ガンダム戦記 side:Zeon   作:上代

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第54話:齷齪働く人、見守る人

 特務遊撃大隊ネメアが中東アジアから北米大陸へ向け出立し、早数日が過ぎた。

 現在は各地域の友軍基地から護衛が派遣されては別れを繰り返し、太平洋上を航行している。

 この護衛は中東方面軍司令ギニアス・サハリン少将の厚意で働き掛けられたもので、また対象が要人ではなく部隊という所にネメア隊への期待が読み取れる。

 加えて通常の二割増しの補給を皮切りに既存、新規問わず隊員への日用雑貨品支給、機材運搬用に輸送機を譲渡する等物資面での都合も(すこぶ)る良い。着任当初は満足な補給も支援も受けられず、一時期冷や飯扱い同然であった対応に比べ雲泥の差がある。

 あの対応は本意でなく、司令代行のノリス・パッカード大佐が任務の為同地を離れていた時期に不在を任せた者が行った、と聞いている。単独で戦線を支えるネメア隊救援に帰還したノリス大佐が駆け付けた事と戦闘後の謝罪から、努めて疑いはしないようにしていた。

 今回の優遇はカリマンタン攻略作戦での謝意と先の疑念を取り払う為と取れた。

 

 こうした事の理由としてネメア隊、中東アジア方面軍との関係が上げられる。

 まず、ネメア隊は突撃機動軍を統括するキシリア・ザビ少将直属の部隊であり、援軍要請により方面軍が展開する戦線へ入りはしたがネメア隊がそのまま麾下に収まった訳ではない。

 何故ならば、ネメア隊の属する突撃機動軍の下位に設けられた組織が地球攻撃軍であり、方面軍であるからだ。

 方面軍からすれば同位以上の部隊が着任したという事になり、下手をすれば今後の作戦に支障を齎す存在でもあったのだろう。ギニアス少将が自ら手掛けるアプサラス計画の件もあり、必要以上に関わりたくなかったのだと推測できる。

 また、キシリア少将からネメア隊へ宛てた指令書にも「同地方面軍と戦線を維持、打開せよ」とあるだけで如何様にも取れる内容である。解釈のしように()り自由性は高いものの、戦果が挙げられずに日が過ぎれば何らかの指令を下す可能性もあり得た。

 この問題に対し、隊総責任者であるダグラス・ローデン大佐が現地部隊との連携は重要であり、作戦行動上不可欠と理解している故に根気よく方面軍との情報交換、確度を強める体制を推進し、遂には確立した。これによりネメア隊と中東アジア方面軍は歩調を合わせ、以降の作戦行動や雑多な任務に臨めたのだ。

 此処まで至れたのは忍耐強いダグラス大佐、彼に協力したノリス大佐の存在が大きい。

 二人のどちらかが欠けていればカリマンタンへの道はおろか共同戦線構築すら遥か遠く、もしかすれば突撃機動軍と地球攻撃軍に属する部隊同士が衝突し、背後や内部に敵が居る状態で連邦軍と戦う羽目に陥っていたかもしれない。

 これらの成果は功績に残らないものの、職務を全うしようと粘り強く、其れを貫こうとする意志がアジア戦線を突破させ、勢力圏拡大へと踏み出させたのだ。

 同地を離れた後に、老練な手腕を解したメルティエ・イクス大佐は『指揮官、責任者、代表者』という不慣れな三重苦に苛まれつつ、大多数の人間に知られずとも事を進めてやり遂げた”大人”の両者が越え難い壁のように思え、足元が覚束ない感覚に囚われていた。

 先達者の彼らと同格にまで昇進した今になり、分不相応な地位に居る自分を感じて意気消沈し、しかし二人と肩を並べる人間に成りたいと心に芽生えたのはどうしてか。

 憧憬が生んだ向上心の為せる業なのか、子供のような拙い対抗心からなのかはメルティエ本人にも解らない。子供が大人に憧れるものに似ていると、僅かに掴める程度だ。

 そして、只今在る海上に、空に身を置いている間にもやれる事は多い。手が空いている時は以前にも増して精力的活動し、各部署へ出現している。

 シーマ・ガラハウ中佐、ケン・ビーダーシュタット中尉らが古参、新兵交えモビルスーツ運用を題材に開いた講義へ参加し、時には自ら教鞭を取った。それは航空、戦車、歩兵科でも変わらずに赴き同様のことをしている事から全体を通して部隊指揮官の認知度が高い。

 また、講義内で専門外の事は積極的に聞き知ろうとする姿勢は既知者特有の嘲笑を受けるも概ね好意的に受け取られた。

 何より兵科に合った戦術を知らず指揮を執られる事の方が恐ろしいし、理解しようと少なくない時間を削って動く男に悪感情が湧かなかったからだ。

 この行動と距離感がジオンの蒼い獅子、メルティエ・イクス大佐というビジョンから脱し、一人の青年メルティエ・イクス個人に向けられ始める。これまでの功績と逸話、風聞で塗り固まった評価から戦闘狂、命知らずな戦争屋と思われていた目が緩和するに、そう時間を必要としなかった。

 部隊員の心象が移り変わる中で、渦中の男は視線と手元を忙しく動かし、本日の事務処理に追われていた。各部署から上げられる報告書に目を通し、受領報告書と共に送られる署名証とを確認しながら進めている最中である。

 現時点でメルティエの著しい成長と云えば、地球降下以前は慣れない事務作業に処理能力が陥落寸前だった彼が過去の三倍の速度で遂行していく今の姿こそ、正しくその証左ではなかろうか。 

 

「………ん、これは装備リストに抜けが有るだろう」

 

 移動が多い身上故にモバイルPCで作業を進める中、あるモビルスーツ小隊の装備に抜けがある項目を見つけ、チェック欄にレ点を付けた。これ以外にも陸戦隊の中で同様のものがあり、各隊の直責任者が慌てて確認作業に入っている。

 

「了解。担当者へ問い合わせを」

 

 補佐役に就いてくれる馴染み深い声へ頷いて返事をして、新任大佐は疲労が色濃い息を吐いた。

 チェックに引っ掛かった者の殆どが現場からの叩き上げ――――つまりは、管理する側ではなくされる側だったのだ。自己管理と少しばかり周りに気遣えば良いだけだったのに、急に目配りしろと言われても困惑するというもの。

 その目に見える反応として、今回のような報告書の手直しや装備リストの項目抜けがある。とは言え、これらは然して難しいものではない。日頃から続ければ嫌でも慣れるし、要点を押さえたものに仕上げる人間も居るのだ。

 つまり個々人の人間性は幾らかは加味するが、一度”作業”として定着すれば時間が解決する問題である。まずは面倒だと認識しつつやろうとする意識付け、その次は脳内のスケジュール表に書き込まれるほどの日課になるまで、最後は意識せずとも体が動くようになれば工程修了である。

 自分もそうだったと述懐するメルティエは当時を思い出し、自然と苦い笑みが浮かぶ。

 

(一パイロットの身から小隊長に任命されたら、色々と勝手が違うのは当然だ。

 彼らの気持ちはわからんでもない。俺がそもそも、そうだったんだからな)

 

 先程まで精査せずとも問題が無い報告書に目を置いていたから、それが尚更思い募る。

 確認できるデータ上、ガラハウ隊とビーダーシュタット隊は抜けがない。

 隊長自身の気質もあるだろうが、戦場の過酷さを身を以て知る彼らは生死が関わる問題にシビアでリアリストだ。装備項目一箇所どころか、弾丸一発分のミスもないのだから確認する側としては安心して捺印できるというもの。

 とはいえ他の隊は未だ抜けが有り、各隊長クラスに問い合わせが発生するのはよろしくない。

 見習うべきは見習い、正すべき所は正すべし。

 尤も、此れが大いに難しいものではあるのだが。

 

「熟練者だけで構成された隊は必須だが、新人を教育する隊も同じ。

 ガラハウ中佐あたりに教導隊でも組織してもらうべきか?」

 

「中佐はパイロット、指揮能力が共に高い。教導隊長としては確かに適任。

 けれど、中佐が抜けるとガラハウ隊弱体化に繋がる。この人事を通せば部隊全体の戦力が下がる一因になりかねない」

 

 ザンジバル級機動巡洋艦ネメアの私室でメルティエは眼精疲労とはまた異なるものを覚えつつ、一定の音感で打っていたキーボードから指を離し、執務席代わりに利用している丸テーブル、その真向いに座るエスメラルダ・カークス大尉へ視線を留める。

 

「シーマ・ガラハウが抜ければ隊が危うい、か。

 女性兵士が多い時代とはいえ、本当に優れた出来人だな」

 

「本領はモビルスーツ戦だけど、他に艦隊戦、陸戦隊の指揮もできる。

 ガラハウ中佐は戦隊指揮官か、重要施設の防衛隊長に収まっていても不思議ではないヒト」

 

「実質、ウチのナンバーツーは彼女だろうな。

 パイロット気質だけどマルチに動ける人だし、下の人間からは良く慕われている。部署が違っても顔が利くのは強みだ」

 

 メルティエが指揮する特務遊撃大隊ネメアは他のジオン軍と同じくモビルスーツが主体となる。ミノフスキー粒子を最大限に活かす兵器がモビルスーツであり、世に初めてモビルスーツを出した組織がジオン軍である事からこの体制は当然と云えた。

 モビルスーツは全長が十八メートルを超え二足歩行の機械仕掛けの巨人であり、宇宙空間ではAMBACを利用した優れた旋回能力を有し、地上では悪路を越える走破性と跳躍、空中機動も可能とし、巨体な分武装も強力で火力が充実している。

 しかし戦場はモビルスーツで出撃、突撃、制圧で終わるものではない。

 戦場が地球に戦場が移った今では、拠点攻撃や前線に出るモビルスーツを火力支援する戦車と、敵地偵察や施設占拠を旨とする歩兵で編成された陸戦隊が必要だ。

 また、空からの偵察任務と戦車や艦船の弾道射撃観測、または爆撃等を行う航空部隊は制空権を確保する上で欠かすことができない存在であるし、作戦行動を継続させるに必要な弾薬と資材等の物資調達から運搬を担う補給部隊は文字通り戦線を支える大事な部署だ。

 これら兵科の重要性はモビルスーツが戦場の王者となっても変わらず、互いの優位点が重なる事で強力な部隊が誕生するのは自明の理であった。

 特務遊撃大隊ネメアはその名の通り各戦線に遊撃戦力として投じ戦果を挙げることを期待され、是に臨む部隊である。アジア戦線の中、単独で事に当たる頻度と現地の友軍と足並み揃える難しさを身に染みて痛感した前任ダグラス・ローデン大佐により、主力に据えるモビルスーツ以外の兵科も見直され戦力拡充へと走っていた。

 現在のネメア隊はザンジバル級機動巡洋艦一隻、ギャロップ級陸戦艇六隻を所属艦とし、更には輸送機ファット・アンクル六機も有する大所帯となっている。

 ザンジバルはモビルスーツ九機を搭載し、その整備スペースをも確保することで高い継戦能力を持つ。各ギャロップはモビルスーツ以外にもマゼラ・アタック、ドップ、ルッグン等が搭載され、一隻が移動基地として機能することからさながら移動する拠点が出来たようなものであった。またカーゴ後部にファット・アンクル専用の着艦デッキを設け、輸送機から直接搬送できるよう改造が施され、他にも改修されている。

 この規模まで膨れ上がった同隊の指揮官が開戦時期は尉官の身分で、今年の初めにモビルスーツ小隊長となったばかりの男だと聞いて驚かずにいられる人間が居ようか。

 

「全体の約六割弱が現場叩き上げの人間で、うち開戦以前から職業軍人であった人間は三割未満、下手すりゃ二割まで喰い込むとなんと少ないことか! 他の部隊も同じような現状だろうが、保有する戦力に比べて人材が若々し過ぎる」

 

 階級が上がろうと現場気質、パイロット気質の傾向が強く、この人事も分不相応と自己評価するメルティエは目下の悩みと直面していた。

 彼の所へ届く情報を整理すれば、ジオン軍の慢性的な資源不足は地球の豊かな鉱物資源を抑える事である程度水準までは満たされた、と聞く。オデッサ基地を始め地球降下作戦で占領した鉱山群から資源を宇宙へと送り、軍の現状はこれを基に軍を回していると言っても過言ではない。

 ルウム戦役で連邦軍宇宙艦隊に大打撃を与えたとはいえ、同宙域で消耗した戦力はジオン軍にとっても大きく、そのツケに今も振り回されていると言ってもよい。

 そうした中で漸く目処が立ち、宇宙攻撃軍再編が徐々に進められているという。

 この流れは一軍人として大変喜ばしいものだったが、部隊長としては頭を抱える悩みであった。

 宇宙攻撃軍の再編が進められる、という事は本国や協力関係にある各サイドから選出、募兵で集った人材が宇宙(そら)で止まるという事に他ならない。サイド3防衛の要衝である宇宙要塞ソロモン、ア・バオア・クー、月面基地グラナダから代表される防衛戦力は地球降下作戦、攻略の際に一時期大きく下がっている。先述のルウム戦役で損耗した戦力のまま攻略作戦を発令したのだ。軍全体の士気高く、国民の強力な後押しがあったがために現在の勢力図となってはいるが今も昔も綱渡りのような状況である事に変わりはなく。それはつまり、低下した戦力で地球攻略作戦を継続している最中であり。漸く戦力回復の兆しが見えたと思えば補充人員を宇宙に留め、地球へ送らないという有り様であった。

 無論、本土防衛を疎かにしてよい筈が無い。その事は百も承知ではあるが、宇宙で連邦軍に残された拠点はルナツーのみで地球近郊の宇宙ステーション、中継基地はジオン軍に制圧、占拠されている。今日に至るまで宇宙艦隊の七割弱を失った連邦軍が、ジオン軍の宇宙要塞に近寄る所か地球とルナツーのルートを潰されている状況では作戦行動出来うるか怪しい。

 ルナツー攻略作戦が温まっている、発令されるのであれば宇宙に戦力を留めるのも成程、納得できるというもの。しかしその指令が届くどころか、聴こえてすら来ない。

 如何にか資源不足が賄えたと思えば、同時に浸食していた人材不足の影響力がより濃く浮き彫りになり、苦しい状態には変わりない。

 ネメア隊は裁量の範囲で現地徴用、募兵で凌いでいるが、人員調整を行おうにも他戦線の部隊と同様、指揮官不足に喘いでいるのが実情である。

 

「ケン中尉は?」

 

「ケン中尉は元々正規軍人ではない。パイロット技量が高く、前線での目利きが優れてるからこそ指揮官に抜擢したいが、義勇兵であるという点がどうしても尾を引く。中尉の下に入る人間全てが義勇兵や現地徴用の兵士であるなら問題はない。

 だが、そういう人員配置ができない現状がスムーズに人事をやらせてはくれん。当然隊の中には少なくない正規軍人達が居るし、増員で入った人間は指揮経験はおろか実戦経験もなく今回の作戦が初陣になるのがほとんどだ。

 …………それに、ケンは古参に入る。ハッキリ言うなら、俺と親しい人物だ。

 正規軍人を差し置いてモビルスーツ隊の中隊長に任命したら、贔屓だと要らんやっかみを受ける可能性もある。全くもって面倒だよ、ほんっっっと!」

 

 エスメラルダが黙って聞いていると、次第に話の内容が愚痴一色になり「管理職は面倒くさい、まだ目前の敵と読み合いしてた方がマシだ」とダグラスの幕僚が聞いて居れば喜び告げ口するようなものを垂らし続ける。

 これが重責の身上で精神的に弱っていると診るべきか、自分の前だから胸の内を吐き出しているのかを悩みつつ。遂には頭を抱え唸り始めた青年を捉えながら、彼女は意見を求められていると悟った。

 

「トップ少尉、デル軍曹はルウム戦役へ参加経験有り。加えて、少尉は後詰とはいえモビルスーツ隊を率いて戦闘を重ねているから指揮経験もある。軍曹はその指揮下で戦い、今日まで生き残っている。他にもルウムの帰還者は居たみたいだけど、地球降下部隊配属の折に別部隊へ再配置。

 良い人材ではある。けど惜しむらくは隊の新参であるから隊の上位に押し上げるには中々勇気が要る、というところ」

 

「少尉と軍曹か。二人ともこれまでの戦績は十分、地上機への転換訓練でも適応判定が高く即戦力成り得る。今は確か、新しい機体の慣熟機動中だったか?」

 

「ドダイに乗っての哨戒任務も兼ねている。昨日までの操縦を見るに、問題はないと判断した。

 但し、まだ重力圏内の機動戦闘には不安が残る。これはキャリフォルニア・ベースで演訓を行い確認する予定。私的意見を含むも、実績と経験を見れば二人とも小隊を率いて何ら問題が無い」

 

 唸りをピタリと止めたメルティエが顔を上げ、エスメラルダに向き直る。

 部隊の実利と隊員の感情を推し量っていた男が惹かれたのは、平坦ながらもつらつらと流れる言葉か、それが齎される小さな桜色の唇なのかは本人しか分からない。

 ただ判るのは、余分なものを背負い込み過ぎたせいで大佐の思考の海が淀み、其処へ大尉が一石投じて波紋を生んだという事か。

 

「ローデン大佐が任せた以上、ネメア隊はメルの部隊(もの)

 

 会話を切ってから丁度十分が経過する頃に発せられた声。

 二人だけの空間で広がったその意味に、考えを纏めようと瞑目していた男は眉根を寄せる。

 

「隊員の部隊配置の一つで悩んでいては身が持たない。それは理解している筈」

 

「…………ああ、成程。俺は()()思い違いをしてたワケか」

 

 何事か理解したのか天井を仰ぎ「参ったなぁ」と呟いた。

 数分放心したようにそのままで居たが、緩やかに口角を引き上げたメルティエは火傷が目立つ手で顔を覆い、くぐもった笑い声を漏らした。

 

「近日中に、全隊の人員配置が適切かどうか検討し、必要であれば再配置とする」

 

 姿勢はそのままに硬い声で、はっきりと宣言した。

 その声音は云々唸り悩んでいた先程とは比べるべくもなく、彼本来の力強さを感じさせた。

 何かに削られていたメルティエ・イクスが戻りつつあると、補佐として駐在するエスメラルダは彼を眺めながらコクリと頷く。

 

「そう。貴方の差配に私達は従う」

 

 もう思い違いしてはならない、と。

 ()()がどういうものか、解らないのなら解らせれば良い。

 彼に異を唱えるならば捨ててしまえば良い。彼を蔑にするならば除けてしまえば良い。

 蒼い獅子が築き上げたものが、此処であり其のものなのだから。

 蒼い獅子に従うならば、誰も彼もが同胞だ。

 蒼い獅子に反するならば、誰も彼もが唯の敵だ。

 

(だから、貴方はもう一歩下がって仲間と共に在るべき)

 

 エスメラルダの瞳の奥には、まだあの”時間”が残されていた。

 自軍勢力圏側からの不意打ちという事態に思考を真っ白にしたまま現場に到着し、ミノフスキー粒子に浸食された通信機能が経過時間と距離を詰める事で回復した際、彼女の耳へ入ったのは隊最年少のリオ・スタンウェイ曹長が自身の直視した現実を否定する慟哭だった。

 変声期を通っていない透き通った声が、悪感情によって喉から歪められていたのだ。

 そうして、エスメラルダも己の眼で知った。

 重モビルスーツと謳われたドムの、メルティエが搭乗する蒼い機体の胸部が無残にも破壊され、内部機構を晒されたその中心部、頭部まで光の剣――連邦軍が開発した新兵器だろう――によって串刺しにされた姿を。

 

(貴方がああなるのは、ああなってしまうのは、()()()なければならない)

 

 まるでメルティエの肉体が刺殺されたような幻視は、エスメラルダを苛み続ける。

 彼が今此処に居るのだと、共に呼吸して言葉を交わしていようとも彼女の中を占めるのは安堵では無く不安であり、男を喪う恐怖に慄く女が其処に在った。

 幾度も機体が損傷しようと、負傷しようとも生還している彼も不死身ではない。

 前線で戦う他の兵士同様、行動の積み重ねの上に命を賭け、生死を分かつ中で勝ちを拾っているから生き残っているに過ぎない。

 それはエスメラルダも同じだし、戦場に居る全ての将兵が負うものだ。

 戦場に安全な場所等は無い。

 最前線で銃弾の雨から生き残る者も居れば、自陣奥で指揮を執る者が敵の奇襲に遭い戦死するのが戦場と云う暴力の世界だ。

 彼女がそうなる順番を求めても、死は等しく降り掛かるもの。

 それを懸命に薙ぎ払うか、躱し切ることができなければ死ぬだけ。

 自分だけを守るのに精一杯である過酷な場所で、困った事にメルティエ・イクスという男は他人をも守ろうとする。

 以前言っていた「欲張り」がどういったものか理解している彼女は、遮二無二キーボードを打ち続けては事案を練る彼を横目に重い溜め息を吐く。

 

(エースを奥に引っ込めようとする部隊は、此処だけ。きっとそう)

 

 なんて、可笑しな部隊。

 でも、何処か自分達らしいと思えるのが不思議だ。

 何故ならば、ジオンの旗に集ったのではなく。蒼い獅子という英雄の下へ集まったのだから。

 最初は宇宙移民者の独立を勝ち取るために意気軒昂だろうと、いずれ士気は尽きるもの。

 今のネメア隊に名を連ねる人員、協力者達はそんな大仰な思想で戦争を続けているのは少数で、珍しい部類なのだ。ジオン軍部隊としては可笑しい事に。

 思想に共感したわけでも、約束事に縛られて戦うわけでもない。

 気付けば心に残り厄介ながらも頼れる、それでいて鉄火場へ逡巡せず足を踏み入れるこの危うい大馬鹿者が好きなのだ。 

 職業軍人に有るまじき、軍隊から逸脱した集団が此処の連中なのだから。

 それでいてジオン軍では存外に珍しいものではないのだから、軍上層部からしてみれば恐ろしい事態だろう。

 

「馬鹿ばっか」

 

 メルティエが作業に没頭する中、聴こえた文句にPCの液晶画面から引き揚げ目にしたのは。

 

「……なに?」

 

「ん。いいや、何でもない」

 

 はぐらかして、また作業に戻る。

 何故そんな行動をしたのか、彼にも不明だった。

 

 ただ、彼女の夕焼けの色にも似た瞳が、誇らしげに輝いていたから。

 それに照れて、まともに目を合わすことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくもまぁ、これだけの機体を用意したもんだ」

 

 ネメア隊が擁すギャロップ艦隊が二番艦、そのモビルスーツハンガーでシーマ・ガラハウ中佐は目に映ったものを認めて愉しげに笑う。

 航行中の為足下が揺れ不慣れな整備兵がよたよたと動き作業を進める中で、彼女はそうした艦船の動きに慣れたものだと合わせてさえいた。

 作業場独自のものに加え機械油の臭いが鼻を衝くが、それらの集合体を操作するシーマにとって嗅ぎ慣れたものだ。腐臭、血臭に比べれば不快感すら湧かない。

 

「で、手懐けられそうかい?」

 

 彼女が見上げるモビルスーツ。MS-06G、陸戦高機動型ザクIIのコックピット・ハッチから部下の一人が顔を覗かせる。シーマの姿を視認すると満面の笑みを見せ、ガッツポーズまで取ったのだから、十分な戦果なのだろう。

 

「シーマ様、こんな良い機体、本当にアタイが乗ってもいいんですね!?」

 

「ああ、好きにしな。本日付でソイツはもうアンタのもんさ。精々可愛がっておやりよ」

 

「よっしゃー! 返せったって返しませんよ!?」

 

 うら若き乙女がドデカイ人形をプレゼントされて大いに喜ぶ。それも如何かと思いもしたが、新しい機体に御満悦のようで何より、と笑い掛けてやる。自分達パイロットにとって戦場で運命を共にする乗機なのだから、優れたモノにした方が断然良いことではある。

 そして、付け加えるならこれは完全な新品ではない。

 今も部下達がモビルスーツを起動させ、静止状態で異常が無いかを確認している。それが万が一にも滞る事はないことをシーマは知っていた。新しい機体と喜んでいるこれらは、全て現存のザクを改修されたもの。慣れ親しんだ愛機に改良を施したのだから、新品に乗り込むよりもOSや行動設定をいじらなくて済む。

 パイロットは乗機がグレードアップした事で加速性や機動戦闘時の機体体勢等、システムの修正が発生したが完全な新型機を渡されるよりもこちらの方が早熟できるし、何よりこれまでの戦闘を駆け抜けた分愛着がある。

 彼らも一パイロットだ。確かに新型機への憧れはある。あるのだが、機体転換訓練を作戦航行中に実施し、十全に成れるかと問われれば難しいものだ。

 所謂、現実を見据えた妥協である。

 これらはネメア隊首脳陣が現戦力の底上げを狙い、その一環として企画されロイド・コルト技術大尉、メイ・カーウィン整備主任ら整備班、技術班に骨を折ってもらった結果である。

 戦力強化と即戦力化を可能とする今回のやり方は小隊規模で順次回し、中東アジアを発つ前に隊所属機全てを完了させたというのだから頭が下がる。

 ザクIIというヴァリエーション豊かなモビルスーツ、それに慣れたパイロット、作業を統括する有識者、熟練の整備兵、モビルスーツ整備環境。全てが噛み合ったからこそ実現できた。

 実現させる土壌と隊員を信頼する上官、信頼に応える部下。

 当然の事とはいえ、これらが現実にある部隊はそう多くないだろう。

 長い戦闘によるストレス、不満による上下の軋轢は何処にでも転がっているし、モビルスーツの整備環境が良い所も限られている。戦地によっては野戦キャンプすら構築できず機体は雨ざらし、砂塵塗れだとも聞く。

 それらに比べれば間違いなく、自分達は恵まれている。

 着任当初は重力、自然環境と云うヤツに悩まされたものだが半年近く地球にいると心身が慣れ、適応していた。忙しさの内に気にしなくなった、という方が正しいのかもしれない。

 

(しかし、アレだね。我らが指揮官殿はいつ休みを入れているのやら)

 

 メルティエは部隊長の仕事をこなした後、モビルスーツハンガーに出没しては愛機の整備状況を聞き、各部署の担当者へ改善点と激励をして動いている。執務室と化している私室で今も作業している。本日のお目付け役としてエスメラルダが入室しているし、適宜休憩を進言するだろう。

 昨日はアンリエッタ・ジーベル大尉、一昨日は引き継ぎを兼ねてダグラス・ローデン大佐、ジェーン・コンティ大尉が同席していた。

 部隊間の情報摺り合わせの他、コミュニケーションの一つではあるからシーマもローテーションに入っている。

 ただ、モビルスーツ関連でロイドとメイの名前が載っている事は良いとして、キキ・ロジータ等が連なっているのは如何なものか。

 ケン・ビーダーシュタット中尉を始め隊の古参兵以外、新兵達とも意見交換の席を設けている。が、それも部隊長の身分からしてみれば異例過ぎる。部隊内の円滑な意思疎通を目指してるのだとしても、それは各隊長クラスまでに留めるだろう。末端兵士までその範疇に入れるのは特殊な部類ではないか。

 

(飯時まで食堂に顔出すしね。あれじゃ、他の佐官連中が真似しなきゃならんだろうに。

 ……いや、其処まで狙っているのか。釜飯を囲めば将兵の間に一体感ができるって?

 古代の戦場じゃないんだし、そいつは幾らなんでも難しいと思うけどねェ)

 

 何にせよ、フットワークが軽過ぎる。その一言がメルティエ大佐の特徴であり、類を見ない特性であろう。その軽さが戦場でも発揮されるのが恐ろしいことなのだが。

 だが、それもある程度は緩和されるに違いない。

 なにせその為に、彼の座乗艦としてザンジバル級機動巡洋艦は配備されたのだ。

 これはつまり、蒼い獅子は前線を駆けるエースとしてではなく、士気を維持するシンボルになれと期待されているに違いなく。本人がどう思おうと、上はそう考えているということ。

 真紅の稲妻ジョニー・ライデン少佐自らザンジバルの護衛に就き、指令任務のついでと思い込んではいたが「賜るものから察せ」というキシリア・ザビ少将からのメッセージだろう。

 しかし、それを言うなら試作機も運び込んでいる事実がある。

 それがシーマの考えに波紋を呼び掛けているのだ。

 態々ダグラス・ローデンではなくメルティエ・イクスの座乗艦とした理由が、シーマ・ガラハウには分からない。

 艦隊指揮をそのまま任せるなら、ダグラスの座乗艦にするべきなのは明白。だが現実はモビルスーツで出撃する頻度が高いメルティエの座乗艦である。

 ならば何故、性能の高い試作機を預けたのか。

 

(艦隊指揮を執るなら後方に引っ込まざるえない。モビルスーツを活用するなら前線に出なくてはならない。あの試作機は見た所、キャノンや遠距離兵装は積んでいない。追加パックでも開発中なのか? それなら、追加パックの開発終了後送ればいい。そうすりゃ、後方支援をしろという意思が見える筈)

 

 其処までの考察がシーマの悩みの種であった。

 上官であるキシリア少将の思惑が理解できないのだ。エースが前線に出張るより、温存を考えて艦船を与えたのか。実戦データを収集、機体完成度を上げる為に試作機を寄越したのか。

 ザンジバルはもとより部隊責任者がメルティエだとして、その彼がモビルスーツで出撃、戦死したとすれば大いに混乱が起きる。

 

(――――いや、まさかね)

 

 何にせよ、試作機のパイロットはメルティエなのだ。

 ザンジバルの指揮は艦長を指名し、その者に預けても問題はない。ギャロップ艦隊もダグラスが司令として据わっている。ネメア隊の今後は機動力に優れたザンジバルとそのイクス隊、部隊支援火力に富んだローデン艦隊とその援護を受け突撃するガラハウ隊、現在改良中のファットアンクルからなる空挺部隊が在る。

 

(私らはもうやるだけ。先の事は蒼い獅子が導いてくれるさ)

 

 過去を捨てる、その契機を与えてくれたキシリア。共に並ぶことを良しとするメルティエ。

 他にも自分達と戦う、気の良い連中が大勢居るのだ。このネメアという隊には。

 

(難しい事は棚上げして、目の前の仕事に取り掛かるのも悪かない)

 

 その後も部下と機体の様子を観察し、次の戦場でも問題ないとシーマは判断した。

 作戦の前に余計な考えは隙を生む。それでなくても大規模作戦なのだから意識を集中すべき。

 真正面を向く彼女の判断が正しかったか確かめるのは、いましばらくの時間を要する。

 

 確かなのは、彼女を始め隊員達の戦意が高まっていることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




閲覧ありがとうございます。
上代です。現在艦これの第十一号作戦に参加ですわ。


今回は旅立った彼らの近況、といったところ。
近々戦闘に入る、予定です。ハイ。


では、次回もよろしくお願いしますノシ

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