巫女と天人の奇妙な二人組は、気の向くまま、思いの向くままに、街の中を歩き回った。とはいってもそれを決めるのは巫女ではなく。青い髪の天人の気まぐれに左右されることが多かったのだが、それでも巫女はついていく。
天子はマイクをもって、カラオケモニタに映像が流れるのを見ている。そこには、奇妙な格好をした女性が、奇怪な生物やらなんやらと踊っているような情景が映し出されていた。まだ、歌詞は表示されていない。
カラオケルームには天子と霊夢の二人しかいないが、店側の部屋繰りの都合だろうか、無理をすれば十人は入るだろう部屋にいた。天子の曲が流れ始めたあたりで、霊夢は入力用の小型モニタをタッチペンでつついている。
歌など、数分もあれば終わるのだが、二人しかいないので、次に歌う曲を早く入れなければと霊夢は内心で焦る。もちろんそんなことを知らない天子は、その場で立ち上がって体でリズムを取るようにしている。
そのうち、タイミングよく天子が歌い始めた。
「ゃーかに、愛して」
天子は唄う。透き通るような声がカラオケルームに響く。霊夢はいったんはっと手を止めてしまい。この後に歌うのかと、ぐむむと頭を悩ませる。カラオケなどほとんど来ないし、そもそも曲もほとんど知らない。初心者の悩みと言っていいだろう。
だが、一つだけ安心なこともないではなかった。たしかに天子の声はよいのだが、彼女の歌っている唄の奇妙な歌詞がそれを感じさせなくしてしまっている。それは忍者がどうのとか、巻物がどうのといういったい何を言いたいのかわからない歌詞だったのだ。それはそれで味があるのだが、霊夢の心のプレッシャーを多少和らげてくれる。
天子はたまに「しゃっきーん」などと口で擬音を出して、片手横ピースを目元でする。それでニコッと笑って、ぱちりと霊夢にウインクする。それは「どうだ」と言わんばかりなのだが、霊夢はくすりと思わずしてしまう。
天子はそれから、おもいっきりといった感じで声を張り上げる。それでも音程は崩れず、耳に心地よい音が室内に響く。楽しんで、楽しんで天子は唄い終わった。彼女はもちろんといった風に点数採点は起動させている。
――テンシさんの点数は九十九点です!
画面にそう出てきて、天子はぱっと花のような笑顔になり、それから「ん?」と考えて。
「あと一点だったのに……」
と最後は悔しがる。ころころと変わる表情に霊夢は気がとられて、何も入力していなかった。だから慌てて、項目をタッチペンでつついていく。それでも頭の中には、
「どれを唄うべきか」
「うまく歌えそうにない」
「これは、サビしか知らない」
と数々の懸念が浮かんでは消える。天子はそんな霊夢の横に来て、注文していたのだろうメロンクリームソーダをストローで吸いながら、画面を覗きこんだ。時折、バニラがストローに詰まるがそれを頑張って吸い出そうとする。普通はストローで食べるものではない。
「あっ霊夢。これとかいいんじゃないかしら」
「えっ。し、知らないわよ。これ」
「んーじゅあこれっ!」
「……知らないわ」
「じゃあこれー」
天子は次々に画面を指さして、霊夢に勧める。まるで押し問答のようなそれだが、霊夢もたまに知っている曲を指さされるので、それに対しては応える。しばらくして、やっと霊夢は曲を入れた。
彼女はマイクをもって、緊張した面持ちで立ち上がる。何故か背筋は伸びているのだが、それは慣れないからだろう。そもそもカラオケで「立つ」という行為をするのも、初心者か上級者に多い。無論、霊夢は前者である。
天子は指で口笛を吹き、霊夢に声援を送る。霊夢が入力に手間取っていることなど、何も感じていないように楽しげである。彼女はスピーカーから鳴りだした、音楽に手拍子を送りながら、ふと部屋のソファーの端にある「もの」に眼を付けた。
霊夢は汗ばんだ手でマイクを握りつつ、必死な顔で画面を見ている。画面から歌詞が現れるのを今か今かと待ちわびている、というよりは警戒しているという風情である。だが、そんなことをしているからか、出遅れてしまった。画面に歌詞が流れ始めた。
シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン。
「あっ…ず、ずんず」
シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン。
天子は部屋に備え付けられた盛り上げ用のタンバリンを振る。それのほうの音が大きく。霊夢の声など聞こえはしない。だから霊夢は言った。
「う、うるさーぃ!!」
今日一番の大声で叫ぶ霊夢。きぃんとハウリングの高音が部屋に響いて、天子の笑い声がこだまする。
次は雑貨屋に来た。いや、雑貨屋なのだがレストランも併設されているという「びっくりドン・キー・ホーテ」には霊夢も初めてやってきたのだ。ただ、もうお昼ご飯は布都の店で済ませているので関係ない。天子から、霊夢が聞いた話だとハンバーグがおいしいらしい。その天子も食べたことはないらしいので、情報としては曖昧である。
店内はまさに「雑貨屋」といった風情で、商品を満載した棚がところ狭しと並び、そのせいで客が通る通路は狭い。霊夢は肩が棚に当たらないようにして歩くが、天子はきょろきょろしながら歩く。少し危なっかしい。
「霊夢。これこれ。どうかしら?」
棚からとった頬の赤い、毛並みの黒いクマを抱きしめて、天子は振り向く。そういわれても霊夢は答える言葉はない。どう、と聞かれるほど答えにくいことはない。
「い、いいんじゃない?」
それで満足したのか天子は、クマを棚に直す。ここは人形のコーナーらしく、ぎざぎざ尻尾の黄色いネズミや耳のない青い狸やこれまたクマの茶色い毛並みで涎を垂らしている奇怪なものなどでごったがえしている。霊夢は見上げると、天井すれすれまで棚が伸びて、商品が置いてある。そんな奇妙な光景に、多少面白味を覚えた。
「……あっ。博麗の」
霊夢はその声に後ろを振り向いた。そこには金髪で双子だろうか、よく似た二人の少女がいた。片方は紅葉の髪飾り、もう一人は赤い帽子にブドウの柄。二人とも、胸に丸に「ド」とついた前掛けを付けているから、店員なのだろう。だが霊夢はその二人に眼中に入らないのか気が付かず、はてと首を傾げた。
その間にも天子はずんずんと進んで、気になるものを見つけるたびに感嘆の声を上げる。ヘタをすれば、際限なく買ってしまいそうなテンションだった。霊夢は天子とはぐれるのも面倒くさいので、後ろの声にまあいいかと思考を打ち切った。
霊夢は天子を早足でおいかける。
「お姉ちゃん」
「言わないで」
寂しげな声が、双子から漏れる。
次はゲームセンターだった。
ゲームセンターには天子は最初から行くつもりだったらしい、他のことにはついては、全ててきとうではあるが、これに関しては霊夢を迷うことなく連れてきた。
「あははー」
カーンとエアーホッケーのパックをマレットで天子は打った。パックとはプラスチックの円盤で、マレットそれを打ち込む道具である。天子と霊夢はエアーホッケー台を挟んで、睨み合っている。
シューとエアーホッケーの台を空気に乗ったパックが滑り、霊夢の陣地へ入り込む。だが霊夢もマレットで打ち返す。今朝は人類最強でも投げることのできない剛速球に苦戦はしたが、この程度のスピードであれば弾幕ごっこの経験が生きる。
霊夢の打ち出したパックは、エアーホッケー台の壁に当たって、天子の陣地へ突入する。エアーホッケーは敵の陣地の奥にある、ゴールに入れれば一点のゲームだからこそ、反射を利用しての攻撃がセオリーである。だが、天子もさるもので彼女は反射を読み切って、一振りでパックを捉える。それが直線的な軌道で霊夢のゴールに迫る。
「甘いわよっ!」
霊夢はそれを打ち返そうとマレットを振る。そこで天子はにやりとした。その次の瞬間には霊夢はパックを「打ち損じた」。辛うじてあたったが、勢いのないそれが天子の陣地に戻っていく。絶好の打ちごろのである。
「私のビギによいなっ!」
カーンと天子は漫画で覚えた掛け声とともに、打ち返し霊夢の一点を先取する。
――クレーンゲームでは、取れずに悔しがる霊夢の後に、天子がどや顔で挑んで、失敗し悔しがった。
「あんたも駄目じゃない!」
「霊夢より、少し商品が浮いたわ! アームに引っかかって!」
――戦地の絆では、チームプレイでのロボット同士の対戦だが、二人は性格的にもチームプレイなどできず、そもそも霊夢がゲームに酔って、天子が実質的に一人になっても気合で勝った。
「ウ、ウゥ。コノゲーム高いくせに、や、やりにくい」
「勝った……一人で。やり切ったわ……」
――クイズマジック&ガーデンというクイズゲームでは、現代知識の希薄な二人が協力しても、大したことはできずにおわってしまう。
「MDって何かしら?……天子わかる?」
「新しいCDのことじゃない? 問題に音楽がどうのと書かれているわ」
――ガンシューティングでは、二人は本領を発揮する。二人の動体視力が落ちていても、多少の動きには対応できる。それに天子はこのゲームを前からやりこんでいたらしく、ほぼ無傷である。クリアしたあとに天子は、霊夢に抱き付いた。
「やったー」
「は、はなれなさい」
天子はそれからも思いつくままに霊夢を連れて回り、遊ぶ。どこに行っても、何をしても彼女は楽しそうに笑う。天人として、天界にいた時には不幸ではないが単調な生活に飽き飽きしていたのだから、彼女はこの現代をこれ以上ないほどに堪能したいのだろう。
それから夜のとばりがおりて、二人の少女が遊び疲れたのか、公園のベンチに座り込むまで、買い物も洋服屋での天子による霊夢の着せ替えも、たまたま見つけたアイス屋でのおやつも笑顔のまま、流れていく。
「遊んだわ」
天子はベンチに座り込んで、天を向く。夜に星はない。それが現代の夜。眼を凝らせばみることはできるが、地上の光に隠された遠くの星々はそこにない。
「はあ」
霊夢はだるさと一日遊んだ充実感に包まれて、息を吐く。彼女も夜の空を見るが、なんとなく家のことを思い出してしまう。できるだけ考えないようにしてはいたのだが、それでも仕事はサボってしまったし、連絡もしていない。
今朝の霊夢はストレスが心に突き刺さっていた。それは現実から背をそむけたくなるほどにつらいものだったのだ、それでも天子と遊ぶうちにその「針」は取れて、別のものが心に湧き上がってくる。
それは、罪悪感。
ずきりと胸が痛むのを、顔には出さずに霊夢は天子を見る。彼女は口を開けて、ぼけえと空を見上げている。この天人を見て霊夢は多少なりとも、嫉妬を覚えた。
天真爛漫。それがこの比那名居天子だと彼女は、霊夢は今日改めて思う。それは一日の間ずっと一緒にいたからこそ、わかることだった。それに何故かわからないが天子は裕福な暮らしをしている、それも多少妬ましい。
「まるで、あいつね」
霊夢はぽつりと、昼に見た妖怪を思い出す。そして、すぐに打ち消す。それでも、この天子のありようを見て、感じればどんな人間でも羨ましがるのかもしれない。だが、それはただ知らないだけなのだ。
「霊夢」
天子は霊夢を見る。彼女は笑いを収めて、霊夢をじっと見ながら言う。それはどこか、怯えているようで、寂しそうな顔。
「また、どっかに行きましょうね?」
「……? そうね」
それで天子はまた空を見上げる。その口元が緩んでいることは霊夢にもわかるが、その笑顔と今日ずっと見てきた天人の笑いは違う気がして、わずかに戸惑う。それだけ天子は声を出さずに、心底嬉しそうににやけている。
「あっ、じゃあ。もう予定決めてもいい?」
ぱっと霊夢に向き直った天子は、きらきらした目で霊夢に聞く。霊夢が頷くと、天子はウエストポーチから分厚い手帳を取り出して、開く。付箋が大量に張ってあり、天子が開いた予定表のページには、大量に書かれた――バイト。の文字。
「うー。今週と来週はもう無理だから、そうね。あーここは無理だから……」
天子が指でなぞる、びっしりと書き込まれたカレンダーは真っ黒で、キレイとは言い難いが、そのページにはもう書き込む場所のないほどに予定が詰まっている。予定といっても遊ぶのではなく、働くための。
「あっ」
霊夢は眼を開いて、気が付く。天子の暮らしについて、なぜそんなことができたのか。そして幻想郷での天子の姿を思い出す。目の前の青い髪の少女は、もっと傲慢で自分勝手ではなかっただろうか。それは幻想郷を危険にさらすほどに。
「あんた。いったいくつバイト、してるの?」
「へ?」
天子は霊夢の質問に即答できず、メモ帳を膝に置いて指折り数える。メモ帳には「パン屋」「本屋」「カラオケ」「清掃」などと言う文字があるが、それを霊夢が見てもどれくらいしているのかわからない。
天子は言う。
「一八くらい? かしら」
疑問形なのは本人でも把握しきれていないのか、それでも霊夢はその数に驚愕する。そして思うのは一つ。天子の今日一日の嬉しげな姿、そして先ほど見せた寂しそうな表情、そのあとのにやけ顔。そこで霊夢は思う、あの広い部屋で天子は、一人暮らし。
霊夢とまた会えるかと聞いた時の天子が霊夢に直感させる。もしかしたら、あの豪華な暮らしは、気を紛らわせるためのものではないかと、霊夢は思う。だからこそ、天子に聞いた。
「あんた……もしかして、寂しいの?」
「……!?」
みるみる内に耳まで赤くなっていく天子。いきなり彼女は立ち上がって背を背け、高笑いする。腰に手を付けて、できるだけ愉快そうに笑う。
「あ、ははは。そ、そんなわけないじゃない!」
そう、霊夢に悩みがあるように天子にもある。それは幻想郷や天界ではなかったかもしれなくても、今いる場所から空を見上げれば、星のない現代。人間の喜びも苦しみも悲しみも、余すことなく抱える世界。
霊夢は空を見ながら、今朝のことを想う。それはいろんな者に迷惑をかけたのだろう。それを少しでも慰めるために天子を羨ましがってみたが、彼女にないものは、自分にはある。
「そう……となりの芝生は青かったのね……」
天子の照れ隠しに霊夢は突っ込むこともなく、否定も肯定もせずに独り言をいい霊夢も立ち上がった。そして天子の後ろから、言う。帰る場所など一つしかなく、思い浮かぶ顔はいくつもある。
「今から、家に帰るわ。……あんたもついてくる?」
心細いのは霊夢も同じ。天子は後ろを向いたまま、頷いた。
アパートに帰ってくるのは簡単である。霊夢達がこの数か月間はずっと暮らしきた場所なのだから、だがそこに入ることは霊夢にも難しかった。天子は後ろで興味深げにあたりを見ている。住んでいるところとのギャップが大きいからだろうか。
霊夢がいるのは、自分たちの部屋の前。扉を隔てて、中にはさとりたちがいるだろう。横に付いた小窓からはあかりが漏れているから、それは間違いないはずだった。
霊夢は一度大きく、息を吐く。扉の鍵を持ってはいるが、失踪していきなり部屋にもどるのは気が引ける。だからこそ、ノックをしようとしているのだが、なんとなく手が動かない。そもそも第一声はどうしようかと霊夢は考えた。
謝るべきか、強がるべきか。それとも無言でいいのか。霊夢の頭の中でぐるぐると回り、彼女は最後に思う。
「よしっ」
きっと力強い眼光を宿して、霊夢は手を動かす。彼女は、自分らしくない悩みを打ち切ってノックをしようとする。
その前にドアが開いた。部屋の前で声など出すから、気が付かれたのだ。
驚く霊夢の前に、桃色の髪をした少女が顔を出す。頭にヘアバンドをした、彼女は古明地さとりである。彼女と、霊夢は眼を合わせて、固まってしまった。
霊夢は怒られるかと身構えて、ごくりと息をのむ。だが、さとりは彼女の顔を見て、
――最初に、ほっと一息。
「よかったわ、無事で」
――次に、そっと一言。
さとりは怒ることも、責めることもなく。霊夢がただ無事に帰ってきたことだけに安堵した。霊夢は一度目を大きく見開いて、顔を背ける。それからぽつりと言った。
「ただいま……」
「おかえり」
さとりは霊夢の言葉を受けて、やさしく言う。元々から温厚な彼女だが、その声に霊夢は何も言葉を紡ぐことができず、さとりに導かれるままに中に入っていく。
「れいむー」
そこにチルノが突進してきて、霊夢のお腹に抱き付く。その後ろからとてとてとルーミアが来て、にっこりと笑ってお帰りという。慧音がいないのは、探しに行っているのだろうか。
さとりはふと、外にいる天子に気が付いた。なぜ天人と霊夢が一緒にいるのかはわからないのだが、言う。
「こんばんは……。霊夢が帰ってきたから、今からご飯にするけど、一緒に食べるかしら?」
天子はうっとひきつつも、思い直して腕を組み、ちょっと偉そうにしながら言う。
「い、いただこうかしら」
といった。こんな、彼女にも天人としての見栄があるらしい。
最終的に霊夢が逃げ出したことによって、問題はなかった。
あの逃亡からさとりは霊夢が、急性のインフルエンザに罹ったことにして、仕事場に連絡した。それから慧音と二人で探したが、途中途中で知り合いにも声をかけて、見つけたら連絡してくれるようにしたのだ。その中には「物部布都」が混じっていた。
「ふーん、逃げ出したんだ、れーむ」
今までの経緯を聞いて、天子はにやにやしながら肉なしのカレーを頬張る。それはさとりが作ったもので、今は狭い円卓を天子、霊夢、さとり、慧音、チルノ、ルーミアの六人で囲んでいる。お互いに肩が当たりそうなほど、狭いが誰一人文句は言わない。
「霊夢に頼りっぱなしだったからな。私も……はたらかないとな、胃が痛い」
つい先ほど帰ってきた慧音は、ジャージ姿というラフな格好でカレーを食べる。彼女の霊夢が帰ってきたことにホッするだけで何も言わなかった。ちなみに肉なしは全員であるので、天子に配慮したものではない。単純に経費的な問題である。
「……インフルエンザだって言ったら……しばらくは休みなさい、といわれたわ。霊夢」
勤め先からの言葉を、さとりは柔らかく言う。感染症を口実にしたのは、さとりの機知といっていい。唯の熱なら呼ばれる可能性があるからだ。
「……」
さとりの言葉に霊夢は思う。多少汚いかもしれないが、ここで言わなければ言わないだろうと。そう思ったから、彼女は言った。
「あり、がと」
少々照れながら言ったその言葉は、わざわざ休みを取れるようにしたさとりへ向けた言葉「でも」あるが、それだけではない。この声が聞こえた全員に向けたお礼の言葉だった。素直でないのは、霊夢とて天子と同じである。
「うめえ」
そんなことは別に口にカレーを付けて、チルノがスプーンを嘗める。それでさとりは軽く、肩を叩いて、いさめる。その横ではルーミアが以外にも上品に食べている。
内心で安堵した霊夢は、天子を見て言う。
「それよりも、天子」
「ん? なにかしら」
「アルバイトを減らしなさい。体に悪いわ。代わりに、ここに好きな時にきなさい」
「……考えておくわ……」
天子の返答にとりあえず満足して、霊夢はリモコンでテレビを付けた。天子は口では「考える」と言っているが、口の端が笑っている。大丈夫だと何故か確信した。慧音とさとりは何を言っているのかわからず、チルノはカレーを「うめえ、うめえ」と食べ、ルーミアはもぐもぐ食べている。
ミカン箱の上にあるテレビがつく。ちょうど音楽番組をやっているらしく、画面には緑色のドレスで着飾った。銀髪の少女が映る。
その少女は薄い口紅をつけ、少し頬を赤くしてマイクを両手で持つ。頭には黒いリボンをつけて、腰には何故か日本刀を差している。霊夢はその姿に顔が引きつるのを覚えた。
テレビの中で、少女が言う
『魂魄妖夢。歌います』
狭いアパートの中で、時が止まり。からんからんとスプーンが落ちる音が聞こえる。そしてその中でも氷の妖精は、影響なく。
「うめえ」
と心底嬉しそうに言う。
第一部、完