東方Project  ―人生楽じゃなし―   作:ほりぃー

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13話 B

 夕日が地平線の彼方に沈んでいくのを霊夢はぼけーと見ながら、口を開けていた。今でも自分の状況が信じられないのだ。

 

 

 

 

 

 

 数時間前に河童の経営を代行している海の家にたどり着いた霊夢一行は「みんなでビーチバレーをしよう」という河童のたわごとを聞き流していた。それから霊夢が急かしたこともあり、さとりと慧音合わせて三人で仕事に取り掛かった。河童もアパートの三人も一人ついてきていることを完全に失念していた。

 

 そもそもすでに着いた時には夕方近いこともあり、河童も着替えることについては不問にした。別に明日が本番なのであるから、急いで新たに来た四人の労働者に水着を着せることはない。それよりも河童のやっている海の家では仕事が山積みである。

 

 そもそも海の家という物の本番は夜である。アルコールをとそのツマミを提供する時間こそが王道である。ゆえにお昼よりも人手がいるのだ。それに河城にとりの同志である河童はこのビーチに4.5名程度しかいない。殆どが街で働いているからなおさら霊夢一行の合流はありがたかった。

 

 

 夜の闇は深い。海の果てを黒く染めて、時折通る船の汽笛が遠くに響く。

 星の光も、月の輝きも大海原に吸い込まれて蒼く静かな海をほのかに照らすだけだ。それでも浜辺は違った。海岸線の一角は煌々と人工の光がたかれている。そこは多数の「海の家」が集まった場所である。

 

 店々が軒を連ね、吊り電球で店内を照らす。少々暗さを感じさせるそれが、妙に雰囲気を盛り立てる。それは河童の店でも同じだった。

 河城 にとりの店は満員御礼である。店内のテーブルは全て埋まり、水着姿の男女が朗らかに笑い、杯を干しながら料理に舌鼓を打つ。もちろんレストランなどに提供されるような豪華な物でない。焼きそばやカレーやラーメンという、どちらかというとお祭りの屋台を思い浮かべると適当かもしれないだろう。

 

 それでも笑い声に包まれて食べる食事、海風を感じながら飲む酒はうまい。それを表すかのようにテーブル席のお客は皆が幸せそうに笑っている。よくよく見れば家族連れも少なくない。小さな子供が紙コップに満たされたコケコーラを飲んでいる。

 その客の一人が注文をしようと手を上げた。

 

「おねーさーん、枝豆二つ!」

「は、はい」

 

 にこぉと引きつった笑顔を向けたのは青い髪の女性だった。その恰好はお昼から変わらない水着姿。ただその上に前掛けを付けている。そして両手に持った銀色のトレイには焼きそばや空のビールジョッキが載っている。

 無論、雲居一輪のであった。彼女は売り子としての仕事が終わってからはここでウエイトレスの仕事を言いつけられていた。彼女のほんのりと赤い頬はこの後に及んでも恥ずかしさが抜け切れてないのだろう。

 

 一輪はそれでも真面目に働いている。根が真面目なこともあるのだろうが、できるだけ笑顔で接客するので人当たりはいい。しかしどことなくぎこちなく、羞恥に顔を赤らめている彼女は良くも悪くも注目されている。

 

 そしてウエイトレスはもう一人いた。虎のような目つきで店内を回っているのは寅丸 星である。白い水着にやはり前掛けを付けている。一輪とは違い、むっつりと黙っているがその眼で見られると吸い込まれそうなほどに澄んでいる。

 

「ビール一つと、カレーをお願いいたします」

「承知いたしました」

 

 眼鏡をかけた客が寅丸に注文する。客の方が何故かえらく丁寧に注文しているのは彼女の「威」に恐れをなしたからだろう。こんなところで恐れをなしてもどうということはないのだが、寅丸は寅丸で物腰柔らかだが偉そうである。

 そんな寅丸は内心では逃げ出したい。両腕を組んでいる彼女は仁王立ちの様に見える、ただよくよく見ると胸元を隠しているという毘沙門天にあるまじきことをしている。誰にも気が付かれてはいないが腿が少し内を向いている。

 寅丸は注文用紙に達筆な字で「麦酒 一」と書いて、考え込む。カレーとはどう漢字で書くのだろうと考えてもわからないので「かれえ」とひらがなで書いておいた。手に持ったシャーペンは振って芯を出すタイプの者なので猫のように腕を振る彼女は可愛らしい。

 と、そこへ

 

「うわっ」

 

 と一輪の悲鳴が聞こえてきた。寅丸の眼がぎろっとそちらを見る。突然の悲鳴という不測の事態でも慌てないのは毘沙門天としての当然なのだろう。水着で恥ずかしいから逃げ出したのは彼女の中では違う。

 

「とっ、とっ」

 

 一輪がトレイを持ってふらふらよろけていた。その近くで一人の子供がいる。どうやら遊んでいたのか一輪にぶつかってしまったらしい。それで一輪は転びそうになっているのだ、トレイにはビールジョッキが載っている。

 しかし、その子供はちらっと一輪を見て、そそくさと逃げようとした。それを寅丸は見逃さない。

 

「喝っ!」

 

 よく響く声が店内にこだまする。一瞬の静寂が店を包んだ。全員が寅丸を見ている。それは逃げようとした子供も同じである、彼は逃げるタイミングを失っていた。

 だから寅丸は逃げようとした子供につかつかと歩みよって、自らの膝を折り目線を合わせる。その大きくて綺麗な目で見られた子供はびくっと震えた。そのまま寅丸はその凛々しい表情を崩さずに言う。店内の者がかたずをのんでみている。

 

「君、なぜ私が声を出したのか、わかりますね?」

 

 諭すような言葉を厳しい声音で言う寅丸。子供は小さくこくりと頷いた。怯えているのかもしれない。彼は声を出さない、だから寅丸続ける。

 

「人にぶつかったのなら、為すべきことがあるはずです。それも……わかりますね?」

 

 寅丸は答えを言わない。唯々子供に悟らせようとする、その点で言えばまさに「仏」であるのだろう。しかも彼女の言葉には真摯な響きがある。それに寅丸は人をまっすぐ見ている、その大きな眼に映されるとその子供は何故かわからないが恥ずかしくなった。

 

「ご、ごめんなさい」

「私に謝っても仕方がありません。あなたが謝るべきなのは誰ですか?」

 

 子供が後ろを振り向く。そこにはさっきの寅丸の大声で思わずビールジョッキを落としてしまい、絶望的な目をしている一輪が居る。彼女の足もとは酒で濡れて、その傍らに空のジョッキが転がっている。ありきたりな海の家の性質上、床はそのまま「砂」であるから音がしなかったのだろう。

 子供はそんな一輪に頭を下げてこういった。

 

「お、お姉ちゃん、ぶつかって、ごめんなさい」

「え? ああ、ええ」

 

 一輪は謝られてどことなく上の空で返した。とどめを刺したのが寅丸なので、彼女も妙な気もちなのである。

 しかし、寅丸は子供がしっかりと謝ったことに満足してその小さな頭に手をやった。そのままがしがしと撫でる。彼女は満面の笑みで彼に言う。

 

「よくできました」

 

 寅丸が本当に嬉しそうに言う物だから、子供の方も嬉しくなってしまう。寅丸の言葉にも態度にも嘘がないからこそ双方に「嬉しい」という感情を起こさせてくれるのだろう。至誠という言葉こそが彼女にはふさわしいのかもしれない。

 

 そんな中でどこからともなくぱちぱちと手を叩く音が響いた。一部始終を見ていた客が手を鳴らしているのだろう、それは段々と大きくなって店中に響き渡った。寅丸はそのあたりで全員が自分を見ていることに気が付いて、笑いを引きつらせて体を隠すように腕組をする。無駄なあがきであった。

 

 

 

 

 

 

 

「ええー、とうもろこしはいりますかー」

 

 そんな店内とは反面にやる気のなさげな声を出しているのは村紗 水蜜であった。紺のワンピース型の水着を着ている上に、白いパーカーを羽織っているから一輪に比べれば恥ずかしさはない。彼女は入り口近くでとうもろこしを焼きながら、道行く人々に声を掛けている。要するに客引きである。

 

「ふぅ、あついですね」

 

 水蜜は別に恥ずかしくはないがじりじりと網の上で焼かれるとうもろこしの熱気をそのまま体に受けている。首筋に汗が溜まるのでたまに手で拭う。空気をいれようとして、わずかに肩ひもを引いたりもする。その時見えた肩ひもの下の肌は白い、陽に晒していた場所とは色が違うのだ。くっきりと線になっているだろう。

 

 しかし、そんなことはどうでもいい彼女は手元に合ったアーク・エリア―スのペッドボトルを掴んであおる。ごくごくと喉を鳴らして飲む彼女だが、心に思っているのは「ビールが飲みたいなぁ」ということだけだった。

 

 その点では中で接客している一輪も変わらないらしく。キンキンに冷えたビールジョッキを客の一人がごくごくと一気に飲んでいる姿をものほしそうな目で見てしまっている。ただしすぐにハッとして、トレイを脇に挟んで両手を使って頬を自分で叩く。

 一輪はそれから顔をぶるぶると振って欲望を頭から払う。また彼女を呼ぶ声がしたときには「はい」としっかりと接客してから、その客が冷たいお酒を飲んでいるので心がぐらついたりした。

 

 

 

 厨房では一人のピンク頭の少女と河童数人が料理をしている。全員頭にタオルを巻いていて、着ているのは黒いシャツに白い字で「うみんちゅ」と書かれたものだ。下に穿いているのは一人一人違う。ピンク髪の少女であるさとりはハーフパンツにサンダルである。

 

 さとりは両手にヘラを持って、鉄板の上で焼きそばを作っている。それを紙の皿に手際よく移していくのだ。現代に来てから家事、育児、料理の腕が飛躍的に伸びている。これでも一応のこと旧地獄である地霊殿の主であるのだ。

 

「あおのりを用意して……」

 

 地霊殿の主が河童に言う。そういっている間にもじゅうじゅうと焼かれている麺をヘラで巻き取って、混ぜてと余念がない。彼女も一輪と同じ真面目な性格ではあるのだが、真剣に焼きそばを焼いている地霊殿の主を同じく焼きそばを焼いている橋姫が見たらどう思うだろう。案外自分よりもうまく作っていることに嫉妬するかもしれない。

 

 さとりは額に浮かんだ汗をぬぐいつつ、妹のことを思いだした。

 心配とかの話ではない。彼女にはペットの中で信頼のおける二人がくっついているはずである。妹が妙な遊びを覚えていることには不安ではあるのだが、彼女が心を閉じていた時を思えば、千倍はいい。そう姉として思う。

 そんなことを考えているからふと、さとりは古明地 こいしが自分の焼きそばを食べたらと思った。

 

『おねーちゃん、美味しい!』

 

 さとりの頭の中でにっこりと笑うこいしに、現実の姉の表情も緩んでしまう。元々真面目にやっていた彼女のやる気がさらに上がり、動きが洗練されていく。傍から見ている河童達にはにやけながら焼きそばを焼いている少女である。

 

 

 

 

 海の家での仕事もあるが、明日の用意も重要だった。

 にとりの店では浮き輪にしろ水着にしろ、水鉄砲にしろレンタルを行っている。他にもゴーグルやらなんやらの細々とした物も扱っているのだ。それらを店の裏で慧音とナズーリンが整備していた。

 

「ふううー、ふー」

 

 慧音がスイカ型のボールに空気を送る。口から送るので彼女は頬を膨らませているのだ。

 横で水道から伸びたホースを使って、盥に水を貯めたナズーリンが手で大量のゴーグルを洗っている。「ああ、たいへんだ、たいへんだ」とわざとらしく言っているが、ゴーグルを洗うことにそこまで意味はない。要するに次貸す客へ「洗いましたよ」というポーズである。それを彼女は時間をかけて行う。

 

 要するにうまくサボっている。ナズーリンは別にこの作業を真面目にやる気などない。寅丸がいなければ逃げていたところだ。その点は完全にネズミである。彼女もさとりと同じく「うみんちゅ」と書かれたシャツを着ている。

 慧音も同じ恰好だが、サイズが小さいらしい。少々窮屈なのか肩を回してみたりしている。それから慧音はナズーリンに話しかけた。

 

「ふう、しかしあなた達も同じだったとはね。知らなかったよ、今更かもしれないけど」

「ん? そうだね。私も君たちがやって来るとは知らなかったよ。特にあの巫女はネズミを馬鹿にしているきらいがあるから、苦手なんだよ」

「霊夢が? ネズミを?」

 

 ネズミを毛嫌いしているのはだれでも、と苦笑しつつ慧音は言う。

 

「あれでも霊夢はいい奴じゃないかな。どことなくつっけんどんなところがあるけど、それでも私は信頼しているよ。口はわるいところもあるけど、付き合ってみたらいい」

「……ふーん。そうかい」

 

 

 興味なさげに言うナズーリン。しかし、内心では紅白の巫女はそれなりに人望があるのだと感心した。ただ顔には出さない。どことなく眠たげな顔をして、首を少しだけ動かす。紅い眼だけはこっそりと慧音を見ている。

 

「ま、私にはかんけいないね」

 

 ナズーリンは慧音に聞こえないようにぼそりという。彼女はあくまで毘沙門天の使いなのである、寅丸や命蓮寺の者に親しいところを見せても、外部に見せる義理などない。そういう意味では最もストイックな考え方を持っているのかもしれないだろう。

 そもそも幻想郷では「命蓮寺」にすらも住まず、現世と幻想郷と冥界のほとりの池の傍に掘っ建て小屋を作って一人で住んでいたのだ。現代に来てからは生活費的な面で仕方なく全員一緒にいるが、元来では彼女は一匹ネズミである。

 

「あ」

 

 といきなり慧音が何かに気が付いたように言う。ナズーリンは訝しげにしながら聞いてみる。

 

「どうしたんだい?」

「いや、あそこにいるのはさとりの妹じゃないか?」

 

 ナズーリンが見ると少し離れた場所に古明地 こいしがこちらを見ている。傍にはお燐お空の二人が言る。ネズミは彼女達が一体何をしているのかわからずに疑問符を頭に浮かべたが、別にどうでもいいやと思考を打ち切った。それが彼女の明日の地獄への道を開くことになる。

 

 

 

 

 

 こいしは砂浜にあげられたテトラポッドの上にいた。彼女の眼はナズーリンにのみ向けられている。後ろでは「ふっふっふ」と赤毛で三つ編みの化け猫ことお燐が笑っている。意味はない。ついでにお空も笑おうとして、くしゅんとちいさなくしゃみをする。

 こいしはさとりとの合体に失敗して多少落ち込んでいた。おそらく彼女と姉では少々力に差がありすぎたのだろうから失敗したとこいしは結論付けていた。であるならば、背格好が同じ程度で弱いのを見つけなければならない。

 

 絶好の獲物とはナズーリンのことである。彼女ならあるいはと考えて、こいしは眼を付けたのだ。お燐とも試したが無理だった。化け猫は乗り気であった。彼女が遊びの一つとしてこれを捉えている、お空は背が高すぎた。

 お燐は言う。

 

「こいし様っ。あそこにいる奴はあたいとお空で明日には捕まえてきてみせます」

「そうそう、あれくらいの奴なら核エネルギーを失った私で、も」

 

 お空は自分で「核エネルギーを失った」と口走ってからぽろぽろと泣き始めた。幻想郷でひょんなことから手に入れた力を失って、彼女は一時期自信を失っていたのだ。このごろはそれも収まったが、たまに自分で自分の傷を抉る。わざとでない。

 お燐はそんなお空をやれやれと見ている。お空はそれでも強く目元を拭って言う。

 

「必ずあのネズミは必ず私が消し炭にするわ」

 

 捕まえるという話はどこに行ったのか、そういうことになった。お燐も「その意気、その意気」と煽るので止めるものはいない。そう、いない。そこでお燐は気が付いたのだ。

 

「あ、あれ? こいし様はっ?」

 

 いつの間にか消えている。こいしは忽然とどこかに行ってしまった。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 海の傍には小高い丘がある。そこには車道が通っていて中腹には旅館もあり、近くに野球グラウンドもある。だからこそ四季 映姫はこの場所を合宿場に選んだのだった。

 少年達の集団はともすれば他の客に迷惑をかけてしまうが、その点では映姫のチームの教育が万全であった。廊下で私語をしない、ロビーに屯しないという徹底ぶりである。ただし自分たちの部屋では少しうるさいのは仕方ないだろう。

 

 映姫もそこに一室借りていた。自費であるから、チームの父兄から集めた合宿費は「少年達」に還元している。少しくらい使っても誰も文句を言わないだろうが、映姫はそれをしない。

 ただ、どうせ来たのだから少しだけ楽しむべき場所は見つけた。風呂である。

 この旅館には露天風呂があった。温泉ではないが、大浴場から外へ出る入り口がある。外には石造りの湯船があり、そこに満々と張られた湯から湯気が立ち上っている。いや、それよりもこの場所では見るところがある。

 

 海が、遠くまで見える。暗い海に月の姿が浮かんでいる。

 映姫は肩までいお湯につかりつつも、眼を遠くにやった。緑色の髪は濡れている。彼女がそれを片手で軽く払う。彼女の髪は左側だけ少々長い。

 映姫の耳に聞こえてくるのは湯船に取り付けられたパイプからお湯が流れる音だけであった。周りには誰もいない。幸運と言うべきかもしれない。だから映姫は肩の力を抜いて、天を仰ぐ。それから首に手を回した。

 映姫のうなじは細い。彼女はそこに手をやって自分で揉む。首をマッサージすると少し気持ちがいい。彼女はそれから風呂の縁に寄りかかって、体中の力を抜いてみる。火照った顔は赤い。前髪についた水滴がぴちょっと落ちる。

 

 映姫はしばらくそうしていた。少年団と共に練習しているが、今の彼女は見た目通りの少女である。頭脳はずば抜けているだろうが、身体能力的には線の細い体が発揮できる以上の物はない。ゆえに身体的には疲れも出る。

 今は少年達に野球のことを教えてはいるが、あと数年もすれば体力的には抜かれるだろう。無論現代においての話である。

 

「……」

 

 映姫はざばっと湯船から上がる。その肌をお湯が流れる。少し考えすぎている気がするのだ。少年達の数年後など見ることはできないのだから、考えても仕方ない。

 彼女が上がったと同時に露天風呂の入り口が開かれた。映姫がゆったりとした仕草でそちらを見る。すでに凛々しい閻魔の顔に戻っている。

 

「まったく、霊夢たちったら、わたしのことを忘れて」

 

 ぶつぶつ言いながら入ってきたのは比那名居 天子だった。彼女は忙しい海の家で手持無沙汰になり、ここに風呂へ入りに来たのだ。浜辺にシャワーはあっても風呂はない。ついでに霊夢とにとり、それに白蓮もいないのでいる意味もなかった。

 

「あれ? あなたは」

 

 天子も映姫に気が付いたらしく声をあげた。ただ、二人は殆ど接点がない。それでも互いに知っている。それでも天子は映姫が現代にいることを知らないが映姫は逆に霊夢とバッティングセンターに来た彼女を見たことがあった。

 天子はにんまりと不敵に笑った。彼女は湯船に歩みよってかけ湯をしてから入る。映姫は逆に出ていこうとする。体には置いていたのだろう、タオルを巻きつけている。

 その背中に天子は言う。

 

「へえ、地獄の閻魔様も巻き込まれたのね?」

「……ええ」

「いつも私の所に死神を送り付けてくるのが祟ったんじゃないかしら」

「私に祟る? そのような謂れはありません」

 

 天人は寿命がないわけではない。迎えの死神を物理的に撃退しているから生き延びているだけなのだ。ついでに言えば閻魔を「祟る」物もこの世にあるかどうかはわからない。

 

「……なぜあなたはここにいるのですか?」

「お風呂に入りに来たに決まっているじゃない? 疑うのなら白黒はっきりさせてみればいいわ」

「…………」

 

 映姫の眼が動く。動揺などではない。少なくとも今の彼女には「白黒はっきりつける程度の能力」は使えない。厳密にいえば使う方法はあるのだが、映姫はそれをしない。ただ、彼女もとある「疑問」を口に出した。彼女の言う「ここ」とは風呂場ではない。

 

「私が言うのもなんですが、今回の異変。殆どの者が幻想郷の住民です。現に冥界から殆どでて来ない者や強力な力を持った妖怪の一部は現れていない……」

 

 映姫は一度振り返る。

 

「それなのになぜ天界に住み、比較的にも強力な力をもった天人であるあなたが巻き込まれたのですか? 私がきいたこことは、この現代の話です」

「……それならあなたや地底の連中が巻き込まれたのもおかしいじゃない?」

「その通りですね。反論はありません。だからわざわざ聞いているのです」

「それで?」

 

 映姫は一旦言葉を切る。それから言う。

 

「殆どの者がどこかしらのつながりがあるというのは作為的な物を感じます。全く知らない妖怪も人も混じってはいない。どの者も知人、友人、仇敵というつながりがある。何か目的があるのならばここまで大規模にする意味はないほどに、つまり犯人には愉快犯としての性質がある。そしてこの規模の異変を起こすのは一人でないでしょう」

 

 映姫の眼が天子を見る。天子は湯船に入ったままだから、その背中に言う。

 

「正直に言えば私はあなたを疑っている。愉快犯的な現状、天人としての力……あなたの言う通り白黒はっきりとさせれば簡単ですが……今、この状況は犯人にもどうしようもないでしょうから意味を見出せません」

「……力があるなら、さとりでも同じなんじゃないかしら?」

「彼女はそんなことし――」

 

 ――いぇーい

 

 映姫は思い出した、あの珍妙なポスターを。地底の主がピースしているあれを。彼女はあわてて手で口元を覆った。それから「今日はここで」といい、そそくさと出ていく。肩が震えているのは何故だろう。

 

 

 残った天子は遠くを見つめている。

 まさか変なポスターを思い出して閻魔がどこかに行くとは思っていないから、映姫には何か思惑があったのだろうと感じている。だから笑うでもなく静かに遠くを見ている。海の上に何艘かの船が浮かんで、煌々と明かりをつけている。イカ釣り漁船だろうか。

 

「綺麗ね。本当に『ここ』は退屈しないわ」

 

 天子は言う。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 その天子見ている船の中ではゴム手袋に分厚い作業着を着た霊夢とにとりは言い争いをしていた。ここはイカ釣り漁船である。遠くに海の家の明かりや旅館の明かりが見える。

 

「何で私だけイカ釣り漁船なのよ!」

「じ、時給が高いから力がある人がいるんだよっ」

「それこそ慧音とかあの寺の奴の方がいいじゃない!」

 

 船が揺れるたびに霊夢とにとりは気分が悪くなる。水の中ならともかく船の上では河童も強くはないらしい。三半規管が揺れるたびにやばい物を感じるが、どうしようもない。

 

 隙を見てにとりを船から落そうかなと霊夢は思った。それに白蓮も河童の依頼でとあるものを作っているというから、楽そうで腹が立った。

 

 

 

 


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