東方Project  ―人生楽じゃなし―   作:ほりぃー

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海、ダークファンタジーが東方


19話B

「おや」

 

 そう言って海の家に入ってきたのは青い髪をした河童だった。暑いのか上着を脱いで腰に巻いている。彼女はいうまでもなく河城 にとりであった。

 にとりはくんくんと鼻を動かす。なんだが焼きそばのにおいがするような気がした。彼女は額の汗を腕でぬぐい、暑い暑いと手を団扇代わりに扇ぐ。いままで外で作業をしていたらしく、額には玉の汗が浮かんでいる。

 

 向かうのは店の奥。座敷の席である。そこには昨日死線をともにした巫女が眠っているはずであった。

 だが、座敷にいたのは食事をする二人。一人は黒髪で緑の水着を着た少女、村紗 水蜜。もう一人はにとりもよく知っている漁師見習い兼巫女、博霊 霊夢である。二人の少女は手にカップ焼きそばをもって、無言でずずずと啜っている。お互い会話などしていないらしいい。

 

「あ、霊夢さんと……ドレイそのさん……」

 

 にとりは毒を吐きながら首をかしげた。二人の少女が食べているものは、なんとなく見覚えがあるのだ。別に店の商品や、食材に手をつけていないのであれば特に文句はない。だが、カップ麺を二人がどこから持ってきたのかと、少し疑問に思った。出所は河童の海の家、その戸棚の奥からである。

 

「あ、んとり」

 

 口にやきそばを入れたまま霊夢がにとりに話しかけたから、微妙に名前を間違える。だが、にとりもてきとうに「おはよう」と答えた。水蜜は微妙に体を逸らす。それはそうだろう、このカップ面は厨房の戸棚に合ったのをてきとうに取ってきたのだ。要するに本来の持ち主は河童である。

 幸いなことににとりは霊夢と会話をし始めた。

 

「あんた、どこに行ってたの?」

「どこに行っていたもなにも、霊夢さん。ビーチバレーをするって言っておいたじゃないか。その準備だよ」

「そんなこといってたかしら、正直言えば昨日はイカのことしか覚えてないんだけど」

「うん、辛かったね」

 

 にとりはしみじみ言いながら。座敷に腰を下ろす。水生生物としての自分を過信して船に乗ったのがそもそもの間違いであった。船にはもう乗りたくはないと思っている。

 そんなにとりの横で水蜜がずずっと焼きそばを完食した。彼女は正座して、ぱんと手を合わせる。それから「ごちそうさまでした」と意外と行儀よく言う。確かに作法は成っているが焼きそばは河童の物。そして唇についたソースをぺろっとなめた仕草は地が出ている。愛嬌といえば耳障りはいいだろう。

 

「あっ、おはようございます。河童さん」

「あ、えっと、うん」

 

 名前なんだっけこいつとにとりは思った。昨日徴集した労働者の一人だとはわかるが、名前までは覚えていない。何故か霊夢も一度たりとも彼女の名前を呼んだことはない。しかし、河童は白蓮から身分証を全員分渡されている。あのうちの一人であるはずだった。

 

「確か……あっ、そうだ。ミズミツだっけ」

「……みなみつです」

「へえ、覚えにくい名前だなぁ」

 

 にとりはそれだけの所管を述べた。この10秒足らずで水蜜に打撃を何度か与えたが気にしない。水蜜は「はは」と乾いた笑いを浮かべて、霊夢を見る。

 

「ひどい話ですね。霊夢さん?」

「えっ、そ、そうね」

 

 霊夢は何故かそっぽを向いた。口で小さく「みなみつ、みなみつ」と呟いている。まるで暗記しているかのようであった。それを聞いて水蜜はひきつった笑みを浮かべたまま、霊夢に言う。

 

「……私、村紗 水蜜っていいます……キャプテン村紗といわれています」

「な、なんでいまさら自己紹介をするのよ」

「いえ……別に……」

 

 じとっとした目で水蜜は霊夢を見る。そもそも昨日も自己紹介をしていたはずなのだが、どうやらもう一回しなければならないと感じてしまったのだ。霊夢は取り繕うようにそっぽを向くが、汗が額を流れている。暑いからではない。

 

「ま、そんなことはどうでもいいよ」

 

 ぱんっと手を鳴らすにとり。彼女を水蜜と霊夢が見る。さらりと河童は言ったが「そんなこと」と流すにはなかなかひどくはあるだろう。

 

「取り合えずそろそろお店も開けないとね。旅館に泊まったうらぎ……労働者を連れてこないと。あ、そだ。霊夢さん。こいつ私たちが大変なときに、たぶん温泉入っているよ」

「……」

 

 唐突ににとりは水蜜を指差す。霊夢は目を見開いて水蜜を見る。よくわからないが水蜜は思った。やばいと。

 

「あ、あはは。れ、霊夢さん。い、一応私たちは温泉には入っていませんよ。そ、それにき、昨日どこに行かれていたんですか」

「海の上よ」

「? そ、そうですか」

 

 なんで霊夢が海の上に行っているのかわからない。だがこの巫女の態度から謎の怒りを感じてしまう。まさか昨日の夜、肉体労働をしていたとは思わないだろう。そして反面水蜜は大浴場でのたうちまわっていた。

 

「まあ、まあ霊夢さん」

 

 そこでなだめにかかったのが火種を蒔いたにとりであった。世間ではマッチポンプと呼ぶ。彼女は温和な笑みを浮かべて巫女をなだめつつ、水蜜に目を向ける。今の半分は冗談であるから、それ以上追求はしない。復讐は後で行う。

 にとりはふうと息を吐いて、首を鳴らす。疲れているのは彼女も霊夢と一緒からもしれないだろう。彼女はそんな気だるげな様子で水蜜を眺めた。

 水蜜は腕や足はくっきりと日に焼けているが、肩のあたりにはっきりと線ができていて、肩口から下は白い肌をしている。多少ぞんざいなところがある水蜜も緑色のトップスとスカートがかわいらしさを引き立たせている。だがにとりはそんな水着を彼女に支給した覚えなどない。

 

「あんたは、なんでそんな水着を着ているんだい?」

 

 河童は思ったことを口にした。確か彼女にはワンピース型の水着を支給していたはずなのである。しかし、なんで着ているかといわれても水蜜には答える言葉がない。強いて言うのならば「あなたの仲間の河童の仕業では?」と反問したいくらいだ。風呂場にあった着替えが全てすり替えられていたのだから、水蜜としてはそうとしか思えない。

 

「まあ、いろいろとありまして」

「ふーん。大変だね」

 

 にとりは淡泊であった。別に水蜜が多少露出の高い水着を着ていても損はないと判断しているのだろう。だからそれっきり興味を失ったようににとりは霊夢に話しかける。話題はビーチバレーの話や昨日のことであった。水蜜はそれを見ながらなんとなく釈然としないものを感じているが、言うべきことが見つからなかった。

 

「まあ、こんな」

 

 水蜜は言いながら腕を上げる。自分の腕をなでながら、すこし身をよじると無駄なものついていない細い腰の「くびれ」が際立つ。昨日まで着ていた水着とは肌の露出が比べ物にならない。

 恥ずかしいことは恥ずかしい。だが、まあ仕方ないという気持ちも水蜜にはある。何故ならば、同僚が同じ目にあっていたからだった。

 

 (聖様も一輪も、それに寅丸さんもこれくらいの水着を着ていましたからね)

 

 黒いビキニタイプの聖人。紫の恥ずかしい水着を着た僧侶。真っ白な水着の毘沙門天。

 並べるだけで奇妙で、水蜜は自分の想像でくっくと笑ってしまう。昨日は彼女たちに比べて着ていても多少はましな物を支給されて安堵していたのだ。だが、確かに不公平であることには変わりない。だから水蜜は自分の今の姿に納得せざるを得ない。

 と納得したところで、水蜜は「ん?」と違和感を覚えた。彼女は顎に手をあてて、ふむと考え込む。何かわからないのだが、どことなくおかしい気がする。

 横ではにとりと霊夢が取り留めのない会話をしている。一日でも同じ仕事をすれば思ったよりも仲がよくなってしまうらしい。しかし、水蜜の耳には聞こえない。

 

 (あの露出の多い水着を支給されたのは……あの三人で)

 

 ぽっと水蜜の頭の中に浮かぶ、ネズミの像。ナズーリンである。彼女も一緒に水着を着せられたが、上から服を着ても河童たちはまったく反応しなかった。それはパーカーを着ていた水蜜も同じである。つまり先の三人と彼女たちは別の「グループ」なのである。

 

「…………」

 

 水着は要するに客寄せである。それはわかる。

 

「……」

 

 水蜜は思う。では、このまるで「グループ分け」されたような扱いの違いはなんだろう。先の三人。自分とネズミ。違うところである。水蜜はなんとなく視線を下に向ける。

 

 

「…………あ」

 

 ぽかんと口をあけて水蜜は答えに至った。それを思った瞬間なんとなく、心の底から暗い者がこみ上げてくる。だから彼女はぎぎぎとぎこちない仕草で横の河童を見る。口が閉じて、歯軋りしながら、恨みのこもった目で河童に視線を向けた。その眼力に河童が気づき、うろたえる。

 

「な、なに?」

「いえ、別に」

 

 ぎりぎり歯軋りしながら言う水蜜。どう考えても「別に」という態度ではないだろう。しかし、にとりはなんでいきなり睨み付けられたのかわからず、両手で身をかばいつつ言う。意味が分からないがから適当な言い訳を口走った。

 

「ち、違うんだよ。こ、殺すつもりはなかったんだ」

 

 突然火曜サスペンスのような冗談を言い出すにとり。いきなりのことに水蜜もきょとんとしてしまう、それから意味はわからずともくすりとする。元々言い募る気もなかったのだから、あっさりと引き下がった。

 

「ところで、あんた」

 

 霊夢が水蜜に話しかける。

 

「バレーってやったことあるの?」

「え? いえ……小傘さんがお寺の庭で子供たちとやっていた気はしますが、ハイキューしか知りませんね……それにビーチバレーとはまだ別物なんじゃないですか?」

「は、いきゅー? よくわからないけど、船から下りて昨日の今日だから、あんまり動きたくないのよね」

 

 霊夢はこきこきと首を動かす。そこで水蜜はきらっと目を光らせる。なんとなくいたずらを考えている子供ような目である。

 

「霊夢さんっ。疲れたときは炭酸抜きのコケコーラがいいですよ。何でもエネルギーの吸収効率がよいらしくて、アスリートでも愛飲している方もいるそうです!」

 

 にやり水蜜は言う。霊夢は「へー」と頷く。疲れている時には甘い物がよいとは、なんとなく霊夢も知っている。現代の様に栄養学の発達していない幻想郷でも経験則としての知識があったからだろう。

 

「あの炭酸の飲み物って飲みにくいのよね……。でも、確かにあれだけ甘いなら効くかも。あんたって以外に物知りなのね」

「いやぁ、それほどでも」

 

 頭を掻きながら水蜜は胸を張る。にとりは水蜜の「物知り」のカラクリに気がついているのか、冷ややかに船長を見ている。そう、いま水蜜が数分の間に口走ったことと端々には彼女の趣味からやってきたことが多い。

 要するに水蜜の言っているのは「漫画知識」である。同じ漫画を読んだことのない霊夢には水蜜が「物知り」に見えるが、逆ににとりのようにどこから「情報を仕入れ」たのかがわかっていると冷たい目で薄ら笑いができる。

 

「ところでお二人さん」

 

 にとりは種明かしをすることない。ただ、自分の要件があるから二人に対して言う。霊夢と水蜜が彼女を見ると、この河童はにっと笑った。

 

「実はさ。今回のビーチバレーには景品を用意するんだ。成績優秀者には御褒美があるんだ」

 

 きらっと霊夢の目が光り、瞳におくに「¥」のマークが映る。だが、河童は先に宣言した。

 

「おっと、お金じゃないよ」

「なんだ。じゃあいいわ」

 

 霊夢はとたんに全ての興味を失ったらしく、すっと立ち上がって座敷から降りる。そのまんまどっかに行ってしまおうとしかたら、にとりがあわててその腰にすがりついた。

 

「ま、まって霊夢さん! い、いろいろ早すぎるよっ! いいもの。いいものだから!」

「……ちょ、ちょっとわかったから、離れて!」

 

 わずらわしげに河童を振り払うと巫女は向き直った。くすくすとどこかの船長は笑っているのが、多少癇に障ったが無視した。こほんと咳払い。改めてにとりは言う。

 

「今回のビーチバレー大会は商品はみんなの垂涎の的、そんな商品を用意するよ。霊夢さん、その点は心配しないでいいよ。二、三ヶ月は働かないてよくなるものだとは言っておくよ。発表は全員集まってからだけどね」

「アクヲス?」と霊夢。

「い、いや。そ、そんな高価な液晶テレビじゃないけど……。というか、絶対霊夢さん売る気だね……ああ、でも参加には条件があるよ」

 

 にとりは腕を組む。すでに座敷から降りている霊夢は立って、彼女を見下ろしている。逆に河童は見上げているのだが、その目が不敵に光る。

 

「水着は着てもらわないと、ね」

 

 にとりの表情はあくどい。

★★★

 

 ビーチバレーとは通常のバレーとは多少違う。

 まず人数が違い、普通のバレーの大人数制とは真逆に二人で一チームの少人数制である。そして「ビーチ」と銘打っているとおり、砂浜を舞台に勝敗を争う。足場の強度は屋内で行うよりも心もとないだろう。

 そして、服装も違う。ビーチバレーをする選手はまるで水着のような恰好(水着であることもある) でプレーする。だが、今回はにとりの思惑もあり、幻想郷の少女達は普通の水着でプレーさせられるのである。半分は遊びで半分は強制労働なので仕方ない面もあるだろう。ちなみにボールは普通のバレーボールよりは多少柔らかい。

 

 

そのボールを水蜜はぽんと真上に放り投げた。

 彼女は白い砂浜に立っている。じりじりと日差しが皮膚を焼いていることを実感しつつ、落ちてきたボールを両手でつかむ。ボールはにとりが用意したもので水色を基調としている。ぎゅっぎゅと両手で掴んでみると思ったよりは頑丈そうである。

 水蜜と霊夢は砂浜に出て、練習を行うつもりであった。ただ霊夢が着替えているので、ここにはまだいない。だから水蜜は一人でボールを弄んでいる。にとりは暑いからと来なかった。

 

 水蜜は砂浜を見る。下を向くのではない。海岸線を沿って続く白い砂浜を眺めている。

 青い海から流れてくる穏やかな波が、ざあっと音をたてて白い飛沫を上げている。そんな波打ち際にはちらほらと海水浴客が遊んでいる。すでに朝はお昼に向かっているのである。人はだんだんと増えていくだろう。にとりのお店も旅館の「裏切り者」達が来れば開くはずである。そのあたり時間にはルーズであった。サマータイムならぬ幻想郷タイムとでもいえばいいのだろうか

 

 水蜜はまた真上にボールを投げた。ボールが昇っていく様は蒼穹に吸い込まれてくようである。水蜜はなんとなく心が透き通るような爽快感を覚える。単に空の蒼さが心地よい。

 

「おまたせ」

 

 上を向いているとそう声が聞こえた。水蜜は空を見上げたまま「とと」と声を出してボールをキャッチする。声の主は言うまでもなく、霊夢だろう。だから彼女は少しだけいたずらっぽく笑いながら振り返った。どんな水着を着ているのか気になったのだ。

 

 が、期待は裏切られた。霊夢が着ているのはパーカーである。一応胸元のファスナーは開いているので中に着ている水着が見える。白を基調とした水玉のトップスである。霊夢は涼しい顔をしている。

 それを見て何とも言えない顔をしている船幽霊は知らないが、この水玉に似た水着を霊夢は幻想郷で来たことがある。とある吸血鬼の室内プールで来たのだ。真冬に。

 水蜜はなんとなく昨日一輪が自分からパーカーを剥ぎ取ろうとしてきた奇行を思い出した。確かに自分が恥ずかしい恰好をしているのに、目の前にパーカー装備の少女がいたら剥ぎたくなる。

 水蜜のそんな思考は知らず霊夢は足を上げてサンダルの履き心地を確認している。昨日は長靴だったのだから、えらい違いであろう。細い指でサンダルを引っ張る。ゴム手袋をしなくていいから楽だった。

 いろいろと剥ぎ取りたいものもあるが水蜜はそんなことはおくびにも出さずに声を張り上げる。なんとなく霊夢に一輪がやってきたことをすれば酷い目にあわされそうだった。

 

「それじゃあ霊夢さん! バレーの練習をしましょうか」

「あ、うん」

 

 水蜜の声に素直に反応する霊夢。くりっとした目を動かすと可愛らしい。いつもさばさばとした言動からは少しギャップがある。そんななんてことないことに水蜜は眼をぱちくりさせて、くすりとする。

 直ぐに霊夢は胡散臭げに水蜜を見た。僅かな間に表情を変える霊夢がさらに可笑しくなって水蜜はくすくすと笑う。

 

(あ、そうか)

 

 水蜜はそこで気が付いた。目の前の少女は、自分と比べればはるかに年下なのである。普段はそんなことは全く思わないし、一度お寺の殆ど全員がボコボコにされているからということもある。この前は水蜜の恩人と殴り合いの宗教戦争をしていた。

 

「どうしたのよ」

「え、いえ」

 

 ずいと近づいてくる霊夢。背はあまり変わらないが、今のことで見方が少し変わったらしく、水蜜には彼女が幼く見える。意識の問題であろう。まさかこの少女が工場で勤務しているとは知らない。

 

「よしっ、霊夢さん。私がしっかりと教えてあげますよ」

 

 ついついドヤ顔をしてしまう水蜜。霊夢はこめかみに指をあてて、息を吐く。

 

☆☆☆

 

「ほっ」

 

 水蜜がトスを上げる。ぽーんと緩やかな弧を描きながらボールが飛んでいく。霊夢は砂に足と取られながらも追いついて、体の前で両手を組んでレシーブする。手に当たった瞬間のわずかに反発した感触を残して小気味よい音をたてて飛んでいくボール。

 霊夢はバレーなどやったことはないから、少しずつ水蜜に教えてもらっている。彼女の知識も漫画程度なのだが、二人とも運動神経はよいからだろう徐々に上達した。

 

「うわっ、ととと」

 

 水蜜の居た位置からずれた場所にボールが飛んでいく。慌てておうキャプテンだったが、間に合わずボールは砂浜に落ちる。水蜜はそれを拾って構え直す。すでにこのようなラリーのようなことは何度もやっている。

 

「あはは、霊夢さん。行きますよ」

 

 訳もなく笑う。練習というよりは遊びだからこそ「はずれた方が」面白いこともある。理屈ではない。だから、水蜜はぺろっと小さく舌を出してから、構える。サーブの構え。左手でボールを持って、右手を鎮める。

 仕返しである。取りにいかされたのだから、水蜜は霊夢に強いボールを撃つつもりだった。

 

 しゅっと真上にボールが上がる。水蜜は落ちてくるそれに狙いを定めて、右手でパーンと叩く。良い音がした、船幽霊の心に小さな爽快感が広がる。

 ボールは一直線、霊夢に向かう。

 霊夢の驚いた顔、水蜜の「やばい」という顔。すでに船幽霊は逃走の体勢に入る。

 

 霊夢の顔面にボールが突き刺さる。ばいんばいんと音を立てて砂浜にボールが落ちた。すでに水蜜は背中を見せて走り去っている。そもそも素人の霊夢には取ることができる技術がない。避けるにも負けん気が強いのだろう。

 

「……――!!!」」

 

 まなじりを上げて霊夢がボールを掴む。背景には炎。ドッチボールの開幕である。

 霊夢は砂煙をあげて駆けだした。両手で掴んだボールに満身の力を込めている。怒りの力と言っていいだろう。

 一方の船幽霊は一目散に逃げている。素早い状況判断を行った彼女はキャプテンとしての資質は抜群であろう。二人の少女が砂浜で追いかけっこしている、と言えば字面はいい。実際には復讐劇である。

 

「れ、れいむさん、わ、わざとじゃないんですよ」

 

 砂浜に足がとられて、スタミナが奪われる。水蜜は息を切らしながら言い訳をする。大体が意識的にサーブを撃ったのだからあまり説得力はない。

 

「わかったわ! だから待ちなさい!!」

 

 霊夢は返答する。わかったからと言って許すとは言っていない。高度なロジックであるが、水蜜は止まらなかった。大体自分の運命が分かるからだろう。顔面にぶつけられて、無様に砂浜に転がされたくはない。

 

「はあ、はあ、はあ」

「ちょっ、ちょっ、まち、この」

 

 だんだんとのろのろとした追いかけっこになる。二人とも全力で走り出したから、そこまで息が続かない。砂に足を取られていることから、無意識に浜辺に寄って走る。砂けむりが水けむりに変わって行った。

 

 霊夢はしびれを切らした。彼女は一瞬立ち止まって、振りかぶる。足もとには波、横は海。彼女は踏み込んで水蜜に渾身のストレートを投げる。

 

「甘いですね! れーむさん」

 

 くるっと振り返る水蜜。この瞬間を待っていたのだ。彼女に迫るボールは早い、だが無理に取る必要がないのならば防御は簡単である。彼女は両手で迫るボールをプッシュした。反発したボールが宙にとび、海に入る。

 残ったのはどや顔の船長である。息は切れている。

 

「はあ、はあ、れーむさん。だ、弾幕ごっこの腕がなまったんじゃないですか? あっはは」

 

 胸を張って勝ち誇る船長。ドッチボールを弾幕ごっこに見立てるのはユーモアだろうか。

 しかし、これは復讐であって純粋なドッチボールではない。霊夢は波打ち際で立ち止まっている水蜜に駆け寄った。

 

「ちょ、れれいむさん。ちょ」

「うがあぁ」

 

 怒りの声を上げて水蜜の腰に抱き付く霊夢。二人の少女が抱き合っていると書けばまたもや字面はいい。しかし、霊夢は水蜜を腰から持ち上げる。船長は足をばたばたとさせてもがいている。だが次の瞬間には浮遊感が体を包んだ。

 

「うわぁああ!??」

 

 ばしゃーんと音をたてて水に放り込まれる船長。浅い浜辺でごろんと一回転。冷たい感触が体を包んだ。

 

☆☆☆

 

「で、ボールがあんなところに行ったんだね」

 

 にとりは波打ち際に立って呆れていた。見ているのは海原に浮かぶ一個の白い点。霊夢が放り投げて、水蜜がはじき返したボールである。波にさらわれ、潮に洗われて遠くまで行ってしまった。

 にとりの後ろではずぶ濡れの水蜜と腕組した霊夢がいる。水蜜の肌が濡れて光っている。

 

「まあ、遠くには網があるから……外洋にはでないとおもうけど……。取ってきてね」

 

 さらさらとにとりは言う。霊夢は「それじゃあ、お願い」と即座に水蜜に押し付け、彼女は彼女で「一輪お願いします」とここにいない入道使いに押し付ける。にとりははあとついた。

 にとりの言う通り、海水浴場をぐるりと囲むように水中網が仕掛けられている。ブイが沖に浮かんでいるのがその目印であろう。要するに外から危険な生物が来ないようにするために仕掛けであろう。

 それでも泳げるような距離かどうかは微妙である。可能であるし、やればできるかもしれないが足は着かないだろう。流石ににとりもブラックな鬼畜かもしれないが鬼ではない。

 

「ゴムボートを貸すよ。オールもね。それで取ってきて。ツケとくから」

 

 霊夢は水蜜の肩を叩く、任せたということである。

 水蜜はにとりの肩を叩いた。代わりにやっておいてということだろう。こうして三人はつながったのだ。

 

☆☆☆

 

 にとりの貸し出した「ボート」は半透明のゴムでできたものだった。要するに水遊びようのボートである。海の家で貸し出しているのだろう。

 しかし、楕円の形をしており、膨らませて海に浮かべると床が透けて見える。それに船べりのような囲いもあって、ちゃんと二人乗れる。反面二人しかのれない。にとりは面白がってイルカ型ボートも提案してきたが、それが沖でひっくりかえれば堪らないので水蜜が断った。

 

 問題は膨らませる作業である。にとりが持ってきた時には少し空気が抜けていたので、それを憂えた船長が空気を全部抜いた。本当は空気キャップを開けて空気を注ぎ足そうしたのだが、おそらく途中で換気が必要だと思ったのだろう。

 その時、水蜜はへこんでいくボートの前に立ち尽くしていた。霊夢はその背中に哀愁を感じたが何もいわなかった。

 

 そんなこんなで水蜜がフッドポンプで頑張って空気を入れることになったのだ。

 浜辺でちょっとずつ大きくなっていくボートとけきょけきょと足を動かして空気をいれる黒髪の少女を霊夢はじっと見ている。

 

「れ、れいむさん。かわりまししょう」

「あとでね」

 

 永遠に来ない「後」を約束して霊夢はそっぽを向く。水蜜は頑張る。

 

「ま、まあこれで念願の船が手にはいると思えば……」

「そういえばあんた、キャプテンとか言ってたわね。船に詳しいの?」

「それは、もう」

 

 水蜜は腕で額をぬぐう。肌を汗が流れていく。

 彼女は頑張りながら霊夢に言う。

 

「週刊やまとも集めてますし。戦艦、商船、漁船、カンコレなんでも知っていますよ」

「へえ。あんたんとこお金があるのね」

「別にあるわけでは……お小遣い足りませんし」

「お小遣いねぇ」

 

 霊夢の所は生活費に全振りである。たまに慧音とさとりがルーミアたちにお菓子買ったりしているが、霊夢はあまり知らない。

 そんなたわいのない会話をしていると、やっとボートが膨らんだ。水蜜は両膝に手をついてぜえぜえと息を切らす。疲れる日だった。

 

「こ、これでムラサ号の完成です!」

「沈みそうね」

 

 流れるような罵倒。霊夢はことも何気に言う。水蜜はそれで力が抜けて、浜辺に手をつく。

 

☆☆☆

 

 出港したムラサ号は順調に進んだ。二人の少女が息を合わせずばたばたとオールで波をかき分けて進む。ボートは小さいため、海の中に二人で引っ張ってから乗ったのだ。

 波が弱いがボートは揺れる。当たり前だが、小型の船は良く揺れる。遠くに見えるボールの影。何かに引っかかっているようである。

 

「はあ、本当に肉体労働ばっかりね」

 

 霊夢はオールをこぎながらつぶやく。熱い。ボートから手を出して「海」を触ると冷たい。

 

「あはは、けっこう楽しいじゃないですかっ」

 

 水を得た河童ならぬ船を得たキャプテンは楽しそうである。久しぶりに船に乗ることができたのだ。ある意味では己のアイデンティティを復活できた。蛇足ではあるが「入道使い」は入道が居ない為失業している趣がある。

 

ちゃぷちゃぷ船は進む。半透明のボートの底を魚が数匹通る。それをみて霊夢は「あっ」と思う。内陸に住んでいると何でかわからないが魚を見るだけで心が反応する。その点は天空の船を操りしかしない船長も同じである。

 

船は進む。船長が船員を気遣い始めた。

 

「霊夢さん」

「なによ?」

「辛くないですか? 熱いとか」

「まあ、熱いけど……。どうしようもないでしょ」

「いや、パーカーを脱いで、頭にかぶるだけで違いますよ」

 

 霊夢には盲点である。彼女はパーカーを脱いで頭にかぶってみた。細い腰がみえ、下のリボンのついた水着ショーツが見える。これで照り付ける日差しは多少緩和された。気休めかもしれないが。

 

「どれ、失礼」

 

 キャプテンもパーカーを引っ張ってむりやり頭にかぶる。霊夢は抗議しようとしたが、やめた。汗がにじんでいるから恥ずかしいからだった。しかし、水蜜は何も言わない。

 沖で二人羽織のようになった。一応後ろの霊夢にも前が見えるから、布の面積が少ないのだろう。霊夢は自分の為に言ったのか、本当は水蜜が頭が熱いから指示したのかわからないが、どことなく気遣いを感じた。

 

 ボールが近づく。ブイの近くで引っかかっている。少し強い波があれば「外」に放り出されそうな様子だった。運がいいのだろう。霊夢はそれを見て「幻想郷」にいた自分たちにも「波」があって放り出されたのか、と素朴なことを思った。根拠などない。

 

「よーし。ありましたよ霊夢さん」

 

 水蜜が腰を浮かしてボールを取る。濡れたボールを頬に付けて、水蜜は嬉しがる。どことなく抜け目ないところのあるこの船幽霊もこうすると可愛い。

 

「あんたって、無害そうな妖怪ね」

「……」

 

 ふと、口にした霊夢の言葉に水蜜は顔を上げる。後ろを向いているから霊夢には顔が見えない。ただ、いつもの軽口はなかった。

 波の音だけが響く。振り向かない水蜜の向こうに広がる大海原。明るい日光と冷たい空気。

 

「霊夢さん」

 

 ちょっとだけ頭を動かす水蜜。後ろは振り向かない。

 

「今日の海は綺麗ですね」

 

 海鳥が舞うように飛ぶ。霊夢は黙っている。水蜜の言葉には温度がない。声は明るいのに暗い。

 

「でも、海の底は暗いんですよ」

 

 ボートの下に広がる水の世界。そこに進むにつれて深まる闇。水蜜は続ける。

 

「知っていますか? 特に夜が暗い。それに……とても寒い」

「…………」

「上も下もわからないからもがくんですけど、なんでか前に進まないんですよ。沈んでいるのか前に進んでいるか上がっているのかわからない。だんだんと分からないまま、目の前も見えなくなって……それからずっとそんなところにいるとですね」

 

 水蜜は何か思い出しているように言う。彼女はゆっくりと霊夢に顔を向ける。その眼に光はない、口元に浮かべた笑みも冷たい。

 

「この世の中のすべてが恨めしいなぁって思えるものよ?」

 

 敬語ではない。霊夢に言い聞かせるように言う。霊夢のつぶやきの返答のようで、どうなのかわからない。彼女はそれからにっこりと元の笑顔に戻して明るく言う。

 

「まあ、長く生きていればいろいろとあるもんですよ!」

 

 これで話は終わりだとばかりに雰囲気を変える。霊夢は無言で水蜜の腰を掴んで、ゆっくりと力を入れる。

 

「え? ちょっと、れ、霊夢さん?」

 

 もがく水蜜。さっきの記憶がフラッシュバックする。

 次の瞬間には水蜜が放り投げられていた。空中で一回転「そらきれい」と言いながら海にドボン。水蜜は水中であわてて体勢をなおして、水面に上がる。

 

「ぷ、はぁ。れ、霊夢! な、なにすんのよ!」

「……いや、むかついたから」

「そ、それだけの理由でぇぇ」

 

 水蜜はボートの縁を掴んで上がると霊夢にとびかかった。すでに霊夢に対する余裕のある態度はない。しれっとした顔をしている霊夢に本気で腹が立った。彼女と霊夢はボートの上でもがき合い、落とし合い、顔を引っ張る。

 

「このぉ、暴力巫女ぉ!!」

「うさんくさいのよあんたぁ!!」

 

 お互いに取っ組み合う。水蜜にはなんで霊夢に投げ飛ばされたのかさっぱりとわからない。だからこそ、余裕なく地を出す。霊夢はそんな彼女をボートの中で押し出して、おさええつける、力は巫女の方が上らしい。

 水蜜はもがく。

 

「このぉ離せ!」

「言いたいことがあるのなら、すっと言いなさいよっ!」

「はぁ?」

「一から十まで気取ってんじゃないわよっ」

「意味がわからないのよっ! 離せ人間!」

「……とりつくろってんのが最初から見え見えなのよっ。永く生きていればなんかあるって、短く生きててもなんでもあるわよ!」

「……」

「いいたい事があるなら、いくらでも聞いてやるわよ……その上で簀巻きにして封印してやるわ」

 

 霊夢にも自分が何が言いたいのかわからない。だが、最初から彼女は水蜜を「胡散臭い」と思っていた。どことなく嘘をついているような、「作っている」ような、そんな気がしていた。ただ、本質を見ていたともいえる。

 村紗 水蜜は危険な元来妖怪である。よい妖怪とは言えないだろう。地獄の紅い池が忘れられないこともあった。疼く心の底の暗闇を抱えて湖にいることもある。だが、人と接するときには「いつでも笑顔」であった。

 多少の冗談は言う。軽く怒りもする。だが感情の底は見せない。薄い膜を張ったようにいつもいつも笑顔である。

 

「れいむさん……どいてください」

「……」

 

 ああ、と水蜜は思った。霊夢がなんで怒っているのか、この巫女自身はわからないらしいが「永く生きている」自分にはわかった。簡単である。霊夢は水蜜の為に怒っている。憐れみでもなければ、慰めでもない。それは水蜜にはわかる。

 

 水難事故は千年以上前。記憶も薄らいだずっと昔。いろいろな慰霊の人々が自分を含めて「憐れんでいった」ことを覚えている。それが恨めしい。自分たちはのうのうと生きているのに、と暗い感情が心の奥にたまっている。

 

 そして彼女の恩人が救ってくれた。役割も与えてくれた。だが、彼女はあまりに善人過ぎたのだ。水蜜はその恩に無上の感謝を思いつつも、自らの卑屈さをさらけだすことができなかった。だから隠れて「いたづら」で憂さ晴らしをしたこともある。

 

 水蜜は霊夢と向かい合う。足の裏を合わせて、足首を持つ。

 

「霊夢」

「なによ」

「今から言うのは、正直言えばとても恥ずかしいことです。永いはなしになると思います」

「はっ、幻想郷には説教好きが何人いると思っているのよ」

 

 霊夢は何を水蜜が話をしようとしているのかわからないが、大事なことを言おうとしているとは思った。だから、ただ受け入れる。

 水蜜が妖怪として心の底に落とし込んでいる物は暗い、血の匂いがするはなしかもしれない。霊夢にはそれを取り除くことはできないが、聞くことはできた。

 

 水蜜が口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

「およ。遅かったね」

 

 河童の家にもどってくるともう店は開いていた。霊夢と水蜜は疲れ切った顔をしている。体力もつきかけているのだろう。少し眠りたい。

 

「うん」

 

 青い顔で霊夢は言う。ボートとボールは直したことも告げた。にとりも流石にふたりのゾンビに仕事をさせようとは思わない。だから、こういった。

 

「裏でやすんでれば?」

「そうね」と霊夢。

「はい」と水蜜。

 

 そう気のない返事をしつつ、二人はよろよろと裏に引っ込んでいく。にとりはそれをみながら思う。

 

「海にでも潜ってたのかね? 目、赤くして。あ、いらっしゃませ」

 

 にとりは直ぐに接客に戻った。書き入れ時である。店の隅では紫の水着の少女がポスターの前で絶望的な顔をしている。

 

 

 

 

裏では水蜜と霊夢が寄りかかって寝ている。

 


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