ガンダム戦記 side:Zeon   作:上代

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第40話:子は親を求め

 U.C.0079年8月4日。

 残存する連邦軍潜水艦隊、空母機動戦隊が太平洋に位置するハワイ軍港奪還作戦を発令する。

 本艦隊には東南アジア地域、カリマンタン攻防戦より撤退した一部の部隊が合流した。

 しかし、合流部隊はジオン軍との雪辱戦に燃えるかと思えば、彼らは作戦中止するよう求めた。

 艦体を指揮するブーフハイム中佐はこの諫言を作戦妨害行動とし、処罰した。

 同行するクランシー少佐はこの対応に疑念を抱くも、作戦は強行され従軍を余儀なくされる。

 

 そして、命を賭して諫言したカリマンタン攻防戦経験者の言葉は、正しかった。

 

 彼ら連邦軍艦隊は北太平洋、ミッドウェイ諸島近郊にてジオン軍潜水艦隊と遭遇する。

 

 潜水艦同士の戦いでは連邦軍に一日の長があり、ジオン軍潜水艦を追い立てるほどであった。

 だが、ハワイ攻略部隊はカリマンタン生存者の言葉に耳を貸さなかった事が此処で災いする。

 

 ジオン軍は水陸両用モビルスーツを戦線へ投入し、連邦軍艦隊を一網打尽としたのだ。

 この戦いで自軍敗北を悟ったブーフハイム中佐は連邦軍艦隊旗艦アナンタへ秘密裏に搭載された「気化弾頭ミサイル」をハワイに向け射出する行動に出た。

 

 同艦隊クランシー少佐率いる潜水艦は、戦闘敗北よりも人道的見地からアナンタのミサイル阻止に入り、これに同調した戦闘機乗り達による「同士討ち」が開始される。

 連邦軍の不可解な行動に戦闘を一時取り止めたドルフ艦長らは、全チャンネルで訴えるクランシー少佐の一時停戦を受け入れ、提供された情報通りに高高度へ垂直発射されたミサイルを、空中より迫るFF-X7、コア・ファイター、海上から飛び上がったMSM-03、ゴッグらの多方向射撃によりミサイルが落下姿勢へと入る前に撃破した。

 

 海戦に勝利したジオン軍は、結果的にハワイを救った連邦軍残存艦隊撤退を黙認する。

 奇妙な一体感が生き残った将兵に、これ以上の戦闘は”勿体無い”と思わせたのだ。

 互いに救助した兵士達を”捕虜交換”し、敬礼を以て彼らは別れた。

 

 こうして、北太平洋上で起きた戦闘は終わり、連邦軍艦隊が壊滅した事実だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 中東アジア地区に駐留した特務遊撃大隊ネメアは、必要な補給と前回の大戦で損傷した各機体の整備を完了し、キシリア・ザビ少将から通達される次任務まで基地待機となっていた。

 長らく取れてなかった休暇消化も兼ねて、パイロットやクルー達は久しぶりの休日を謳歌する。

 

 無論、この間に働く人間も存在した。

 休日返上で動く彼らの任務内容は7月28日に終息したカリマンタン攻防戦で各戦場を闊歩した、部隊所属モビルスーツの整備である。

 中東アジア方面軍司令代行ノリス・パッカード大佐より基地の利用を許可され、基地内のモビルスーツハンガーに並ぶ機体は補修された箇所の新しい装甲版と塗装が如何にも悪目立ちしていた。

 今は休憩時なのか整備兵達が思い思いの場所に座り込み、外から入る風の通り道に身を置いたり扇風機前に陣取っている。

 

 夏季という気温と湿気が髙い時期とモビルスーツの整備、試運転時に籠った熱とで整備場内がサウナと化していた。

 作業場所毎に設置された給水機は水分補給を摂る人々で埋まり、中には給水機に抱き着き温度差を体全体で味わっている者も居るのだ。

 

 その様子を整備工場の安全通路、白線で区切られた場所から見る男女。

 

「皆さん、だいぶお疲れのようですね」

 

 ポツリと、黒髪を肩上で切り揃えた女性は呟く。

 彼女の額にも汗が滲み、健康的な肌を滴が滑り落ちている。

 羞恥心よりも体温調整を採ったのだろう。野戦服の前を開いて外の空気を招き、汗を吸収した白いシャツは不透明ながら下着を浮き上がらせ、顎を伝う汗を拭う時にその事を理解したのか暑さとは違う熱で頬を染めていた。

 ネメアのモビルスーツ隊通信士、ユウキ・ナカサトは「冷たかったドリンクが温くなりました」と頬に当てたボトルの中身を振るう。

 散った水滴が思わぬところに命中したのか「きゃっ」と小さな悲鳴を上げた。

 

「空調が完全調整されたコロニー育ちには、かなり厳しいだろうな」

 

 その様子に薄く笑みを浮かべる男性。

 伸び放題となった灰色の蓬髪が、獅子の鬣を髣髴させる。

 日に焼けた肌が赤銅色の色に変わり、宇宙(そら)から地上に降りて以来、彼の外見は変貌していた。

 彼も隣の彼女と同じく野戦服の前を大胆に広げ、濡れた白いシャツに風邪を当てて体温調整を図り、首元に温くなったドリンクを密着させていた。

 様々な位置から送られる視線が自身の胸板や露出した腕、汗を垂らす顔に触れるが、彼は一向に気にせず「男の身体なんぞ見て楽しいのだろうか」と暑さでやられた頭でぼんやりと考えていた。

 

「ああ、それ分かります。わたしも、地球に降下してから驚きました」

 

 くすりと笑う彼女は、何処か遠い場所を見るように目を細めた。

 懐かしさの中に、哀愁が漂うのは儚い印象を与える横顔のせいなのか。

 それとも、心に傷を持った者特有の侘しさなのか。

 

 蒼い獅子と呼ばれ、味方を鼓舞し敵方に恐れられるメルティエ・イクスには分からなかった。

 感じ取れたのは、淋しさ、それだけだ。

 

「ケン少尉達は、別行動中か?」

 

 気を利かした話題も見つからず、身近な人達の事を聞いてしまう。

 メルティエという男のコミュニティは酷く狭い。

 学生、士官学校時代は友人と呼べる人間は片手で足りるほどしか存在しなかった。

 主に彼が修練、鍛練に時間を割いたせいだが、後悔だけはしていない。

 未練も、今は無くなっていた。

 

「あ、ケン少尉はサイド3に居る奥さんとお子さんへ手紙を送ると言っていました。

 ガースキー曹長も輸送部隊が来ると、必ずと言っていいほどですね。

 写真を見せてもらった事があるんですが、どちらも綺麗な奥方でした。

 お子さんも、可愛らしい子で。あ、女の子でしたよ?」

 

 ネメアに属するモビルスーツパイロットのケン、ガースキー共に愛妻家だ。

 年頃の子供を持つ男親で、子煩悩だと彼らを良く知る人物は言う。

 

 ユウキはしゃべり疲れたのか、ドリンクが口元に運ばれる。

 ボトル口に唇が触れ、その前に見えた舌先が酷く卑猥に思えた。

 こくこくと動く喉、ボトルが離れるや「はぁ……」と漏れた呼気がそれを助長する。

 

「子供か。前に救助した女の子も、そろそろ意識が回復するそうだな」

 

 努めて目前の光景から目を逸らし、温いドリンクを口に含む。

 塩分が入ってるせいか、喉がやけに渇きを覚えた。

 

「……起きたら、心細いでしょうね」

 

 メルティエが戦闘区域から救出した女の子は戦災孤児だった。

 墜落したファットアンクルはドップ戦闘機を護衛にした、前線基地からの搬送機だったらしい。

 他にも連邦軍の捕虜が居たとされるが、あの状況では絶望的だろう。

 撤収した捜索隊から報告が来ないのだ。

 あの少女以外ジオン軍兵士だけではなく、連邦軍兵士も死亡していると見ていいだろう。

 

 展開していた戦車部隊は、それを理解して火砲を向けたのか。

 ただ単に、敵輸送機が網に掛かったから攻撃しただけなのか。

 後者であれば、尚更救われない話だ。

 

 隣を見れば、表情を曇らせた彼女の貌があった。

 その想いはメルティエが救った少女に対するものなのか。

 それとも、少女を通じた何かが思考を乱しているのか。

 

「身元確認を急いだが、どうやら天涯孤独の身らしい。

 1月20日には既に親を失い、他に頼る者も無かった状態。

 原因は我々の起こしたコロニー落としだ。その余波と混乱の中で彼女の両親は亡くなった。

 連邦軍施設を制圧した友軍が、山で倒れている子供を救助した、と報告していたらしい。

 あとは捕虜と一緒にファットアンクルで後方に搬送中に撃墜された、という事だな。

 ……優しいな、ユウキ伍長は」

 

 彼女は他人を思い遣る心を持っている。

 自身を身勝手な男と理解しているメルティエは、少女に対して助けた責任と子供に対する義務感しか働いていない。

 だが、ユウキは性格から救助された少女に同情と憐憫を持っているのだろう。

 

 あるいは、他にも何か思う所があるのだろうか。

 

「そんな事、ないです」

 

 顔を俯かせた女性の表情は窺い知れない。

 青年に分かるのは風に運ばれる作業場の錆びた鉄の臭いと機械油に混じった、彼女の汗と甘い体臭だけだ。

 

「ん。そろそろ時間か。

 悪いな、休憩に付き合ってもらって。もし良ければまた頼む」

 

「あ、はい。お疲れ様です」

 

 敬礼するユウキに「真面目な女性だ」と印象を強めたメルティエは背を向け、手を振った。

 

 通路の奥へ姿を消した中佐を見送り、伍長は瞼を閉じた。

 

 彼は気にした様子を見せなかったが、やはり人目を引くのは体中に走る夥しい傷の群れだ。

 肌着の下から這い出るそれは、綺麗な傷が少なく醜い痕が大半を占める。

 メルティエ・イクス中佐はモビルスーツパイロット以外にも前線部隊の指揮を執り、管制室確保に歩兵隊と突入した事もある。

 

 ただし、その時に怪我をしたというのは聞いたことが無い。

 ユウキ・ナカサト伍長が聞き知っているのはモビルスーツ搭乗時に負傷したものだけだ。

 

 赤い彗星シャア・アズナブル中佐との演習時やメイ・カーウィンが再設計したMS-07、グフ改修機によるパイロットへの過負荷を原因としたもの。

 生身を晒す対人の銃撃戦ではなく、モビルスーツの中でのみ負傷するとは。

 相変わらず、自分達の部隊長はあべこべだと思い知る。

 

「傷だらけの獅子」

 

 傷は男の勲章と言うが、正視するのも憚れるその身体は、何時からなのか。

 そこまで自身を追い込んで、晒し続けて辛くはないのか。

 蒼い獅子の逸話と、戦場を舞台に作り上げた伝説しか、彼女は知らない。

 

 何の為に戦っているのか。

 彼女も救助された少女と同じで身寄りは無かった。

 

 ジオン軍のコロニー落とし、ブリティッシュ作戦に使われたサイド2のコロニー。

 それが彼女の出身地、帰る場所だったのだ。

 開戦時期に偶々サイド3に旅行に来ていた間に生まれ故郷は地球に墜落、オーストラリア大陸へ質量弾として落着している。

 当然、肉親も全滅。彼女は事実を把握する前に戦争犠牲者にされていた。

 彼女がそれらを正しく理解する前に、感情が爆発する前に採った行動は「今後どうするか」であった。孤独となった身上と生存本能は、路上でめそめそ泣く事よりも現実に向き直る強さを彼女に与えたのだ。

 

 その問題を打破したのは、皮肉にもジオン軍であった。

 戦争開始と同時に、サイド3の国籍を持たない人間は当局により拘束される。

 最大級の不幸に見舞われたユウキにとって、唯一の救いだったのは親身になって接するジオン軍の人間だった。

 肉親を奪った敵、大量虐殺を行う軍隊の兵士は、個々人が善良な人間であって悪魔の落とし子ではなかった。自らを不幸のどん底に叩き付けた癖に、彼らは総じて優しくサイド間の異邦人であるユウキを同じスペースノイドとして扱った。

 彼女は本来善良な人間が「戦争」により虐殺者に歪められ、変質する現実をまざまざと突き付けられた。

 

 スペースノイド独立を勝ち取る為に正義を口に、他者を殺す彼らもまた、実は戦争被害者だと思った彼女はジオン軍に志願する。

 暖かく迎え入れるジオン軍兵士と共に歩く中、彼女は思った。

 

 自分は「悪人に成ろう」と。

 

 正義による殺人が肯定されるならば、自分は悪人になって人を救う努力をしよう。

 それが失った肉親の悲しみから逃避させるものであったとしても。

 今後を励ましてくれる人達、ジオン軍に対する意趣返しでもあり、彼女の心を支える想い。

 

 彼女はその考えを示したわけではないが、同じく部隊に配属された人達もまた同士であった。

 ケン・ビーダーシュタット少尉、ガースキー・ジノビエフ曹長、ジェイク・ガンス軍曹。

 三者ともサイド3国籍を得る為に、戦い続ける。

 家族、思想、生き残る為に「悪人に成ろう」とする。

 

「中佐」

 

 開いた視界の先にはもう、蒼い獅子の背は其処には無い。

 

 ただ、拒まれても投降を促し、必要最低限の人命を救おうとした男。

 

 その結果は散々だろう。

 

 投降を促せば自爆され、その度に体を削られた。

 そうして、遂には相手が投降する意思を見せるまで、牙と爪を振るう殺戮者になった。

 ユウキはその現場を瞬きせず見ながら「ああ、この人は諦めたんだ」と秘かに落胆した。

 

 なのに、彼は少女を救出して戻ってきた。

 ボイスレコーダー、ドムのカメラに残る映像を精査する記録室で、偶然に知ってしまった。

 戦場で畏怖される獅子が、か細い生命を前に大いに慌てて駆けだしているではないか。

 彼女の思いを裏切り、また裏切った酷い男は正しく「悪人」だった。

 

「あなたは、ひどい人です」

 

 蒸し暑い中で一人、彼女は涼やかな声色で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロイド・コルト技術大尉は上機嫌だった。

 彼からすれば全て宝の山に等しい存在である、連邦製モビルスーツを見上げる。

 

 物言わぬ赤い巨人の破砕された胸部、脱着式コックピットだと判明した小型戦闘機は排除され、空洞ができている。

 ケン・ビーダーシュタット少尉が操縦するMSM-07、ズゴックとの戦闘で焼けた装甲には引っ掻き傷が多く、破壊された左脚と破損した右肩がその名残を感じさせていた。

 搭載された火器は現在取り外され、特にメガ粒子砲発射機構を有するライフルは厳重な警戒体制の下で解析中だ。今はライフルに内蔵されたコンピュータにハッキングを掛け、情報抽出作業を行っている。

 この内臓コンピュータがモビルスーツのマニピュレータと連動。使用火器の情報をモビルスーツのOSとリンク、照準や火器情報を交信する事で精密な射撃を可能とするのだ。

 

 モビルスーツは精密機械の塊であり、これを統括するコンピュータは各部機動状況の監視を始め出力モジュール統制や姿勢制御、バーニア方向制御等と多岐に渡る。

 其処に組み込まれる前提の固定搭載火器ならいざ知らず、手持ち火器のコンピュータも載せる事は複雑な回線混雑となり情報処理の妨げが発生する。固定兵装のみに変えれば、作戦毎に都度装備変更を求められるモビルスーツの汎用性を損ねると共に柔軟な戦闘展開を阻む。

 その結果として統制するコンピュータが内蔵され、最小限の負荷でモビルスーツの制御下に置かれる形式となった。これが片手にそれぞれマシンガン、バズーカ等を持ったクロスリンクの各武装並列演算を可能とする要因である。

 

「武装面もそうですが、装甲強度も搭載するコンピュータも中々侮れない。

 開発した人間は天才ですね。ザクを遥かに超えるポテンシャル、スペックがその人物を有能だと叫んでいるように聞こえますよ。

 腹立たしいよりも、まずは尊敬してしまいます」

 

 ロイドは眼鏡を押し上げながら、技術班総出で掛かるこの赤いモビルスーツから吸い上げている情報に恍惚とした。主の昂りに同調したのか、その指先は神業めいてコンソールの上を縦横無尽に駆け続け、今何本動いているか視認するのが困難であった。

 

「ははぁ? これはこれは。厳重にプロテクトされてますねぇ。

 ですが、生粋の技術畑の方ですね。この手の類は諜報部の手伝いで嫌というほど壊しました。

 私、その時に数種類のドアノッカー作りましてね。

 ――――こういう手合い、大好物です」

 

 モニターを見下ろし口角を限界まで引き上げた彼は、エンターキーを軽く数回押す。

 耳に心地よい電子音が何度も鳴り、ウィンドウが次々と開かれては内部情報を晒していく。

 

 瞬間、狂相が嘘だったかのように真面目な顔に変化した。

 

「――――不味いですね。これが量産されれば、ジオンは負けます。

 学習機能搭載型コンピュータ、メガ粒子砲の小型化、一二○ミリの弾丸に耐える装甲強度。

 離れてもビーム兵器は脅威です。地上で減衰四散しようとも、宇宙ではそれは望めない。 

 ザクの攻撃をほぼ無効化する上に、中距離支援モビルスーツ。そもそもの主戦場が違い過ぎる。

 ううむ。この学習機能コンピュータだけでも、複製できないものか」

 

 嫌な汗が頬を伝う。

 

 一撃でも掠れば、その位置が消失する小型ビーム兵器。

 エネルギーがモビルスーツ直結型ではない、内蔵式のようだ。

 つまり、モビルスーツのエネルギーゲインを乱す事無く、連射すら可能だという事か。

 ジオン軍の技術力が負けているとは思いたくはない。

 が、このビーム兵器については確実に後れを取っている。

 さすがに大量生産はできない代物らしいが、地球連邦政府の有する工業力、生産能力はいまだ高い状態で維持されている筈だ。

 

 ザクを蹴散らす、小型ビーム兵器を有する量産モビルスーツが現れる。

 

 その可能性は、現実味を帯びている。

 その成果が、ロイドの目の前に、ある。

 

 ゴクリ、と嚥下する音が一際大きく聞こえた。

 

「イクス中佐も、ビーダーシュタット少尉もよくこの化け物を倒せましたね。

 相手の一撃に当たればゲームオーバー、相手は無敵防御持ち。

 ああ、少尉はズゴックでしたね。状況的に五分五分ですか。

 ――――やはり、”ネメアの獅子は人の手に負えず、正しく幻獣である”ですね」

 

 この赤いモビルスーツに遭遇、同等機体に出会った部隊員は三名。

 

 メルティエ・イクス中佐、エスメラルダ・カークス大尉、ケン・ビーダーシュタット少尉。

 全員機体にダメージは負っているが、無事帰投している。

 中佐と大尉は手持ち火器が通用せずにヒートサーベルで対応し、少尉はズゴックのメガ粒子砲で戦い、最後はアイアンネイルが変形するほどの威力で、あの装甲をぶち抜いている。

 

「これは、早々にレポートをまとめてキシリア・ザビ閣下に届けねばいけませんね。

 遅れればその分だけ、我が方の致命的要因になりそうです。

 ううむ、今日も徹夜ですねぇ」

 

 彼はチラリ、と床を見る。

 

 其処には気絶したように眠る技術班が居た。

 何徹したか、ロイドも意識があやふやで覚えていない。

 多分、四時間前までは何人か動いていたと思ったが。

 

 彼らは電気が切れたロボットのように眠っている。

 呼吸は正常に刻んでいる。起こせばまだイケるだろう。

 

「いやぁ、これは滾りますねぇ」

 

 時折咳をしながら、彼は解析を再開する。

 

 特務遊撃大隊ネメアが誇る技術官ロイド・コルトは、己の戦場に突入して行く。

 細面にある彼の目は、獲物を追い詰める獣の如く鋭かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 キシリア・ザビ少将は提出された案件を手元に引き寄せた。

 

「ほぅ。中々面白いものがでてくるものよな」

 

 興味がそそられたのか、彼女の青い瞳が細められる。

 常にある顔下半分を隠すマスク、その上から分かるほど彼女は笑っていた。

 機嫌が良いかと問われれば、彼女はすこぶる悪いと答えるだろう。

 だが、彼女は笑っていた。

 

 丁度任務報告に出頭していたジョニー・ライデン少佐は、不幸にもその現場に居合わせていた。

 この金髪碧眼の伊達男は敬服する上司と縁が深い。

 故にキシリア・ザビがこの笑い方をする時は、どういった事態かよく知っていた。

 

「ライデン、受領したMS-06R-2Pとやらの慣熟飛行は終えているか?」

 

「はっ。長期航行は終えていませんが、他は終了しています」

 

 彼女がこの手の表情を浮かべる時は、政敵の証拠を握ったか、粛清対象の洗い出しが完了した時か。

 

 もしくは、身内で裏切りが発覚した時の、殺す意思を固めた時だろう。

 

「フラナガン機関の一部が脱走だ。それを討て。一人も生かさんで良い」

 

 その言葉は軽く、其処に在る書類をシュレッダーに掛けてくれ、と言った程度であった。

 

「フラナガン機関……脱走ですか。しかし、どのルートを通ったかはご存じで?」

 

 席から見上げるキシリアが、初めてジョニーに顔を向けた。

 

 無表情に近いが、その目に映る色から苛立ちは窺い知れる。

 

「サイド6よりサイド7、ルナツー、それとも地球への降下か。

 ふん、(きゃつ)らの目的は連邦軍への亡命らしいな。

 直近は地球か。ネメアのイクス中佐に届けるものもある、指令書を持って一度地球へ赴け。

 ルナツー付近の宙域は確か、パトロール隊を組んでいるのはシャアだったな。

 気は進まんが、警戒要請を送るべきか」

 

「其処までのものを、亡命者は持って行ったという事ですな。

 早速根回しをしときましょう。最短で二時間ほどで出立できます」

 

 真紅の稲妻は予定にない出撃に応じ、異常なほど早い準備時間を申し出た。

 

「さすが、稲妻よな。

 新造艦の乗り心地は良さそうと見える。それともモビルスーツを乗り回したいか。

 目標はクルスト・モーゼス博士。

 連邦軍との合流地点に出遭えば戦闘は必至だ。用心しておけ」

 

 腹心が足早に退出した後に、彼女は目を通していた文書を机に投げた。

 

「キマイラ本来の目的に使うものを建造する役、投げたのか逃げたのか。

 それとも、見つけたのか。

 確認できん事だけが残念だ」

 

 その紙面には初老の老人と、少女の顔写真と個人情報が記載されている。

 二人の文面には共通した文字があった。

 その部分は「EXAMシステム」とあり、その開発責任者と、被検者とあった。

 

「優秀な一部軍閥による反旗。

 それを速やかに鎮圧、打倒する為の部隊がキマイラなのだがな。

 ここに至ってはライデンらの技量に頼む他あるまい。支援部隊を用立てて補填するか。

 私は用心深いのだ、すまぬな」

 

 もう一枚、彼女は机に投じる。

 

 其処には、とある人物の戦歴が掲載されていた。

 撃墜スコアには敵艦船六隻、航空機三十四、車台四十二、モビルスーツ七機と記されている。

 ジオン公国軍に属する全パイロットの中で、五位以内に入る功績だ。

 開戦からの作戦参加率も高く、ルウム戦役を除きほぼ全ての大規模作戦に参戦している。

 その内でカリマンタン攻防戦以外は全て最前線に立ち、生還した結果があるのだ。

 

 そして、そのモビルスーツパイロットの動き。

 超反応とも言える回避運動、()()()予測していたような動き。

 ミノフスキー粒子下で離れているというのに、部下の窮地を察知し()()()()行動。

 被弾する中で致命傷を避け続ける、理解して受け止めた節がある損害報告。

 

 数多のベテラン、エースが戦場に散る中において、抜群の戦績を持つ男。

 

 ダイクン派に連なる者達を敢えて集結させて編成した部隊、ネメア。

 不穏な情勢下に派遣しても、幾度戦場へ送り出しても今だに人員損害ゼロの戦闘部隊。

 

 地球で語り継がれた伝説にある、十二の難行。

 神話の大英雄ヘラクレスが、その膂力を以て棍棒で殴ろうとも毛皮に傷一つ付かず、矢を用いてもその皮膚に通る事能わず。遂には、三日三晩の間首を締め上げる事で仕留めた幻獣。

 

 大英雄でしか倒す事ができない、ネメアの獅子。

 

 武功に期待を寄せて創設した部隊が築く類稀な戦績と、フラナガンの研究結果がもたらしたもので、飼い主たるキシリア・ザビに「警戒心」を抱かせる。

 

「メルティエ・イクス。

 貴様は、私を裏切ってくれるなよ。

 ネメアの獅子とキマイラの、幻獣同士による兄弟喧嘩なぞは見たくないのだ。

 だが、最悪の事態を見据えるのが上に立つものの責務ではある。

 二手、三手先を読む行動が大事だとも。

 ――――お前の可能性が、心底頼もしいと感じる反面、恐ろしい故にな」

 

 警戒してもなお、彼女は獅子を重用する。

 初めて会った時の珍獣を思い出し「あの男が裏切る筈はない」と思うのだ。

 だが、信じた挙句手酷く裏切られるのは御免だ。

 

 キシリア・ザビ少将は、霜が降りた瞳で「灰色が混じった黒髪の青年」の写真を見下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さい電子音がリズムを刻み、カーテンから差し込む白光が、室内を薄く浮かび上がらせる。

 目が覚めると生じる左腕と左脚から上る痛み。

 蒼い髪の少女は喉奥から悲鳴を漏らし、苦労してベッドから身を起こすと見知らぬ場所に居る事に気付いた。

 

「ここは、何処?」

 

 呆然と室内を見渡しながら、少しづつ思い出す。

 

 食べる物もなく、街に居ると石を投げられたから痛くて怖くて山に逃げ込んだ。

 まだ幼く、知識も乏しい子供にサバイバル経験などはなく。

 力尽きて山で倒れていたら、軍服を着た大人達が飛行機に乗せてくれた。

 大人達は待機室なる部屋に運んでくれて「もう大丈夫だ」「よく頑張ったな、嬢ちゃん」と口々に声を掛け、冷たいココアを持って来てくれた。

 しばらくしたら飛行機が大きく揺れて「おい、この子だけでも逃がすんだ!」と大人達に大きなリュックを背負わされ、次の衝撃で飛行機から投げ出されていた。

 直前まで傍に居た、腕だけになった人の手が取っ手に引っ掛かり、横に倒してからは覚えていない。

 全身が引っ張られる痛みで、意識を失ったのだと思う。

 

「う、あ、ああ……」

 

 コロニー落とし、消えた両親と家、独りになって見上げた蒼い空が不気味だったのを覚えている。

 宇宙に在る筈のコロニーが迫って、何処かに落ちてから彼女の世界は一変した。

 今年の年始まで、家族と平穏に過ごしていたのに。

 

 動く右手で自身を抱く。

 意識がはっきりしてから思い出すものは恐ろしく、彼女の身体を震わせた。

 

「コロニーが、空が落ちてくる!」

 

 少女は戦災孤児だった。

 

「誰か、誰か助けて!」

 

 少女は病室に入る事は初めてで、ナースコールの位置なぞ知らない。

 手を伸ばせば、押せば係りの人間が駆け付ける仕組みを、説明なしでは分からない。

 

「だれかぁ!」

 

 泣くだけだ。

 小さなこの身に出来る事は、見っとも無く泣いて誰かに気付いてもらう事だけだ。

 だから、少女は泣き続ける。

 

 ”声”を上げ続ける。

 

「おとうさん! おかあさん! 怖いよぉ!!」

 

 両親は死んだ。

 その断片が彼女の頬にべったりとくっ付いた時の事を、感触を覚えている。

 それでも、既に居ないと分かっていても名を呼び続ける。

 

 親しか、助けてくれる人を知らないが為に。

 

 顔がぐしゃぐしゃになるまで泣いて喉が枯れた時に、突然開かれた扉に少女は驚いた。

 

「おはよう。起きたみたいだな」

 

 耳に優しく入る声。

 

 いや、努めて声を変えているのだと、少女は分かった。

 

「泣いているみたいだけど、怖い夢でも見たのかい」

 

 息切れた呼吸と混ざる高い声が、無理に出しているのだと白状していたからだ。

 

「お……」

 

 少女の喉から声が漏れる。

 大きな身体、逆光で顔はよく見えないが少し緊張した男の人。

 亡くなった父によく似た背格好に、不器用な接し方だった。

 

「お?」

 

 首を傾げ、続きを待つ彼。

 

「お、おとうさん!」

 

「……え」

 

 そう呼ばれた彼は、ぴしり、と固まった。 

 

「あ、あの」

 

 蒼い髪の少女は黙ったままになった相手に声を掛ける。

 

 この時の少女は必死だった。

 相手を気にする余裕など無く、半年間で遭った出来事から逃げ出したくて仕方が無かった。

 彼女は親代わりになる人を探し、求めていた。

 その代替行為を悪い事だと思わない。

 誰かに縋り付かなければ、この世界は余りに痛く苦しいものだと、身を以て知ったから。

 

「お、おとうさん。わたしのおとうさんになってくれませんか?」

 

「あー、初めての告白がそれかぁ……あ、いや、アンリとは互いに告白したか。

 危ない、黒歴史に刻まれるところだった。

 とりあえず、照明付けるよ? 目を閉じてた方がいい、明るさに慣れてないと痛める」

 

 慌てて少女が目を瞑ると、それが分かったのか出入り口にある照明スイッチに手を掛けた。

 軽い音を立て、瞼の上から刺激が訪れる。

 恐る恐る目を開ければ、世界が白に染まっていた。

 

「さて、まずは自己紹介から始めようか」

 

 その中に立つ、長身痩躯の男性。

 彼女はおとうさんと呼んだ人を見て「動物園で見たライオンさんだ」と思った。

 

「俺はメルティエ・イクス。君の父親じゃないんだ、すまない。

 君の名前は何て言うのかな。教えてくれるかい?」

 

 備え付けの椅子に座りながら、メルティエは尋ねた。

 

「ロザミア。ロザミア・バタム、です。

 あっ、おとうさんの子になるんだったら、ロザミア・イクスって言うべきですか?」

 

「挨拶から養子縁組の話か、随分と積極的なお嬢さんだ。

 ……生きる事に必死で、相手のことを考えろってのも酷な話か。こいつは分が悪いな。

 泣かれても困るし、どうしたもんかね」

 

 じっと見るロザミアの頭に、自然と手を置いた。

 彼女はそれを受け入れ、気に入ったのかもっと撫でろと頭を突き出してくる。

 

 蒼い少女は人の温かさに飢えていた。

 メルティエが「困ったな」と零しながら手を離さないで居てくれた事が、純粋に嬉しかった。

 

 悩む声を出しつつ「安心して怪我を治せ、守ってやるから」と掌から伝わる”声”に、ロザミアはまた泣きながら撫でられ続けた。

 

 それは親切な人を利用する呵責だったのか。

 

 失った隙間を塞ぐ事が出来た喜びからなのか。

 

 まだ小さな少女は、よく分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




閲覧ありがとうございます。
上代です。ご機嫌如何。


嬉しい評価もらえたんで、つい六時間ほどで書き上げちゃったんだ。
修正は必要だと思いつつ、投稿しちゃう作者を許してください。

あ、改稿はいつも行っているから然程変わらないか。ハハッ!

今週はこれで少し休もう。連日投稿みたいなものだし……クフフ。
MH4Gとか、あるんですよ。ええ。

それに、別作品の次話も作らんといかんしの。
来週までしばしの別れですお。

決して別作品に逃亡したわけじゃない。イイネ?


次回もよろしくお願いしますノシ

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