ぶらっく・ぶれっとif -転生した少年とIQ210の少女-   作:篠崎峡

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投稿遅くなりました!
今回は蓮太郎たちと出会うだけの話のはずが……ものすごく長くなってしまいました……


第4話 天童民間警備会社

 翌日。通学や通勤する人もまばらになってくる程にまで太陽が上る頃、響太郎と夏世は『ハッピービルディング』と書かれた雑居ビルの前に来ていた。

「おい夏世……ここ、本当にあってんだよな」

「私を疑うんですか」

 スマートフォンで地図を見ていた夏世がむっとした顔になる。だがそれは仕方のない事でもあった。このビルはあまりにもボロい。その上三階以外のテナント名が臭い。さらに、あろうことか先ほどこのビルを二人が見回していた時、それを見た通行人はどこか避けるようにして足早に去っていったのだ。

「オイ、あのオッサン……俺たちを騙しやがったんじゃねぇだろうな」

「……いえ……まだ実際に部屋を確かめてもいませんから嘘とは……」

 響太郎が眉間にしわを寄せて苦い表情をする。民警になって早々わけのわからないオッサンに騙されるのは勘弁だ――と思ったその時、響太郎は低く唸る車の排気音に気がついた。

「響太郎」

 夏世が一言つぶやき、響太郎の着ている制服の裾をちょいちょいと引っ張る。自分らに近づいてくる車はなんとリムジンであり、それは二人が訝しげに見つめているハッピービルディング沿いの路肩に駐車した。後部座席のドアが自動で開き、スーツ姿に明るい雰囲気をまとった男が出てくる。――紛れも無い、あれは紫垣仙一だ。

「やあやあ! 君たち早かったね! ……あぁ、まあここが本当に民警の事務所なのかって怪しむのはわからんでもない。とりあえず案内するよ」

 そう言って紫垣がさっさとハッピービルディングの階段を上がる。三階のインターホンを鳴らすと間もなく澄んだ声の女性が応対し、彼は中へ入っていく。響太郎と夏世もその後ろに続いた。

 中に入ると、外観同様古びた内装の事務所が視界に映り込む。そして、響太郎はその最奥部に座っている黒髪の女性を見つけた。

「木更、彼らが新しい社員の響太郎君と夏世ちゃんだ」

 唐突に紹介され一瞬響太郎は焦ったが、隣の夏世は「千寿夏世です」と丁寧にお辞儀をしている。その適応具合に面食らったが、夏世だけが挨拶して自分がしないと言うのもおかしな話なので、夏世同様会釈をしながら奥の女性に自己紹介をする。

「如月響太郎だ」

「私は天童木更。この天童民間警備会社の社長よ。……あら、あなた里見くんと同じ学校なのね」

 響太郎の姿を見ながら女性が呟く。はて、里見……?どこかで聞いたような……。響太郎の記憶のどこかに、その名前が引っかかった。

「おっと、そうだそうだ。蓮太郎たちはまだ来ていないのか?」

「まだ来てないんですよね……」

 天童木更がため息をつく。一方の響太郎は、その名前を聞いてさらに顔をしかめていた。思い出そうとしていることがあと少しで思い出せそうな時にする顔だ。

 響太郎が何かを思い出すまであと一歩、と言ったところで背後の扉が開け放たれ、真っ赤なツインテールを下げて快活さを全身にまとった少女と、響太郎と同じ制服を来た不幸そうな面を引っさげた男が入ってくる。

「木更さん悪ぃ、遅刻した」

「だーかーらー、妾はもっと早く起きろと言ったのだ!」

「しょうがねぇだろ、XDのメンテしなくちゃならなかったんだから」

「それで新しく増える仲間との挨拶に遅れてどうするのだ」

「……悪かったよ」

 振り返った響太郎と、男の目が合う。そこまでしてようやく響太郎の頭の中にかかっていた靄が晴れた。

「蓮太郎? お前里見蓮太郎か?」

 突然名前を呼ばれた男が眉をひそめる。数秒してひらめいたようにポンと手を打つ。

「響太郎か? 如月響太郎?」

「あぁ、如月響太郎だ! なんだお前、同じ高校だったのかよ」

 蓮太郎と呼ばれた男の表情が若干曇る。

「まあ……俺は行きたくねぇんだけどな。事情があって仕方なく行ってんだ」

 久方ぶりの対面、と言うのが適切であろう状況に、他四名は取り残されたようにポカンと呆気にとられていた。

「ん? 蓮太郎、響太郎君とは知り合いだったのか?」

 そう言う紫垣の口ぶりは、どこか親のような印象を抱かせる。

「ああ、小学四年の時にな」

「……紫垣さん、知らなかったんですか?」

 木更が立ち上がり、呆れたように言う。

「最初に紫垣さんから聞いた時は少し心配だったけど……里見くんと知り合いなら、まあ大丈夫そうね」

 良い評価なんだよな、それ。響太郎は内心でそうツッコミながら再度蓮太郎を見やる。

「そういえば……お前民警だったのかよ」

「事情があってな」

「そうか」

 一応響太郎も、民警になったことには『理由』がある。他人からすればその理由の根本は突拍子もない事であり、響太郎自身その事を好んで他言するつもりもない。故に蓮太郎の茶を濁すような物言いに、敢えて探りを入れるようなことはしなかった。

「……」

 沈黙。既知の仲である二人の会話があっさりと終わってしまったので無理もないことだ。気まずいと言うよりも、なるべくしてなったと言うべき静寂が訪れ――

「響太郎が二人いるみたいです」「蓮太郎が二人いるみたいなのだ」

 二人の少女が同時に声を発する。静けさの後、と言うことも相まって、場にクスリと笑いがこぼれる。だが、残念ながら呼ばれた当人らは不機嫌そうな顔になっていた。

「不幸そうなところが似ていますね」

 夏世がどこか関心したように呟く。……身も蓋も無いイニシエーターで悪ぃな。

「――そういえば、自己紹介をしていなかったのだ。妾は藍原延珠。蓮太郎のイニシエーターだ」

「私は千寿夏世、響太郎のイニシエーターです」

 そう言って軽く会釈をしあってから、夏世が響太郎を見上げる。

「響太郎にも友達がいたんですね」

「……失礼な」

 急に紫垣が「おっと」と思い出したように腕時計を見て言葉を継ぐ。

「そろそろアポの時間みたいだな。――二人の家に後で文書を送っておくから、欲しい装備があったら言ってくれよ」

「あ、ああ。感謝する」

「ありがとうございます」

 チクショウ、なんか言葉遣いを誤った気がするぞ。すぐに礼が出てくる夏世に響太郎は少し感心した。

 足早に出ていった紫垣を見送ると、後には天童民間警備会社の社員だけが残された。

「あー……そういうわけで、宜しく頼む」

 何だかんだでしっかり挨拶をしていなかった木更に礼をする。よし、若干気まずい雰囲気だったが今度こそ普通の挨拶だ。

「宜しくお願いします。社長」

 ……しまった、この人社長だった。口を開けば開くほど自分の粗野さが露呈していくようで、響太郎は辟易してきた。口じゃ夏世に勝てないな、うん。

「そうね、よろしくお願いするわ。二人共」

 木更がその細雪を思わせる白く透明な肌に微笑みを浮かばせる。現代美術家がこの場にいれば、発狂して絵なり彫刻なりにしたがりそうな美しさだ。身にまとっている黒いセーラー服と清流のような流れの黒髪による二重のコントラストが、その美白をより印象づかせている。

「ガストレアが出現次第、二人も現場に急行して頂戴ね。他にもこっちに来た依頼があったら、それも教えるわ。あと、特に会社として規約とかはないけど…………」

 木更が蓮太郎を見据える。細められた目にはどこか恨みが含まれているようで、蓮太郎がバツの悪そうな顔になる。

「他の民警に手柄を取られないようにしてね。最近ホントに厳しいの」

「わかった」

「はい」

 経営が厳しいということは残念ながら、既にこの立地が顕著に現している。それに、ガストレアを倒さなければIP序列は上がらない。結局やることは同じ、ガストレアの撃破だ。

 その後、それぞれがもう少し詳しい自己紹介と携帯のアドレス交換をして、響太郎と夏世は天童民間警備会社を後にした。

 

「……ポテンシャルの高い民警ですね」

 夏世が言わんとしていることはそれだけでわかった。これから戦う仲間として三人のことを聞いたのだが、彼らの持っている能力は、あの雑居ビルに置いておくにはもったいない境地に至っていると素人の響太郎にも分かった。

 まず主戦闘員でありプロモーターの里見蓮太郎は、天童式戦闘術とやらの初段だという。その戦闘術がどういうものかは知らないが、既に基本的な戦闘力が響太郎とはかけ離れているのは間違いない。

 次いで蓮太郎のイニシエーター、藍原延珠。モデル・ラビットであり、その脚力を利用した高速移動と蹴撃技で戦うとのことだ。響太郎のイニシエーターである夏世は戦闘サポート能力に秀でており、直接的な戦闘力は余り持ち合わせていない。よって、響太郎と夏世の役割は蓮太郎と延珠のサポートに回る、と言うのが最も合理的な今後の戦い方として合意した。

 さらに詳しくは聞けなかったが、社長の天童木更も天童式抜刀術の免許皆伝とのことで、自分なぞが相対すれば指一本動かす暇もなく負けるだろうと、響太郎自身は直感で感じていた。ある程度は予測できていたものの、想像以上の実力差に思わず嘆息する。

「……ハァ」

「突然不幸を撒き散らさないでください」

「なンでそうなんだ」

「冗談ですよ。……まだ時間はありますから、一歩ずつ進んでいきましょう?」

 はにかみながら響太郎を見上げて言ったそれは、彼女なりのフォローなのだろう。少し抽象的な言い方は彼女の見た目と齟齬するが、響太郎にとってその支えは有り難かった。

「……あぁ、ありがとな」

「いえ。私はあなたの相棒(イニシエーター)ですから――」

 

 

 そのまま続けようとしていた言葉を無理やり切るようにして突然押し黙る。何事かと思って夏世を見ると、彼女は前方の何かを見ているようだった。視線を辿るとその先には、珍しく移動式の屋台があった。匂いこそラーメンスープのそれしか響太郎の鼻には匂ってこないのだが、赤い暖簾には息遣いの感じられる白文字の行書で『極みの麺』と書かれている。やはりラーメン屋だろうか。

「……寄っていくか?」

「響太郎なのに気がききますね」

 何様だオイ。と喉まで出かけたが飲み込んだ。意外にも夏世は、欲しかった玩具を買ってもらった子どものように嬉しそうな表情をしている。彼女は基本的に、その表情筋の怠慢に文句を言いたくなる程感情がわかりにくい。そのため響太郎はその面持ちに一驚した。

 そのまま二人は吸い込まれるようにして暖簾を上げ、揃って左端の席に着く。中を一瞥したがメニューは見当たらない。一見さんお断りの店か?という思いが響太郎の胸をよぎったその時、エラが張り正方形に近い形をした彫りの深い顔の店主が活きのいい声を上げた。

「おう、らっしゃいッ! ここんトコ若ェのがよく来ンなぁ! なんでもいいぜ、注文しな!」

 なんということだ、喋っている内容まで活きが良い。その活発さは最早スポーツ選手のサポーター顔負けである。若干沈みかけていた響太郎の気分も、その声に釣られて少し上昇気流に乗り出した。

「あァ、そうだな……んじゃ親父、チャーシュー麺頼むわ、チャーシュー厚切りでな」

 そういやスープの種類も知らないな、と思ったが響太郎は構わず注文した。ふと左にちょこんと座っている夏世を見ると、夏世は屋台を見回して何故か真剣な顔をしている。響太郎がどうしたのかと問いかけようとしたその寸前、夏世が口を開いた。

「温素麺」

「は」

「あいよッ!」

 ちょっと待てここラーメン屋だろ。いや確かに店名にラーメンとか書いてねえけど普通「あいよッ!」って待てやオイ親父も元気に承ってんじゃねぇスッ飛ばすぞコラ。

「……? どうしたんですか響太郎、怒ってるのか戸惑ってるのかハッキリしてください」

 どうやら夏世は響太郎の表情をそう見てとったらしい。……いや、無茶言うな大体なんでお前は素麺なんだどこにそんな要素がこの店にオイオイ親父その鍋で茹でてる素麺はどっから出てきた。

 うっかり頭を抱えかける。……ここで頭を抱えるのはダサい、とてつもなくダサい。どうやらこの状況が飲み込めていないのは俺だけらしい。なんだ?最近の屋台には素麺置くのが当たり前なのかよ。もうダメだ。考えるのをやめよう。

 響太郎が思考を諦めて呆けていると、不意に陶器と木製の卓がぶつかる音が聞こえる。ハッと視線を下に落とすと、一センチほどあろう厚切りのチャーシューが三枚も乗ったラーメンが視界の八割を占拠した。匂いで空腹感が増した今、このラーメンが食べられないものであったなら視界の不法占拠だと憤慨したに違いない。その丼を眺めると、下方に広がる茶色から、醤油ベースのスープだと判断できた。その上を漂う背脂は多すぎず、間に挟まる麺の黄色がはっきりと見て取れる。ギュッと凝縮され、芯を感じられるその麺は細麺、茹で上がりも完璧だ。最上部に巣食う具材はチャーシュー、刻みネギ、シナチク。その太さに加え軽く見積もっても直径三センチはあるハッキリとした色の大型チャーシュー三枚に目を取られがちだが、丁寧な包丁さばきが感じられる等間隔に刻まれたネギに加え、流通品によく見られる萎えて柔らかいモノではなく一本一本を丹念に漬け込んだ自家製と思われるシナチクも、少し家庭料理の腕に覚えがある程度の響太郎から見ても圧巻の出来だった。

「すげぇ」

 思わず率直な感想が漏れた。それを聞いた店主が、ニッとその肉食動物的な白い歯を見せる。

「おっ、お前さんウチの麺の良さが分かんのか。最近の若ェもんにはよく驚かされるぜ、ハッハッハッ!」

「……ん? ここには若い奴らが結構来るのか」

 夏世に言われなければその佇まいに圧倒されて立ち寄ることもなかっただろう。この店にはそういった厳とした雰囲気がある。

「いや、基本的に食通かその似非野郎しか来ねェんだがな」

「だよな」

「この前来た若ェカップル共はなかなか面白かったなァ。最初に来た奴らは女の方が凄くてな、ここを見つけるやいなやズカズカと入ってきて開口一番『素麺二つ!』なんて言いやがったんだ。なかなか見る目のある奴だったぜ」

 まあ、遅れて入ってきた民警みたいな男は「なんで素麺なんだ」って呆れてたがな、と笑いながら続ける。

「……変わった奴もいるもんだな」

「次に来た奴も面白かったぜ? 男の方はまぁなんていうか男ウケしそうな奴だったが、これもまた女の方がな。入ってくるなり『ご飯大ください!』なんて言うんだからコリャ驚きだ。暖簾見てんのかってなァ」

 ガハハ、と景気良く店主が笑い声を上げる。この店の客層はどうなってんだオイ。

 響太郎が呆れたところでするり、と何かを啜る音が耳に入ってきたので隣を見ると、夏世がこれまた美味しそうに温素麺を啜っていた。

「なんだこりゃ」

 夏世が啜っているものこそ白磁のように艶の良い素麺だ。まあそれにもある意味驚きだ、しかしそれより俺が驚いたのは――

「親父、なんだこの汁」

 一見すき焼きのようにも見える。だがその汁はやけに脂が多いわりにクドそうに見えず、その肉も牛にしては色が黒く見える。

「たまげたなぁ……お前さん、見る目あんぞ。これは熊汁だ」

「はっ?」

「熊肉は旨味が強くてなァ。郷土料理で熊肉料理があるこたァ知ってっか?」

「あぁ。北海道なんか熊料理店がいくつもあるって聞いてるし、マタギ料理でも使われてんだろ」

「そのとおりだ。この熊肉ってのは少量の肉でも強い旨味が出る上に、寒冷地の熊に至っては脂身が多いくせにその味はサラっとしてやがんだ」

 それを聞いてもしや、と思い響太郎はスープを一口飲んでみる。

「……こっちにも?」

「ご名答、ここのラーメンの隠し味は熊なんよ。信頼できる猟師からしか仕入れてねェから出せる量が限られてんだけどな。……ホントは熊掌を使った料理も出してやりてぇんだが、あいにく中国の知り合いが先のガストレア大戦で死んじまってな。狩場もほとんどねぇんだ」

「熊掌使った料理か……」

「代表的なのは紅焼熊掌だな。本州のツキノワグマは小さすぎて熊掌の材料に向かねぇんだよ」

「とっととガストレアなんぞ全滅して欲しいもんだな」

「……そうだな」

 言ってから、後悔した。響太郎は不可解なことだが二つの世界の記憶がある故に、この世界の現実を軽んじた。だが店主の年齢は見るからに『奪われた世代』だ。ガストレアの圧倒的な力を目前にしただろう。奴らに大切な人を奪われただろう。……その苦痛はこちらの世界の響太郎の記憶にも強く刻み込まれている。忸怩たる思いに駆られ、結局黙ってラーメンを啜ることにした。

「これ、美味しいです」

 響太郎が何口か進んだ頃、夏世が満足そうな声でそう言った。よく見ると素麺は無くなっているが、汁や具はまだ大分残っている。その上夏世の表情はどこか物欲しそうだ。

「よっし、合格だ嬢ちゃん! 大抵の奴らはこんだけで満足しちまうんだがなァ、特別にこの裏メニュー『くま素麺』の更に裏メニューを食わしてやる!」

 思わず夏世の顔を覗きこむと、「してやったり」と言わんばかりにほくそ笑んだ顔をしている。お前そんなに表情豊かだったか?

 響太郎も再度ラーメンを啜る。改めて意識しながら食べると、熊肉特有の臭みが感じられない。それは仕入元の猟師の腕の良さを暗示している。ふわりと感じられる味噌の風味は熊肉の臭い消しの際に使われたものだろうか、ついでに麺に絡んだスープから伝わるピリリとした辛さがさらに食欲をそそる。

 これまで食べたことのない味に舌鼓を打っていると、隣にゴトンと丼が置かれた。店主は自慢げな顔をしている。

「『くま雑炊』だ」

「もう何も言わん」

「……ちょっと味が変わってる」

「良い舌してるぜ嬢ちゃん」

 ラーメン丼と同じ唐草模様が模られた陶器製の散蓮華で雑炊を掬う夏世。何気なく使っていたが、チェーン店などでよく見られるラーメン用に作られた欠き付きのプラスチック製蓮華と違う辺りで、この店主のこだわりが感じられる。

 

 どこまでも変わった店に響太郎が圧倒されていると突然、外で声が聞こえた。

「蓮太郎蓮太郎、今日ならきっと『裏めにゅー』があるのだ!」

「あのなぁ……俺今そんな金、ってちょっと待て何勝手に入ってやがんだ!」

 男の声が喋り終わる前に暖簾が捲られ、真っ先に目に入ったのは頭から生える二本の赤い耳……ではなくツインテールだった。

「あ、お前――」

「お、響太郎と夏世ではないか!」

「延珠?」

「こんなところで会うとは偶然なのだ!」

「延珠、もしかしてこの店に来たことがあるんですか?」

「無論だ。その時は『裏めにゅー』とやらを出せと言ったのだが、断られてしまって――ってそれは?!」

 延珠が夏世の食べている雑炊を見て目を丸くし、直後店主を見上げる。

「さては……これが『裏めにゅー』なのだな!?」

「運がいいな赤髪の嬢ちゃん。なら折角だ、今日はこの裏メニュー『くま雑炊』を食ってきな!」

 そう言って店主が準備していたように丼を取り出して延珠の前に置く。ん?準備していたように……って、それもしや俺に出してくれるはずのだったんじゃ……?

 響太郎が悔しさを顔に現す直前、のろりと暖簾が捲られてこれまた不幸を顔に塗りたくったような顔の男――里見蓮太郎が入ってきた。

「延珠、今俺そんなに手持ちがねぇから帰る――ってオイなんでもう食ってんだ!」

 蓮太郎が頭を抱えるが、その後すぐに諦めたようで延珠の右の席に着く。

「……親父、小ラーメン一つくれ、麺固めで」

「あいよ」

 そこで店内を見渡した蓮太郎は、新しく天童民間警備会社の社員になった二人にようやく気がついた。

「お前らも来てたのか」

「あぁ、夏世が行きたいて言ってな」

 くま雑炊をふーふーと冷ましながら景気良く食べる延珠を挟んで会話する。

「そういや響太郎、紫垣さんと知り合いだったのかよ」

「いや……民警になってすぐ知り合ったんだ。ってか、たまたま俺たちが外周区で倒したガストレアの近くにいたんだけどな」

 蓮太郎が一瞬不可解そうな顔になったが、間もなく取り直す。

「そうか……その流れで紫垣さんが後援者(パトロン)に?」

「ああ。よくはわかんねぇけど、俺みたいな年齢の民警が物珍しかったんじゃねえのか?」

「俺たちの後見人にもなってくれてっからな、あの人は」

 蓮太郎が感謝しているような声で言う。紫垣仙一という男は変わった子どもばかり目にかけるな、と余り詰まっていない頭で響太郎は思った。

「ラーメン一丁お待ちッ!」

「……ん?」

 蓮太郎が目の前に置かれた丼を見て疑問符を立てる。それも当然のことだ。なぜなら――

「親父、俺小ラーメン頼んだんだがな」

「サービスだよ、サービスッ! 辛気くせえ顔してやがるからな、旨いモンでも食って気ィ紛らわせな!」

「……ありがとよ」

「なに、良いってコトよ。俺なんぞアンタら民警がいなけりゃ、こんなトコでのうのうと商売なんざしてらんねぇんだからよ。そういう奴らに感謝の念を示すってのは、人としてたりめェのコトよ」

「うむ! 東京エリアは妾たちが守っておるのだから心配ないのだ!」

「ハッハ、そりゃ頼もしいなァ嬢ちゃん!」

 店主がよく通る声で笑いながら、わしゃわしゃとゴツイ手で延珠の髪を撫でる。見かけはただの頑固親父のくせして意外と民警に理解があるんだな。ひょっとして、夏世たちと似た年齢の子どもでもいたんじゃねぇのか?横目にその会話を捉えながら響太郎はふとそう思う。我ながら悲しい癖だ。そんな事を詮索したところで、何も解決しないじゃねえか。深読みしようとして、結局何もわからずじまいなら、最初から考えねぇ方がマシなんだ。

「旨かったぜ、ごちそうさん」

 陰鬱な思考を消し飛ばすようにスープを一気に飲み干し、わざと明るい声ではっきり言い放つ。すると、響太郎と蓮太郎の間に小皿が置かれる。

「ホレ、民警の兄ちゃんたちにオマケだぜ」

「……寿司か?」

 蓮太郎が訝しげな目つきで言う。水分を程よく含んで艷やかな光を放つシャリの尾根で存在感を放っているネタは――なんと肉だった。さっと炙ったであろうそれには、周りにほんのりとした焼き色があるがその中は脂がしっとりと落ち着いた光沢を放っている。上に付けられている練りワサビとのハーモニーは、想像するだけで口の中に涎が勝手に溢れ出す。

「良いのかよ?」

「まあこれも何かの縁だ、嬢ちゃんたちにも裏メニューを出したからな。ここでアンタらに出さなけりゃ不平等ってもんよ」

 響太郎の問いかけに嬉しい回答を返す店主にありがたさを感じつつ、響太郎は寿司を半分食べる。

「……旨ぇな、こりゃ」

「たりめーだ、こいつァ今やめったに手に入らねぇ熊野牛のロースを使った炙り握りよォ! この肉の霜降りのきめ細やかさと来たら、三大和牛にだって引けを取らねぇぜ」

「熊野牛ってどこの肉なんだ?」

「和歌山だ」

「……大阪エリアか?」

「あぁ、向こうの連中がなんとかして種を守ってくれたみたいでなァ。絶対数が少ないもんで、俺が気に入った奴にしか出さねェけどな! ハハハッ!」

 最も、どの和牛も今じゃほとんど手に入らないんだがな、と少々自嘲気味に続けた。料理人にとって、その生命線とも言える食材が入手できなくなると言うのは、包丁を扱う腕が千切れるのと同じくらい辛いことだ。この店主もガストレア大戦以降、高騰する食材に苦労してきただろう。その苦労を乗り越えて今があるのだ。響太郎はそのことを噛み締めながら、口の中で許可も無くとろけたネタと、一粒一粒に生命が宿っていると言っても過言ではないほどの甘みを含んだシャリを堪能した。こんな旨い寿司を食ったのはいつぶりだろう。五年ぶりくらいか?いやもっとか。ガストレア大戦集結から数年は、まともな飯なんて食えなかったんだ。……もう一つの世界の記憶については、考えないことにした。

「……なんだ」

 視線を感じて左を見ると、くま雑炊を米一粒も残さず綺麗に食べきった夏世が上目遣いで俺を見ていた。……なんだ、そんな顔をして何が望みだ。いや綺麗なのは食べきられたその器であって決してお前の顔のことじゃねえぞ。クソ、自分で思って恥ずかしくなってきたどうしてくれんだチクショウ。

「おいしいですか」

 一言で全てを察した。

「……やるよ」

「えへへ」

 真顔が一瞬で緩み、嬉しそうな顔をする夏世。これだけで、響太郎は自分の判断が間違っていないと思えた。

「おいしいです」

「ハッハ! そいつァ良かった! 嬢ちゃん今後が期待できるなァ」

「響太郎にだけ全部食べられてしまうところでした」

「……お前裏メニュー一人で平らげたじゃねぇか」

「響太郎もラーメン全部食べたんですから、麺類同士ということでおあいこです」

「わけがわからん……」

「――あっ! オイ延珠!」

「おいしいのだ!」

 やかましい方向を見ると、延珠が握り寿司にかぶりついていた。ちゃんと半分しか食べていない辺りが優しさか。だが蓮太郎は悔しそうだった。丼はいつの間にか空っぽだ。

「蓮太郎も食べるのだ。はい、あーん」

「や、やらねぇよ」

 蓮太郎が左手でガードを作る。そして差し出された寿司を右手で素早くかっさらい、頬張った。

「ん、こりゃ確かに旨ぇ……」

 蓮太郎が目を丸くしている。そりゃまあこれだけ旨けりゃ目も丸くなるってもんだ。

 ……。

 そこまでして非常に深刻な問題に気づき、俺と蓮太郎の顔が同時に青くなった。

「「これいくらだッ?!」」

 切羽詰まった言い方には余裕もプライドも何一つないが、重要だ、これは。自分で言うのも悲しい話だが、今のこの爪に火を灯すような生活で、この料理たちはヤバイ。兎にも角にもヤバイ。

「ハハッ、気にすんな、出世払いで返しな! 今回はサービスで、一品一律八百円だ!」

「「はっぴゃくゥッ?!」」

 ゼロがひとつ足らねえんじゃねえのかソレ。赤字とかそういうレベルじゃねえぞ!

「マジで良いのか……?」

 蓮太郎がほっとしたような、心配するような声になる。なんだその極貧生活送ってますみたいな口ぶりは……。最も、生活水準については俺も人のこと言えないが。

「あァ。勿論だ、お前さん方は気に入ったからな。金が入った時にゃ、ドーンと頼むぜ?」

「感謝するぜ……」

「サンキューな……」

 貧乏同士、肩の荷が降りたような安心した声が漏れた。

 

 

「毎度ありーッ!」

 四人は揃って満足気な表情で屋台を後にした。……内、男二人は少し厳しい顔をしているが。

「二千四百円か……」

「お前もキツイのか」

「キツイどころの騒ぎじゃねぇ……」

「確か延珠も社員として給料もらってんだよな、だったら――」

 言いかけて響太郎は口をつぐんだ。蓮太郎の顔から血の気が引いている。パンドラの箱を開けるどころかプレス機にでもかけられたような表情だ。この箱ってぶち壊していいのかよくわからないが今は大した問題ではない。

「前……アイツに金を借りたことがあってな……その時アイツと先生がデタラメを好き放題言いふらしやがってな……それからは何があっても借りないことにしてんだ」

「よくわからんが大変だな……」

 事情が全く分からないが、同情せざるを得ない顔つきだ。先生とは誰だなどと聞くのは今の蓮太郎にとって、傷口に塩を塗りこむどころか体ごと海水に沈める行為じゃないだろうか。

「まあ何にしろ蓮太郎、お前と同じ民警で少し助かったぜ。最低でも足手まといにはならないようにするよ」

「お前そう言いながら、なんだかんだでいつも卒なくこなしてたじゃねぇか」

「ハハッ、ありがとな」

「まあ、よろしく頼むぜ」

「こっちこそよろしくな」

 太陽は傾き始めている。この後どうすっかな、学校はそろそろ終わるだろうし、どのみち面倒だから行く気にならねえ。……ちょっと早いが、夕飯の仕込みでもするか。

 そうこう考えている内に、響太郎は周囲の風景が自宅近くのものになっていることに気づいた。

「あ、俺こっちだから」

「おう。またな」

「ああ」

 久々に出会った友人に本日二度目の別れを告げる。二人の少女は数メートル先できゃっきゃと話していたが、夏世が自宅近いことに気づいたようで、延珠に「またね」と言っていた。

 

 蓮太郎と延珠と別れ、二人は自宅のアパートへと進んでいた。

「響太郎」

「どうした」

「優しい人たちで、良かったです」

「……そうだな」

 天童民間警備会社には不可解な点が少しある。だが、それを鑑みてもあの民警の社員は――仲間は信頼できる人たちだ。それに加え響太郎は、夏世が自分と同じことを思っていたことに少し嬉しさを感じた。

「これから大変なこともあるかもしんねぇが、頑張っていこうぜ」

「全くです。足を引っ張らないでくださいね」

「ひねくれてんなお前……」

 ハァ、と呆れたため息が漏れる。どうしてコイツはこう素直によろしくと言えないんだ。

 突然夏世がたたっと響太郎の前に躍り出る。

「私がしっかりサポートしますから、安心してくださいね? あなたがいなくなったら……その、私はさみしいです」

 後ろ手に組み、上目遣いで少々恥じらいながら言う夏世。その可愛さというか色っぽさは、ガストレアの浸食を受けつつもそれに成り果ててしまうことをことを拒み、人間であり続けているからこそ成せるものだろうか? 口に出さない問いに答えはもらえない。代わりに響太郎は言った。

「ああ。改めて、よろしく頼むぜ。俺だってお前がいなくなったら寂しいんだからよ」

 穏やかに笑いあう。

 そして、彼らは二人を待つ空っぽのアパートに帰っていった。




次話ではついにあの強敵が!

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