巫女レスラー   作:陸 理明

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責任の行方

 

 

「あなたの判断は間違っていないと思います」

 

 ……奥寺さんの自殺のニュースを聞いて、僕は凄まじい自己嫌悪に陥った。

 その日の授業は最後まで受けきったものの、家に帰るまでのわずかな間に何度も吐き、部屋に駆けこむや否や閉じこもった。

 ネットで奥寺さんのことについて漁りまくったが、事件性もないただのサラリーマンの自殺として片づけられてしまい、ほんのわずかな話題にもならない。

 僕と少しの間だけ一緒にコーヒーを飲んだ地味なサラリーマンの死は、ほとんど誰の記憶にも残らない出来事として瞬く間に消費されてしまったのだ。

 ただの数字か、無意味なセンテンス。

 あの男性の人生はいったいなんだったのだろう。

 だが、忘れさられるだけの無意味な人生であったとしても、もしかしたらそれは変えられたかもしれないのだ。

 他の誰でもない僕の行動によって。

 あの時、僕が奥寺さんともう少し話し合っていれば、親身になって付き合っていれば、こんな残酷な結末は迎えなかったのかもしれないのだ。

 僕は判断を誤った。

 もっと、真剣に向き合うべきだったのだ。

 それから二日、僕は学校を休んだ。

 何も考えたくなかったということもあったが、これからの進路について漠然とした疑問を抱いてしまったからだ。

 御子内さんと同じ大学にいき、〈社務所〉の仕事に就くという進路もあったが、それは僕にとって相応しいことなのだろうか。

〈社務所〉の仕事が合わないということではない。

 退魔巫女のみんなのように人助けをする高潔な魂とともに何かをすることが、僕のような人間にとって相応しくないのではないか、ということだ。

 奥寺さん一人も助けられなかった僕が、偉そうに他人を救う仕事を選ぶなんて傲慢なことではないだろうか。

 自分から正義の味方を名乗るなんてできない。

 僕はつまらないただの高校生だったのだから。

 ただ、罪悪感はあった。

 奥寺さんに対しての。

 せめて、葬儀に顔を出したいと思った。

 そのため、気が滅入って仕方がなかったが、〈社務所〉の退魔巫女統括である不知火こぶしさんに連絡を取った。

〈社務所〉の情報網ならばきっと奥寺瑛作の住所や葬儀の日取りまでつきとめられるだろうと考えたからだ。

 かといって、御子内さんたちに連絡をとるのは憚られた。

 彼女たちと一緒に何かをやる資格が僕にあるのか、そこが問題だったからだ。

 その点を誤魔化し、目を瞑って振る舞う自己欺瞞の挙句、彼女たちの迷惑になることだけはしたくなかったから。

 だから、こぶしさんだった。

 二人きりで会うことは初めてだったが、それでも彼女にしか聞けそうにない。

〈社務所〉の他に人には聞きづらいことでもあったからだ。

 そして、池袋の喫茶店で事の次第を説明してすぐに彼女から言われたのが、

 

「あなたの判断は間違っていないと思います」

 

 という言葉だった。

 

「でも、僕がきちんと奥寺さんと向かい合ってさえいれば……」

「それは結果論です。少なくとも、あなたは奥寺何某という男性が人殺しという業を背負うことを防ぎきった。そのあとで、彼が自分の人生について悩み苦しんで死を選んだとしても、あなたには関係のないことです」

「……でも」

「デモデモダッテはいい加減にしましょう。奥寺瑛作は死にましたが、それは普通の悩める人間としてのせいであり、同胞を殺した穢れた存在ではなかったということで慰められるべきです」

 

 こぶしさんはそう言う。

 年齢は僕らよりも十歳ほどは上の、綺麗なお姉さんに慰められても、心は軽くならない。

 奥寺さんはもう死んでしまったのだ。

 

デモデモダッテ(そういう)訳ではないのです。なんといえばいいのか、わからないのですけれど……」

「〈社務所〉の媛巫女に引き合わせて相談させれば良かったということですか? それだって、あなたの判断は間違っていませんよ。或子ちゃんたちは常に死と隣り合わせの戦いを繰り広げています。一見妖魅と関わりのなさそうな事態にまで、彼女たちに任せたりしていたらいくらあの子たちが頑丈でも色々と保たなくなります。或子ちゃんたちを気遣ったあなたの考えは正しい」

 

 だったら、僕がもっとあの人とメールをしたり、連絡を取っていれば良かったのかも。

 それでもなんとかなった可能性はある。

 

「机上の空論ですね。少し、京一さんは驕っているのではありませんか。―――人間は赤の他人の人生を幾つも背負えるほど強い生き物ではありません。できて、家族や友達までです。会って数時間の人間についてまで責任を負おうとするのは、傲岸です。それこそ驕りです」

 

 こぶしさんは辛辣だった。

 頭を思いっきりぶん殴られた感じがする。

 彼女の言っていることは事実だ。

 まだ餓鬼でしかない僕にも十分に伝わった。

 しかし、だからといって、すぐに割り切れるものではない。

 僕は奥寺さんが伸ばしていた蜘蛛の糸を手繰り寄せてあげられなかったのだから。

 

「ところで、京一さんが使ったという顔料を貸してください」

 

 元華さんから貰った例の〈鎮静の顔料〉を手渡した。

 蓋を開けて、中身を一掬い取って匂いを嗅いでいた。

 それから納得した顔で、

 

「なるほど。桃の清浄な気を取り出して、妖魅の嫌う金属粉と混ぜ合わせたうえ、海亀の脂で固めたものですか。確かにこれなら、魔が差している者でも鎮められることでしょう」

「やっぱり。僕も何度かお世話になっています」

「ただ、これは普通の状態での思考の混乱や混濁、寝不足などに効果はないでしょうね。京一さんの言う通りに奥寺瑛作が不倫関係の果てに人を殺そうと思い詰めていただけならば、これはフリクスを食べるよりも効き目がなかったはずです」

 

 なんだか引っかかった。

 どういうことだろう。

 

「つまり、これは実際に魔に憑かれた結果、おかしくなったものにしか効かないということです。数々の退魔業のときに京一さんを助けたのは、あなたが何かしら妖魅による影響を受けていたからなのでしょう。試しに、何も関係ないところで使ってみてくださいな。スースーするだけでどんな効果もないはずです」

「でも、奥寺さんには……」

 

 ここで僕は気が付いた。

 確かに、この顔料は彼に効果があった。

 親友をホームから突き飛ばそうとしていた奥寺さんを正気に戻すという効果が。

 だが、こぶしさんの意見も正しいのならば、それはすなわち……

 

「奥寺さんが親友を殺そうとしたのは、―――妖魅に唆されていたからってことですか?」

 

 それしかないではないか。

 

「はっきりとはしないけれど、その可能性はあるわ。だから、京一さんに頼まれたというだけでなくて、奥寺瑛作の自殺については詳しく調べさせてもらったの」

 

 こぶしさんがテーブルに広げたのは、ファイル二冊分の調査報告書だった。

〈社務所〉の禰宜が真剣に作成した資料の山だ。

 たった二日で、これだけのものを……

 さすがは関東最大の退魔機関である。

 

「京一さんの話からすると、奥寺瑛作と不倫関係にあったのは、この女性―――柳晴海(やなぎはるみ)。二十四歳よ」

 

 隠し撮りとかではなく、証明写真のような真正面の顔だった。

 どうやって手に入れたかは不明だ。

 奥寺さんが骨抜きになっただけあって、かなりの美人である。

 通った鼻筋といい、大きな目といい、宝塚の美人俳優のようだった。

 人妻の色香というものはないが、おそらく結婚前の写真だろう。

 

「もし、気になるというのなら、この女を探ってみたらどうかしら。京一さんは実際に自分で動かないと納得しない男の子でしょ」

「……そうかもしれません」

 

 こぶしさんの言うことは事実だ。

 奥寺さんの自殺がもし別の要因であるというのなら、それを解明しなければ僕は立ちいかなくなるかもしれない。

 胸の中のもやもやと向き合うにはそれしかなさそうだ。

 

「このことは御子内さんたちには内緒でお願いします。迷惑を掛けたくない」

「それはいいけど、もしこの女が妖魅だったりしたらどうするのかしら? あなたは自分の身を守れるの?」

「僕のことはどうでもいいです。自分ぐらいは自分で守れなければ、結局、何もできやしませんから」

 

 意地のようなものだった。

 僕にも譲れないものはあるのだ。

 すると、こぶしさんは愉快そうに笑った。

 ほっこりする微笑みだった。

 

「わかったわ。或子ちゃんたちには内緒にしておいてあげる」

「ありがとうございます」

「礼はもう一つばかり欲しいわね。もう一つ、ありがとうございますって言葉が」

「……え、あ、どういう?」

 

 彼女の発言の意図が読み切れない僕の額を、人差し指で突っついて、こぶしさんは言った。

 

「今回はわたしがあなたの護衛をしてあげるわ。年上のお姉さまのエスコートなんてそうはないから、喜んでちょうだいね。わたしも可愛い男の子の相手なんて初めてだから楽しませてもらうわ」

 

 と、〈社務所〉の媛巫女の統括にして、かつての退魔巫女である不知火こぶしさんはにっこりと口元を吊り上げた……

 

 

 

 

 

 

 


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