ガンダム戦記 side:Zeon   作:上代

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第58話:北の大地 〈その1〉

 

 セイラ・マスにとって、アルテイシア・ソム・ダイクンという名は楔だ。

 ジオン共和国の国父であるジオン・ズム・ダイクンの娘であり「偉大なるダイクンの子」という存在の重荷を背負う、決して逃れられない楔を示すもの。

 兄のキャスバル・レム・ダイクンと共に、何れは将来の共和国を担う人物として様々なメディアから賞賛され、物心つく前から未来のレールが手早く敷き詰められる運命であった。

 そう、幼心なりに理解していた。

 しかし、事態は父ダイクンの急死によって流転し、走る筈だったレールは全て歪められた。

 ダイクンを支えていたザビ家を避け、彼の家と対立するラル家に身を寄せてからはそれまで当然のようにあった煌びやかな暮らしは鳴りを潜め、ダイクンを信奉する過激派に母を奪われてからは逃亡生活を強いられた。

 その後はランバ・ラルに守られ、彼が父ジンバに幼い二人を託すと地球に住むマス家を頼った。

 其処で同じように両親を喪った少年メルティエ・イクスと、彼らは出逢う。

 

 セイラ・マスにとって、アルテイシア・ソム・ダイクンという名は楔だ。

 兄キャスバルと同様に慕うメルティエを、三人を繋ぐもの。父と別れた寂しさ、母を偲ぶ切なさを懸命に埋めようと求め、これに応じた二人の兄を結ぶ、家族の絆でもある。

 幾年か経ったキャスバルがマス家を離れた時に遭遇する、飛行機事故が起こるまで三人が育んだ家族と云う絆を固くする楔で。キャスバルを喪い、メルティエを失ってからもアルテイシアの心に暖を与える幸福の灯火であった。

 それは少年が青年となり、二人の兄妹が美しく成長した今も変わらない。

 例え、ジオン公国の軍人として頭角を現した兄らと、地球連邦軍の艦に乗り結果として地球連邦政府に与する立場に居た妹であったとしても、三者が抱くものは不変であった。

 

「アルテイシア」

 

 その記憶に色濃く残っている黒髪の少年メルティエ・イクスは当時の印象を裏切り、がっしりとした男らしい偉丈夫となっていた。

 セイラからして目つきが悪くなったように見えるが、その灰色の瞳は昔から変わらない優しさをたたえていたし、大気に乱され踊る同色の蓬髪が精悍になった顔を粗暴に、神秘的にもみせる。

 大きく違わないのは耳にすっと入る涼やかな、聴けば彼だと分かる声だけ。

 

「アルテイシア」

 

 九月が終わり、十月の足音が訪れる地球では暑さが抜けた気候が多く過ごし易い。

 とはいえ、数年ぶりに地球に降りて来たセイラにとって北米大陸の風は当たりが強く、時折風に運ばれる砂粒が目に入って少し辛い。

 そんな中でメルティエは軍服の上を脱いでおり、肌着の下から主張する鍛えられた筋肉がセイラを視覚的に刺激する。一見興味なしに見やる彼女の表情にこそ現れてはいないものの、いつ朱が色を差すか分からないほど胸が高鳴っていた。

 

「さっきは緊急事態とはいえ、すまなかった」

 

 メルティエが頭を下げて謝る。その意味を理解するのにセイラは一呼吸程の時間を要した。

 彼女は無言で羽織っていた上着の襟を胸前で重ねる。それは佐官のみが着用を許された軍服で、持ち主を示す蒼色を基調としていた。常ならば主の動きに合わせて靡く刺繍入りマントも、今は只無気力に軍服の上を広がるのみだ。

 セイラの視線の先には今だ謝罪する兄と、焼け焦げ異臭を放つ衣類の残骸があった。

 衣類は完全に焼失しなかったのか、風に流されて黄色い布地が宙を舞う。 

 それが十数分前にセイラの身体を包んでいたノーマルスーツだと、誰が分かると言うのか。

 

「兄は、鬼畜です」

 

 今し方された事を思い出し、余りの事で思考が緩んでいたうら若き乙女はそう男を評した。

 恥じらいと怒りで全身を紅潮させたセイラは、兄の軍服に抱かれながら当人を睨む。

 性急すぎた行動を今更ながら反省しているメルティエは、妹の肌が目に入らないよう極力低身のまま頭を垂れ続けた。

 

「……すまん」

 

 この情けない姿を晒している人物が、故郷で名を馳せた軍人だと誰が信じるだろうか。

 あれから白いモビルスーツの追撃を振り切り、逆に反撃を喰わせたメルティエは追従する部下達に周囲の警戒を頼み、適当な岩陰に蒼い高機動型ザクIIを擱座させると、名を変えてから音信不通であった妹と再会していた。

 昔と比べればきつく、男女としては控えめな抱擁を交わした後、何か告げようとするセイラを制止したメルティエは、漸く連邦軍のノーマルスーツ姿であった彼女を認識したのだ。間が抜けているにもほどがあるが、彼は行動力に定評がある男である。先に「民間人を救助した」と報告を入れており、実際にそうなってもらおうと手っ取り早い結果を求めた。

 つまりは、文字通りノーマルスーツをひん剥き、下着以外身に着けていない状態のセイラの前で問答無用に燃やしてせん断したのだ。女性物の衣類なぞ持っていない状況でコレである。

 機転が利き、理知的な女性に成長した妹だったから良かったものの、赤の他人にしようものなら反論を認められず即刻御用となっていた事は想像に難くない。

 しかしながら、結果はご覧の有り様である。

 仕事を成し遂げた男の顔で一息ついたメルティエは、艶めかしい肌を晒す羽目になり女性の部分を手で隠し今や羞恥と怒気で赤く熱く震えるセイラを見て蒼白の面を晒し、己の服を献上して妹の怒りが静まるのを待っているのだ。

 一般常識を捨て置くほど混乱していたとみるべきか、強引さと積極性が振り切った行動がコレなのだと理解すればいいのか。あまりの無体さに久方ぶりの感激も急速冷却されたセイラである。

 

「兄は、きちく、です」

 

「……本当にすまなかった。俺は少し機体の様子を見てくるから、ここに通信機を置いていくよ。気持ちが落ち着いたら連絡してくれ」

 

 音もせず立ち上がった兄に、蒼いモビルスーツにとられてしまった兄を寂しげに見つめながら、セイラは金属が擦る音を耳にした。

 金色の妹は軍服の下で首から垂れるロケットを握り、巨人のマニピュレーターに足を掛けた灰色の兄の、その首に同じものが吊るされているのを視認する。

 

(アレは思い遣りと行動がダイレクト過ぎる、でしたね。キャスバル兄さん)

 

 普段は人の話を聞くタイプなのに、事があれば猪の如く突撃するメルティエ少年を、かつて傍に居た実兄キャスバルが呆れながらも苦笑していたのを思い出す。

 そう。つまりあの人は、間違いなくメルティエ・イクスなのだ。

 けれど、記憶の中に居る彼は柔らかい笑顔をみせる少年の姿で。目の前に居る青年のように死と暴力の世界で名を成す人物ではなかった。

 何処で彼が変わらざる得ない事件が起きたのかは、セイラにはよく分かる。

 彼女自身もキャスバルが事故死したと報道されて世界が揺らいだのだ。他者と壁を隔てて接するキャスバルが家族以外で唯一親しく、また共に居たメルティエのこと。彼も自身の世界が揺らいだのではないだろうか。

 セイラも父を喪い続いて母を失って幼心に空虚さを経験したことがある。あの頃はまだ身の回りに優しくも頼れる人が多くいてくれたが、この変わり果てた青年の当時はどうなのだろうか。

 何かを求めて、その結果が今のメルティエ・イクスなら。

 そして、変質した原因が己に在るとキャスバル・レム・ダイクンが知ったら。

 

(なんて……不憫な)

 

 壁を隔てずに過ごせたのに、この事実を知ったキャスバルは以前と同じように彼と笑い合えるだろうか。死んだと思っていた親友があれから世を偽って生きて来たと分かれば、あの感情で暴走する気質のメルティエはどう動くのか。

 恐らくその結果は、家族が(誰も)幸せにはならない。

 でも、秘密を打ち明けるなら早い方が良い。

 直感がある実兄と変に勘が鋭い義兄のことだ。妹が隠し通そうと決めても当人同士が何かの拍子に気付く事もある。いやもしかすれば、既に『赤い彗星』シャア・アズナブルとして生きる兄は『蒼い獅子』メルティエ・イクスを正しく見ているのかもしれない。

 

「今はキャスバル兄さんのことを、メルティエ兄さんに伝えないと」

 

 それでもセイラは真実を知るべきと、自らに言い聞かせるように己の役目を舌に乗せる。

 例え火種になろうとも、これは未来永劫隠し通せるものではない。加えてシャアと名乗りマスクで顔を隠しているが、「キャスバル」を棄ててはいないのだ。キャスバルの顔を知る人間が見れば看破するのは難しくない。四六時中マスクのまま過ごす事は難しく、彼も人の子である以上他者に素顔を晒していても何らおかしくはないのだ。

 また同軍の指揮官という立場上、何度か顔を合わせているだろうしその後もある。

 既に事態は遅いか早いかの段階にまで来ている。来てしまっている。

 戦時中であることも重なり、急死した指導者の嫡子生存が報じられればダイクン派とジオン公国を支配するザビ家の確執と利権争いから、内乱か次の戦いを呼ぶ可能性は十分にある。

 秘匿するのも難しく、事が発覚すれば争いの種になる。

 であるからこそ、彼女は思うのだ。

 

「今後すべき事とできる事を、三人で考えないと」

 

 二人の兄達にとって、アルテイシア・ソム・ダイクンという存在は楔だ。

 ルウムの英雄、『赤い彗星』シャア・アズナブルをキャスバル・レム・ダイクンに繋ぎ止める楔であり、事に逸る彼を押し留める頼りなくも確かにある一打だ。

 地上に墜ち、戦場を走る『蒼い獅子』メルティエ・イクスが獣に堕ちるのを留める一助であり、人命の価値が軽い世界でなお己の在り方を問い掛け思考の鈍化から精神を守る楔だ。

 

 男は知らない。肉親を傍に置いて事を成す難しさを。

 男は知らない。家族を抱えて戦う意味と辛さを。

 二人は判らない。身を案じるが故に前に進む妹の果敢さを。

 

 「ダイクンの子」という重荷を知るセイラ・マスは、内に在るアルテイシア・ソム・ダイクンというレールを自らの手で形作ろうと手を開いた。これに誰彼問わず触れる事を良しとせず、家族にのみ手を借りて敷いて行こうと、青臭いながらも純粋に心を定めて。

 

 見目麗しく陽の如き金髪の妹が名を呼ぶと、灰色の蓬髪を乱す野性的な兄が振り返り、金属特有の軽い音を奏で同じ写真の入ったロケットが互いの胸で揺れる。 

 碧の瞳と灰色の眼が交わされる間を、風に吹かれた黄色い布切れが通り去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 錆びた蝶番の軋む音が、埃の舞う室内へと流れる。

 開けば開くほど耳障りな悲鳴を上げる扉は、そのまま限界まで至ると所々色落ちした白い壁へと当たり、また不愉快極まる声を上げた。

 きっかり三秒後に砂を噛む靴音が連続して室内へ推し入り、電気メーターだけが寂しく回る部屋を大いに騒がせた。侵入者達は壁を背に動き、手に持った小火器から発せられる赤外線照準を忙しなく移動させ、自分達以外動くものが無い事を確認すると二手に分かれ他の部屋へと足を進める。

 部屋に残った数人のうち、真紅のノーマルスーツを着用した男は拳銃をホルスターに戻すと倒れたまま放置されている椅子を直し、どかりと座った。

 

「ここも空振りか」

 

 言に苛立ちを滲ませるのは、『真紅の稲妻』ことジョニー・ライデン少佐だ。

 彼は突撃機動軍の長キシリア・ザビ少将より命を受け、機材と“成果”を手土産に連邦軍へと亡命したクルスト・モーゼス博士の足取りを追っていた。進捗具合は芳しくないものの、クルスト博士が確かに居た証拠は押さえている。その内容も彼の研究テーマを臭わす類のもので、キシリア少将のサブ・オーダーに添えるものだったから、ジョニーとしても幾らか溜飲は下がる。

 しかし。戦場の機動力、行動の迅速さから「稲妻」と称される身としてはこの手が届かない状況に苛立ちが止まらず、些か所か顔面に表すまでこの仕事に飽きてもいた。

 地球に降下してから続くこの拠点調査も、もうすぐ二桁に届こうとしていた。大気圏内での準備体操代わりに行った「演習訓練」の効果も、徐々に忘れ始めている。

 ジョニーを部隊長とする特務編成大隊キマイラも定員こそ満たしていないが純然たる戦闘部隊である。間諜のような内情調査や要人確保の真似事もできなくはないが、彼らの本分は戦場での闘争であり、“分かり易く”敵を倒す事に在る。

 キマイラにはもう一つの役割がある、と部隊責任者のヒュー・マルキン・ケルビン情報局大佐が嘯いていたが、戦闘部隊長であるジョニーは部隊発足後の戦闘らしい戦闘が、地球降下前までの敵パトロール隊とのものだけである事を嘆いていた。

 さっさとクルストを抹殺(デリート)し、研究成果ごと消し飛ばしてやりたいが中々尻尾を掴めない。

 

「ジョニー。あまりカッカするなよ」 

 

「ジーメンス……分かっちゃいるんだ。ただ、進展しない任務は」

 

「苦痛だ、ってか? 俺も他の連中も同じだが、そもそもドンパチやってナンボの兵士に人探しを命じた理由が分からんし、研究者数名とそいつらのノートを入手した所で何になるか」

 

「ああ、本当にな。まどろっこしいったらありゃしない……すまん、少し愚痴ったな」

 

「いや、俺も相当に吐き出した。……ダメだな、地球の重力ってヤツは。居るだけ酷く疲れる」

 

 退路確保の為残ったジョニーと、同じモビルスーツパイロットのジーメンスは胸中に渦巻くものも同じようで、声こそ潜めているが不満が噴き出ていた。

 ジーメンス・ウィルヘッドはジョニーにとって頼れる仲間であり、モビルスーツ小隊長を務めるキマイラ戦闘部隊のサブ・リーダーでもある。今は陸戦隊に紛れているが、本領はモビルスーツの操縦だ。得意分野と心境も同じジョニーの鬱憤を諌めようとしたのだろうが、ジーメンス自身も身に宿るストレスを誤魔化せなかった。

 

「最初はジャコビアスのヤツに同情したが、どうだろうな? 逆にされかねん」

 

「今はガルマ准将麾下だ。話じゃ狙撃専用機体なんぞを用意されたと聞くし、拝命時はむすっとしてたが今は任務に専念しているだろうさ。俺達の中でもジャコビアスは特に真面目だからな」

 

「ああ、それは分かるな。頼れる相棒が不在で寂しくなったか、ジョニー?」

 

「援護がないのは淋しいが、支えてくれる奴らが居るから寂しくはないさ」

 

「はっ、言うねぇ……ん。エメからだ」

 

 バイザー越しににやりと笑ったジーメンスがヘルメットを押さえる。

 音量が低いのか、彼はそのままの姿勢で会話を続けていた。

 

「どうした?」

 

「やれやれ、だ。待機しているガキ共がまた“いつもの口論”で騒いでいるらしい、エイシアとエメが宥めてるんだが……後は分かるか?」

 

「またか。あいつらもよく飽きないな」

 

 心なしかうんざりとしたジーメンスが親指で出入り口を示し、痛いほど理解したジョニーは立ち上がると大きく伸びを一つして求められている場所へ向かう。

 残った数名の、協力の為現地から派遣され陸戦隊が本業の兵士達は、二人のやりとりに口を挟む事無く己の役目に忠実だった。

 

 ジョニーが真昼の熱射を浴びながらキャンプ・ベースに戻ると、擱座したモビルスーツの下では二つの小さな影が引っ切り無しに踊っていた。

 既に見慣れた光景とはいえ、ジョニーは嘆息せざる得ない。

 彼の姿を見つけた女性が小走りに近付き、目が合うと困り顔の上に笑みを浮かべて迎え入れた。

 目の角度が斜め上がりになっていたジョニーに、それは精神的癒しであったようで僅かながらも下げる効果があった。帰還報告代わりに手を軽く上げると、彼の手に比べ作りが違うように思える華奢な指が留め、小さく引く。

 

「エイシア、またやってると聞いたんだが」

 

「ええ。またよ、ジョニー」

 

 感じるもの、触れるものが柔らかい印象のエイシア・フェローに誘われ、移動の間だけの僅かな休憩から期待と共に背を押され、問題児二人に向く。

 

「まずは其処に座れ! 話はそれからだ」

 

 話題の主が出現したことに顔を輝かせる少年少女、ユーマとイングリッドが何事か発する前に、ジョニー・ライデンは先手をとった。

 

 ジーメンスらが仕事を終えて帰投する頃には、腕を組み仁王立ちで叱るジョニー、愛機と同様に項垂れて説教を受ける生意気盛りの子供達、その子供達の肩に手を置いて言い聞かせるエイシア、物資コンテナに腰を掛け目前の光景を眺めて笑うエメ・ディプロム、他手透きの隊員達が遠巻きに見ては任されている作業を終わらせようと通り過ぎて行く。

 憧れの大人(ジョニー・ライデン)に諭されてユーマが不承不承頷こうとした矢先、イングリッドに何事か焚き付けられまた掴み合いの喧嘩になった。

 

「お前ら、そんな事で喧嘩するな!」

 

 二人の間に割って入ったジョニーがユーマを、エイシアがイングリッドを引き寄せる。

 唸り声を上げて威嚇するユーマと、その彼をしたり顔で嗤い舌を見せて挑発するイングリッド。

 次に肩を震わせながら顔を背けているエメを見て、ジーメンスは首の後ろを掻き嘆息した。

 

「……まぁ、ジャコビアスが見たら“戦場の風景ではないな”とか、言うんだろうなぁ」

 

 数名の部下を連れ立って、ガルマ・ザビが発足する特務小隊を纏めているキマイラのナンバーツーを思い、しかめっ面だったジーメンスも笑う。

 

 その場にいる人々は何処か毒気が抜けたように、四者から成る寸劇を観ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は月面基地グラナダが最奥。

 ゴンゴン、と硬く重厚な木製の扉を叩く音が、この居城が主へ来訪者を告げる。

 

「入れ」

 

「失礼致します、キシリア様」

 

 優先度の高い報告書から処理していたキシリア・ザビは入室する秘書官の姿を認め、席に就いてから休まず動き続けていた指先を漸く止めた。波のように寄せては引く途切れない疲労感を感じ、一つ息を吐く。

 規律ある歩みで進む秘書官は分厚いファイルケースから幾つかの書類を抜き、指を組んで構えるキシリアの席へと乗せる。秘書官の手が離れてから視線を紙面へ走らせ、自身が求めていた内容と認めるや満足げに頷いた。

 

「ご苦労。問題は?」

 

「特筆すべき点はありません。過日のクルスト・モーゼスによる連邦軍への亡命もあり、警備体制の見直しと動員枠の確保を行っています。研究所責任者のフラナガン・ロム博士も同意していますので」

 

「アレは身内から出た火の手を如何にかして消したいのだろう。未だ成果らしい成果も提出できていないのだからな。いや、成果が形作られたと思えば、消え失せたと言うべきか」

 

「それを気にして、今回は全面同意した、といった所でしょうか?」

 

「クライアントの意向を聞く程度には恩を覚えているらしい。実に結構なことだ」

 

 含む言い方をしたキシリアは椅子に背を預け、執務席に設けられた大型スクリーンを見やる。

 スクリーンにはジオン軍によるこれまでの進軍ルート、連邦軍と色分けされた占領地域が映っており、既に地球の半分を手中にしたといっても過言ではあるまい。諸々の事情により戦線が停滞しているとはいえ、地球攻撃軍は課された任務を遂行していた。

 尤も、占領地域の細部を見れば反抗勢力の顕在化や地域住民との折衝要等、何処も大なり小なり問題を抱えてはいる。支配する組織が変わっただけとはいえ、開戦初期の「コロニー落とし」による心象はいかんともし難いのであろう。

 これを除くには長い時間を掛けねばなるまい、とキシリアは目を細めた。

 続く報告書に目を通し、細い顎に添えていた指が跳ねた。

 

「くくっ」

 

「キシリア様?」

 

 突如笑みを零した主に秘書官は疑問符を投げる。

 普段と違い嘲る類では無く、酷く機嫌が良さそうな、珍しい現象だったからだ。

 

「ふふっ、ガルマめ。ああも懇願するから、箔付けの為に地球へと降ろしてみれば中々どうして。元気にやっているようではないか」

 

「北米方面軍司令、ガルマ様ですね。キャリフォルニア・ベースの要塞化、これによる周辺の防備充実化、更には拠点間の移動ルートの確保と物流の促進は各軍閥からも高く評価されていますし、近隣住民からの評判も大変よろしいと。

 ブリティッシュ作戦の余波で壊滅的ダメージを受けた北米の市民からすれば、この評判は並大抵の事ではだせません。ガルマ様のお人柄、能力、働き全てに由るものかと」

 

「ん。地球に降りる前は立場を親の力で得たものだと気にしていた。これで不要なコンプレックスも消え失せよう。父上達もさぞ、才能が開花したのだと喜ばれよう」

 

「特にドズル中将の喜びようは」

 

「……子供のようなはしゃぎっぷりであった。一児の親になったというに」

 

 父デギン公王と頂点に座すギレン総帥、宇宙要塞ソロモンを守るドズル中将、キシリアらによる定期連絡会で末弟ガルマの活躍が上がった際に流れた空気は、彼らが久しく忘れていた「家族」を感じさせる温かみのあるものだった。

 長兄ギレンはともかく、父親であるデギンと三兄ドズルは我が事のように喜んでいた。ガルマを軍人ではなく学者にさせたがっていたが、これで父も考えを改めるかもしれないと。

 その席でドズルは更に戦働きができるよう自らの戦力を割こうとしたが、ランバ・ラルを派遣したばかりだろうとギレンに咎められていた。

 ギレンは言葉少なく自重せよと言っただけだが、それを聞いていたキシリアにはランバ・ラル等ダイクン派が活躍するのを留めたいようにも思える。

 ダイクン派は人事管理や内部統制により評価が一定より上がる事はほぼ無いが、マスメディアを通じて国民は誰某の働きを知ることができるのだ。

 

「ああ。面白いのは、他にもあった」

 

 キシリアが読む項目に察しがついた秘書官は、

 

「メルティエ・イクス大佐ですか」

 

 順調に出世する、不穏分子になりつつある男の名を挙げた。

 キシリアは秘書官の言に下がっていた眦を上げ、彼女の瞳を覗き込む。

 

「最初はドズル中将の手から零れた、思わぬ拾い物だった。

 だが地球降下作戦から続く攻略戦の武功、モビルスーツの新型機材への改善案、改修等の報告書による軍功が他と比べて頭一つ所か二つ以上飛び抜けている。あの男から送られる敵情考察も中々に面白い。マ・クベからの話によれば、戦場跡が多いアジア地域に街を作ったそうだぞ?」

 

 思えばあの男の転機は、ザビ家に忠誠を誓う者とダイクンを信奉する者を混在させることができなかった事が背景にある。メルティエ・イクスを佐官の待遇で招聘し、人材がありながら諸事情により扱えなかった者達を配下に動員し、芽が育てば都度補充する考えであった。

 果たして目論見は上手く行き、行動の中にガルマとの交友もあってか国民への受けも良い。

 流石のキシリアも、戦地で街を構築した報を腹心のマ・クベ大佐から齎された時には驚いたが。

 

「街、ですか? それは」

 

「イクスが作り上げた訳ではない。奴は物流ルートの起点になっただけのようだがな、其処に住む住民が作り上げた街だ。ネメアの獅子(メルティエ・イクス)が住まう土地としてな」

 

「……()()()()の拠点を作り上げた、と?」

 

「軍事拠点となるようなものは、精々半壊した連邦軍の基地跡だ。修繕はしていたようだが、今回イクスを北米へ送ったが為に施工は遅れるだろう。基地警備と街を含める一帯の備えに、最低限の人員だけ配置しているのは、奴らしい点だな」

 

「赴任地としてアジア地域を指示したのは、キシリア様。その地域を統括するギニアス・サハリン少将が割譲した場所で、新しい街ができている……」

 

「面白いだろう?」

 

「い、いえ、これはイクス大佐に出頭を命じ事実確認を急ぐべきでは? 幾ら派手な喧伝を求める広告塔といえど、想定外に過ぎます。敵基地の接収となれば、大隊規模戦力を収容する基地の所持になりますし、物流拠点を内包している点からも内密に物資貯蔵できる可能性が」

 

 ある男が齎したよく解らない現象に思考停止し掛けていた秘書官は、すぐさま再起動すると自分を愉快そうに見る主に事の危険性を述べる。

 

「何故だ?」

 

「……キシリア様?」

 

 泰然と席に座る主へ、再度疑問符を投げる。

 メルティエ・イクスという男は、養父にランバ・ラルを持ったダイクン派の第二世代と云える。例え過去に派閥争いで負けた者達といえど、貢献するならば重用するというキシリアの存在と価値をジオン軍内部に広く浸透させる為に利用したものだ。

 秘書官の見地からしてみれば、彼にこれ以上の功績は必要なく。エースパイロットの異名持ちであり、掲げた看板を外せない現状では戦死させる訳にもいかず、何処か僻地にでも送るか、いっそ此処グラナダ基地の防衛に就かせる方がよいと思えた。

 ダイクン派と目されるのも問題だと言うのに、月面基地から遥か遠地であり目が届き難い地球、その一地域の中に拠点を構えられると何かと邪推してしまうのは至極当然の事であった。

 

「確かに、開戦前であったなら処断対象にしていた。

 アレに目を掛けてやったのは私自身であるし、期待以上の貢献もしている。情を掛けていないといえば嘘になるが、イクスは現状までの功績を以て盤上からは外せぬ」

 

 そう言い切るキシリアに、秘書官は押し黙った。

 彼女は納得したわけではないが、仕える主君がそう断言するのであればそれに沿って働くのみと自粛したのだ。

 

(ある程度の人心掌握を成した指揮官、戦い慣れた戦闘部隊、周りからの期待に潰されぬ心身。

 これら全てを満たす者は、両軍合わせどれだけ居るのだろうな。

 ギレンの下は内部調査と特権を用い蛇蝎の如く嫌われ、戦力は分からぬがまずはおるまい。

 ドズル麾下はルウムでの躍進を支えた者どもだ。今は戦力拡充に専念していると聞く。目新しい活躍もないままだが、油断はできんな。

 私の所は、まずはガルマ。次にイクスがある。他の部隊も強化している事から、二人に追い着く者が現れても不思議ではない。問題はギレンやドズルに比べ、連邦軍の動き次第で痛手を被る点だが、そこは仕方がないと諦めるしかない)

 

 スクリーンにある北米と、東アジア。

 北米はガルマそのものが支配しているし、東アジアはメルティエの影響力が強まっている。

 諜報部によれば、東アジア方面軍司令のギニアスはサハリン家の窮状を打開せんと動いているという。恐らく自分以外のザビ家に連なる者と通じているだろうと、キシリアは目星を付けていた。

 余程兵器に明るい配下が居るのか、メルティエの報告書にギニアスが設計したモビルアーマー、アプサラスの推定数値が考察と共に書き込まれている。これが友軍に在れば頼もしい存在だが、敵として現れれば恐ろしい。

 

 そう、敵として。

 

「古来より、信じて用いるのが上に立つ人間に必要なものだと云う。

 ガルマはともかく、イクスにはどのような人間であれ思う所があるだろう。

 だが、だからこそあの男を重用するのだ。私以外が意味を理解する必要はない。お前はただ自身の職務を全うすればそれで良い」

 

「は。差し出がましい事を致しました。申し訳ありません」

 

 深々と頭を下げる秘書官に軽く手を振り、下がらせる。

 彼女が恭しく礼をして退室するのを見届けると、キシリアは最後の報告書を手に取った。

 

 ニュータイプ兵器の進捗具合、被験者MAN-08達の能力開発状況、対ニュータイプ部隊の強化と高機動戦闘によるパイロットへの負担軽減と資材検討等々。

 実地訓練以外での想定対象に『蒼い獅子』のパイロット・データを提供した際、得られた数値と改善すべき点等。彼らとの親和性があるのか、他のデータに比べて事細かく綴られている。

 

「“何事も問題があり、対処すべき点を改善するからこそ安定へと繋がる”、か。

 まさに金言よな、フォッカー・イクス」

 

 ()()()した教授の教え子が、彼の息子に対して備えていると聞けば、故人はどう思うだろうか。

 その姿勢で良しと云うのだろうか。それとも拳を振り上げ非難するのだろうか。

 

 キシリアに分かるのは、為すべき事を進める充実感だけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





作者「(話の展開が)どうしてこうなった」
読者「逃避するのもいいけど、責任はとってね」


プロット? なにそれおいしいの?を地で行く作者です。
着地点だけ決めて書き続けてたら合計話数60切ってたよ! たまげたなぁ……。
展開がまだ10月入ってないって、信じられますか? でもこれ現実なんですよ。

あっ、区切りが良い所で小話アンケートでも取ろう(←更に話の展開が遅くなるフラグ)。

(次話投稿期間を考えながら)まずは、読者さんに見捨てられる前に完走したい所ですな……。
ところで、励ましのお便りとかくれたりしないだろうか(真顔)


次回もよろしくお願いしますノシ


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