戦いの神である毘沙門天が砂で「築城」しているのには理由があった。
さきほどナズーリンに諭された彼女は、さっそく共に戦う相棒を探すために浜辺を出た。そうやって出たはいいが、彼女は輝く太陽に眼を奪われてしまった。
少しすました顔で寅丸は海辺を歩く。足もとをくすぐる波が心地よい。仕事からの解放感も手伝ってなんとなく楽しくなってしまう。実際のところ戦いの神が海水浴場を水着でうろつくというおそらく醜態をさらしているのだが気にならなかった。
寅丸は足もとに大きな貝を見つけた。彼女はゆっくりした動作でしゃがむ。貝を拾うと「おお」と子供の様な歓声を上げて、じっくりと観察する。手のひらくらいの巻貝である。きっと世界のどこからか旅をしてきたのだろう。
海で遊んだことなどない。彼女の両目が好奇心に輝いている。
彼女はどこかで聞いたことがあった。貝の中には波の音が広がっているという。
寅丸は立ち上がって、貝を耳に当ててみる。ざあ、と聞こえた気がする。彼女の桃色の唇がちょっとほころぶ。本当だ、と思っているのだろう。そっと目を閉じて彼女は浜辺を歩きはじめる。お伴は貝殻のオルゴールだけ。
そんなことをしているから波打ち際で遊んでいた子供に気が付かない。
正々堂々、正面から子供達が作った砂の城を踏みつぶした。寅丸が眼を開いた時、泣きそうな子供達の眼が彼女を見ていた。
☆★☆
「そうですか」
事情を聴いたナズーリンはそっけなく言った。寅丸は砂の山を手で固めながら「ふ、不覚です」などとのたまっている。ネズミの赤い眼が驚くほど冷たい。
寅丸の周りには水着を着た数人の少年少女達。まだ10歳にも満たないだろう彼らは毘沙門天の「お姉さん」によくなついている。何かあるたびに話しかけている。寅丸はそれにいちいち反応してやる。にこにこしている分、まんざらでもないのかもしれない。
「いいですかみなさん。城には堀が大切です。敵がせめて来た時にはこうやって……」
寅丸は砂の城の周りに溝のような物を手で掘る。水着で両手と両膝をついた格好はナズーリン的にはどうかと思うが、本人はいたって真面目である。ありったけの築城術を使い。砂の城の防御を完璧にしていく。真田丸ならぬ「寅丸」なる出城も完備した近世城郭である。砂でできているから火計にも耐えうる。ただ毘沙門天の踏みつけには勝てないだろう。
「いいですか。ここに敵が侵入してきた時には鉄砲で一斉に打ち破ります」
寅丸は砂を固めながら変なことを言っている。どうやら今作っているのは「大手門」付近らしい。両手を砂まみれにして楽しそうに砂遊びをする戦いの神を、哀れとナズーリンは見下ろしている。
(城の敵はあなただろう。踏みつぶしておいて)
ナズーリン静かに想うが口にはしない。そのかわりにちょっと違うことを言う。
「まったく……ご主人様は城を蹴り飛ばすなんて進撃の巨人かなにかですか?」
「……しん……げき? 何を言っているのですかナズーリン?」
「……!」
冗談が通じないことでナズーリンが赤くなる。特にサブカル関係が空振りになる場合、とても恥ずかしい。彼女は仕方なく「村紗の漫画ですよ」と悔しそうに言った。あんな船幽霊に感化された自分もどうかと舌打ちする。
「まあ、いいです。ご主人様。貴方のパートナーは見つけておきますのでここで子供達と戯れていてください」
「面目有りません」
「お言葉の通りです」
面目なんぞない。全くその通りだとナズーリンは呆れかえった。彼女は手に持ったカメラを寅丸に向ける。
「それじゃあ撮りますよ。ご主人様」
「え、いえ。なんでですか」
「まあ、まあ。いきますよー」
ちょっとむかついたからできるだけ恥ずかしい写真を撮ってやるとナズーリンはシャッターを押す。どうせ最終的に河童に渡せば碌な使い方はされないのである。少しはお灸をすえておきたい。
――寅丸が砂の城の横でピースしている。子供達も周りにいる写真。
――立ち上がった寅丸が海をバックに微笑んでいる写真。
――ナズーリンがけしかけた子供達が寅丸にじゃれついている写真。他数枚。
☆★☆
「ふう。ご主人様は終わりか」
ナズーリンは河童二名を助手にして歩いている。言っている言葉は「写真を撮り終わった」のか「名誉的な終わり」を示しているのかは分からない。両方を掛けているとも考えられる。ただネズミにとってはどっちでもいい。
「さて、次の獲物は……」
雑食性のネズミがカメラを手にあたりを見回す。元々は一輪あたりをてきとうに写真にとっておこうと思っていたのだ。まさか最初の標的がご主人とは思わなかった。彼女はきょろきょろと首を動かす。
その仕草が小動物、としか言いようがなく愛らしい。だが中身は非情である。
一生懸命に探すが海水浴客が増えてきた関係で見つけにくい。ナズーリンはピーチパラソルがだんだんと浜辺に「咲いて」きたことにうっとうしさを覚えた。白い砂浜に赤、青、黄色の傘が立ち並んでいる。
「全く人間は暇だな。こんな水遊びのどこかいいんだ。そう思うだろう?」
とナズーリンが後ろの河童に言う。おかっぱとそばかすの河童の少女が二人、顔を見合わせる。河童の水遊びを否定するとなると存在も危うくなりそうである。だが、ネズミは同意を求めるよりも独り言に近かった。直ぐに目線を他に移す。彼女にとって二人はモブ河童に過ぎない。
「あ、いたいた……なんだ敵とじゃれあっているのか」
バレーのボールが宙を舞っているのが見えた。
☆★☆
ぱっしゃん。一輪は体ごと海にダイブする。惜しくも伸ばした手はボールには届かない。彼女は「くっそー」と微笑みながら立ち上がる。海の水が体を流れる。紫の水着の間の肌色、そこを太陽が照らしている。
彼女は浅瀬でビーチバレーの練習をしていた。ちょっと離れた場所に落ちたボールをぱしゃぱしゃと水しぶきをあげて拾いに行く。
「ははは。惜しいな」
その姿を見ながら上白沢慧音が言う。ボールをサーブしたのか彼女なのであった。彼女は紅い水着を着ているのだが前を開けたパーカーを着ている。彼女の足首より少し上まで海に浸かっている。その程度の浅瀬だった。
やっとこさボールを取った一輪が構える。
「行きますよこいしさん!」
「よーしこーーい!」
間延びした返事をするのは古明地こいしである。フリルの付いた花柄のアンダーが揺れる。両手を前で組んでわくわくしたような顔をしている。一輪はしゅっとボールを上にあげて、バンとサーブする。結構本気である。
ボールが勢いよくこいしに向かう。少し低い。こいしは無意識に腰を捻り、足を繰り出す。ボールの芯を「蹴った」のだ。勢いが増した球体が慧音の方向へ向かう。
「う、うわっ」
驚いた慧音だが、なんとかレシーブする。急な動きもできるのは運動神経が良いのであろう。それでも流石にコントロールはできなかった。一輪が彼女達の遊んでいるエリアから離れていくボールを懸命に追った。ぱしゃぱしゃ足を動かす。
そしてまたこけて。海に飛び込んだ。途端にこいしや慧音の笑い声が響き。自ら上がった一輪も笑う。
浜辺からそんな練習なのか遊びなのか分からない光景をナズーリンは見ていた。おそらく一人一人がパスし合って、落とさないようにする単純なゲームなのだろう。彼女は楽しそうにしている彼女達を呆れてみる。
「子供じゃないんだから何を遊んでいるんだ。全く」
ナズーリンはカメラを構えて適当に写真を撮る。彼女の敵は「慧音」で味方は一輪とこいしだろう。一応寺の者は「仲間」であるらしい。
――両手を組んでレシーブしようとする一輪。青い空をバックに上目遣いで天空のボールを見ている。
――後ろまわし蹴りでボールを蹴るこいし。ベストショットと言えるタイミングな写真。
――水の中で転んで海底にお尻をついて座ってしまった慧音。きょとんとした顔の後ろでボールが波に浮かんでいる写真。他数枚。
「ふう。これでよし。後は」
「ねえねえ。なにしてるの?」
「その声は」
ナズーリンがピコピコデジカメを扱っていると、真後ろから声がする。古明地こいしである。あれだけ写真を撮れば目立って当然だろう。ナズーリンはいきなりの事態に驚くこともせず。後ろを向く。海辺では一輪と慧音がまだボール遊びをしている。
「君か。遊びを続けなくていいのかい?」
「ネズミさんは遊ばないのかしら? 勝負する?」
「いいや。遠慮しておこうか」
首をちょっと傾げるこいし。なぜかじろじろとナズーリンを見てくる。ネズミはネズミで水着なんて着る気はなかったから恥ずかしくなる。ちょっと頬が赤くなった。
「な、なんだい?」
「うーん。バレーのパートナーは貴女でいいわ。それじゃ!」
こいしはそれだけ言うと海に戻っていく。ボールを持っている慧音に「こっちこっちー!!」 と元気いっぱいに要求する。ナズーリンはいきなり現れたこいしがいきなり言ってきた言葉を理解しかねて、呆然と口を開けている。
「ぱ、ぱーとなー? 私が? あれと? じょ、冗談じゃない」
古明地こいしと組めば振り回される事必定である。ナズーリンは頭をぶんぶん振って、聞かなかったことにしようとした。だがその肩をがつっと掴んだ者が居た。びくっとナズーリンはおびえる。野生の直感だろうか、敵意を感じた。
そろそろと後ろを向いてみると、そこにはじっとりした目のピンク頭。古明地さとりがいた。怒っているのかどうかナズーリンを冷えた目で見ている。
さとりはこいしと色違い、ピンク色の水着を着ている。片手に抱えている数本のコケコーラのペットボトル。これを買ってきたから慧音達とは別だったのだろう。妹の為に持ってきたのかもしれない。
「あ、あんたか。ど、どうしたんだい? 姉妹揃って」
「あれ? とはだれのことかしら」
「あ、ああ言葉の絢さ。気にしないでくれよ」
「……それじゃあ、そのカメラは何?」
「……旅行の思い出を撮るのがおかしいかい? 私物だよ」
すらすら嘘をつくネズミ。だが、この手の「ペット」の扱いをさとりは慣れている。彼女は手を出して言う。どうせ私物とは嘘だろう。大方河童の差し金である。
「そう……じゃああなたも撮ってあげるわ」
「い、いや。私はいい」
さとりはナズーリンの耳元に唇を寄せて囁く。地底のさらに「底」から響いてくるような声だった。妹を「あれ」呼ばわりしたことが奥の奥、核の炎のように燃え盛っている。まるで地霊殿のようである。
「……もくずにするわよ」
「ひっ」
びくんと体を震わせて、本当は小心者のねずみが素直にカメラを渡す。少し怯えた目にになっているが強がって腕組をしている。さとりは「おこ」であるから、容赦しない。
「ポーズを取りなさい」
「だ、だれがそんなことをするものかっ!」
「…………」
無言で睨みつけてくるさとり。普通に怖い。ナズーリンはそわそわし始める。彼女が強気に出られるのはあくまで自らの身に危機が迫っていると思えない場合とご主人様に守られる場合に限られる。今は違う。
「ぴ、ぴーすでいいかい?」
「…………両手でするならいいわ。はい。笑いなさい」
にこぉとひきつった笑みを浮かべるナズーリン。
――砂場でワンピース水着の少女がダブルピースをしている写真。他ネズミソロ多数。
――砂場で寝そべって可愛子ぶっている(させられている) 写真
――カメラに向かってウインクしている写真。
ナズーリンの撮影会が小一時間続き。さとりが彼女を解放した時、ナズーリンは憔悴しきっていた。彼女はきりきりと痛むお腹を押さえている。ストレスであろう。さとりは彼女にカメラを返しながら言った。
「データを消去していないか、後でチェックするわ。思い出ですから」
「…………ち」
「舌打ちしませんでした? やはりデータを消そうとしたようですね」
「い、いえ。し、していません」
敬語で話している。へへ、と愛想笑いを浮かべてナズーリンは立ち去ろうとした。その時である。どこからか飛んできたビーチバレー用のボールがナズーリンの頭に直撃した。彼女は「はうっ!?」と可愛い悲鳴を上げて倒れる。
☆
「い、いただ」
仰向けで倒れているナズーリンが頭を押さえている。
空の蒼さが染みるくらいににくい。そんなことを思っていると何人かの少女達が彼女を囲んで見下ろしてきた。
「大丈夫ですか、ナズーリン」
心配しているのかしていないのか、普通に聞いてくる一輪。髪が濡れて少し色っぽい。
「だいじょーぶ? ねずみさん」
大きな瞳をぱちくりとさせているこいし。声が明るくて、聞きやすい。というか耳に響く。
「すまない。不注意だった」
唯一心配してくれているらしい慧音。おそらくボールをぶつけたのは彼女であろう。
ナズーリンは体を起こして。体についた砂を払う。すると頭にひんやりした感触があった。驚いてナズーリンが見ると、額に付けられたコケコーラのペットボトル。持っているのはさとりだった。一応河童二人もいるが、眼中にない。
「ほら、これで冷やしなさい」
このあたりやはり、さとりは甘い。いや、優しいのだろう。ナズーリンは素直にそれを受け取る。お礼は言わない。性格である。彼女はもう一度全員の顔を見る。一輪、慧音、さとり、こいしに見つめられている。一応は心配されている。
そんな事には慣れていない。ナズーリンは無性に恥ずかしくなってペットボトルを開けて、ぐびぐびと飲み始めた。何故そうしたのかはよくわからない。
「おおー。いっきのみね!」
こいしがぱちぱちと手を鳴らす。やんやと一人で明るい少女。ナズーリンは炭酸に苦戦しながら思った。
(くそ。こいつらといたらペースが崩れる)
ぷはっと口を離すナズーリン。彼女はその場で胡坐をかいて座る。じろりと全員を見回して言った。文句をいってやろうと思ったのだ。この場なら「被害者」である自分の立場が強い、と打算したはずだった。
だが、その前にこいしに両手を掴まれた。こいしの眼はきらきらと光っている。すでに彼女の中ではナズーリンは大切なパートナーなのである。よく調教しておかねばならない。
「さあ、特訓よ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。どういう、ことなんだ」
もう完全にこいし「ペース」である。この無意識の少女を止める方法などない。ナズーリンは抗おうとしたが、無駄な抵抗であった。無理やり立たされて引っ張られる。落としたカメラが砂浜に落ちる。
無意識の少女に引っ張られて、意固地の塊のような少女が海に引っ張られる。二人の可愛い足が波を跳ねのけていく。
さとりがカメラを拾う。結局手元に戻ってきた。
ナズーリンは賢将として、裏でいろいろと操ろうとしたらしいが何もかもがうまくはいかない。ある意味人生の縮図のようなものだろうか。賢いだけでは、足りないのだ。
その証拠に賢将の少女はこいしに投げ飛ばされて海にダイブさせられている。
『う、うわあ。ながぼ』
『それくらいでへばったらだめよ! 界王星のほうが辛いわ』
さとりはふうと息を吐いて、カメラを構えた。とりあえずいじめられているネズミよりも近くにいる、慧音と一輪だろう。二人も気が付いて、振り向いて微笑む。さとりはカメラを構えてシャッターを押す。
――慧音と一輪が並んで肩を組んでいる写真
――ぐったりしたネズミを介抱している膝枕で介抱しているこいしの写真
――どこから連れてきた子供とビーチバレーに参加し始めた毘沙門天の写真。
――子供に投げ飛ばされるナズーリン。
――腰に手を当ててコケコーラを一気飲みするさとり。その後ろでこいしが両手を上げて応援している写真。
――砂浜で体操座りをしている一輪。整った顔立ちが際立つ写真。
――少し深いところで慧音がバタ足するこいしを引っ張って、泳ぎの練習をしている写真。
海の真ん中でこいしの両手を掴んだまま、後ろを振り返った。そこには海の家から借りたゴムボートに乗ったさとりがいる。彼女の手には多くの「思い出」の詰まったデジタルカメラが掴まれている。一応濡れないように気を遣っているのだろう。
ゴムボートには一輪ものっている。二人乗ればいっぱいである。そんなふうに海に浮かんでいるさとりに慧音は声を掛けた。
「さとり。バレーは私と組もう。妹さんはあの、えっとネズミと組むそうだしな」
「そうね。霊夢はどこに行ったのか分からないけど……まあ、あの子なら大丈夫でしょう」
「そうだな。一輪さんはどうするんだ?」
一輪はボートの上から海を見ていた。緩やかな波を見ているだけでなんとなく時間を忘れてしまう。慧音は苦笑しつつ、もう一度呼びかけた。
「一輪さん」
「えっ? ああ。すみません。そうですね……村紗がどこにいったかわかりませんから星と組むことにしましょう。負けませんよ」
ぐっとガッツポーズ。ふふんと鳴らす鼻。一輪の真面目は作られた真面目である。本当は寺の中で一番荒いこともするし、軽い。面倒ごとには自分から突っ込むことは秦 こころの起こした異変で証明されている。
ちなみに「星」とは寅丸である。部外者に身内の名をいう時には呼び捨てである。
一輪の言葉に慧音とさとりよりも、こいしが反応した。
「私も負けないわっ!」
「……こいしさんはどちらかというと味方な気もしますけど……」
困ったように一輪が苦笑する。つられて慧音とさとりも笑う。一応寺側の者とアパートの者の対立もある。一応としか言いようがない。
「さとり」
慧音が言う。
「そのデジタルカメラはどうするんだ。正直、なんだろう。その写真がにとりの手に渡ればいいことには使わないと思うんだが……」
「ええ、そうね。これは預かっておくわ。そもそもストラップに『文』と書かれていますし。多分鴉天狗のものでしょう。あのブン屋にカメラと引きかえに写真の現像をしてもらいましょう」
「意外に抜け目がないな」
「……あのネズミも悪用されることは分かっていたはずでしょうに。はあ。あれはお仕置きをしたほうがいいんのじゃないかしら……」
★★★
「甘いんだよなぁ」
河城にとりはノートパソコンの前で呟いた。映っているのは「デジタルカメラ」で撮られた写真の数々。恐ろしいことにその全てがリスト化されている。そう、現代的なデジカメは映したものを「送信」する機能がある。
本来ならば「送信」の操作をしなければならないが、鴉天狗のデジカメを手に入れて河童は勝手に魔改造を施していた。撮った写真は何も操作せずともにとりのパソコンに「送信」されるのだ。しかも、盗聴器付きであるからカメラを持った者の周囲数メートルの音声はまる聞こえである。慧音たちの会話などにとりにはお見通しである。
要するにナズーリンを信用などしていないし、無事にデジカメが帰って来るとも思っていなかった。ゆえに仕組み。機械学の造詣の深さ。腹の黒さ。河童の面目躍如である。
「ふう。あとみずみつとか霊夢さんの分がないけど、まあ後で追加しよう」
にとりはノートパソコンに映った「WinMac 10へのアップグレードの準備が整いました」と書かれたウインドを「スパムが……」と吐き捨てるように言いながら消す。彼女はぱたんとノートを閉じて、小脇に抱える。
彼女のいるのは海の家。客の入りようは上々である。
立ち上がって窓から外を見ると用意されたビーチバレーのコートが完成している。にとりはごそごそと懐をさぐり、懐中時計を取り出して時間を確認する。そろそろ「選手」を呼び出すのもいいだろう。
「おやぶん」
そんなことを算段しているにとりを呼ぶ声があった。おやとにとりが後ろを見ると。赤い髪に三つ編みの少女がいる。お燐である。一輪ポスターを張り終わったのか、帰ってきている。おやぶんとは半分ふざけて言っている。
「帰ってきたんだね。ごくろうさま。それじゃあ今から」
「あたいもビーチバレーに参加したいんだ! いいかな?」
「あ? へーそうなんだ。いいよ別に、それじゃあ誰と組むの?」
お燐は猫のような口を吊り上げる。
「おやぶん」
「……はあ。私は出ないよ」
「お空が見当たらないから仕方ないね」
「だからでない……!?」
ぞくり、にとりは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。あわてて周りを見ると、何人かの河童に取り囲まれている。まさかとにとりはお燐に言った。これは頼まれているのではない。脅されているのだ。
「う、裏切る気か!」
「やだなぁ、裏切るなんて。ただあたいはおやぶんをビーチバレーに引きずり出したいだけですよ。そうすればみんなから良いもの……おっと」
ちょっと本音がポロリ。みんなとはこの場合労働者側の「河童」であろう。にとりは「反乱」の二文字が頭をよぎった。先に二人にモブ河童を水着にしたことで、危機感をいただいた別の連中がにとりを陥れる気なのである。
「だ、誰が出るか! 水着なんて私は着ないぞ!」
お燐はニコニコしながら。何故か紙の束を取り出す。
「じゃじゃーん。たいむか~ど」
タイムカード。出社時間と帰社時間を記録する紙である。お燐は両手に河童全員分のそれを持っている。すべての紙が「9:00出勤 17:30退社」になっている。全部である。明らかにおかしい。
それもそのはず経営者(にとり) が労働者の知らない時に打刻しているからだ。この意味が分かるのは大人だけであろう。
「な、なぜそれを! き、金庫に隠していたはずなのに」
「みんなでこじ開けたよ。これを使えばおやぶんもビーチバレーに出てくれるね?」
獅子身中の猫。お燐を野放しにし過ぎたことをにとりは後悔した。仮に彼女がタイムカードを持って労基に駈け込めば、にとりは終わる。しかも入れ知恵したのは明らかに他の河童である。お燐自身が「みんな」と言っているのだ。
のちに「お燐の乱」とにとりが個人的に日記に書く事件は、にとりの敗北で終わった。結局勝負に引きずり込まれたのだ。
★☆★
――みなみつ。みなみつ
やわらかい女性に声と共に、ゆっさゆっさと体が揺らされるのを村紗水蜜は感じた。彼女は「う、うーん」と唸り。顔を振る。起きたばかりにぼやける視界。肩の傍がほのかに暖かい。
「起きましたか?」
水蜜の目の前にいたのは彼女の師である女性。聖 白蓮がいた。黒のビキニにスカートをはいた美しい女性である。水蜜がそれが分かってびっくりする。あわててその場で正座してあわあわと何か言う。
「すすみません。聖様。こんなところで」
「よく寝ていましたね。少し起こすのをためらってしまいました」
「……ちょ、ちょっと疲れてしまって」
水蜜はそこで思い出したように驚いた。自分は今メロンのような明るい緑の水着を着ている。こんな姿で寝ていたのかとなんとなく両手で体を隠す。意味などないが、少し恥ずかしい。
彼女はそれで立ち上がろうとしたが、聖が止めた。しーと人差し指を唇にあてて、この聖人はいたずらっぽく笑う。どことなく少女のようだった。
横では霊夢が村紗と同じように眠っていた。水蜜は「あっ」と思い出したように声をだして。直ぐに両手で口を押える。聖はそんな彼女を優しいまなざしで見つめる。
――いつの間に仲良くなったの?
とでも聞いているかのようだ。水蜜はなんといえばいいのか分からず。そもそも声を出しては横で寝ている霊夢を起こしてしまいそうだった。だから聖はにこりと笑って、両の掌をみせて「ゆっくり」とジェスチェーで伝える。
水蜜はこくこくと頷く。
微笑みながら聖もこくこくと頷く。それで立ち上がってそろりそろりと後じさり、立ち去っていく。何をしに来たのだろうと水蜜は思ったが、わからない。聖は「パートナー」を探しに来たのだが、ついつい水蜜と霊夢が一緒に寝ているのをみて言い出せなかったのだ。
水蜜は正座を崩して胡坐をかく。すぐにビキニでそれをすると少しいけないと思い。何故か女の子座りをする。しっくりこない。一人で何をやっているのかと苦笑してしまう。
横を見る。だらしなく巫女が寝ている。水蜜はまたほっぺたをひっぱってやろうかと思い、手を伸ばす。だが、やめた。とりあえず髪を撫でてやった。
いたずらでもなんでもなく、二回三回そうした。水蜜はそしてぼそりと呟く。
「可愛い、妹分……。みたいなもの、なのかな?」
自分の言葉に戸惑いつつ優しく手を動かす。いつもの作った表情でもなく、敬語でもない。素の声だった。
★☆★
困ったことに聖は相手がいない。彼女は遠くからこっそり水蜜と「本来は凶暴な巫女」を眺めつつ、困ったと頭を掻いた。彼女は大きな松の木に背中を預けている。海岸に防風林として植えられているのだ。
「困りましたね。私も、あなたも」
誰かに聖は言う。松の木の後ろに「先客がいる」。それは返さない。青髪がちょっと見える。聖とは背中合わせ。
「私としてはあなたと組むのはやぶさかではないけれど……どうかしら?」
相手はすぐには答えない。本当は組みたかった相手はキャプテンに取られている。少しの沈黙のあと。松の木の後ろから声がする。
『いいわ』
聖は微笑む。
★★★
お空はうろうろしていた。どこに行ってもお燐が居ない。彼女はにとりがビーチに居るように言った事を普通に破り、道を歩いている。
猫背、というかうなだれた肩。少女としては大柄な彼女だが、とぼとぼ歩く。黒の上着とショートパンツにサンダル。動きやすそうな恰好でも、彼女の気持ちは重い。
核の力。有り余るパワー。それが一気に失われてからは何をやっても悲しくなる。元々自分の力だったわけでもないのだが、一度手に入れてしまってからは完全に依存していた。今のお空の眼は死んだ魚のようなものだ。
「はあ、どうせビーチバレーなんて勝てるわけありません……」
お空は意外に言葉遣いは丁寧である。ただ声が本当に暗い。今、お燐を探しにきたのだが、本当は逃げることに目的が合ったりする。こいしやお燐の前ではかろうじて強がってみることもあるが、今はそんな気力はない。一人だからだ。
燦々と照り付ける太陽。それに負けない核融合の力をお空は失っている。日すらも恨めしい。
彼女は当てもなく歩く。
汗が頬を伝う。潮風が顔を撫でる。
坂を上る。道の途中で駄菓子屋を見つけて入ろうとしたが、やめた。外の壁には一輪のポスターが貼ってある。
お空はそんなふうに意味なく歩いている。すると、ふといつもは気にならないものが眼に入った。道のわきにある石の人形。いや、正確に言えば「お地蔵さま」である。お空はぼけーとそれを眺めて、一分くらい立ち尽くした。
それは単なる気まぐれである。人間はお地蔵さまに手を合わせることを思いだして、お空は両手を合わせてみた。試しに願いも言ってみる。
「どうか、強くなれますように」
いっても無駄なことくらいは鳥頭でもわかる。神様は信じている。というか、見たことがある。お空ははあと大きなため息をついた。現代ではあまり力になってくれるとは思えない。
それでも聞いている者はいたらしい。お空の後ろから声がする。いつの間にか「彼女」は近くにいたのだ。もしかしたらお空の暗さを見て心配しているのかもしれない。
『その子はまだ、修行中の身です。あなたの願いをかなえることはできないでしょう』
お空はびくっと身を震わせる。声の主は続ける。「彼女」はお地蔵さまだったことがある。
『不本意ですが……その子の代わりに力になりましょう。それに貴方には以前からいいた事が山ほどありました』
説教をするような口調。
『そう、あなたは力に頼りすぎている』