人物から逃走して、近くにあったスーパーの前に来ていた。なぜここに来たかには明確な理由がある。空調が効いていて、飲み物が自動販売機より安いからだ。彼女は自動ドアを過ぎて、買い物帰りの年配の女性と入れ違いに中に入っていく。
文は目的のまま、飲み物のコーナーに歩き出す。店内では、
――まーいにちまーいにちぼくら~は……
などと歌が流れている。それを聞きながら文は遠くで浮かぬ顔をしている店員を見つけた。緑の髪に三角頭巾をかぶり、店のエプロンをつけて試食の為だろうか、台の上に置かれたホームプレートでシャウエッフェンを焼いている。
その周りには三人の子供が群がり、彼女から試食用のウインナーをもらおうと躍起になっていた。
「ゆうかさん! もう一本」
「駄目よサニー! 私が先!」
「サニー! ルナ! 二人とも! 私が先なんだから」
死んだような眼で、その店員は三人の子供からウインナーを防衛している。文は思わず、デジタルカメラを手に取ってかまえてしまった。それが自らの不運を招くとも知らずに。
次回は8月11日までに。