巫女レスラー   作:陸 理明

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第43試合 情念怨感
心を読む妖魅


 

 

 獣すら通るかわからない山中を一人の女が歩いていた。

 宙を行くような、ふらふらとした足取りで、靴すらも履いていない裸足だった。

 まとっているものは一枚の白い着物で、帯すらもひたすらに白い。

 双眸はうつろで、まるで幽霊のようでさえあった。

 女は枯れた落ち葉の上をただ進んでいる。

 奥多摩の遥か奥深く。

 しかも真冬だ。

 とてもではないが常人がする行為ではない。

 ゆえに女のこの奇行を見咎めるものはいない―――はずだった。

 

『おめ、どこに行く気だ』

 

 女に声をかけたものがいた。

 だが、姿は見えない。

 彼女が進む山中には隠れる場所が豊富に存在し、そのどこかに隠れつつ話しかけたのだろう。

 擦れたような、竹が喋ればこういう声だろうという印象だった。

 実際、女の歩くすぐそばには手入れがされずに放置された竹林があった。

 その竹林そのものが喋ったかのようである。

 

『ここから先はいかね方がいい。里っ子が入っちゃいけん。進むと死ぬぞい』

 

 声の主の目的は忠告だったらしい。

 真冬の深山を着物一枚で歩く女をこれ以上進ませてはならないという忠告の意図があるある行為だったのだ。

 ある意味では、親切心からでた台詞のように思える。

 

「―――」

 

 しかし、女は歩みを止めようとしない。

 聞こえているのか、いないのか、まったくの無視だった。

 声の主も戸惑っているようだった。

 竹林の横を通っても足取りに遅滞はなく、姿も見せない声の主を探すそぶりもないのだ。

 耳が聞こえなのか、それとも……気が狂っているのか。

 そのどちらであってもおかしくはないぐらいに、女の様子は尋常なものではなかった。

 

「見つけたぞ!」

「やっとかよ……!! おい、急げ、陽が暮れちまうぞ!!」

「わかってますぜ、アニキ!!」

 

 突然、騒々しい声がして三人の男たちがやってきた。

 女の歩いてきた道ともいえない道を登ってきたのだろう。

 男たちも女と同様に山登りに相応しい格好をしているとはいえなかった。

 赤字に金の龍の刺繍が入ったスカジャンにジーンズ、金のネックレスというチンピラまるだしの格好の若者と、縞の入った背広とスラックスにサングラスというヤクザそのものの中年男性。

 そして、三つ揃えの黒服にポマードがべったりとしたオールバックがついているくるという、ひと目で素性が知れる三人組だった。

 もちろん、奥多摩の山中でハイキングをするような連中とは誰も思わないだろう。

 そんな物騒な男たちは白い着物の女との距離を狭めると、肩を荒々しく掴んだ。

 

「待てよ、おい」

「もう逃がさねえぜ!!」

「タカ、さっさとふんじばっちめえ」

「へい」

 

 スカジャンの若者が背負っていたロープを手にした。

 その先には犬の首輪のようなものがついていて、女の手にそれを巻き付けた。

 抵抗もされないので作業は容易に終わった。

 むしろ、男たちに強引に扱われているのに女の顔にはどのような感情さえも浮かび上がらないというのが不気味そのものであったが。

 薄気味悪く思いながらも、男たちは女をまるで犬でも引きずり回すかのようにロープで引っ張りながら来た道を逆送していく。

 女もなすがままにされ、男たちに抵抗もしない。

 言葉の一つも発しないのだ。

 

「気味がわりいな、ホントによ」

「しかたねえ。こいつに逃げられると困るのはこっちなんだ。いいか、逃げられたのはてめえのせいなんだからな、タカ」

「すいやせん」

「このボケが!!」

 

 縞スーツがスカジャンの背中を蹴り飛ばした。

 容赦のない本気の蹴りだ。

 そんなものを受けても粛々と従うところに二人の関係性が見て取れる。

 

「言い加減にしろよ、佐藤サン。あんたらの不始末に俺も混ぜんじゃねえ」

「うるせえわ。てめえだって同罪よ」

「なんだと、コラ」

「やんのか、てめえ」

 

 黒服と縞スーツが睨みあったとき、竹林の奥から三人のものとは違う声が聞こえてきた。

 

『……れんず? 変な奴だな』

 

 びくっとした三人は、ブンブンと顔を回して声の主を探そうとした。

 

「だ、誰だ!?」

 

 女と違い、男たちはどこからともなく聞こえてくる声を無視することはできなかった。

 しかも、この声が口にした名前を彼らはさっきから呼んでいない。

 

「誰かいるのか!? で、出て来い!!」

 

 だが、声の主は姿を現さない。

 おかげで恫喝も空回り気味だった。

 

『坊主ではにゃあずな。山伏かあなあ。まじない師かあ』

「出て来いって言ってんだ!!」

 

 男たちがどれほどがなり立てても声の主は平気の平左だった。

 それどころか面白そうでさえある。

 

『こげんなとこ、来るんだからきっとおかしげなやつらばあ思うとったが、やっぱり里っ子の考えることはわからげんなあ。反魂(はんこん)かあな。―――しびとがかえってくるのなあ』

 

 その言葉を耳にして、男たちは咄嗟に懐にしまっておいた拳銃を引き抜いた。

 男たちはすべてヤクザであった。

 全員が群馬の過疎で消滅した村で、拳銃を撃つ訓練をしていざというときに備えていた武闘派である。

 だから、躊躇なくロシアから密輸入した自動拳銃であるトカレフとマカロフを引き抜いた。

 それにここは奥多摩の山奥である。

 銃声は誰にも聞きつけられないはずだ。

 何より、この声の主は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 生かして帰すのはおろか、何者であるのかツラを拝まなくては自分たちの身の破滅に繋がるかもしれない。

 

「誰だ、出てきやがれ!!」

「おい、こいつ、聯頭(れんず)のことを知っていやがるぞ。どうやって知りやがったんだ? おまえ、喋ったか?」

「そんな事しませんって! あんな薄気味悪いやつの話なんか誰が喜んでしまスカッて!!」

「……だよな。俺だって口にしてねえ」

「じゃあ、どうして聯頭の名前が出てんだよ」

 

 男たちは拳銃を竹林に向けて構えた。

 おそらくはここから聞こえてきたはずだ。

 それにざっと見て隠れているとしたら、ここしか思い当たらない。

 

「出てこいや!!」

 

 力の限り叫んでみると、

 

『まさかお化けでもでるのかよ、と思ってんなあ。おめ、怖がり過ぎだあ』

 

 黒服はびくりとした。

 確かに彼は「お化けでも出んのかよ」とビビっていた。

 そこを見透かされたのだと思った。

 少なくとも、彼は常識的に考えて、

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だから、竹林からのっそりと体格のいい裸の男が出てきたときも、ごく普通の反応しかしなかった。

 しかし、それが彼の生涯において最大の過ちであったと気が付くことは決してなかった……

 

 

            ◇◆◇

 

 

『という訳で皐月ちゃん。お仕事に行きなさい』

「いやです」

 

 刹彌皐月(さつみさつき)はディナーの最中にかかってきた上司からの携帯電話ににべもなく応えた。

 だいたい真面目に働く気がないのに、「仕事しろ」と言われても否と応えるしかないではないか。

〈社務所〉の媛巫女としての任務はアメリカに出向した時点で果たしているし、今回の帰省はある意味では休暇と思っているからだ。

 一月ほど前に栃木まで出張のような妖怪退治にも行ったことだし、こんな師走の忙しい時期に仕事なんかしたくない。

 皐月は基本的に怠けた人生を送りたくて仕方ない派なのである。

 そんな相棒を、ヴァネッサ・レベッカ・スターリングは何とも言えない顔つきで見つめていた。

 労働が最大の美徳とは思わないが、少なくともローティーンの頃からFBIに属していたヴァネッサからすると皐月の性格は軽蔑すべきものがある。

 ただ、こんな自堕落な少女だというのにヴァネッサは決して嫌いにはなれなかった。

 本国(ステイツ)で何度も命を助けられた、人の殺意を視て、あまつさえそれを掴んで投げることができるという非常識な少女のことを。

 

『青梅市と奥多摩の中間あたりに〈サトリ〉が出たの。あの人の心を読む妖怪については、あなたの刹彌流との相性がいいわ。だから、()()()()

 

 有無を言わさぬ命令だった。

 まだ初潮が来る前からの先輩ということで分は悪いが、年末年始といえば悪魔ルシフェルでさえ休暇をとるのだから、皐月としてはなんとしてでも働きたくない。

 ここはなんとしてでも誤魔化さなければ。

 

「どうして〈サトリ〉なんて危険なものとうちが戦わなければならないんすかね。それに青梅市あたりは或子ちゃんのテリトリーじゃないですか」

『今は或子ちゃんに頼めないからあなたにお願いしているのよ。いい、皐月ちゃん。まだ()()()()()()()()()という限度で引き受けた方がいいわね』

「ひっ」

『あなた、刹彌流が()()()()()()()ことを忘れた訳じゃないでしょうね』

 

 そこで勝負あった。

 皐月は〈社務所〉の道場での日々を思い出して、背筋が凍りついていくのを感じていた。

 

『で、お返事は?』

「……誠心誠意頑張ります」

『よろしい』

 

 皐月は知らなかったが、この時、東京を護る退魔巫女である御子内或子は〈社務所・外宮〉とのトラブルのせいで身動きがとれなかったのである。

 例え、動けたとしても最高のパフォーマンスは出せないであろう状態のため、まとめ役である不知火こぶしとしては無理をさせたくなかった。

 ゆえに、遊軍として待機扱い出会った皐月を指名したのだ。

 それに性格を除けば戦力としては申し分のない実力者だ。

 

「……まったく、せっかくのお休みだというのに。ねえ、ネシー。日本人ってエコノミックアニマルのワークホリックばかりだよね」

「ええ。その通りですけど、たまには働いた方がいいのがいるのも事実ね。例えば、目の前にいる女の子のくせにポルノ雑誌を購入して部屋に持ち込もうとしている人とかね」

 

 皐月は手の中にあるAmazonの箱をそっと背中に隠した。

 何故、バレている?

 18歳未満御断りのエッチな本を虚偽申請してまで購入したことが!

 

「ハハハハ、ご冗談を」

「いいから、そのポルノ雑誌を部屋に置いてきなさい。わたしも同行しますから、さの〈サトリ〉なる妖怪を退治しに行きますよ。それが、退魔巫女としての皐月の仕事でしょうに」

「―――はーい」

 

 こうして、刹彌皐月とヴァネッサ・レベッカ・スターリングの二人は東京都奥多摩市に降りてきた妖怪〈サトリ〉の絡む事件に挑むことになったのである。

 

 

 

 


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