ガンダム戦記 side:Zeon   作:上代

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第二十八話:獅子の器と森の少女

 

 

 此処は地球の中東アジア地区、勢力で言えばジオン公国軍勢力圏内。

 ジオン軍に所属、階級は曹長のリオ・スタンウェイは駐留するベースキャンプを散策していた。

 普段は静かに読書をして過ごすのだが、兄と慕うハンス・ロックフィールド曰く。

「そんなんじゃ頭でっかちになるぞ、外でろ、外」

 彼は机に向かって本を開く少年を見るなり、こう告げたのだ。

 まぁ、言わんとしている事は理解できた。

 けれども、酷い言い草だと思う。

 もう少し、言い方というものを覚えて欲しい。

 しかし、部屋に籠りっきりは確かに身体には悪い。

 適度に筋肉を解すのも悪くはない、と改めて少年は眩い日の光の下へその姿を晒していた。

 寝泊まりしている陸上艦艇、ギャロップが牽引するカーゴから出れば、目の前には建造物。

 それは兵舎。

 元々ここは連邦軍の防衛拠点で、リオの部隊は前線基地に利用している。

 恐らくは攻撃による被害だろう。兵舎の壁には亀裂が走り、衝撃で全ての窓が割れていた。

 余程堅牢に作ったのか、中は意外とダメージが無い。電気配線やら水回りにも異常が無い。

 外観を気にしなければ仮住まいの住居としては良い部類。

 しかし、元連邦軍のものであった兵舎を利用するのは危険だ、と部隊主要陣が判断。

 その後ろに陸上艦艇を付け、遮蔽物扱いに留まっている。

 巡回する警備兵や、通り過ぎる人と小さい声で挨拶しながら歩く。

 朝方の新鮮な空気、コロニーでは感じ取れなかった”美味しい”という感覚をリオは好んだ。

「んんっ、はぁっ」

 大きく伸びをして、胸一杯に吸い込めば気分が晴れやかになる。

 地球に来て良かった、と思える数少ない出来事の一つ。

 鼻歌の一つでも口ずさみたくなるが、誰かに見つかれば顔を真っ赤にする自信がある。

 彼は惜しみながら取り止めた。

 朝露に濡れる草木、葉から垂れる雫すら美しい。

 豊かな感受性が、地球に来て開花される心地。

 最初は驚いたが、虫たちの鳴き声も今では余裕を持って聞いていられる。

 当初は何かの機械音、もしくはトラップの類かと騒然としたものだ。

 調べてみれば、手もしくは指より小さい昆虫という生物の鳴き声。

 多くの将兵が脱力感に襲われると同時に。地球の生態系、その多さに戦慄したものだ。

 リオは、ハンスと一緒に地に四肢を投げ出して悪態を吐いた、一人の青年を思い浮かべる。

 彼は「地球に降下してから、こんなんばっかだ! どうしてこうなったっ」等と嘆いていた。

 土に塗れようがどうとでもなれ、と言わんばかりに転がるメルティエ・イクス。

 今は灰色に染まりきったが、当時はまだ灰色のかかった黒髪だった。 

 ”蒼い獅子”の異名を取る、ジオン軍のエースパイロット。

 戦場に立つと凛とした勇姿で人を惹きつけ、一度離れれば子供のような様子も見せる。

 実務でも上官足ろうと威厳を纏い、時折思い出したかのように茶目っ気を出す。

 その二面性が人を引き寄せるのだろうか。

 分からないから、その人を知ろうとついて行くのだろうか。

 気づけば、宇宙から此処へ至るまで。彼の周りには随分と人が増えた。

 不思議な人、と自身が尊敬する上官を想う。

 リオが歩きながら物思いに耽っていると、何かが掠める様な感じがした。

 物理的なものではなく、意識的なもの。

「何だろう、空気がピリッとしている?」

 初めは錯覚かとも思ったが、しばらくしても続くこの感覚にリオは首を傾げた。

 感覚を頼りに視線を彷徨わせ、一角で止める。

 其処にはテーブルを囲む、三人の女性が居た。

 蜂蜜色の髪を背に流す、アンリエッタ・ジーベル。

 薄紫色をツインテールにした、エスメラルダ・カークス。

 ヘアバンドをした紺色の髪の、メイ・カーウィン。

「えっと、どうしよう」

 この組み合わせは普段はよく見る。

 しかし、その時は大抵一人分追加されて、である。

 今はその人物が居ない。

 何か、リオの足がその場所から遠ざかるように、いや実際遠のこうと後ろに足が下がった。

 様子を眺めようにも、巻き込まれそうで怖い。

 絵面だけ見れば、三人の魅力的な女性が会しているだけ。

 彼女たちの表情も、剣呑なものではない。

 だが、近づかない方が賢明、とリオは察知している。

 何というか、触れたくはない。

 ささっと、手短な建物の裏に潜む。意図的ではない、条件反射という奴だ。

「ボク、なんで隠れてるんだろ」

 正面から声を掛ければ、いやいや、何か怖い。

(様子だけ、見てみよう。問題なければ、挨拶だけして離れよう)

 彼は思案の末、この場から窺う事にした。

 幸いにも、ここにも彼女たちの話し声は十分に届いた。 

「―――だから、メルティエはちゃんと見てあげないとダメなんだと思うの」

 はて、メイは彼のことを隊長さん、と呼んでいた筈だが。

 何時の間にやら、呼び方を変えている。

「まぁ、メルは無茶をよくするからね。気持ちは判るよ」

 手元に紅茶を寄せ、苦笑するのはアンリエッタ。

「その件には同意。彼は出来る事は無理をしてでも完遂させる節がある」

 こくり、と頷くエスメラルダ。彼女の動きに合わせて二つに括った髪が揺れる。

「しかし、メイ・カーウィンが彼を擁護する理由としては弱い」

「えっ、なんで」

「あのね、メイちゃん。メルが出撃した後、ハッチ閉じるの忘れて見送ってたでしょ?」

「えっ、えっ!? あれは、そのぉ」

 慌てる声。少女特有の高い声音が、澄んだ空気に良く響いた。

 蒼いモビルスーツが出撃した後、リオはダグラス・ローデン、サイ・ツヴェルクの二人と通路で擦れ違った事を思い出した。

 ある一点を見つめて豪快に笑うダグラスと、頭を抱えるサイの対比は忘れられない。

「わしが預かる娘にまで粉掛けおったか。まぁ、責任を取るのなら構わんがな!」

「大佐殿。私は中佐が女性関係で振り回される未来まで、予測つきましたよ」

「なぁに、こういう手合いはな。外から眺めるから楽しいのよ。君もいずれ分かるさ」

「いやいや、止めましょうよ。御令嬢でしょう?」

「何を言う。既に名家の娘との噂が何度上がってると思っているのだ」

「…そうでしたね、今更ですか」

 以上の会話を移動しながら彼らが見守る少女の姿。

 そして、今話題にしている内容でリオは、なるほど、と合点が付いた。

「うん。メイちゃんがまるで、恋人を見送る乙女のようだ、って」

「船旅に出る船員、それを港で待つ女。ここまで想像が膨らんだ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! わたしはそういうんじゃ」

「不眠不休で機体組み上げた理由を聞いても?」

「あれは、その、迷惑かけたお詫びというか、ごめんなさいの気持ちでぇ」

「それはロイド大尉も問題あったし、技術班のみんなもそうだよね」

「あの運用試験、ゴーサインを出した輩は今でも私刑を辞さない(ギルティ)

 その場から離れ、視界に入らないリオの背筋に、ゾワッと()()ものがあった。

「ひ、ひぃ!?」

「エダ、エダ。メイちゃん怖がってるっ。赤かった顔が一瞬で青くなってるから!」

「む。少し高ぶり過ぎた。反省」

 ”外見で騙されてはいけない人物”、とメルティエがリオに教えた女性。

 外見美少女、中身は虎、半眼状態が怒りのサイン、目を合わせるな、すぐ逃げろ。

 聞いた時は大袈裟だなぁ、と話半分で受け取っていた。

 しかしなるほど、これは怖い。

 目の前に居たら、逃げたくもなる。

 とはいえ、メルティエはあの状態の彼女を、度々宥めてはいなかっただろうか。

「うーん。じゃあ、あの頑張りはさ。メルに謝りたかった気持ちを表現したものって事?」

「そ、その通りだよ! 機体を回収した時には気絶してたし、怪我もさせちゃったし」

「謝罪の意味も兼ねて。一人で再設計、組み上げた。そういう事?」

「…うん。わたしに出来る事って、それくらいだし」

「いやいや、すごい事だよ。やり過ぎな意味で」

「ふぇ!?」 

「愛が重くて正直引くレベル」

「ふぁっ!? それに愛とか言うのやめてよっ」

 愛は重いもの。

 リオは、なるほどなーと頷いた。

「全面否定。つまり、謝罪だけで思慕の情は無い、と」

「…え、とぉ。は、はい?」

「ダウトォォオオオッ!」

「ひゃあ!?」

 何か、バンッと机を叩く音と「貴様、嘘をついているな!?」と言わんばかりの思惟を感じた。

「ねぇ、メイちゃん。素直になろうよ。嘘は良くないかな。かなぁ?」

「こ、こっちもなんか怖くなってきたぁっ!」

「アンリ、アンリ。髪と逆光で危険な感じ。主に斬りかかってきそうな印象」

「―――おっと、いけない。スイッチが入っちゃうところだったよ」

「もうやだぁ、メルティエ助けてー!」

「被告人が逃亡。速やかに確保、再審する」

「ふふっ、”被害者の会”仲間入りにサインしてもらうよ、メイちゃん!」

 ダダッと走り去っていく足音。

 どうやら、嵐は去ったらしい。

 リオは知らず、息を吐いた。

「―――加えて重要参考人、及び容疑者の確保」

「え?」

 言葉が流れた方向。

 其処には、

「キャリフォルニア・ベースの一件。怪しいと見る」

「なるほど。男の娘、そういう()()もあるんだね」

 エスメラルダと、彼女の脇に抱えられてぐったりとしているメイ。

 にこにこ微笑んでいるのに、落ち着かなくなる雰囲気を内包したアンリエッタ。

 そうだ。目前の彼女こそ、メルティエが何かと頭が上がらない存在。

 公私共に居る事が多く、あれは絶対デキてると噂される女性。

 どっちが先に、と論じられれば四対六で捕食されたと言うだろう。

 ナニをかは、事実無根であるためコメントを控えさせて頂く。

「ま、待ってください。ボクは何も」

「大丈夫大丈夫。話を聞くだけ、だから」

 がしっ、と掴まれた肩。

 振り払う事は可能であろう、彼女の細腕。

 しかし、振り払ったが最後。何処までも追い込んできそうな、意志力を感じさせる双眸。

 その圧力に負け、リオは白旗を挙げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東南アジアの緑豊かな土地、その名も無い集落。

 バレスト・ロジータ族長に請われて、ジオン公国軍のメルティエ・イクス中佐は此処へ巡回士の真似事をしている。無論、モビルスーツにも搭乗していた。

 再設計された愛機のYMS-07M、グフ専用機の調子を見るにはある意味、適した場所でもある。

 これも試験運用の一環と割り切れば、さして苦労は覚えないし、密林地帯へと進むと流石に中々の難易度だが、其処はエースパイロットの腕の見せ所でもあった。

 集落へのルートは獣道、それだけである。

 平地の部分を探しては、ゆっくりとグフの足を置く。踏み締め、強度を計ってから重心を移動。

 この繰り返しである。グフの歩幅といえど、単純な距離では到着時間を測れない。

 そして、その道へと通行することを阻むように入り組んだ土地の守りに、毎回手古摺らされる。

「これは、新兵にやらせたら、大惨事、確定だよ、なぁ」

 コクピット内で操縦桿を握るメルティエのこの発言、実は通る度に漏らしている。

 生い茂る植物、魚介類は集落の民にとっての食料だ。

 下手にモビルスーツの足を踏み入れ草木をへし折る、川の魚の住処を荒らせば、其処で日々をまかなってた人は困るし、幾度も顔を合わせては、郷土料理と言うのだろうか、それを振舞われた事があるのでメルティエの神経はたかが移動といえど、鋭敏だ。

 集落の民、彼らは宇宙移民者(スペースノイド)の青年からしてみれば不便な生活を日々送っている。

 それでも彼らは離れないし、その不便や苦労も一緒くたにして謳歌しているように思える。

 郷土愛、というものだろうか。今だに虫や熱気、湿気に馴染めないメルティエには理解できてはいない。

 元は同じ地球の、人類である筈なのに。

 生まれの違い、文化の違いはやはり、越えられない壁のようなものなのか。

「―――うおっ!?」

 ぐん、と引っ張られる感じに、彼はすぐさま反応した。

 右手の操縦桿を静かに戻し、サイドボードにあるパネルを操作。

 何パターンもある機体制御の内、最も状況に適合したものをOS(オペレーティングシステム)が読み取り、メイン、サブCOM(コンピュータ)が自動的に機体制御を行う。

 モノアイで下部を確認すると、成程。随分水気のある土が映っている。

 つまり、グフの右足が滑ったのだ。重心を左足に戻して、右足の位置を直す。

「随分と柔い地面なんだな。前来たときと比べても、やっぱり、程度が違う」

 メインコンソールを叩き、前日の地形情報を表示。

 その日はまだ、グフが上に来ても崩れたりはしていない。

「あ、そうか。雨だ。夜に雨が降っていたんだ」

 夜間帯に降雨した為、他の土とは違う質のものが柔らかく、粘り気のあるものに変化した。

 まだ確認の抜けがちな、天気情報。

 これも地球にやって来てから、知り得たもの。

 地球降下前に、事前に教習で風土を学んだものだが、やはり体験しないと分からないものだ。

 メルティエの物覚えが悪い、その可能性も否定はできない。

 アンリエッタやエスメラルダ、リオは完全に覚えていたのが証拠である。

 意外にも、ハンスはこれに熱心だった。

 何でも風速や気温の質で狙った所が外れたり、失速が掛かり射程距離に制限がかかるらしい。

 狙撃手からみて無視できない事だ、と自称学がない男は言っていた。

「位置関係からして、もう少しだな」

 何時の間にやら汗が額から流れ、顎に伝わっている。

 やはり、何度来ても疲れるものは疲れるのだ。

「さて、昼頃までには辿り着けるかな」

 汗を拭い、操縦桿を再び握ると、一人だけの行軍を開始した。

 それから悪戦苦闘すること、一時間。

 出発が午前七時だったが、辿り着いたのは午後一時。

 六時間掛けての移動である。

 哨戒任務も兼ねているので、巡回ルートにはレーザー通信設備と感知式センサーをポイント毎に分けて設置している。

 その確認作業も任務内容に入っている、密林の中での降機は面倒の上に害虫の危険もあったが、そこはノーマルスーツで対応した。おかげで、彼の体は蒸れている。

「シャワーでいい。いや、むしろ水風呂がいいかもしれん」

 ズゥン、と集落に立ち寄る前にグフを停止。

 膝を着かせ、降機の姿勢を取らせた。泥が跳ねて装甲板に付着したが、メイには許してもらおうと茹だった頭で考える。

 彼の頭には、目の前で太陽光を水面で反射させる水場しかない。

「よ、っとぉ」

 コクピットから出る前に音声とパスワードの二重認証ロックを掛けた。

 最低限のパイロット心得、という奴だ。

 メルティエはハッチに足を掛けて、手前に置いたグフの左手を足場に膝頭へ移り、地面に着地。

 ノーマルスーツを脱ぎ捨て、下着だけ身に付けたまま、水場に頭からダイブした。

「―――?」

 水面に叩きつけられた体中に衝撃が走るが、モビルスーツの高速機動に比べたらかわいいものだ。

 むしろ、心地良いくらいに感じる。

 そのまま、動く事を放棄して水の中をぷかり、ぷかりと漂う。

 宇宙(そら)の、懐かしい浮遊感に似た感覚が懐かしく思える。

 無重力感。

 瞼を閉じれば養父ランバ・ラル、養母クラウレ・ハモンの姿が思い出され、親しんだ人がそれに続いた。

(―――帰りてぇ、帰りてぇよ。みんな)

 無意識に脳裏を過ぎた心の声に、はっとする。

 これが、郷愁、という奴なのか。

 それともホームシックという類なのか。

 疲労が蓄積した精神状態に、故郷の品物や思い出の品が目に付くと襲われると聞いた事がある。

 だから、ラルたちから送られたコート、懐かしいと連想させるものは故郷のサイド3の酒場、「エデン」に置いてきた。

 唯一持ってきたのは、ラルから餞別に送られたリボルバー式の拳銃、それだけ。

 それも普段は気にしないように、ノーマルスーツのポーチに納めたままにしている。

 まさか、水の中の浮遊感で、こうまで()()()()()()とは思わなかった。

(もう少しだけ、もう少しだけだ。そうしたら、元に戻ろう)

 幸いにも、肺活量には自信がある。

 だから、今少しだけ。

 故郷の感覚に、陥れさせてはくれないか。

(俺は、ここまで弱かったのか)

 軟弱な男になったものだ、と自嘲する。

 部下を率いる中佐殿が、まったくの形無し。

 愛想尽かされる前に、何時もの自分に戻らなくては。

 しかし、戻るとは。

 まるで演じているようではないか。

 自分は自分だ。何者にも模倣はしていない。

 いや、本当にそうだろうか。

 疲れている思考は、後ろ向き的な考え方で一杯だ。

 他のことに意識を向けよう。

 ああ、そう言えば。

「―――っ!」

 水場に突入する前に、何か声がしなかっただろうか。

「――ティエっ!」

 そう、こんな感じの。

「メルティエってば!」

 キキ・ロジータ()()()()の声。

(―――いや、これ本人だろっ)

 如何、意外と長い事水中に居たらしい。

 気づくと息苦しい、どっどっどっと脈打ちの音すら聞こえてくるようだ。

「ぷはぁっ!」

 ざばぁ、と水音と共に出る。

 浮遊感は消失し、水が下に戻ろうよと引っ張っていく感覚だけが残る。

 それはまるで、過去に浸って朽ちていけと、囁かれているようで不快に思えた。

 幸い、足は着く。

 目は反射する光と、濡れた視界でよく映らない。

 とりあえず、寄り掛かれるものが目の前にあるらしい。

「はぁ、潜水してたのか、俺」

「―――っ!?」

 今、何か、胸の辺りから声が上がらなかったか。

(それに、妙に柔らかいな、これ)

 寄り掛かった状態で、そのものに手を這わせた。

「ひゃあ!?」

 瞬きの後、ようやっと視界が回復する。

 自分の目の前には橙色の髪。

 視線を下に向ければ、大きく開いた、しかし濡れた円らな瞳。小さな鼻、震える唇。

 陽の光を浴びた肢体は張りがあり、主張するところはしっかりと出ている。

 細身ながら抱き心地がいいのは、密林で鍛えた身体だからだろうか。

 そして、自分が置いた手の先。

「おぅ。神よ、助け給え(ジーザス)

 少女の臀部、その小さなお尻を覆うように添えられていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、本当に申し訳ない」

「………」

 グフのコクピットに上がり、モビルスーツを起動させた後。

 衣類を身に付けたキキをパイロットシートの裏に乗せ、集落へと機体を向ける。

 あの後、彼女が悲鳴を上げて腕を振り上げた。

 そのまま頬を叩かれる筈が、養父仕込みの反射神経がそれを受け止めてしまったのだ。

 少女にしては中々の威力。しかしエスメラルダには到底及ばないと分析までした。

 ただし、足元は疎かになった模様。

 勢いを付けて張った少女と、その力を受け止めた青年は水面に水しぶきを上げて落ちた。

 暴れるキキを抱き留めたまま水場から上がり、整備兵長から教わった”土下座”なるものを敢行。

 屈辱的なポーズだが、激昂した相手を鎮めたり、謝意を示す(わざ)と信じての行為。

 果たして、その意味は伝わったのか。

 数回頭部を足踏みにするだけで、彼女は慌てて衣類を取り走った。

 足踏みはさほど痛くなく、それが終えてから許してもらえただろうか、と一瞬だけ彼女の後ろ姿を視界に収めたメルティエである。

 なお、網膜に焼き付けたかどうかは、秘匿とする。

「すまなかった。この詫びはいずれさせてもらう。だから機嫌を直してはくれないか」

「………」

 ノーマルスーツは後部パックに収め、蒼い軍服に着替えたメルティエは肩越しにキキの様子を窺う。

「…詫びって、何でもしてくれるわけ?」

 まだ頬に赤みが残る、可愛らしい彼女は唇を尖らせながら、そう言った。

「出来る範囲でならな。さすがに無理なものは取り下げてくれ」

 ズゥン、ズゥンとグフを移動させながら、何とか彼女の機嫌を直せそうだと息を吐いた。

「そっかぁ…ふふ、出来る範囲なら良いんだね」

「ああ。その前に要相談、と入るがね」

「えーっ、そういうの、ズルくない?」

「言わないとえらい目に遭うんだよ…体験談だ、間違いない」

「え? 何それ。気になるよっ」 

「世の中にはな、黙秘権って便利なものがあるんだよ、お嬢さん」

「もくひけん? なぁに、それ」

「なん、だと…」

 頭の上に「?」を幻視させるキキに、軽くカルチャーショックを受けるメルティエ。

「まぁ、いいか。昔の女なんでしょ、そういうのって」

「さてはて。小生には解りかねる」

「ワケ分からないこと言って、誤、魔、化、す、なぁっ!」

「おいィ!? モビルスーツの操縦中に揺さぶるな、こらっ」

 パイロットシートを揺さぶり、不満を現わにするキキ。

「まぁーたく、そういうじゃれ合うのは子供たちとやればいいのに、あの子ら嬉しがるぞ」

 青年が息を吐きながら言ってやると、ピタリと少女は動きを停めた。

「…じゃあ、あたしは誰に構ってもらえばいいのさ」

 呟きは正しく耳には届かなかった。

 が、メルティエは何か、後ろから淀のようなものが肩に這う感じに驚いた。

(何だ、この感覚は。暗い、冷たい、寂しい―――触れたい?)

 それは水場で懐かしい人々を思い出し、彼らと会いたい、話したい、触れ合いたいと願った感情に似ていた。メルティエはあの時の感情が漏れていたのか、とすら不安を抱いたが、呼吸を置いてこの淀のようなものを身に引き入れた。

(何かを求めているのか、この胸を締め付ける感覚は。何を、如何にして俺に求めている?)

 捉えられない。不可解な現象を理解する事は無理なのか。

 朧ろ気に知覚できたものは、この淀のようなものは何かを満たされたがっているという事。

「…わかった」

「…何がさ」

 不貞腐れたような声。実際、表情もそれに似たものになっているのだろう。

 感情豊かなこの女の子の事だ。そうに違いない。

「何でもいいさ。話をしたい時には声掛けろ、したい事が出来たら頼みに来い」

「…メルティエ?」

 シート越しに見つめてやれば、ぱちくりと瞬きをする少女の顔。

「俺に直通できる秘匿コードを教える。集落に居なくても、話せるようにな」

「え、いいの?」

 いいや、大いに不味い。

 中佐クラスの秘匿コード。軍機ものである。

 手軽な電話代わりに使えるようなものではないし、使ったら問題だろう。

 ただし、誰にも盗聴されない。

 そして軍の記録にも残らない。

 本当は、これも違反だ。

 しかし、ダグラス・ローデン大佐は問題発生時の連絡網として、これを容認していた。

 まさか、少女との会話のために使われる日が来ようとは、ダグラスも思いもしなかっただろう。

「水場の近くに、俺が設置したレーザー通信設備があるだろう」

「うん、あの大きな機械?」

「そうだ。あの中には通信機が入っている。本来は緊急時のものだが、電力供給可なら問題ない」

「んーと、使っても良いってこと?」

「ああ、ただ、頻繁に使うと怒られるから。ほどほどにな」

「…っはぁ」

 息を吐く音と、彼女の匂いがメルティエに向けられる。

「ありがと、メルティエ!」

「どわあっ、だから、操縦中はやめろというに!」

 タックルしたのではないか、と思うような衝撃と。

 肩の上から、そして胸の前で組まれた少女の細い手。

 その左肩に、少女の顎が乗り、笑っているのか、小さな振動が伝わった。

「ごめんごめん、あははっ」

 彼女の思わず笑みを浮かべそうな明るい声を聞いて、ふと気付いた。

 後ろから伝わる淀は消えたが、それとは違うものが、メルティエに感じ取れる。

 それは決して悪いものではなく。

 むしろ、見えない疲労を払拭する風のように、男を包むものだった。

 

 

 

 

 

 




閲覧ありがとうございます。

今回考えたものが、
地球という新しい環境に身を置き、変質する男と年頃の少女の描写。
人間関係を匍匐前進でも進めないと読者さんヤキモキするかも、というもの。

クスリ、と思えるものが幾つかあったら、作者は嬉しい限り。
キキさんを心配していられる方は、今度は違う心配をするかもしれません(;´Д`A

しかし、きっと「こういう作風なら致し方ない」と涙を飲んで堪えてくれる筈。
だがおかしい、BGMにガンダム戦記 Lost War Chroniclesを聞きながら執筆したんだ。

どうしてこうなったんだ(震え声)

あ、あと一つお報せが。
第三十話に突入したら、アンケート取りますお。
小話、つまり本作品の外伝のみたいなものを。
ひとつは以前から要望あったものを考えてますので、あと一つ、二つかしら。

時期が来たらまた連絡しますので。
その時はよろしくお願いします<(_ _)>

では、次話をお待ちくだされ!

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