ガンダム戦記 side:Zeon   作:上代

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第43話:得難い、休息の日(後編)

 北米基地の一つ、キャリフォルニア・ベース。

 同基地はU.C.0079年3月11日に開始されたジオン軍の第二次降下作戦で占領して以来、地球攻撃軍が最重要拠点に設定した要衝である。

 その地下にある兵器工廠は連邦軍の擁する地球連邦総司令部ジャブローには負けるとされているが、本拠を宇宙に置くジオン軍からして最大規模のものだ。

 ジャブローがある南米と隣接するこの北米地域は、戦略的見地からも非常に重要な位置にあり、またこの広大な大陸に住まう市民との折衝にも気を配らなくてはならない。

 

 この軍事、政治面共に難所である地を守るのは、サイド3ジオン公国に於いて国民的人気を博す英雄ガルマ・ザビ准将その人であった。

 彼は赴任するや支配領域拡大は視野に入れず、徹底的に守勢の構えを見せる。

 降下作戦以降は戦線を広げず、軍備の充実化と拡張のみに重きを置いたのだ。

 打ち立てた方針に一部の将兵から不満が出たが、これに勲功しか目に収めない輩と見定めると連邦軍攻撃部隊と衝突し易い、哨戒ルートの防衛に就かせた。

 

 その地で戦闘の手練れに成長、戦争の本質を理解するなら良し。

 何も学ばず、敗退し戦線を下げるものならば、厳しく当たる。

 ガルマ・ザビという男は、立身出世する人間が嫌いというわけではない。

 ただ、現実を見ずに粋がる輩を目の当たりにすると、第一次降下作戦前の自分を見せられ、突き付けられるようで、それが嫌なのだ。

 

 ――――私を、親の七光りとは呼ばせない。

 

 無理を言って参加した第一次降下作戦。

 あの身を躍らせれば吹き潰されそうな、大気圏を抜けて地上へと降下する際に口から自然に漏れ出た言葉は、間違いなくガルマの赤心であり、自らに対する宣誓であった。

 

 思えば、あれから自分の世界は輝きを増したと言える。

 

 それはどれも、今までの人生で得たものとは比べる事が出来ないほどに苦難の日々であった。

 気が弱った時は故郷の宇宙へ、サイド3に戻りたいと思った事は一度や二度ではない。

 生まれ育ったコロニーとは違い、制御できない天候というものは行軍や少ない休日の度に恨んだものだし、劣悪な環境は気温を完全調整された中でしか生きた事が無い彼を含めたジオン軍兵士を苛み続け、中には力尽きて倒れた者も少なくない。

 図鑑でしか見た事が無い害虫というものは、とても厄介だと己の身で知ったし、毒素を持った奴には恥も外聞も無く飛び退った事さえある。

 

 だが、この日々を乗り越える度に体感を通して深まる経験という武器は、ガルマの知らず鬱屈した感情を解き放ち、ある種の余裕さえ持たせた。

 それは、他のザビ家の皆では到底知り得なかったもので、味わえない体験の連続だったからだ。

 

 ギレン兄さんは文化も考え方すらも異なる人々と付き合い、その中で相手の気持ちを理解し、彼らと共にある誇りを持った事はあるのか。

 ドズル兄さんは雨がこんなにも冷たく、人を打ち据えるものだと、雪は冷たく人を凍らせて、金切り風で皮膚を割くのだと知っているのか。

 キシリア姉さんは自然が生み出す、透き通った水がどれほど喉に甘美で、顔を上げれば見えるその地の光景が美しい山野だと己の目に移した事はあるのか。

 

 どれも、無かろう。

 この全ては、ザビ家内でガルマのみがその心身で受けた衝撃と驚愕の上で成り立っている。

 

 特に熱帯や密林地帯の行軍は、原生生物との戦いでもある。 

 今もその地で戦う友に想いを馳せながら、遠い地に居る彼は荒涼した風を身に受けていた。

 恩師でもある友人が去ってからこの地も気温が上がり、じりじりと熱射が肌を焼くものの、比較的過ごしやすい気候だと宇宙移民者(スペースノイド)の自分も思える程度には慣れてきた。

 やはり日差しが辛いものだが、日陰で風に当たればその温度差に涼を感じ、汗が流れる中で口にするキンキンに冷えた飲み物は、また別格の美味さだとも。

 

「ガルマ様、どうかされましたか?」

 

 生々しい記憶が色濃く喉の渇きを覚えたガルマは、耳にすっと入ってきた女性の声に散っていた意識を覚醒させた。

 

「イセリナ……? いや、すまない。少し考え事をしていた」

 

 陽は既に地平線に隠れ、黒い帳の中であった。

 ラウンジに出て、風に当たっていたガルマ・ザビは自らに寄り添うイセリナ・エッシェンバッハの靡く豊かな金髪に目を奪われ、続いてその整った顔立ちに笑みを返す。

 ジオン公国代表としてニューヤーク市を訪問したこの貴公子と、ニューヤーク市長の麗しき令嬢は互いに一目惚れであり、若さも手伝ってその距離を詰めるのに時間は掛からなかった。

 両者とも障害多き立場を理解した上で恋仲になり、他者の視線が途切れるこの場所で身を寄せていたのだ。

 

「パーティもそろそろ終わる。

 少しずつだが、ジオンを支持してくれる人達が増えて、安心していた」

 

 ジオン公国と北米の懇親会(パーティ)がニューヤーク市街で催され、主賓に招かれたガルマはその右腕こそ不在ではあったが、脇を固める頼もしい同胞と共に出席していた。

 

 人物眼確かなランバ・ラル大尉が護衛に就き、スーツ姿の彼はクラウレ・ハモンと共に在った。

 情熱的な赤いドレスで着飾ったハモンは淑女そのものであり、唇を隠して艶やかに微笑む彼女は男共の注目の的だ。

 その視線を背で黙らせるラルは手でグラスを弄いながら、市長の取り巻き――――幹部達と談笑している。

 幹部連中もラルの左腕に控えるハモンへと視線を送っているが、明らかに力不足であろう。

 

 離れた所にはイアン・グレーデン大尉ら将校が紛れ、こちらは軍服のまま出席していた。

 会場へ入っている為さすがに銃器類は携帯していないが、彼らは生身でも屈強な兵士である事は変わらず、戦場で鍛えた勘が下手なセンサーよりも事態を鋭敏に察知する。

 さらには、ジャコビアス・ノード中尉率いる特務小隊が搭乗機の優れたレーダー性能を活かし、モビルスーツによる警備をするという鉄壁の布陣であった。

 そのモビルスーツも来賓を刺激しないよう、間借りした貨物倉庫や市街から離れた港湾部に配備する等徹底した。

 

 また、キャリフォルニア・ベースとニューヤークを結ぶルート上には、ゲラート・シュマイザー少佐麾下闇夜のフェンリル隊が三つのポイントを要所に防衛任務に入っていた。

 このパーティ内外を警護するジオン軍の様相に、連邦軍は基地司令を欠いた要衝を攻められず、また要人が集まる場を制圧する事も許されない。

 

 開戦から八ヶ月が過ぎ、戦線拡大による膠着状態は両軍共に戦力回復の好機ではあった。

 

 ジオン軍は制圧地域の慰撫政策やその防衛、反抗勢力鎮圧に注力せねばならなかったし、連邦軍は痩せ細った戦力を整える事は勿論の事、モビルスーツの研究や戦術の確立、その人材育成に傾倒している筈だろう。

 

 司令官ガルマ・ザビはモビルスーツを有していても未だ南米地域への境界線突破に至らず、守りに入った自軍の危うさを現場の空気から感じ取っていた。

 生半可な攻撃部隊は、かえって戦力浪費と大差ない。

 そう考えたからこそ、彼はキャリフォルニア・ベースを含む近郊基地の防衛設備拡充を推進する。

 攻勢か守勢か、どちらを取るかと問われれば守りを固める。

 古代軍法では攻撃側は防衛側に比べ、籠城した戦力の三倍は要すると言うではないか。

 

 そして、ガルマ・ザビ准将は自身の友人達と違い、攻めるよりも守る方が性に合っていた。

 シャア・アズナブル中佐のような速攻と内部工作等で敵方を崩す手腕、突撃隊を率いる才覚に自分は劣っていると、漸く認める事が出来た。

 メルティエ・イクス中佐がする攻勢部隊による半包囲指揮はともかく、自機突出や囮役を担う身を削る行動は真似しようとは思わない。

 どちらも前線指揮を前提にした作戦行動であるし、かつては同様に敵軍を目の前に指揮を執った男としては思う所が無いわけではなかった。

 しかし、ガルマはザビ家の人間である。

 彼はその双肩に掛かる重責を背負い、期待に応え続けなければならない。

 後方で指揮する立場に、気付けばガルマは収まっていた。

 

「ガルマ様?」

 

「ん。すまない、イセリナ。……少し、感傷的になっていた。

 せっかく君と居るのに、私は他の事を考えてしまっている。どうか許してほしい」 

 

 表情を曇らせた青年は、見上げる乙女の瞳に映る己が顔を読む。

 

 ――――ああ。やはり、悔しいのか。

 

「こんな私にも、頼りになる友人が二人居てね。どちらも甲乙付け難い一角の男達だ。

 そんな彼らだから。いや、彼らだからこそ、私は肩を並べて立ち続けたい。

 追い縋り、追い抜き、また追い抜かれて。目標に向けて邁進していたい。

 ……彼らの背を見る事は構わないが、遠くに行かれるのは、辛い」

 

 イセリナは、饒舌に語るガルマの左腕をそっと指を添えた。

 

 交際相手の、不意に漏れた心中の吐露に動揺したのは、確かではあった。

 共に居る時は穏やかに笑いエスコートする若い紳士に、箱入り娘の純情な彼女は胸のときめきに従って熱を上げたのだから。

 しかしながら、今まで弱い部分を見せてくれなかった彼の姿は、一面しか知らなかった彼女の心を波立たせた。

 

 それは決して不快なものではなく、むしろ抱き締めたい心にさせる。

 流麗な所作から垣間見れる少年の意地、男の誇りといったものが可愛く感じられた。

 青年の「情けない姿を見せてしまった」と呟くその様が、等身大のガルマ・ザビが、傍で見守るイセリナ・エッシェンバッハの”女”を刺激する。

 

 恐らくはガルマが地球に降下してから、友人とさえ満足に語り合えなかった脆い部分だろう。

 その”弱み”を自分にだけ見せてくれた。

 常に与えられ受ける側であった彼女に、母性が芽生えた瞬間でもあった。

 

「ガルマ様はガルマ様の、人には人の歩幅があると思います。

 焦らずしっかりと歩んで行きましょう。その人達の背が見えずとも、足跡は残ります。

 私もガルマ様が遠くに行かないよう、付いて行きますから」

 

 驚いてこちらを向く愛しい人に、彼女は勇気を出して背伸びをした。

 いつもと違い自ら唇を重ねる大胆さに、イセリナは首元まで真っ赤に染める。

 ガルマはそんな彼女の腰に手を置き、ぐっと自身に引き寄せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その場は重苦しい雰囲気に支配されていた。

 宇宙要塞ソロモンが司令室に集う将兵は、通信機を握り締めて動かぬ主君を仰ぎ見る。

 室内で聞こえるのは空調音とその恩恵の下に繰り返される呼吸、そして通信機のグリップが軋む悲鳴だけ。間も置かず、砕ける音と共にそれも止む。

 

「何故だ。何故、兄貴はジャブロー攻略を発令せぬのだ!」

 

 ドズル・ザビ中将は、要塞内に響き渡るのでは、と配下の者達が苦慮するほどの轟音で叫んだ。

 彼が先ほどまで連絡を取っていたのは実の兄であり、ジオン公国総帥ギレン・ザビであった。

 ソロモンを本拠とする宇宙攻撃軍の長ドズルは、己の立場を超えた物言いと重々承知の上で総帥に一つ案件を提示した。

 

 それは地球方面軍の全戦力を傾けてのジャブロー攻略作戦であり、この戦争に終止符を打つための現有戦力最大動員による、戦域殲滅戦であった。

 本作戦の第一段階として、北米を除いた各方面軍による一斉攻勢を起こし、膠着した戦線に火を点けて連邦軍の目を釘付けにする。

 開始されれば、南米を除く連邦軍の大混乱は必死だ。

 何故ならば、地球規模で一斉に戦線が動けば前線部隊と司令部の連携は乱れ、ミノフスキー粒子を広範囲散布する事で通信網を断絶、孤立させる事も容易い。

 十キロ先の相手とも連絡が取れなくなり、そこに攻撃による重圧を掛ければ生半可な精神力では恐慌状態に陥る。

 この方法は今も有効で、ギニアス少将率いる中東アジア方面軍がカリマンタン攻略時に一つの島をまるまるミノフスキー粒子下に置き、連邦軍を混乱の坩堝に叩き落としている。

 作戦発案者は突撃機動軍特務遊撃大隊ネメアのダグラス・ローデン大佐であり、彼の部隊は本作戦でたった三機のモビルスーツで前線基地を破壊、占領すらしてのけた。

 

 第二段階には北米方面軍による南米地域に軍を発し、同時に宇宙から降下部隊を地上に降ろす。

 陸路と海路から北米基地の戦力が迫り、上空からは次々と大気圏を突破する降下部隊が矛先を向ける。

 当然の事ながら、作戦開始の時差を設ける。

 方面軍が侵攻開始と共に、降下部隊を移動させ、地上で戦闘突入を認めらた時に始めて降下するのだ。

 方面軍の侵攻を止めるのに、相手は大規模な戦力投入を講じる筈であり、その戦力が抜かれた南米地域に虎の子の降下部隊を降ろす。

 温存された防衛戦力が降下部隊に反撃をすれば、即ち其処にジャブロー在り。

 反撃が無ければ、そのまま降下ポイントを占領し南米の隅々まで侵攻するのみ。

 

 第四次降下作戦とも呼べるこの骨子は、前線が膠着状態に入り且つ相手が反撃に転じない事だ。

 間近にある相手を殴りつけたくとも殴る手が、拳が振るえない”今”でしか行えない。

 連邦軍がモビルスーツ生産を本格軌道に乗せていない、この時期しかないのだ。

 戦力が整い、相手が反撃する機会を与えてはならない。

 

 ドズルはその為にギニアス・サハリンが推進するアプサラス計画の全面支援に踏み切っている。

 あのモビルアーマー群により高々度掃射する大型メガ粒子砲で南米大陸を焼き、地下に存在するというジャブローを燻し出すのだ。

 無論、南米の生態系は致命的なダメージを被り、環境は汚染されるだろう。

 しかし、現状この作戦を実行するしか、ドズルをして勝利が見えない。

 

 この戦争前は自分は戦術だけを考え、戦略は全て兄が言うままに実行していた。

 そうすれば万事上手く行くと思っていたし、実際独立に向けた準備を阻む障害を物ともせず進めて行ったのはギレンの手腕に依るところが大きい。

 思えば、その頃には思考を放棄していたのかもしれない。

 その結果が、ブリティッシュ作戦ではないか。

 何千何万、何億という生命が一瞬で文字通りに消失したのだ。

 質量弾を幾つか用意し、南米へ投げ続ければそれで終わるのではないか。

 

 なるほど、地球をぐるりと回り落着するコロニーは地球住居者(アースノイド)に忘れられない恐怖を刻み、反抗する意思を擂り潰すに至っただろう。

 だが、現に地球連邦政府は降伏していないし、ジオン公国は未だに独立権を勝ち取っていない。

 自分達がもたらしたのは、必要最低限の殺戮ではなく必要外の虐殺でしかなかった。

 

 コロニーではなく、幾つかの隕石をマスドライバーで南米に叩き付け、目標地を焦土に変えればこうも続かなかった筈だ。

 過剰な演出、莫大な生命の死、元に戻らない大地。

 不必要なものが重なった結果が、ブリティッシュ作戦の結末なのではないか。

 

 ドズルもこれがただの結果論でしかなく、後悔しようにも自らコロニー落としの指揮を執っていた。

 ギレンを批判すれば、その言動に素直に聞き入れ行動した自身は一体何者だというのだろう。

 

 しかし、しかしだ。

 愛する妻ゼナとの間に生まれる命を、母の胎から出て世に産声を上げる子ミネバを思えば、その度に積み重なる咎を認めずにはいられない。

 

 自分は何百、何千、何万、何億もの誕生する命(ミネバ)を殺したのだと。

 だからこそ、全てを終わりにする覚悟で作戦提案を打診した。

 折り合いが悪い妹キシリアにも頭を下げるし、それで足りぬと申すならば、この作戦後は地位を譲っても良い。

 ドズルは愚かしくも潔い武人の性質と、生誕する我が子を想う親心に突き動かされていた。

 腹心共には、自らの胸の内を明かしている。

 家臣一同欠ける事無く大反対を受けたが、赤心を露わにこれ以上の戦争は不必要だと語ると、皆やはり思う所があったのだろう。遂には全員頷いてくれた。

 

 自分には勿体無い信頼と忠誠を捧げてくれる。

 忠勇無比の将兵らに万感の感謝を告げ、ドズルは彼らの視線を背に受けギレンへ直訴していた。

 

 ――――だが。

 

(いたずら)に戦線を広げ、疲弊した国民は戦後を生き抜く力すら怪しい。

 今を以て全力でジャブローを落とさねば、ジオンに明日など無い! 何故、それが解らんのだ!

 愚物の俺とて、ここまで考えが行き着くと言うのに、天才だという兄は何故……何故だ!」

 

 激昂の声には、怒りに染まるものと理解されない弟の悲哀が籠もっていた。

 

「ドズル閣下。総帥が裁可を下すまで、我らお供致します」

 

 気付けば、大柄の男に向け室内に居る将兵達が敬礼を示していた。

 

 何処へ供をするのかは、彼らの目を見れば解った。

 

「すまん……皆、いま少し。いま少しだけ俺と修羅の路を歩んでくれ」

 

 ――――何時か、裁きを受けるその日まで。

 

 宇宙要塞ソロモンを守護する男、一族より愚鈍と誹られた司令官ドズル・ザビは独自に戦力確保の為に行動を起こす。

 

 後世は彼が連邦軍の脅威を早期に捉えた一人とし、独自に活動開始する事や同要塞攻防時の指揮手腕が際立った事により、当時の評価を塗り替えジオン公国軍屈指の名将に挙げられている。

 逸話としてドズル・ザビは家族を慈しみ、その想いから才能を開花させたと残すが、詳細はU.C.0086年の追跡調査でも明らかにされていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白を基調にした小奇麗な家屋、そのテラスにある肘掛け椅子に身を預けるシャア・アズナブルはいつしか微睡んでいた。

 此処は彼が購入した隠れ家のようなもので、住んでいる人間はシャアが認めた一人だけだ。

 手が空いているときに掃除しているのだろうが、良く手入れされ久方ぶりに自分の城へ戻る彼を歓迎してくれる。

 これに「使用人ではないのだから、気を遣わなくても良い」とシャアが言えば、相手は何処か誇らしげに「家事もちょっとしたものでしょう?」と得意気に笑うのだ。

 何度がそうしている内に、自分にとって良い女であろうと励むいじらしさにシャアは降参した。好きにすれば良いと考えるようになったし、出来る範囲で家を綺麗にして待ってくれる彼女に悪い気なぞ持つわけがない。

 

「中佐? 寝てらっしゃいます?」

 

 今では枕元でも聞く女の声に、シャアは瞼を上げ身を起こした。

 

「どうした、ララァ。軍から連絡でも来たのか?」

 

 何時連絡が来ても出動できるよう、シャアは軍服のままで居た。

 この場所を知っているのは、住居人のララァ・スン以外では副官のドレンだけだ。必然的に連絡してくる相手も限られる。

 シャアは軽く体の感覚を調べながら家の中へ入り、テレビの映像を見るララァに歩み寄った。

 

「ララァ?」

 

「中佐がおっしゃっていた方は、この人ですか?」

 

 金髪碧眼の青年が呼び掛けると、青みがかかった黒髪の少女はテレビを指差した。

 

「ん。……ああ、そうだな。彼が、そうだ」

 

 決して小さくないテレビの中で、蒼いモビルスーツが所狭しと言わんばかりに駆け巡る。

 映像の右上に見出しで「戦場カメラマンが目撃した蒼い獅子!!」と書かれているが、これは軍事関係者が映像記録から抽出したものを加工した類だろうと、シャアは見破った。

 部外者にしては視点が近いし、一二〇ミリマシンガンらしいマズルフラッシュが映像の下から眩しい。

 MS-06系統であろうモビルスーツの映像記録を何者かが入手、マスメディアに流したのか。

 しかしこれは、完全に情報漏洩の範疇だ。

 ザクが歩行する動きだけならば、然程問題ではない。

 だが、これは高速機動を仕掛け、その挙動を映している。

 理論やシミュレーター上での動きではない、生の動作が外部へ発信されている事になる。

 小金稼ぎの腹積もりだろうが、検分される戦場と当時の隊列、そして該当機整備者が判別されれば秘密警察が身柄確保に向かうだろう。

 

「メルティエ・イクス中佐は、今や時の人だな」

 

 そのまま眺めていたシャアは「相変わらずの、無茶な機動をする」と零し、ララァの視線に気付くと彼女が座るソファに腰を下ろした。

 

「中佐は……シャア中佐も同じような動きが出来るのでは?」

 

 問い掛ける身近な女性に、赤い軍服の青年はマスクで覆われていない素顔に笑みを浮かべる。

 それは不遜な印象を見る者に植え付け、シャア・アズナブルを超然とさせる自信の表れであり、事実そうであった。

 

「出来ない、とは言わない。

 が、彼は地上で戦い、私は宇宙で戦う者だ。

 地球降下作戦から地上の重力の中で走る男に、今だ地上のノウハウを知らぬ私がどうこう言える立場ではないさ」

 

 シャアは蒼いモビルスーツが戦う姿をぼんやりと眺めながら、

 

「このままでは、()()()()()は死ぬな」

 

 そう、かの男を評した。

 

「中佐?」

 

「動きも機体の限界値に近いものを出している。複雑な地球の地形も利用している。

 ()()()が扱う機体は、完璧に近いモビルスーツ運用に見えるだろう?

 だが理論上の理想的な動きに、モビルスーツと人体を酷使している。

 機体は摩耗部品、消耗品を交換すれば元通りになるだろう。

 しかし、あれではパイロットの身体が保てまい」

 

 ――――そして、映像は僚機を庇い被弾した蒼いモビルスーツを映す。

 

「変わらんな。まだ他人を庇い続けているのか」

 

 現行のMS-07、グフとは異なる両肩に防御シールドを持つその蒼い機体は、両肩が破損し関節部が露出した状態でも矢面で戦い続ける。

 そうして戦闘が終えた蒼いグフは、酷い有り様であった。

 スマートに戦い、被弾を避けるシャアからしてみれば、泥臭い事この上ない。

 テレビでは司会の人間と解説者が何やら語っているが、彼の耳に入ることはなかった。

 

「生き急いでいる。見ていられん」

 

 シャアは吐き捨てる物言いで席を立ち、部隊招集時間になったのか二、三言ほどララァと話した後に外へ向かう。

 

 ララァはシャアを見送ると、今も流れるテレビの電源を切った。

 外部の”雑音”を入れるのは不味かったのかと思ったが、彼女は青年の顔と様子からして、それはないと考えた。

 

 確かに彼を評する時に目は鋭く、険がある顔をしてはいた。

 しかしその中に、他者を思い遣るものをララァは感じてもいた。

 普段は理路整然と振る舞い、感情をひた隠す人であるのに特定の話題になると感情的になる。

 肯定したと思えば、否定的な事も言うし、それが不思議であった。

 先ほどもそう、看過できぬものだと態度で示しているのに、口元は綻んでいた。

 

 変わらないものを見た安堵と、あとは何だろうか。

 複雑な思考の絡み合いがシャアから覗けて、それは他人の思惟を感じ取れるララァにとって他では味わえない刺激的な刹那であった。

 青年が訪れる度に抱かれる肉欲と、時折見せる精神の揺らぎに少女は虜になり、最初に芽生えた恩義から奉仕する意志よりも、強い意味合いを持ってしまう。

 何時しかララァ・スンは、シャア・アズナブルと名乗る青年に体も心も夢中になっていた。

 

「そろそろ、私も行かなきゃ」

 

 彼女は自身が持つ強い素養から、フラナガン機関に所属している。

 技術員ではなく、兵士でもなく、今はただの被検体の身ではあった。

 その身上から、今日もこれから実験に参加する予定となっていた。

 実験中は自分をモルモットとして見る連中と接しなければいけない。その扱いが酷く精神を摩耗させる。

 シャアとの時間が無ければ、潰れてしまうかもしれなかった。

 いや、逆にこの得難い休日を過ごせるからこそ、心が疲弊する実感が強いのかもしれない。

 

 最近ドタバタと施設内が騒がしかったが、ララァはシャアとその周りにしか興味が湧かない。

 その為に些事を気にしなくなっていた。

 広い視野で物事を見るべき、とシャアが言うので思い直してはいるが、早々意識の切り替えができるものではない。

 興味の対象が身近に居れば、他に回す余裕も出てくるのだろうか。

 その日が待ち遠しいと、ララァ・スンは家を出る時に思い、家を出てからは思考を閉ざしフラナガン機関へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この動き……モビルスーツって奴はこうも動けるのか」 

 

 ぼそり、と光源がテレビだけの暗い室内で独り呟く。

 毛布に包まり、ピントがズレた事を言う司会者とよく分からない解説を偉そうにしゃべる中年を冷えた目に映しながら、少年は見続ける。

 テレビの中で戦地を走る蒼い機体はザクとは違う接近戦仕様の、白兵戦に重きを置いたモビルスーツらしい。連邦軍がまだモビルスーツを開発してないというのに、随分と対モビルスーツ戦を視野に入れたものだと少年は思った。

 

「あ、また被弾した。下手くそなんじゃないか、このパイロット」

 

 シールドで身を守りながら、戦車の砲撃を受け止めたモビルスーツ。

 その様子に感想を述べ「あ、こいつ背後のザクを守っているのか」と次の映像で理解した。

 体勢を崩したザクが復帰すると、その蒼いモビルスーツはモノアイを有機的に動かし、大地を蹴って飛翔する。

 前へ出る蒼い機体に追従してザクが前進、攻撃を開始する様はあの蒼い奴が隊長機であると判断できた。間を置かず攻勢に転じたモビルスーツ部隊は、守勢に押された連邦軍の戦車、航空部隊をあっという間に蹂躙してしまう。

 

 連邦軍とジオン軍の攻防は、始終モビルスーツの脅威を知らし示すものであった。

 モビルスーツの映像が終わると、ぐだぐだと会話する大人達に嫌気が差し、テレビを消した。

 リモコンで電源を切った姿勢のまま、少年は先ほどの映像を反芻する。

 

「モビルスーツって、ああも頑丈なのか」

 

 戦車の砲弾を受け止めたり、航空機を蹴り落したりと強靭なフレームを持っているのだろう。

 少年は学業を工学科に進んでいたが、機体強度の算出式等は覚えていない。

 電子工学なら、自信があるのだが。

 

「ん……父さん、向こうで泊まり込みかな」

 

 少年の父は軍に身を置く技術者で、長期的に軍事基地で寝泊まりする事も珍しくない。

 今日も帰ってこないという事は今も煮詰まっているのだろうし、地球から離れたくない母とは別居生活になってはいるが、この件で父を恨む事は無かった。

 願うとすれば、もう少し息子と話す時間を作ってくれればと思う。

 不器用な人間ではあるが、子に対する気配りを忘れない良い父親であったので少年は何だかんだ言っても好きなのだ。

 のそりと毛布から抜け出し、薄い蛍光を発する時計を見る。

 お昼時だと分かると、腹の虫が情けない音を立てた。

 

「そういや、配給品受け取りにいかなきゃ。またフラウにどやされる」

 

 照明を付けなくとも、部屋の内装は理解している。

 そして、その散らかり具合も。

 

「部屋の中見られる前に、さっさと用意するか」

 

 世話好きな隣家の幼馴染は、少年の部屋を見る度に「掃除しろ」「不衛生だ」と五月蠅いのだ。

 暗い為室内の惨状は見れないが、彼女が見れば発奮するに違いない。

 

「まったく、放っておいてくれればいいのに……」

 

 ぐちぐちと言いながら、少年は寝間着から外出の服に着替える。

 積み重ねたダンボールの上にある身分証明書を取り、懐に仕舞う。

 これが無いと配給品が受け取れないので、今も長蛇の列となっているだろう配給所に向かって、何も入手できずに終わるのは御免だった。

 

「偶にはフラウをこっちから呼ぶか。ふふ、驚くだろうな。フラウ・ボウめ」

 

 感情豊かな少女の素っ頓狂な声を出すザマを思い浮かべ、少年はほくそ笑む。

 嫌々運んでいた重かった足取りも、目標を掲げると身軽になった。

 

 コロニーの管理された空調の中、少年は住まいから外に出る。

 久しぶりに家の外へと出ると、広い場所に出た事で体の凝りを解そうと大きく伸びをした。

 

「――――うんっ」

 

 工事の音が耳に障るが、サイド7は今日も平和だ。

 少なくとも、表面上はそう思えた。

 

 時にU.C.0079年8月20日。

 ジオン公国が地球連邦政府に対し独立戦争を挑み、半年が経過していた。

 数々の軍施設を占領したジオン軍は、伸び切った戦線の為に侵攻を一時取り止める。

 連邦軍は物量の優位性を誇っていたが、新兵器とミノフスキー粒子に謀れ劣勢を強いられた。

 睨み合いの様相を晒す両軍は、自然と膠着状態に入り銃火が空気を汚す事が無い日々が続く。

 

 後に「最強のニュータイプ」と歴史に残す一年戦争の英雄アムロ・レイ。

 その彼もこの時はまだ幼馴染に怒鳴られ、父親の帰りを家で待つ内向的な人間でしかなく、世の何処にでも居る少年でしかなかった。

 

 ひたひたと這い寄る運命が、命のやり取りをする場に身を置く赤と蒼を結び付け、長閑な日々を甘受していた白を戦地へと(いざな)う時は、近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




閲覧ありがとうございます。
上代です。ご機嫌如何。

挨拶もマンネリ気味ですが、このまま行きます。ハイ。
久しぶりに執筆したので、粗が目立つような。
しかし、どこを直せば良いのか見当が付かない。

え、文章全部?
それは新しく書いた方が早いから却下ですね(キリッ)

記憶力が良い読者の方は気付くかもしれませんが、シャアとララァ、アムロが見ていた映像はキャリフォルニア・ベースに連邦軍が襲撃してきた時の映像です。
当時のメルティエの乗機がグフだったので、そこから思い立った人も居ると良いなぁ。

次回もよろしくお願いしますノシ

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