岡崎夢美には勝算があった。彼女は手に持った一枚のコインを椛に示す。このコイントスに勝てば晴れてクレープを食べることができる。しょうもない勝負である。
翻って犬走椛は小さく口を開けて、まるで自分の上司を見るときの様な冷たい目をしていた。上司とは黒髪の鴉天狗ピンポイントである。好奇心旺盛なところは似ているかもしれない。
可愛らしい容姿からは分からないが、彼女は一度幻想郷へ誰かしらを「拉致」しよとした前科がある。ある意味そこも天狗と似ているかもしれない。
椛はクレープの包みを両手で胸元に抱いている。普通に渡したくはないらしい。そもそも彼女から見れば不審者相手に受ける義理などない。単に夢美に消し炭にされる可能性があるから付き合っているだけである。
「勝負は一回きりでいいですね」
コインを示したまま夢美は言う。椛としては頷くしかない。しかし、一応警告する。
「そのコイン……何か細工はしていないだろうな」
「…………あら。気になるのね。触ってみる?」
ぽーんと投げられたコイン。きらきらと陽光に光りつつ、両手がふさがっている椛の横を通り抜けて地面に落ちる。あわあわと夢美はそれを追いかけるが、走り出そうとして片足が地面に引っかかる。運動不足の人がよくなる動きである。
こほんこほんとごまかしの咳をしながら夢美が椛へコインを手渡す。この白狼天狗は完全に胡散臭そうに夢美を見ている。
「なんの変哲もないコインだな……」
というよりも何のコインだろうと椛は思う。見たことのないものだった。金色の表面に「B」を象った物だった。表と裏で文様が少し違う。英語で何かが刻まれてるが椛には読めないしどうでもいい。
「いいだろう。私は表に賭ける」
ぴんと指ではじく椛。目算が外れて夢美の顔面の横を通り、後ろへ飛んでいく。「あ」と言った後、あわあわ今度は椛が取りに行く。かっこつけたのが間違いだった。やっと椛の手から夢美へ砂にまみれたコインが手渡される。
椛は少し恥ずかしそうにしたが、そっぽを向いて聞く。
「そういえば私は勝った場合は何をしてくれるんだ?」
「……クレープ……?」
「これは元々私の物だ!!」
ぐるると歯を剥いて怒る椛。クレープを早く食べたい。夢美はくすりとして、冗談だと笑った。彼女は紅い瞳を煌めかせて不敵に微笑みを浮かべる。
「ふふ、私に勝てたなら願いを叶えてあげますよ」
「それなら自分でクレープを創ればいいじゃないか!」
「……いや、あのICBMなら用意出来るけど、クレープ製造機は持ってないの……あとこの世界のお金も」
「あ、あいしー? なんだそれ」
呆れたように椛は言う。仕方ないと少し諦めている。負ければ悔しいが命は惜しい。不惜身命など天狗とは関係がない。上司の為に働くことがあっても強敵がくれば普通に丸投げしていた彼女である。
「まあいい。さっさとしてくれ」
椛はため息とともに言う。それで夢美も頷く。
夢美は真剣な顔でコインを構えた。まるで椛に挑戦するかのような顔である。
「それじゃあいきます」
夢美は右手をかざす。親指に載せられたコインが光っている。
そして左手に用意する「別のコイン」。これこそが彼女の必勝法である。落ちてきたコインをすり替えることで賭けを優位に進めることができる。
――おーい、ご主人様~。おやつを掛けてコイントスしようぜー
と少し前に研究室で助手にやられたことが心底悔しかったので練習したのだ。しかし、助手は仕掛け手であるから勝負に乗ってこない。マジックなどもそうだが、練習したことはどこかで人に見せたくなるものなのだろう。
その標的がたまたま椛だったのだ。彼女はくんくんと鼻を鳴らしているが、そこに夢美は気が付かない。
ぴーんと小気味よい音がしてコインが飛ぶ。回転しながら落ちてくる。夢美はそこに手の甲を合わせて、コインの上に左手をかぶせる気なのだ。もちろん裏にしてすり替える。その瞬間、
「へくち」
椛が抑えたくしゃみをする。びくりとした夢美の手の甲にコインが当たって、地面に落ちそうになる。抑えようとして左手のコインがするりと落ちる。
「わ、わあ!」
「……」
夢美は慌てる。コロコロ転がる二枚のコイン。
冷えた椛の眼。見下すような瞳。彼女は転がるコインを足の裏で踏みつけて止める。
「おい。なんで二枚あるんだ?」
「……」
「文のような奴だな……」
夢美は頬を赤くしてうつむくしかない。しょうもない勝負でしょうもないことをしてしまった。しかも誰かは知らないが椛にイカサマをしそうな誰かの様だと言われてしまう。頭の中で助手が馬鹿にしてくる。イメージの中でもうまく動かない助手である。
夢美は固く拳を握りつつ、地面に座り込む。
「……こ、こうなったら四次元ポジトロン爆弾を出すしか……」
「何をする気かは知らないが、何か私に危害を加える気なら不審者として」
椛は冷ややかに見つめなら携帯を取り出す。
「警察を呼ぶぞ」
天下の天狗も警察を呼ぶ時代である。スペルカードよりも強力な存在なのだろう。
★☆★
「わかりましたわ。この勝負私の負けです」
とあるカフェに椛と夢美は移動した。街角にありお洒落な場所である。小さなテーブルに二人は向かい合わせで座り。椛だけが紅茶とケーキを頼んだ。夢美は水である。
周りには椛と同じように人間の少女達が着飾って談笑している。
あれから椛は公園で物欲しそうに眺めてくる夢美の前でクレープを急いで食べた。そのせいで殆ど味わうことができずに不満がたまっていたのだ。夢美は殊勝にしているように見えるがイカサマがバレれば負けは当然である。
「あたりまえだろう」
椛はぶすっとした顔で吐き捨てる。楽しみにしていたクレープの恨みは深い。特に恥を押して人間の少女達の行列に混ざって買ったのだ。パーカーを頭から被ったまま、恥ずかしさから殺気だった目をして並んでいたとは彼女も分からない。
「それでなんでも願いをかなえてくれると言っていたな」
「なんでもとは言っていません……」
夢美はお腹を押さえてシュンとしている。普通に空腹だった。椛はとんとんと指でテーブルを叩きつつ、肘をたてて頬杖を突く。少し考えているような仕草である。ほっぺたが柔らかそうであった。
ちらちと夢美を見る椛。
(いろいろと変な奴だが魔力だけは本物ね。もしかしたら)
「帰り方もわかるのか?」
口に出してしまう。きょとんとした顔で夢美が見てくる。
「帰り方ですか?」
椛はきょろきょろとあたりを見回して、誰も聞いていないことを確認する。
「幻想郷に行った事があると言っていたな。なら、私達を帰すこともできるのか?」
「…………そういう方法で来ているのではないのね」
「…………?」
「無理ですわ。いろんな禁則事項的なこともありますけど、私達は一旦自分たちの世界に帰らないといけませんから……」
何をいっているのか椛には少し分からない。質問しようにもうまい言葉が浮かんでこないのだ。仕方なく椛は手元にあった水を飲む。よく考えると夢美の物だったが気にしない。これでしがない大学教授には水すらない。
「あ、あー」
ごくごく飲まれる水を見ながら口を開けて呆ける夢美。それからがっくりと肩を落とした。椛はやっと自分が彼女の水を飲んだことに気が付いた。少し落ち着いてみると、空腹に耐えている夢美のことが哀れになってくる。
自分も甘い、そう椛はため息を吐いた。彼女は手元にあったお品書きを夢美に差し出す。
「安いのなら頼んでいい」
ぱちくりと眼を瞬かせる夢美。それから花が咲くように笑顔になる。両手を合わせて心底嬉しそうに微笑みを見せる彼女。幼いその仕草に椛はちょっと目をそらした。
★☆★
財布の中身が足りない。
椛と夢美は姿勢良く座りつつ、下を向いていた。瞳孔がお互い開いている。
彼女達の間には二杯分のコーヒーのカップだとか、ケーキの皿だとか、夢美が美味しく食べたハンバーグプレートの皿が置いてある。もちろんこの大学教授は無一文。ポケットにある二枚のコインはガラクタ同然である。
椛はレシートの入った財布から一枚の野口英世を取り出して戻す。少なくともこれでは足りないだろう。あとは小銭とポイントカードとレンタルビデオのカードしかない。
そんな彼女達に可愛らしい制服のウエイトレスが近づいてくる。
「お皿おさげしてもよろしいでしょうか?」
「ひっ」
「ひっ」
びくびくんとビビる天狗と教授。辛うじて椛が「よ、よろしいですね」と妙な日本語を使い。下げてもらった。だらだらと汗を掻きながら、焦点の定まっていない食い逃げ予備犯な犬走椛。
ウエイトレスはにっこりして「ごゆっくりと」と言ってくれた。現状ゆっくりするしか方法がない。
「ど、どうするのよ」
夢美は椛に顔を近づけて聞く。椛も言う。
「こ、ここの支払いを願いで叶えて欲しい」
「金銭的な願いは厳しいのよ」
「や、役立たず」
「な、なんですって」
大声を上げてしまい夢美ははっとあたりを見る。ちらちらと注目を浴びている。彼女は座って小声で言う。
「お金は持ってないって最初から言ったじゃない」
「お、お前もハンバーグをうまいうまいって食べてたじゃないか」
「そ、それなら貴女だって嬉しそうにケーキを食べてたじゃない」
「嬉しそうになんてしていない」
「してたわ!」
「してない!」
お互いに何故か胸倉をつかみ合っている。しかし、同時にはっと気が付いたこれ以上騒げば店員に怪しまれ、最終的にサイレン付き「護送車」がやって来るだろう。椛と夢美はそれぞれあたりを見回して、お嬢様のように「ほほほ」と似合いもしない演技をした。
気にしないでください、という事だろうがそもそも白頭と赤頭が目立つ。
「そうだわ」
夢美は椛にずいと身体を寄せる。
「あなたのお友達に連絡をできるんじゃないの。この場だけ来てもらえば」
「……き、金銭的なことで頼りたくはないが背に腹は代えられない……」
椛は携帯を取り出してアドレスを開く。
「こういう時ははたてだな」
ツインテールの天狗の顔が浮かぶ。姫海棠はたてである。相方とは違って信頼できる。椛はさっそく電話した。しばらくコール音が鳴って、がちゃりと音がする。
『はい姫海棠です』
「あ、はたてか」
『現在電話に出ることができないわ。ぴーという発信音』
「……る、留守電を自分の声で登録している」
切る。椛は頭を抱えた、また友人の一面を見つけてしまった。しかも留守番電話の音声が本人だったので話しかけてしまった。なんとなく恥ずかしい。
椛はアドレス帳を開いて「射命丸 文」を選ぶがしばらく「うー」と犬のように唸り、苦悩した。金のことで借りをつくれば未来永劫言われ続ける気もする。意を決して椛は電話を掛けた。
コール音が耳元でなる。さっきから横で夢美は祈るようなポーズをしている。
『はい、なんですか椛?』
「あ、文」
『はいはい。今少し忙しいんですけど、どうしました』
「じ、実は今カフェにいるんだ」
椛はよく考えたら「お金がない」とか「お金貸して」などとこの場で言って店員に聞きとがめられたらまずいと思い直した。
「よ、よかったら来ないか」
『椛のおごりですね!』
「え、ええ」
椛は携帯を握ったまま「ニゴォ」と力なく笑う。眼が死んでいる。まずはこの鴉天狗をおびき寄せなければいけない。嘘をついてしまい、胃が少し痛くなってきた。しかし、電話の向こうの少女は残念そうに言う。
『それはとても魅力的な提案ですが……残念ながら私は今お仕事中でして……』
「そ、そうか」
『また今度行きましょうね。それじゃあ』
ぴっと普通に電話を切られる。本当に普通の会話と普通の電話をこの危機的状況で行ってしまった椛はなんともいえない気分になった。どっと疲れた顔で椛は夢美に言う。
「自首するか……」
「!?」
聡明な夢美の脳が混乱している。こうなったら店ごと消し飛ばして会計を消滅させればと凄まじいほどに短絡的な答えが脳内に出ている。余談だが青い狸型ロボットも一度世界を消し飛ばそうとしたことがある。個体に圧倒的な武力を詰め込むと危険である。
しかし、世の中には捨てる神もあれば拾うカモ、いや神もいる。
「いらっしゃいませー」
とウエイトレスの声が響く。椛がなんとなくそちらを見れば、大きな傘を持った青い髪の少女が入って来る。ゆったりとした淡い水色シャツに可愛らしいキュロットスカートを穿いた妖怪。
多々良 小傘であった。ただ手にもったナスビ色の傘だけが浮いている。椛は眼だけで夢美に合図をした。この白狼天狗と小傘は親しいわけでもないが、クリーニング屋で働いている彼女のことを知っている。
小傘がきょろきょろと店の中を見回しながら店員に席に案内されたところを見計らって、二人は立ち上がった。そして一人で可愛らしくお品書きを開いている小傘を挟み込むように椛と夢美は座る。
「え?」
ぱちくりと愛らしい仕草をする小傘。現状が理解できていない。椛は眼をそらしながら言う。座ったはいいが夢美も遥かに力が劣る小傘に眼を合わすことができない。
「その、絶対返すから、げ、幻想郷のよしみで」
天下の天狗が頭を下げる。
「お、お金貸してください……」
小傘は呆けた顔のまま、固まっている。
★☆★
一方ちゆりは二尾のさんまを焼いていた。
ここはリサイクルショップの裏にある小さな庭である。先ほどパイプ椅子とかで店員と死闘を数秒間演じたが、何か相通ずるものがあったらしく秦こころと固く握手をした。それで仲が良くなったのかどうかは、相手が無表情なので分からないが何故か七輪と炭を貸してくれた。
正確に言うと貸したというより商品を勝手に使っている。
七輪の上でぱちぱちとサンマが焼けている。香ばしいにおいがちゆりの空腹を一層刺激する。ぱたぱたと手で団扇を動かしている。ぱちぱちと鳴る「火の音」がなんとなく心地よい。
「おい、まだか」
こころは近くで小皿とポン酢を用意している。ちゆりは汗が出てきたので腕で額を拭うう。丈の短いセーラー服は涼しくていい、となんとなく再認識にした。素で頭の中からご主人様が消えている。
「おう、もう少しだぜ」
「魔理沙のようなしゃべりかた」
「まりさ? あーあのうふふとか笑うやつだな。ん? 知ってるの?」
「? 笑わない」
「? あーおんなじ名前のやつがいるんだなぁ」
ちゆりとこころは顔を見合わせたが正直どうでもいいので話を変えた。昔のことはよい。
さんまの焦げの方が重要である。こころは安い日本酒を引っ張り出してきたようで傍らに置いている。さんまを肴に「昼間から」飲もうとしているのかもしれない。
ちゆりは団扇を動かしている。
「そろそろかな」
正直初めてサンマなど焼いた。美味しそうになるまでてきとうに焼いただけなのだが、ちゆりは中々うまく焼けたと思っている。こころから皿を受け取りつつ、菜箸で七輪の上でサンマを転がして端に追いやる。そして端っこから皿へ落とす。かなりてきとうであるが、ちゆりの性格を表している。
皿のサンマを持ってこころとちゆりは縁側に座った。こころもちゆりも靴を脱げば裸足である。こころがポン酢をとくとくとく、とサンマに掛ける。きゅっとしまった味を想像してこころの口から涎が出る。
「おっと、いけない、いけない」
ポケットから出したハンカチで拭くこころ。ちゆりもてきとうにポン酢を掛ける。それから二人ともぱんと手を合わせる。
「いただきます」
「いったーきぁーす」
ちゆりが何と言ったのかこころにはよくわからなかった。だが、もぐもぐと橋でサンマの身を取り、ポン酢のかかった其処を食べる。口に広がる少し酸っぱい味、なんとなく癖になる。こころはコップも用意してちゆりに持たせる。
「おういっぱい」
こころは何か言いながらちゆりに酒を注ぐ。清酒は幻想郷にもあるが、外の世界ではいろんな種類がある。冷蔵庫で冷やしておいた冷酒でコップを満たしていく。ちゆりは軽く礼を言って、こころに注ぎ返す。
こころはコップを両手で持って無表情でちゆりを見ている。
「お前……こうニコッとしたほうが可愛いぜ」
「ふむ」
ふむ、といってもこころとしては表情は動かない。しかし、最近とある技術を見つけた。彼女は縁側にコップを置いて両手を頬に充てる。そこから口元を上げるように頬を上げる。笑っているようには見える。
「ぷ。ふふ、あはは」
それを見てからっと笑うちゆり。彼女の笑い声は聞いているだけで楽しくなるくらいに明るい。こころも口だけで「ふ」と息を吐く。二人はカンとコップを合わせて乾杯する。
ちゆりはにこにことこころを見ながら、コップを唇に付けようとした。
「ちゆり! 見つけたわよっ!」
「ぶ! げぇ。ご主人様」
笑い声を聞きつけた赤い髪の少女が庭の塀から見えている。外からジャンプしているらしく、見えたと思ったら消えるを繰り返している。飛べばいいのだが、それをすると目立つと思っているのだろう。
ちゆりはコップをそっと縁側に置くと、ばっと庭に飛び出した。少なくともさっきご主人様にやったことは覚えている。逃げなくてはめんどくさいかつ痛い目に会いそうである。
「も、もったいないぜ」
サンマと酒をを見て残念そうにするちゆり。そして何が起こっているかは知らないが、こころは任せろと親指を立てている。食べてやるということだろう。そう言う事ではないのだが、ちゆりも気分で親指をたててウインク。
「また会おうぜ」
いつもどおり変な喋り方をしながら、庭を回って逃げ出した。
残ったこころはお酒を飲む。ふううとホクホクしながら息を吐いた。
その3まで続きそうです。おまけなので楽しんでいただければ嬉しいです