すでにお昼時は過ぎていても、ほぼ中天には太陽があった。そこから降り注ぐ夏の日差しがアスファルトを焼き、そしてじりじりと空気を焦がすかのようだった。
「あ、あつっい」
霊夢は空を見上げて恨みを込めていった。彼女の両隣にはさとりと慧音がそれぞれ座っている。彼女達もこの暑さに辟易しているのか、肌に汗を浮かべている。
かといって動くわけにはいかない。何故ならばここは駅のプラットフォームである。歩き回っても意味がないし、それに改札口からも外へ出るわけにもいかない。
ここは最寄りの駅というわけではなく、歩いて行けるもっとも遠い距離にある駅に彼女達はいた。目的は河童の指定した海に行くことだが、だからと言って交通費が出るわけでもないので数駅分の電車賃を浮かすための行動だった。
そのようなことをするから、町はずれの駅になる。この駅の改札を出たらすぐにプラットフォームに直行し、電車の到着時間の書かれた掲示板があり。後は何もない。屋根のような物もないから直射日光が降り注いでいる。ちなみに自動販売機もない。
駅の周りには田圃が広がり、遠くには町並みが見える。東京のような都会では見られない光景だが、基本的に地方都市は少し大通りを外れると住宅地に入るか、そうでなければこのような田園が広がっている。一応ちらほらと民家は見える。
青々とした稲は、まだ秋に向けて風にそよぐ。
陽の光を目いっぱいに浴びて、その穂先を実らすほどに頭を日に日に垂れていくのだろう。
霊夢が眼を向けると、田園の中で何をしているのかちらほらと農家の人間が何かをしている。彼女はそれを「まるで幻想郷のようね……」と感じた。慧音も同じような感慨を持ったらしく、彼女も遠くに眼を向けている。
その感情はさとりにはよくわからない。ピンク色のブラウスにスカート。それにサンダルという涼しそうな恰好をした彼女だが、元々は地底に住んでいたこともありこのような光景には久しぶりに出会う。
「…………」
それでもさとりは心からこの風景を楽しんでいた。無慈悲なほど容赦のない日光の合間を縫って、田園を吹き抜ける風が頬を撫でる。僅かな涼しさから小さな心地よさを感じ、霊夢と慧音と並んで遠くに広がる蒼穹を見る。そこにある入道雲は見上げるほどだ。
光景と、出会う。それがさとりの心情を表しているのかもしれない。霊夢達にとっては「再会」かもしれないがさとりには新しい友達のような、そんなもの。
そんな中で――三人は声をあげる。
「あっつい」と霊夢。
「熱い」と慧音。
「ふぁあ」とさとり。
感傷に耽ろうとも暑い物は暑い。一人口を開けて妙な声を出したさとりは頬を紅くして口を両手で押さえる。口の中にたまった空気を霊夢と慧音の声に合わせて外に出したら、そんな声が出たのだ。
霊夢はさとりをちらと見たが、それ以上は何も言わずに髪をかき上げる。黒髪だからこそ、熱がこもるのだろう。彼女はノースリーブのシャツにハーフジーンズにやはりサンダルという格好だ。
慧音は落ち着いた青のワンピースを着ている。体にぴったりとフィットしたものだが、ただ胸元に大きなリボンが付いていてどちらかというと可愛らしい。低価でこのような服を買えるのもこの三人の行きつけである「アイランド・ヴィレッジ」は偉大であろう。ちなみに三人の荷物はそれぞれの足もとにある。
遠くで電車の「音」がする。霊夢が見ると、線路の先から、陽炎に揺らめく電車がこちらに向かってくる。それはごとごとと重量感のある音を出して、近づいてくるがすぐに彼女達の目の前を通り過ぎていく。ただ、プオオと言う音と少しだけ遅れた風を残してだ。
今通り過ぎたのは「特急」であろうか。そう慧音は思って、掲示板を見たのが停まりもしない電車の情報など書いてはいない。しかし、次の電車までは10分程度かかることはわかった。この目玉焼きでも作れそうなアスファルトの上に、もうしばらくいなければならない。
そこで慧音は一つため息をついたが、それを見ていたのかさとりが麦茶の入った水筒を差し出す。目ざといというよりは面倒見がいいのだろう。
「……水分はとっておくべきよ」
「あ、すまない。いただく」
水筒からコップを取って、中の麦茶をいれる。それから喉が渇いていたのか慧音はぐっと飲み干した。喉が動くのは美味しいからだろう。彼女はそれで一息ついて、麦茶で潤った唇を小さくなめる。
それからすぐに水筒を返す。まだ飲みたいという感情が心にあるから、貴重な麦茶はさとりに返しておくべきだと思ったのだ。しかし、霊夢がそれを取って、飲む。遠慮会釈もないがそれが彼女の性格なのだ。
ここにチルノとルーミアはいない。働きに行くというのにつれて行っても電車賃がかかるだけなのでおいてきたのだ。最初は寺に預かってもらおうとさとりが連れて行ったが、生憎のことで聖白蓮はいなかった。どこかに言っていると住職から聞いた。
そして仕方ないので、帰りに会ったチルノ達とよく遊んでいる三月精と吸血鬼の妹が「心当たりがある」とのことだったので、そのままさとりは二人を預けた。無論のことルーミアに慧音用の携帯を持たせているので緊急時でも連絡は取れるようにしている。
携帯をチルノに預けなかったのは、それを失くさないためである。ルーミアは本人も子供の様にふるまっているが、どことなく冷めた部分があり間違えることはしないだろう。
「大丈夫かしら……」
それでもさとりは心配である。三月精と吸血鬼はそれぞれ住処を持っているし、どうしようもなければ知り合いも多くいるらしい。この三月精が花の妖怪と住んでいることはこの前の「文々。新聞」に書かれていた。
――花の妖怪落ちぶれる! まさかの子育て!
という見出しで少々さとりも驚いたが、こんな状況ならそれもあるだろうと考えた。むしろ花の妖怪がスーパーで働いているという文面のほうに驚かされた。余談であるが、何者かが新聞を取っていない花の妖怪にも届けたという。犯人はわからない。
そんなことを考えているとさとりは遠くから声がすることに気が付いた。それは霊夢と慧音も同じで彼女達はそろって声の方向を見る。そうしてみると改札口でがつんがつんと大きくて茶色い皮のトランクケースをぶつけながら、必死の思いでそこを抜けだした少女が見えた。
青く長い髪の上から麦わら帽子をかぶり、白いブラウスの胸元にはフリルが付いている。それでいてこの炎天下でも雪の様に白い手を霊夢達に向かって元気よく振っている。下にはダメージの入ったショートパンツを履いていて、よくよく見るとダメージの一部が星型なのは少しこだわっているのかもしれない。
「おーい! れいむー」
比那名居天子はそうやって改札から出ると、もう一度大きく手を振った。足もとにはトランクケースがあるが、見た目を重んじたのか「ホイール」がついていない。つまり手で持っていくしかないタイプの物である。
天子の姿を見た霊夢は立ち上がって、叫んだ。多少怒気を含んでいる。
「天子! おそい」
「い、今からそっちに行くからっ!」
天子は特に悪びれる様子もなく重そうなトランクケースを両手で持ってのろのろと向かってくる。彼女は元々霊夢達のアパートに向かい合流する予定だったが、結局は駅で集合の流れになった。
しかし、彼女は遅刻した。この炎天下で三人が待機しているのはそういう理由である。外に出るとさらに切符代がかかるので、出るに出られなかったのだ。そこで霊夢は一言いってやろうとさとりと慧音から離れて仁王立ちするのだが、当の天子の足が遅い。
よろけながら天子は向かってくる。明らかに重そうで足もとがふらついている。のろのろと左右にふらつきながら来るから、危ない。そこで霊夢もはあとため息をついて、自分から向かっていく。
「あんた、何してたの」
「ぇぜえ、ぜえ? え? 何が?」
額に汗を浮かべて天子は聞き返してくる。息は切れているから疲れていることがわかりやすい。要するに疲れて聞き取れなかったのだろう。彼女の遅れた理由も案外「荷物が重い」という単純なことなのかもしれない。
「……ほら、ちょっと取っ手を片方貸しなさい」
「あ、ありがとう」
怒りに行ったはずが霊夢は天子の手伝いをしてしまう。トランクケースの取っ手を片方持って二人で歩くことになった。その間に巫女は天人に慣れない説教をするが、もうテンションの上がっている青い髪の少女はにへらにへら幸せそうに笑うだけで話にならない。
霊夢はため息をもう一つついたが、さとりと慧音はお互いに顔を見合わせてくすりとした。遠くを見ると自分たち乗る電車が陽炎で揺れながら近づいてくる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
すぴーすぴーと電車の中で天子は心地よさげに眠った。向かい合わせの席で隣には慧音、向かいには霊夢が座っている。さとりは少し柔和な笑みを浮かべたまま。文庫本を読んでいる。
お昼時を過ぎて夕方にならない中途半端な時間だからか、乗客などはほとんどいない。ただただガタン、ゴトンと電車の揺れる音が響く。外からの日光が電車の窓から入ってきて車内は明るい。
三人の荷物は上の金網に乗せたが、天子のトランクケースは載せるのに苦労しそうなのと、そもそも落ちてきたら大変怖いので座席に密着させて置いた。少なくとも通路を塞ぐわけにはいかない。
「こいつ……幸せそうね」
霊夢が涎を垂らして寝ている天子を見ながら言う。まだどこにも行っていないのに疲れたのだろう、口をむにゃむにゃとさせてだらしなく眠る。そんなことだから寝言まで言ってしまった。
「も、もう食べられない……」
「!」
「!」
「!」
三人が一斉に天子を見る。ある意味奇跡を見た顔をしていた。当の天子は変わらず幸せそうである。口元から涎が出ているので、仕方なく霊夢がハンカチで拭いてやる。その姿にまた慧音とさとりが微笑してしまう。どうにも天子には霊夢も甘いらしい。
だが、それに気が付いていた霊夢にじろりと見られては二人もびくりとしてしまう。そこで慧音はコホンと一つ咳払いをして、取り繕う。
「そ、そうだな。これから海に行くわけだが……実際何をするんだろうな。霊夢」
「知らないわよ……河童の考えていることなんて。たしか以前に同じようにどこかに連れていかれた奴は…………看板を持って道の真ん中で一日中突っ立たされたらしいけど……」
「そ、それは何の意味があるんだ?」
「それこそ知らないわよ」
霊夢はぶっきらぼうに言い切る。事実その行為に何の意味があるのかわからないのだ。だが一日中立っているだけなのはいつも「ハルデスヨハルデスヨ」などと言っている少女にはきつかっただろうとは思った。
「は、はは」
慧音はちょっとだけ不安になったのか乾いた笑いを浮かべる。一日中この炎天下で立たされたら堪らないと思ったのだ。彼女は窓の外を見ると、市街地を過ぎていくところだった。たまに見覚えのある建物などを見て「あっ」と心中に思ったりもするが、それは手持ち無沙汰だからだろう。
そこは霊夢も同じで彼女は、寝ている天子のほっぺたをぷにぷにと指でつついたりしている。だが、そんなことではこの天人は起きそうにない。だから霊夢は飽きてやめてしまう。
さとりは一人で文庫本を読み、後ろの席でこいしはお菓子を食べている。
天井をなんとなくさとりが見ると、吊り広告が電車の動きに合わせてゆらゆらしている。その内容は週刊詩の宣伝やまたは「チカン NO!」と可愛らしい白い髪の少女が怒ったような顔で映っているものだ。その少女は刀を持っているが、要するにチカンには報復するというイメージ広告だろうか。
「そういえば今何時なんだ?」
ふと、慧音は疑問をそのまま口に出した。裏も何もなく純粋に気になったのだろう。別に河童とは時間の約束などしているわけではない。ただ、今日は慧音も携帯を持っていないから時間が気になっても確認する方法がないのだ。腕時計も持っていない。
「……今、三時二十分ね」
霊夢は即座に返した。しかし、彼女は自分の物で時間を確認したわけではない。目の前で寝ている天子の腕に腕時計があったから、それを見て答えただけだ。それでも霊夢はとあることに気が付いた。彼女は天子の手を取って、その腕時計をじろじろと見る。
「こいつ、妙にいい時計持ってるわね」
「……ぅぁ、ふぃ」
変な寝言を出す天子の腕時計。その銀のメタルブレスレットはともかく、時計の部分には霊夢にはよくわからないが小さなメーターのようなものがごたごたとついている。それによくよく見れば意匠も凝ったつくりをしている。
「どれどれ」
慧音も顔を近づいてみてみると、どうにもどことなく気品を感じさせるような作りをしている。霊夢はじめ三人は百円ショップの時計を持っているが、使わないので家にある。それでも百円時計に比べればその違いが一目瞭然だった。
「慧音」
「? どうした」
霊夢の問いかけに慧音は小首をくいと動かしてから目で問う。
「この時計に英語が書いてあるんだけど……なんて読むのかしら?」
「ん、たぶんメーカーの名前だろうな。この頃は英語も勉強しているから読めると思う……えっと、ぉ……め……が……? と書いてあるのかな、たぶんだが、違ったらすまない」
「へえ、造りも凝ってるけど名前もけったいなもんなのね」
「ああ、おそらく二万、三万くらいはするんじゃないかな。どちらにせよ私たちの物よりは数百倍くらいはするだろうさ」
「……」
いきなり霊夢は天子の頬をつねった。
「いだっ!? ふ、ふあ。れ、霊夢なにするのよっ!」
流石に起き上がった天子はさらに両頬を霊夢につねられて抗議するが、まさか自分が寝ている間に腕時計をまじまじと観察されてそのことで霊夢に攻撃されているとは気が付かない。
しかし、そんなこんなをしながら五人を乗せた電車ががたんごとんと走っていく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
目的の駅についた時霊夢は大きく伸びをしてから、首をこきこきと動かした。どうにも少女の動作ではないが本人はまったく気にしていない。
すでに乗ってきた電車は行ってしまった。霊夢が後ろを振り返ると、さとりと慧音がさらに後ろにいる天子を心配そうに見ている。重たいトランクを引きずるように歩いているのだから心配もするだろう。
「ところで、さとり」
「何かしら、霊夢」
天子は気にせず霊夢は言う。天子は遠くで「れいぃむ」と言っているが気にしない。甘やかすわけにはいかないのだ。そもそも遊びに行くわけではないというのに一体何が入っているのだろう。
霊夢はさとりに聞く。
「……河童とはこの」
言いながらポケットからくしゃくしゃになったチラシを取り出す。にとりにもらった時からそれになりに折り目もついていたが、それがひどくなっている。
「チラシで来て、としか言われてないのだけど……実際どこにいるのかしら」
「……多分大丈夫よ霊夢。あれだけ目立つのだから……少し海辺を探せば見つかるわよ」
「それもそうね。幻想郷の連中は今の人たちに比べればわかりやすいしね」
そう疑問を解消して霊夢は天子を見る。いつの間にか近くにいたが、その眼は多少恨みが籠っている。だから霊夢もはあとため息をついてから片手を出す。取っ手をよこせ。そう無言で伝える。
天子は眼をぱちくりさせてから、ちょっと顔を紅くして、それでいながら何故かドヤ顔をしながら霊夢に取っ手を渡す。嬉しいのだが、それを馬鹿正直に態度に出すのは恥ずかしいのだろう。今更意味がないかもしれないが。
その二人を見ながらさとりはくすりとする。まさかこれから彼女にとっての修羅場が待っているとは思えないのだから仕方ないだろう。
四人は固まって改札を出る。駅を出ると、目の前がロータリーになっていて霊夢達とは違い海水浴に来ただろう人々が行き交っている。その中には水着を着ている者もいる。
海水浴場だからだろう、いろいろなところに幟(のぼり) が立っていて「おいでませ」とかこの海水浴場に来たことへの出迎えが書いてある。
それだけでなく「おいでませ!古明地さとり様ご一行!」と書かれた横断幕もある。
「!????」
思わずさとりは走り出した。今何か信じられないものを見た気がする。
だがロータリーの端で間違いなくさとりの名を使った横断幕が張られてあり、しかもさとりのイラストまで描かれている、彼女の顔が書かれていてその左右にピースサインが書いてある。しかも吹き出しまでついていて「いぇーい」と書かれている。
その横断幕の傍に二人の少女が居た。一人は赤い髪をした三つ編みの少女。もう一人は長い黒髪を一つにまとめている。その彼女達は走ってくるさとりに気が付くとぱあと笑って手を振っている。
「「さとりさまー!」」
にっこにこのこの二人にさとりは走っていく。説教。それしか頭にない。周りからは「あの横断幕の人よ、絶対」などと誰かが特定する声が聞こえてくる。あの目立つ横断幕はいったいいつから飾られていたのだろうか。
このお話では何人くらいの幻想少女が想像いただけたでしょうか?
世界観が広がっていく気がするなあ。