ぶらっく・ぶれっとif -転生した少年とIQ210の少女- 作:篠崎峡
当初予定をひと月ほど繰り上げて執筆再開でございます。
(もうストーリー忘れてるよね・・・スミマセヌ)
千寿夏世は、慣れつつある如月響太郎との生活に、ある種の不安を覚えていた。
それは、おそらく今構築できているであろう、彼との信頼関係が崩れるかもしれない。という漠然としたモノだ。
自分は『赤目』――イニシエーターであり、ある意味でヒトとは一線を画している。だが、その事実そのものは大した問題ではない。彼がそれを了解した上で自分と生活していることは、夏世自身が最もよくわかっている。
「私は……」
両手に抱えた食器に視線を落として呟く。陶器の擦れ合う音が、孤独な生活で無いことを強く主張する。だが、ありふれた生活感の中へ埋と没した彼女の言葉からは、苦悩の色がはっきりと見て取れた。
「……響太郎に、嫌われてしまうでしょうか」
私のような年齢で、他人の顔色を伺うというのは不相応なことかもしれない。ガストレアが現れる前の子ども達だったら、こんな風に育つ子はきっと少なかったのだろう。それでも、そんな『当たり前』は崩れ去った。人類の大敵であるガストレア、そしてそのウイルスを保菌した存在である私たちも――同様に忌避されて然るべきだ。IISOで詳しく学ぶまでは想像の域を出ない事柄が多かったけれど、感覚的に察するには余りあった。
『奪われた世代』が『呪われた子供たち』に向ける恐怖と憎悪の眼差しから、どれだけ鈍くあろうとしたところで、僅かなりとも傷ついてしまう。その傷ついた心を昇華させるか抑圧するかは自由だが、夏世は後者を選んだ生きてきた。
響太郎と出会うまでは。
一度気を許せる相手ができると、そこに自身の居場所ができる。居場所ができれば、当然そこを守りたいと思う。では守るには何をする必要があるだろうか。
簡単な話だ。居場所が壊れる『危険要素』を排除すれば良い。
そこまでわかっていながらも、夏世は己の取るべき行動を決めかねていた。今のままで、伝えたくないことはそのままで、きっとそれでも大丈夫だ、と囁く自分の心に、明確な反論ができない。
しかし、今日までズルズルと引き伸ばしてきたが、そうも言っていられなくなるであろう事もまた、事実だった。彼女が、響太郎と共にガストレアと『戦う』道を選択した以上、隠し通すことは恐らく不可能だ。
「こんなに言いづらくなるなんて思ってなかったのに……響太郎のばか。すぐ人のもの食べるし」
堂々巡りとも言える思考にその身を悩ませながらも、手際よく皿洗いを終え次の家事へ移る。掃除機をかけるために部屋の整理を始めた夏世は、そこで響太郎が置き忘れていったものに気がついた。閑散としたアパートの一室にて夏世が響太郎の身を案じるのと、自転車置き場の方角からガシャンと言う金属の悲鳴が夏世の耳に飛び込んだのは同時だった。
――不味い。
推測される状況はいくつかあるが、こういう場合は最悪に備えて行動しなければならない。
自分用の
玄関と自転車置き場とは、対極にあるベランダから階下へ躍り出る。部屋のある二階から飛び降りる程度、イニシエーターにとってはその場でスキップする事と大差がない。
音を殺しながら辺りを探る。夏世へと向く気配は感じられなかった。警報が出なかったことから、恐らくガストレアの出現ではない。……益々、最悪の事態である可能性が高まってきた。
周囲を警戒しながらアパートの前面、自転車置き場の側へと進む。進みながら三人の男の声と、一人の少女の声を確認。少女の方はその幼い声と内容から、イニシエーターだと結論づけた。そして男の内一人は、響太郎だ。その声色から、彼が劣勢であることは容易に理解できる。
アパートの角、その影に身を隠して飛び出す機会を伺う。少女にパパと言われた男が返事をし、その二言目。そいつの本音が出た瞬間に、場の緊張が急激な上昇を見せる。
今だ。
角を利用し、滑るように身を晒す。状況を確認。うずくまっている響太郎と、その眼前で拳銃を人差し指で弄んでいる茶髪の男。出で立ちこそ飄々としているが、それは自身の実力を信じていることの象徴に思われた。そしてその奥に、少し離れて男と少女を見つける。燕尾服にシルクハット、マスケラを付けた男の方は一目見て異常者と断定。その横に付き従う少女は黒いドレスを纏い、腰に二本の小太刀を携えている。外見と装備から、戦闘に特化したイニシエーターだと瞬時に判断した。
最優先事項は――
その答えはわざわざ、脳内で反芻するまでもない。まず響太郎を殴り倒したであろう茶髪を、彼から引き離すことだ。手にしているH&K USPコンパクト・タクティカルの照準を、茶髪の左足と上腹部へ連射。撃ち終わるのと時を同じくして、響太郎が声を絞り出す。
「撃つな夏世ッ! そいつは――」
響太郎が言い終わる前に、事態が言葉よりも的確な説明役を果たした。夏世の撃った四○口径の弾丸は、茶髪に命中する数センチ手前で停止した。夏世は自分の目を疑ったが、やはり弾は文字通り『停止』していた。
「……え?」
認識から一秒遅れて声が出た。
「へー。これがキミのイニシエーターですか?」
自身へ届こうと、懸命に見えない壁へと突き進む弾を興味深そうに天満は眺める。クソッ、不意討ちじゃないと厳しいかもしれねぇ、とは思ったがこうもあっさり銃弾を止められると、やる気を無くすってんだチクショウ。
間抜けな声を上げた夏世へ、上半身だけで振り向いた天満は、すぐさま興味を無くしたとでも言わんばかりに響太郎に向き直った。
「だったら……何だってんだよ」
腹の底から声を捻り出す。残念ながら主目的は威嚇ではなく、声を出すこと自体なのだが。
まだ声を出すことも苦痛だが、そんな身体の願望に応えている暇はない。武器を持っているのは今、夏世しかいないんだ。ここで俺がこのクソ野郎を惹きつけないと……。
「いやぁ。キミ、あんな大事なコト、あの子に黙ってていいワケ? あ、そもそも"コッチ"の奴らは信用ならない?」
例えるなら――いや、正しい表現だろう。これが、『オモチャ扱い』という奴なのか。一撃で彼我の差が歴然たるものだと見せつけられるのは、不愉快極まりない。だが、それ以前にコイツの言っているコトが理解できない。俺が大事なコトを黙っている? 夏世に? そんなコトをして何の得があるってんだ。
いや……一つだけ、言っていないことならあるか……。でもこれは、取り立てて隠し事だと言えるほど大げさなものじゃない。俺ですら未だに信じきれちゃいないんだ。第一
その上、"コッチ"の奴らは信用ならない、だと? 夏世は勿論だが……蓮太郎や紫垣さんのコトだって、信用していないワケが無いだろう。そうだ。やはり、詭弁だ。
「ハハッ! 何を逡巡しているんだい? 響太郎くん? この世界の人間なら、即座に返答できるはずだけど」
相変わらず自動拳銃を人差し指で弄びながら、天満が嗤う。空をも破るような甲高い笑い声が、尚の事響太郎を苛立たせる。
「その笑い声、頭に来るので辞めてもらえますか」
響太郎が天満に毒を吐こうと息を吸い込んだ時、彼の言葉を代弁するようにして、よく知った少女の、爆発寸前まで怒気を含んだ声が耳に届く。
地を蹴る、軽快な音が聞こえた。あの馬鹿、飛び込んでくる気かよ?!
「んー。賢そうに見えたんですけどねぇ。思ったより直情型かな?」
銃声。ほぼ至近距離だ。相変わらずうずくまっている響太郎の視界に、夏世の足がはっきりと映り込む。天満は自分の眉間の前で漂う弾を眺めながら、夏世を小馬鹿にする。どこまでナメてやがんだッ。
「……素人が力を手にしても、ロクな結果を生みませんよ」
痛みも忘れて視線が上がった。あ、夏世さんめっちゃ怒ってる……これめっちゃ怒ってる……。先週夏世のプリン(一週間分、特売)を全部平らげて、マジギレされた時とは比べ物にならない……。冷静さで覆われた怒りマジ怖い。
「素人?」
やはり地雷だったか。いや、わざと踏んだようにも思えるが……。アイツ、あんな風に煽って勝算あんのかよ……?
天満の声質が変化したことに、響太郎は危機感を強める。その口調は『面白くない』とでも言いたげだ。これまでの言動からから垣間見える性格と、彼の持っている力を合わせれば、大した努力をせずとも大概の相手を叩きのめすことができたのだろう。
「まぁ良いや。小うるさいガキはご退場願おうか!」「響太郎、退いて」
「ク、ソッ」
天満と夏世の声が重なる。というか、俺は夏世の声がかかる前に動いていた気がする。今の夏世は何か違うが……相手も同じく、いやそれ以上に普通じゃない。或いはガストレアを相手にしていた方が、まだ頭を使わずに済んだのかもしれない。
響太郎が大きくアパート側へ身体を投げ出し、天満から距離を取る。それは、夏世と天満の間を塞ぐものが消えることを同時に意味していた。夏世の姿が目に入ったほんの一瞬、響太郎は彼女の目が赤くなっているのを認識する。
「素人に素人だとと言うのは、適切だと思うのですが。それとも何ですか? あなたの脳みそは茶髪の肥料にでもなったんですか」
「いちいちカンに触るなァ。退きなよ」
痛みを懸命に無視し、目の前の敵から距離を取ろうとする響太郎。その視界の隅で、夏世が目に見えないフィールドを相手に、対処しづらそうな打撃や蹴撃を繰り返している姿を捉えた。まだ詳しくわかっていない能力を相手に、よくあそこまで順応できるな、と響太郎は素直に感心してしまった。
「まず一つだけ言っておくことがあります」
「別にボクは聞きたくないんだけど」
「拳銃を人差し指で回すそのクセ。辞めた方が良いですよ、お里が知れます」
「五月蝿いなァ」
冷めた目の下に付いた、これまた薄い唇の隙間から流される言葉は、罵倒。天満はその声色から、ハッキリと苛立ちを主張する。どうやら、夏世の作戦は有効なようだ。天満のカウンターが徐々に大振りになってきている。このままなら押し切れ――
「パパー、なんかつまんないー。あのちっちゃい奴、もう斬っていいでしょ?」
「ふむ……そうだな。"彼"のイニシエーターだと言うからもしや、とも思ったが。思い過ごしだったかもしれないな……」
しまった。天満とは比べ物にならないくらいトチ狂った奴がまだ残ってやがったじゃねえか! 天満一人相手に、なんとか勝てるか否か、という状況で更に敵が増えたら……そもそも戦闘向けのモデルじゃない夏世には分が悪いッ。
「いい加減、鬱陶しいなぁ――消し去れッ、『クリスタル・ナハト』ッ」
天満が言い切る寸前、危機を感じたのか夏世が左へ飛び退る。直後、一瞬前まで夏世の立っていた地に、不可視の杭が大量に刺さった。この野郎……容赦なくミンチにする気だったってのかッ。
「……響太郎っ」
「お前、凄いな」
響太郎の元へ上手く飛び退った夏世に、うっかり賞賛を送ってしまう。言ってから、夏世の口調が自分を『心配しているものではない』ことに気がついた。彼女の表情は、先ほど天満を罵倒していたそれとは異なり、告白前の乙女のような逡巡を露わにしている。
「響太郎」
「なんだ」
「ん、と……」
何を渋ってるんだ、珍しく……。
二刀を携えたイニシエーターはマスケラの言葉で動くようだが、肝心のマスケラが何を考えているのかわからない。いつ動き出すか全くわからないこの相手は、全くもって不可解であり、不愉快だ。一方の天満は、もはや苛立ちを隠すことさえ辞めていた。目つきから小馬鹿にした態度が失せ、響太郎たち二人を捻り潰さないと気が済まない、と言うほどに殺気立っている。ついでに歯ぎしりもしている。
「ごめんなさい……響太郎」
「なんでお前が謝るんだよ」
状況への焦燥感から、刺々しい口調になってしまう。言ってから夏世の表情を見て、響太郎は少し悔やんだ。
この絶体絶命とも言えるピンチより大切なコトが、何かあるのか……?
その意味深長な表情が、響太郎に天満の言葉をフラッシュバックさせる。
『いやぁ。キミ、あんな大事なコト、あの子に黙ってていいワケ? あ、そもそも"コッチ"の奴らは信用ならない?』
クソ食らえ。クルクル回した拳銃をうっかり引っ掛けて、自分の眉間に排水口でも作ってやがれ。
俺は――
「あの」
「……ぁ? あ、あぁどうした?」
とっくに解りきった、どうでもいい思考に意識を奪われるとは情けないぞ俺!
「私……」
「気にすんな」
「え?」
夏世が呆けた顔で見上げる。この顔二度目だな、今日。なんか、今日は夏世さん表情豊富だな……。ひょっとして俺命日なんじゃないの。やめてよね。
「何があってもお前を嫌ってやったりなんてしねぇから。心配すんな」
「……っ」
夏世が突然下を向く。いや、日常生活でしてくれるなら豊富な表情ありがとう! でカタが着くんだが……。今は状況が状況だと思いますよ夏世さん。……まずい、ついに天満の野郎がブツブツと呟きだしたぞ。
「わかりました」
軽く深呼吸をして、一拍。夏世が再度口を開く。
「私、この後――『戻れなく』なるかもしれません」
「……は?」
今度は響太郎が呆ける番だった。
「その時は……私を撃ち倒してでも、戻してくれますか?」
……。
なんだこの展開は。
いかがでしたでしょうか・・・ロリ&飯成分8割で構成されてきた前回までと大きく異なる、シリアス。
自転車置き場の戦闘というシュールな光景、早く終えたいですね(遠い目