フランドール・スカーレットは数百年間外へ出ることがなかった。
暗い地下室に閉じこめられた少女。それが彼女だったのだ。それに自ら外へ出ようとしたことも、ほとんどなかった。外の世界に興味がなかったこともある。
それでも、少し前に幻想郷への紅魔館の移動に伴って起こった「異変」が彼女に僅かな変化を与えた。乗り込んできた巫女とただの魔法使いとの「弾幕ごっこ」を通じて、多少なりとも人と交わり持つきっかけになったのだ。
それでもフランは外へ出るようなことはしていない。紅魔館の中か、その敷地内で彼女が目撃される頻度が上がっただけである。それでも、数百年の間、引きこもっていたとすれば大きな変化だといって差し支えないだろう。
とあるパーティの時に、二匹のウサギに目撃されたという、噂もたったこともあった。そのパーティは館の主人であるレミリア・スカーレットが「宇宙船」をお披露目したものでもあったが、その後の経緯もあり、レミリアもあまり語りたがらない。
それから、また少し時が進み。いきなり紅魔館の面々も「外」へ放りだされることとなった。強大な力を持っているはずの彼女達もそれには抗うことができず、ある意味で厳しい現代社会に組み込まれることになった。使い魔達は何故かレミリア達にもわからないが、「外」へは出ていなかった。幻想郷に残ったのかもしれないが確かめる術はない。
それでも、生活費的な意味と住居的な意味で十六夜 咲夜と紅美鈴の二人が中心になり、生活を立てなおした。単に労働できるのがその二人しかいないこともある。紫の髪をした魔法使いは内職をすることで妥協した。
それでもフランは引きこもった。いや、住居のスペースが幻想郷よりもはるかに狭いアパートに移ったというのに、自らのスペースをつくりそこから出なくなった。しかし、一日中なにもすることもない、生活でだんだんと金髪の少女は暗さを増していった。家にあるのは、通信情報機関紙や新聞や電話帳くらいしかないので、部屋の隅で小さくなっているしかなかった。
そんな様子を見かねた者が一人いた。
「妹様。よ、よかったら。これ……な、なんかおもしろいらしいですよ」
フランそういったのは、幻想郷で門番をしていた女性だった。長く、赤い髪をした彼女がフランに手渡したのは、古ぼけた「ゲーム・ボーイ」だった。中古のゲームショップで買ってきたと門番は言う。お金のない生活でそれをしたのだから彼女は自分のことよりフランの為を思って、行動をしたのだろう。
だがくすんだ黄色いゲーム機は最初フランには理解できなかった。そもそも目の前にいる「門番」自体、ほとんど話したことがない。名前は何だっただろうとフランは思う。
それでも門番はぎこちなく笑う。彼女もフランに対して様々な感情があるのだろう。それで変な笑い方と、変な顔になってしまった。それを見たフランはぱちぱちと瞬きをしてから、ぷっと吹き出してしまう。
「あ、あはは」
赤毛の女性も笑う。それで多少は緊張もほぐれたのだろうか、彼女は懐から裸のゲームソフトを取り出した。それは表面に金と赤の「鳥」の描かれたカセットである。ポケットモンスターとカセットの「鳥」が、ホウオウの絵柄だとフランが知るのはもう少し先である。
「これをここにさして、こうして、使うらしいです」
門番はフランの手元にある、ゲームボーイにカセットを差し込んで、スイッチを押す。そのあたりの使い方も買ったときに聞いておいたのかもしれないほど、手際よく行う。しかし、ゲーム機はうんともすんともいわない。
「あ。あれ。お、おかしいな」
電池の入っていないゲーム機をもって慌てはじめる、門番。フランはその様子をじっと見ているだけで、何も言わない。そもそもゲームなどよくわからない。それよりも慌てふためいている目の前の女性の方が面白い。
門番はそれから試行錯誤を繰り返して、最終的に帰ってきたメイドに助けを求めてからようやくのことで、電池がないことにきがついた。いや、「電池」などという物の概念自体が希薄な彼女なので、何かを入れる必要があると理解したのだ。
「じゃ、じゃあ私はデンチィを買ってきます!」
門番は変な発音を発しながら立ち上がった。フランはその動きを眼で追う。しかし、門番がフランに背を向けていそいそと出ていこうとすることに、何故か無性に寂しくなった。
「私も行く」
「えっ?」
門番は振り向く。フランは立ち上がる。メイドは驚く。
フランは門番に向かってもう一度言った。その手には黄色いぼろぼろのゲーム機がある。電池の入っていない、不完全なそれを彼女は大切そうに胸に抱く。
「デンチーを買いに行く」
まるでマスコットキャラに対するかのような発音で、彼女は言う。赤毛の女性はメイドとフランを交互に見ながら、汗を流した。どうすればいいのか、迷っているのだろう。あくまでフランは主人の妹なのだ。
そこでメイド、十六夜 咲夜は言った。
「もう、日は暮れているわ。それに近くのコンビニまでなら、大丈夫でしょう?」
その一言で、全てが決まった。
夜風がフランの髪を揺らす。かんかんと階段を降りる音が耳に響く。
目の前には背の高い、赤い髪をした名を知らぬ門番。どこか緊張した歩き方に小さく笑いそうになる。フランは目線を上げて、空を見る。暗い夜空に星はない。それでも電燈があたりを照らしてくれる。
アパートの敷地から出て見える、大きな赤い箱。門番は「ジドウハンバイキ」と言ったが、それがなんのことか、フランにはわからない。だから立ち止まって彼女はそれをじっくりと見てみた。缶のジュースが入っていることはわかる。流石にそれを飲んだことはあるが、こんな箱に入っているとはフランは知らなかった。
門番はポケットからがま口を取り出して、そこから百円玉を二枚取り出す。それでも多少苦渋の表情をしたので、それが彼女の財布事情を物語っているだろう。それでも門番は自動販売機にお金を入れて、できるだけ甘くて炭酸の強い物のボタンを押した。
ごとごとと音を鳴らして、ジュースの缶が取り出し口に出てくる。門番は、それを取り出してフランに手渡そうとした。だがはっと気が付いて、一応膝をついてそれをする。敬意を払ったつもりなのだろうが、フランと「目線」を合わせた格好になる。
フランは門番から、ジュースをもらう。赤い缶にロゴの入ったそれをかりかりと指で開けようとする。しかし、片手にゲーム機を持っていてが開けにくい。だから門番がジュースを持ってあげる。それでフランは「開ける」だけでよくなった。
開けた時にぷしゅと音が鳴ったのは、飲み物が炭酸だからだろう。フランはジュースを持って、開け口で鼻をくんくんと動かす。それからぐっと飲む。喉を刺激する炭酸に彼女は目を開く。
「げほげほ」
フランは咳き込んでから、口元についたジュースを舌で嘗める。 その様子を門番はあわあわと慌てながら見ている。フランは、そこで思った。
「あなた。名前はなんていうんだっけ?」
「えっ? な、名前? えっと紅美鈴です……そ、それがなにか」
「めいりん。めーりん、美鈴ね……うん、わかった」
フランはもう一度ジュースを飲む。きつい炭酸を一気に飲み干して。美鈴の前で、ぷはと口を缶から離す。フランは口元を袖て拭いて、缶を美鈴に返す。
「おいしかったわ」
「えっ、あっはい」
不器用なコミュニケーション。フランは美鈴の前で、彼女が買ってくれたものを全て飲んでしまい、その「感謝」を伝えたかった。しかし、妖怪とも人とも交わりに慣れていないフランの表現は、わかりづらい。
それでも、美鈴は缶を受け取って。笑顔になる。それにつられて、フランも笑いそうになったが、それよりも「げっぷ」が出そうになって、あわてて片手で口を押える。んぐと口の中でそれをフランは抑え込んだ。
コンビニから単三電池を四本入りで買ってきた二人は、メイドが台所でなにかを調理している音を聞きながら、ゲーム機に電池を入れていた。一度目は「向き」が分からずに失敗した。もちろん二人には原因がなにかわからない。
レミリアはパジャマのままホットミルクを飲みつつ、ソファーで新聞を読んでいる。髪が濡れているので風呂上りなのだろう。だが、その眼は紙面にそそがれているようでちらちらと妹を見ている。何故か美鈴と仲良さげにしているのにも、多少疑問を覚える。
フランと美鈴はそんな姉の視線には気が付かずに、何度か電池を入れなおしてみる。そして、何度目かに偶然電池の向きが正しく入れることができたの。だから、フランが電源を入れた瞬間に画面が光った。
「ひ、光った!」とフラン。
「お、おおお」と驚く美鈴。
ピコーンと音がして、開発会社のロゴが画面に映る。それでフランは嬉しくなって、ほおが紅くなるくらいに笑顔を作って美鈴を見る。赤毛の彼女もつられて笑うがまだ、ぎこちない。
その日からフランはゲームをやり始めた。美鈴が買ってきてくれた「ポケットモンスター金」に夢中になったのだ。ゲームとしては古いものだが、そんなものに触れたこともないフランにはたまらないほどに新鮮だった。
冒険の旅にでる、少年をフランはゲームの中で演じる。彼はいろんな町に行って。森に、湖に、洞窟にとあらゆる場所に行った。だが、時には不慣れからくるミスで全滅することもあった。
その時フランは涙目でゲーム機を破壊しそうになったが、ぱっと美鈴の顔が頭に浮かんで思いとどまった。それも一つの成長なのかもしれない。能力の減退がなければ、もっと衝動的に破壊していたかもしれないが。
とにもかくにも、フランはゲームをやり続けた。ポケモンの名前を憶え、仕事から帰ってきた美鈴に話を聞いてもらうことも日々の楽しみになっていた。
フランがゲーム内で「チャンピオン」を倒して、殿堂入りを果たすと、彼女は飛び跳ねて喜んだ。それには美鈴もともに喜んでくれた。
しかし、ある日フランの世界をひっくり返す事態が現出する。
それはなんとはなしにフランが姉の購読している、新聞を手に取ってテレビ欄を覗いてみたことから、それは発覚した。七時くらいに「ポケモン」の文字があったことを、この少女は気が付いたのだ。
「……!」
幻想郷からフランがこちらにきて、一番驚いたことがコレであった。フランはその日の七時になるまで、そわそわしていつものレベル上げも手が付かず、四時間しかできなかった。彼女は午後六時を回ったくらいから、テレビの前に張り付いて待ち続ける。
フランは傍らにコケコーラとポテトゥチップスにゲームボーイ。と完璧な布陣でテレビのチャンネルをリモコンで変える、それは「アニメ」が始めるまで、手持無沙汰を慰めるためにせわしなくチャンネルを変える。
そして七時になり、画面にピカチュウが映る。フランは何故か体操座りをして、画面を食い入るように見た。他のアニメは何度か見ていたが、心臓がドキドキするくらいに楽しみだった。
アニメの主人公はゲームの主人公とは違い「さとし」とかいう名前らしいと、フランは知った。だが、そんなことよりも、彼女はすさまじい衝撃を受けた。
『いけえヒノヤコマ!君に決めた!!』
画面の中のさとしがモンスターボールを投げてポケモンを出す。そこまでは当たり前の光景であるが、フランは眼を見開いた。
「ひ、ひのやこま???」
画面には雀のようなポケモンが映っている。無論「金」しかやったことのない、フランはそのポケモンを知らない。フランは思わず、ポテトゥチップスを鷲掴みにしてぼりぼりと食べる。それからコケコーラで流し込む。
ほふうとだらしなく顔を緩ませるフラン。美味しいらしい。
それでもアニメは続いた。その中でケロマツだとかガブリアスだとか、見たことも聞いたこと見ないモンスターが現れては消える。いや、今日のお話は「ジムリーダー戦」らしいが、そのジムリーダーをフランは見たことがない。
「……ど、どういうことなの?」
フランは疑問に積み重なっていく。そもそも、この舞台の地方は「カロス地方」とかいうらしい。それも訳が分からない。しかし、アニメはフランの疑問に答えてくれることはなく、EDに入った。
フランはその日の疑問を仕事から帰ってきた美鈴に聞いた。彼女は少し考えて、フランに言った。それが自らの不運を招くとは知らないから、美鈴は素直に答える。
「もしかしたら、新しいやつかもしれませんね」
「えっ? 今持っているのに続きがあるの?」
「ま、まあ、中古で、買ったものですし……それが」
「ほしい!」
「えっ?」
「めーりん! それがほしいわ!」
「ええっい、いや。あのそれは、その、ゲーム機が、ちがいます、から」
「ほしいい、ほしい、ほしい、ほしい、ほしいい」
フランはカーペットの上をゴロゴロと転がり始める。幻想郷であれば、部屋ごと破壊するかもしれないが、今は転がることはしかできはしない。しかし、目の前で転がりまわられて美鈴は冷や汗を流した。彼女は自分のがま口を取りだして中身を見る。
中には千円札が何枚かしか入っていない。新しいゲームを買おうと思えば明らかに足りはしないのだ。そもそも「がま口」などという財布を持っているのは、別に美鈴の趣味でも何でもない。単にあったから、使っているだけである。そこからも彼女がお金をあまり使えないことがわかる。
要するに美鈴に新品のゲーム機もゲームも買える余裕などないのだ。がま口に入っているのは生活費であり、勝手に使えるお金ですらない。しかし、フランは子供のように駄々をこねて頼み込んだ。
「ほしい、ほしい!」
フランは美鈴に縋り付く。フランは少女としての姿をしているが、理性的に話すこともできる。このように美鈴に対して「甘える」のは一種の信頼の証なのだろう。
美鈴も最近、かなり明るくなり、ゲームばかりしているとはいえ、積極的に話をしようともしているその少女の頼みごとを何としてでも聞いてあげたくなった。とはいっても全体の財政を握っているメイドに頼んだところで望みは薄い。殴られる可能性すらある。
美鈴は腕を組んで、ぐむむと考え込んだ。あまり、考えることなどない彼女だが、ここに至っては考えるしかない。そして閃いた。
「わかりました、妹様。一か月待ってくだされば、絶対買ってきます!」
「ほ、ほんと!?」
美鈴はドンと胸を叩く。フランは飛び跳ねて喜んだ。その感情のまま美鈴の背中から抱き付いたので、まるでおんぶしているかのようになる。
美鈴はそんな我儘とはいえ、可愛らしい少女ににこっと笑いかける。
一か月後、美鈴は新品の4DSとポケモンのソフトを買ってきた。それにフランはまるで、盆と正月が一緒にきたかのように喜んだ。花のような笑顔をつくり、新しいゲーム機を持ったまま、その場でくるくると回る。そして美鈴に向かっていった。
「ありがとう、美鈴!」
「い、いやあ、あ、あはは」
美鈴は頭を掻いて、照れ笑いをする。しかし、これは序章でしかなかった。
フランは毎日ゲームに没頭した。それだけでなく、朝早くに起きてテレビの「オッハスタ」を見始め、最新のゲームからアニメ・漫画のコンテンツまで知るようになったのだ。無論美鈴からもらったゲームは毎日やっている。
そのせいでフランはあまり頻繁ではないが、たまに衝動的に駄々をこねることになる。
「妖怪ウォッチがほしいぃい」
「駄目よフラン。今あるもので我慢しなさい!」
フランの様子に、レミリアはよく注意したが、見かねた美鈴がゲームや雑誌を買い与えたので、意味はなかった。完全に甘やかしている。そしてフランの趣向はエスカレートしていくことになる――
これがフランドール・スカーレットの最近の動向であった。