ぶらっく・ぶれっとif -転生した少年とIQ210の少女- 作:篠崎峡
響太郎と夏世は寂れた一本道をモノリスから遠ざかるようにして歩いていた。別に理由があるわけではなく、ただ進む方向が同じであるというだけだ。途中でサングラスを掛けた民警にガストレアについて聞かれたが、よもや「民警でもないただの人間ですが気づいたら倒してました」などと言うわけにも行かないので「他の民警がもう倒しましたよ」と適当な事を言って誤魔化した。やはり民警同士の横のコネクションは強くないようで、サングラスの民警は「チックショー帰るぞマイスウィート」などとよくわからないことを言いながらイニシエーターと連れ立ってさっさと帰っていった。
「あの」
響太郎の左にいる少女が小首を傾げながら響太郎を見つめる。
「あなたは、『奪われた世代』ですよね」
端的な言葉だったが、それだけで夏世が言おうとしていることを悟る。改めて見ると、夏世の来ているくすんだクリーム色のワンピースはあちこちにほつれがあり、修繕した形跡も見受けられる。それだけで響太郎は、夏世の過ごしてきた日々の苛烈さがなんとなく察することができた。
「ああ、そうだよ」
「あっさりした受け答えですね……」
「俺は別に『赤目』だからどうとかそういう差別意識はねぇよ」
嘘だった。
響太郎は先のガストレア大戦で家族の全員を失っている。父、母、姉、妹。落ち着いた雰囲気の父と対照的に女三人は喧しく疲れるときも多々あったが、響太郎はそんな家族が別段嫌いというわけではなかった。
だが母が地元である地方の産婦人科で響太郎以外の家族全員の立会の中、四人目の妹を生む直前にガストレア大戦が勃発した。そして、皆死んだ。響太郎がその時生き延びたのは貧血でたまたま東京の病院に入院しており、出産にただ一人立ち会わなかったからだ。
ガストレアが全てを狂わせた。響太郎は今も変わらずそう思っている。あの後響太郎の前に現れた家族は最早タンパク質ですらなかった。ただの灰だった。これがどうして俺の家族なんだ、ふざけるなと周囲に当たり散らした。返ってくる答えは自分の喘鳴で舞う、焦げた灰の臭いだけだった。今日でも家族の死を思い出す度に響太郎は吐きそうになる。ガストレアが憎い、と純粋に思う。
恐らくこの世界の記憶しか持っていない『普通の人間』であったならば、例え『呪われた子どもたち』に命を救われたとて、響太郎は彼女を貶め蔑視しただろう。だが皮肉なことに、響太郎には『もう一人分』の記憶がある。
貧血で入院していた響太郎の病室へ甲高い笑い声が飛び込んできたかと思うと、見慣れた四人の家族が入ってくる。そしてスマートフォンで撮影した新しい家族の写真を見せ、なんでアンタはこんな時に入院すんのよと姉がバシバシ背中を叩く。
――その後は、実に一般的な、平和な日々だった。
退屈に明け暮れる毎日に響太郎は刺激に少しばかり憧れたりもしていた。四女の
どちらが本当の響太郎であるのかは当の本人ですらわかっていない。むしろ本人だからこそわからないのかもしれない。
そんな響太郎の葛藤を知ってか知らずか、夏世がはっきりと言い捨てる。
「嘘ですね」
「な――」
「それどころじゃない、とでも言いたげな表情をしてます。まるで……自分がどうしてここにいるのかわからないような表情です」
「……そうか」
夏世の察しが良すぎるのか、はたまた響太郎の表情が年端もいかぬ少女に悟られるほど表に出ていたのか。どちらにせよ要らぬお節介だった。でも、と区切って響太郎はぶっきらぼうに続ける。
「お前には関係ねぇよ」
「そうです……ね。不要なお節介でした」
やはり擦れた生活で敏感になっているのだろうか、夏世は響太郎の心情を察して早々に話を切り上げる。無言で歩き続けると、夏世が口を開いた。
「じゃあ、私はここで。先程はありがとうございました」
たた、と軽いステップで響太郎の前に出た夏世が、丁寧に会釈をして別れを告げる。全くと言っていいほど気持ちの整理ができていない響太郎は、後ろ髪を引かれる思いを断ち切れずおもむろに口を開く。
「あー……いや、その……さ」
「なんですか?」
「その……そこのコンビニでコーヒーでも買ってかねぇか?」
「私は紅茶派です」
クソッタレ、なんで俺は10歳の女児相手にナンパの真似事してんだ。しかもなんで間髪入れずにお前も返答してくんだよ。コントかオイ。
自分の発言を失言とみなして頭を抱える響太郎を見て、夏世が微笑む。
「しょうがないですね、行ってあげます」
「なんで上から目線なんだよ」
「ナンパしてきたんですから、当然です」
「10歳児相手にナンパなんてすっかよ……」
心中を見透かされたようで、つい言葉尻が濁る。その上、視界に入る建物の中にコンビニは見当たらない。夏世もそのことに気づいたのか訝しんだ声を上げる。
「コンビニ、無いですね」
「無いな」
「……私と一緒に居たかったんですか?」
歯に衣着せぬ物言いとはまさにこの事か。響太郎は不本意ながら感心する。
「……そうだよ」
今更言い訳を重ねたところで、どうせ見破られるだろうしな。
どうやら夏世はその言葉が予想外だったようで、キョロキョロと目線が泳いで狼狽するがすぐ元の感情の薄い表情に戻る。
「へ……変態ですね」
「違ぇよ!」
「いえ……10歳の幼女相手に『一緒にいたい』なんて言ってくる人、初めて見ましたから」
響太郎は閉口する。
確かにそんな事言う奴なんざそうそういないだろうけどさ……。
再度並んで歩きながら逡巡し、物言いたげな顔で響太郎は夏世を見つめる。
「……どうかしましたか?」
「あ……いや……あの、な。……お前この辺で暮らしてんのか?」
何が気に食わなかったのか、夏世が少し膨れる。
「夏世です」
「……え?」
「夏世って呼んでいいです」
「お、おう」
「私からは、なんて呼べばいいですか?」
これ誘導尋問じゃないだろうか。
「響太郎でいいよ」
「……はい」
心なしか、少し夏世が嬉しそうに見える。
「それで――」
「その通りです。私は今、この近くで暮らしてます。所謂――マンホールチルドレンです」
「そうか」
深刻に言うのも返って侮辱に当たると思い、わざと軽く返事をする。
「変わった人ですね」
「んぁ?」
しまった、マヌケな声が出やがった。
しかし、夏世はそんな事を意にも介さぬ様子で続ける。
「私が……『呪われた子どもたち』だって知っても、響太郎は助けてくれました。……もしかすると、あなた自身どうして私を助けたのか、わかってないかもしれませんけど」
「んなことは……」
「それでも、私は嬉しかったです。今まで私は忌むべき者として邪険に扱われてきましたから」
響太郎は夏世の綺麗な微笑みを目の当たりにして思わずドキッとする。照れ隠しで目線を逸し、後ろ髪を掻く。
「目の前で死にそうな人がいんのに、見捨てられっかよ」
「でも、響太郎だって死にそうだったじゃないですか」
「返す言葉もねえな……」
「あ、コンビニ見えてきましたよ」
――
「おごってくださって、ありがとうございます」
「いやお前……最初からそのつもりだっただろ」
「もちろんです」
無い胸を張るな。そう言いかけて飲み込む。
「む、今失礼なこと考えましたよね」
「ん……んなことねぇよ」
10歳児の鋭い指摘に面食らい、誤魔化すようにコーヒーのプルタブを開ける。
コンビニの近くには寂れているが遊歩道らしきものがあり、二人はそこに設置されたベンチに腰掛けていた。
響太郎の右にちょこんと腰掛けている夏世がミルクティーのプルタブを開け、思い出したように呟く。
「これ自販機で売ってますよね」
「う、うるせえ、コンビニで買った方が安いんだよ」
「人をナンパしたくせに、ケチなんですね」
そう言って夏世が悪戯っぽい笑みを浮かべる。コノ野郎……。
お互い缶に口をつける。体感時間で数分経っただろうか、響太郎は何か話そうと話題を探る。
「……どうして?」
突然の上ずった声に、響太郎は並々ならぬものを感じて即座に夏世を見る。視線が交錯。響太郎の視線の先にある夏世の目尻には、うっすらと涙が滲んでいた。
「……なあ、夏世」
目線を前方に戻し、響太郎は独り言のように話しだす。
「信じてくれるかくれないかはどうでもいいけどよ、俺、自分がどこの誰なのかわかんねぇんだ」
一拍置いて続ける。
「今日起きたら……俺には二人分の記憶があった。ガストレア大戦で敗北したこっちの世界の記憶と、ガストレアなんていなくて平和な世界の記憶。俺は……どっちが本当の俺なのかわからない。どっちも10年前まではあまり変わらない生活だった。……でも、ガストレアが現れてからこの10年間の……記憶だけじゃない、感情の隔たりも――」
そこまで吐き出すように喋ると、急に夏世が口を挟んだ。
「別にいいんじゃないですか」
「は?」
「別に、いいんじゃないでしょうか」
「何がだよ」
「響太郎は今、ここにいます。私には記憶が一人分しかないので響太郎の気持ちはわかりません。……でも、響太郎は“二人分の記憶を合わせて”響太郎なんじゃないですか。二つの記憶を統べているモノこそが響太郎だと、私は思います。それに、響太郎が私のことを助けてくれたこと、本当に感謝してます」
「……わけわかんねぇよな、俺」
夏世はフォローしてくれているのだろう。もちろん響太郎もそれは理解しているが、事態の不可解さが響太郎を苛立たせる。
「――真実を、知りたいんですか」
夏世が神妙な面持ちで尋ねる。
「……あぁ」
「何故、と聞くのは野暮ですか」
「いや――仮に、俺の頭にある二人分の記憶が両方とも本物だとしたら、ガストレアのいない世界に行くことが可能なんじゃねぇかな、ってな」
「そう……ですね。でも、もし行けたとしてもそこは私たちが過ごしてきた世界ではないです。知らない世界に放り出されると言うのは、未知の生物であるガストレアに侵食されたこの世界と、私たちにとって本質的にはなんら変わりません」
「そういうもんかな」
「きっとそうです。私たちにはそっちの世界の記憶がないんですから。たとえそこに存在する人間が生物学的に私たちと同様のヒト科であったとしても、その世界に行った人は宇宙人のいる星に送られたような気分になると思います」
「そうかもしれねぇな……だけど、10年前に両世界が完全に別の運命を選択したのは、間違いねぇんだ。何が二つの世界の命運を分けたのか知ることさえ出来れば、この世界を変えられるかもしれない」
そこまで言って、響太郎は自分の思考に驚いた。
『この世界を変えられるかもしれない』大げさにも程がある言葉だ。だが、きっとこんな言葉が出るということは則ち――響太郎は知らず知らずのうちに心中でガストレアがいない世界を憧憬しているのだろう。
ひと通り考えを巡らせて、響太郎はため息を付いた。
「――でも、俺には真実を知る術がない」
「ありますよ」
そうだな、と返そうとするが思考が待ったをかける。夏世の言ったことを脳内で反芻した響太郎は、驚愕に飛び上がりそうになった。
「ど、どういうことだ?」
「……民警」
振り向いた響太郎に、ほんの少しだけ逡巡して夏世が答える。
民警?どうしてここで民警の話が出るんだ。確か近くのアパートに住んでるクラスメイトが民警をやってるらしいが、IP序列も大して高くなさそうだし何より貧乏そうだと噂じゃ――
もしや、という表情を浮かべた響太郎を見て夏世が頷く。
「はい、IP序列です。以前に出会った『呪われた子どもたち』の一人から、イニシエーターになれば様々な優遇が受けられると聞きました。序列はペアのものらしいなので、プロモーターには最低でも同等か、もしくはそれ以上の優遇措置があるはずです」
「なら……IP序列を上げればガストレア大戦の詳細もわかるかもしれねぇのか」
「約束はできません。だけど、何かしらの情報は手に入れられるはずです」
なら早速ライセンスの取得に向かうか、と意気込んだところで響太郎の脳裏に一つ心配事が浮かぶ。
イニシエーター。
詳しくは知らないが、確か何もしなければIISOとかいう所で管理されているイニシエーターの中からペアが勝手に選ばれるんだったか。
と、そこまで考えて夏世が民警と答えた時に若干の間があったことを思い出す。
「なあ、夏世」
「はい」
「俺のイニシエーターになってくれねぇか」
「……私で、いいんですか」
少し俯きながら呟くその言葉の本源は、目の前の人間を信用しきれていないと言うことだろうか。それとも――
夏世の目を見つめ、響太郎はこれまでで一番真面目な声ではっきりと言う。
「お前がいいんだ」
「えへへ」
夏世の顔がくしゃり、と柔らかい表情になる。
「よろしく、お願いします。響太郎」
「あぁ。よろしくな、夏世」
夏世が嬉しそうに破顔する。いつになく幸せそうなその表情に感化されて、響太郎の顔も自然と綻ぶ。
俺一人だったら、挫けていただろう。理解を諦めて、投げ出していただろう。
揺らぎ続ける自身の存在を、夏世が繋ぎ止めてくれた。
これから、前途多難な道のりが俺たちの行く手を阻むかもしれない。
――それでも。
俺は真実に近づきたい。世界の真実に、俺自身の真実に。今ならそう思える。
おこがましいかもしれないと思いつつ、意を決して口を開く。
「一緒に見つけよう、真実を」
「はい」
顔に紅葉を散らした夏世の朗笑は、まるで天使みたいだと響太郎は思った。
夏世が可愛すぎてチョロインと化してしまいました…
許してください!ry