「……あの村は、もうヤバくなっちまった女を溜めとく場所だったんだよ」
鬼道会という暴力団の若頭は観念したのか、ポツポツと喋りだして。
ヴァネッサ・レベッカが懐から取り出したデリンジャー拳銃に脅されたこともあるが、何より皐月の得体の知れなさにビビってしまったのだ。
刹彌流の使い手は殺気を視るだけでなく、自らも指向性を持って放射することが可能となる。
縛り上げたときから、冗談口を叩きながらも皐月は若頭に向けて強弱をつけながら殺気を放ち続けていた。
人間も生き物であり、例え殺気を感じ取れることができなくても無意識に緊張が続くことになる。
つまり、皐月が無言でずっと殺気を当てまくれば、通常の神経では耐えられない恐怖に曝されることと同じストレスが加えられるのだ。
若頭はそれに屈したともいえよう。
ほんの数分間で三十代の若頭は、五十代の初老になったかのようにげっそりとした顔つきに変わってしまった。
ヴァネッサ・レベッカは相棒の巫女が何をしたかは理解していたが止めることはしなかった。
下手な拷問よりも効果的であり、しかも対象者も何かをされている認識がないという便利なやり方だからである。
「ヤバくなるって?」
「キメセクさせすぎたとか、具合いが悪くなりすぎとか、そういうんだ。そうなっちまうと、もう内蔵もイッちまってるから、腑分けもできねえ」
憎々しく語る内容の黒さに若頭は異常さを感じていないようだった。
それは皐月の腕のさえとヴァネッサ・レベッカの持ち出した銃のおかげだった。
まさか二人が世の中にはびこる妖怪を倒す巫女とFBI捜査官とは露にも思っていないのだ。
見た目などはともかく、ヤクザに等しい同類だと見做しているせいだった。
ただの女子供にしては肝が据わりすぎていた。
「ふーん……」
皐月は苛つきを無理に押し殺した。
傍にいるだけで腐りそうな気色悪さだが、なんとか我慢をしたのだ。
元々、皐月は行き場がなかったから〈社務所〉の退魔巫女になった女だから、ご大層な使命というものは持っていない。
人を護るとか、正義のためなんて考えは微塵もないのである。
だからこそ、一般の人間の素直な感覚というものをほとんど喪っていない。
罪のない女を道具のように扱って恥じない者達に対して怒りを覚えるのは当然だ。
彼女が目の前の恥知らずを叩きのめさないのは、縛られた結果身動きとれないのを考慮しているだけであった。
日本よりも遙かに凶悪な犯罪の多いアメリカの出身であるヴァネッサ・レベッカは、相棒よりも胸糞の悪い事件への耐性が強く、自我をさらに抑制できる力を持っていたので、彼女が情報を引き出す役に替わる。
皐月が目に見えて剣呑な雰囲気を醸し出し始めたからである。
これ以上はマズいと判断したのだ。
「……それで、そこから逃げた人を追っているというわけなのですね。どういう人なのか詳しく教えてください」
逃げ出した何者かを追っていた三人組が妖怪〈サトリ〉によって重傷を負わされた。
ならば、その人物が〈サトリ〉について知っている可能性は高い。
時には人食いとなる凶悪な妖怪と接触したというのならば、早く救出しなければならないだろう。
皐月とヴァネッサ・レベッカは一刻早く〈サトリ〉を見つけ出して退治する必要ができたようだった。
だが、若頭は口を噤んだ。
それ以上喋るのを拒否するかのように。
「黙ってちゃわからないよ。ちゃっちゃと口を割りなよ」
軽い口調だったが、明らかに必要以上の力をこめて、若頭の足を踏みつけた。
ヤクザなど人間とも認めていないのだ。
刹彌流はそもそも宮家の護衛を任せられるものたちの末裔であり、恥知らずの下郎に優しくする謂れはない。
「いてえ、いてえ!! いうよ!! 言うからやめてくれよ!!」
「―――早くしろよ」
「俺たちが探してるのは女だ。もともと来栖連盟の連中が家出娘として拾ってきたやつだ。すげえ可愛いかったから、あっという間に連中にものにされちまったらしい。でも、しぶとく抵抗するもんだからクスリを打って飼ってたんだよ。そのうち、うちの組の幹部に上納されたりして、よろしくやってた」
「……で?」
「だけど、やっぱりクスリのやりすぎでよ……」
◇◆◇
〈サトリ〉は凄まじいまでの高い身体能力と反射神経、そして判断能力を有する妖怪であった。
視界に入ったすべてのものたちの心を読み取り、次の動作を知ると、それを上回る速度で先手を打つのである。
この妖怪の恐ろしさは、心を読み取る相手をいくつも同時に設定して、それぞれに対して思考を並列処理できるところにあった。
しかも最大で十の処理が同時にできるのである。
ゆえに、花畑に土足で踏み入ってきた二十人のヤクザの半数以上の心をほぼ把握していた。
(なんだ、この化け物は! 逃げた方がいいのか、それとも手にした竿で叩くべきか? どうすればいい)
(やべえ、なんかやべえ、後ろに下がろう。他の連中に任せればいい。右足から下がって三歩分逃げよう)
(銃、銃! どうすればいいんだっけ? 引き金が動かねえ! どうすればいい? 誰か教えてくれ!)
(ヤクザを舐めんじゃねえぞ、この素っ裸野郎!! 叩き殺してやる。右のパンチをお見舞いしてやるぜ!)
そんなヤクザたちのどうでもいい思考を並列に分析し、考えるよりも早く肉体が躍動する。
手にした錆びついた鎌は、硬すぎて切れないはずの骨さえもバターのように切り裂いた。
最初の一振りで二人のヤクザの手首があっけなく落ちた。
返す刀で一人の太鼓腹を切断する。
腹圧でとびだした血液と内臓が花畑を真っ赤に染め上げた。
ヤクザたちが事態を把握するよりも速く、〈サトリ〉は銃のグリップを握り、安全装置を外すのも忘れて引き金に指を掛けているチンピラの顔を抉り取った。
〈サトリ〉も銃は知っている。
妖怪といえど、命中すれば無事ではすまないだろうということも。
不老ではあったが不死ではない妖魅である〈サトリ〉にとって、銃は特に危険視するべきものであった。
もっとも、銃のように狙いをつける必要がある武器は心の読める彼にとっては躱すのも難しくはないのであるが。
あっという間に四人が戦闘不能に陥ったことを、ヤクザたちは理解できなかった。
所詮はゴロツキの類。
本当の殺し合いになったらまともな反応など望むべくもない。
一方の〈サトリ〉は完全に妖魅として、人に害なす存在としての意義を果たそうと動き出していた。
逃げようとしたヤクザの背中を脊髄までも断ち切り、恐慌に駆られて殴りかかってきたものの腹につま先を叩きこみ、そして突き出した首を落とした。
時間にして三十秒もかからなかっだろう。
二十人近くいたヤクザたちは瞬く間に全滅した。
錆びた一丁の鎌を手にした妖怪のために。
「おい、おまえたち―――拙僧を置いてさっさといくでないぞ。まったく御仏に仕えるものをなんだと思っておるのだ」
そこに僧侶らしく履いていた草鞋の紐が切れたことからその修繕を行うために遅れていた聯頭がやってきた。
そして、花畑の中の血まみれの地獄絵図をみて硬直する。
驚きのあまり前を見やった聯頭は、血の海に立ち尽くす妖怪の姿を確認した。
逞しい筋肉のついた身体と能面のような顔を持つ妖怪を。
聯頭はやはり僧侶であり、外道であったとしても世の妖魅についての知識はふんだんに有していたことから、すぐに〈サトリ〉の正体を見破った。
「……おぬし、妖怪ではないのか? こんなところで何をしておる、この汚らわしい妖怪変化風情め!!」
妖怪とわかっていながらたいした度胸である。
しかし、どんな度胸があろうなかろうと〈サトリ〉にとって何も変わらない。
聯頭という坊主の心を読んでしまえばそれで終わりだった。
『おめが聯頭か……。いずみの胸に鬼の字を書いたのは、おめだな』
「ほお、拙僧の心を読んだか。どうやら〈サトリ〉のようだが、こんな人里に近いところに貴様のような化け物がいるとは聞いたこともないぞ。ははーん、さてはねぐらを追い出されたはぐれものだな」
『……おめ、地獄の鬼のような里っ子だでな。とても嫌なことばかり考えている』
「なに、妖怪ごときに拙僧のことをとやかく言われたくはないな。おや、後ろにいるのはいずみくんじゃないか。これは助かった。おまえのおかげでその娘を父親の元に返すことができそうだ。感謝するぞ、妖怪」
足元に死体が山のように転がっているというのに、聯頭にはすでにまったく怯んだ様子もなくなっていた。
この僧侶も〈サトリ〉同様、まるで妖怪のように脳髄が崩れ落ちているに違いなかった。
いずみに対して手招きをしても反応がないので、自分から近づこうとしたところに〈サトリ〉が間に割って入る。
『おめにいずみはやらねえ』
すると、聯頭は目を丸くしてから、爆笑した。
「なんと!! もしや、おまえ、妖怪の癖に人間に惚れたというのか!? 人の心を読む〈サトリ〉ともあろう妖魅が!? ハッハッハッハッこれは傑作だ!」
『……』
「なるほど、懸想したものを連れて帰ろうとする極道どもを皆殺しにしたのも頷ける。惚れた女を守るためだからなあ!! ―――だが、滑稽すぎる」
はっきりと見下した冷たい目つきで、聯頭は言った。
「おまえがご執心のそのいずみという女は、とうの昔に死んでいるというのになあ!! まあ、妖怪が死人に恋をしたとしてもそれは不思議ではないことか。所詮、化け物だ。死人と懇ろになる程度がお似合いという訳だな!!」
いずみを指さして、
「拙僧が朝鮮半島から伝わるコトリバコの秘術で
聯頭は厭らしい虚仮にしきった笑みを浮かべていた……